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うるさいオヤジだなぁ。これまでの私のブログを読んでくれた方なら、普通に感じる事でしょう。そう、うるさいんです。面倒くさい奴なんです。そもそも釣に行く前に調べる事って、そこの釣り情報ですよね。いつどこで何が釣れたと言う。私、そっちにはほとんど興味がないんです。他人がどこで何を釣ろうが関係ない。私が調べるのはその湖の周りの農作物とか、住宅や工場の状況とか、過去一年の気象とか、水門や農業用水の使われ方とか。。。調べませんよね、そんなもの。でも面白いんだもの。そういった処から魚が今どこで何をしているかを推理する事が。私は水産学者でもないし、職業漁師でもない。バスプロのように釣りで生計を立てている訳でもない。なので魚に関する知識なんて知れたものです。だから色々と調べまわるんです。そして私の推理・考察のヒントを与えてくれるのが学術論文です。水産学、動物生態学、陸水学などの学会に投稿された論文をかき集めて、自分なりに読み下してみて、そこから釣りのヒントを得るんです。そんな事をしてかき集めた論文をこちらのブログ「バスフィッシングを科学する」でまとめています。その数、約70篇。いつの間にか集まりましたね。ただの私個人用のアーカイブなんですけどね。この場でもそのエッセンスを少しだけご紹介していこうと思います。●タニヤマ ビートラップ 水温計 【メール便配送可】 【まとめ送料割】価格:1,045円(税込、送料別) (2026/2/28時点) 楽天で購入
2026年02月28日
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FNNニュースによると北海道や東北で早くもクマ出没のニュースが流れており、怪我をされた方もいるという。まだ2月なのに。。。 やっぱりクマの生息数が増えているのだろうか。ところで、このクマの生息数はどうやって測定するのかご存知だろうか。農林水産省の発表では、北海道にヒグマが12000頭、本州にツキノワグマが40000頭ほど生息している。四国には20から100頭ほど。九州では絶滅した。この数値はどのようにして求めたのだろうか。話をすこし分かりやすくするために、閉鎖された湖での魚の生息数の求め方から説明しよう。例えば千葉県亀山湖に生息するオオクチバスの生息数を求めた例がある。まず湖のあらゆる地点でバスを捕獲して、計数した上でタグを付けて放流する。その数、1000尾。そしてその魚が十分に湖に散らばり、ほとぼりも冷めた頃に再びサンプリングを行う。ここでは2000尾だ。その2000尾の中に前回捕獲してタグを打たれたバスが何尾いるかを計数する。これをN尾とすると、湖全体に生息するオオクチバスの数は M=2000×1000/Nタグ付きのバスが100尾、捕獲されたのなら、前回のタグ打ちしたバスの1/10が再捕獲された事になり、逆に湖全体では今回のサンプリング数2000尾の10倍が生息していると推定される。これをピーターセン法といい、動物生態学では基本的な方法だ。さてこれをクマについて行うのだが、クマはバスと違いおいそれと捕まえてタグを打つ訳にいかないので、捕獲に代わる方法が必要になる。いくつかの方法があるのだが、要はそこにいるクマの個体を特定できれば良いのだ。方法Aがカメラトラップ法。クマの生息数を計測したい区域にカメラを仕掛け、そこを通過するクマを記録する。特にツキノワグマは月型に特徴があり、体高や体形と合わせて外見的特徴を詳細に記録することで、個体識別が可能となる。これによりカメラを仕掛けた区域に何頭のクマがいるかを特定する。そしてピーターセン法に従い、時を置いて別の場所で再びカメラトラップを仕掛ける。ここで観察されたクマの総数と、その中に前回のカメラトラップで観察されたクマの数の割合から、その地域のクマの生息数を推定するのだ。例えば岩手県全体のツキノワグマ生息数を知りたいとしても、岩手県全てにカメラを設置することは容易ではないので、計測する区域は県内にまんべんなく設定した限られた区域でよい。その区域内の生息数により統計的に県全体の生息数を推測するのだ。方法Bがヘアトラップ法。これはカメラの代わりに鉄条網を適当な高さに仕掛け、そこを通過したクマの体毛が引っかかるようにする。この体毛からクマのDNAを採集し、個体を特定する。あとはカメラトラップ法と同じだ。なかなか地道な作業ですね。農水省の職員さんなのか大学の先生なのか知りませんが、ご苦労様です!メロン熊 ゴルフ ヘッドカバー ドライバー用 OHC0048 460cc対応 キャラクター 北海道 夕張 ご当地 ゆるキャラ ギフト ゴルフコンペ 景品 賞品 グッズ プレゼントHTCゴルフ ホクシン交易【送料無料】価格:4,840円(税込、送料別) (2026/2/27時点)楽天で購入<#クマ ツキノワグマ #ヒグマ #生息数 #ピーターセン法 #ヘアトラップ #カメラトラップ #DNA>
2026年02月27日
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もう少しミラノ・コルティナ オリンピックの余韻に浸らせて下さい。今回も幾多の名勝負が繰り広げられまたが、その中でも「超人だ」と唸らざるを得ないアスリートがいました。第3位 スノーボード 平野歩夢 彼を超人と呼ばずして、誰が超人でしょうか。ほんの一月前の転倒により骨盤は2か所が骨折し、痛み止めとアドレナリンを打ちながら競技に臨んだのです。凡人ならば病院のベッドに寝ていたでしょう。その身体で彼は7mのパイプを滑り降り、5mも飛び上がり着地するのです。結果は金メダルを戸塚優斗選手に。銅メダルを戸塚優斗選手に譲り、7位に終わりましたが、世界のトップ選手に伍しての7位は超人の仕業に他ならないと言えるでしょう。第2位 ノルディック複合 Jens Luraas OFTEBRO (ノルウェー) 複合個人のノーマルヒル,ラージヒル,そして複合団体と、出場した3種目で全て金メダル。King of Ski の名称を欲しいままにしました。そのレースぶりは前半ジャンプで好位につけ、後半の距離で差し切る。特に豪雪の中で繰り広げられた複合団体のゴール前のデッドヒートを制しての優勝は、Kingの面目躍如でした。第1位 クロスカントリースキー Johannes Hoesflot KLAEBO(ノルウェー) まさに超人。たった2週間の間に6種目。10+10km,スプリント1.5km×4,10km,リレー7.5km,団体スプリント1.5km×4,50kmで合計99.5kmを走りぬき6冠。スプリントでは1.5kmを間髪入れずに連続です。そしてラストスパートの上り坂ではあの「クレボステップ」。まさに他の選手が止まって見える高速ステップ。噂には聞いていましたが、生で見るのは初めてだったので、思わず笑っちゃいました。噓でしょ?一人だけ板を履いてないの?クレボだけ下ってない?雪ないでしょ。そう言いたくなります。そんなクレボでもフリースタイルの時にはクレボステップではなくスケーティングで上ります。それがまた早い!やはり他の選手とストロークが違う。基本的な身体能力が桁違いなんでしょうね。こうしてミラノ・コルティナオリンピックは終わり、私達に心地良い余韻を残してくれました。ちなみに今大会の開会式と閉会式も素敵でした。(東京オリンピックには触れずにおきます・・・)イタリア 2025 年ボルミオ アルペン スキー オリンピック コルティナ ミラノ 6 ユーロ銀メダル価格:86,900円(税込、送料無料) (2026/2/25時点) 楽天で購入
