山科誠氏の著書「日本書紀は独立宣言書だった」を再読してみて
1996年の本です。
そのころ私は札幌に住んでいて、新札幌の紀伊国屋で購入した記憶があります。
著者の山科誠は有名な玩具メーカー「バンダイ」の元社長で、
忙しい合間をぬっての古代史研究には頭が下がりました。
これに啓発されて古代史に興味を持ったバンダイ社員も多かったと思います。
よくある仮説→検証系で、大胆な仮説は当時古代史ファンを自負していた私も目からウロコ落ちた状態でした。
当然「なるほど」部分、「う~ん」部分混在は仕方ないとして、
最終あたりで息切れされたのか、
「旧唐書はトンチンカンな記述がある」
とひとことでかたづけられていたのは、少しがっかりしたのを記憶しています。
これだけ論理的に仮説→検証を繰り返しながら、未検証で「トンチンカン」で切り捨てるくだりは、最後の最後で後味が悪かったかなあという感じです。
私は昨日の日記で、
「中国史書はうのみにはできないが、年代のうらづけをとる上では貴重な資料である」
と言及したので、ふとこの山科氏の著書を思い出した次第です。
逆に卑弥呼プロブレムの場合は、
「魏志倭人伝が、魏志倭人伝が、」とギシギシ言いすぎなのに、時代が下り、
旧唐書やらが軽視されがちなのは、釈然としない思いです。
古代史妄想 総括 2018/04/17
三田誠広氏の小説「白村江の戦い」を読み… 2017/09/07
2016年1月5日のつづき 天智天皇暗… 2017/03/17 コメント(1)