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「社会人編-9:モデルチェンジ後の俺は・・・」から続く大病を経験してモーレツ社員から足を洗った俺は、まさにBeautifulな人生に舵を取った。これはいいぞぉ。生活にも精神にもゆとりができる。すると遊びもモーレツではなくなった。人間、そんなに簡単に変われるもんかね。まぁ単純な人間だからね。それまでは時間を惜しむようにガツガツと遊びまくっていた俺が、大人の余裕をかますようになった。例えばモーレツ時代は、平日は6時起き、6:30通勤 → 8:30仕事 → 22時退勤 → 24時帰宅 → 25時就寝土曜も17時まで仕事。20時から冬なら車でスキー場に向かう。明け方到着日曜夕方までスキー。18時から帰京 → 24時帰宅 → 25時就寝やっぱアホやね。これがBeautifulになってからは、平日は6時起き、6:30通勤 → 8:30仕事 → 19時退勤 → 21時帰宅 → 24時就寝 水曜日は17時退勤。帰宅後は取り溜めた放送大学を受講。土日は休日。すると逆に毎週スキーに行こうとは思わなくなった。なぜかな。。。水曜日にはLive Houseに行く事も多くなった。この頃は土曜日にもLive House通いをしていたので、週2日、年に100日はLiveを聴いていた。スキーには1シーズンに10回くらいかな。日程にも余裕を持って計画して。すると自然と女の子連れのスキーが多くなるのよ。「社会人編-6:モーレツ社員はモーレツに遊ぶ」で紹介したラケットボールを始めたのもこの頃だ。な、Beautifulだろ?世はまさにバブル絶頂期を迎えようとしていた頃、俺は逆に余裕をかましていたのだった。「社会人編-10」に続くおもしろtシャツ みかん箱 余裕のよっちゃん 【ギフト プレゼント 面白いtシャツ メンズ 半袖 文字Tシャツ 漢字 雑貨 名言 パロディ おもしろ 全20色 サイズ S M L XL XXL】価格:2,180円(税込、送料別) (2026/9/4時点)楽天で購入
2026年09月07日
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「社会人編-8:モーレツ社員、モーレツをやめよかな」から続く1か月の入院、3か月の自宅療養はさすがのモーレツ社員にも応えた。身体への影響ももちろんだが精神的にも多いに影響した。「モーレツや~めた」元々、そんなにスパルタンなモーレツ社員ではなかったが、身体をぶっ壊した事でもうバカな働き方は辞めようと思った。バカな遊び方をどうするかは、、、まぁその時になってみてだね。とにかく勤務に復帰して少しずつ仕事量を増やしていってからも、以前のようなバカな働き方は辞めた。そこについては上司ともよく話し合い、自分なりのハードワークに留める事で了承を得た。それに身体でハードワークしなくても、頭でハードワークすれば十分に会社の力にはなれる自信があった。俺はその時には既にエースの地位を勝ち取っていたのだ。病気静養中にも特許のネタを4つほど暖めていた。復帰後、本格的に検討に入り、無事出願に漕ぎつけている。ただ休んでいた訳ではないのだ。なのでその後は残業時間は月30~50時間に抑えていた。皆(特に先輩たち)には悪いが、元々人が残業しているから俺も、というタイプではなかったし、先輩上司も俺の体調を気遣ってくれた、良い職場でしょ。さて、そうなると時間に余裕ができる。かなりの時間だ。今までの残業70時間分が丸々自由時間になるのだ。これは何かをしなくてはもったいない。土曜日も毎週休みだ。(∩´∀`)∩ワーイで、何を始めたかと言うと「放送大学」。学び直しだ。選んだのはやはり自然科学。特に生物学、動物生態学だった。テキストを買って毎週講義放送を聴く(もちろん録画して)。今はオンデマンドとかで聴けるのだろうか。それと期末ごとの試験・課題提出。通信制と侮るなかれ。なかなかのレベルなのだ。放送大学は期ごとに最低出席数があって、3~4日は各地にあるキャンパスに出向き、講義を受けなければならない。私の場合は旧都立大学に出向いた。放送大学は正式な4年制大学なので、卒業単位数も普通の大学並みだ。つまり普通の大学と同じだけ講義を受ける必要がある。社会人が働きながら4年で卒業するのはほぼ不可能で、俺は最初から6年で卒業する計画でいた。