2012/08/17
XML
カテゴリ: 古代史系の妄想

こういうご時勢に朝鮮半島国家ネタは自粛すべきなのでしょうか?

いや、古代は朝鮮半島と日本列島の国家は混沌(カオス)でしたから、

私的にはいつの世も、外交というものは左手に剣を隠し、右手で握手するものだとおもっていました。

最近はジャイアン外交じゃないけど、威嚇するカードしか切らない国家が多く嘆かわしいと思います。

もちろん日本の弱腰すぎる外交、

(私の感覚では、のび太的外交かな、するとアメリカは厳しすぎるドラえもん?)

ところで、昨日、持統天皇は倭国伝統の女帝復活という表現をしました。

私はかねがね、卑弥呼に始まる倭国女帝(祭祀担当)は、男王(軍事担当)とのペアで成り立っていたと言及しています。

今に伝わる天皇の系譜も、女王の婿の系譜をタテにつないだものと考えています。

現在でも、婿養子を迎えて家督をついでもらえば、戸籍上は子ですから。

昔から、我が国は血のつながりよりも家の存続を重視したと思います。

前置きが長くなりました。

新羅国にも女王は存在しました。

韓流ドラマでおなじみ(私はみたことないんですけど・・・)27代善徳女王、28代真徳女王、51代真聖女王です。

真聖女王は9世紀後半なので、古代とはいえませんが、善徳・真徳女王には、巫女的な要素が多く見受けられます。

本質は、倭国女王と一緒だったと思います。

倭国女王は皇后出身か生涯独身という記述ですが、善徳女王には王配とよばれる配偶者がいました。

これはイギリス女王に通じるものがあります。

ふと、疑問が頭をもたげたのは、平城京を開いた43代元明天皇ははたして倭国女王の流れをくんでいたであろうか?ということです。

だって元明天皇って持統天皇の異母妹でしょ?っていわれそうです。

私は持統天皇は孝徳天皇の実子と思っています。

元明天皇も孝徳天皇の実子とすれば、倭国伝統を受け継ぐということですが、

ひっかかるのは、「平城」というネーミングなのです。

「平城」は普通「へいじょう」と読みます。

ところが、「へいじょう」と読んだ確証は残念ながらありません。

後世の人のあてよみです。

桓武天皇の皇子で、平城天皇(へいぜいてんのう)は藤原薬子にそそのかされたのか、平安京がいやになったのか、上皇になったとき、平城京に移り住みます。

そう、「へいじょうてんのう」でなく、「へいぜいてんのう」です。 

これが、実は「平城=ひらぎ」と呼んだ説もあります。

 元明天皇は「ひらぎ=しらぎ」の流れをくむ天皇(つまり天智実子)であった可能性もあるわけです。

当時の奈良に江戸っ子弁を話す民族がいたかって?

今でも関西の方で、「7=ひち」「質屋=ひちや」と発音する人は結構おおいそうです。

江戸という土地も三河人が多く移住していったわけですから、

(常磐線三河島付近の地名が、三河島から東日暮里に変わったことは少々残念です)

余談ですが、鹿児島県ひらきき神社

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9A%E8%81%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE

古代鹿児島も「ひ」と「し」の区別がなかった?

やはり、元明天皇は新羅王(しかも女王伝統)の流れをくみ、「平城京=ひらぎのみやこ」にしたのでしょうか? 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012/08/20 01:59:40 PMコメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: