2012/07/10
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カテゴリ: 古代史系の妄想

本日にてとうとう53歳になってしまいました。

というわけで、常日頃脳内をぐるぐる回っていた、とっておきの妄想をしたいと思います。

奈良時代の天皇や偉い人々の年齢がもし1/2だったら?

つまり歴史の残る年齢が我々の常識である1年1歳でなく

1年で2歳年をとっていたとしたら?

例えば、古代天皇はあり得ない長寿で真実ではないとする説が定説となっています。

1.神武 126歳

2. 綏靖   83歳

3. 安寧 67歳

4.  懿徳 76歳

5.  孝昭 113歳

6.  孝安 136歳

7. 孝霊 127歳

8.  孝元 115歳

9.開化 110歳

10.  崇神 119歳

これらの天皇の年齢を半分にしたら妥当性のある年齢になります。

1年2歳説は2012/02/12の産経抄で、

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120220/imp12022003060001-n1.htm

 この説が奈良時代にも生きていたのではないだろうか?

という疑問がどんどん妄想に膨れていきました。

例えば、

48代称徳天皇(孝謙天皇)崩御52歳を26歳としたら?

31歳で即位でなく16歳で即位していたら?

弓削の道鏡と恋愛関係にあったという説は江戸時代から根強いですが、

最近の研究では、60歳前後の男性と50歳前後の女性にそのような関係はあり得ないということになっています。

これが30歳前後の男性と25歳前後の女性とだったら?

 44代元正天皇も35歳未婚のひめではなく、18歳未婚であるほうが蓋然性が高いような・・・・

 以前、天武天皇の50歳代の皇子が舎人親王で、舎人親王57歳の時の皇子が淳仁天皇に大きな疑問をいだいてきましたが、

天武天皇30歳前の皇子が舎人親王で、舎人親王が29歳のときの皇子が淳仁天皇としたほうが、生物学的に合理的ではないかと・・・

 もちろんこのようなことをしたら、年表を大幅に書き換えなければなりません。

奈良時代は84年あったのが、42年になってしまうからです。

話は、また飛躍しますが、法隆寺には再建設・非再建設論争があります。

年輪年代測定からすると、7世紀後半の木材であることが、再建設に有利な材料になっています。

ただ、こうして今われわれが認識してる西暦と誤差が生じた場合、法隆寺は7世紀後半に新設された可能性もあるのです。

聖徳太子や推古天皇や蘇我馬子は7世紀後半に活躍した人たちだったかもしれないのです。

我田引水とはよく言ったもので、一旦仮説を立てると、自説に都合のいいように当てはめてしまいます。

しかし私は視点の角度を常に変えて、強引な我田引水だけは避けたい・・・・

と思ってはいます。 






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Last updated  2012/07/10 11:24:02 AMコメント(0) | コメントを書く


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