2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全13件 (13件中 1-13件目)
1

下田公園は北条方水軍の拠点であった鵜島城跡で港を望む小高い山が公園として整備されています。園内には開国の歴史を示す記念碑や海を一望できる場所や野鳥を観察できる場所があり散策にはもってこいのスポットです。6月にはあじさい祭りが開かれて、この時期には約15万株のあじさいが咲くそうです。この他にもツツジ、椿、萩などが植えられており四季折々の花を楽しめめます。公園近くの波止場にはこんなメッセージが書かれていました穏やかな土地柄で老後は釣り三昧・温泉三昧も悪くないなって思いますね。
2007年01月26日
コメント(0)

下田は開国の町として有名ですが悲しい物語が残っています。お吉という美貌の芸妓がおりました。彼女にを目にとめた奉行は総領事のハリスもとへ侍妾として奉公に出してしまいます。ハリスに仕えたのは僅かな期間でしたが、異人に仕えたと皆から嘲笑され「唐人お吉」と呼ばれ、流浪の果てに下田に戻るが遂には川に身を投げてしまいました。下田蓮台寺の稲生沢川の淵には小さい祠があり、身を投げた3月27日には供養が行われています。
2007年01月23日
コメント(2)

下田の爪木崎は野水仙の群生地でその数は300万本ともいわれています。今の時期はちょうど見頃で1月31日まで水仙まつりが開かれています。岬の先端にある灯台からは伊豆七島が見渡せる絶好のロケーション。岬には遊歩道が設けられており気楽にハイキングができます。小さいながら浜辺もあるので夏には海水浴も楽しめ、近くの磯は磯釣りのスポットにもなっています。
2007年01月14日
コメント(4)

高天神城は武田と徳川の遠州攻防の要となった城で両者の間で激しい攻防戦が行われました。元亀2年(1571)3月、武田信玄が2万5千騎で攻めたが城主・小笠原長忠は篭城でこれを防ぎました。天正2年(1574)5月、武田勝頼が2万騎が攻撃しついに落城し武田の遠州攻略の拠点となりました。このとき徳川方の軍監・大河内源三郎政局は武田勝頼の命令を聞かず幽閉されてしまいます。(写真は幽閉された石窟)天正9年(1581)には徳川方の兵糧攻めで城を奪還、このときに幽閉された大河内源三郎政局も救い出されました。
2007年01月12日
コメント(2)

長泉町の竹原にある「窪の湧水」と呼ばれる泉は安政の大地震によって崩れた崖から富士山の地下水が湧き出たものです。水路に見える丸い土管は昔の取水口の跡で製紙会社が取水のために使っていたものです。
2007年01月10日
コメント(3)

富士市大淵にある次郎長町はその名の通り清水の次郎長にゆかりのある土地で、次郎長が開墾したと言われています。明治七年に山岡鉄舟らの勧めで囚人を使って開墾を始め次郎長の養子となった天田五郎が指揮をとりました。荒れ果てた土地の開墾は厳しかったようで明治十七年には開墾を中止して引揚げたそうですが、次郎長の開墾がきっかけになって多くの入植者が来て町の基礎ができたため、次郎長町と呼ばれています。この地にある記念碑には清水の次郎長の名前が刻まれています。
2007年01月09日
コメント(2)

裾野市・十里木一帯はその昔、頼朝が巻き狩りを行った場所で吾妻鏡によると期間は一ヶ月で参加したの者は十五万騎といからとんでもなく大規模なものだったようです。この井戸がある付近は満々と水を湛えた池があり、頼朝はこの池に朱塗りの椀を沈めて水神に供えたといわれています。それ以来、日照りの時も水が絶えたことがなかったそうです。昭和の初期までは泉があったそうですが今は林の中に井戸がポツンと残っているだけですが、周辺の林が市の天然記念物になっています。
2007年01月08日
コメント(2)

裾野市の大野原はその名の通り一面の野原大部分は自衛隊の演習場(東富士演習場)になっています。この野原を横切る国道469号線を走っていると、まるで北海道の原野でも走っているような感じもします。2月中旬頃には新芽を出すためと、病害虫の駆除のために野焼きが行われて、火の草原となります。近くには「たまご拾い牧場」や温泉、キャンプ場なんかもあります。
2007年01月07日
コメント(2)

胎内清宏園には富士山の溶岩トンネル以外に噴火で出来た不思議なもいくつもあります。上に写真は「夫婦岩」、それほど不思議なものじゃないけど夫婦岩と呼ばれる物は他にもありますが、ここのは「父の岩」と「母の岩」の間に「恵岩(子供)」がいます。これは「母の池」と呼ばれる池で、女性の象徴になっているようで。溶岩の突起から水が噴水のように吹き出て、吹き出た水の雫が氷って神秘的な雰囲気。これは溶岩樹型で、溶岩が樹木を覆い表面が固まり中の樹木が焼けて空洞になったものです。
2007年01月05日
コメント(6)

御殿場市の印野御胎内清宏園は富士山の噴火で出来た溶岩洞窟で、洞窟を人体になぞらえて御胎内と呼んでいます。洞窟の中は照明がなくて真っ暗、入り口にローソクがありましたが私が行った時は朝早かったせいか燃えさししかありませんでした。大腸部分まで手探りでいきましたが、そこから先は断念。行かれる方は懐中電灯など用意しましょう。出口は「産道」なので、這って出なければいけないほ狭くなっています。ここにある御胎内神社は安産祈願の社として有名で園内には夫婦や子孫に関係がある名前の付いた場所があります。中でも極めつけは不動穴にある立派な殿方のアレ (イヤ~ン)
2007年01月04日
コメント(2)

森町の蓮華寺は別名「萩の寺」と呼ばれており境内一面に萩の花が咲きほこります。といっても今の季節は花が咲いてないですが。この寺は慶雲元年(704)に文武天皇の勅願により行基菩薩が開創した森町で一番古い寺で今はこじんまりとした寺になっていますが昔は坊舎が36坊もあったそうです。蓮華寺のすぐ近くにある歴史民俗資料館は明治18年建築の旧郡役所を移築したもので館内には農耕具や生活用品、古文書などが展示してあるそうです。
2007年01月03日
コメント(0)

「食いねぇ、食いねぇ、すし食いねぇ」で有名な清水の次郎長の子分・石松、一説によると三河で生まれて後に森町に移り住んだそうです。石松の墓は森町の大洞院の門前にあります。どうも堅気ではないために寺の門前に墓があるようです。石松の墓のかけらを持っているとギャンブルに強くなるという噂から、墓が削られたり盗まれたり(墓を盗むなんて!)したため今の墓は3代目で平成7年に建てられたものです。
2007年01月02日
コメント(0)

御殿場市の平和公園は市の公園ではなくて私設の公園。昭和34年に御殿場市出身の堀内定良氏が私財を投じて開設したものです。園内の一番の見所は仏舎利塔、ここにはインドのネルー首相から贈られた仏舎利が納められているそうです。塔につづく参道にはアジア各国の狛犬が並んでいます写真はタイのもの、普段よく見る物に比べていかめしい顔をしてますね。近くで白亜の仏舎利塔を見るとちょっとエキゾチックな感じ塔の四面にそれぞれ仏像がありました。入場料は無料で駐車場もあります。
2007年01月01日
コメント(4)
全13件 (13件中 1-13件目)
1


