本題に入る前に、当拙い日記にリンクをはっていただきました。
自分が前に勤務していた時、同じ部署だった方のブログです。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/index.htm
こちらのほうは私の妄想と違い、大胆な仮説を正攻法にて検証されていますので、おすすめです。
私のほうは、まだまだ妄想の域を出ていませんので、どんどん修正します。ご意見待ってます。
ところで本題
古事記と日本書紀ですが、自分なりの比較見解を述べてみたいと思っています。
1.紀伝体と編年体
ざっくりですが、古事記には 紀伝体 の名残、日本書紀は 編年体 の代表という分け方ができると思います。
古事記が日本書紀と比べ、史書として取り上げられる機会が少なめなのは、年代表記がないに等しいからかもしれません。
このわけ方にはお叱りをうけそうですね
2.日本と倭
日本書紀は「日本」の歴史ですから、「倭」という表記はあまり見受けません。(例:日本武尊)
一方、古事記は 日本書紀に反発するがごとく、「倭」の表現を多用しています。(例:倭建命)
私見ですが、これは双方意地の張り合いのようなもので、どちらにも弱点があり、どちらにも正当性があると思っています。
つまり双方比較して、ここの表記は「日本」が正しいのか「倭」が正しいのか吟味する必要があると考えます。
3.なぜ古事記は推古天皇で終わっているのか?
古事記は日本書紀に8年先立つこと712年成立とされます。
片桐樹童氏という方の書いた「古事記呪術変」では、こずるい舎人親王が元明天皇の様子を伺うためにわざと責任者を太安万侶に譲り、これはいけると判断した段階で日本書紀の責任者を引き受けたとしています。
これは閑話休題ですが、日本書紀は天武天皇の事績を大々的にクライマックスとしているのに対し、古事記は80年以上前の推古天皇でとどめています。
(ちなみに私見は推古天皇はもう少し後の年代だと考えます。皇極・斉明天皇と同一人物だと思っているので、660年くらいまで生きていたはずです・・・まあそれでも50年前ですね)
このことが、「倭国」は推古天皇で終わったことの有力な根拠のひとつになると思います。
4.古事記はすべて「倭国」の記録か?
と、いいきれるでしょうか?
ヤマトタケルは「日本武尊」と「倭建命」とどちらが正しいのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421216084
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヤマトタケル
どうもこうして検証すると、この件に関しては「日本」に分がありそうですね。
だからといって、ヤマトタケルが2世紀に実在し、そのころから「日本」という国が存在したということにするのは、かなりムリがあるような気がします。
5.じゃあ「日本」っていつから?
旧唐書には
http://ja.wikipedia.org/wiki/旧唐書
とあります。
賛否両論あります。
ただ「魏志倭人伝」は大騒ぎして鵜呑みにしていますが、旧唐書はあまり大々的にはとりあげられません。
国家の成立というかなりナーバスな部分で、難解だからでしょうか?
今日はこのへんで
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