こんにちは
古代史妄想コーナーようこそ
今日は、天武天皇( 天渟中原瀛真人天皇) と敏達天皇( 渟中倉太珠敷尊) の共通点です。
ずばり 渟中 が似ています。
これだけ?
いえいえ。
たとえば、敏達天皇の最初の皇后は広姫、広姫亡き後、額田部皇女(後の推古天皇)ですが、
天武天皇(大海人皇子)は額田王(妃)との間に十市皇女がいます。(私見は十市皇女を天武皇女とは見ませんが・・・・)
敏達天皇崩御後、もがりの最中に物部守屋と蘇我馬子が大人気ない喧嘩をします。
一説によると、天武天皇のもがりの最中に草壁皇子と大津皇子とがもみ合い、草壁皇子にけがを負わせたため、うのの皇后の逆鱗にふれ謀反の罪をきせられ死刑になったという、もっともらしい説があります。
(
ちなみに敏達天皇の別名は 他田天皇 (おさだてんのう)です。
推古天皇は絶世の美女だったらしく、敏達天皇のもがりの最中に穴穂部皇子がいいよってきたり、蘇我馬子と関係をうわさされたり、とにかくもてたようです。
それって額田王にもあてはまります。
最初、大海人皇子の妃ですが、天智天皇に取られます。
ところで皇極(斉明)天皇の最初は用明天皇の孫高向王に嫁し、漢皇子を産み、その後舒明天皇に嫁したとされます。
この時代の皇女はあまりにも美女が多く、
再婚オンパレードだったのでしょうか?
ではなくて、一人の呼び名が時代や、記述者によって変化しただけではないでしょうか?
最後に敏達天皇は538年?生まれ-585年没
天武天皇は631?年生まれ-686年没
存在時期がちょうど100年開きがあります。
記紀編者がちょうど100年のときを超えて、同一人物の記録を分割したのです。
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