この投稿は、windows8 リリース前版で行っています。
タッチ式、タブレットPCだと使い心地がよいのでしょう、たぶん。
ところで、本題。
押坂彦人大兄皇子は、30代敏達天皇の皇子・34代舒明天皇の父・38代天智&40代天武の祖父。29代欽明天皇の孫。
系譜上は今上天皇の直系のご先祖様にあたります。
押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。 麻呂古皇子
、太子彦人皇子、忍坂日子人太子・皇祖大兄とも。敏達天皇の第一皇子で、母は息長真手王の娘・広姫。舒明天皇・茅渟王の父に当たる。
当麻皇子(たいまのみこ、生没年不詳)は、6世紀後半から7世紀初期にかけての皇族。 麻呂子皇子ともいう。
用明天皇の皇子。
602年(推古天皇10年)征新羅将軍であった異母兄弟の来目皇子が没した後、翌年の603年4月に征新羅将軍となった。難波から船で出発したが、播磨国明石で妻である舎人皇女が没したことから、皇女を明石に葬った後引き返したという。
押坂と当麻、関係はいとこ同士。
ともに、「まろこのみこ」の別名を持つ・・・・
後年、日本書紀総責任者の舎人親王は当麻氏の血統のお妃をもらいます。
私得意の日本書紀人物分裂説をもってすれば、押坂皇子・当麻皇子はまろこ分裂で同一人物。
天智天武は押坂皇子の孫と主張した。
天武皇子の舎人親王は当麻皇子の系統の婿ですと主張した。
いや、大炊王(淳仁天皇)は当麻氏の血統だから天皇になれたのかもしれません。
飛鳥・奈良時代の時間軸はどうも信用できないので、もつれた毛糸をほぐすように根気よく検証を続けないといけません。
だから古代史で妄想するのは無限に楽しいです。
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