2012/07/04
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カテゴリ: 古代史系の妄想
前回まで、舎人親王はなぜ天皇になれなかったのか?

しつこく妄想してきました。

天武の皇子なのに、天智の孫なのに・・・・

ここで視点を変えて、もしかしたら
天武の皇子だったがゆえに、天皇になれなかったとしたら?

天智の娘の皇子が、真実でなく、天武の皇子が真実だとしたら?

事実、天武皇子で皇位を窺った皇子は大津皇子をはじめつぎつぎと排除されてしまいました。
天武皇后である持統天皇のひとりむすこ草壁皇子は天皇適齢期とされる30歳を前に病死します。
最年長の高市皇子の即位説もありますが、毒殺説を唱える方も多いです。



しかし裏を返すと、天武皇子であるがゆえに天皇になれなかったと仮定するとどうなるでしょう?

いやいや、文武天皇は草壁皇子の皇子だし、聖武・孝謙・淳仁・称徳とみんな天武の血統ではないか!!!
とおっしゃる方いるでしょう。
正論です。

たとえば、29代欽明天皇のあとは、皇子の敏達天皇ときますが、用明・崇俊・推古と欽明子女がつづき、推古の長寿の影響で孫の代の舒明にとぶ。

それと同じではないか!
と・・・

ネット上ブログ等拝見しますと、天武天皇帰化人説が幅をきかせています。
だから持統天皇や藤原氏は天智系にこだわり、天武系を排除しようとした・・・・

7世紀以降の倭国(日本)は、ほぼ大王世襲制が確立されつつあった時代ではないかと思っています。

つまり、いかに白村江の戦勝国である新羅から統治にきたとしても、将軍クラスでは当時の倭国民&豪族は納得できなかった。新羅王に近い血筋の王族でないと天武天皇にはなりえないのではないかと。








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Last updated  2012/07/04 01:18:28 PM
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