2009/05/02
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カテゴリ: 古代史系の妄想

こんにちは

GW中でも古代史妄想です。ようこそ。

やっぱGW中特有のへたれモードなので、自分へのおさらいをかねて軽く行きたいと思います。 

前回は新羅武烈王・金春秋と天智天皇(天命開別尊)が同一発音としました。

日本書紀上は38代天智天皇(葛城皇子)は34代舒明天皇( 息長足日広額天皇) の皇子です。

ところで、29代欽明天皇( 天国排開広庭天皇) には葛城皇子がいます。

私見では、舒明天皇が欽明天皇に分裂しているので、二人の天皇にそれぞれ「葛城皇子」がいることになっているのです。

それだけじゃあねえ・・・おっしゃる通りです。

ではもう一人30代敏達天皇( 渟中倉太珠敷尊) と天智天皇の弟の天武天皇( 天渟中原瀛真人天皇) の共通点です 。天武天皇の皇子大津皇子は 訳語田(おさだ)の自邸で死を賜った 。とされます。

一方敏達天皇の皇居は 訳語田幸玉宮(おさだこうぎょく・・・オサダクグリョ) です。

敏達天皇の2人めの皇后はのちの推古天皇で、 額田部皇女 (ぬかたべのひめみこ) です。 

天武天皇は大海人皇子時代、有名な万葉歌人額田王を妃にして十市皇女をもうけたとされます。

敏達天皇と推古天皇の皇女には 菟道貝蛸皇女 (うじのかいたこのひめみこ) がいます。 この媛は「うじ」とよばれますが、「莵」は「と」と読めます。「十市」は「とじ」と読めます。

しつこいかもしれませんがもう一人、舒明天皇の皇女に 間人皇女 (はしひとのひめみこ) がいます。

wikiとかでは欽明天皇皇女の 穴穂部間人皇女 (あなほべのはしひとのひめみこ)・・・用明天皇妃で聖徳太子の母・・・ と区別しています。

これだけ家族が一致して、それでも他人の空似という方のご意見をうかがいたいです。

「だって年代が違うじゃないか」といわれるかもしれません。

日本書紀の年代は何々天皇の何年ですから、同一人物が分裂していれば、証拠になりません。

それから壬申とか乙巳とかで年代を指定しています。

これは60年周期できますから60年昔へもっていくことができます。

これは私の推測ですが、「倭国語」で記録された「舒明紀(このころ漢風諡号はないので 息長足日広額天皇紀 」と「高句麗語」で記録された 「欽明紀( 天国排開広庭) 」を別々のチームが編纂したののが原因だと思います。






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Last updated  2009/05/04 08:41:30 AMコメント(0) | コメントを書く


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