キリスト教カルトを斬る

キリスト教カルトを斬る

PR

×

Freepage List

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Profile

TERA DREAM

TERA DREAM

Comments

コメントに書き込みはありません。
2007.02.11
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 教会の中でセクハラがあったようですね。それを皆さんで守ったようですが、教会を去ってしまわれた方のためにもお祈りしました。私は、H司祭だけでなく高地主教や京都教区の常置委員の司祭たちのために祈っています。ひとの心に罪を悔いる心を起こさせて下さるのも神様であるとしたら、私たちの執り成しの祈りを神様が聞き入れて下さるはずです。神様の御心であれば、神様は何でも出来るお方です。

 「いいたい放題」というブログを読みました。
 私もあの判決は、H司祭に対する大阪高裁のものだと思っていました。本当によく似ていますから。いたいけない5人の児童に対する性的虐待をしていたH司祭の行為は、高等裁判所が損害賠償・慰謝料請求額の満額を支払うように判決し、その判決に対する上告を最高裁が棄却したということによって、「事実無根」のことではないということがはっきりしているにもかかわらず、京都教区の高地主教をはじめ常置委員の司祭までもが、いまだに被害者やその家族に謝罪していないということは、教会の信仰からしても如何におかしいものであるかは、皆さんにもお判り頂けるのではないかと思っています。

 日本聖公会法憲法規の中で審判廷に関する部分を読み返していたのですが、聖書の御言葉や教会の伝統が判断基準になることが記されていないのは何故でしょうか。確かに、聖書の解釈は様々なものがあります。しかし、教会の信仰は聖書と明文化された信仰告白によって確定されていなければならないのではないでしょうか。
 懲戒するときの一番の基準は聖書だと思っている私には、そのことが懲戒規定の中で明言されている必要があると思えます。あるいは、聖公会はニケヤ信経と使徒信経を基としていることが綱憲の第2に明記されていますが、その信経に違反する発言をした場合には懲戒されることはないのでしょうか。
 あるいは、聖職・伝道師・信徒が懲戒される事由として、「その他著しく不道徳まはた不正であること」が上げられてますが、「不道徳」「不正」の定義がなされていません。ある意味では、いくらでも恣意的にこれを解釈できると思えるのですが。罪刑法定主義の観点からすれば、「不道徳」「不正」という表現はあまりにも曖昧すぎると思っています。
 「ゲイ」の司祭がいますが、それは不道徳ではないのですね。
 「使途不明金」は不正ではないのですね。
 とすると、この「不道徳」「不正」は聖書に記されていることには規制されていないわけですよね。審判廷が「不道徳」だと認定すれば、聖書では許されていることでも不道徳ということになり、聖書が不正ではないと言っていても、審判廷が「不正」だと判断すれば不正だということになってしまいます。逆に、聖書では不道徳だとされていることでも、審判廷が「不道徳ではない」と決定すれば不道徳ではなくなってしまい、聖書では不正であるとされていても、審判廷が「不正ではない」と決定すれば不正ではないということになります。

 確かに、綱憲の第1には聖書は「神の啓示にして救を得る要道を悉くのせたものと信ずる」とありますが、私が読んだ範囲内では、この綱憲が法憲法規を拘束しているという条文がないように思えます。法憲法規の序文には「聖公会の伝承に基いて、法憲法規を定め」としか記されていません。
 それとも日本聖公会には公開されていない不文律があるのでしょうか。

 組織論が前面に出るときには、内実が崩壊しはじめているとよくいわれますが、組織の秩序を無視すると、その組織は無秩序による混乱に襲われるのではないでしょうか。
 (綱憲および法憲法規からの引用の送り仮名は原文のまま) 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.02.12 10:58:55


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: