久々の更新です。
飛鳥時代の闇が多すぎで、
気分転換に少し過去へ抜けてみました。
26代継体天皇は応神天皇五世孫とされていますが、継体天皇は即位前は、男大迹王(おおどのおおきみ)です。
祖父に意富富杼王(おおほどのおおきみ、生没年不詳)がいます。
これはどうみても同一人物としたほうが自然です。
ここで、26代継体天皇を15代応神天皇の孫としてしまうと、16代から24代までの系譜を挟みづらくなるので、祖父と父を水増しした可能性があります。
もうひとつ。
その応神天皇の和名は 誉田別尊(ほむたわけのみこと)。
垂仁天皇の第一皇子に 誉津別命(ほむつわけのみこと、生没年未詳)がいます。
これはさすがに同一人物でしょう。
ではなぜそのような水増しが横行したのか?ということです。
まず、中国・朝鮮半島に対し、古い歴史を持っていることを顕示したかったこと。
次に、日本書紀は「日本国」「倭国」「百済国」の歴史の寄せ集めですから、同じ人物でも当然各国の言語による呼称の差が発生します。
それが、オオドとオオホド、ホムダワケとホムツワケという微妙な誤差であらわれたわけです。
よく聞く説は、倭の五王に16代仁徳から21代雄略を比定したり、
神武天皇を卑弥呼の少し後、3世紀中葉の人物としたり
(日本書紀上は紀元前660年という考古学上全く認められない主張をしていますが・・・)
していますが、
私説は、以前継体天皇の妃と敏達天皇が妃が姉妹であるように、もっと年代は圧縮されています。
これで、さらに応神天皇が垂仁天皇の曾孫でなく、皇子。
継体天皇が応神天皇の玄孫でなく、孫とすると、
私は敏達天皇と継体天皇が同時期存在(7世紀)としますから、応神天皇はだいたい6世紀後半、垂仁天皇は5世紀後半から6世紀前半の人になります。
ところで、倭の五王は413年に中国に朝貢をはじめ502年まで記録があります。
倭王武は「雄略天皇=ワカタケル=若武?」とされてきましたが、
単純に倭王武=神武かもしれません。
諸々の研究で、神武=垂仁説もあります。
(天皇皇族実録 vol.1 全一巻 (神武天皇実録-垂仁天皇実録)ISBN 978-4-8433-1957-4 C3321)
真説日本誕生・卑弥呼を攻めた神武天皇 (ムックセレクト) [新書]
ISBN-13: 978-4845403745
上記は一例です。
倭の五王がどうしても歴代天皇に比定できないのはそのためです。
日本書記は時間軸のみの修正で、あらゆる古代の謎が、矛盾なく説明できます。
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