こんにちは古代史妄想へようこそ
昨日の続きを記述します。まず、天武天皇65歳崩御とすると、舎人親王は天武天皇55歳のときの皇子になります。
栄養のゆきとどいた現代ですら、55歳で子供を作るのは大変なことだと思います。
(中には楽勝という強者もいるでしょうが)
つまり天武天皇崩御時、舎人親王10歳ということになります。
そのせいか、どうも舎人親王は親不孝な行動が多いのです。
まず生涯、徹底的な藤原氏派だったこと。
天武天皇は藤原鎌足に恩義を感じていたのが通説ですが、息子不比等のことは無視です。
日本書紀の編纂責任者でありながら、あえて父天武の年齢を記載していません。
とどめは長屋王を死においやったことです。
長屋王は壬申の乱時に天武の心強い味方であった、高市皇子の息子です。
舎人親王の最期は流行病の天然痘です。
この病気は、長屋王を死に追いやった藤原4兄弟も死に至らしめています。
当然、長屋王の祟りとして恐れられました。
そうまでして、なぜ舎人親王は藤原氏に味方したのでしょうか?
ただの保身にしてはリスクが高すぎたような気がしてならないのです。
父天武を裏切り、甥長屋を裏切り、もしかしたらすべての皇族を敵に回してしまうかもしれなかったのに、そこまでして味方した藤原氏とは?
舎人親王には藤原氏の血は入っていないのです。
父は天武、母は新田部皇女でその父は天智母は阿部氏・・・・それともその系譜は偽りなのか?
55歳の時の子というのも無理があるかもしれないし、ただ、65歳崩御説もあまり根拠のないことらしいです。
舎人親王の謎を解くことが日本書紀の謎を解くことにつながると思います。
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