こういうご時勢に朝鮮半島国家ネタは自粛すべきなのでしょうか?
いや、古代は朝鮮半島と日本列島の国家は混沌(カオス)でしたから、
私的にはいつの世も、外交というものは左手に剣を隠し、右手で握手するものだとおもっていました。
最近はジャイアン外交じゃないけど、威嚇するカードしか切らない国家が多く嘆かわしいと思います。
もちろん日本の弱腰すぎる外交、
(私の感覚では、のび太的外交かな、するとアメリカは厳しすぎるドラえもん?)
ところで、昨日、持統天皇は倭国伝統の女帝復活という表現をしました。
私はかねがね、卑弥呼に始まる倭国女帝(祭祀担当)は、男王(軍事担当)とのペアで成り立っていたと言及しています。
今に伝わる天皇の系譜も、女王の婿の系譜をタテにつないだものと考えています。
現在でも、婿養子を迎えて家督をついでもらえば、戸籍上は子ですから。
昔から、我が国は血のつながりよりも家の存続を重視したと思います。
前置きが長くなりました。
新羅国にも女王は存在しました。
韓流ドラマでおなじみ(私はみたことないんですけど・・・)27代善徳女王、28代真徳女王、51代真聖女王です。
真聖女王は9世紀後半なので、古代とはいえませんが、善徳・真徳女王には、巫女的な要素が多く見受けられます。
本質は、倭国女王と一緒だったと思います。
倭国女王は皇后出身か生涯独身という記述ですが、善徳女王には王配とよばれる配偶者がいました。
これはイギリス女王に通じるものがあります。
ふと、疑問が頭をもたげたのは、平城京を開いた43代元明天皇ははたして倭国女王の流れをくんでいたであろうか?ということです。
だって元明天皇って持統天皇の異母妹でしょ?っていわれそうです。
私は持統天皇は孝徳天皇の実子と思っています。
元明天皇も孝徳天皇の実子とすれば、倭国伝統を受け継ぐということですが、
ひっかかるのは、「平城」というネーミングなのです。
「平城」は普通「へいじょう」と読みます。
ところが、「へいじょう」と読んだ確証は残念ながらありません。
後世の人のあてよみです。
桓武天皇の皇子で、平城天皇(へいぜいてんのう)は藤原薬子にそそのかされたのか、平安京がいやになったのか、上皇になったとき、平城京に移り住みます。
そう、「へいじょうてんのう」でなく、「へいぜいてんのう」です。
これが、実は「平城=ひらぎ」と呼んだ説もあります。
元明天皇は「ひらぎ=しらぎ」の流れをくむ天皇(つまり天智実子)であった可能性もあるわけです。
当時の奈良に江戸っ子弁を話す民族がいたかって?
今でも関西の方で、「7=ひち」「質屋=ひちや」と発音する人は結構おおいそうです。
江戸という土地も三河人が多く移住していったわけですから、
(常磐線三河島付近の地名が、三河島から東日暮里に変わったことは少々残念です)
余談ですが、鹿児島県ひらきき神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9A%E8%81%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
古代鹿児島も「ひ」と「し」の区別がなかった?
やはり、元明天皇は新羅王(しかも女王伝統)の流れをくみ、「平城京=ひらぎのみやこ」にしたのでしょうか?
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