2012/10/07
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カテゴリ: 古代史系の妄想
かと思っていたら2ちゃんねるにこんなスレが

http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/history/1254303319/

でも超希少意見でしょう。

中を見ると、「年代が違う!」のひとことで袋叩きにあっています。

「名前が似ているだけで別人です」と言い切っています。

この人たちは、現代の感覚のみで物事を判断しています。
それでは古代史の謎は永遠に解けません。

古代における「名前」は非常に重要でナーバスな問題でした。

大伴氏が天皇の名前とかぶるから伴氏に変更したりと、


推古天皇の即位前は「額田皇女」
そののちに誕生したとされる
天武天皇の妃(采女?)で身分下位ランクとされる「額田王」が軽々しく
「額田」を名乗ることはできません。

これはまぎれもなく、同一人物か同格でなければなりません。
この時代同格という概念があったかどうか。

ところで、


推古の配偶者:敏達(渟中倉太珠敷)と額田王の配偶者:天武(天渟中原瀛真人)

ヌナクラとヌマハラ

渟中という珍しい漢字も一致するのです。

そりゃあ、現代ではご主人と奥さんの名前が全部一致する場合もあるでしょう。


他人の空似でなく、同一人物としない限り、古代史研究は先に進みません。

以前山科誠氏はその著書で、

欽明-敏達-用明-崇峻-推古の系譜は架空で

実際の天皇は蘇我氏の

稲目-馬子-蝦夷-入鹿と比定しました。



少し違う点は、

欽明-敏達-用明-崇峻-推古の系譜は架空ではなく

舒明-天武-孝徳-武烈-額田王(=皇極?)の焼き直しではないか?
と思っている点です。

根拠は?

すべて和名の酷似性です。

欽明(天国排開広庭)と舒明(息長足日広額) ヒロニワとヒロヌカ

敏達(渟中倉太珠敷)と天武(天渟中原瀛真人)ヌナクラとヌマハラ

用明(橘豊日)と孝徳(天万豊日) タチバナトヨヒとアメヨロズトヨヒ

崇峻(長谷部若雀)と武烈(小長谷若雀)ハツセベワカサザキとオハツセワカサザキ 

推古(豊御食炊屋姫尊)と皇極(天豊財重日足姫天皇)トヨミケカシキヤヒメと アメトヨタカライカシヒタラシヒメ

です。

蘇我氏が倭国大王であったことをごまかすために、

舒明からつづくそのあとの系譜を水増しして過去へとばしたのです。

もちろん編纂者は、60年周期の干支でしか年代を示していませんから

「オレはうそはついてない!」と主張するでしょう。

未必の故意ってやつでしょうか?





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Last updated  2012/10/07 09:58:25 AM
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邇波 某 さん
一部正解です。当時は合議制の政権でしたから、大人が実質王で、王の君が大君で傀儡王でした。額田は道子で、孝大君の子、豊原 有秋(鏡王)の娘。豊原 有秋の姉は、佐富(皇極)です。推古は豊御の名前で、聖大君の姉と為ります。

即位は、豊浦宮で孝大君が即位、同年難波宮に移り、豊浦宮は寺に改装。
遣隋使派遣し失敗し、九州に百済救援軍を待機させ殺害され、聖大君が難波宮で即位し、斑鳩宮に移りました。聖大君は聖徳太子のモデルで即位して無いのは、イエスキリストが地上で王に為らなかった事に合わせてます。 (2021/09/25 11:42:06 PM)

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