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http://blogs.yahoo.co.jp/takefumistay77/9491167.html
http://www.ne.jp/asahi/kyokai/yuriko/koba.htm
僕は宗教・キリスト教は嫌いですが、イエス道として、イエスの後をついていき、真の平和と、真の皆の幸せ、真の子どもたちなどの笑顔を守りたいと思います。
そう意味で、高見大司教を心から尊敬しています。
長崎は祈りだけをすれば良かという信徒が多数でした。その中で、祈り言動の必要性を叫び強調した、カトリック浦上教会青年会、湊屋 潤青年会長、松尾 竹文事務局長は、少数ですが、心ある青年とともに叫びつづけました。時には、信徒からの攻撃や排他運動が何度もありましが、当時のカトリック教会の主任司祭の保守と理解で続けることができ、高見大司教の土台ができたと思います。
浦上教会青年会千羽鶴と平和活動知ったELTの持田さんがライブをカトリック浦上教会で行ったこともありました。
http://blogs.yahoo.co.jp/takefumistay77/629310.html
現在も高見大司教にたいす攻撃も時にはありますが、高見大司教を心から尊敬して祈りつつ応援していきたいと思います。
浦上天主堂の「被爆マリア像」が来春、スペインへ行く、1937年4月、ス
ペイン内戦で無差別爆撃を受けた同国北部の都市ゲルニカを訪れる平和巡礼の旅
だ。
原爆で倒壊した旧浦上天主堂の焼け跡から見つかった黒く焦げたマリアの顔は
、左に首をかしげている。目は空洞になり、もの悲しげな表情をたたえる。「戦
争の犠牲者や、今も苦しむ人々に共感しているかのようだ」
45年8月9日、母は、長崎市三ツ山町で草取りをしていた。当時妊娠3カ月
。「反射的に田んぼの水面に身を伏せた」と戦後聞かされた。さらに3日後、市
街地に入って入市被爆。翌年3月、産声が上がった。
おば2人と祖母は直爆を受けて亡くなった。このうちの1人は遺体すら見つか
らなかった。被爆から13年が過ぎた中学生のころ、3つ年上のいとこがおなか
をぱんぱんに膨らませ、苦しみながら亡くなる姿を目の当たりにした。
欧州で神学を勉強していた頃、聖職者の友人らに出身地を「ナガサキ」と明か
すと、「原爆の街ですね」と返ってきた。自身が胎内被曝者だと話すこともあっ
た。「聖職者である彼らは世界に対する視野が広かったが、欧州の誰もがナガサ
キを知っているわけではない」。留学中の6年余の間、そう感じた。
04年、護憲や平和を訴える「長崎県九条の会」の発足に向けた呼びかけ人の
一人として名を連ねた。「長崎の大司教が、原爆や平和について積極的に発言す
ることは少なかったのでは」と振り返る。今年10月、広島、長崎両市が202
0年の五輪招致検討を発表した時も「とにかく何かアクションを起こしたい、と
いう情熱は理解できる。色んな方法で世界にナガサキをアピールし続けなければ
」と、前向きにとらえた。
浦上の信者らは、戦後もずっと世界平和を祈り続けてきた。オバマ米大統領の
プラハ演説、そしてノーベル平和賞の受賞決定。世界では核廃絶機運が高まった
かのように見える。
「だが、キリスト教国である米国は武器を作り続けている。北朝鮮は核兵器の
保有を宣言し、イランはその開発が疑われている。世界の状況は、むしろ深刻化
している」と感じる。だからこそ、浦上の信者は祈るだけではなく、自分たちか
ら動き、長崎で何があったのかを発信していく必要があると考えている。
4月20日~5月1日のマリア像の巡礼に、ずっと付き添う予定だ。「ゲルニ
カの空襲以来、戦争における民間人への無差別攻撃は今でも続いている。被爆し
たマリア像を直接見てもらうことで、スペインの人たちと連帯して、非暴力のメ
ッセージを発信したい」と力を込める。
(枝松佑樹)
「祈るだけではなく、長崎で何があったのかを発信していくことが必要だ」。そ
の思いを胸に、ゲルニカへの巡礼の旅に臨む
(朝日新聞2009年11月15日長崎掲載)