つれづれなる古代史妄想へようこそ
いままで日本書紀のあら捜しばかりしてきたような気がしますが、けして全否定しているわけではありません。
もちろん古事記も全否定していません。
両者を比較検討することにより、各々の編纂者がいったいどんな命令でどんな方針で編んでいったかがみえてくれば、真実に近づくのではないかと思っています。
1.「卑弥呼」という記述はなぜ日本書紀に登場しないのか?
いろいろあると思います!!!(天津木村風に)
a.「卑」という字を嫌った
b.すでに8世紀には本当のことがわからなくなっていた
c.神武天皇を辛酉即位に(紀元前660年)にし、ここから奈良県に日本の大和朝廷があったことにしてあるので、 240年ごろの倭国の女王とは関係がないので無視した。
実は、私が大学1年の時の担任教授が安本美典先生でした(ゼミでなく担任です)
実は先生の著書も私はオークションに出品してます
http://my.auction.rakuten.co.jp/rms/mya/mb/profile?uno=JmL5S0hoRg3
安本先生は心理学の権威であるとともに「邪馬台国」研究の第一人者でもあります。
安本先生は卑弥呼を天照大神とし、神武天皇はその政権を受け継いだ後裔としています。
ところで、卑弥呼を倭迹迹日百襲姫命とする説も多いです。
以前日本書紀はことごとく「日本」にした。
古事記は反発してことごとく「倭」 に置き換えなおした。と記述しましたが、
「 倭迹迹日百襲姫命」に関しては日本書紀が「倭迹迹日百襲姫命」
古事記では「夜麻登登母母曾毘賣命」
としておりめずらしく日本書紀が「倭」と認めている人物です。
古事記が「倭」を使わないのもそこも逆らわずにはいられない精神なのでしょうか?
とすると日本書紀は「卑弥呼」を「倭」の人物としましたが、女王とは認めず、一皇女、一巫女としたところにこだわりを感じます
神功皇后説
前述wikiより引用
『日本書紀』の「 神功皇后 ヤマト王権 が拠った畿内にあったことになる。
ちょっとこちらはきついですね。
神宮皇后には男弟がいたという話を聞かないのできびしいと思います。
武内宿禰を弟にこじつける説もあるかもしれません。
むしろ卑弥呼の宗女台与に近いような気がします。
wikiではその説はありません
http://ja.wikipedia.org/wiki/台与
たぶん、日本書紀編纂チーム内でももめたのではないでしょうか?
倭迹迹日百襲姫命派と神功皇后派で、
そして魏志倭人伝の時期と神功皇后時代を符合させるために、魏志倭人伝を神功紀に挿入し、
倭迹迹日百襲姫命派はあえて「倭」に文字を使い、こちらこそ「卑弥呼」であるといいたかったのだと思います。
あなたは誰だと思いますか?
ご意見いただけたら幸いです。
全部という意見もあると思います!!!
(ふたたび天津木村風です)
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