ちなみに教養課程の1年分は卒業した大学の単位が認定される。よって2~4年の3年分を6年で取ろうとしたのだ。楽しかったよ。やっぱり学ぶって楽しい。特に自分にとって新鮮な分野の学習は楽しいから、身が入る。「Scientific Fishing のすすめ」で小難しい釣りを提案して、それ以降の「釣り」カテでは魚に関する論文をいくつも紹介しているが、それも放送大学での生態学等を学んだ影響だと思う。こうして俺の第2章、第2形態の俺がスタートした。少し生き方の変わった俺についても記していく。終活だからね。「社会人編-10:な、Beautifulだろぉ」に続くS.H.Figuarts フリーザ 第二形態 ドラゴンボールZ◆新品Ss【即納】【コンビニ受取/郵便局受取対応】価格:28,280円(税込、送料別) (2026/9/3時点)楽天で購入
2026年09月06日
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「社会人編-7:モーレツ社員、病に倒れる」から続く大学病院に入院した。入院当初は謎の病だ。心不全、肺水腫、腎不全。。。 でも原因は分からない。入院してから1週間はとてもしんどかった。とにかく尿が全く出ずに体中に水が溜まっているので、まずは水気を切ろうと言う事で離尿剤を投与された。するとびっくりするほど尿が出ていく。トイレで自分の尿を袋に溜めて行くのだが、10Lの袋が1日で一杯になる。で、あれよあれよと浮腫みが取れていく。肺水腫の方は直接注射器で水を抜いた。これが凄いのよ。マッドサイエンティストしか使わないような太さ10cm、長さ50㎝はあろうかと言う特大注射器を医者が持ってきて、ナースと二人で俺の脇の下から長さ30㎝はある注射針をブスブスと刺していく。部分麻酔をされているので痛みはさほどないが、そのビジュアルよ。焼き鳥になった気分だ。左右の肺からデカい注射器1本分の水(血に近い)を抜いてもらうと、直前までしつこく出ていた咳がピタッと収まった。これぞ医学の勝利!結局病名は「溶連菌感染による急性糸球体腎炎」。溶連菌とは土中等のどこにでもいる細菌で、普段は別に悪さをしないのだが、罹患した人の状態により風邪のような症状を発する。そしてたまに溶連菌と戦った白血球が糸球体と言う腎臓のフィルタ部に溜まって目詰まりを起こす事がある。それが重症化すると俺のように腎炎を引き起こすのだ。思い返せばかのスキーツアーの前は2週間ぶっ続けの勤務。それも毎日夜10時までだ(だってスキーに行きたかったんだもん)。かなり疲労が溜まってた中で、楽しい楽しいスキーに出かけて運動と睡眠不足に拍車を掛けた。そして・・・兎にも角にも急性腎炎という事で、治療法は「何もしないこと」。ひたすらベッドで横になっている事なのだ。例の離尿剤も浮腫みが取れてしまえば用無しで、後は本当に寝ているだけなのだ。これ、入院している必要ある?いやある!なぜか?楽しいのだ。華やかなのだ。大学病院には看護学科もある。するとナースになりたてのかわいい女の子がわんさかいる。そんな子たちが俺の世話をしてくれる。楽しい!まぁ最初の内だけね。最初は「動くな!」って言われていたから、それこそトイレに行くのも体をふき取るのもナースがやってくれた。だけど只の腎炎(って言う程軽くは無かったのだが)と分かってからは「自分でできるでしょ」となってしまった。それでも華やかな事には変わりはない。俺の人生であんなに若い女の子に取り囲まれた時間は無かったもん。(観月ありさ、かわいかったな)と言う事で俺的には「モーレツな仕事が招いた重病」だったのだ。しかし見舞いに来る会社の同僚たちは口々に「遊びすぎ」「スキーに行きすぎ」「女の子を誘いすぎ」etc.いやいや、それ違うから。その前の仕事っぷりを見てくれないと!結局、入院は1か月に及び、その後も静養が必要と言う事で3か月に及ぶ自宅療養が続いた。もう少し入院していても良かったのになぁ。。。
2026年09月05日
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「社会人編-6:モーレツ社員はモーレツに遊ぶ」から続くいやぁ我ながら衝撃的だった。身体って限界はあるんだね。次残業100時間、平日は22時退社、土曜は出勤、その合間を縫うようにスキーだLiveだデートだを繰り返していたのはバブル絶頂期だ。その時もいつもの通り金曜22時まで働いた後、その足で(車だけど)金~日のスキーに出かけた。同行は男2人女2人。ダブルデートみたいだが残念ながら健全なグループ交際だ(その後で××な事はあったけど。。。)車は2台。目指すは奥志賀高原。当時はまだ長野道は開通しておらず、東京下町の自宅からだと6時間は掛かった。逆に金曜の深夜から出れば土曜の朝のちょうどいい時間に到着する。真夜中はスリップさえ気を付ければ渋滞もない。でも少し体調が悪いな。変な咳が出る。。。それでも女の子連れのスキーなのでスパルタンな上級者コースになんか行かないし、らくちんスキーで気持ち良く滑っていた。ペンションに戻れば大貧民三昧で深夜まで女の子たちとキャッキャ言って遊んで、1時2時におやすみ。で日曜日は夕方まで滑って、自宅に帰ったのは26時過ぎだ。これで翌月曜には6時に起きてちゃんと会社に行った。すると…あれっ、なんか変だぞ。調子悪いな。咳はひどくなるし、身体もだるい。風邪ひいたかなと思い、月曜日は定時に帰って薬を飲んだ。そして火曜日、きつい身体を引き起こして何とか会社に行く。すげぇ息切れがする。動悸までする。こんな事初めてだ。すると先輩が「おまえ、急に太ったか?顔が浮腫んでるぞ。」鏡を見るとたしかにプクプクしている。などと言っている間にどんどん体調は悪化していく。我慢ができなくなって午後は半休して医者に行くことにした。自宅まではキツイと思って職場近くのクリニックに入った。すると医師は私の顔を見るなり、横になれと言った。慎重な診断の後、「すぐに入院が必要です。ここから救急車を呼びます。」え、あ、、、 そんなに深刻な状態なの?「私の診断は心不全。他の臓器もかなり機能が落ちています。」。。。マジか。でも自宅から遠いこの近くの病院は何かと不都合なので、自宅近くに入院したいからと紹介状をお願いしてクリニックを出ることにした。医師はくれぐれも途中で気分が悪くなったらすぐに119番するようにと付け加えて、紹介状を書いてくれた。帰りの電車は確かにきつかったが、何とか帰宅して翌日、大きな大学病院に向かった。ここでも医師は顔を見るなりすぐにベッドに寝かしつけられて、即入院だ。そんなに思い病気なの?まずICUに搬送されて徹底検査。で、診断は心不全、肺水腫、腎不全。要は元凶は腎臓らしい。腎機能が低下し体内の水分と毒素が排出されず、体中に溜め込まれた。それが心臓の機能を低下させ、肺に溜まって咳を発する。それが特定されたのは入院後かなり経ってからで、それまでは大学病院名物の「〇〇教授の回診です」と言うアナウンスと共に回ってくる重鎮たちに、担当医師がカルテを見せても皆で首をひねっていた。なに?俺そんなにヤバイ病気なの?病名不明・治療薬なしとかの。。。入院後2週間は不安いっぱいで過ごしたのだった。「社会人編-8:モーレツ社員、モーレツをやめよかな」に続く
2026年09月04日
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「社会人編-5:24時間戦えますか!」から続く俺は月100時間残業しながらも、よく遊んでいた.もちろん恋愛も。俺ね、彼女いない歴が異常に短いのよ。振られた回数もハンパないけど立ち直りが早いと言うか、惚れっぽいと言うか。マジメな男なんだけどな。二股とかやった事ないし。過去のコイバナ案件を時系列で示すと、 Chap.1 1982年Chap.2 1984年Chap.3 1986年Chap.4 1985年Chap.5 1987年Chap.6 1989年プロポーズ大作戦 1993年きれいに並んだね!Chap.6からプロポーズ大作戦までのコイバナはその内に。。。女の子との週末デート以外にもあっちこっちで遊んでいた。冬は毎週のようにスキーだったが、夏は?真夏にもスキーに行っていた。月山夏スキー。山形県の月山の頂上付近の北斜面に広がる残雪を滑るのだ。もちろんリフトなどない。つ~かGWを過ぎ6月も終われば他にスキー客などいない。6月までは「普通の」スキー客でごった返している。そんな所には行きたくもない。スキーリフト(Tバーリフトと言う)も撤去されて誰も行かなくなった頃に出かける。ふもとの山小屋に寝泊まりしてお弁当を作ってもらって、2mのスキー板を肩に担いで自分の足で登る。時期にもよるが最長だと2時間以上掛けて、やっと雪渓に辿り着く。これまた時期にもよるが8月末まで2~300mの長さは残っている。もちろん貸切だ。これまたまた自力でその雪渓を10~30分掛けて登っていき、上でスキーをセットしてウオリャと飛び出す。すると数10秒で雪渓の下端に着いてしまう。で、また数10分登っていく。アホでしょ。夏の月山には白装束の月山詣での人達が多く登っていくのだが、皆「なんだこいつらは」と言う目で見ていく。滑りながら「ヒャッホ~」とか叫んでいるので尚更だ。ですよね~。自分たちでも5~10回も滑るとヘトヘトになって、「俺たちアホなの?」とようやく気が付く。でボロキレのようになりながら下山する。やっぱアホですね。(俺の行く時にはこの辺に雪はない)こんな事はせいぜいひと夏に一回なので、その他の時には普通の人のまねをして海に行ったりテニスをしたり。一時期ラケットボールにはまったな。知ってます?次のLA五輪ではスカッシュが競技に加わるが、あれの親戚です。違いは部屋の5面(天井・壁)のどこに当たっても良い事と、ボールがちょっと大きくて良く弾む事。これでプロの打球速度は300キロを超える。アマチュアがやってもめちゃくちゃに運動になる。カロリー消費率はあらゆるスポーツの中で最高らしい。職場の近くにこのラケットボールのコートがあったので、会社でサークルを作ってプレーをしていた。件のノー残業デーの夜とかに。たまに早く帰れるんだから、とっとと帰って休め?まぁそうなんですけどね。。。我ながらタフだったよ。あれが若さかね。モーレツの性かね。そんな日々がある日突然ブチ切れる事が起こるのだ。。。「社会人編-7:モーレツ社員、病に倒れる」に続くプロケネックス ラケットボールラケット ブラックエースプロ 165 DLRスペシャルエディション Black Ace Pro 165 DLR SE ver.26 ストリング張上 CP-14418価格:31,680円(税込、送料別) (2026/8/30時点)楽天で購入
2026年09月03日
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「社会人編-4:モーレツからビューティフルへ、だとぉ!」から続く肝心のモーレツな働きぶりを紹介しよう。俺がまだ若手と呼ばれていたのは1980年代前半から中盤にかけて。世はまさにバブル前夜、イケイケの時代だ。世の中の移り変わりで見てみようか。 マハラジャは1985~1991年 男女7人夏物語が1986年 私をスキーに連れて行ってが1987年 「24時間戦えますか」が1988年オイルショック真っ只中に入社した俺たちは、会社のどん底からのイケイケを肌で感じていた。良い指標がボーナスだ。入社した年はひどかった。月給と見分けがつかないくらい少ない。それが4~5年後には「こんなに貰っていいの?」ってくらい出た。俺たちにしたら当たり前だ。それだけ働いてやっているんだから。どれだけ?お聞かせしましょう。平日は8:30に仕事が始まり、終わるのはだいたい夜10時過ぎ。それでも会社が週1日はノー残業デーと言うのを形だけ設けていたので、俺はホイホイと帰宅した。ソフト設計者とか回路担当はそんなもん関係なく10時過ぎまでだ。土曜はほぼ出勤。日曜くらい休ませてよと言う事で、実質週休1日だ。これで残業は月100時間になる。件のソフト屋や電気屋は150~200時間。よく身体が持つよね。それでも研究開発部門の俺たちは良い方だ。営業や施工部門はさらに50時間くらい多かった(実質は)。そう彼らは残業を丸々は付けられていなかった。ただね、彼らには「接待費」と言う裏給与があったからね。仕事とプライベートの境界がないという悲劇はあったが、実質給料は俺たちとは比べ物にならない。じゃなきゃ六本木で万札ヒラヒラさせてタクシーは呼べないだろ。研究開発部門の仕事は気合を入れれば進むものではないので、かつて(1970年頃)取りだたされたモーレツ特訓とかとは無縁だが、やらなければならない時はやらねばならない。例えば工場のラインを使っての量産試作。現在稼働している製造ラインを使って試作をしなければならないのだが、工場の生産を止める訳にはいかない。なので必然的に生産ラインの止まった真夜中にやる事になる。前日の朝に普通に出勤して試作の準備を行い、工場の生産が終わるのを待つ。17時に終わればいそいそと試作を始めて朝の8時まで、様々に条件を変えながら試作を進める。何とか翌日の生産開始に間に合わせて、ラインを引き渡す。その後、作った試作品を片づけたりデータ整理をして、帰れるのは早くて12時、むしろ普通に17時退社の場合がほとんどだった。