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あれよあれよと今年も5月21日になり、このブログもついに2周年を迎えることができました。 ありがとうございます! THANK YOU! GRACIAS! OBRIGADO! MERCI!(合ってる?)リアルな俺らしく、非常にまとまりも方向性もないものですが、続けてこれたこと、見てくれる人がいること、本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。これまたリアルな俺らしく異常な自己満足ですが。昨年のこの日の日記にも書いたように(→ こちら)始めた当初はちっともこんな形にする気はなかったし、ここまで続けられてるなんて思ってもいませんでした。飽きっぽいことで有名な俺が、どういう訳かブログは続いてる。あと続いてるものといえばサッカーくらいだから、俺の中では結構、奇跡的な出来事であり。嬉しいね、嬉しいね。でもこれはマジで、見てくれる人がいて、何かを述べてくれる人がいて、書けよとプレッシャーをかけてくれる人がいるからこそ。だからこそ、ありがとうー。そしてこの2周年を区切りに、このブログに別れを告げたいと思います。本当にありがとうございましたー。これまたリアルな俺らしく、引越し経験13回という俺らしく、ブログも引越しをすることにしたのです。次の新居は、こちら。ゆるりゆるりとページも整えていくので、まあ気長にお付き合いくださいね。よかったら2年間の最後のこの日記に、みなさんの想いを刻んでやってください。よろしくお願いしますー。マジで感謝感謝感謝しています。今まで本当にありがとうございました! 『決心するということは、 単に始まりに過ぎないということ。 決心するということは、 まるで、急流に飛び込んで、 その時には夢にも思わなかった場所に 連れてゆかれるようなもの。』 「アルケミスト」より
2007/05/21
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恵比寿ガーデンプレイス内にある東京都写真美術館に、映画「地球交響曲 第六番」を観に行ってきました。目には見えない部分を大切にしている様々な分野の人を取り上げたドキュメンタリー映画。これまでのシリーズには、俺の大好きな写真家の「星野道夫」をはじめ、歌手の「エンヤ」、かの有名な「ダライ・ラマ」、素もぐり記録保持者「ジャック・マイヨール」、伝説のサーファー「ジェリー・ロペス」、版画家の「名嘉睦稔」、草木染織作家の「石垣昭子」、といった人たちが登場。今回の第六番『音』をテーマとして、 ● ラヴィ・シャンカール (シタール奏者) ● ケリー・ヨスト (ピアニスト) ● ロジャー・ペイン (海洋生物学者)といった人たちが登場。俺は彼らをまったく知りませんでしたが、それぞれ本当に素晴らしかった!あ、なんだか、実際に会ったみたいな言い方だな・・・(笑)。シタール奏者だから、とか、ピアニストだから、とか、海洋生物学者だから、とか、じゃなく「人間」としてスゴイっていうような。それぞれにそれぞれのスタンスや、それぞれの経験があって、だからこそ、それぞれの言葉が生まれる。そこにまたグッと惹かれちゃうんですよね。 「インドの音楽には グル(導師)が必要です。その答えは簡単です。 西洋の音楽には書き残された楽譜があります。 私達にはそれがない。 過去のどんな優れた音楽も、書き残されてはいません。 全ては耳を通して、グルから直接学ぶからです。 グルが声や楽器で示す音を即座に弾きこなす、 というのこの訓練方法は、 単にメロディやリズムを学ぶものではありません。 厳しいテクニックの訓練を通して、聴覚はもちろんのこと、 視覚、触覚といった五感の全てを解き放ち、 その先で生まれる直感力を磨くことにあります。」 - ラヴィ・シャンカール 「全ての動物達は、 必要があって、必要な場所に生きています。 花も草も木も、全ての存在が、 しかるべき場所にしかるべき意味をもって存在しています。 そして、私自身もまた、その大いなる存在の一部分として、 今、ここに生かされているのです。 それと同じ感覚を、私は音楽の中に感じるのです。」 - ケリー・ヨスト 「対決的な姿勢だけでは、人の心は動かせない。 どんな運動にも、人を感動させる美しさが必要です。」 - ロジャー・ペインこの映画の「龍村仁」監督が、パンフレットにこう書いていました。 「調和の音楽を生み出すためには、 その演奏に参加する全ての存在が、 自分以外の存在が奏でる“音楽”に 耳を澄まさなければならない。 他の存在が奏でる“音楽”を聴くことに依って、 今この一瞬に自分が奏でるべき“音楽”が生まれ、 その“音楽”が他の存在が奏でる“音楽”と響き合って、 壮大で美しい調和の“音楽”が自ずと創造されてゆくのだ。 今、私達人間は、 明らかに調和を乱す“不協和音”を奏でている。 調和を求める宇宙の‘大いなる意志’に依って、 私達そのものが抹消されてしまうのか、それとも、 新たな調和の音楽の創造に参加することができるのか、 その選択は私達自身に委ねられている。」俺はアホだから、環境問題も経済問題もよくわからないけど、自分の見える世界のことは知ることはできる。そして、何よりも、「自分自身」のことを誰よりも知ることができる。親よりも、友人よりも、猫よりも。だからこそ「自分自身」から逃げ出さないようにしたい。“本気の楽しさ”が存在することを選択をしていきたい。で、いつか、調和の世界を。 “ 悪いとわかっていても ラーメンのスープを飲んじゃう、 でも安心したいがために微妙に残しておく、 自分自身の体重から逃げてる男の誓い ” 『小さな一人ひとりが、 自分にできることを精一杯やっていると、 それが自然に響き合って、 いつの間にか大きな力になっていゆく。』 - ピアニスト ケリー・ヨスト
2007/05/19
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『歴史には宝がつまっている。』 格闘家・須藤元気
2007/05/18
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≪内容≫ Y君の球蹴り教室でのあれこれ≪場所≫ 東久留米市のとある団地内の公園≪登場人物≫ Y君(12歳) セニョ君(31歳) アニ君(6歳) オトウト君(5歳)【 夕暮れ時のキッズでいっぱいの公園。 Y君・セニョ君がチャリンコで登場。 】 セニョ君 「さすがにまだ明るいから混んでるなー。」 Y君 「うん、あっちの端っこでやろうよ。」【 自転車を停めるふたり。 】 セニョ君 「それじゃあさ、まずは弱い力でボール蹴ろう。」 Y君 「うん、わかった。いくよー。 うわ、思いっきり蹴っちゃった・・・。 窓ガラス割れちゃうから危ないよね。」 セニョ君 「そうだよ、気をつけような。」【 その周辺をチャリンコでかっ飛ばす 赤い長靴を履いたアニ君と、 水色の長靴を履いたオトウト君。 】 アニ君 「うおーん、うおーん。」 オトウト君 「こらー、待ちなさーい。」 Y君 「明るいとさすがに子供が多いな・・・。」 セニョ君 「うん、確かにな。よし、いくぞー。」【 微妙な坂をチャリンコで下るオトウト君。 】 オトウト君 「ナムロ、行きまーす。」 セニョ君 「・・・・・・・・・。」 オトウト君 「タムロ、行きまーす。」 セニョ君 「・・・・・・・・・。」 オトウト君 「アムロ、行きまーす。」 セニョ君 「ああ、ガンダムのアムロか(笑)。」【 広場が空いたので移動するY君・セニョ君。 】 Y君 「ああ、よかった。 やっぱ広いとこの方がいいよね。 人も気になっちゃってたからさ。」 セニョ君 「そっかそっか。 よし、ここなら強く蹴っていいよ。」 Y君 「よっしゃ、いくよ。おりゃー。」【 セニョ君の後ろにチャリンコを停めて 話しているアニ君・オトウト君。 】 アニ君 「ああ、サッカーやってる。見ていく?」 オトウト君 「いいけど、でも危ないよねー。」 セニョ君 「・・・・・・・・・・・・・。」 オトウト君 「だって当たったら怪我しちゃうじゃん。」 