愈々庵気まぐれ日記

愈々庵気まぐれ日記

2017.01.14
XML
カテゴリ: 都内散歩
先日初めて府中市を訪れる機会があった。
私は京王線よりもJR武蔵野線が便利なので府中新町で降車した。
ここには有名なケヤキ並木があるのでまずそこを目指した。なるほど天然記念物と
いうだけあって並木と言っても一本一本が記念物になれるような古木の並木である。
下の写真で白いガードは京王線の線路、駅のそばにこんな古木が並んでいるのは驚きである。
武蔵野を象徴するケヤキもここまで育ち、人と車の吐く息を吸い続けては衰弱も甚だしい。


この欅並木と旧甲州街道が交わるところに鳥居があり、その前に2本の巨木があって
神木としてしめ縄が張られている。


そもそもこの並木の欅は平安時代武蔵の守であった源義公・義家父子が朝廷の命を受け
陸奥の蝦夷・阿部一族の討伐に出かける際戦勝祈願し、
戦勝後千本の欅の苗木を贈ったことに由来する。
後に江戸時代家康の肝いりで並木の両側に馬場が設けられた。
現在この欅並木は国の天然文化財にも指定されており、また馬場にちなんでか
すぐ近くには東京競馬場がある。今この馬場跡は一部広い歩道として活用されている。
二本の巨木も台風で倒れてしまったが、今そのわき目から出た枝が大きく育っている。


並木には源義家公の立派な銅像が建っている。私は十年以上も前になるが
茨城・福島の県境にある勿来の関を訪ねたことがある。
そこに  吹く風を 勿来の関と 思へども 道もせに散る 山桜かな と記された石碑を発見した。
後に「八幡太郎」と呼ばれる若武者・源義家の陸奥への入り口となる勿来での意気込みと
桜(大和)魂を現した句であろう。現代的に言えば一種の侵略戦争だろうが、
朝廷(天皇)の命による出陣とあれば一種の聖戦気分だったのだろう。


すぐ近くに万葉歌碑がある。説明碑によると「武蔵野の草は諸(もろ)向き かもかくも
君がまにまに 吾は寄りにしを」と読み、「君が風になびくよう 私はあなたに
 ひたすら心を寄せたののに」の意味だそうだ。
遠い武蔵の国に赴任している人を思っての歌と解釈すればロマンがわく。


大国魂神社は大国武蔵の国の一宮であり、かつ一~六社を仕切る武蔵の国の
総社でもあった。手水舎にしてもたいそうな彫刻で飾った唐門造りである。


総社らしく儀式の際には盤木や拍子木ではなく太鼓が使われたのであろう、立派な鼓堂である。
現在は寺で太鼓を打つことは珍しいが考えてみればついこの間、
明治までは神仏習合だった訳で寺で太鼓も自然である。
事実私の菩提寺では仏事には太鼓を使い、若僧の打つ太鼓はなかなかリズミカルである。


もう初詣も終わり人もまばらで露店も開いておらず拝殿前も静かで通常のお参りができた。


本殿横の門にはこんな案内板があり、その横には優雅な流れがあった。
祈祷料を納めて包み紙をいただき、この水源に流すと
この庭の曲水をめぐり集められた人形は供養されるみたいである。
良家に縁ずけば人形といえどもこのように立派な最期を印すようである。




ここの古木は欅だけかと思ったら本殿の裏には銀杏の古木が祀られている。
これも今はひこばえの時代である。
昔の家々もこのようにひこばえや種を通して末代までの繁栄を祈ったのであろう。
現代人は孫やひ孫くらいまではその繁栄を願うがその後まで気を配っている人は少ないであろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.01.14 12:55:11
コメント(0) | コメントを書く
[都内散歩] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: