2009/02/24
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カテゴリ: 古代史系の妄想

こんにちは

今日は「白村江」についてです。

私はそろそろ50の坂にさしかかります。

人生50年といわれたのは織田信長の時代だとしても、やがてくるだろう「お迎え」 を意識することが多くなりました。

年の話をしたのはほかでもありません。

私は歴史で「白村江」を「はくすきのえ」と習いました。

今は違うそうですね????

http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2001_06.html

それからこちらの方の

はじさらしな日記も面白いです

http://yaminabe-bugyou.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_b761.html

なんか、権威ある 山川出版とNHKが口を揃えて「はくそんこう」にするといわれれば、従わざるを得ないのでしょう・・・・

読み方の話はこのくらいにして、私が今日言いたいのは、地名の読み方ひとつにもメスがいれられ、従来からの説がことごとく否定されているという現実です。

近年、研究がさかんになるにつれ、記紀はもとより、中国・朝鮮半島の歴史書も研究比較対象になり、権威的な観点より現実的な観点が重視されてきているということです。

それから、663年の「白村江」の戦いは朝鮮半島で起こったできごとではないという説もかなりの方が展開されています。

http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/28218626.html

確かに「百済=くだら」という地名は大阪・奈良・宮崎・滋賀・熊本・山口・・・・西日本のいたるところに存在します。

従来これは、渡来人の集落のひとことであっさり片付けられてきました。

しかも、「白村江」の敗戦後どどっとやってきたとされます。

物理的に可能でしょうか?

たぶん多くの方は長い時間をかけて、少しずつ華僑のようにやってきたのだ!!と言うでしょう。

それって日本列島のあちこちに「百済」という集落が昔から存在した!!!と認めていることになりませんか?

いや、集落という言い方は非常に失礼かもしれません。

例えば、邪馬台国の時代は九州に多くの国々が存在し、その連合体の長が卑弥呼だったわけで、当時の「国」とは現在の「市区郡町村」程度の規模だったと思われます。

ずばり、古代から日本列島には「倭」や「百済」やらの小さい国々が多数存在していたはずです。

え?

朝鮮半島の2世紀から4世紀は「馬韓」で「百済」という国はそれ以降だぞ!!ですって?

そうなのです。

じゃあ、「百済」は4世紀以降に初めて 誕生した国としましょう。わずか200年くらいに西日本中にぞろぞろ渡来してきたとしましょう。

これって侵略になりませんか?

そんな記事、どこにもないですよね。

記事にないことを証明しようとするのはかなり難しいと思います。

素直に考えると、日本列島に点在していた「百済」人が朝鮮半島に移民し、馬韓と入れ替わったとしたほうが、時系列的に無理なく説明できます。

 それから、朝鮮半島にはすでに「百済」という地名は絶滅しています。

もちろん勝利国「新羅」にとって敵国であり、景徳王は地名を改名していますから絶滅したのでしょう。

日本は近代の「江戸=>東京」を皮切りに頻繁に行われていますが、(平成の大合併)以前はあの織田信長の「安土」を除き例を見ません。

くどくど言いましたが、西日本各地の「百済町」は最初から「百済町」であって、歴史の重みがあるからこそ、いまだに残っているのです。

話が大幅にそれました。

「白村江」は朝鮮半島である可能性より「日本列島」にあったと考えるほうが現実性があるのです。

ではまた 






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Last updated  2009/02/26 10:16:28 AMコメント(0) | コメントを書く


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