キリスト教カルトを斬る

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TERA DREAM

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2007.06.15
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ヨハネ福音書7章53節~8章11節

 人々はおのおの家へ帰って行った。
 イエスはオリーブ山へ行かれた。
 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分
のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、
律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえ
られた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。
 「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こ
ういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じていま

 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったの
である。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められ
た。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を
起こして言われた。
 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、こ
の女に石を投げなさい。」
 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、
立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
 イエスは、身を起こして言われた。
 「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを

 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。
 「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これから
は、もう罪を犯してはならない。」



 この聖書の個所は嫌いだという方に出会ったことがあります。理由は「姦通という言葉が嫌だからです」ということだったのですが、本当のところは、性に関することをタブー視しているからのようでした。ですから、聖書は旧約の時代から性に対して実におおらかで、していいこととしてはいけないことをはっきりと区別していますし、旧約時代から伝わっている「ミシュナー」という口伝の律法にも、極めて具体的に性のことが書かれていることをお話ししました。男と女がいて、性の交わりがあって、はじめて神様がそこに新しい命を与えて下さるのですが、これもまた神の創造の秩序であると聖書ははっきりと伝えています。

 日本のキリスト教には、ある意味で儒教的というか武士階級の考え方が残っているように見えます。武士社会は、性に関するタブー視と同時に、女性の童貞性を強く強調しています。しかし、日本国民の90%を占めていた農村地帯では、性に関しては非常におおらかでした。民俗学者はあまりここを強調しないのですが、東北のある町の民俗に関する研究書には、そのおおらかさが具体的に記されています。しかしそれは、けっして性の社会的混乱を意味していません。むしろ、結婚ということの社会的意味が完璧なまでに守られています。不倫は死罪です。これは男性にも女性にも適応されていますし、法的な記録ではなく、正に実例そのものが藩の公式記録として残っているところがあります。そして、おおらかであった村々で、こうした事件が記録されているのはごくわずかです。


 彼女は姦通の現行犯で捕らえられました。この時代、男は姦通罪に問われなかったのでしょうか。なにしろ、主イエスのお話を聞こうと集まっている人々のところへ連れてこられたのです。目的は、ナザレ人イエスを試すためでした。主はそれを見抜いていらっしゃいます。
 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか。」
 律法学者たちやファリサイ派の人々が問い掛けたことは、立法という視点から考えれば当然のことかもしれません。
 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
 主はそれだけおっしゃると地面にまたものを書き始められたようです。
 「罪を犯したことのない者」
 そういわれて、年齢の高い人々から去っていったと聖書は状況を説明しています。年齢の高い人から去っていった。それだけ罪を積み重ねてきたからでしょうか。それだけ過ちを犯してきたからでしょうか。時の流れは、人が罪を犯したことの連続かもしれません。
 この時、この婦人は地面に立ったままでいたとは思えません。律法学者やファリサイ派の人々によって押し倒されるように地面に倒れ、そのままの姿勢で主の御前にいたのではないでしょうか。椅子に座って、ふんぞり返っていたのではありません。

 「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
 「主よ、だれも」
 主には見えています。そこにこの婦人とご自分しかいないことが見えています。にもかかわらず、この婦人に「誰もいないのか?」とお尋ねになり給うています。この婦人は、この主の言葉で伏していた顔を主に向けたかもしれません。
 「主よ‥‥‥誰も‥‥‥」
 徹底的な謙遜さと徹底的な悔悛から、婦人はこの言葉を絞り出すように語っているのではないでしょうか。「主よ‥‥‥誰も‥‥‥」
 この言葉に主の言葉が高らかに宣言されています。
 「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
 主イエス・キリストの十字架による罪の赦しはここにあるのではないでしょうか。


 主よ、
 自らの罪をあなたの御前に告白し、悔い改める信仰と勇気を与えて下さい。
 主イエス・キリストの御名によって、 アーメン。





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Last updated  2007.06.15 14:34:58


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