2009/03/21
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カテゴリ: 古代史系の妄想

天智天皇崩御説の根拠についてです。たしかに施基皇子の誕生の年齢からして58歳崩御説には無理があります。

現代でも50歳代で子供をもうける人は少ないほうですから(古代と比較すればグンと増えたでしょうが)

ではなぜそのような説が誕生した経緯はなんなのかという私の仮説ですが、 開別皇子を天智天皇としていないか16歳を崩御時の年齢とせず、舒明天皇即位時の年齢としている。

 という従来の通説に加えて、 新羅武烈王(金春秋)の崩御年齢が58歳であるということが挙げられます。

 もちろん金春秋は(602年? - 661年)になっていますがここでも602年?がつきます。

 ちなみに661年は斉明天皇崩御の年で、中大兄皇子の称制が始まった年です。

 このあたりが天智天皇=金春秋説を後押しする傍証になっているとは思います。

 逆に三国史記の編者は金春秋宝年58歳だけをしっていて、その治績がぷっつりきれる661年を崩御年としたために 602年を逆算したのかもしれません。

 私は種々の考察は天智=>施基の親子関係が崩れると総崩れになるので、ここは譲れません。

 となると671年に58歳で亡くなった説は否定せざるをえなくなります。

 川島皇子が657年生まれですから、やはり天智天皇は626年生まれが妥当だと思います。

 626年から58歳まで生きると682年くらいになり、天武天皇崩御年686年に近付きます。また妄想のネタが増えました。






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Last updated  2009/03/23 02:03:07 PMコメント(0) | コメントを書く


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