Tarsha's Trace

Tarsha's Trace

2008.06.21
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


今、フィリピンは台風が来ている。1日中、細かな間隔をおいて雨がしのつくせいだろう、窓から入ってくる風も冷たい。

今日は水シャワーは浴びれそうにないな。





今日は、our Halim の誕生日。

昨夜、日本時間に合わせて「おめでとうメール」を送ったけれど、いまだ何の音沙汰もないので、少し心配している。・・・万が一、Halim の天敵に携帯を取り上げられたりしていたら、なんて考えてしまう。心配で、papa にさっき問い合わせのメールを送ったところ。





島崎藤村の『破戒』を再読中。一時帰国する前にも、ノートを取りながら読み込んだけれど、やっぱり忘れている部分もあるので、もう一度読み直している。

作品に関する研究論文はすでに読んだ。でも、それらを読んだあとで自分の論を練ると、ふと、「作品」を忘れてしまうことがある。だから、もう一度、作品に返る。

それに、研究論文を読んでいて一つ思うことがあったのは、「作品を少しぞんざいに読んでいる部分がなきにしもあらず」ということだ。それは、昔のものよりも最近のものの方に多い印象を受けた。

また読み直すのは時間がかかるけれど、自分の論に自信を持つため、作品にないことを書かないようにするために、もう一度。作品に対して誠実でありたいから。




名作だ!!!


やっぱり、尊敬のおもいが湧きおこる。時を越えて残る作品とは、人間の「真実」をどれだけ深く、濃く、描き切れているかどうかなんだろうな。時代の複雑性、織り成される人間関係、心の動き、すべて混ぜ合わせて・・・ 考えてみれば、これを見事に描き切るというのは、「超」至難の業だ。

作品から受ける感動は、読む人の境涯によって変わる。

作品が読まれ続けていくためには、それが持つ「価値」を「今」に甦えらせ、示し、伝えていく人が必要なのだと思う。そうでなければ、作品は沈黙したまま、時の中に埋もれてしまう。

その点で、研究者は「文化の守り人」であり、「文化のために闘う人」ではないだろうか。その静かな遅々とした歩みの中に、人類史的に重大な役割と責任を担っているのではないだろうか。

では、その「新しい価値」とは何だろう?・・・それは、人間のこれまで見えなかった新しい面や姿を描くことだと思う。

だから、研究者自身が常に学び、常に己を新しくしていくことが、本当に大事なんだ。


人間は、実は、自分のことが一番よく分かっていないのかもしれないと思う昨今。己の心の動き、他者の心。共感するということ。理解することの難しさ。

心は誰でもが持っていて、「当たり前」すぎて、「見えない」から。自分を取り囲むほかのことは、精緻を尽くして知っていたとしても。

だから、文学を読み、深く心と考えを巡らす価値があるんだと思う。複雑かつ単純きわまりない矛盾だらけの人間を、より知るため、理解するために。


「言葉」を媒介とした、人間の総合的な研究。そして、人に感動という楽しみを与える「言葉」の芸術。・・・今の私が考える「文学とは何か」。






人間の「心」を知らないでいては、どんな分野のものでも、本当にはわからない。奥義はわからない。人間の文化はすべて、人間の「心」から生まれたものだからです。


「精神」という「目に見えない価値」に、どれだけ敏感でありえるか。どれだけ「見えないもの」に目を凝らし、「聞こえないもの」に耳をそばだてることができるか。そこに人間としての「証」があり、文明を導いていく羅針盤がある。



もっと、もっと勉強したい。学ぶことが無限にある・・・って、ついつい、長くなってしまいました。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008.06.22 01:09:06
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

プロフィール

tarsha1

tarsha1

カレンダー

カテゴリ

バックナンバー

2025.03
2025.02
2025.01
2024.12
2024.11

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: