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TERA DREAM

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2007.01.31
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 知人を通して「聖公会京都教区FH司祭事件を考える会」の代表の方の許可を得ましたので、その全文をここに掲示いたします。
 詳しいことをお知りになりたい方は、下記のホームページにアクセスして下さい。
 実に悲しいことです。


以下、メールの本文。事件関係者の氏名はアルファベットにしました。

ホームページから抜粋
皆さん何回も読み直して祈りと高地主教への抗議お願いします。
「聖公会京都教区FH司祭事件を考える会」
   ホームページ


   代表  コルネリオ堀江静三(事件現場教会信徒)      
      日本聖公会 京都教区高田基督教会(創立1887年)
         (奈良県大和高田市本郷町9-27)
      昭和13年2月誕生(69歳)  大阪聖バルナバ病院で
      昭和17年12月25日 受洗 曾根茂樹司祭により
     昭和27年12月7日 堅信式 主教 マッテア佐々木二郎
     昭和39年11月結婚まで12年間同上教会にてオルガニスト


 この事件は被害者が小学4年から中学2年3月まで5年間も信頼していた
牧師である家庭教師から「○○○○」を受けたことにより、大人になってか
ら、重いPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、それが嵩じて、・・
救急病棟へ運ばれ、家族から連絡を受け病院にかけつけたH牧師が土下座し

妻と示談交渉を重ねていた        

  「○○○○事件の背景、流れ」

<1976年> 加害者H氏がウイリアム神学館入学 (27歳)

<1979年> H伝道師は新潟県N市の教会を(ある出来事のため)退職          

<1979年> Y司祭が主教の位に按手される (Y主教誕生)



<1982年> H執事はY主教から司祭の位に按手(叙階)される

<1983年> K牧師の父(S会の牧師)死去。前後して(○○○○犯罪
       行為,しかし他の被害者は加害牧師が着任後しばらくして被害
       を受けたとT主教に訴えた)

<1984年> H牧師はウイリアム神学館助手に、後に教授に就任。

(2005年9月5日付辞職するまで、ウイリアム神学館教授)

<1988年3月>H牧師T教会(8年間在籍)より京都市内へ転出。

        京都教区、財政に1億2千万円の使途不明金が出て、
        Y主教辞任。

<1989年> O司祭は主教の位に按手される (O主教誕生)



 そして10年の時が経過し、被害者女性はある「○○○○」のテレビドラマ
を見たのがきっかけとなって、自分も同じ状態、精神的に不安定(腹痛、不眠、
幻覚等)であることを自覚しはじめた。(裁判記録)             

  (参考 1990年12月K主教、U管区総主事らは沖縄土地売却(46億円)
     事件を封印して、古谷一俊氏(故人)聖公新聞編集者を解任する。言論の
     自由を弾圧、信徒の知る権利を奪う。隠蔽体質は継続される)

<1995年> 横浜教区M司祭は主教の位に按手される。(M主教誕生)

         同年、オウム真理教地下鉄サリン事件

<1998年> 12月末に女性が父親に被害のことを打ち明け、翌月姉にも・・・

<1999年正月>には父親だけがH牧師を訪ねた

<1999年7月>N県警本部にH牧師から被害を受けていたことを相談に行き、
      8月にN県精神保健センターの医師(K大精神病理学)の診察を受ける。

<2000年1月> H牧師は教区「常置委員会〔役員会〕委員長」に就任

<2000年1月3日>H牧師夫人に初めて被害者が「〇〇○○被害」の件を話した。
           H牧師夫人は被害者からの電話で知った時、信じられないと
          思いながらも被害者女性に会う約束をした。

<2000年1月6日>T駅前の喫茶店で被害者から詳細を聞いた。
    別れ際夫人は「夫に確かめ事実であれば牧師をやめさしますから」と告げた。

<2000年1月28日>H牧師は父親へ認める謝罪手紙を出している。      


 その後H司祭はG会館で父親に2回会い「魔がさした、許してください、許してく
ださい」と懇願・謝罪している。しかし、司祭職を辞退するとは明言しない。その書
き出しは次の通り。
 「○○様  懺悔の値打ちもない愚か者から痛悔して、手紙を書かせていただきま
す。はらわたが煮えくり返るほどのお怒りを覚悟して・・(略)死んでしまいたい位
の気持ちで悶々としています。  このまま車を崖から・・(裁判記録48頁)

 この手紙はM主教にも手渡されている。
 故にM主教はH牧師がこの手紙で「〇〇○○」を認め謝罪している事を知っていた。
 M主教が退職撤回したことがこの一点からしても如何に大きな判断ミスをしたこと
がわかります。最高の倫理規範を要求される聖職者が犯した「〇〇○○」事件は懲戒
解雇になると世間では判断する。この時点で審判廷で停職「陪餐停止」はできた。

(注5)「聖公会では懲戒解雇する場合は当事者双方を呼んで主教座聖堂で審判廷を
開き、証言を確認しなければ、懲戒解雇できない。(聖アグネス教会、浦地司祭談話、
2006年5月9日)と突っぱねたが法規を購入して読むと、非公開で可能となって
いる。 (日本の法律、刑罰や裁判は信用しないということか?)


<2000年11月23日>京都教区会(年一回)に出席していた父親を休憩時間に
      議室の片隅に連れて行き、H牧師は「娘さんの体を触りました。許して
      ください!」と「〇〇○○」行為をはっきり認め、謝ったと裁判記録に
      書かれている。

<2001年3月8日>夫人が一年以上前に「事実であれば牧師を辞めさします」と
          言ったのに謝るばかりで一向に辞めないので、電話にて被害の
          苦しみの声をH牧師に聞かせ、厳しく責め、退職を迫りました。

<2001年3月10日夜>H牧師は被害者本人へも謝罪手紙を出している。
2001年4月 5日 病院で土下座して謝罪。
2001年4月 8日 常置委員会で退職決定
2001年4月18日 退職撤回し、ウイリアムスの教授に戻す。





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Last updated  2007.01.31 23:25:18


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