キリスト教カルトを斬る

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TERA DREAM

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2007.02.21
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 朧気ながら事件の真相が見えてきました。
 原田司祭の犯罪を、それを犯罪と知りながら主教や司祭は隠そうとしたのですね。その為に、自分たちが考えられる手段で事件を隠蔽しようとしたり、被害者の資質までも問題にしたのですが、すべては確定した大阪高裁の判決が明らかにしているのだと思います。大阪高裁の判決は、慰謝料請求額の満額の500万円を認めています。つまり、完璧なまでの原告(被害者)側の勝訴ということになるにもかかわらず、原田司祭は「事実無根」を主張し続けてきています。「冤罪だ」と言った聖職もいるそうです。もしかしたら、「それでも僕はしていない」という話題の映画を例にして話をしているかもしれません。私の友人が面白いことを言っていました。「証人がいないだろう!」と言ってるのではないかということです。女子児童に対する性的虐待の目撃者がいたら、大変なことです。底で犯罪が行われているにもかかわらず、制止することもなく、警察に通報することもなかったんですから。目の前で起きている犯罪を看過したら、ある意味では共犯者であるかもしれません。証人や目撃者がいるはずのない事件です。

 そして、大阪高裁の判決内容は、事件は間違いなく起こっていたということを明らかにしているにもかかわらず、これだけの犯罪性のあるものを日本聖公会は未だに問題にしていません。刑事訴訟法で時効になったものは、神学的にも時効が成立するかということを私は日本聖公会の全聖職に質問したいと思っています。
 それは正に、教会と国家の現実的な問題でもあります。
 この問いに答えられない、言い換えればご自分の神学を明確に論じられない主教は、主教である資格があるでしょうか。主教は教会の「司牧」者であると、日本聖公会法憲第一条がはっきりと宣言しているのですから、日本にある他教派の教会に対してこのことを明確に告げるべきです。
 日本聖公会の法憲法規には、日本国憲法下における法律、ことに民事訴訟法や刑事訴訟法では時効になっている問題や犯罪を、審判廷で裁くことは出来ないとは書かれていません。ですから、教会の法憲法規を法律よりも後退させて考えていない限り、日本聖公会はこの犯罪を審判廷で裁かなければならないのではないでしょうか。刑事訴訟法が教会法よりも先行するのであれば、教会は教会でなくなるのではありませんか。初代教会や古代教会は、ローマ帝国の認可を受け、その秩序の中で御ミサを守り続けてきたのでしょうか。ペテロは何故死んだのですか?聖公会の聖人の中でこの時にローマ帝国によって殺された方々は何人いらっしゃいますか?
 女子児童に対する性的虐待は、教会法でも大変な罪です。


 「懲戒を求める申立は、第198条から第200条までに規定する行為または行為をしないことが終わったときから3年を経過した後は、することが出来ない」と法規第210条で時効が定められていますが、この事項期間には大きな問題があります。刑事訴訟法上はまだ時効が成立していない重大な犯罪であっても、日本聖公会は犯罪者を審判廷で裁けないことになってしまいます。


 そしてなによりも、この事件は終わっているでしょうか。
 被害者はPTSDで苦しみ、その家族はそのことによって途轍もなく大きな重荷を背負っています。これを「終わっている」とお考えになる主教や司祭の神学的所見をお伺いしたいと思っています。「日本聖公会には神学はない」ということをお伺いしたことがありますが、まさか主教や司祭に神学がないとは思えません。
 また、神学がなければ何故祈祷書を制定できるのでしょうか。あるいは、綱憲をはじめ、法憲法規で様々な規定を設けることが出来るのでしょうか。何故、洗礼と聖餐が聖奠(サクラメント)なのですか?神学がなければ、これを決定することは出来ないはずです。


 そして日本の社会の中でかなり異なった教理体系を持っている仏教諸宗派を、「仏教」という枠組みですべて同じもののように考えている日本人は、「キリスト教」という枠組みで、無数にあるキリスト教の教派を同じもののように見ています。つまり、聖公会の中での犯罪とその隠蔽工作が公表された(主教等の記者会見)時点で、多くの他教派の教会にも何らかの影響を与えたことは否めないと思います。
 何故、そうした事態に日本聖公会は目を向けないのでしょうか。
 主教会は何を話し合っていらっしゃるのでしょうか。

 そして心配しているのは、ご自分なりの決断をされた武藤主教にあちこちから電話をしていないでしょうか。掛ける側は一人ですが、受ける側は掛けてきた電話にすべて出なければなりません。
 確かに問題は、武藤退職主教が何故、現在の勤務先を辞職するのかとうことだと思います。理由です。辞職する理由です。そして、その理由があの女子児童に対する性的虐待事件の取り扱いと、加害者である原田司祭の取り扱いに関する過ちをお認めになり、一連の経過をはっきりと文書で証しし、被害者とその家族、及び事件現場である教会の信徒に謝罪しなければ、辞職は何の意味も持ちません。
 「主のために生きて下さい。」
 僭越ながら、私も武藤主教にそう申し上げたいと思っています。
 「たとえ日本聖公会が痛んでも、主のご栄光が現れることを決断して下さい。」





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Last updated  2007.02.21 23:08:00


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