2026年02月25日
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終わっちゃった、ミラノ・コルティナ オリンピック。何だかんだ言って楽しめました。時差的に夜更かしが過ぎたのが体には堪えたけど、それ以上に興奮し感動しました。では終活ノートにふさわしく、ここでも思い出の名シーン ベスト3を発表しましょう。第3位 フィギュアスケートペア 三浦璃来/木原龍一 金メダリストやん、標題とちゃうやん! お叱りはごもっともですが、このペアのプロセスを考えてください。ショートプログラムでの考えられないような失敗で泣き崩れた木原選手の復活劇。それを支えた三浦選手の健気さ。そしてフリー演技の完璧さ、美しさ。鳥肌が立った。フィギュアの演技で鳥肌が立ったのは、あのサラエボ五輪のトービル・ディーン以来です。伝説のボレロですよ!アイスダンスの歴史を変えたと言われ、彼ら以後数10年にわたってフィギュアでボレロの使用がはばかられるようになった名演技。今回のりくりゅうはそれに匹敵する完璧さとストーリーがありました。第2位 スキージャンプ複合団体 丸山希,小林陵侑,高梨沙羅,二階堂蓮 表彰台で沙羅ちゃんが笑ってる。これを4年間待っていました。北京五輪でのユニフォーム規定違反での失格の責任を一人で背負い込んだ沙羅ちゃん。あれは決して彼女の責任ではないのだが、女子ジャンプ陣のエースとしての責任も含め、泣き崩れた沙羅ちゃんを見るのが辛かった。それからの4年間も平坦ではなかった。ジャンプは乱れ、相変わらずネット上には罵声が飛んでいました。北京五輪のメンバーは高梨沙羅、佐藤幸椰、伊藤有希、小林陵侑。その小林選手の「沙羅を涙のままで帰せない」と言う言葉が胸に響きます。今五輪は沙羅ちゃんは丸山選手に、小林選手は二階堂選手にエースの座を譲って臨んだ大会でしたが、二人とも精一杯のジャンプでチームとしての役割を果たし見事銅メダル!表彰台で微笑む沙羅ちゃんを見て涙が溢れました。第1位 スピードスケート 高木美帆 日本スピードスケート界最大の功労者のラストレース、しっかりと目に焼き付けました。平昌・北京・ミラノと戦い抜いた彼女は、その3大会で500mが不出場,銀,銅、1000mが銅,金,銅、1500mが銀,銀,6位 、パシュートが金,銀,銅。合計10個のメダル、うち2つの金メダル。巨人ですよ。彼女が一番欲しいと言っていた1500mでの金メダルは残念ながら手に届きませんでした。4種目出場というハードな日程、エースの重責、特にパシュートの高負荷。色々なものが彼女の両足にかかり、ゴール前では膝に手をつくほど疲労していました。そんな美帆さんを見たことがありません。ヨハンコーチと抱き合い泣き崩れる美帆さんを見るのはつらいし、姉の菜那さんとのインタビューも涙を誘いましたが、彼女はやり切ったと思います。むしろ清々しいほどの敗者でした。ヘミングウェィは言った。「勝者には何もやるな」彼はある種のニヒリズムを込めて述べたのだが、オリンピックでの敗者の美しさを見るたびにこの言葉が浮かびます。毛糸 セール まとめ買い 10玉 スキー オリンピック 純毛中細 毛糸 中細 中国製 ウール 秋冬毛糸 かぎ針 棒針 ニット 手編み 編み物 レディース 手芸 ハンドメイド 手作り 帽子 マフラー スヌード ストール セーター ベスト価格:1,705円(税込、送料別) (2026/2/23時点)楽天で購入
2026年02月23日
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東京都下にある地元のシネコンに行こうと思う。お目当ては One Battle After Another。デカプリオ主演のアカデミー賞候補だ。日本でのロードショーは昨年10月だが、今週からプレミアム・ラージフォーマットのIMAXでの上映がスタートしたのだ。これは人気が出るぞと上映スケジュールをチェックすると、、、1回。一日1回しか上映されていない。へっ、そんなに不人気なの?じゃあ何がやっているのと見てみると、なんと洋画なんてほとんどやっていないのだ。上記のワンバトルが1回、公開して間もないクライム101も1回、まだ頑張ってるアバターが1回。これだけ。それも朝1番枠とかレイトショーだ。じゃあ何を上映しているのかと言うと、邦画が5本、アニメが新旧取り混ぜて8本、中国映画が1本、そしてコンサートの配信上映(ODSと言うらしい)が2本。今ってそうなってるの?洋画ってそんなに人気がないんだ。と、今年のアカデミー賞候補を改めてチェックすると、作品賞は、・罪人たち・ワン バトル アフター アナザー・マーティ シュープリーム・センチメンタル バリュー・ハムレット・フランケンシュタイン・トレイン ドリームズ・シークレット エージェント・F1・ブゴニアおいおい、知らない作品ばかりだぞ。それもそのはず、半分以上がまだ日本未公開だ。それだけ日本市場が軽視されているのか、軽視されるほど洋画に客が入らなくなったのか。そう言えば去年の夏、鳴り物入りで公開された巨匠フランシス フォード コッポラの「メガロポリス」を公開初日の1番枠で見に行ったら、客席はガラガラだった。400人は入るシスコンの一番大きなシアターに20人ほどがポツリポツリと。作品の出来も私的にはイマイチだったのだが、客の入りの悪さに驚いた。日本中であの現象が起きているんだな。トランプが Made in USA だとかこだわっている内に、世界市場はハリウッドを見限るぞ。メガロポリス スペシャルエディション 【Blu-ray】価格:6,847円(税込、送料無料) (2026/2/21時点) 楽天で購入
2026年02月21日
