2012/08/11
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カテゴリ: 古代史系の妄想

現在の皇室では、皇太子=徳仁親王、秋篠宮=文仁親王、文仁親王の皇子は悠仁親王。

摘系の男子は、「親王」です。

古代(舎人親王以降)において、天皇の子を親王、孫を「王」と称しました。

長屋王は天武の皇子の高市皇子の子なので、「長屋王」ですが、「長屋親王」と記された木簡が発掘されたことにより、高市皇子は天皇だったのではないか説が流行しました。

高市王朝と持統王朝並立説なども見受けます。

ところで、昨日言及した「葛野王」の正体ですが、その生没年が近いことから、桓武天皇の祖父である施基皇子がちかいのでは?と妄想しました。

施基皇子は天智天皇即位前は「施基王」とよばれていたと思います。

もしかすると、以前は「葛野王」と呼ばれていたのではないでしょうか?

 懐風藻は淡海三船選者とする説もあります。

壬申乱敗者である大友皇子の子葛野王が、天武の皇子の弓削皇子を恫喝するよりも、

吉野会盟の参加者であり、当時は皇位継承順位第6位だった施基皇子が恫喝するほうが、威厳に満ちています。

斜に構えることが得意だった淡海三船ですから、歌人で温厚なイメージの施基皇子より、

どこか屈折したイメージの性格の持ち主「葛野王」 に祖父であってほしかったのだと思います。

そのような小細工を施したために、施基皇子の子白壁王が「光仁天皇」となってその近親は羽振りがよくなったでしょうが、淡海三船の子孫は衰退していくことになります。






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Last updated  2012/08/13 09:24:11 PMコメント(0) | コメントを書く


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