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長かった夏休みもようやく終了な~んか、えらいバタバタとした夏でした祖母がらみで3度も帰省したしね~まぁ、そのうち一度は子供達も連れた普通の帰省だったけど友達におうちでプールするからまた呼ぶわ~って一学期の最後に言ってたのに結局呼べずじまいだったしね~ああ、こうやって不義理が続いていくのよねそんな夏休み最終日やる気もすっかりそがれたおいらはとりあえず午前中に洗濯を山ほど片付けました最近分かったんだけどどうやら私のストレス発散は大量の洗濯らしいしかし…天気予報では思いっきりなのに洗濯をしているうちにどんどん雲行きが怪しくなってねぇ何とか昼過ぎまではもったし風も少々あったから乾いたけどね日本気象協会様もうちょっと頑張ってくれよぉ~~と、まぁそんなこんなで午前中の業務終了午後から子供達を連れて図書館へここんとこはまってるのよね子供達も喜ぶし私も本は好きだから一時間ほど子供達を泳がせてその間に私も読書嫁姑の本なんぞ真剣に読みふけっておりました子供達に本を選ばせ私も数冊借りました などなどで、私が選んだのは と、数冊来週から本格的に幼稚園が始まるからその間に活字に触れてボケ防止でもしようかな~なんて思ってますとか何とかいいながらだんな君とパチンコ行ってたりしてね~
August 31, 2006
8月22日午後4時45分祖母が106年の長きにわたった人生を終えました明治32年10月9日に生を受け明治、大正、昭和、平成と動乱の時代を生き抜きまた夫を早くに亡くして6人の義理の子供達と3人のわが子を立派に育て上げ人の何倍も苦労してきた祖母最期は私と母に看取られ旅立ちました本当に大往生と言う言葉しか言いようの無い眠るような最期でしたお昼前に自宅に到着し祖母に声をかけたときにはうなづいたり寝返りを打っていた祖母ヘルパーさんが来てくれるから一旦本宅に戻り食事を済ませ2時半に祖母の元へ行きました母とオムツを交換して2~3日前から拒否をしていたのにお水を2さじ飲んでくれ寝返りをしたり手を上のほうに伸ばしたりしていましたしばらくして口で呼吸をするようになり「おばあちゃんしんどいん?水飲むな?」と聞いても反応しなくなりましたしばらく見ていたんですが手首で脈が測れないし手の爪も色が変わってきたので母を呼び出かけていた父に連絡して用が終わったらすぐに帰ってきてくれるように伝え念のため母が主治医に連絡してましたその電話の間に祖母の呼吸が少なくなりました「おばあちゃん息せんといかんで」電話を切った母がすぐに主治医に連絡し私も父に連絡しました「お父さんもう、おばあちゃんが...いかんかも...」電話を切って母と何度も何度も呼びかけましたが数度息をして最期に大きな息をついて呼吸が止まりました一番近い親戚に連絡しすぐに来てくれました先生も診察中にも拘らずすぐに来てくれました先生が心音と血圧と血中酸素濃度とを測ってくれ瞳孔反射を見てくれましたが反応はありませんでした 「お疲れ様でした本当に大往生という言葉しかありません息子さん夫婦にほんまにあれだけよう介護してもらっておばあちゃんは本当に幸せやと思いますなかなか出来ん事です今時、自宅で死ねるなんてしかも針の一本も体に刺さず看取る事ができるなんてないですよ本当に幸せな最期でしたね」 おばあちゃんが寝込んでずっと往診に来てくれた先生にそう言ってもらって母は本当に嬉しかったと思います しばらくして父が戻りましたがそれまでずっと先生は待ってくれていました父にもねぎらいの言葉をかけていただき看護婦さんが死後の処置をしてくれました寝込んで固形物が食べれなくなり外していた入れ歯を入れると少しは痩せているもののもとのおばあちゃんの顔に戻りました 本当にしんどいという言葉を一度も言わずほっとしたような笑っているような顔をしていました
August 26, 2006
祖母私が生まれたときから「おばあちゃん」だった明治32年生まれ西暦だと1899年生まれうちの子供たちが2001年生まれだから彼らの間にはまるまる20世紀が入ってしまう 祖父の三人目の妻として嫁いだのは30歳を過ぎた頃先の奥様方はそれぞれ夭折しておりその子供達が6人いる義理の子供達に囲まれてかなり苦労もしたようだうちの父が産まれた次の日伴侶を亡くしたそれ以来女手一つで子供達を育て家庭を持たせてきた 正直、気の強い可愛げのない女だと思う嫁いびりもかなりひどかったと母から聞く実際、新居を建てたときもかなりひどいことを言って県外の娘宅へ行ったが、そこでも揉めて旧宅へ戻るそれからずっと独りで江戸時代に建てられたと思われる古い家で暮らしてきた 私が大学時代に現在の家の隣に離れを建ててそこへと越してきた当時94歳あと2~3年でも綺麗な家に住めたらと祖母のためだけに建てた家それから12年日当たりのいい立派な床の間と座敷がある家で祖母は暮らした いつしか自分で煮炊きが出来なくなり食事は全て母屋から持っていくようになったそれでもその他生活の介助はほとんどしないでもいいくらい元気だったほぼ毎日通うデイサービスそこで器用に紙で花を作ったり手芸をしたりして楽しく過ごしていた ずっとそこにいるのが当たり前だと思っていたいくつになっても元気でいることが当たり前だと思っていた
August 18, 2006
帰り際に「また来るわな」って握った手を離すのをためらった「また」があるかどうかわからないいやおそらくないだろうのにそんな素振りを見せないように最期の嘘をついた笑顔で今生の別れをしなければならない辛さをぐっと飲み込む 最期のときを迎えようとしてるのに近くに居てあげられない介護している両親の力になってあげられないもどかしさ実家から離れた土地に嫁に来ていつかは…と覚悟は出来ていたはずなのに実際そのときが来てしまうとやり場の無い思いに囚われる 生まれてからずっとそこに居るのが当たり前の存在だったのに近い将来その存在が失われるだろう現実諦めと現実狭間にある自分の心 もしかして自分の中に感じる大切な人を私は初めて失うことになるのかな
August 16, 2006
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