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釣りが好きだ。水辺に立ってロッドを振るだけで、なんと清らかな己になれることか。本を読むのが好きだ。己の知識など部屋の片隅のゴミ溜めだ。先人達の知恵を経験を本から譲り受ける。計画し調査し仮定し空想するのが好きだ。それだけで俺の部屋は清流に荒海に深山に砂漠に宇宙に変幻する。ならば先人達から釣りに関する名言を賜ろう。そのいくつかは座右の銘に昇華する。アイザック ウォルトン卿 かの「釣魚大全」が書かれたのは17世紀。イギリス貴族の高貴な遊びであった釣りを体系的にまとめたばかりでなく、釣り人の心理や生態まで描写している。その言葉は4世紀経っても色あせない。「おだやかなることを学べ。」「魚釣りは奥深い数学のようなものだ。誰も完全にマスターする事はできない。」開高健 我が心の師匠。教わったのは薄っぺらなテクニックなどではない。自然とどう向き合うか、己とどう向き合うか、だ。「釣りとは絶対矛盾的、自己統一である。」夢枕獏 そして開高健の跡を継ぐべく世界を釣りまわる夢枕獏。「平成釣客伝」の雰囲気はそっくりだなぁ。「釣れない釣り人は哲学者。釣れた釣り人はただのお調子者。」ジェームズ ヘドン かのヘドン社の創業者。彼がプラグを発明したと言われるのは20世紀初頭。「釣りを知らないことは、人生の楽しみの半分を知らないことだ。」スパース・グレイ・ハックル どこの誰だか知らないけれど、誰もがみんなうなずく。「もし釣りが仕事の妨げになるのなら、仕事の方をあきらめなさい。」ロシアの諺 えっと、仰せごもっともです。「釣りの話をするときは両手をしばっておけ。」 村田基 ある釣り番組で視聴者からの問いに答えて。「村田さん、ルアーをどこに投げればいいんですか?」「全部です!」「何を投げればいいんですか?」「全部です!!」ブルース リー そうか、彼は釣りのことを言っていたんだ!「Don't think. Feeeeel」魔羅どぉな 俺も言っちゃうよ。「Don't feel. Thiiiiink.」【ふるさと納税】 数量限定 ルアー 釣り アウトドア キャンプ ポケモン 計2個 セット ピカチュウ カイオーガ 釣り具 DUO 焼津 a26-010価格:26,000円(税込、送料無料) (2026/2/20時点) 楽天で購入
2026年02月20日
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さぁ難しいぞ。これまでのウン十年の人生で遭遇したLiveの中からBestを選べというミッションだ。ざっと数えてみた。これまでにいくつのコンサート、フェス、ライブに出会ったのか?寂しい事にこの10年はその機会がガクッと減ったが、合計してみるとざっと1000! あんたも好きねぇ。。。ライブの感動って「天・地・人」だと思う(何ヲ言ッテイルンダ、コイツハ・・・)つまりどんな状況でどこで誰が何を演じてくれたかによって、感動の深さが異なってくる。「心・技・体」でも「5W1H」でもいいか。まぁそうだね。。。じゃあウン十年の最高傑作は何だったか?これだけは選べる。1980年の芝郵便貯金ホール(現 メルパルク東京)でのスーパーギタートリオ。スーパーギタートリオは、Al Di Meola, John McLaughlin, Paco De Luciaによるアコースティックギタートリオ。ライブアルバム、Friday Night in San Franciscoがベストセラーになり有名だが、実は1981年発売のこのアルバムより前に、John McLaughlin, Paco De Lucia, Larry Corielというトリオでプレーしていた。その元祖スーパーギタートリオによる日本公演が実現したのが1980年12月23日だ。かのアルバム収録の2週間後だった。会場は超満員。壁を取り囲むように立ち見客が並び、俺は右の壁の最前列だった。後にも先にもあんなにギューギュー詰めのホールコンサートにお目に掛ったことはない。PAの真ん前だが、それよりもプレーヤー達の神業が手に取るように分かるのが嬉しかった。写真は同メンバーによるスペイン公演時のもの。YoutubeはFridai Night当日のフル動画だ。なのでメンバーはLarryからAlに代わっている。プログラムはそれぞれのソロから2人でのデュオと続き、後半の1時間は怒涛のトリオだ。そして白眉はPacoとLarryによる「地中海の舞踏:Mediterranean Sundance 」。50分あたりからの白熱を聴け!この曲はAlの作曲なので、ここだけは彼の不在が惜しまれた。Larryもすばらしいギタリストで、この日もラヴェルのボレロをギター1本で聞かせてくれた。彼のアルバム「ストラビンスキーの火の鳥」はお気に入りの一枚だ。しかしスパニッシュのこの曲とは少しそりが合わなかった。だが、それを補って余りあるPacoの出来!すごかった。神業と言うよりも悪魔の技と言うべきだ。Mediterranean SundanceでのバトルではLarryを圧倒し疾走する。その時、客席には熱狂とは少し違う雰囲気が漂っていた。何かとんでもないものを目撃しているのだと言う「臨場感」ともいうべきもの。演奏後は爆発するような歓声と共に、ざわめきに近いものが広がる。あれも稀有な経験だった。そして後半のトリオではPacoがギターに噛みついているのを俺は目撃した。5本の指ではこと足らず、Pacoは歯で弦を押えたのだ。あまり広まっていない事だが、最前列の俺にははっきりと見えた!音楽のためなら魂も差し出す。Pacoの覚悟を見たような気がした。その後、32年を経て彼らは再びコラボした。貴重な映像がこれ。再びPacoとAlによるMediterranean Sundanceだ。Friday Night in San Francisco当時、Alは26歳、Pacoは32歳だった。この時の二人は58歳と64歳。円熟した技の中にも情熱が迸る。Pacoとはこの後も2回(1982年の昭和女子大でのチック・コリアとのセッションと、1998年の自身のSextet公演)遭遇し、俺は何れも腑抜けになって帰っていった。。。そしてこのスーパーギタートリオ再結成の2年後、Pacoは他界した。彼の生涯は映画「パコ・デ・ルシア灼熱のギタリスト」にもなっている。伝説とも天才とも呼ばれたPacoに映画で触れてみてはいかが?あとは難しいぞ。甲乙つけがたいライブが目白押しだ。でもあえて2つを選ぼう。一つは何度も登場して恐縮だが、伝説の雨の田園コロシアムだなぁ。田園調布にある田コロで1979年7月26日に繰り広げられた Live Under the Sky でのV.S.O.P.公演。メンバーはHerbie Hancock(P), Ron Carter(B), Tony Williams(Ds), Wayne Shorter(Ts), Freddie Haverd(Tp)何度も言うが、これはやはり奇跡のライブだった。天地人が一体となったのだよ。こっちは1986年、Mt. Fuji Jazz FesでのV.S.O.P.だ。Eye Of The Hurricane でSaxを吹くのはWayne Shorterではなく、Joe Henderson。彼も素晴らしいプレーヤーだ。俺の好みはWayneだけどね。曲の中盤、Herbieのピアノの袖で Michel Petrucciani が覗いているのが映っている。Mt.Fujiではよくこういう場面に出くわした。客席からでも見えたもん。3つ目は大阪Blue NoteでのManhattan Transferのライブ。Manhattan Transferは4人組のヴォーカルグループ。NYテイストのしゃれたコーラスにやられた。