常総学院が負けた・・・
私は埼玉と茨城のハーフなので。
あと、茨城の伯父の家に常総学院元監督木内氏のサインがあるので・・・・
応援していたのですが・・・
相手は同じ関東神奈川の桐光学園なので痛し痒しの気持ちです。
ところで、私は常々、朝鮮史三国史記の新羅王武列王(金春秋)エピソードと日本書記の天智天皇(中大兄皇子)のエピソードは酷似している、と言及してきました。
1.中大兄と鎌足の蹴鞠の出会いと、金春秋と金ユ信との蹴鞠の出会い。
2.中大兄は蘇我倉山田石川麻呂の娘を嫁にしようとしたが、前日にさらわれてしまったので、妹が進んで嫁になった話と、金ユ信の妹宝姫が最初金春秋に嫁ぐ予定のところ、妹が錦の着物を姉に渡して嫁になる権利を譲ってもらった話。
3.そしてとどめは、大化改新で中大兄・鎌足コンビが蘇我入鹿を誅殺(暗殺?)する話と、金春秋・金ユ信コンビが毗曇の反乱を鎮める話。
皆、微妙な差がありますが、大筋は一緒ではないか?と
これは、どちらのほうが、より真実に近いかというと金春秋エピソードのほうではないか?と私は思います。
新羅国で起こった事件が伝承として日本書紀でも登場人物に多少の変更が加わり記録されたと思います。
私の妄想では、当初蘇我倉山田石川麻呂の娘・乳娘(ちのいらつめ)をめとったのは孝徳天皇です。
ひょっとして、大阪湾の旧名は「茅渟の海(ちぬのうみ)」と呼ばれていましたから、本当は「茅渟娘(ちぬいらつめ)」だったかもしれません。
系譜上、孝徳・斉明天皇の父は「茅渟王」、祖父は「押坂彦人大兄皇子(オーサカヒコヒト)」になっているので、祖父の代から大阪(難波)とは密接な関係があったことでしょう。
白村江の大戦で倭国が滅亡に近いダメージをうけ、もしかすると孝徳天皇は処刑されたか孤独死させられたかで、天智天皇(金春秋)が「ちぬいらつめ」を後宮に加えたのでしょう。
そして、丁寧語の「お」がついて「遠智娘(おちのいらつめ)」に昇格したのです。
前々回とかに妄想した「持統天皇」の母は、「遠智娘=造媛=やっこひめ」「弘文天皇(大友皇子)」母は、伊賀宅子娘=やかこひめで、二人とも孝徳天皇実子としました。
弘文天皇の即位事実は賛否両論ありますが、1時期倭国の支配者であったことは事実でしょうし、持統天皇にいたっては、完全に倭国伝統の女帝復活を成し遂げます。
日本国と倭国のせめぎあいは、光仁天皇即位・桓武天皇平安京遷都で結果的には日本国が勝利した形です。
ですから現在われわれは「日本国民」なのです。
話が大幅に脱線しました。
大化改新と新羅毗曇の乱の符合ですが、
なぜ大化改新の「やられ役」に蘇我入鹿が抜擢されたのか?です。
私は、かねがね、入鹿=いりかすみ=伊梨柯須弥=淵蓋蘇文と主張してきました。
入鹿は聖徳太子の子、山背大兄王を死に追いやります。
淵蓋蘇文は主君高句麗王の栄留王を惨殺します。
さらに淵蓋蘇文は救援を求めた金春秋を監禁するのです。
やっとの思いで脱出した金春秋にとって、淵蓋蘇文は憎んでもあまりある仇敵ということになります。
なぜ淵蓋蘇文が金春秋殺害を保留したのかは不明ですが、残虐な蓋蘇文に慈悲があったとは考えにくく、いざというときの人質的な要素が濃かったかもしれません。
歴史上は淵蓋蘇文は665年に死去とありますが、死因はあきらかにされていません。
私は天智天皇配下に暗殺されたと考えます。
武列王は逝去年661年ですが、(同年に斉明天皇死去)663年に白村江の戦いがおこり、668年に天智天皇が即位します。
新羅毗曇と高句麗淵蓋蘇文に直接の接点はありませんが、金春秋(天智天皇)をキーワードにつながっているわけです。
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