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「感謝の呼吸法」とは?「感謝の呼吸法」を教えてください。…このような嬉しいメールをいただきます。そこで以下に簡単ですが、まとめてみました。参考になさってください。毎朝の習慣5時前に目覚めます。トイレでスッキリし、口を漱ぎ喉も浄めます。温かいベッドに戻ります。『感謝(ありがとう)の呼吸法』の開始です。まずは全身をリラックス。疲れが溜まっている部分や凝っている筋肉にはむしろ力を込めてスッと脱力するとリラックス出来ます。リラックスしたまま呼吸法を始めます。はじめに足の裏に意識を集中します。体全体は常にリラックス!~これを忘れないで。大木が根っこから水分を吸い上げる様子を想像しながら足の裏から新鮮な空気を吸い込んでいきます。勿論、実際には鼻から吸い込んでいるのですが。丁寧に丁寧に吸い込みます。例えば脚が疲れているときは、ふくらはぎに新鮮な空気をため込んでいくイメージで空気を吸い込んでいきます。「ふくらはぎさん、昨日は一日中立ちっ放しで苦労を掛けたね。ありがとう。」と心の中で声を掛けながら。息が苦しくなる前に、新鮮な空気でふくらはぎを浄めるイメージをもって息を静かに口から吐き出してゆきます。吸うときは、鼻からでしたが、吐き出すときは口からゆっくりと時間をかけて吐いてゆきます。吐き出す方向は足の裏に戻す、大地に吸い込んだ水をお返しするイメージがいいです。膝、太股についても同じ要領で行います。時間があまりないときには、脚全体についてまとめて行ってもいいですね。脚が済んだら丹田に空気を満たしてゆきます。丹田はお臍の少し下から恥骨迄の腹部をイメージすればよいと思います。丹田を優しく膨らませてゆきます。息が苦しくなる前に口からゆっくりと息を吐いてゆきます。足の裏から水分を大地にお返しするイメージを描いてゆったりとした心持ちで。ここまでが第一段階。第二段階は、普段余り意識することもないであろう内臓はじめ体の各部分に対する感謝の気持ちを込めた呼吸法です。私達が眠っている間も休むことなく働き続けている全ての器官に思いを馳せ、感謝します。考えてみれば、私達自身の身体こそ私達に一番近い自然なのです。『自然保護』、『環境保護』等と言うとき、人は自然の山河、野生動物をイメージすると思うのですが、私達自身の身体に対する思いやりが足りないのではないかなと思います。ちょっと話しがそれてしまいましたね。第一段階は足の裏から大地の水分、養分を吸い上げるようなイメージで深い呼吸をスタートしました。今度は、「会陰」と言うツボ(経穴=肛門と生殖器の中間辺りです)に意識を集中して、そこからゆったりと新鮮な空気を吸い込んでゆきます。全体を通して言えることですが、力まずにリラックスした状態で行います。ゆったりと温泉を楽しんでいるイメージ、思い通りのプレゼンテーションが出来たときの満足感…そんな寛いだ心持ち、幸せな気分で行いましょう。私は先ず大腸に新鮮な空気を吹き込みます。丹田の辺りを膨らませながら太い大腸をイメージして「ありがとう」と声を掛けながら。途中、息が続かなくなるまで頑張らずに、適宜息を継ぎながら行いましょう。大腸の次は小腸です。長い小腸をイメージしながら、同じように新鮮な空気を吹き込みます。浸透させます。私の場合は、このあと十二指腸~胃~食道へと続きます。「暴飲暴食が続いているけれども済まないね。ありがとう。」と声を掛けながら。順番は拘らなくてもよいと思います。私は、このあと、生殖器~膀胱~腎臓~副腎…と続きます。腸間膜、丹田の辺りも丁寧に行います。さて、次は飲み過ぎで無理をさせている肝臓です。さらに、胆嚢~膵臓~脾臓へと続きます。普段、殆ど意識することはないと思います。ひとつひとつ、労い、感謝しつつゆっくりと行います。ここまで来たら想像がつくと思います。心臓、肺、そして私の場合は肩や背中、口、鼻、目、耳、頭部、脳へと続きます。以上、私の場合は20分くらいかけて行います。忙しくて時間がない場合は、気になる部位だけでも良いと思います。ただ、心から感謝の気持ちを込めて行ってください。勿論、自然に立った姿勢でも(室内、大自然の中、あるいは電車の中・・・)、椅子に腰掛けた状態でも良いでしょう。一日に何回行ってもよいと思います。分けて行っても良いでしょう。是非試してみてください!そして、感想を知らせてください。《参考にした本など》1)「白隠禅師―健康法と逸話」 直木公彦著、日本教文社2)「西野流呼吸法 生命エネルギー「気」の真髄」 西野皓三著(講談社プラスアルファ文庫)3)帯津良一先生のご本(多数)
2012.06.18
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昨日、2011年1月30日の夕方、「永遠の0(ぜロ)」(百田尚樹著、講談社文庫)を読み終えました。 涙を堪えることができませんでした。 夕飯の用意の合間に台所から私のいる部屋に入ってきた家内は、あれ?と言う表情を浮かべ、私の顔を覗き込み、何もいわずしばらくそばにいてくれました。 新潮文庫版の裏表紙にはこうあります・・・ 「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。 そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。 終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。 天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、 一つの謎が浮かんでくる―。 記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。 《1》 私と「零戦」 今から56年前、私が東京、世田谷の代沢小学校に入って初めて出来た友達が藤田次郎君でした。 次郎君のおじい様は医科大学の名誉教授で、庭で木登りをしたり、家の中で遊ぶ私達をいつも優しい目で見守ってくださいました。 「ぬまくん、君は素直だね。 良く遊び、良く勉強して、立派な大人になるんだよ。」 初めてお年寄りから褒められました。 その言葉は今でも新鮮に脳みそに焼き付いています。 そしてそのおじい様の息子さん、つまり次郎君のお父様が、 藤田 怡与蔵(ふじた いよぞう、大正6年(1917年)11月2日 - 平成18年(2006年)12月1日)氏でした。 いまでも、はっきりと「零戦に乗り、真珠湾攻撃に参加された方であり、公職追放で苦労なさった後、日本航空の機長をなさっている」ということを父に聞かされたことを覚えています。 私の父は、藤田 怡与蔵氏より4歳年下でした。 理科系の大学生であったため兵役を免れました。 学徒動員先の住友プロペラで同じく女学校から来ていた母とめぐり合いました。 その父から、特攻隊の事を聞きました。 父の友人にも特攻で亡くなった方がいたのでしょうか、その話をする父の顔はいつもと違いました。 ちょうどその頃でした、幼いながらも私は「死」の恐怖を意識し始めました。 自分の存在自体が、意識も含めて消滅してしまった後のことを考えると居ても立ってもいられませんでした。 家族揃っての夕食の最中に、それがとても楽しいひと時であったからこそなのですが、「僕は死んだらどうなってしまうの?」と、叫び声を上げて、若かった両親を困らせたおぼえがあります。 ですから、特攻で亡くなった零戦の搭乗員の皆さんはどんな気持ちで死んでいったのだろう・・・その疑問はとても重く私の心にのしかかってきました。 「天皇陛下万歳!」と叫んで敵艦に体当たりした… いや、「おかあさーん!」と叫び、或いは妻や子の名前を呼びながら突っ込んでいかれた・・・ いろいろな人がいろいろなことを言ったり、書いていました。 父の書棚にあった第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集『きけ わだつみのこえ』(1949)も読みました。 もっともっと真実を知りたい・・・ その思いが強く、かえっていわゆる戦記物は避けていました。 ちなみに、ウィキペディアから 藤田 怡与蔵氏について少しだけですが引用させていただきます。 『・・・1941年12月8日真珠湾攻撃に、飯田房太大尉率いる第2次攻撃隊制空隊の小隊長として参加。敵戦闘機は上がってこなかったので、ベローズ・カネオヘ各飛行場を銃撃した。飯田が自爆戦死した後、中隊を率いての帰路途中P-36の編隊と遭遇、1機を撃墜し初撃墜を記録した。ハワイからの帰路ウェーク島攻撃に参加。1942年(昭和17年)2月にポートダーウィン空襲、4月にはインド洋に進出してセイロン沖海戦に参加した。 6月5日のミッドウェー海戦では上空直掩隊として10機を撃墜するなど奮戦するも、味方の対空砲火により被弾してパラシュート降下を余儀なくされ、漂流4時間の後に味方駆逐艦「野分」に救助され九死に一生を得た。藤田が漂流中に味方空母4隻は撃破され、海戦は大敗していた。内地帰還後は、敗戦を秘匿するため富高基地に隔離され、その後空母「飛鷹」乗り組みとなった。 (中略) 航空機の調達や隊員の用兵をめぐって、上級部隊の1航艦司令部と軋轢があり、司令部で「うちの隊からは絶対に特攻は出せん」とタンカを切ったという。 (中略) 最終階級は海軍少佐。生涯撃墜機数は39機、不確実を加えると約50機という。 戦後、公職追放令によりトラック運転手など職を転々とした。1952年(昭和27年)、日本航空に入り民間機パイロットとして活躍、1977年(昭和52年)11月に退職するまで生涯総飛行時間一万八千三十時間を数えた。2006年(平成18年)12月1日、肺癌のため89歳で死去。 「零戦搭乗員会」(現在は「零戦の会」)元代表世話人。』 文字通り「エースパイロット」であり、部下を無謀な作戦から守り抜いた「本ものの男」でした。 残念ながら、直接お話を伺ったことはありません。 小学校1年か、2年のときの遠足に次郎君に付き添って来られました。 新宿御苑だったか、或いは浜離宮だったか、芝生に腰を下ろし、 当時珍しかったトランジスターラジオを脇に置き、 子供達が遊ぶ様子を見守っていらっしゃいました。 なんて優しいお顔なんだろうか、眼差しなんだろう、今でもまぶたに焼き付いています。 平和な日本を見つめるその実際の胸の内は・・・今となってはわかりません。 《2》 何故、百田さんの本を読む気になったか? そして・・・ 先週、たまたまNHKラジオで百田さんの声を聞きました。 ・まず、資料をトコトン調べ上げた。 元零戦搭乗員の方々へのインタビューはそれから後に行なった。 実際に体験された方の生のお話しは余りにも重いから。 ・元搭乗員の方々が、本書を読まれてどう思われるか、 お叱りを受けるのではないか・・・大変こわかった。 しかし、実際に頂いた感想は「真実を伝えてくれて、ありがとう」 というものが多く嬉しかった。 そんな対談を聴き読んでみよう、という気になりました。 この日記は書評ではありません。 50数年間、私の中にあった疑問とは・・・ それを恥ずかしかったのですが書き止め、 その疑問に答えてくれる本にめぐり合った、 そのことをお伝えしたかったのです。 百田さんは上述のラジオ番組でおっしゃっていました。 「私は何故小説を書くのか? 自分の本から、読者の皆さんが 人生を生きていく上でチカラになるものを汲み取ってもらいたい。」 正確ではないかもしれませんが。 私は、これからも、澄み切った心で生きていきたい、 そんな私に「永遠の0(ゼロ)」はとても大きなチカラを与えてくれました。 一人でも多くの人々にこの本を読んでいただきたい、心からそう思います。
2011.01.31
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今日、Twitterで古代史を深く勉強している方々とTweetを交わし合いました。古代史と言えば、インターネットで偶々見つけた文献を何度も読み返しています。http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin03/imai1.html(読めないときはURL窓のすぐ右の「互換表示」を)何故なら、我が家の珍しい名字「奴間(ぬま)」について記述されているからです。ポイントは、 「野間」は元々「奴間」。 「奴間」は「奴国」の「領土」 「野間(奴間)」の地名は、弥生初期からの地名。全文を下に引用させていただきます(長文ですので適宜改行させていただきました)。***************************『市民の古代』 第三集 へ________________________________________市民の古代・古田武彦とともに 第3集 1981年古田武彦を囲む会「市民の古代」編集委員会 編集 地名「野間」の地名 今井久順吾妹子に猪名野は見せつ名次(ナスギ)山角(ツヌ)の松原いつかしめさん天乙女いさりたく火の多くして、都努(ツヌ)の松おもほゆるかな 『万』高市連黒人。 この歌に三つの地名が書かれています。「猪名野」は、兵庫県伊丹市の猪名川を中心とする総稱と思います。「名次山」「都努(ツヌ)」は、兵庫県西宮市にあり、先に「角(ツヌ)」の地名について私の考えを申します。 始めに古書に記された神名、人名を書きますと、「角材(ツヌクイ)神」『記』「角織*(ツヌクイ)尊『紀』都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)」『紀』「都怒郎女(ツヌノイラツメ)」(反正天皇の后)、『紀』同人「津野(ツヌ)媛『紀』等と書かれています。織*(クイ)は、織の糸偏の代わりに、木。JIS第4水準ユニコード番号6A34 次に地名では『和名類聚抄郷名考證』池辺弥著によりますと、「敦賀郡」福井県敦賀市。「都宇郡」岡山県、「都宇」広島県沼隈郡津乃郷?、「都農、都於」島根県江津市の江川以西、「都農郡」山口県、「都野」宮崎県児湯郡都農町等であります。 次に「ツヌ」地名の意味を考えてみます。『続日本紀』「稱徳天皇、天平神護二年六月二十八日(七六六)に「豊章纂基之後。讃を以て横に福言を殺す。唐兵之を聞て復た州柔(ツヌ)を攻む。……-」とあり、「州柔」をツヌと訓じ、『紀』では、天智天皇(六六二ー六七一)の(六六三)の白村江の敗戦の前に「福信唾唯於執得・・・斬而醢首」と百三年の差はありますが、地名は「州柔」で、豊章王、福信も同じく書かれています。 百済は始め、十の部族が集り、国を建て十済と言い後、四囲の部族を統合して百済となったと言われています。我が旧の書では、先の「都怒我阿羅斯等」のことを額に角の生じた人と戯れて記されていますが、なんぼ昔でも、額に角を生やした人が、いたわけがありません。 「ツヌ」とは、百済人のことを唐の人も、我が国の人も、このように呼んだ、と言うことを前提として、最初の「高市連黒人」の歌から西宮市の古代を深ってみましよう。 高市連黒人は持統、文武両朝(六八七ー七〇〇)に仕えた歌人であります。名次山は東海道線西宮駅、西北二キロメートルに現在、名次町、北名次町、そして名次神社があります この高台から北を望みますと、山頂から大阪湾銅戈を出土しました秀麗な甲山が拝されます。この甲山は昔はムコ(武庫)山、即ち迎(ムコ)う山と言われ神(風神)を、お迎えする山であり、大和の二上山と同じように古代人の必需品であった石器の原料サヌカイトの山です。迎う山か武庫山となり武庫は兵庫(ヒョウコ)だからと、兵庫県の県名が生まれます。これはさておき、名次山の地名ですが、名次は恐らく奴敷(ヌシキ)が、なまったと思われます。新幹線、新神戸駅付近は『和名類蒙抄』に「布敷」と記され、同じく奴の敷で、現在は布引(ヌノビキ)の滝の名所に名を残しています。また、その「布敷」の東は「天敷」で、神戸市項磨区と東灘区に「綱敷(ツナシキ)天満宮」が、祀られていますが、これも「チヌシキ、テンマ」であり、山の信仰、山に神を迎える信仰の祭の場であった「敷(シキ)」地名と思われます。 「角材神」こと「ツヌクヒのクヒは「大山咋」「三冊溝咋耳命」等、見受けられますが、「クヒ」には意味がございません。朝鮮語では、神のことを「クヒシン」と言います。即ち「角材神」とは、「百済・神」になります。『新撰姓氏録』牟古首出百済国入片礼吉後也。津門首神饒速日命六世係伊香我色男命之後也。又、天孫十三世孫、物部建彦連、高橋連、立野連、都刀連、藤井連、伊勢荒比田連、小野連同祖。とも記され、百済系の人びとが住んだことが解ります。 そして、この人びとは『夫木集』に“柴小船まほにかけなせ ゆふしてて 西の宮人風まつりし”と歌われていますように「風神」を祭っています。この風神を祭るのは百済系の「都努」だけではありません。この西宮市「都努」の北方二キロメートル、京阪神急行電鉄の西宮北口駅北側(西宮球場北方)に野間町の町名が見受けられます。 この「野間」は古代には「奴間」と稱され沖縄県から干葉県、新潟県に位び、特に兵庫県に多い地名です。『魏志倭人伝』に書かれています倭国国名と思われる二十一国中の八国に「何々奴国」とあり、単に「奴国」が二つ記されています。 例えば鹿児島県能毛郡種ヶ島中種子町野間は、能満郡多[イ執](タネ)(天平五、六、二)で、九州の西南端、いわゆる天孫の上陸したという笠沙崎(野間崎)があり、野間山に野間神仕があり、現在の祭神は「コノハナサクヤ姫」ですが、明治時代以前は「姥媽(ノウマ)神(中国福建省付近では媽祖神)広東省付近では天后(テンゴウ)天妃(テンピ)と言う」が祀られていました。 愛媛県今治市(古代は能萬郡)兵庫県淡路島、『万葉集』二四九、二五〇の柿本朝臣人麻呂の歌三津崎 浪牟恐 隠江乃 舟公宣奴島爾珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野島之崎爾 舟近著奴のように「奴島」であり、淡路島の「松帆の浦」は媽祖の浦であったと思われ、このように、西宮市野間町も古代にあっては南方系の「奴」で、「間」は島と言うように占有地を意味する語でありますから、「野間」は「奴の占有地」と言うことになります。 この西宮市野間町の東、武庫川を渡りますと、伊丹市野間村が、国宝昆陽寺の南にあり、この西宮市、伊丹市の両市、「野間」一帯が奴間と言われたのではないでしようか。 話が横道に外れました。「州柔の松原」にもどります。この「州柔の松原」には戦後にも古墳が二基見られました。戦前には「銅鐸」も出土したと言われ、その南は“天乙女いさりたく火の多くして・・・”と歌われていますように、海岸であります。そしてこの「州柔の松原」北方二キロメートルに、海民の住んだ「野間」の地が、より古代の海岸であったとしますと、「州柔の松原」と歌われた七世紀、古墳の築造が五、六世紀、銅鐸の埋められたのが四世紀といたしまして、陸が海に進むのは一年に平均何メートルくらい進むものでしようか。武庫川は急流で、川底の石に苔も生えないと言われ、相当土砂を運ぶ速度が速いと思いますが、弥生時代を紀元前二百年とし、「州柔の松原」が陸になったのを紀元三百年として計五百年、そして二キロメートルを割ると年平均四メートルになります。そこで逆に言えば「野間(奴間)」の地名は、弥生初期からの地名ということになります。________________________________________ これは参加者と遺族の同意を得た会報の公開です。史料批判は、『市民の古代』各号と引用文献を確認してお願いいたします。新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailsinkodai@furutasigaku.jp________________________________________『市民の古代』 第三集 へ
2011.01.13
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先週、こんな風につぶやきました。 「お昼休みのウォーキング、いいコースを見つけました。 相模川が足元を悠々と流れコスモスが咲き乱れていました♪ “馬入水辺の楽校” http://banyumizube.info/ (10月21日) 」 今日も、お昼休みに、45分間速足で歩きました。 7000歩 気持ちよかったな~♪ 視界一杯に咲き誇っていたコスモスは すっかり刈り取られていました。 心行くまで僕らを愉しませてくれた。ありがとう! 途中、オニグルミが群生しています。 上流から流れ着いた実は、今や立派な木に育ち、 沢山の実を付けています。 風で落ちたのか沢山の実が落ちていました。 いくつか拾ってきました。 写真は皮を剥く前と、其の中に納まっているお馴染みのクルミの実です。 午後からの仕事もはかどります。
2010.10.27
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8月20日から5回にわたり「回想法ボランティア養成講座」 (川崎市幸区保健福祉センター地域保健福祉課主催) に参加してきました。 昨年の今頃から認知症の薬「アリセプト)を処方されている82歳の母の 症状を少しでも改善したい、進行を止めたい・・・そんな思いから「回想法」 に興味を持ち、「回想法ライフレヴュー研究会」のN.K子さんに直接お話を 伺ったり、本を読んで少しずつ勉強してきました。 そんな折、N.K子さんが講師をなさる上記講座に講師の関係者として 参加させていただきました。 百聞は一見に如かず、体験談、実技演習を豊富に交えたこの講座から 得るところはとても大きかった。 講師のN.K子さんへの礼状を感想の代わりとさせていただきます。 :::::::::N.K子さんへのお礼のメール:::::::: N.K子様 8月30日、猛暑の中でスタートし、昨日11月18日爽やかな秋の日に 幕を閉じた「回想法ボランティア講座」、受講させて頂き本当に有難うございました。 さらに、昨夕は楽しく、美味しいお料理一杯の懇親会に参加させて頂き 感激しております。本来ならば、講師のN.K子さんに対する慰労の会と しなくてはならないのに、ご馳走になってしまい恐縮しております。 N.K子さんの素晴らしさを再認識させて頂き、回想法の真髄に触れる ことができました。 今、テキストを見ながら、自分なりに振り返っています。 430回以上回想法を実施されて来られたN.K子さんのお話しは、すっと 頭に入り、イメージが湧き、くっきりと脳味噌に刻み込まれました。 昨日、N.K子さんがおっしゃられたように、具体的な手法、テクニック などのノウハウは勿論大切ですが、まず何よりも「聴き手」としての “心のありよう”を見つめ直すことが大切だな、と思いました。 具体的に印象に残っているのは、南印禅師のエピソードです。 ある仏教哲学の教授が南印禅師のところを訪ねた。 南印禅師は湯飲みを二つ用意して自らお茶をいれました。 その教授は禅師に何を質問しようか、そのことで頭が 一杯であった。 禅師は、教授の湯飲みにどんどんお茶を注ぎました。 やがてお茶はあふれ、それでもなお、禅師は注ぐのをやめなかった。 教授が驚いた顔をすると、禅師はおもむろにおっしゃった。 「この湯飲みはあなたの頭と同じです」 「あなたの頭はもういっぱいなので、私が何を言っても入りません」 聴き手は、自分の心を透明な、ニュートラルな気持ちで向き合うこと。 “この人ならば安心して話せる。共感して貰えるな。” こんな気持ちで話し手が話せるように向き合うことが大切なんですね。 このことの大切さは、自分自身で実感できました。 今回講座を受けて、私自身が変わったのです。 アリセプトを昨年の今頃から処方された母の話を聴く際に、 以前ならば「輝いていた時代の母さんは、こんな立派だったのだから しっかりしてよ!」と言うような気持ちで私は母に向かい合っていました。 でも最近は、無心で、今の母の話を聴こうとしています。 母も、私の態度の変化を敏感に感じたようです。 母の話の内容も、辛いこと、痛いこと、悩んでいることの繰返しから ささやかな庭に咲く花に対する感動、家庭菜園の世話の話といった 前向きの話が多くなりました。 まだまだ学ばせて頂いたことに対して感謝の念を持って書きたいことは 沢山あります。でも今日はこのぐらいにさせて頂きます。 本当に有難うございました。 そして、これからも宜しくお願い致します。 Hさん、Oさんはじめ皆様にもくれぐれも宜しくお伝え願います。 人間って、 そして人と人とのつながりって 素晴らしいなって思いつつ。 平成22年10月19日 奴間伸茂
2010.10.19
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おそらく最も会員数の多い学会の一つ日本機械学会の機関誌に我が愛車プリウスがデビュー。「日本機械学会誌」vol.113,No.1102(2010)9月号の【メカライフ特集】は「綺麗にする」会社の若い技術者が「綺麗に彩る塗料」と題して投稿(p.722~723)。自動車を如何に綺麗に彩るか、わかり易く解説しました。私の愛車プリウスがモデルの役割を演じました。口絵(3ページ)にはカラーでその勇姿が掲載されました(ブログ掲載は割愛しました)。さらに、表紙にも愛車プリウスの“お肌”の写真がアップで掲載されました!上掲の表紙、左側の写真です。わずか50ミクロン(クリアー層と着色層を合わせて!髪の毛の太さの半分!)という薄い膜の中に様々な色材を駆使して、綺麗に仕上がる塗膜が誕生します。皆さんのクルマのお肌も一度じっくりと眺めてあげてくださいね。
2010.10.03
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昨年からアリセプトを処方された82歳の母と朝の散歩を楽しみました。 平日は毎朝、母の好きなコーヒーを淹れ、おしゃべりをする程度で 日常的なこと、通院の付き添いなどは家内が実に健気にやってくれます。 家内には感謝の気持ちで一杯、これ以上は望みません。 母の初期認知症、或いはその前段階?に少しでも良いのではないかと 「回想法」を勉強し始めたことは前に書きました。 今日は名づけて「散歩回想法」を始めてみました。 神奈川県海老名のこの地に越してきたのは40年ほど前のことです。 母はまだ40代前半、私も大学生、弟は念願の医学部に入学、 母にとっては、まさに「輝いていた時代」でした。 当時は家もまばらで、松林なども残っており、涼しい風が家の中にも 入ってきて真夏でも扇風機など要りませんでした。 今はぎっしりと家が立ち並びましたが、それでも当時の面影は 十分残っています。 今日はたった2000歩ゆっくり歩いただけですが、「ここ、懐かしいわ~」 「この通りは久しぶり!」と何度も声に出していました。 また日頃「お庭に水を撒いていても、誰も家の前を通らない」 などと言っているのですが、今日は、「ま~、お久しぶり! お元気でいらしたの…」と、5人の同年輩の方々に声を掛けられていました。 母は皆さんの名前をしっかり覚えています。 深い藍色の朝顔はじめ、暑さに負けずに咲き誇る花々を楽しみながら 30分ほどの散歩は終わりました。 休みの日は出来るだけ「散歩回想法」を楽しもうと思います。 心なしか母の顔に、輝いていた頃の表情が浮かんでいるようでした。
2010.09.04
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日本化学会の雑誌「化学と工業」は毎月欠かさず読んでいます。最新号:8月号に、私の若き畏友、慶應義塾大学の教授、小池康博さんの文章を見つけました。小池教授はノーベル賞に近いといわれています。【私の自慢】と言うページです。 題して、“高速・低損失プラスチック光ファイバーが開発されるまで”小池教授は、《ブレイクスルーの秘密》について書き、こう結んでいます。 「私の光散乱研究の支えとなった論文は、 1900年代前半のEinsteinやDebyeの『光散乱とは』といった 本質に迫る論文であった。 最先端の研究を進めるのに必ずしも そのときの最先端の論文が役に立つわけではないことを知った。 大きなブレイクする―をしようとすればするほど、 ファンダメンタルズに戻ることの大切さを学んだ。」 私は、小池教授の助手時代から、彼の研究に注目してきました。 直接、行き詰まり悩んだ時代の話も聞きました。 それだけに彼の文章は心に響きました。 「本質に迫る基本」に戻ることの大切さ… これは、どのような分野にもいえるのではないでしょうか。
2010.08.29
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昨年の7月12日、以下のような日記を書きました(:::::::以下)。我家の庭に、ささやかな「火鉢ビオトープ」が出来上がりました。それから一年経ちました。最初に飼ったメダカは全滅しました。原因は分かりません。綾瀬市の「お魚楽園」で求めたメダカ10匹は皆元気に冬を越してくれました。昨夏の終わり頃から産卵~孵化が繰り返され、今では20匹(いやもっと多いかな)以上に殖えました。 水は換えていませんが、透明で、いやな臭いもありません。大雨が続き溢れそうになったら汲み出す程度です。ヤゴも棲みついています。トンボに孵ったヤゴもいます。メダカを食べると聞いたので最初は駆除しましたが、いまは「あるがまま」です。朝夕、「お魚楽園」で求めた粉末状のメダカの餌を与えています。飼い始めた時からいるメダカは随分大きくなりました。ここで生まれたメダカも一人前?の大きさになったものもいれば、数ミリのものもいます。いずれも食欲旺盛です。尤も冬の間は、4月はじめ頃まではじっと底の方に避難し、姿は見せませんでした。 メダカの寿命は一年と聞きました。さびしいですが、ここで次々と世代交代していってくれたらいいな、そう思って見守っています。:::::昨年、7月12日の日記:::::::::::::::::::: :::::今日は天気もよく、蒸し暑くありません。 そこで作業開始。 庭の片隅にちょうど良い場所を見つけ 僕よりも年を重ねた火鉢をセットしました。 この火鉢は直径が42cm、高さが32cmです。 母が大切に物置にしまっておいたのです。 硬質の赤玉土を何度も水ですすいでから底に敷きました。 めだかたちの隠れ家などもセットしました。 睡蓮を近所の島忠で買ってきました。1480円。 白い花が咲く予定です。 鉢から水面まで10数cmになるようにセットしました(写真) 《以下略》::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::現状も、上の写真と殆ど変わりません。日中は、さすがに暑いのか、メダカたちは餌をやっても集まってきません。底には土が積もっていますし、睡蓮も元気です。善玉バクテリアも元気に頑張っていてくれるので水がきれいに保たれているのだと思います。
2010.07.25
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今日は朝一番インプラント手術。 忙しかったけれど、長らく温めていた企画が実現に向かい始めた。 新たな人脈も生まれました。 そんな仕事の合間のつぶやきを紹介します。 ****************************** @gate_river お大事になさってください。僕もかつて風邪をよくひいたのでこの「予感」よく分かります⇒《風邪は今夜がピークな予感です。辛いと思うと、余計辛くなるので、あまり考えないようにしてます。今晩中に治すぞー!》 僕の場合は「呼吸法」の継続で風邪に強い体質へと改善♪ posted at 21:29:15 今日TBSで再放送された《西村京太郎サスペンス「冤罪-娘の夫に突然ふりかかった強盗殺人の汚名」 》突然襲った冤罪という理不尽に立ち向かう大学教授(加藤剛)の姿を軸に、信じ合い支え合う家族の絆を描くドラマ・・・家内がとても感激して僕にストーリーを語ってくれた。僕も心を打たれた! posted at 21:00:25 日本の英語教育(英語だけではないが)はこれでいいのか?考える材料に読んでいただきたいな。 RT @yucaseemedia 「ハーバード大の日本人激減」の意外な真相【2】 http://media.yucasee.jp/posts/index/3806 posted at 20:31:43 @Legnaomi 朝一番、インプラント手術を受けてから会社に向かいます。小雨模様です。Legnaomiさんの着物姿、とっても素敵です♪僕も仕舞いっ放しの着物に挑戦してみようかな。 posted at 12:56:54 @hidecon6 ご無沙汰しています!是非、読ませていただきます⇒《新刊「我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す」7月22日発売します。詳細はプログに書いときました。よろしくね。買ってね。 http://ht.ly/2avlw》・・・楽しみです! posted at 12:43:46 @tomfukunaga はじめまして!すごいですね⇒《半蔵門線がCOACHにジャックされてる???!!どこを見てもCOACHだらけ。オシャレだなぁ~。 》アメリカへの初めての出張の際の家内へのお土産がCOACHのバッグでした。ところで、男性用のCOACHってありましたっけ? posted at 12:31:39 米マイクロソフトはパナソニック、東芝など端末メーカー21社と組みウィンドウズ7を搭載する新製品「スレートPC」を年内に投入する。アップルのiPadを追撃するわけだ。僕は仕事でウィンドウズを使っているので「スレートPC」の発売まで多機能端末を買うのは待つことにしよう。 posted at 12:23:52 午前中にインプラントの手術を、定期的なメンテナンスもお願いしているベル歯科医院で受けた。手術前の念入りな歯、粘膜の汚れ落とし、消毒、スムーズな、それでいて心のこもった手術、術後のレントゲン写真に基づいた丁寧な説明と今後の留意点・・・全く痛みも感じることなく、実に「快適」であった。 posted at 11:37:08 @Kazuo_wk おはようございます!分かるな~その感覚⇒《家に帰ってきて一気に現実に引き戻されている・・・ 》つい10数時間ほど前のことなのに、何だかとても遠い思い出のように感じられる。あのサンセット、透き通った海水、美味しいお料理は確かに見て、触って、味わったんだよね・・・ posted at 11:30:11 @famiky おっしゃるとおりですね⇒《「名は体を表す」というけど、服を買ってくれたお客様に前向きなキャッチフレーズをつけてあげられるといいなあ。袖を通すことで違う自分になる的な。気持ちの演出を商売にしたい。 》あらゆる仕事のヒントになります!リフォローさせていただきますね♪ posted at 11:19:08
2010.07.13
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前回の日記では、日本特許第一号は塗料に関するもので、発明者の堀田瑞松さんは坂本龍馬の二歳年下、68歳でアメリカに渡り、6年半滞在の間に2件の米国特許を取得したことを書きました。100年ほど前のことでした。 「始めるのに遅すぎることはない」のお手本ですね。 6/27(日)の日本経済新聞、社会面の【社会人「南アに懸ける知識の虹 第81話 子供たちに翼を(2) 】に紹介されている蓮沼忠(はすぬま・ただし)さんも68歳です。 以下、日経新聞から簡単にまとめて紹介します。************************************** 南アフリカの黒人の子供らに本を届ける日本の移動図書館車が今、南アで第二の人生を送っている。懸け橋となったのが蓮沼さん。「南アフリカ初等教育支援の会」(サペーシ)を立ち上げ4年。昨秋は12台がはるか海を渡った。 現在、9つある南アの州のうち4州で稼働する図書館車は約3000冊の児童書を積み、年4回の学期始めに学校を巡回。本を貸し出して期末に回収、次の学期にまた訪れるサイクルだ。 蓮沼さんは1998年から2004年の定年退職までソニーの南ア法人社長としてアパルトヘイト撤廃後の同国と歩みをともにした。 マンデラ時代、全国に約2万6000の学校が整備され、国の礎となる教育に力が入り始めてはいた。 しかし、アパルトヘイト下で育った教師の質も含め、中身は伴わない。家庭に本を買う余裕はなく、黒人の小学3年生の識字率は約35%にとどまる。 国の成長に黒人の貧困層は置き去りにされた。 蓮沼さんが南アに残ったのは、会社人生で築いた哲学との自問自答の末だそうです。ソニー入社以来、イラン、スペイン、中国と31年間の会社人生の大半を海外で過ごされた。 模範は創業者の一人、盛田昭夫氏。「良き企業市民であれ」。 引退後、日本で悠々自適の日々を送る選択肢もあった。しかし「教育さえ改善できれば」と気付きながら、「さらば」と、貧困を遠巻きに眺めるのにはためらいが残った。強盗に襲われるなど危険な目に遭いながら南アで生きると決めた。 海外に精通した蓮沼さんだからこそ拡大できた事業。 しかし、最近は海外に進出する日本企業に自己優先的な風潮が広がることに危機感も感じる。 「これからは社会的責任(CSR)だけでなく、シチズン(市民)としての役割が評価の基準。欧米に比べ日本はまだまだ足りない」 今後は「良き一市民」として虹の国の礎づくりに力を貸すつもりの蓮沼さん。サッカーのワールドカップに沸く南アも、祭りの後の行く末は深い霧の中だ。「まだ、できることはたくさんある」。今は熱戦に夢中の子供たちが担う将来を見据えている。************************************** 今、多くの企業が生き残りをかけて海外進出を経営の旗印に掲げている。ぜひともシチズンとしての役割を忘れることのないよう、蓮沼さんのメッセージを肝に刻み込んで欲しい。 日経新聞から多くを引用させていただきました。日経新聞社に感謝するとともに、引き続きこのような日本人の活躍ぶりを伝えていただきたいなと強く希望します。 「始めるのに遅すぎることはない」 僕もまだまだやり残した仕事があります。蓮沼さんからタップリエネルギーを貰いました。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: Twitterでのつぶやきものぞいてみてくださいね。 http://twilog.org/numa_innovation
2010.06.27
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あまり知られていませんが、日本の特許第一号は塗料に関するものです。 特許を出願・獲得したのは堀田瑞松(ほったずいしょう)さん。彼が興した会社は今も存続しています。ユニークな塗料製品を作っている「日本化工塗料」です。http://www.nippon-kako.co.jp/index.html関西ペイントグループの一員です。 日本化工塗料のホームページから特許出願の経緯を引用させてもらいます。 ::::: 以下、引用 ::::: 1867年(慶応3)、福沢諭吉が自著『海外事情外編』にて欧米の特許制度を日本に初めて紹介し、その後1883年(明治16)には特許権などの国際的保護に関するパリ条約が締結されました。 これらを受け、日本では、開国以来の懸念であった不平等条約改正問題を解決し、国際的地位を向上させるためにも特許法を制定すべきという声が高まり、1885年(明治18)4月18日に『専売特許条例』が公布されます。 当時、彫刻家・漆工芸家として世に知られた堀田瑞松は、そのころたまたま政府要人の間で語られていたある話に研究心を刺激されます。 それは、「世界の鉄製船舶が海水によって船底を浸食されるため、6ヶ月ごとに入渠して塗装しなおさなければならない。もし、もっと協力な防錆塗料が開発されて入渠周期を延長できれば、わが国はもとより世界の大きな利益となろう」というものでした。 さっそく瑞松は漆を主成分とする船底塗料の研究に着手し、横須賀造船所の周辺海域で実験を繰り返し、海軍の船で実船テストを行い成功を収めます。 テストの結果に自信を得た瑞松は、1885年(明治18)7月1日に農商務省工務局の専売特許所(今の特許庁・当時の所長は高橋是清)へ出願し、同年8月14日付で特許を取得しました。 ::::: 引用終わり ::::: 堀田瑞松は、幕末-大正時代の彫刻家として有名。天保(てんぽう)8(1837)年4月12日生まれですから、坂本龍馬より二歳年下です。鞘塗師(さやぬりし)の子と生まれ、唐木細工師島雪斎に学びました。木竹彫刻,とくに紫檀彫刻を得意とし,内国勧業博覧会などに出品して好評を博しました。大正5(1916)年9月8日死去。80歳。但馬(たじま)(兵庫県),一説に越前(えちぜん)(福井県)出身といわれています。名は貞。別号に寸松。代表作に「楼閣山水紫檀額」(東京国立博物館)などがあります。 「始めるのに遅すぎることはない」をモットーとしている私が、特に堀田瑞松を尊敬しているのは、明治三十八年(一九〇五年)一月、六十八歳の堀田瑞松が渡米し、明治四十四年(一九一一年)七十四歳まで、純日本技術である漆塗料の外国での普及につとめた点です。6年半のアメリカ滞在中に、2件の米国特許も取得しました。 これは物凄いことだと思うのです。私は昨年還暦を迎えましたが、まだまだ人生これから本番と思っています。そんな私にとって、堀田瑞松の仕事ぶり、活躍ぶりはまさにお手本なのです。
2010.06.13
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私は、この日記で、これまで商品などの宣伝はしてきませんでしたし、これからも、するつもりは全くありません。 ただ、今回は、私が昨年、行政書士資格試験の準備のためにお世話になった横溝慎一郎先生の2冊目のご本の紹介をさせていただきます。 題して「68点を確実に取る勉強法」 敢えて紹介させていただくのは、先生の「スタディ ライフ バランス」という考え方に共感したからです。 私自身の仕事に対するモットーは、まず「全力投球」です。これはビジネスマンにとって当然のことです。勿論、これだけでは足りません。「私ならではの結果」を出さなければなりません。 そんな私が、何としても、法律、とりわけ民法、会社法、行政法を徹底的に勉強したくて、そして、リタイア後は倒れるまでそれをベースに「生涯現役」であり続けたいために、行政書士資格にチャレンジしたのです。 仕事の手を抜かず、如何にして合格を勝ちとるか? そのための考え方、ノウハウが横溝先生の「68点を確実に取る勉強法」に込められている、そう私は確信しています。 忙しい日々の仕事の手を抜かず、土日をつぶして受験勉強をやり抜く。これは決して楽なことではありません。 ですから、如何に効率よく勉強するかが大切ですし、それ以上に、勉強それ自身が「楽しい」ものでなくてはなりません。横溝先生は勉強の楽しさを実感させてくださいました。 以下先生のご本「68点を確実に取る勉強法」について、先生自身の声を引用いたします。かなり長いですが…*************************************6月10日11日「68点を確実に取る勉強法(フォレスト出版)」アマゾンキャンペーンを実施します。キャンペーンへの参加方法やプレゼントの内容はhttp://www.forestpub.co.jp/amazon/68/にアクセスしてください。さて、私横溝慎一郎にとって2冊目の著書となる「68点を確実に取る勉強法(フォレスト出版)」について簡単に紹介させていただきます。多くの試験は、100点満点とすれば68点取れば合格できます。つまり、カンペキな知識はいらないのです!そう考えれば、覚えなくていい知識が見えてきます。その結果、繰り返す回数も減ります。そして、時間が増えるので、過去問題集などの実践に近い勉強をする時間が増えます!そこで「68点を確実に取る勉強法」では、受かるための「学習計画」を立て、「記憶の定着を強める」方法がわかり、68点を確実に取ることができるようにしました。では、本書の内容を紹介しましょう。「私の勉強法を使って合格した方々」では、実際に合格を果たした方々の生の声を多数収録しました。プロローグ「最短で「合格する人」になる方法」では、私が今まで講師をしてきた中で一発合格された人のタイプをお伝えし、あなたに合格する人になってもらいます!1章「この「学習計画」で合格できる!」では、試験までのスケジューリング、段取り力がつきいっさいのムダのない勉強ができます。2章「一発合格する人の「時間」の使い方」では、試験までの時間を増やす時間管理ができるようになります。3章「忘れない記憶法」では、記憶効率を最大に高め、繰返しを最小限に抑える方法がわかります。4章「最短で結果を出す人の「問題集」の使い方」では、試験で役立つ「解答力」がつきます。5章「明日からできる!合格のマル秘テクニック」では、今スグにできる合格対策がわかります。さらに直前期に役立つ情報も書きました。また本書には「無理なく続く!一発合格するテクニック」が53個入っています。だから、・最短で結果を出したい人・試験が直前に迫り「間に合わない」という悩みがある人・忙しくて勉強する時間が少ない人・コツコツ勉強を続けられない人・試験までモチベーションを保ちたい人…などの人には、役立ちます。私は、「時間がない」多くの人を最短で合格させてきました。本書をお読みいただいたあなたも、その中の1人にします。豪華プレゼントをゲットできる「68点を確実に取る勉強法(フォレスト出版)」アマゾンキャンペーンは6月10日11日です。この機会をお見逃しなく!!アマゾンキャンペーンの参加方法やプレゼントの内容はこちらをご覧くださいhttp://www.forestpub.co.jp/amazon/68/*************************************** 行政書士資格に限らず、資格試験に挑戦中の方は一読の価値あり!です。
2010.06.09
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5月29日、土曜日、久々にライブに出掛けました。伊東真紀さんのライブたまたま、5月25日、ホームページを訪問し伊東真紀さんを、知りました。何か感じるところがあったのです。http://maki-ito.com/"PARIS BLUES"~パリのジャズ物語 @藤沢 sausalito 「オシャレな人たちが集うsausalito (サウサリート)に初出演!! オーナーの熱い想いで実現したSpecial Live!!!」初めてのお店でしたが、オーナーとはすぐに打ち解けて、お話しできました。常連の皆さんとも、何年来の仲間のようにすぐにおしゃべりできました。ライブが始まりました。伴奏は、気ままに旅することをこよなく愛するアコーディオン弾き、田ノ岡三郎さん。圧倒されてしまいました。真紀さんとの距離は、何と1メートル。僕の体中に素晴しい唄声が染み渡ってゆきます。ここ2ヶ月、新しい企画の立ち上げでカッカしていた僕の体が柔らかくなってゆく。ささくれ立ち始めていた僕の心がやさしくなってゆく・・・あれっ? なんだろうこの感覚は・・・この感触、この感覚の変化に身を委ねてしまいました。そして、嬉しかったこと。ぼくのブログのタイトル:「始めるのに遅すぎることはない」に因んで、ライブ後半の一番最初に、“never too late”を唄ってくださったのです。感激、大感激!!一緒に写真も!!僕の音楽の素養では、僕の感動を伝え切れません。ライブの日から、4日が経ちましたが、僕は真紀さんのCD(下の写真)を何度も何度も聴いています。毎回新しい感動が、新しい発見があります。この間のライブでは、あまりの近さに緊張してしまって、真紀さんの眼差し、表情を見つめて唄を聴くことができませんでした。次のライブでは、しっかり見つめて、真紀さんの唄に浸りきりたい・・・そう思っています。
2010.06.02
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滅多に「疲れた」と言わない僕ですが、ここ3,4日、朝目を覚ましたときに「疲れが残っているな…」って感じます。この一週間の飲み会を振り返ると、当たり前かなとも思います。 先週の土曜はビジネスの先輩Kさんと面談後4時間しっかりと飲んだ。 火曜日は日本塗装技術協会の総会のあとの懇親会で、 木曜日は高分子学会年次大会の懇親会で、 日頃会えない先生方と良く喋りよく飲んだ。 昨日金曜日は、久々に大学の後輩が入社したので同窓生で歓迎会。 入社したYさんはチャーミングな女性だ。 8年前中国瀋陽から来日、この春修士課程修了、 日本語はとても自然で流暢。楽しくってついつい食べ過ぎ、飲みすぎ!勿論昼間も全力投球。ようやく念願の新規企画の準備が整った。ちょっとゼンマイを巻きすぎた感じだ。ちょっと緩めようかな・・・そんな時、素敵なライブ予告に出会った。案内を伊東真紀さんのブログから紹介します。http://www.maki-ito.com/topics/20100529.html●●● "PARIS BLUES"~パリのジャズ物語 ●●● 5月29日(土) Open : 19:15~ Stasrt : 20:00~ Address : 藤沢市南藤沢23-5東ビル2F※JR藤沢駅徒歩3分 Charge : 前売り¥2000(1d) 当日¥2500(1d) *お席に限りがございますのでご予約をお願いします。 Tel : 0466-27-9966 ご予約:sausalito1994@jcom.home.ne.jp sausalito 関連ブログ:http://swingfuji.exblog.jp/ 出演 田ノ岡三郎(アコーディオン) 伊東真紀(ヴォーカル) オシャレな人たちが集うsausalito (サウサリート)に初出演!! オーナーの熱い想いで実現したSpecial Live!!!******************************************************** とっても楽しみだ。 報告しますね。 Twitterもよろしく! http://twitter.com/numa_innovation
2010.05.29
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「中岡慎太郎 陸援隊始末記」(中公文庫)は前から読みたかった。私の父方の祖母が「中岡慎太郎さんは親戚にあたるんだよ」と幼かった私に話してくれたことが忘れられなかったのだ。裏表紙には以下のように書かれている… 長州寄りの尊攘激派浪士として、徹底した武力討幕派であった中岡慎太郎。 薩摩の庇護に入っていた坂本龍馬と中岡ふたりの尽力により、薩長同盟は結ばれた。 維新のもうひとつの方向を目指し、幕末維新回天の核心となった中岡と土佐勤王党の 行動を明らかにし、志士の情熱をさぐる好著。 『坂本龍馬海援隊始末記』の姉妹篇。 本を本気で愛する次男が買ってきてくれたこの本を手に取り、著者である平尾道雄氏の以下の紹介を読み、「あっ、この本は本気で読める。」と思った。 明治33年(1900)、高知県に生まれる。大正9年、東京代々木の山内家家史編修所に 入る。日本大学宗教科に学んだが中退、以来五十年、土佐藩史特にその維新史の 研究に打ち込み、この方面の第一人者として広く知られる。 昭和28年高知県文化賞を、33年四国文化賞を受賞。 のち高知大学講師、高知新聞社嘱託。 著書に『坂本龍馬海援隊始末記』『新撰組史録』『子爵谷干城伝』など。 昭和54年(1979)5月、死去。私は、今、日本のものづくり、イノベーションに対する情熱が、低下している、少なくとも中国や、インド、韓国などの国々に比べ、冷めているのではないかと危惧している。私が携わってきた分野において、若い技術者達に世界の学界、業界の研究、開発の最先端の状況を知ってもらいたく、毎月、英文誌に限定はしているが、数十冊の技術誌をチェックし、200報以上の注目すべき技術論文、総説のポイントを発信している。その作業を通じて、中国や、インド、韓国、イランなどの国々は、それこそ国を挙げて、大学、公的研究機関、企業が連携して研究、開発を進めている姿が見えてきた。微力ではあるが、基盤技術に関して、あるいは技術者の教育に関して、企業の枠を超え、顧客である企業の協力、大学、公的研究機関の力を結集して、日本のものづくりに対する情熱、パワーを高めようと行動している。相当なエネルギーが必要だが、そして挫けそうになることもあるが、中岡慎太郎や坂本龍馬の足跡を辿ると、私の悩み、課題など本当にちっぽけなものに見えてくる。少なくとも命を狙われることはない。「中岡慎太郎 陸援隊始末記」を読み、物凄いエネルギーを貰った。
2010.05.15
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ご無沙汰しています!今年、1月16日、【☆母の「脳力」リハビリ】と題して日記を書き、以下のような文章で締めくくりました。 *****1/16の日記より*****【脳のリハビリ] 「楽しく母の脳のチカラを保ち、出来れば輝いていた時代に取り戻せないか?」 私は、常々そのようなことを考え、回想法の本なども読んでいる。 そんな中で、これは良いかな、と思われる「リハビリ」を思いついた。 その実験結果を今後報告してゆきたい。 (明日に続きます) *******************明日に続きます…と書いておきながら、随分時間が経ってしまいました。 スミマセン!!何故、書かなかったのか?母に微妙な変化が見られたからなのです。簡単に言ってしまうと、「かつての輝いていた時代」に近づいた…そんな感じがしたのです。本当にそうなのかな?或いは、長年の母の主治医の、僕も尊敬する先生が、グレーゾーンではあるけれど、念のためアルツハイマーの治療薬:アリセプトを処方してくださったのか?この4ヶ月、身近で[観察」してきた訳ですが、まず結論を書きます。1)確かに母は変わったようです。 私も母の得意であった日本画の話を母と交わすように心がけたことは確かですが、 季節毎に、自分が描いた絵を納戸から出してきてタイムリーに飾るようになりました。 因みに、今飾られている絵は、先生に褒められたことが自慢の牡丹の花の大作と、 可愛らしいカーネーション。 描いた当時の先生とのやり取りなどを嬉しそうに話してくれます。 また、1km離れたところにある初めて行った美容院(家内がクルマで送りました)から、 一人でちゃんと歩いて帰ってきました。 尤も、同じ事を何度も家内に尋ねたり、 東京で一人暮らしをしている私の長男(母にとっては初孫)が久々に帰ってきたときに、 (家に着いたばかりなのに)「あら、もう帰るの?お仕事頑張ってね。これ少ないけれど」と言ってお小遣いを渡したり、時間の感覚が混乱することは多いのですが…2)私自身が変わったことも確かなのです。 結婚以来、37年間、私達夫婦は母と同居しています(父は18年前に亡くなりました)。 私自身、若く輝いていた時代の母のままのイメージを持って、母に対していたのです。 母は82歳になりました。当然、老い、アルツハイマーでないとしても、頭のめぐりも行動も鈍くなるのは当たり前です。 それにも拘らず私は、母は昔のままの母であるとして、向き合っていたのです。 母が当惑し、ますます自信をなくし、頼りなくなるのは当然ですね。 回想法などで母に輝いていた時代の母に戻って欲しい、と願うこと自体、現実を無視した私の思い上がりだったのです。 でも、そう思うことによって、私の母に対する接し方が変わったのも確かなことです。 母は、私の変化を敏感に感じ取ったのだと思います。 それが母に良い変化をもたらしたのかな、と考えています。・・・私も家内も、母に出来るだけ[自分のお仕事」をやってもらおうと心がけています。庭のささやかな花壇、菜園の手入れ、先にも書きました「母のギャラリーの管理」、私の出勤前の髭そり用の熱湯を魔法瓶に満たすこと等々 長くなりました!今日はこのあたりで。 *************************** 自分自身も、老け込む暇なく、新たな挑戦を続けています。 ツイッターでつぶやいています。覗いてみてくださいね。 http://twitter.com/numa_innovation
2010.05.09
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☆母の「脳力」リハビリ この19日に82歳になる母は昨年の11月頃から、東海大付属病院のH医師(10数年来お世話になっている)より、診察、テストを受けて、認知症の治療薬「アリセプト」5mgを処方された。 最初2.5mg処方され、様子を見て5mgになった。 母は、10数年くらい前になるだろうか、脳MRIで延髄付近に小さな梗塞が見つかり二ヶ月に一度診察を受けている(神経内科)。 私自身気になることは(私達夫婦は結婚以来、私の両親と同居。父は18年前亡くなりました・・・) ▲家でも、同じことを何度も尋ねる。探し物を始終している。 ▲何でも家内を頼りにして、尋ねる。何度も何度も・・・ ○一方、昔の(例えば、私の幼かった頃)ことは覚えているし、よく話しをする。 ○難しい漢字はよく知っているし、今でも「鬱陶しい」とかすらすら書ける。 ○20年以上前には、日本画を習っていた。高名な先生から助手として手伝って欲しいと頼まれた程の腕前だった。その日本画のことを質問すると、待ってましたと言うばかりに活き活きと答えてくれる。 【脳のリハビリ] 「楽しく母の脳のチカラを保ち、出来れば輝いていた時代に取り戻せないか?」 私は、常々そのようなことを考え、回想法の本なども読んでいる。 そんな中で、これは良いかな、と思われる「リハビリ」を思いついた。 その実験結果を今後報告してゆきたい。 (明日に続きます)
2010.01.16
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認知症の治療薬アリセプトを処方され始めた母。 私が朝の髭剃り前に熱いタオルで顔をを蒸すことが出来るよう 毎晩寝る前に魔法瓶に熱湯を入れておいてくれる。 (ちょっと心配なのだが、きちんとやってくれるので任している) 髭を剃りさっぱりした頃、コーヒーメーカーに仕掛けておいたコーヒーが出来上がる。 コーヒーが好きな母との対話を少しでも増やしたいな、と思いここ3,4年毎朝続けている。 母は最近新聞を読まなくなった。 私が読んでいると、覗き込んでいるのだが。 「新聞、読まないとボケるよ。」何て言ってきた私だが、今日ハッと気付いた。 朝日新聞一面の、今日の内容紹介欄の「100歳まで生きる昆虫は?」と言った文字が目に入った。 いつもなら、出勤前せわしないのに自分で調べるところだが、 「母さん、これ調べてくれる?」と母に頼んだ。 着替えてから母に尋ねた「分かった?」 「勿論よ、すぐに分かったわよ。女王シロアリは・・・」と簡単に説明してくれた。 「有難う!」と声をかけた。 母は引き続き新聞を読んでいる。いつもは関心が無いのに。 やはり、人の役に立つと言うのは、特に息子の役に立つと言うのは嬉しいらしい。 そして、その気持ちが引き続き新聞を読もうと言う気につながったようだ。 何度も「新聞を読まなくちゃボケるよ!」と言っても効果が無かったのだが。 少しでも、輝いていた時代の母を取り戻して欲しい、 そんな気持ちで、時にイライラしたり、怒ったりしながらも、 日々、母に寄り添って暮らすことが出来ることは幸せなことなのだ、とつくづく思う。 勿論、昼間は会社に行っている私と違い、24時間母を見くれる 家内がいてくれるから気楽なことを言っていられるのだが・・・
2010.01.12
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ここ、神奈川県海老名は今日も穏やかに晴れています。庭の沈丁花のつぼみもふくらんで、早く咲きたいなって訴えかけてきます。僕にとって、沈丁花の香りは春の到来を知らせてくれる大切なしるしです。会社では、相変わらず昼休みに40分ほど散歩しています。主に相模川の土手を歩きます。もう、桜の蕾もしっかり育っています。桜の木全体が少し赤みがかってきたような気がします。今日のように天気のいい日には、思わず土手の斜面に手を触れてしまいます。草達の柔らかな感触、土の温かさがじ~んと伝わってきます。まだまだ寒い日が続きますが、春は確実に近づいているな、そう思う一瞬です。
2010.01.09
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皆さん、本年も宜しくお願いいたします。サーッ、仕事始め気合を入れて早起き。しっかり朝食をとり、7時前には会社に到着。守衛さんと元気に新年の挨拶を交わした…だが、何か変だ。いくら始業1時間半前だといっても、人の気配がない!部屋に入り納得。仕事始めは明日であった。でも、おかげで仕事は進んだ。8時頃、人の気配が。オ~ッ、素敵な相棒J子さんだ。年末、新型インフルエンザに罹り休んでいたので、たまった仕事を片付けに来たのだ。彼女が買ってきてくれた珈琲で2人だけの乾杯!!何だか今年も良い予感が・・・
2010.01.05
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昨日の人材教育関係の異業種研修会にて、プライベートな話しをした方々3名全員のお母様、或いはお父様が認知症とのことであった。私が、「認知症予防あるいは改善のために『回想法』が役立つのではないかと考え、その勉強を始めたところです・・・」そう話した途端、皆さん打明けて下さった。高齢化社会・・・強く実感した。私の母も先月から認知症の薬:アリセプトを処方された。同じことを繰り返し尋ねるようになった。さっき食べたばかりなのに、また食事をしようとする。でも、好きであった、そして教えるくらいの腕前であった日本画の話しをすると俄然表情が輝き、しっかりと話しはじめる。そんな時に、「回想法」のことを知った。来年早々には、「回想法」を実践されている方に直接お会いし、話しを伺う。私は、38年間、技術屋として、企業で全力を尽くしてきた。リタイア後は、高齢化社会のお役に立てる仕事をしたい。
2009.12.19
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夏に、私が生れる前から我が家で活躍してくれた 「火鉢」を利用して、庭にささやかなビオトープを 作ったことを日記で紹介しました。 おそらく、9月末から10月にかけてでしょうか、 沢山のメダカが孵化しました。 その内5匹を室内の水槽で育てています。 一番大きな子は2センチ弱、一番小さいのは6ミリくらいかな。 今日の海老名は、陽射しも気持ちよく暖かかったので、 水槽のメンテナンス。水仕事も楽しかったです。 元気良く泳ぎ回っていたので、携帯で撮った写真を アップしました。
2009.12.06
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おはようございます!!【ちょっと前、12月6日、10:15】NHK、ぐるっと日本、若き歌人がのこした魂の歌。今年一月、若くして亡くなられた筒井宏之さんが病床からケータイで発信された心の詩。もう朝から、胸が熱くなりました。 【12月6日、10時頃】エーザイ社が発売した日本初のアルツハイマー型認知症治療薬「アリセプト」を処方され始めた母。起きてすぐに不調を訴えるのだが、各部屋の壁に飾ってある母が描いた絵について褒めたり、質問すると、カラッと雰囲気が変わり、活き活きと語り始める。「回想療法」こんなことから始めてもいいのかな。 【12月6日、9時頃】 @r_peacehomeへの返信 土、日はいつもより2,3時間ユックリ起き始めます。8時から珈琲を淹れ始め、大切な友人へのメール返信などしていたら、9時半になってしまいました。NHK,日曜討論、「どうする雇用対策」ほか視ています。“長妻厚労相と各党激突”とまではいっていなかな・・・ 【12月6日、8時頃】 @r_peacehomeへの返信 @r_peacehome さんへ 僕は自分自身ストレスに強いと思っていましたが、5,6年前の業務上の葛藤、ストレスは猛烈なものだったなと、それらが解消し、スッキリした今改めて実感しています。 豆乳カフェオレ、僕も楽しんでみようと思います。 【12月5日 朝】 12月5日朝日朝刊「ひと」欄。「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表藤澤克己さんの言葉・・・悩みに耳を傾ける電話相談員でもある。「死にたい」と電話を受けたとき「そうじゃなくて、生きているのがつらいんですよね」と投げかける。すると、みながいう。「そうです、死にたいわけじゃなかった」と。 【12月4日 お昼頃かな】 母がアリセプトを処方され始めました。何か僕の方で出来ることはないかな、と探していたところ、「回想療法」という治療法を知りました。信頼できるクリニック、或いは家族でもできる方法等教えてくれるところはありませんか。
2009.12.06
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12月 2日の日経朝刊に「ホットビール期間限定で販売キリン横浜工場」の記事を発見来年の3月14日まで生麦にある工場内のレストラン「スプリングバレー」で、50℃程度に温めて販売とのこと。ホットスタウトとホットウ゛ァイツェンの二種類で、ともに450円だ。ビール大好きな僕としてはすぐにでもとんでいきたい!お近くのビール党の方は是非場所は、京浜急行の生麦駅から歩いて10分です。
2009.12.04
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今日も、早めに会社を出ることが出来たので、帰りのクルマの中で、NHKラジオ、「私も一言!夕方ニュース」を聴くことができた。この番組の中でも、とりわけ好きなコーナーが、6時台の“ここに注目 ”だ。今宵は「カンボジアの子どもたちを児童買春から救う」早川 信夫 解説委員ゲスト:村田 早耶香さん(NPO法人かものはしプロジェクト代表) 「かものはしプロジェクト」(http://www.kamonohashi-project.net/)については何度か聞いたことがある。でも代表の村田 早耶香さんの話を聞いてとても身近に思えるようになった。ホームページから村田さんの挨拶を引用させていただく。「私がこの問題(児童買春)を最初に知ったのは、大学生のときに東南アジアを訪問したときです。買春の被害にあった子ども達を保護する施設で、6歳と12歳の姉妹に出会いました。彼らは家が貧しかったために、売春宿に売り飛ばされ、電気ショックを与えられながら無理やり働かされいたところを保護されたのです。売春宿に売られた後、HIVで死亡したり、自殺したりする子も少なくないことを知ったとき、彼女達のために何かをしなければと心に決めました。別のセンターで出会った5歳の女の子は、母親が17歳で買春被害に遭ってHIVに感染したことにより母子感染していました。彼女と一緒に過ごしたとき、児童買春の深刻さを肌で感じました。生まれながらにして過酷な運命を背負わされている状況に、私はすぐになにか行動しなければ、と強く感じました。これは私たち日本人と無縁の問題ではありません。この問題は人道に対する罪です。そして、この問題は経済が成長し、グローバリゼーションが進展することにより起きる象徴的な問題の一つです。」今日のラジオで村田さんは日本で開催された児童買春に関する国際会議で、「東南アジアに出掛けた日本人が一番児童買春をするのに、この問題に取り組む日本人はあまりに少ない…と指摘された.]とおっしゃっていた。日本男児としてはとても恥ずかしい。皆さん、是非“かものはしプロジェクト”のホームページを見てあげてください。かものはしプロジェクトのカンボジアでの活動をほぼリアルタイムで知ることが出来ます。
2009.12.01
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今日、11月30日夕方のNHKラジオ「私も一言!夕方ニュース」の“ここに注目”のコーナーは、 「バリアフリーで若者に未来を」。 早川 信夫 解説委員、ゲスト:中邑 賢龍(けんりゅう)東京大学教授 の対談。 いいことをおっしゃっていたのだが、クルマを運転中だったため、 正確なところを忘れてしまった。 「障がいを治すのではなく、難しさを解決する…」という意味のことを おっしゃっていた。 先生の研究には、大勢の障がい者の方々が協力している。 だからこそ、気付くこと、教えられることが多いとおっしゃっていた。 中邑先生の研究に注目してゆこうっと! **以下、東京大学・学際バリアフリー研究プロジェクト(AT2EDプロジェクト)の公式サイトから引用** 加齢による心身機能の低下、病気・けが、障害によって我々誰もが生活に不自由する可能性がある。その当事者になった場合、科学技術は大きな支えになるにちがいない。 …これまで、Assistive TechnologyとAlternative and Augmentative Communicationという2つの障害支援技術の当事者への適用研究を行うと同時に、機器データベースの開発研究を通して技術を当事者に届ける役割を負う支援者の養成および開発者支援を行ってきた。しかし、現状では、誰もが支援技術を簡単に利用できるには至っていない。 …エビデンスをもとに科学技術発展の方向性を提示することで、「誰もが納得して簡単に利用できる未来の技術」と「テクノ福祉」の構図が見えてくると考える。そこで、支援技術の利用を科学することにより、その推進力となる新しい学際研究領域「テクノ福祉を実現するための簡単・先端支援技術研究」の創成を目指す。
2009.11.30
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11月26日(木)のつぶやき…◆高分子学会ポリマー材料フォーラム、招待講演16時終了。300人は入る大ホール(東京、船堀タワーホール)で立ち見もでたので力が入りました。深夜2時まで詰めた甲斐があったかな。四時間しか眠ってないので早く寝ます。まだ新宿。顧客、ライバル各社、原料供給会社の技術者、付き合いの深い大学教授の方々からも慰労と激励の言葉を貰い元気が出ました。◆あ~~プルーストの世界に浸りたい。その前に「不毛地帯」を見なくっちゃ。今夜は僕はもう思考停止で行きます。ビールをタップリ呑んだので、とっておきの焼酎をお湯割にして飲もうっと。11月27日(金)のつぶやきより◆中国もCO2排出量を2020ねんまでに05年と比べて40~45%削減するという数値目標を初めて示した。GDPあたりとは言え、COP15に弾みがつくことはいいことだ。国際的な実行義務を負うものではないと強調しているが…米国も25日、20年までに05年比17%前後削減の目標公表。 新聞を読んで。6:37 AM ◆@renho_shaへ返信。 おはようございます!体が重いときありますよね。リラックスしてくださいね。今日も一日全力で楽しみましょう。高分子学会ポリマー材料フォーラムで一日中ポスター発表の審査をします。 6:41 AM ◆高分子学会ポリマー材料フォーラム終わりました。一日中ポスターの審査で立ちっ放し。足が疲れました。気になったのは、若い人の声の小さいこと。大きな声は品がないとでも思っているのかな…僕には伝える熱意がないんじゃないかと思えるだが。大学、大学院における指導はどうなっているのかな? 4:15 PM ◆@r_peacehome への返信。なるほど、そうですね。真面目にひたむきに取り組んでいる若い人ほど悩むのでしょうね。僕ら主催者側の課題ですね。有難う!今、懇親会終わりました。 8:05 PM 昨日、11月28日のつぶやきです。◆「事業仕分け」について自民党の河野太郎衆院議員が「正直うらやましい。もっと厳しくやって」(今日の朝日朝刊)。08年自民党の「無駄撲滅プロジェクトチーム」を率い事業仕分けの手法で「アニメの殿堂」の予算凍結など求めたが麻生政権によって09年度補正予算に盛り込まれたのだ。 …朝、新聞を読みながら。◆河野太郎さんは「オレにやらせろという気持ち」で仕分け会場を視察したという。今こそ、地道に力を蓄えて欲しい。応援していますよ!衆院選の静岡7区で平沼赳夫元経済産業相の支援を受け て無所属で出馬し、当選した城内実さんも頑張れ!民主党の事業仕分けも、城内実さんも熱く支持してますよ。 ◆プルーストと同時に味わっているのは「民法」。「(基本原則)第1条1項 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。2項 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。3項 権利の濫用は、これを許さない。」/この2年、何度つぶやいただろうか。今日から一日一条味わいつつ・・・ ◆民法は附則を除き1044条。一日一条では1年で終わらない。「(解釈の基準)第2条 この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない。」/個人の尊厳と両性の本質的平等…以前から、胸が熱くなる条文だ。この条文のおかげで、この2年間、必死に民法を学んだ。◆ 今夜のNHK総合、22時~追跡A to Z「安売り競争は何をもたらすのか」。690円のジーンズ。299円のYシャツ!15円のコーラ缶。プライベートブランドは2兆円を超える市場。徹底した人件費抑制。経理は海外(大連~人件費は1/10)。「血を流さないだけで戦争と同じ」(店長)。 ◆まず価格ありきか。一見消費者にとってありがたいが。人件費削減⇒更なる低価格化…デフレスパイアラルだ。製造現場では~大手納豆メーカーの破綻の例。他のメーカー~3年前から格安PB生産。手は抜かない。効率化を徹底。借金して生産量を1.5倍に。5人⇒無人化。賃下げでも赤字←小売へ利益補填 ◆安売り競争で収入減のメーカーに勤める主婦はスーパーで格安のPBを買う。矛盾を感じながら。かつては「乗り越えれば希望がある」という夢があったというが今は違う。が、悪循環から抜け出そうという会社も。PB生産をやめた。無添加ソース製造販売。強みは他社に出来ない品揃え。商品開発力。営業力。原点回帰。 ◆@kei3top へ返信。頑張ってください。海老名市民として、技術屋として応援しています。ロボット展行きたかったのですが…今日で終了なのですね。残念。またこのような機会があったら教えてください。 ◆@r_peacehomeへ返信。 仕事辞めないでくださいね!! エッセイや日記読ませていただきましたがpeacehomeさんのような方が、peacehomeさんらしく、時にドタキャンしながら、ゆるりといい仕事をすることが必要なんです。何の力にもなれませんが、遠くから応援していますよ!! ◆何も考えないで、お気に入りの焼酎のお湯割りをユックリ味わっています。あ~~幸せだな。NHKで木村政雄さん(吉本興業でやすきよを育てた)が語っている。お勧めの小説は三島由紀夫の「金閣寺」。昭和25年の見習い僧の放火により焼失。三島由紀夫は6年間も取材したんだ!!そして木村さんの卒論は「三島由紀夫論」。目が冴えてしまった。が、就寝。
2009.11.29
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今、仕事関係では電気自動車に一番興味があります。電気自動車の「命」は電池です。化学屋として電気化学会はこれからますますお世話になる学会です。第50回電池討論会(以下に案内コピーしました)にも参加します(若手を送りますが)。主催 本会電池技術委員会 協賛 日本化学会ほか日 時:11月30日(月)~12月2日(水) 場 所:国立京都国際会館(京都市左京区宝ヶ池) ☆討論主題 1.電池、燃料電池の反応機構、2.革新的電池、燃料電池とその材料、3.車載用二次電池と低コスト大型二次電池、4.燃料電池の高耐久化と低コスト化、5.第50回記念事業(国際セッション):International Session on Battery Technology for the Next 50 Years:::::::::::::::::::::::::::::こちらも覗いてみてくださいね ツイッター始めました。 ↓ ↓http://twitter.com/numa_innovation
2009.11.22
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お久しぶりです! ここ2年間、土日を仕事とちょっとはなれた研究会活動に充てていました。 今月やっと一段落。久々ののどかな休日。いいですね。 また忙しい日々が始まりますので、twitterでやっていること、気付いたことなど書いていきます。 覗いてみてくださいね。 http://twitter.com/numa_innovation twitter:今日の2番目の書き込み: 今日の楽しみ・・・「藤沢能」:狂言「佐渡狐」三宅右近・三宅右矩・三宅近成、 能 「清経」梅若玄祥(六郎改め)・川口晃平。 湘南台文化センター、16時開演。 会社の入社5年目、新入社員といった若手が三人参加。嬉しい。 鑑賞後は余韻を味わいつつ8名で飲み会。これまた楽しい!
2009.11.21
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23日の日記(平塚の部分日食)にmixiの友人のマッキーさんがコメントをくれました。 「残念ながら見ることができませんでした。 26年後、見てみたいです。 58歳になっていると思います。 まだ、バリバリ仕事をしていると思いますが… 3年後の金環食はぜひ、見える地域、関東に 行って見てみたいと 思っています。 」さて、私にとって今から26年前と言うと、34歳。とてつもなく大きな仕事上の問題に遭遇し、もがき苦しんでいました。何日も眠れない夜が続きました。低温実験室に何日も閉じこもっての実験で、初めて痔になりました。逃げてしまう上司。僕は、逃げるなんてことを考える時間もなく、原因究明、対策構築に没頭していました。でも不思議なもんですね、七転八倒しているうちに、針の先程の光が見えてきました。原因も分かってきました。そうなると後は早かったですね。市場での問題は解決してゆきました。私は研究部門でしたが、一緒に苦しんだ事業部門とはその後も熱い仲間関係が続いています。原因究明の中で得られた教訓を生かした製品は、20年以上、今もヒットを続けています。原因究明で分かった基礎的なことは1985年の国際会議で発表することが出来ました。初めての海外出張でした(ギリシャ、アテネ。感激!)。あ~~、あの時、逃げなくて良かった…今つくづくそう思うのです。
2009.07.24
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神奈川県平塚市にある会社の屋上でじっと厚い雲を見つめていました。雲が動いていたので、ひょっとしたら、と期待しながら・・・15分くらい眺め続けていました。すると、一瞬雲が薄くなり太陽が見えました!!くっきりと欠けていました。肉眼ではっきりと。感動しました。諦めていたのでカメラは持っていませんでした。携帯で撮ったのですが、残念!、上手くおさまりませんでした。会社の友人の奥さんが撮った写真を送ってくれました。それがアップした写真です。11時32分撮影とのことです。
2009.07.23
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mixiの友人のYさんのコメントに返事を書いていたら長くなってしまいそうなので、今日の日記としました。 Yさんは、「山本周五郎は読んだことがないです。 ほとんどが長編なのかな?? 」と書かれています。「さぶ」にしても厚めの文庫本一冊。僕の好きな北方謙三の中国歴史物のようには長くはありませんね。 僕の一番のお勧め「ちいさこべ」(新潮文庫)には中編が4作収められています。中でも是非読んでいただきたいのが「花筵(はなむしろ)」です。今から書店に行って求めても、ランチまでには味わっていただけるかな。 Yさんのコメントの続き・・・ >>人間が成長するとはどういうことなのか。 >どういうことなのか知りたいですね、ほんとうに。 >年齢と成長が関係あるのかどうか、とか。 年齢と成長は…成長と言っても勿論内面的な成長ですが、う~~ん、必ずしも強く関係するとは言い切れませんね。 「さぶ」に戻りますが、実質的な主人公である栄二は「人足寄せ場」に流されて、僕らが敵わないほど大きく、深く成長しました。 心から人を許せるようになりました。二十代の前半でした。 僕など、この栄二の成長振りに深く感動してしまうのです。 通常の人は栄二ほどの経験はしないでしょう。 でも、日々の生活にあっても、様々な人間関係、子育て、仕事の成功、失敗、世の中とのかかわり・・・皆、経験を積み重ねてきています。ささやかなものから、とてつもなく大きいものまで、一つ一つの問題に、如何に向き合い、力を尽くせたか・・・勿論、いつまでも心に残る失敗、後悔はあっても乗り越えて今があるとすれば、皆、成長し続けている、つまり、「年齢と成長が関係がある」とも言えるかな。 声高に自らの経験を語らなくても、日々、健気に、ひたむきに努力を重ねる、精進を積む・・・これが大事なのかな、と思います。 ちょっと話しが飛ぶようですが、「革命」や「改革」を叫んでも、それが実現した世の中で、平凡な人々の健気さ、ひたむきさがなかったら、そんな世の中は永続しないと思うのです。 山本周五郎の小説を読んでいると、どんな時代であっても人間として忘れてはならないことが、静かにしみじみと伝わってきます。
2009.07.20
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wikipediaによれば、『さぶ』は山本周五郎の時代小説。 1963年1月から1963年7月まで週刊朝日に連載され、 1963年8月に新潮社から刊行された。 現在は新潮文庫に収録され(1965)、ロングセラーとなっている。 舞台化され、前進座や松竹の舞台で上演されている。また、テレビドラマ化もされた。 新潮社ホームページによれば著者の山本周五郎(1903-1967)は山梨県生れ。 横浜市の西前小学校卒業後、東京木挽町の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。 1926(大正15)年4月『須磨寺附近』が「文藝春秋」に掲載され、文壇出世作となった。 『日本婦道記』が1943(昭和18)年上期の直木賞に推されたが、受賞を固辞。 1958年、大作『樅ノ木は残った』を完成。 以後、『赤ひげ診療譚』(1958年)『青べか物語』(1960年)など次々と代表作が書かれた。 文庫本カバーの裏側のあらすじにはこうある― 小雨が靄のようにけぶる夕方、領国橋をさぶが泣きながら渡っていた。その後を追い、いたわり慰める栄二 ―江戸下町の経師屋芳古堂に住み込む同い年の職人、男前で器用な栄二と愚鈍だが誠実なさぶの、辛さを噛みしめ、心を分かちあって生きる純粋でひたむきな愛と行動。 やがておとずれる無実の罪という試練に立ち向かう中で生れたひと筋の真実と友情を通じて、青年の精神史を描く。 私は、平成21年7月12日の日記に高田 郁著「八朔の雪 みをつくし料理帖」について書いた。 「八朔・・・」を読むきっかけは、帯の角川春樹さんの激賞の言葉「―山本周五郎の『さぶ』以来の感動! 十年に一冊の傑作に涙が止まらなかった。」とあったからだ。 たしかに「八朔・・・」には感動した。 そこで、何度目になるんだろうか、「さぶ」を読み返したのだ。 やはり「八朔・・・」よりは深く感動した。 余韻が今でも胸の底にある。 最後の2ページ、栄二の言葉を是非ご自分で噛みしめていただきたい。人間が成長するとはどういうことか、何度読んでも、その素晴しさが深く、静かに伝わってくる。
2009.07.18
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mixiの友達の日記に触発されて 「火鉢ビオトープ」を作ります!と書いて 2週間経ってしまいました。 今日は天気もよく、蒸し暑くありません。 そこで作業開始。 庭の片隅にちょうど良い場所を見つけ 僕よりも年を重ねた火鉢をセットしました(写真1枚目)。 この火鉢は直径が42cm、高さが32cmです。 母が大切に物置にしまっておいたのです。 硬質の赤玉土を何度も水ですすいでから底に敷きました。 めだかたちの隠れ家などもセットしました。 睡蓮を近所の島忠で買ってきました。1480円。 白い花が咲く予定です。 鉢から水面まで10数cmになるようにセットしました(写真2枚目) めだかは同じく近くのSATYで買って来ました。 1匹315円でしたが、10匹で525円! 10匹購入しました。 買ってきた袋のまま10分間火鉢の水につけ、水温に馴らしてから入れました。 気持ち良さそうに泳いでいます(写真3枚目)。 「ポンッ」という音とともに花開くという睡蓮の花。 楽しみです。
2009.07.12
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和歌山の親友から立派な桃が届きました。 美味い 味わいながら金曜の「いとこ会」について書き始めました。 4,5年ほど前から気の合ういとこ同士で始めました。 常連は男ばかり6人です。 僕には父方のいとこだけでも30人、母方を加えると39人、 全部集まるのは大変なのです。 半年に一、二回。 10日は、一次会は、 「菜処 梅の花」(同名のチェーン店とは違います) 銀座7-16-14、丸源53ビル4階 気のおけないお店です。 6時から9時過ぎまで呑み、食べ、かつ大いに語り合いました。 二次会は、 「涼賀・雀ノ宮」 銀座8-7-11、ソワレ・ド銀座第2弥生ビル5階 もと歌手の落ち着いたママと、素敵な女性が3人 客は当方3名と(他の3名はフライト、出張、ゴルフで1次会まで) 中年の紳士1名のみ。 ここでは4名で順番に歌いまくりました。 僕が歌ったのは以下の通り。年代ものばかり。 君こそ我が命 悲しい酒 Love is over 霧にむせぶ夜 傷だらけの人生 ついてくるかい いつでも夢を(デュエット) お店を出たのは午前2時、海老名の我が家に着いたのは3時少し前でした。 子供の頃からの殆どすべてを知り尽くしている(と思っている)いとこ同士、 心から愉しい暑気払いとなりました。 (安心してお勧めできますのでお店の名前、住所を書きました)
2009.07.12
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誰にも負けないものづくりを目指している仲間達に 是非読んでいただきたい小説があります。 高田 郁さんの 『八朔の雪 みをつくし料理帖』 (ハルキ文庫、552円+税) あえて内容には触れません。 「十年に一冊の傑作に涙が止まらなかった。」(角川春樹)という 宣伝文句に目が留まったのが書店で手に取ったきっかけでした。 そのうたい文句は嘘ではありませんでした。 でも、もっともっと深い感動を味わいました。 読み進むうちに、いつの間にか、若かった頃の自分自身の ひたむきに研究、開発に打ち込んでいた時代の、 苦悩、絶望、そして希望、厳しくも温かい助言・・・ そういったものが浮かんできたのです。 ものづくりを目指している仲間だけではなく、 日々、一生懸命に生きようとしているすべての方々にお勧めします。
2009.07.05
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7月1日は、同志社大学ビジネス研究科のファカルティー研究セミナーを聴講しに京都まで出掛けました。 山口栄一教授(総合政策科学研究科)の講演を是非聴きたかったのです。 テーマは、「目利き力の本質―ブレークスルーのイノベーション理論」 血沸き、肉躍るお話しとはこういうものを言うのでしょう。 先生のポリシーは、「自分で考えたことだけをプレゼンテーションする」ということです。確かにこれまで聴いたり、読んだことのない内容でした。 長年、企業において研究に携わってきた私の疑問~企業における研究とは? 特に、従業員数が2000名程度(国内本体のみ)の中堅企業における研究活動は本当に必要なのか? 必要ならば、どのような研究を目指すべきなのか? どのような研究が、どのような仕組みが、風土がイノベーションを生み出すことが出来るのか? こんな疑問に見事に答えてくれました。 私の基盤は神奈川県平塚なのですが、この興奮を共有したくって、御堂筋の本社に出掛け、若き人事部長、頼りになる女性の教育担当課長、技術出身の教育担当課長と話し込みました。 時間内の話しでは足らず、近くの感じのよい酒房で9時まで語り合いました。 やはり本社からは、同じ技術系でも設計部隊の成果は目に見えるのだが、研究部隊の成果、研究活動がどのように製品開発に貢献しているのかは見えなかったようだ。 これは我々研究者の説明努力不足によるところも大きい。 反省!!するとともに、本社管理部隊、トップ層とのコミュニケーションを深めなくてはいけないな、そう思いました(技術部隊の中でも必要です)。 「今日お話を聞いて、わが社の技術、研究部隊に心から誇りを持つことが出来ました!!」 別れ際に、固く握手しながらそう言ってくれた若き人事部長の輝く目に少しホッとしました。 :::::::::::::::::::::::::::::: 【先生の著書のご紹介;出版元のNTT出版のHPより】 『イノベーション 破壊と共鳴』山口栄一 著(NTT出版) 発売日:2006.02.23 定価:2,730円 サイズ:四六判 ISBNコード:4-7571-2174-1 《この本の内容》 膨大なインタビューに基づくケーススタディを通して「パラダイム破壊型イノベーション」という新しい概念を提示する。 『イノベーションのジレンマ』に挑む意欲的な一冊。 《目次 》 第1章 「戦後日本」とは何だったか 1 チャレンジ精神の喪失 = 戦後日本の第一の病理 2 縮む社会に右往左往 = 戦後日本の第二の病理 3 地方を萎えさせた地方政策 = 戦後日本の第三の病理 4 「戦後日本」からどうやって脱出するか 第2章 イノベーションの構造 1 クリステンセンの議論とその誤謬 2 パラダイム破壊型イノベーション 3 イノベーション・ダイヤグラム 4 イノベーション・ダイヤグラムの例 = レーザー 第3章 ケース・スタディ「トランジスタ」 1 トランジスタ 2 電界効果トランジスタ(MOSFET) 3 高電子移動度トランジスタ(HEMT) 4 イノベーション・ダイヤグラム 第4章 ケース・スタディ「青色発光デバイス」 1 パラダイム破壊 2 セレンディピティ 3 大企業は何をしていたのか 4 イノベーション・ダイヤグラム 第5章 未来をいかにして創るか 1 「パラダイム破壊型イノベーション」を生む組織の成 功条件 2 イノベーション・システムの崩壊プロセス 3 「パラダイム破壊」の拡張 4 二一世紀産業社会の構想 おわりに ******************** 『JR福知山線事故の本質 企業の社会的責任を科学から捉える』 山口栄一 著(NTT出版) 発売日:2007.06.01 定価:1,365円 サイズ:四六判 ISBNコード:978-4-7571-2196-6 《この本の内容》 2005年4月に起きたJR福知山線脱線事故について、事故被害者の手記と科学者の分析が、事故の根本原因をさまざまな角度から論証する。 事故は回避できた! 《目次》 序章: JR福知山線事故とは何だったのか 第1章:宮崎千通子の手記 第2章:どのように事故は起きたのか 第3章:社会から尊敬される会社になるために 終章:JR西日本は生まれ変われるか あとがき 《著者紹介》 山口 栄一(やまぐち えいいち) 同志社大学大学院ビジネス研究科(同志社ビジネススクール)教授。 北陸先端科学技術大学院大学・客員教授等を兼務。理学博士。 専攻は、イノベーション論、物性物理学、社会物理学。 1955年生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専門課程修士修了後、日本電信電話公社入社。武蔵野電気通信研究所、NTT基礎研究所主幹研究員などを務める。2001年、NTTを退職し、経団連21世紀政策研究所(理事長;田中直毅)研究主幹に就任。現在に至る。 著書に、当社『サイエンス型産業』(日本の産業システム?、分担執筆)、『試験管の中の太陽』(講談社)、『NHKスペシャルドキュメント;データマップ日本』(共著、NHK出版)等。
2009.07.02
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日本経済新聞に弁護士の中島茂さんが「リーガル映画館」を執筆されています(毎月最終月曜日に掲載)。 6月29日に取り上げられたのは『グッドナイト&グッドラック』 中島さんは「組織が一つの目標に向かっているとき、同僚がどれほどつらい状況にあるか気付かないこともある。後になって『あれが救難信号だったのか』と思い当たるものだ。」と書き始めます。 『グッドナイト&グッドラック』の主人公エドワード・マローは1950年代に全米で吹き荒れたマッカーシー旋風のなか反共運動と戦い続けたジャーナリストです。 マローはいかなる脅しにも動じない男です。だが、神経の細やかな同僚ホレンベックは反対派の攻撃記事に落ち込んでしまいます。 マローの励ましに「わかった。そうするよ・・・」と微笑んだホレンベックですが数日後自ら命を絶ってしまう。 中島さんは自らの体験も書かれています。 そうしてこう締めくくられました。 「私たちは皆、同僚の無言の救難信号に気付ける、人としての温かさを失っていないか、省みる必要があるのではないか。」 そのとおりです。 僕自身、反省だらけです。
2009.06.30
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Mixiの友人の6月13日の日記に、 「今年は火鉢を購入して メダカと睡蓮やらでビオトープを作る予定 」 とありました。 これはいい!! 僕もやってみることにしました。 火鉢ですが、家には僕より先輩の火鉢が物置に眠っています。 60年以上前に作られ、石川県・大聖寺~東京(4箇所)~神奈川(平塚→海老名)と我が家とともにありました。 幼かった頃、寒い朝など、火鉢の上に、両手両足で乗っかって 暖をとったことを覚えています。 勿論、家族揃ってお餅を焼いたり、父のお燗をつけたり、 思い出の詰まった火鉢です。 さて、狭い庭のどこに置き、どんな風に仕上げていったらよいのか、 試行錯誤のあとを日記に記してゆきます。 また、どなたか経験をお持ちの方は教えてくださいね。
2009.06.29
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金曜日の夜から、日曜日の明け方まで、大好きな作家 北方謙三の 『楊家将(上),(下)』,『血涙(上),(下)』を一気に読み返しました。 文庫化されています。是非一度読んでくださいね。 楊家軍の強敵である、遼の名将・耶律休哥将軍も主人公の一人と言っていいでしょう。 神出鬼没、白い毛をたなびかせて北の土漠を疾駆するこの男は、「白き狼」と恐れられていた。意のままに動く赤騎兵を従えた「白き狼」… 僕はこの「白き狼 耶律休哥」に物凄く惹かれるのです。 調練に調練を重ねて意のままに動く赤騎兵。 その調練の激しいこと! 多くのけが人は勿論、死者が出ることからも、 如何に真剣かが伝わってきます。 僕自身、初めて課長になった頃、あるいは部の総責任者になった頃、「白き狼 耶律休哥」のように厳しく部下達に接したことがあったな… そんなことを思い起こしながら、読み返しました。 今は、大きく、ユックリ、きめ細かく、若い仲間達を育てようとしていますが、心の奥底には、まだくすぶり続けている熱いものをふと感じるときがあります。 以下に、PHP研究所のホームページの解説を引用しました。 ******************************* ◆『楊家将(上)』PHP文庫 【PHP研究所ホームページの解説から引用】 中国で「三国志」を超える壮大な歴史ロマンとして人気の「楊家将」。日本では翻訳すら出ていないこの物語が、作家・北方謙三により新たなる命を吹き込まれ、動き始めた。 物語の舞台は10世紀末の中国。 小国乱立の時代は終わりを告げ、中原に残るは北漢と宋のみ。 楊家は北漢の軍閥だったが、宋に帰順。やがて北漢は滅び、宋が中原を制する。 その宋の領土を北から虎視眈々と狙うのが、遼という国。 強力な騎馬軍団を擁するこの国は、宋の一部であった燕雲十六州を奪い取り、幼い帝を支える蕭太后の命により、南下の機会を窺っていた。 奪われた地を取り戻すのは宋王の悲願――。 外様であり、北辺の守りを任されている楊家は、遼との血戦で常に最前線に立たされる。 楊家の長で「伝説の英雄」として語り継がれる楊業と七人の息子たちの熱き闘い。 苛酷な運命のなかで燦然と光を放った男たちを描き、第38回吉川英治文学賞に輝いた北方『楊家将』、待望の文庫化。 ◆『楊家将(下)』PHP文庫 【PHP研究所ホームページの解説から引用】 国境を挟み、宋遼二国は一触即発の状態に。 宋の北辺を守る楊業と息子たちの前に、遼の名将・耶律休哥が立ちはだかる。 神出鬼没、白い毛をたなびかせて北の土漠を疾駆するこの男は、「白き狼」と恐れられていた。意のままに動く赤騎兵を従えた「白き狼」の出現に、さすがの楊家軍も、思うように動けない。 楊一族を苦しめたのは、敵将ばかりではない。 力はあっても新参者の楊業に対し、宋軍生え抜きの将軍、文官たちが、次々と難問を突きつける。建国の苦悩のなかで、内なる戦いも始まっていたのだ。 運命に導かれるように戦場に向かう男たち。 天はいずれに味方するのか。滅びゆく者たちの叫びが切々と胸に迫る。 最後の場面のためにそれまでの850枚があったかと思わせる感動のクライマックス。 この先を読みたい、との読者の熱い要望に応え、著者は現在、続編「血涙」を執筆中だ。「水滸伝」に勝るとも劣らない英傑たちが活躍する北方『楊家将』、怒涛の後編。 ◆『血涙(上)新楊家将』PHP文庫 【PHP研究所ホームページの解説から引用】 宋建国の英雄・楊業の死から2年。 息子たちに再起の秋が訪れる。 宋国と、北に位置する遼国は、燕雲十六州の支配をめぐって対立。かの地を手中に収めたい宋の帝は、楊業の息子で楊家の長・六郎に楊家軍再興を命ずる。 かつて味方の裏切りに遭い、命を落とした父への思いを胸に秘め、立ち上がる楊家の男たち。六郎は、父が魂を込めて打った「吹毛剣」を佩き、戦場へ向かう。 対するのは強権の女王・蕭太后率いる遼国の名将・石幻果。 天稟の才を持つこの男は蕭太后の娘婿で、「吸葉剣」という名剣を佩いていた。 その石幻果が父とも慕うのが、「白き狼」と怖れられる遼国一の猛将・耶律休哥。楊業を斃した男である。 戦場でま見えた六郎と石幻果。 剣を交えた瞬間、天を呪いたくなるような悲劇が幕を開ける。 軍閥・楊一族を描いて第38回吉川英治文学賞に輝いた『楊家将』の続編でありながら新展開。『水滸伝』『楊令伝』に登場する宝刀「吹毛剣」の前史がここにある。 ◆『血涙(下)新楊家将』PHP文庫 【PHP研究所ホームページの解説から引用】 闘うことでしか生きられない者たちに勝敗を決する秋が来た。 楊家の男の証である「吹毛剣」を手に戦う六郎に、父楊業の魂が乗り移る。 その剣に打たれたとき、遼国の名将・石幻果の記憶がにわかに蘇る。遼国に忽然と現われたこの男は、かつて宋遼戦で落馬し、記憶を失い、遼国に連れ去られた北平寨の将だった。 過去を取り戻した石幻果は二つの人生を抱えてしまった運命を呪い、苦悩する。そんな石幻果に今を生きることを決意させたのは、父とも慕う耶律休哥である。 一方、戦場で石幻果と出逢った六郎も、石幻果に既視感を覚える。不安を抱きつつ石幻果に近づく六郎。予感は的中した。 運命に弄ばれる男たちの哀しみを描く慟哭の終章。綾なす人々の憎悪と哀しみが交錯する衝撃の結末。乱世の終わりを彩る壮絶な物語が、今静かに幕を降ろす。 『水滸伝』に登場する青面獣楊志、楊令が佩く宝刀との奇しき因縁も明らかになる「北方楊家将」完結編。 *******************************
2009.06.28
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「世界で戦えなくては将来はない。」 技術屋は、当然、そんなことは分かっているのでしょうが、 日々の忙しさにかまけて、国内外の技術文献をしっかりウォッチする時間がないようです。 そんな訳で、私も忙しさでは若手中堅に負けないのですが、時間を見つけ、国内外の文献を読み漁り、社内に発信しています。 一昨日は、5,6月発行の国内発行雑誌を30冊ほど読んで、 これは注目に値する!と思う報文を140報程まとめて発信しました。 仕事がら化学系記事が多いです。 いくつか紹介しますね。 1)“化学経済”56(6)90 に掲載されていた連載ものです。 ・『M&Aでたどる転換期化学工業の軌跡(連載34) PPG,塗料グローバル化に活路…塗料産業界揺るがす2大大型買収』 オランダ一の塗料会社AkzoNobelが英国一のICI塗料部門を買収し 驚いたのも束の間、自動車用塗料では世界一の米国PPG社が オランダSigmaKalon社を買収しました。 SigmaKalonは欧州建築用塗料市場で第2位の企業です。 AkzoNobelもICIもPPGも世界のトップ5の大企業です。 グローバル戦略のもと、着々と行動を起こしています。 国内各社も負けずに考えていますが… 2)“金属”79(6) ・特集2『Webで見る異分野・異業種の技術開発 2009』 業種別に各社の新刊技報の材料分野の論文題目一覧表が 掲載されています。 顧客、ライバル各社からどんな技術が出ているか一目瞭然。 各社発行の技術誌は殆どWebで閲覧できます。参考になります。 3)“日本レオロジー学会誌”37(2) ・『計算機レオロジー特集『(すべて英文) 「粗視化分子動力学によるポリマーブレンド界面のシミュレーション」など8報。 ウ~~ン、難解! 読むのに骨が折れました。しかし、同じく “日本レオロジー学会誌”37(3)129 ・「触動作の特徴抽出による化粧品の使用感評価―毛髪ブラッシング 動作の解析―」はとっつき易いです。 ブラシ、手ぐしの感覚といった従来の官能評価に代わる 客観的な触感の評価手法を開発するための研究が行なわれるようになってきました。 本報は毛髪の触感の新たな評価手法を構築することを目的としています。 参考になりそう。次の ・「穏やかに架橋したPDMSゲルの粘弾性挙動」(英文)は面白い。 架橋反応を示すモノメチルシリル(HMeSi)基とビニル基を持つ2種の ポリジメチルシロキサン(PDMS)プレポリマー混合物に対して、 50℃にて動的粘弾性測定を行い、種々の反応時間におけるG,G’の角周波数 (ω)依存性を調べたものです。 ゲル化(架橋)の過程の考察が、ミクロ、ナノの世界をあたかも見てきたようで、 実に興味深かった。興奮しました。 発信したとたんに、若手が尋ねてきて話し込んでいきました。 遠隔地にある事業所からは本文PDFの要求が何件もありました。 来週は外国の雑誌から選んだ注目報文をまとめて発信するつもりです。
2009.06.27
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僕にとって、初夏の訪れを知らせてくれるのはモジズリです。 今年も、今週の初め、6月1日に会社の芝生の片隅に 元気な姿を見せてくれました。 僕にとっては、忘れがたい思い出の花です。 モジズリといえば、 『みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに』 を皆さん思い起こされると思います。百人一首にも選ばれていますね。 詳しい人によれば、モジズリとこの歌のもぢずり(もじれ乱れたような模様)は同じものではないとのことです。 でも、20年以上前の僕にとって、乱れる心は、まさにこの花の姿のようでした。 手許の、『原色牧野植物大図鑑』(北隆館)にはこうあります。 「和名捩擢(もじずり)は花がもじれて、巻く様子からいう。」
2009.06.05
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おはようございます今朝、会社の窓から虹が見えました。神奈川県平塚市です。久しぶりでした。左側の7階建てのビルが今年入社したフレッシュマン諸君、諸嬢が胸を膨らませて実習している研究棟です。何かいいことがありそうな…
2009.05.29
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今朝のコーヒータイムに、何がきっかけだったか、母が父からの手紙を見せてくれた。母が小学生のときに祖父から贈られた綺麗な木箱に大切に収められている。その内の一つを読ませて貰った。昭和20年8月7日の日付、終戦の一週間前だ。兵庫県尼崎にあった住友プロペラ製造所で父と母は出会った。母は女学校から、父は大学の工学部から、学徒動員できていたのだ。手紙には、輝く笑顔で一生懸命に働く母の様子が生き生きと書かれていた。重苦しい時代に、母は職場を明るく元気にしていた。24歳の父の字は達筆で丁寧だ。内容も誠実さが溢れるものであった。読み進むうちに、不覚にもこみ上げる涙をとめることが出来なくなってしまった。父と母は昭和23年3月結婚。母は女子大を中退して石川県大聖寺に嫁いだ。私は翌、昭和24年1月に生まれた。父は平成4年に亡くなった。今朝のコーヒータイムは母の輝いていた時代を思い起こすきっかけになった。確実に母はいつもより生き生きとしている。
2008.12.28
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朝日新聞の読者投稿欄『声』(2008.12.19)にこんな投書を見つけました。文章は多少省略しましたが、以下引用させていただきます。::::::::::::::::::::::::::::::::::::“「痴漢」と因縁 証言で助かる” 52歳の男性投稿者は大阪市内で地下鉄に乗り込み、ドア近くに立ったところ、中年女性が強引に割り込んできた。車内は空いていたのに体ごと当たられ、むっとした投稿者は少し押し返した。女性は「痛い。痴漢で訴えるで」。 痴漢でっち上げのことが頭をかすめ、投稿者は途方に暮れかけた。 そこで、すぐ近くにいた若い女性が「見ていましたが、この男の人は痴漢なんてしていませんよ」と言ってくれた。中年女性は「今、この男と話している。第三者のあんたは関係ない」と怒鳴っても、「いえ、第三者だからこそ、ちゃんと証言する必要があるのです」と毅然と言い返した。 3人で次の駅で降りて話した。最終的には因縁をつけた中年女性は捨て台詞を残して去った。:::::::::::::::::::::::::::::: 私も満員電車を使うことが多いのです。「痴漢でっち上げ事件」がいつも頭をかすめ、気を遣います。 痴漢は絶対許されません。 しかし、痴漢でっち上げも絶対許されません。いったんでっち上げられたら、無実を証明するのはきわめて困難なことは、これまでの報道、映画などでよく分かります。 今回の投書に登場した若い勇気ある女性は立派です。感動しましたので紹介させていただきました。(朝日新聞さん有難う御座いました)
2008.12.20
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13日、土曜日の夜、妻が夢中になってTVを見ていた。NHKの「アサギマダラの“心”に迫れ~謎のチョウ 1500キロの旅~」途中からであったが、私も夢中になって見た。「あれっ? 僕の速読法の先生、栗田先生にそっくりだ。」それもその筈、栗田昌裕先生その方であった。栗田先生についてはホームページをご覧ください。http://www.srs21.com/(先生の主催されている速読法のSRS研究所のHPです)栗田先生には数年前、一泊二日の速読法の講座でお世話になりました。以来、日々の仕事で実践させていただいています。仕事柄、文献・文書を沢山読まなくてはならないので大変助かっています。心から感謝しています。その尊敬する先生が、渡りをする蝶、アサギマダラの研究家でもあったとは!!先生は、元々東大理学部の数学科でドクターコースを経て、留学もされ、今は内科医としても活躍されている。著書も100冊以上…先生の速読力は実際に拝見したが超人的です。数学に、医学に、それにマジックも凄い!!そしてアサギマダラだ。まさに天才だな~と、心から思った。世の中には「天才」が実際にいるんだな。しかも先生は、優しく、一生懸命に教えてくださる。冷たいところがまったく無い。それはNHKの放送にも見事に表われていました。皆さんも、再放送がありますので是非ご覧になってください。「NHKオンライン」から引用させていただきます。************* 以下「NHKオンライン」から引用 *************アサギマダラの“心”に迫れ ~謎のチョウ 1500キロの旅~■ 本放送予定:総合テレビ 12月13日 (土) 午後 10:40~ ■ 再放送予定:総合テレビ 12月19日 (金) 午前 3:40~ (木曜深夜) 毎年、秋になると日本列島を北から南へ渡り鳥のように移動する不思議なチョウがいる。体長10センチほどの可憐な姿のアサギマダラだ。夏、東北や中部地方の高原で生まれアサギマダラは、9月に入ると山間地を転々と移動しながら、野原や民家の庭に咲くフジバカマの花に降り立つ。やがて太平洋側の沿岸部へ移動すると、一気に海を渡り、1500キロも離れた南西諸島をめざして長く過酷な旅を続ける。なぜアサギマダラは海を渡るのか。その小さな体のどこにパワーがあるのか。番組は、そんなチョウの不思議に魅せられ、福島県裏磐梯から奄美諸島・喜界島へと旅を続ける医師・栗田昌裕さんを追い、「チョウが現れる現場」にカメラを据える。栗田さんは、なぞに満ちた移動ルートを解明する手掛かりにしたいとマーキングをして放した蝶と海の向こうでの「再会」を期待する。果たしてその結末は・・・。夏から晩秋まで、旅するチョウと向き合いながら自然の奥深さ、不可思議さに思いをめぐらす人々を追う。
2008.12.14
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昨日は父の十七回忌の法要を営みました。住職さんのお話で、住職さんが尊敬する坂村真民さんのことを知りました。住職さんは会いに行きたかったそうですが、坂村真民さんは2006年(平成18年)12月11日永眠されました。享年97才でした。住職さんのお話しで心に残ったところを紹介します(不正確な点はお許しください)。 坂村真民さんは、毎日午前零時前に起床され、打座し、称名し、念仏し、詩作されました。鳥達が目覚めさえずり始める三時過ぎには、庭に出て「暁天祈願」を行われました。真民さんは、庭の大きな朴の木に身を預け、「木の音」に耳を傾けていらしたそうです。大木の幹の中を大地から吸い上げられた水が昇ってゆく。その音を聞きながら、真民さんは自分はこの自然の中に生かされているんだな、と毎日実感されたそうです。 そうして、真民さんは人々の平安を祈り、家族の無事を祈られたのです。昨日はじめて坂村真民さんのことを知ったのですが、沢山の詩集を出されています。 早速何冊か求めました。(引用させていただきたいのですが著作権上問題があると思い控えさせていただきます。)真民さんの詩は確かに素晴らしいのですが、私が共感したのは未明(深夜?)の自然との交わりです。夜型から朝型に変えた私も真民さんほどではありませんが、「あ~この地球に生かされている。嬉しいな~。ありがたいな。」って実感するのです。朝の清々しい空気の中で。そんな訳で、明日からはもっと早く起きようと思っているのです。
2008.09.29
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前のFRB(日本の日銀に相当)議長のグリーンスパンさんは、「50年以上か、百年に一度の事態が米国で起きつつある。」と言っています。日本では9月の3連休の間に、米国の4大証券会社の内の一つが破綻、一つが買収され、最大の保険会社が経営不安に陥ったのですから無理はありません。アメリカで仕事をしている友達とメールのやり取りをしました。 :::::メールのやり取り(私のメールの抜書き)::::: 今朝9/17、NHKラジオの「経済展望」で、慶応大の金子教授(小泉さんの政策を猛烈批判)が日本は危機感が足りない!!と言っていました。 実は私自身にも、「対岸の火事」といった感が正直言ってあります。 > すでにご存知と思いますが、GMはかなり良くないですね・・・ その通りですね。 でも、GMには抜本的に直さないといけないところがあるようです。 この点については、GMに請われて4年間、GMで苦闘した方から直接お話を聞きました。 少なくても、トヨタの方がこの点に関する限り強いようです。 また、お会いした際にお話しますね。 > 国を代表する企業が破綻したら・・・個人消費は凍てつくのではないか・・・これが私の心配。アメリカが凍てつけば、日本も風邪を引かないか・・・ 本当にその通りですね。 しかし、どうしたらよいのか… > アメリカに住んでいる友達数人より、メールで盛んに色々な情報を送信してもらってます。老後のお金を少しでも増やそうか・・・と、ポートフォリオ組んで、何割かを株に向けています・・・私はあまり冒険をしないので、大して損もせず、まあ増やすというより遊びなんですけどね・・・ > > 経済を読む一環で楽しんでいるようなものです。 すごいですね。でも、大切なことだと思います。 > しかし、アメリカに元気をなくされて、元気でいられる国なんて、無いですよね。持ち直してくれないと。 ここで何か日本として出来ることはないかな? 今朝の新聞で、BASFがチバを買収したと報じられていました。 1兆円を費やしたそうですが。 ICIを買ったAKZOといい、ヨーロッパ勢のほうがしたたかなようです。 :::::私の第2信:::::> ヌマちゃんのメール読んでいて、2回も・・・ お疲れのところ申し訳ありません。 > ”どうすればいいのか” ”日本には何ができるか・・・” と考えているところに敬服…と書きましても、金融当局の幹部ではありませんし、大上段の構えで 出来ることはありません。 でも、GMとトヨタをじっくり観察するだけでも、トヨタの 堅実さ、したたかさ(日本企業にも「したたかさ」ありました!)を感じるのです。 GMからは現状をブレークスルーする技術、商品は出てきません。 アドバルーンは時々揚がるのですが… 一方のトヨタは、ハイブリッド専用車を最も得意とする小型車に設定し、成功した。 私も実際に恩恵を受けていますが、20~24km/Lは走ってくれる。 加速もいいしスピードもちゃんと出る… トヨタはちょっと…という私でしたがプリウスには満足しています。 トヨタはハイブリッドだけではありません。「トヨタ技報」を読めば、 燃料電池車だって他社よりはきちんと研究、開発していることが伝わってくる… そしてトヨタのしたたかさかなと思うのですが、 「トヨタは大企業病になりかかっている!」と自分自身に言い聞かせて、常にカイゼンを繰り返しています。 もう一つ、私自身「日本もまだ救いがあるな」と思っていることがあります。 それは、脈々と伝承されている「中小企業の技術力」です。 マスコミにもよく登場する岡野社長の会社(痛くない注射針)は有名ですが、 最近の新聞でプリウスの心臓部に関わる部品を供給している中小企業の紹介記事を読みました。 トヨタの副社長も「その技術が無ければハイブリッドは実用化できなかった」とまで賞賛していました。 この中小企業の底力は、中国、アジアの国々には「今はまだありません」。ヨーロッパやアメリカではどうなのか分かりません。 個々の技術は「金型」や「鯖江のメガネフレーム加工技術」のように韓国、台湾そして中国にマスターされる危険性が大きいです。 しかし、中小企業のネットワーク、「総合力」はたいしたもんだと思います。 私の会社も「大きな中小企業」だと謙遜ではなく、いい意味でそうありたいと考えています。 しっかりと足元を大切にして、かつそれだけではダメで… そこで「技術系人材教育の責任者」である私の出番というわけです。 実際の研究・開発の現場を離れたときは実にさびしかった!! しかし、今はむしろそのときよりも、自分らしさで、より会社に貢献できるかな、と思っています。 私自身は、大層なことは出来ませんが、一企業の人材・教育責任者としてブレークスルー出来る人材をきちんと育てる! これが自分に出来ることかな。
2008.09.18
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一つ前の日記で、新人達が確実に成長している様子を報告しました。 こんなメッセージが寄せられました、 「ぬまちゃんのご指導の賜物ですね。 それを、一人で大きくなったと過信する若者は。。。ですね。 」こんなメッセージも、 「人が成長するのを身近に見ることができる・・・ 管理職冥利というのかな、人の成長ほどうれしいものはないでしょうね。 日本が元気なくなっているような気がしてなりません。大人の責任は大きい。 意欲的な若者を育てるべきです。 」 僕はちっともうまく指導しているなんて思ったことはありません。毎日試行錯誤の繰り返しです。 以下のような返事をしました。**************返信 その1**************☆☆さん 最近、割とうまくいっているなって思うんだけど、 なんて言うか、新人に対しているときの気持ちが、 息子達が小学生の頃かな、サッカーやキャッチボールを 汗をかきながら、無心で、全力でやっていたときの心持ちに 近いんだよね。 感情を結構出します。 叱ります。 でも彼らに負けずにビールを飲んで語り合います。 時々論理的ではなくなっているかもしれないけれど、 スジを通す、ブレない、裏切らない 叱る、 背中を叩いてハッパをかける・・・ とにかく格好をつけず「夢中」でやってます!! **************返信 その2**************○○さん こんばんは!! >人が成長するのを身近に見ることができる・・・ 管理職冥利というのかな、人の成長ほどうれしいものはないでしょうね。 本当にそうですね。 つくづく思うのですが、幼稚園から大学、人によってはドクターコースまで、 彼らは本気で叱られたことが無いのかなって思うのです。 いじめられたり、いびられたりはしても・・・ 今時、海外展開が急激に進み、即戦力が欲しい時代に じっくり一年かけて、異なる3職場でみっちり実習させる、 プレゼン研修や、合成樹脂講座、統計手法講座等々を受けさせ 試験で理解度を見極め、ダメな奴には何度も追試を・・・ 社長始めトップから何とか3ヶ月に、いやせめて半年に、 という強い要求、圧力はあるのですが、粘り強く説得し、 納得してもらっています。 絶対譲れない、怒鳴られてもひるまない・・・ そういった息詰る、冷や冷やする場面を新人諸君は間近に見ています。 だから、私が叱ったり、きつい課題を課しても、 ひねくれず、いい方向に伸びって行ってくれているのかな、って 勝手に思っています。 >日本が元気なくなっているような気がしてなりません。大人の責任は大きい。 意欲的な若者を育てるべきです。 カッカする肌の熱が伝わってくるような指導をこれからも心がけたいなって思います。 嬉しいこと・・・ 技術系新人の2割が女性ですが(もっと増やしたい!!)、ひたむきさ、一途さという面では、男子よりすごいなって感心しています。
2008.09.07
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