2009/03/14
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カテゴリ: 古代史系の妄想
こんにちは
古代史妄想コーナーへようこそ
本日は日本書紀の記述をもとに
古代天皇と宗教について、思いつくまま述べたいと思います。

私はたしか小学校の時、仏教伝来ごみや(538年)と覚えました。
日本書紀によると28代宣化天皇の時代です。
最近は552年説もあるそうで、その場合29代欽明天皇の時代になります。

なんで?(ザブングル加藤風に)

このころ、仏教派の蘇我氏と、神道派の物部氏+中臣氏との対立が始まります。


次の天皇からころころと支持宗教が入れ替わります。
30代敏達天皇=排仏(神道)
31代用明天皇=超仏教
32代崇峻天皇=排仏(神道か?)なので蘇我馬子に殺された
33代推古天皇=蘇我よりなので仏教か?
34代舒明天皇=皇居が百済宮といったのでまず仏教
35代皇極天皇(37代斉明天皇)=おそらく仏教
36代孝徳天皇=ぜんぜん仏教
38代天智天皇=ばりばり神道
39代弘文天皇=たぶん神道
40代天武天皇=たぶん神道でも皇后のために仏教

42代文武天皇=たぶん仏教
43代元明天皇=たぶん仏教
44代元正天皇=たぶん仏教
45代聖武天皇=奈良の大仏を造ったのでばりばり仏教
46代孝謙天皇(48代称徳天皇)=僧、道鏡と仲がよかったのでばりばり仏教

49代光仁天皇=回りが仏教だったので追随?
50代桓武天皇=お寺が嫌いになったので、反仏教で平安京に遷都
51代平城天皇=父桓武に逆らい、奈良に都を戻したので仏教?

ここで、疑問に思うのは、30代敏達から33代推古まで神道・仏教と、ころころ変わっていることです。
同じ王統だとしたら、海外ではありえない状態です。

いまだに聖地エルサレムをめぐって、イスラム・ユダヤ・キリスト教が争っているのが宗教なのだと思っています。

ここで私の妄想です。
たぶん天智天皇の前までは、「日本国」と「倭国」が併立していたのだと。
日本書紀はその「日本」「倭」の合併前の記録を縦につないだのだと。
そんな?
とお思いの方にひとつ、ご質問です。
601年に遣隋使を行いました。このときの天皇は推古天皇ということになっています。
ところが、隋の皇帝、煬帝を怒らせたあの有名な「日いずるとこ・・・」の手紙の主は、「あめのたりしひこ」でばりばり男です。
これは日本と倭の記録を縦につないだから、中国の歴史とずれたのです。
いかがでしょうか?







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Last updated  2009/03/15 09:33:03 PM
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