サントリーブランデーのこのCMをご記憶の中高年も多いはず。もう40年前だよ・・・Janis Siegel (alto), Alan Paul (tenor), Cheryl Bentyne (soprano) and Tim Hauser(bass) という不動の4人が醸し出すハーモニーを、今はなき大阪Blue Note (いまはビルボード大阪に代わった)で堪能したのは1998年のクリスマス直前。ライブハウスなので席もステージに近く、彼らのブレスまで感じ取れる。数々のヒット曲を立て続けに歌い、最後はBird Landで締めて一旦メンバーはステージを降りた。そしてアンコール。Twilight Tone, Body and Soulと来て最後がTuxedo Junction。これでバンドメンバーも下がり、Manhattan Transferも下がった。しかし鳴りやまない拍手に彼らは4人で再度ステージに上がり、静かにアカペラで歌い始める。A Nightingale Sang In Berkeley Square。どうです。真っ暗なステージでピンスポットを浴びた4人にこれを歌われたら、まるで自分だけに語り掛けられているように感じるでしょ。もう涙腺崩壊しちゃったよ。2014年、Manhattan TransferはリーダーのTim Hauserを亡くす。彼らは代わりのBass Vocalistを迎えて活動中だが、歌唱だけでなく音楽的にもリーダーだったTimの抜けた穴は埋まらないだろう。なんと言ってもJazzは生! Liveだよ。一期一会の音楽だからこそ数々のLiveで奇跡が生まれる。俺は1枚の名盤よりは1回のLiveを選ぶな。これからも。。。ギター 練習グッズ ポケットギター 6フレット 初心者 練習用 ネック 練習用ネック 右手 左手 右利き 左利き ポケットサイズギター トレーニング コンパクト 持ち運び アコギ エレキ 6弦価格:2,300円(税込、送料別) (2026/2/19時点)楽天で購入<#ライブ #LIVE #コンサート #スーパーギタートリオ #VSOP #雨の田園コロシアム #LiveUndertheSky #ManhattanTransfer #BlueNote>
2026年02月19日
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何とも偉そうな標題を付けてしまった。。。 お前はニューヨークに3年くらい住んでいたのか?いえ、スイマセン。住んでませんです。アメリカには1985年から86年に掛けて住んでいましたが、西海岸です。ニューヨークは地の果てでした。モーレツ時代の駐在員がちょっとそこまでって感じで行けるほど近くはなかったんです。ではJazz好きサラリーマンが本場ニューヨークにたどり着くまでの放浪記をひとつ・・・俺の住んでいたのはCaliforniaのHuntington Beach。大谷翔平で有名になったAnaheimの隣町だ。いい街だったよ。広いビーチ、きれいな海、治安もいいし飲み食いに不自由しない。海の水は冷たかったので、ビーチで寝っ転がっているだけで泳いだ記憶はない。このピアの上から釣り糸を垂らしながらノンビリ海を見て過ごす。ちなみにほぼ釣れない。。。Jazz好きの俺としては本場アメリカでどんなプレーヤーに出会えるか楽しみにしていたのだ。しか~し!LAエリアには意外にJazz Clubは少ないのだ。今でも数えるほどなので、JazzのメッカNYとは比べ物にならない。たぶん当時の東京の方が充実していた。新宿タロー、六本木Pit Inn、サテンドール、銀座スウィング。。。よく行ったなぁ。Jazzの本場に行けるぞ!と楽しみにして渡米した俺にとっては、あれっという感じ。それでもいいClubを見つけようと奮闘する。なんせネットも何もない時代。頼りは電話帳と口コミだ。まだたどたどしい英語でそれっぽい店に電話を掛けて「何をやってるの?」と聞くと、ほとんどはロック、カントリー、コメディ、ストリップ。。。10何軒目かで電話したのがノースハリウッドのBaked Potateだ。「今夜はBunny Brunelだよ。」バニー・ブルネル? 1979年のLive Under the Skyでチック・コリアが連れてきたブルネル? アル・ディメオラ、トニー・ウィリアムスとのカルテットでスペインを弾きまくったブルネル?「行く行く!何時から?そこはどこ?」場所はユニバーサルスタジオのノースハリウッド側。ここから60km、車で1時間半ってとこ。愛車、ポンコツサニーに飛び乗りフリーウェイでひとっ飛びだ。辿り着いたのがこんな所。田舎町じゃん!まだ明るさの残る夜8時に店に飛び込むと、地味~な小さな店。しかしここがなかなかの名店だった。以後、毎月のように来ることになるのだ。(遠くからご苦労さん!)酒は飲まない俺はまずは店名にもなっているベイクドポテトをコークで流し込み、9時の開演を待つ。現れたブルネルはドラムス、ギター、キーボードを従えてノリノリのフージョンを聞かせてくれた。Baked Potatoは今もなかなかの有名所が出演しているようだ。創立は1970年と言うからもう55年。それだけ続いているんだ。いい店に決まっている。しかもあんな不便な場所で。Baked Potate同様に通い詰めたのはRedondo BeachにあるConcert by the sea。ここはJazz Clubでもシアターに近い。客席は全てステージを向いていて、小さなテーブルが各椅子の前にあるスタイル。アメリカでは後にも先にもここだけだった。新宿のタローがこんな作りだったな。なので飲み食いは期待できない。しかしその分、メンバーは良かった。例えばJohn Blake。Jazz Violinの名手でMcCoy TynerやGrover Wasington Jr.らのアルバムに参加している。例えばCharlie Bird。アコースティックギターを駆ってブラジリアンな音を出す。 Stan Getzと長くセッションしている。この日はボーカルデユオの Jackie and Roy。ベテランご夫婦なので古いスタンダードナンバーを歌うのかと思いきや、Fusionでしたよ。Return to Foreverを彷彿とさせるような。Concert by the seaはそのいい響きを利して自分のレーベルを持っていた。そしてこの店も今はない。。。アメリカ内を出張するたびにその地元のClubを探し回った。仕事でよく行ったシカゴやボストン、しょっちゅう遊びに行ったラスベガス、一度だけ訪ねたアトランタ。アトランタは面白かったな。ここでも事前の知識は皆無だったので、タクシーを捕まえて「お勧めのJazz Clubへ行け」と言ったら、Georgia Tech Univ.の側の店でいいかと言う。いいよと答えて走り出したが、この黒人のドライバーがヨタヨタと車を走らせる。「お前、ラリってるんだろ?」「あ~ちょっと眠い・・・」冗談じゃない。そこの店でコーヒーでも飲め!と車を停めさせて一休み。何しているんだか・・・。