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里見安房守忠義は、元和8年(1622)6月19日、29歳で伯耆久米郡堀村で他界。 3か月あとの19日、祥月命日に家臣も殉死し、ともに倉吉の大岳院に祀られしが、継嗣なしとして里見家は断絶となった。 忠義の伯父、正木大膳は、ともに伯耆倉吉まで来たが、徳川家康に召されて駿府に赴きそこで蟄居していたという。(里見改易始末記に柳営婦女伝系巻から引用)。 忠義主従が他界した時は側にいず、大膳は倉吉にはいなかったようだ。 大山寺本坊西楽院正木大膳奉納太刀、大膳と倉吉矢田某との力比べ話などがあり、正木大膳は、倉吉に来ていたという証はあるが、池田光政略年譜には、忠義が死んだ年、つまり元和8年の11月26日に「正木大膳、妻子共に鳥取に至る」とあり、再来しており、寛永7年(1630)6月20日没、53歳まで鳥取ですごしている。正木大膳は家康の命で駿府から伯耆倉吉へ赴いたが、その後、また駿府へ召し寄せられて元の屋敷に蟄居し元和2年(1616)家康没後、今度は秀忠の上意をもって江戸へめされ、桜田の小出大和守邸近所屋敷に6・7年差し置かれ殿中、旗本衆へも出入りを認められなかったという。 元和8年(1622)里見忠義没すと、大膳亮は江戸殿中へ呼び出され、子細もないまま因幡鳥取藩32万石松平新太郎(池田光政)へのお預けを仰せつけられたという。 お預けの理由 幕府から因幡鳥取の池田新太郎光政の元で家臣として相務めるように命じられた大膳亮が 「子孫陪臣に成ん事を悲しみ御免を乞い」と断ったため、上意に背く咎により、新太郎方えお預けになったとある。 正木大膳の譜代家臣の上野仲国、高梨半兵衛という者も伯耆、駿府、江戸と行動を共にしており、大膳が親族の子を養子とした正木伝右衛門、正木時次も鳥取に同道し、大膳死後、池田家の鳥取、岡山の国替え(1632)になり、岡山についていく者、鳥取に残るものとなったようである。上野仲国は因幡に残り、 寛永19年(1642)に、出家した息子の勢誉法師の幕府への願上により赦免され安房清澄へ帰った。高梨半兵衛は、備前岡山へ池田家と行動をともにした。大膳の養子、伝右衛門は岡山移封に従いて後、信州松本客分となり後に幕臣大久保家につかえ、時次も岡山に行き後池田の家臣となったようである。房総戦国大名の落日里見家改易始末より引用
2018年10月25日
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28年10月21日の地震からまる2年の昨日、交流プラザでフォーラムがあり駆け参じた。 思い出すのも嫌な出来事なれど、こう頻繁に自然現象なれば、行かずばなるまい。 京都大学防災研究所地震予知研究センター西村准教授、鳥取大学大学院工学研究科香川教授のそうそうたる講師の講演が聞けてなんか心つよく感じた。 動かざる如大地の如くと聞かされた昔はなんだったかが懐かしいような科学の進歩振り、此処山陰で年間5mm変動ありとか。 2016年、この前の地震は、倉吉市内中心部南北に貫く断層が約1mづれ動き、山陰ひずみ集中帯に入ってる地帯のようでM6,6、棚から落ちる物、足がぐらぐらで動きもならず、なせる動きにまかせるままだったようだ。 山陰地方は内陸(直下型)地震の発生が多く、活断層はまだ未熟で、発達段階にあると考えられ、活断層地帯と同じく地震の発生頻度が高く今後も地震に対する備えが必要だそうだ。同じ断層が、近い将来には再び動くこたは考えにくいが周辺部は、この地震で地震が起きやすくなってるようで備えが必要とのことである。 1927/3/7M7北丹後地震、1943/9/10M7,2鳥取地震、1995/1/17M7,3兵庫県南部地震、2000/10/6M7,3鳥取県西部地震 が内陸で震源の浅い地震がおきている。 地震は弾性反撥つまりひずみ(地殻変動)が原因で、これの応力が最大となり脆性破壊(ぜいせいはかい)が起こると地層のずれが生じて起こる。 地殻変動は、地殻に生ずる動きで隆起、沈降、断層、褶曲、等の造山運動などである。このひずみ(地殻変動)の観測方法はGNSS(衛星観測システム)で人工衛星で正確に測定。全天候、245時間連続、無人観測が可能で日本列島に1300か所整備されてる。 精度はよくなったものの傾向と予測はつくが、まだ地震予知までの段階は至っていない。 大自然は、まだまだ大きいもののようだ。
2018年10月22日
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