セニョ君 「大丈夫、当てないようにするからさー。」 アニ君 「よかった、当てないようにしてくれるってさ。」【 Y君のキックが逸れ、 オトウト君のチャリンコにボールがコツン。 】 セニョ君 「ああ、当たっちゃったね。ごめんね。」 Y君 「ほんとにごめんね。」 オトウト君 「うん、大丈夫だよ~。」【 キックの続きをするY君とセニョ君。 コソコソ話をしているアニ君とオトウト君。 】 アニ&オトウト 「い~~~れ~~~て~~~。」 セニョ君 「うう、かわいい・・・。 Y、どうする? ちょっと一緒に蹴ってあげる?」 Y君 「そうだね、そうしよう~。」【 Y君が弱いボールをふたりに蹴って、 それを思いっきり蹴り返すアニ君・オトウト君。 そこに加わらずちょっと離れて見ているセニョ君。 】 アニ君 「うおりゃー。」 Y君 「ナイスキーック!」 オトウト君 「僕にも蹴らせてよー。」 Y君 「わかった、いくよー。」 オトウト君 「#$%&*?&%$!!!」 Y君 「ははは。」【 おばあちゃんが登場。 】 おばあちゃん 「あら、すいませんね~。」 セニョ君 「いえいえー。」 オトウト君 「あれ、おばあちゃん料理のままだ。」 おばあちゃん 「ああ、エプロン着てるからね。 おばあちゃん先に帰ってるからね。 すいませんけど、よろしくお願いします~。」 Y君 「はーい。」【 今度はお母さん登場。 】 お母さん 「ああ、ありがとうございます~。」 セニョ君 「いえいえー。」 アニ君 「あ、お母さん。見ててねー。おりゃっ!」 お母さん 「ああ、上手くなったね~。 おばあちゃんも心配してるから そろそろ帰ろうか。」 オトウト君 「うん、わかったー。 じゃあ僕が最後に蹴ったらね~。 よっしゃ、おりゃ!」 Y君 「ナイスキーック!!!」 お母さん 「遊んでくれてありがとうございました。」 Y君 「どういたしましてー。」 アニ&オトウト 「じゃあ、またね~。」 Y君 「うん、またね~。」【 アニ君・オトウト君・お母さんを見送るY君 】 Y君 「ああ、本当に楽しかった!!!」【 その後にやったなわとびで新記録を樹立。 】 ≪ おわり ≫ 『どういう時でも人は さりげなく補い合って生きている。』 作家・よしもとばなな
2007/05/17
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“岡本太郎”の爆発表現が好きな人。“ゴン中山”の前への姿勢が好きな人。“ブルーハーツ”の真っ直ぐさが好きな人。“坂本龍馬”のリーダーシップが好きな人。“プロジェクトX”の成り上がり感が好きな人。そんな人にお薦めな本。 『 風が強く吹いている 』 三浦しをん・新潮社「笑和」の常連さん“Uさん”が、面白いよと貸してくれた本だったのですが、これが確かに面白かった!!!感動した!!!はっきりいって号泣しまくりです。帯に書かれた、この物語の説明。 「超ストレートな大型青春小説」 「“速く”ではなく“強く”。目指せ箱根駅伝!」 「箱根の山は蜃気楼ではない。 襷(たすき)をつないで上っていける。俺たちなら。」 「才能に恵まれ、 走ることを愛しながら 走ることから見放されかけていた 清瀬灰二と蔵原走。 奇跡のような出会いから、 二人は無謀にも陸上と かけ離れていた者と箱根駅伝に挑む。 たった10人で。 それぞれの“頂点”を目指して・・・。」 「長距離を走る(=生きる)ために必要な 真の“強さ”を謳いあげた書き下ろし1200枚!」熱いの大好きな俺でさえ、このストレートさにはちょっと引いた・・・(笑)。でも読み始めたら止まらない止まらない。いくつか響いた部分を書いちゃおう。 「たとえ俺が一位になったとしても、 自分に負けたと感じれば、それは勝利ではない。 タイムや順位など、試合ごとにめまぐるしく入れ替わるんだ。 世界で一番だと、だれが決める。そんなものではなく、 変わらない理想や目標が自分のなかにあるからこそ、 俺たちは走り続けるんじゃないのか。」 「選手として大成できないなら すべては無意味だとしか思えなかった。 ニコチャンは自分への失望を抱いて、 陸上から遠ざかったのだった。 長い学生生活のあいだに、 一人で生きる術を得たし、陸上以外の経験も積んだ。 そしてわかったのは、無意味なのも悪くない、ということだ。 綺麗事を言うつもりはない。 走るからには、やはり勝たなければならないのだ。 だが、勝利の形はさまざまだ。なにも、参加者のなかで 一番いいタイムを出すことばかりが勝ちではない。 生きるうえでの勝利の形など、 どこにも明確に用意されてないのと同じように。」あ、そうだ。“バレンタイン監督”に憧れるスポーツ指導者、“スラムダンク”がバイブルの人にもお薦めです。みなさんも、何かお薦めの本があったら教えてくださいねえ。Uさん、ありがとうございました~! 『あせらず歩こう。 そうすればきっと、 走れるようになるから。』 「風が強く吹いている」より
2007/05/15
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原付での帰り道。ゆっくり走ることに決めた。こんな状態の時、自分では気を張ってる、と思っていても何テンポか判断がずれてる。実際、数年前もそうだった。大会で負けた直後の原付での帰宅時。どうして試合をモノに出来なかったのか、あれこれ考えをめぐらせていると、信号待ちしてる前方の車に気づかずブレーキをわずかにかけ遅れて、バスにゴトンとソフトタッチしてしまった。でもバスの運転手が寛大で大目に見てくれた。その時にやっと、自分がおかしくなってることに気づいた。ああ、俺もこんな状態になるんだってふと思ったら、なんだか笑えた。そして誓うことが出来た。翌日からはそれまでになかった“良いもの”が自分の中に漂ってた。大好きだった人への告白が失敗に終わった時に感じる痛みと爽快さのようなものが。“K高校”との試合は、前半40秒で失点してしまい、ハーフタイムを向かえた時には、0対3。攻めるしかない後半も、相手に先に2点を取られ、最後に一矢報いるも結局「1対5」で大敗。理性なんてもんを一撃で崩し、心の中にデッカイ重石を投げ込み、目の前の世界から色を奪っていくには、うってつけのスコアと結果。“収穫”と“課題”。完敗だったこの試合にも、冷静に振り返ってみれば“収穫”は確実にあって、俺のなかで見つけたそれは、3つ。それはそれでまた大事に育んでいこう、と。見えた“課題”は、技術面・戦術面・精神面と多岐にわたり。それはすべて「経験不足」に通じ。大きな経験ではなく、小さな経験の積み重ね不足。それを設定するのが指導者の役割なので、行き着くとこはやはり、俺の能力不足。まったくもって認めたくないけど、どっからどう考えても認めざるを得ない確かな事実。だから、前に進もう。こんな時こそプライドを抱えて。緑あふれる五日市街道をゆっくり原付で走ってる帰り道。自暴自棄になりかけてる自分に気づいた。そして大会ごと、少なくとも年に3回はこんな想いをしてるんだとってことにも。それは、とっても恵まれてる。日常生活の中ではなかなか味わえる感情じゃないと思うから。で、それは飛び上がるチャンスでもあるから。もちろんこの時、その想いにちっとも心はついてきてなくて、明らかに弱者の強がった台詞みたいだったけど、頭のどっかで確かにそう考えてた。きっと大きな間違いではないはずだ。えいっと心を引っ張ってきて、今度こそ喜ぼう。 だから そのために 『どの世界でも、 真剣に向かい合い、 理解し合おうという気持ちから、 お互いの心が通じ合い、 現状打破の道も見えてくる、 と私は思っている。』 プロ棋士・羽生善治
2007/05/14
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インターハイ都大会1回戦“K高校”との試合は、1対5で敗れてしまいました。何ともいえない悔しさが残る試合。この試合については、またあらためて書きたいと思います。応援に来てくださった多くのみなさん、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。必ず前進します。 必ず。<撮影> 大塚徳之・鈴木政之・高橋宏気 (3年生)
