2009/03/13
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カテゴリ: 古代史系の妄想

こんにちは

性懲りもなく妄想しております。

こんな意見もあるのか? ってな感じで気楽に読んでください。

できるだけやさしい言葉を使うつもりですが、意味不明の単語についてはご質問ください。

今日は、古代女性の名前についてです。

古来、女性は、結婚をしようと思う男性以外には決して名前を教えないものである。とされてきました。

このことは、女性の名前が後の世に伝わりにくい現象を生んでしまった原因のひとつだと思います。

現代も、女性は気に入った男性にしかメアド教えないということと共通点があります。

ところで、日本の皇室には姓(苗字、厳密にいうと姓と苗字は違うのですが・・・・)がありません。

会社において「社長」とよべば苗字が不要なのと一緒で、「天皇」とよべば(よばないか?)苗字が不要なのは昔から変わっていないということです。

ところが、ご近所の国々の皇帝・王たちには姓があります。

北朝鮮の最高指導者の姓が「金」であることは、いうまでもありませんが、中国最後の王朝とされる「清」の皇帝の姓は「愛親覚羅(あいしんかくら)」でした。

これは、「易姓革命」といって、徳のない皇帝は廃止され、違う姓の皇帝がなるという、中国ならではの政権交代システムだったからです。

う、話がそれた。

つまり皇室の女性には姓がないかわりに「名前」があったのではないかと思います。

まさか皇后や皇女の名前を聞きたい(求婚)勇気ある臣下はそうそういないでしょうし、そのことが古来から皇室の女性の名前があきらかになっている理由だと思っています。

皇室を除くと、貴族クラスですら、平安時代くらいまで、だれだれの娘という言われ方をしてきました。(すがわらのたかすえのむすめ、きよはらもとすけのむすめ・・・などなど)

天智天皇の妃ですら、「姪娘」といういわれようです。

だれの姪?

日本書紀の記述からすると蘇我入鹿ではなさそうです。(姪娘の父、蘇我倉山田石川麻呂と入鹿はいとこ同士なので、おしい) 

ちなみに、天智天皇と姪娘との間の皇女が平城京を開いた元明天皇です。

天皇の母親の名前が「姪娘」 ってひどすぎませんか?

それとも、人にいえないような偉い人物だったのかもしれません。 

かねがね、このブログで言及してきましたが、日本書紀は一人の人物にいろいろな名前を与えています。

解釈のしようによっては、「別人ちゃう?」みたいな記述も多いし、なんで漢字がまちまちなの?というところもたくさんあります。 

蘇我入鹿は「林大臣」「鞍作大郎」とかたくさんあります。

そうそう、聖徳太子にいたっては、

上宮厩戸、厩戸皇子、厩戸皇太子、摂政太子、厩戸皇子、厩戸王、上宮王、豊聡耳、上宮之厩戸豊聡耳命、法主王、豊耳聡聖徳豊聡耳法大王、上宮太子聖徳皇、 厩戸豊聰耳聖徳法王

はいはいって感じです 。

ところで、同じ蘇我氏で、天皇の妃になった女性たちには、ちゃんとした名前をもつ女性も多く存在します。

堅塩媛、小姉君(これは2番目のお姉さんって感じかな?)、法提郎女、刀自古郎女(こちらは聖徳太子妃)

ということは蘇我氏って冗談ぬきに当時は皇室イコールだったていうことかもしれません。

でもなぜ「蘇我」という姓を与えられていたのでしょう?

大化の改新で蘇我入鹿が討ち取られる前と後で、違ってきているかもしれません。

入鹿の子孫が、「ご先祖入鹿は死んだが、我蘇り(われよみがえり)」とあとづけで付けた姓のようなきがします。

蘇我氏が天皇に匹敵する権力の持ち主だったことの裏づけにもなると思います。 

ちょっと妄想でした。 






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Last updated  2009/03/13 04:29:41 PMコメント(0) | コメントを書く


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