しばらくして走りだしたが、こっちは眠らないようにつたない英語でしゃべりっぱなし。何でこんなに気を使ってタクシーに乗らなきゃならないんだ。結局辿り着いたのはほんの5分先。なんだよ、さっと走れよ。しかもそのClubのショーはほぼ終わっていた。。。まあその後、Georgia Techの女の子と盛り上がったからいいか。そして何といってもNew York!ここへはなかなか行く機会がなくて、渡米1年くらいたった時にようやく3日だけ訪れた。ボストンへの仕事の帰りに休暇をとって金曜の夜から日曜の夕方まで、滞在時間40時間。ほぼ寝なかった。ホテルを取った意味がないくらい遊びまわった。昼間はブロードウェー、オフブロードウェー、オフオフブロードウェーでミュージカル三昧。高いチケットは買わない、tktsで安いチケットを買いまくり。ラ・カージュ・オ・フォール、42nd Street、探偵スルース、マイムの何か、アングラ風の何か・・・。夜はもちろんClub巡り。しかし意外にこれが苦戦する。Village Vangard、Village Gate、Blue Note、Birdland。。。全部満席なのだ。まあ週末の夜だからね。しか~しNYにはまだまだいいClubがたくさんある(はず!)。一旦ホテルに戻り電話帳を頼りに電話を掛まくる(1年経ってもやっている事は同じ・・・)。そして何軒目かにAugie’s Jazz Barに掛けた。今日はだれ?「Art Blakey! 」「Wao!」電話口で思わず叫んじゃったよ。ハーレムの入口にあるそのClubにレンタカーを走らせた。店先に路駐して(もちろん窓は開けっぱなし。じゃないと窓を割られる)店に飛び込むと小さな店内(50席ほどか)はほぼ満員。一人でカウンターに腰かけて開演を待つ。このワクワク感!そしてArt Blakey & Jazz Messengersが登場。相変わらず元気なBlakeyオジサンと若いプレーヤー達。ピアノ、ベース、サックス、そしてトランペット。ウィントン・マルサリスが抜けたばかりのペットはテレンス・ブランチャードだ。その時、俺は未だ彼の存在を知らなかった。しかしあのマルサリスの後釜だ。並みのトランぺッターのはずがない。そして彼は並みではなかった。マルサリスを彷彿とさせる切れのいい音、自在なアドリブ。後に調べると彼はその時まだ23歳。アメリカにはどれだけの才能が埋まっているんだ?そしてインターバル。トイレに言ったら何とその隣が楽屋で、プレーヤー達が歓談しながら軽く音を出している。ちょうど出てきたブランチャードに挨拶して握手する事ができた。ブランチャードはその後、映画音楽に深く関わりスパイク・リーの作品を多く手掛けている。2nd Stageでも彼らはたっぷりと聞かせてくれたが、俺が感心したのはすぐ隣のテーブルにいた黒人ファミリー。夜11時だというのに6,7歳の男の子を連れている。そしてこの子のノリが超いけている。ハードバップのBlakeyのリズムをバッチリと腰で取れている。さすが!さすが本場のガキンチョは違う。名店の誉れ高かったAugie’s Jazz Barはその後閉店してしまうのだが、その後を継ぐように開店したのが Smoke。今やここも一流店になっている。昼の部も楽しかった。tktsでは42nd Streetやラ・カージュなどの人気プログラムは後ろの席しか取れない。むしろオフブロードウェーの小さな小屋の方がおもしろかった。なんか実験的な作品が多いし。土曜日は昼過ぎにマイムを見て、夕方前に探偵スルースを見て、夜は11時まで42nd Street。それからソーホーのJazz Clubに行った。金曜日のArt Blakeyがあまりにも素晴らしかったので、土曜日にどこで何を聞いたのか記憶がない。確かFusion系の若いメンバーだった・・・。まっいいか。そこがはねてからイーストエンドのディスコ(今はクラブね)にしけこんで、騒音の中、壁際で女の子に見とれる(アホナノ?)。朝5時過ぎにホテルにホテルに戻ってちょっと居眠り。最後の日曜にゆっくり寝てなんていられるか!セントラルパークの周辺に出ているアーティストの卵達の屋台みたいな店で、手作りのアクセサリーをゲットして再びブロードウェーに繰り出す。そしてオフブロードウェーでアングラ劇に参戦。役者が客席を飛び回ってやりたい放題していて、笑い転げた事だけ覚えている。ラ・カージュは楽しかったな。1年も住んでいたので役者のスラングだらけのお下劣会話も頭に入ってきたし。俳優は誰だったかな。そこそこ有名な人だと思うけど・・・。たった40時間のNY滞在。やっぱアメリカにいるなら、ここは経験しなくちゃ。自由の女神?エンパイアステートビル?有名レストラン?みんなすっ飛ばしちゃった。【流通 限定商品】 レゴ ポストカード ニューヨーク 40519【女の子も男の子も子供も大人も楽しめるおもちゃ】【おしゃれなインテリア プレゼントにも】【クリスマス プレゼント に!】価格:2,280円(税込、送料別) (2026/2/14時点)楽天で購入<#NewYork #ニューヨーク #jazz #Club #BakedPotate #RedondoBeach #アトランタ #ブロードウェー #Augie’sJazzBar #ArtBlakey #Smoke #42ndStreet>
2026年02月14日
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始まりました、ミラノ・コルティナ冬季オリンピック!何だかんだ言ってもオリンピックが楽しみでならないのだ。行き過ぎた商業主義だとか欧州貴族達の娯楽だとか大国のエゴだとか批判しても、おもしろいものはおもしろいのだ。まして私は感動に飢えているのだ。「涙活もまた楽し」でも書いたが、映画でもスポーツでも「泣かせてくれなければ許さない!」のだ。特に冬季オリンピックはこれまでも感動の場面が目白押しだった。例えばソチの浅田真央選手。ミスをしたショートの後、もうメダルには届かない事は承知しながら、それまでのスケート人生を全て賭けたかのような完璧なフリー、そして真央ちゃんの涙。もう号泣ですよね。例えば長野のスキージャンプ団体。船木!そして原田、はらだぁぁぁぁ!後から試合開始前のテストジャンパー達の思いを知って、二度泣きした。例えば北京のスキージャンプ団体の高梨沙羅選手。チーム順位を大きく押し上げた大ジャンプの直後の無念の失格。あれは決して沙羅ちゃんの責任ではないのに、チームがメダルを失った事の全てを小さな身体に背負い込んでしまった。例えばカルガリのボブスレー ジャマイカチーム。映画「クールランニング」で有名になった愉快で熱い男達。転倒しても最後までゴールを目指した姿に感動した。もうね、号泣する気マンマンだから。水分とってテレビの前で正座してるから。\マラソン限定★MAX75%OFFクーポン!/ スキーグローブ レディース メンズ スマホ対応 厚手 完全防水 防寒 防風 暖かい スノーボード スノボ グローブ 5本指 ミトン 滑り止め 撥水 保温 超保温 極寒対応 タッチパネル対応 冬用 手袋 自転車 バイク アウトドア価格:1,780円~(税込、送料無料) (2026/2/8時点)楽天で購入
