こんにちは
古代史妄想くんです
推古・皇極天皇でずいぶんとまっていましたので
少し先にいこうかなと思います
41代持統天皇で、38代天智のむすめ、40代天武の皇后です。
ところで、私の論理ですと、女帝と男帝は並立ですから天智皇后(倭姫王)、弘文皇后(十市皇女)も女帝なみだったことになります。
げんに倭姫王は即位説もありますから、私の妄想も全く根も葉もないでっちあげではないということがご理解いただけましたでしょうか?
それにひきかえ弘文天皇は明治になって始めて公認されたことと、当然十市皇女が即位したなどという説は聞かないので、その点からみても大友皇子が即位し弘文天皇だったというのは苦しいと思います。
ただし、倭姫王も謎が多く、生没年不詳です。
かなり以前ここのブログで、倭姫(い・き)=いが=伊賀宅子=大友母 としました。
このあたりは妄想の域を出ません。
てなわけで、やっと持統天皇ですが、私見では女帝・男帝並立ですから、天武帝と並立であったと思います。
天智と並立であった倭姫王の崩御後、女帝が空位となり、(もしかすると十市皇女?)
壬申の乱を経て、天武即位と同時に持統皇后=女帝が誕生したのではないでしょうか?
こうしてみると、常に女帝と男帝は夫婦であることが条件になっています。
するとわれわれの知らない婚姻関係も実は存在していたかもしれません
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