それに何の疑問も持たなかったな。当たり前の事だった。今は生産を止めて量産試作をデイタイムに普通にやっている。それじゃ俺たちがやってきた事は何だったの?長時間にわたる実験もある。その現象自体が長時間にわたって進行していくような実験では、真夜中までつきっきりになる。また実験施設が空いていなくてグループ間で取り合いになるような事もあり、そんな時は施設の稼働率を重視して作業者は3交代で実験を行う。もちろん真夜中にだ。いずれも今なら自動計測を行ったり、外の施設をレンタルしたりして社員に過度な負担を掛けないようになってきた。作業員のアウトソーシングも当たり前になっている。こんな事をやっていると残業が月100時間とかは普通になる。俺自身は納得してやっていたね。身体はきつかったけど。俺の場合は通勤に往復4時間掛かっていたので、朝自宅を出るのは6時過ぎ、夜家に着くのは12時だった。シャワーだけ浴びてバタンキューだたっが、睡眠時間は5時間無かった。それにちゃんと残業代は出ていたし、評価もそれなりにしてくれていた。ボーナスも多かった。おかげで大いに遊びもしたよ。24時間戦えますか? 普通に戦っていたよ。30時間くらいはね。「社会人編-6:モーレツ社員はモーレツに遊ぶ」萩原健一コンクリートジャングル収録 74454★本命働く男の歌★HOLIDAY/美しき狼たち/酒と泪と男と女/勇気のしるし★全17曲★ARB/おぼたけし/河島英五/牛若丸三郎太★CD新品★1701価格:1,518円(税込、送料別) (2026/8/29時点)楽天で購入
2026年09月02日
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「社会人編-3:モーレツ社員への階段」から続く時代は1980年代初頭。「モーレツからビューティフルへ」だぁ?ウソつけ。モーレツ真っ只中だ。「24時間戦えますか」(1988年)だ。ちなみに「Oh!モーレツ!」と小川ローザがパンチ ラしていたのは1969年。長い間モーレツをやってたねえ、日本は。なので我が社(中小企業では大きい方、大企業では小さい方という中途半端な会社)でも当然のようにモーレツ真っ只中なのだ。どんな風に?・帰宅は普通夜22時。土曜はほぼ出勤。・残業はやり放題、と言うかやらせ放題。・課長職への昇進条件の一つは「2日程度の完徹に耐える事」・社員の憩いは飲み会と慰安旅行。このペースで働くと残業嫌いで隙を見れば帰宅する俺でも毎月100時間残業になる。多い奴は150~200時間だ。今なら過労死ラインだ。これで当時は過労死する奴もメンタルいかれちゃう奴も出てこないのよねぇ。どうなっていたんだろ?で、俺的には仕事はどんと来い。徹夜なんて社畜予備軍の大学での卒研で慣れっこだ。問題は最後に挙げた「飲み会と慰安旅行」だ。俺は酒は飲まない。飲んでもいいけど、すぐ寝ちゃう。それが分かってからは周囲の人間も俺に酒を勧めなくなった。良い事だ。当時の新入社員は座を盛り上げるために一芸を披露する。女子社員は酒を注ぎに回る。これも今なら「うっせぇうっせぇ」となるが、自分らは何か楽しんでやってたな。出し物を考えたりして。(アホなのかも知れない)慰安旅行も大騒ぎだった。事業所全体で行くから約300人、バス6~7台、ホテル貸切だ(じゃなきゃ他のお客さんに迷惑)。昭和だろぉ。日本全体でこんな事をやっていたのが、突然なくなったんだ。温泉ホテルはバタバタと潰れるよ。で、貸切になってしまったホテルでのバカ騒ぎっぷりが想像できるだろうか。ああ言う場になると「そうなっちゃう人」と「そうはならない人」の差の大きいこと!そして当時の日本社会は「そうなっちゃう人」を許容できちゃうのよ。酒の上だから仕方がない、と。酒を飲まない俺にはちょっと理解できなかった。それ以降は〇〇さんは「そうなっちゃう人」なんだと一本線を引いて付き合う事になったのである。「社会人編-5:24時間戦えますか!」に続く【中古】 ザ・宴会芸 / 立川 竜介 / 成美堂出版 [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】価格:30,274円(税込、送料別) (2026/8/27時点)楽天で購入
2026年09月01日
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