2026年02月08日
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釣りにおいてあれこれと思い巡らせるのが好きなのと同様、世の中で見聞きした事をあれこれと考える事が止められない。「なんだ、これ?」「どうしてだ?」と考え始めると止まらないのだ。大抵はささいな事なんだけどね。ただ単におもしろいのよ。例えば1月の Lady GAGAのライブだ。入口でドームやアリーナのコンサートでありがちな光るリストバンドを渡された。あぁ光るんだよね、と気楽に手にはめてライブを楽しんだ。ところが、だ。このリストバンドが思いの外に高性能なのだ。最初は白く光っていた。がGAGAの歌が始まると色が七色に変化する。それもリズムに合わせて明滅する。おぉ、Wifiでも積んでいるのかな。まぁチケット代3万円もするんだから、それくらいあっても不思議はないか。しかし次の瞬間、リストバンドの光は外野席を走り始めた。まるでウェーブが伝わるように。ん、どう言う事?だってリストバンドは入口でランダムに配られたのよ。どれがどの席に座る物なのか分からないはずよ。Wifiで個別にコントロールする事なんかできる筈がない。これでWifiの線は消えた。じゃあどうやってるんだ?Bluetooth?シートブロック毎に設置した基地局から、最初にそのエリアのリストンバンドにアドレスを与えるようなコマンドを送る事ができれば可能だが。。。 いや違うな。NFCか?スイカみたいな。う~ん、むりだな。基地局から遠すぎる。こうなると、もういけません。当然、分解します。すると、何ともあっけないくらいにシンプルだった。で、一目でからくりが分かった。そう言う事か!左下に写っている電気基板の中央下にある黒くて3本足の部品は受光素子だ。これで座席ブロック毎の上方に設置してある基地局から赤外線を発射し、ブロック毎に発光パターンを制御しているのだ。七色に発光するLED(白い四角の部品)は電気基板の受光素子の両側に取り付けられている。頭いいわぁ。これなら安いし発光パターンの演出も自由自在だ。こう言う小物でライブを演出しているのね。この製品のメーカーは日本企業だったが、外国でもやっているのかな。ちと興味深い。Lady Gaga / The Fame Monster Tee 2 (Heather Grey) - レディー・ガガ Tシャツ価格:4,389円(税込、送料別) (2026/2/5時点)楽天で購入<#LadyGAGA #リストバンド #LIVE #LED #発光 #PIXMOB>
2026年02月05日
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既に紹介した Live under the Sky や Mt. Fuji Jazz Festival と並んでお気に入りだったのが、斑尾高原で行われた Newport Jazz Festival in Madarao。ここは何より気持ちがいい。席は一応あるのだが、広大なスキー場のどこにでも陣取る事ができて、寝っ転がりながら聞くのも自由だ。1983年から2003年まではスポンサーが付いて海外Jazz manがプレーしていた。ストレートアヘッドなJazzからFusion、Latin, Bluesと出演者は多彩。だから観客はお気に入りのプレーヤーの時は盛り上がり、興味がないとウダウダしている。そのウダウダ感も楽しかった。初参戦は1983年の第2回。御大 Dizzy Gillespie, Tania Maria, Spiro Gaila, 日本からはネイティブサン(懐かしい!)etc.。そしてここのもうひとつの売りが、夜の部にペンション村の各地で繰り広げられるワークショップ。出演したJazz Manがアマチュアバンドを指導する形でセッションを繰り広げる。Tania Mariaのノリを見てくれ。観客の抜けっぷりを見てくれ。これが斑尾だぁ。次の参戦は84年。B.B.King, Texas Tenors, Gary Burton。まずはBluesの王様 B.B.King様だ。映像は1991年のもの。84年に見たと時は黒いスーツをピシッと着て、何と専属の司会者を連れて来た。司会と言ってもKingのソロが終わると出てきて「B~B~Ki~ng!」と叫ぶだけ。その度に観客は立ち上がってヤンヤの喝采。彼のおかげで盛り上がりはしたけどね。Kingは斑尾に4回も来てくれた。その後のステージは Texas Tenors。Illinois Jacquet, Arnett Cobb, Eddie Lockgio Davis という3本のテナーで南部のJazzをゴリゴリにやっていた。これが楽しい!B.B.Kingのステージで燃え尽きかけていた観客が、3本テナーの最初の1音で飛び起きた。このYoutubeは斑尾じゃないしメンバーも多少違うけど、テナーのバトル感は同じだ。その後、斑尾Jazz Fesは2016年からはアマチュアバンドのフェスとして同じ場所で開催されている。こちらはまだ行っていない。都会の屋外Jazz Fesとしては東芝がスポンサードした Aurex Jazz Festival。Aurexって知ってる?今はなき東芝のオーディオブランド。その頃は家電メーカーがこぞってオーディオブランドを持っていた。パナソニックはテクニクス、三菱はダイヤトーン、日立はLo-D、シャープはオプトニカ。1980年のBenny Goodman Orchestraはもはや歴史的音楽遺産だ。動画は横浜スタジアムではなく日本武道館での公演。 Sing Sing Singを聞いてくれ!今も多くのアーティストに歌い継がれる名曲はGoodmanと盟友Gene Krupa から始まった。曲を通じて響くGeneのドラムソロがJazzの、そしてDrumsの歴史を変えたと言われる。(このYoutubeではDs:John Markham)1981年はこれまたレジェンド、Lionel Hampton Jazz Orchestraがトリだ。この時Hamptonは73歳。まだまだ! バンドには日本人プレーヤーの顔も見られ、なんと若き日のMALTAがソロを吹いていた。(当時は知らなかったが)このHamptonオジサンがノリノリで、アンコールに応える応える。何曲やったか分からないくらいやってくれて、予定時間を30分は過ぎたと思う。最後の方は観客の方が「大丈夫なのか?」的な雰囲気になった珍しいコンサートだった。Youtubeはお馴染み「さくら」。そしてこれが1982年の大問題作、Jaco Pastorius Big Band: Word of Mouth だぁ。俺はWeather Reportの大ファンだったので、脱退直後のこのライブを見て「ジャコパスは何がしたいんだ?」と訝った口。会場にもそんなファンが多くいた雰囲気だった。要は冷めていた。でもね、今このYoutubeを見るとやっぱ凄いのよ。メンバーは総勢20人を超える大編成で、Randy BreckerやJon Faddis, Peter Erskineなどのビッグネームも多く含まれていた。中にはスチールドラムとかフレンチホルン、チューバ、ハーモニカのToots Thielemansもいるという凝った編成だ。17分過ぎからのチューバとのバトル(?)を見ればジャコパスの凄さが分かる。天才の名を欲しいままにしたJaco Pastoriusはその後、酒とドラッグに溺れていく。1987年に亡くなる直前には精神病院と路上生活を往復する生活を続け、遂にはクラブのガードマンに殴られて死亡するという悲惨な最期を遂げる。なんてこった!80年代90年代の熱狂は、21世紀を迎える頃にはすっかり冷えてしまった。Jazz Fanが見捨てた訳ではない、決して。スポンサーが手を引いたのだ。分かりやすいのがAurex。いや全ての日本電機メーカーの衰退だろう。オーディオブランドなんて全滅。ほんの少し前にパナソニックがテクニクスを復活させたが、それはごく限られたケース。厳しいなぁ。GAFAとか楽天とか、浮かれているIT企業が乗り出してくれないかな。やはり日本ではもう二度と大規模な Jazz Festivalは見られないのかも知れない・・・ベース 初心者セット SELDER JBC-04 / PBC-04 ベースリミテッドセット 【 セルダー エレキベース 黒 ブラック 入門セット JBC04 PBC04 】【大型荷物】【5と0のつく日は当店ポイント5倍!】価格:24,300円(税込、送料別) (2026/2/4時点)楽天で購入<#JAZZ #ジャズフェス #斑尾 #NewportJazzFestival #BBKing #TexasTenors #AurexJazzFestival #JacoPastorius>
2026年02月04日
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1980年代から90年代にかけてはバブルにも重なるが、Jazz好きにとってはたまらない時代だった。海外から有名Jazzmanが多数来日し、熱いプレーを聞かせてくれた。特に夏に各地で催されるJazz Festivalが何よりも楽しみだった。まずは前回に紹介した Live under the sky。これは割と硬派な熱いJazz Fanが詰めかけて、ステージも客席も大いに盛り上がった。次に Mt. Fuji Jazz Festival. こちらは場所柄もあり、アーティストがリラックスして演奏を楽しんでいる感じがした。最後に斑尾での Newport Jazz Fes. これが観客は一番砕けて聞いていたかな。これらを称して夏の三大ジャズフェスなんて呼んでいた。そんな中で今回紹介したいのが Mt. Fuji Jazz Fes.だ。開催されたのは1986年から2004年まで。私は1987年から5回ほど参加している。場所は1996年までは河口湖畔の特設ステージ。その後、富士スピードウェーや富士急ハイランドに移って2004年まで続いた。河口湖から移った後は参戦していない。河口湖畔はよかったなぁ。ステージのバックには河口湖超しの富士山。広大な客席の周りを囲むように多くの出店。食べて飲んで騒げる。アーティストにも大好評だったようで、プレーのテンションも高かった。当然、観客の盛り上がりも凄い!私の初参戦は1987年。3日目に参戦。出演順にStanley Jordan, Tony Williams, George Adams & Don Pullen, Huredy Hubberd & Bobby Huchurson, Bennie Wallaceと来て、最後はArt Blakey。昼から夜まで1日Jazz漬け!この年は George Adams & Don Pullen にやられたわ。Adams & Pullenの疾走プレーは最初の一音で観客を引っ張り込んだ。Adams & Pullenはその後も何度もMt. Fujiに出演してくれた。1989年は1日目に参戦。ここでもAdams & Pullen はノリノリだ。動画は1989年の全体のまとめ。Adams & Pullenは9分過ぎくらい。Song from old country に注目!次が Herbie Hancock & Chick Corea Duo (45:00)。何度となくDuoを聞かせてくれている二人だが、ここでも丁々発止の駆け引きを見せてくれる。同じ時代を駆け抜けた同志でありライバルだ。1991年の Jam Sessionは、超豪華メンバー。それもそのはず。前年に亡くなった御大 Art Blakey へのトリビュートなのだ。George Adams(Ts), Terrence Blanchard(Tp), Benny Green(p), Ralph Peterson(Ds),そして日野照正(Tp), 向井滋春(Tb) etc..どうだ!そしてそして、2年前のNYのAugie's Jazz Barで出会った Terrence Blanchardと、ここで再会できたのだ。いやあ、ご立派になられて・・・1993年は2日目に参戦。Ron Carter & Benny Golson, Chaka Khan (よくぞ出てきた!), Al DiMeora & 渡辺香津美と来て、トリが Chick Corea Electric Band。ここはDiMeoraと香津美によるSpain のギターバトルでしょ。二人とも楽しそうにプレーしていたし、袖でChickが見守っているのも微笑ましい。Youtubeには1日目の Chaka khan のステージも残っている(24:00)。Jazzじゃない?Jazz Fanの間口は広いんよ。その他にも1994年のHorace Silver, Lee Ritenour、95年のJimmy Smith, HerbieとGonzalo Rubalcabaのデュオ、96年のJackie McLean, Pat Metheny。。。どれも脳裏に残る素晴らしい演奏が目白押しだったのだ。しかしその間に常連だったArt Blakey, George Adams, Michel Petruccianiがなくなり、Miles Davis, Gil Evans, Dizzy Gillespieもこの世を去った。諸行無常・・・【中古】(未使用・未開封品)At Mount Fuji Jazz Festival [DVD] [Import]価格:46,690円(税込、送料別) (2026/2/3時点)楽天で購入
2026年02月03日
