砂菩に詠む月
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
12月24日。シドニーの夜の空を、クリスマス・ナイト・クルーズで飛んでいる、ドアハッチのないヘリコプターの強烈な風の中に雪はいた。 昨日は雪の25回目の誕生日だった。 「Happy birthday! & Merry Christmas!」 雪は自分でそう叫んだ。異国の夜空に向かって。 -- 「残念ですが、手遅れでした」 医師の説明は非情で、さらに無情だった。 一週間前に、雪はそのセリフを聞いたのだ。 幸司は末期癌だった。もう三ヶ月も入院している。患部の切除手術の日、開腹したものの、すでに切除不可能な部位に転移が見られそのまま閉じられた。そのときの医師の説明だった。 大学時代に幸司と知り合って、もう三年になる。卒業して25になる前に、雪は幸司と結婚の約束をした。 「雪と幸せになりたい」 その言葉に、黙ってうなずいたのはこの夏のことだった。 -- 秋になりかけた頃、突然倒れた幸司が癌とわかった。 ショックだった。けれどまだ幸司は若い。雪は、きっと治ると信じたかった。 検査の結果は、骨髄癌。しかも末期だという。 ――そんなはずはない。 そう雪は思った。今まで一度だって、そんな予兆すらなかった。去年の夏休みには、二人でひと月も、オーストラリアにいた。 行きたいと言ったのは幸司で、喜んで賛成したのは雪だった。 エアーズロックの茫漠を見て、ワラビーの大きさに驚き、コアラに失望し、ビーチに行っては凍えそうになりながら、冬の8月を満喫したのだ。 なんでわさわざ冬に来てしまったのかと、二人して苦笑いだった。 その間も全く幸司は健康優良児そのものだったのだ。 信じられなかった。雪にはまったく信じられなかった。幸司のそれは遺伝的なもので、本人には何の責任もないのだ。 -- 今、雪の目の前で痩せ細り眠っている幸司は、きっと何かに呪われたかして、理不尽に命を削られているに違いない。雪にとってその思いは真実だった。 雪は以前から、いわゆる一般的な女性同様に占いの類が好きで、たいして信じている訳でもないのに、よくそういった場所に出掛けた。幸司を連れて怪しげな占いの館にも行った。 ――二人の運命はすれ違っている。 そう言われて納得できず、改めて別の占い師を訪ねたこともある。 「運命を変える方法はありませんか?」 そう占い師に尋ねて失笑された時は。 ――変わらない。運命とは自然の理ですよ。真夏に雪が降らないようにね。 と言われたものだ。 なるほど、冬。12月の今、自分たちの街にも雪が降っている。 もうすぐクリスマスだ。イルミネーションがこれ見よがしに毒々しいほど煌めき、安っぽいサンタクロースの格好をした、あらゆる店の店員たちが声を張り上げている。 -- 雪も以前、アルバイトでケーキ売りのサンタガールをしたことがある。そのときは楽しかった。だが、今は鬱陶しいと思うのだ。 病院からの帰路、ホワイトクリスマスが流れるデパートの前を通ったときには、テロリストの気持ちがわかるような、そんな腹立たしさを覚えた。 本当ならば、結婚を約束した相手と、その一瞬の幸せを確かめ合う記念日になるはずだった。 「今度また来よう。二人で、絶対に夏にね」 そう言って笑った幸司と一緒に、一年かけて貯金をした。自然、結婚用の資金としてでもあったけれど、その前にもう一度、二人でオーストラリアに行こう。そう決めていたのだ。 なのに、その矢先に…… -- 南半球の12月は夏のさなか。サンタクロースはサーフボードに乗って、ビーチからやって来る。 今日だって幸司と二人で、このヘリコプターに乗っているはずだった。 今頃、日本ではジョン・レノンやマライア・キャリーや、ワム!のクリスマスソングが、うんざりするほど街に流れているだろうな。 -- ワム! 思わず笑ってしまう。 雪は思う。クリスマスになると、子供のときから耳に入ってきた曲だ。 ラスト・クリスマス 「最後のクリスマス」 ずっとそう思っていた。キチンと英語の歌詞を見るまでは、大学に入っても気づかなかった。 「去年のクリスマスに、僕はハートをあげたのに……」 そんな歌詞だと知るまでは名曲だと思っていた。 それを去年のクリスマスに幸司に話した。 「自分もそうだった」 と幸司も言って、二人で笑って、安いシャンパンを、吹き出したものだった。 -- 独りでそんな思い出し笑いをして、現在の寂しさを改めて知る。 幸司と幸せになりたい。彼を助けたい。 その願いを叶えるために、彼女は独りでシドニーへ来た。 ヘリコプターが大きく旋回を始めて、機体が傾く。 ――そろそろ、いいわね。 雪は思った。 雪は願いを叶える方法をひとつしか知らなかった。 眼下には観光都市の美しい夜景が、クリスマスイルミネーションでさらにデコラティブに輝いていた。 雪は耳を覆っていた防音用のヘッドホンを外し、そっとシートベルトを外した。 真夏のシドニーといえど、上空は日本人には12月らしく感じられるほど寒い。 「Happy birthday! & Merry Christmas!」 もう一度そう大声で夜空に叫んでみる。すると、ちょっと滑稽なアイデアが彼女の頭に浮かんだ。 「The last Christmas.I give my life…… ♪」 そう歌いながら、彼女は空へ踊り出た。 -- ――運命は変わらない。真夏に雪が降らないようにね。 シドニーのクリスマス・イブ 。 -- 真夏に雪は、降った…… The last Christmas. -- ―fin
2007/12/24
コメント(6)