久々の更新です。
正直古代史妄想スランプでした。
気分転換に大河ドラマ「平清盛」を見て感じたことをつづれなるままに・・・・
清盛の時代は平安時代末期ですから、
都は京都(平安京)です。
平安京に遷都した経緯はご存じのとおり、仏教勢力からの離脱が主な目的でした。
奈良平城京も京都平安京の盆地です。
盆地は自然の要塞の意味合いもあったでしょう。
清盛は一旦兵庫福原に強制遷都します。
世が平穏だと都は港になるようです。
湾岸は交易には適しますが、戦争には不利です。
清盛も晩年、もう戦乱はないとふんだのでしょう。
ないと思いたかったかもしれません。
福原という都は交易には適していましたが、戦争・特に防御には弱い側面があります。
ですから、桓武以前の天皇はそのほとんどが奈良近辺に都を置いたとされるわけです。
大化の改新以後、孝徳天皇が難波に都したのは一種の賭けだったかもしれませんし、
父・祖父の所領に対する思い入れもあったかもしれません。
頼朝は鎌倉に幕府を置きましたが、鎌倉平野は狭く、盆地に近い機能だったと思います。
尊氏が京都に幕府を置いたのは、その政権が不安定だったということの証明でしょう。
家康が鎌倉でなく、江戸に幕府を置いたのは、平和への確信もあったでしょうし、鎌倉では手狭感もあったと思います。
清盛も頼朝も後継者に恵まれなかったことは不運だったでしょう。
信長・秀吉にも同じことが言えそうです。
信長はまだまだ戦乱を想定しての安土城でしょうし、
秀吉は平和を期待しての大坂城でしょう。
こうしてみると、清盛も秀吉も平和への読みがあまっかたかもしれません・・・・