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Live Under The Sky は1977年に田園調布の田園コロシアムで開催された第1回から、1992年の読売ランドイーストまで、15回開催されたJazz Fesだ。特に77年から81年までの田コロでは奇跡とも伝説とも呼ばれるライブが繰り広げられた。その場に立ち会えたことの幸福感!俺は1979年からほぼ毎年聴きに行っていた。そして1979年7月26日の夜、いきなり伝説のステージに遭遇する。V.S.O.P. だ。Herbie Hancock(P), Ron Carter(B), Tony Williams(Ds), Wayne Shorter(Ts), Freddie Haverd(Tp)。要はMiles Davis QuintetからMilesを抜いて、Freddieを入れたスペシャルバンドだ。Very Special One-time Performanceのはずが1977年から10数年、繰り返し結成された。そしてこの日、「雨の田園コロシアム」として伝説になったのだ。オープンシアターの田コロは観客はおろかプレーヤーもずぶ濡れになる。それが一体感を呼びプレーヤー奇跡のプレーを呼び起こす。You TubeはオープニングのEye of The Hurricane。まさに台風のような豪雨がその時、少し小降りになった。まさに台風の目のように。しょっぱなから観客のボルテージは最高潮。これはJazz Fes?ロックじゃなくて?ライブの進行と共に我々もプレーヤーもずぶ濡れ。当然、楽器の調子なんか良くないのよ。でもそんな事は関係ないくらいに熱い演奏が繰り広げられる。後半のOne Of Another Kindあたりから俺はもう震えが止まらない。寒さではない。感動しているから。そしてアンコール。 On Green Dolphin Streetを弾くHerbieに、WayneはなんとStella by Starlight を被せてきた!!何事かと思ったが、それもライブの醍醐味、アドリブの極致。だめだ、もう俺は号泣だよ。気が付けば隣の見も知らぬあんちゃんと抱き合って泣いていた。次の日は Chick Corea。彼も大好き。今回は Al Di Meola(g),Bunny Brunel(b),Tony Williams(ds)と言うメンバー。目玉は初来日の Di Meola。まだ若かった Di Meolaは意外にもラテン臭が弱い。Chickに引っ張られている。代表曲 Spain をどうぞ!1981年は Sonny Rolinsを聞いた。底抜けに明るいカリプソを吹きまくるRolinsに観客もノリノリだった。俺も。この St. Thomas で観客総立ち。そしてそのままのテンションでMoritat。田コロでの Live Underは本当に熱かった。ここで何でプロレスの写真かと言うと、田コロはプロレスのメッカでもあったのだ。1981年9月のスタンハンセンvsアンドレ・ザ・ジャイアントの対戦は、これまた伝説となったのだ。1984には Gil Evans with Jaco Pastorius個人的にはJacoがあまりに前へ出すぎていて。あまり好きじゃない。バックに徹してGilのコンダクトに委ねるべきだった。1981年は The Clarke / Duke Project 。George Dukeのショルダーキーボードが何ともかっこいい。観客大興奮でステージに押し掛け、Stanley Clarkeが「落ち着け、押すな」となだめていた。Dukeの曲はディスコでもバンバン掛かっていた。曲は SchoolDays。1983年から Live under the skyは会場を田園コロシアムからよみうりランド Eastに移して、俺の初参戦は1985年。その年は何といっても Miles Davis。皇帝復活!!1975年からの長いブランクを経てマイルスが復活したのは1981年。このライブは俺にとっては初Milesだ。それだけに期待は大きかった。が、どうだろう。。。期待しすぎたのかな?今一の感動だった。Milesは淡々と吹いていたし、客の盛り上がりも意外なほどなかった。この時のメンバーはGのJhon Scofield以外は若手。それでも今までのMiles Bandのメンツを見れば俺ならずとも期待するところ。だってPならBill Evans, Hervie Hancock, Chick Corea、SaxならColtrane, Waine Shorter, BならRon Certer, Mercus Miller, DsならTonny Wiliums, Jack Dejonet,,,まさにJazzの歴史だ。今回も下手なメンバーではないのだが、カリスマ性がない。実際、この時のサイドでその後ビッグになったプレーヤーが一人もいないという寂しさ。Milesの影響力が薄れたか、見る目が曇ったか。1時間30分以上のフルステージがここに残っている。1988年は David Sanbornがいい!ノリノリだぜ。このビートを聞いてくれ。これで腰が動かないヤツは音楽を聴くのをやめた方がいい。1983年に田コロからよみうりランドイーストに会場を移してから、何か観客がおとなしくなっていたのだが、この年は大熱狂だった。1988年は上のDavid Sanbornを見に行っただけなので、他はこの1時間半にわたるTV番組で見た。番組はMARLON JORDAN QUINTET, Patt Mesenyと続き、3Set目にこのSUN RA ARKESTRAが登場する。好きだわぁ、このフリーさ加減。SUN RAは全く知らなっかのだが、ド・フリージャズだ。なんたってSUN RAはピアノ奏者で詩人で哲学者なのだ!凡人が理解しようとしてはいけない存在なのだ。それでいいのだ!you Tubeはその後、Sanborn, Milesと続く。俺が1985年に見たMilesよりずいぶん良いぞ。。。1991年は Marcus Miller Project総勢12人。もうオーケストラだ。Pf. Joh Sample Vo. Raila Hasaway、、、You Tubeの映像も音も良い。必見!Live Under The Skyは1992年をもって終了する。メインスポンサーだったJTが下りたのだ。最後の年は行かなかった。You Tubeは上がっている。前年に無くなったMilesのトリビュートでV.S.O.P.が再結成し公演したのが目玉だった。80年,90年代にあまた開催された屋外型Jazz Festivalは、一つまた一つと終了し、いまはアマチュアバンドのフェスが各地で行われているくらい。斑尾は2003年終了、Mt. Fuji が1996年、1980~83と短命だったオーレックスジャズ。それぞれのフェスは十分に客が入っていたのだが、大きくなりすぎて金が掛かるようになったのが原因とされている。元々それぞれにスポンサーが付いて開催されいたので、世の中の不景気に流されて消滅したのだ。つまり日本ではもう2度とお目に掛れないのだよ。寂しい事に。。。サントリーブランデー VSOP デキャンタ 40度 正規 箱なし 700ml 包装不可価格:2,230円(税込、送料別) (2026/2/1時点) 楽天で購入
2026年02月01日
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