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TERA DREAM

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2007.10.18
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 「日本聖公会では、子供の時に片親になった人は司祭になれなかった。」

 この発言は彼の個室で為されたのだそうです。ですから何の記録も残っていないはずです。ただ、知人は携帯用の録音機を持っていますから、もしかしたら録音していたかもしれません。しかし、録音していようがいまいが、これが日本聖公会の現実なのですね。過去の過ちをまったくそのままにしておいて、「人権」という言葉を使っていらっしゃったようです。

 「過去の事実を語ったまでだ」とその主教さんはおっしゃるかもしれませんが、否定すべき事実を引用する時は、はっきりとそれを否定しなければならないのではないでしょうか。もちろんそれが否定される理由についてもです。日本聖公会の主教さんが皆さん、こうした不用意な発言をされるとは思いません。しかし、そうした発言が聞き流されてしまうところに、京都教区の原田文雄司祭事件に対する教区の対応の問題性が隠れているように思えます。
 被害者の女性は、子供の時にお母様がお亡くなりになっているそうですね。知人に対する発言を以前から知っていましたから、それが一番気になっていたところです。日本聖公会は、過去の過ちに関して何も反省していらっしゃらないのだとしたら、事件の対応のどこかで、とんでもないことが脳裏を過ぎっていたのではないでしょうか。

 知人の履歴書を読んだ聖職で、彼のお母様が、彼が小学生の時に亡くなっていることを問題にした方がいらっしゃるのかもしれません。何しろ、「常置委員の中に、何故カリスを必ず右手で持つのか、その理由を知らない司祭がいる」そうですから。そうした意味では、日本聖公会は中世封建制度の根本にあった宗教(religion)を脱しきれていないと言えるかもしれません。ですから、準強制わいせつという行為をしたと最高裁が認定した原田文雄司祭を審判廷にかけず、被害者とその家族が教会を離れてしまっても、問題は解決されているという誤った認識を、教区内の信徒が、持たされてしまったように思えます。
 日本聖公会の中には、いまだに「日本聖公会では、子供の時に片親になった人は司祭になれなかった。」ということが、「なれななった」ではなく「なれない」というように考えている人々がいるように思えて仕方がありません。

 日本聖公会の司祭が「人権」という言葉を口にすると、本当に空しくなります。かれらは、自らの教団の中で、いまだに人権を無視した言葉が語られていることをご存知なのでしょうか。教会墓地に墓域を持っているかどうかで、信者の格式が異なると考えている方もいらっしゃると聞いています。やってることは、まるで中国共産党と同じです。そうした意味では、日本聖公会は「教会社会主義」とでも言えるかもしれません。一歩間違えば、ナチズムに陥ります。いえ、もう陥っているとお考えになっている方もいらっしゃいます。彼らは他教派なので発言を控えているだけで、日本聖公会が保っている社会主義的体質をしっかりと見抜いていらっしゃいます。
 京都教区の原田文雄司祭事件が、真実の意味での解決を見るまで、聖公会はひたすら、中世的封建社会を支えている考え方(あえて神学とは言いません)を徹底的に排除し、、世界人権宣言で明確にされている人権を擁護出来るようになるために、問題に対して、日本聖公会の聖職者は真摯に対応されるべきです。





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Last updated  2007.10.18 14:24:04


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