2007/05/13
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『強い存在の中で勝っていくことに価値がある。』 スケーター・清水宏保
2007/05/12
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この日の練習は、緑の芝が綺麗に生い茂った武蔵野陸上競技場。時々使う武蔵野中央公園のすぐ近くにあり、「横河武蔵野FC」のホームグランドでもある、とても設備の整ったグランドです。集まったのは、2・3年生約70人。1年生はというと、この日からしばしのお休み。中間テスト1週間前のためお勉強です。2・3年生も本来は1週間前から出来ないのですが、今週末にインターハイ都大会1回戦があるので、今回は特別にやらせてもらえるっちゅう訳です。たまたま空きが出て借りることの出来た今回のグランド。強豪校との1回戦に向けて、ここ最近の練習がどれだけ身に付いたのか、支部予選に入ってなかったメンバーの調子はどうか、大事なことを見極めるために紅白戦をやる予定でした。が・・・・・予報は、昼過ぎから雨。そしてグランドに着き、準備を始めるとパラパラと降り始め、さらに追い討ちをかけるようにゴロゴロが。雨だけなら問題なかったものの、雷はさすがに危ないということで一旦避難。グランド担当の責任者が来て、 「どうしますか? 予報ではこの後強く降るって言ってますよね。」確かにそうなんだけども諦められない。 「もうちょい様子を見させてもらえますか。 このまま雷が続くようだったら中止にしますので。」それからしばらくは、これでもかと言わんばかりに空を凝視。雲の流れを見て見て見続けて。 せっかく楽しみにしてるんだからやらせたい・・・ 都大会の1回戦に向けて必ずやっておきたい・・・ でも風邪を引かせて体調を崩してしまったら・・・ 予期せぬ雷が落ちて命に関わることになったら・・・いつもは空を見上げて心癒されてるのに、この時は同じ空を見上げてるのに極度の頭痛。空自体が俺を幸せにしてくれるんじゃないんだ。まずは、俺自体が空をどう見てるかなんだ。そう、いつだってそうだった。あれこれ未来のことを考え過ぎては、心は小さく苦しく。大好きな小説「アルケミスト」に書いてあった、この言葉の境地にいつか行きたいもんで。 『常に今に心を集中していれば、幸せになれます。』変えられるものを変える勇気を。変えられないものを受け入れる勇気を。つまり「今」に勇気を。こんな酸っぱいオレンジのようにちっとも熟すことの出来ない俺なのに、神様とやらは運だけは残してくれたようです。雷どころか雨雲自体が通り抜けたのです。それは紅白戦が終わる10分前までの約3時間の間。おかげさまで全員が紅白戦をやることが出来ました。おかげさまで大きな収穫と大きな修正点も見つかりました。さて、あとはうちらがやるだけだ。 『幸運が自分の側にある時は、 それを利用しなくてはいけません。 そしてそれが私たちを助けてくれるうちに できるだけのことをしなくてはなりません。』 「アルケミスト」より
2007/05/10
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5月初旬だというのに、30℃近くの気温。平日の午前中だというのに、指導者講習会。そんな時間帯だというのに、参加者21人。上井草スポーツセンターで行われた、INAC多摩川主催の指導者講習会に行ってきました。講師は、『横河武蔵野FC』ジュニアチームコーチ“篠原さん”。俺には持ち得ない、第一印象「穏やか」な方です。ちなみに俺の第一印象は「野生」だという声がチラホラ・・・。実際に練習メニューをこなしながら、篠原さんからその練習の狙いやポイントの話を聞いていくという形で講習会は進められていきました。これ、本当によかったー。自分が選手側に立つことで、たくさんの発見があったからです。 「この練習ここ難しいな。」 「案外夢中になっちゃって頭使えなくなるな。」 「コーチのこういう言葉って響くな。」てな感じで。数年前尊敬する知り合いの指導者が突然こんなことを言い出しました。 「俺さ、やったことないんだけど これからピアノを習おうと思っててさ。」 まさかその人からピアノなんて言葉が出てくるとは思ってなかったので唖然としてると、 「教えるばっかになっちゃダメだと思うんだ。 それだけだと教わる側の感じ方や 想いみたいのを忘れがちになっちゃうから。 だから自分でピアノでもやってみよう、と思ってさ。」もう大納得でした。それはいろんなことに共通して言えることなのかもしれないですね。指導者と選手。親と子。先生と生徒。社長と社員。日本とブラジル。理系と文系。東京と沖縄。小説と漫画。パンクロックとクラシック。辻ちゃんと加護ちゃん。あれ、どんどんズレてきた感が・・・。でも実際にもう片方の位置に立てるなら立って、新たな想像力を手に入れたいもんです。今回、指導者講習会に参加させてもらって、久しぶりにその想いを強く持つことが出来ました。講習会最後は、制限なしの試合形式。平日の午前中に集まれるオカシナ大人たちが、解き放たれた時のパワーは凄まじいもんでした・・・。あの盛り上がりは、超高校級。ディスカッションでの、篠原さんに対してのひとつの質問。 「指導者をやってる喜びって何ですか?」その答え。 「いろんなことを話せる仲間が増えていくことですね。」“仲間”って言葉いいな、と思い、俺もその現場にいること嬉しいぜ、と思い、新しい想像力を手に入れられてハッピー、と思い、でもこの日の太陽でさらに野生だわ、と思った、不良指導者講習会でしたとさ。 『相手の意図を考えることが 自分のヒントになる。』 プロ棋士・羽生善治 <撮影> 「INAC多摩川」・佐藤さん
2007/05/09
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夏のようだったこの日の夜は、久しぶりとなるY君の球蹴り教室。家に着き着替えを済ませ、お母さんとやり取りしてるノートを見ると、嬉しいことが書いてありました。 「この前の雨で中止になった時、 留守番電話に入ってた有坂さんの声を Yはニコニコしながら何回も聴いてました(笑)。」俺はやっぱり、“速水もこみち”よりは“宮崎あおい”が好きだし、“高橋ジョージ”よりは“三船美佳”に目がいくから、誰が何と言ったとしても断然女子好きなんだけども、それでも好意を抱いてくれてるのは素直に嬉しいもんです。しかし、そういう趣味はございませんのでー。いつもの公園で、向かい合ってのボール蹴り、ボールタッチ、なわとび。これまで同様前向きにやってるのですが、様子がちょっと変。 「ねえねえ、今のよく出来たでしょ。」 「上手くなったと思わない?」そういった言葉が妙に多いのです。もちろん中学生2年生っていったってまだまだ精神的には子供なので、認めてほしい欲求は当然あるでしょう。今年32歳の俺にだってあるくらいだしね。けど今までそんなに言ってこなかったし、どことなく元気がない感じが気になり気になり。自転車に乗っての帰り道、いろいろと学校のことについて質問攻撃。なんとなく、謎が解けました。家で夕食をご馳走になりながら、Yが見て欲しいと言って渡してきた作文帳を読んでいました。これがなかなか侮れないもんで、時々、ハッとするようなことを書いてたりするんです。例えば、合唱コンクールについて書いた文章。 「舞台の上で少し緊張しました。 でも景色が音楽室に変わりました。」 「失敗は怖かったけど心の中で “必ず成功させてやる”と何回も言いました。」それに対しての、先生の赤ペン返事。 「うわ、この部分すごい素敵!!! もっと詳しく教えて欲しいな。」そのやり取りを見て、当事者でない俺の心があんなにも温かくなったんだから、Y君はきっと親猫に寄り添う仔猫状態。大きな安心感で包まれてるんでしょうね。この先生が異動になってしまったそうです。それを教えてくれたY君。そのときの表情は見たことのない寂しさを含んでいました。 「来週に離任式があって、 それがその先生に会える最後なんだ。 その時に手紙を渡そうと思ってる。 先生きっと喜んでくれるだろうからさ。」大事な人との別れが、温かい自分に出逢わせてくれる。 『感謝して受くる者に豊かな収穫がある。』 詩人・ブレーク
2007/05/08
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ふと疑問が湧いてきた。 「で、俺は何で走ってるんだ?」鮮やかな夕焼け沈んだ、井の頭公園の陸上トラックにて。トラックに向かう途中の森林地帯。前日の雨を含んでるせいで土がまだ柔らかい。そういえば小さい頃こんな土の上で相撲をしてた。乾いた土の上でやるよりも数倍面白かった記憶がある。あ、なんか独特な匂いがしてる。雨を吸い取った木々のこの匂いは、決していいもんじゃないけどなんだか落ち着く。で、俺は走ってる。トラックに到着。真ん中にある芝生地帯では、大学生サッカーサークル男女、高校陸上部男女、高校ソフト部女子、ボールを蹴りあってる大人ふたり、犬集会をしてる近所の人たち。同じひとつの場所なのに、やんややんやと盛り上がってるグループもいれば、「はいっ!」って緊張感漂う返事をしてるグループもいる。と思いきや、犬はそんなことお構いなしにダッシュしてる。で、俺は走ってる。高校の時こういう公園で、友達で集まってやんやとサッカーしてたし、緊張感漂うサッカー部の練習もしてた。どっちにもそれぞれ良さはあって、敵対視する必要はまったくないと思う。とかいう俺は、たった1年間の大学生の時に、サークルの人たちを見ては敵対視してたんだけども。でもあれはきっと、女子がいることに対しての嫉妬だったんだろう。ここのトラックには、そんな嫉妬が渦巻いてなくて、ピースな空気がとっても穏やかに流れてる。で、俺は走ってる。さっきから、おじさんランナーにがんがん抜かれてる。高校生のときは何かに勝ちたくて走ってた。ライバルに、強豪チームに、自分に、未来に。それが俺の走る理由だった。だからこそ、おじさんランナーにも自分にも勝とうとしてない今の俺は何で走ってるのか。ふいにそう思ってしまった。高校生の練習後、誰もいないグランドの先にある空は綺麗だった。理由を考えることなくデジカメを出して無意識にシャッターを押してた。その後、家に着いたら、理由を考えることなく運動着に着替え、ボロボロになったニューバランスのスニーカーを履いてた。そして走りに行った。もしかしたら、澄んだ空気に触れたかったからかもしれない。グランドから見えた空に感動したからかもしれない。高校生の練習姿に触発されたからかもしれない。連休で食べ過ぎた体に不安を覚えたからかもしれない。けどそれはきっと全て後付けで、ただ単純に走りたかったんだろう。ほんと、ただ単純に。よくよく考えてみると、サッカーも、恋愛も、旅も、最初は全部そうだった。たまには考えることをやめて、軽やかに軽やかに舞ってみよう。動いてみよう。そこでは思ってもみなかった、土の柔らかさや木々の匂い、ピースな空間みたいなものと出逢えるかもしれない。で、俺は何で結局、こんな考えちゃってるんだ? 『頭で考えるな、肌でつかめ。』 役者・ブルース.リー
2007/05/07
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ようやく上陸。そこは中学・高校時代の同級生“ヤス”が経営をしてる、新潟県・苗場にあるペンション「ムルメルン」。ヤスが知り合いから経営を譲り受け、早6年。ヤスに会うたび行く行くと言いつつ、早6年。やっとこさ、といった感じです。今回のミッションは、バーべキュー大会でがっつりいくこと。これは俺の得意分野なのでどう転んだとしても圧勝な予感。自然に囲まれた「ムルメルン」に意気揚々と殴りこみ。参加メンバーは、やはり中・高校時代の同級生“ジュンちゃん”、中学時代の同級生“イズミ”、高校時代の同級生“ヨシジ”に“クミちゃん”、さらにはそれぞれのパートナーや子供、友人たち、総勢15人ほどの猛者たちが集結。でも優勝候補の筆頭は、やはりセニョール。妄想オッズでは「1.1倍」。オグリキャップを思いお越させる人気です。伝説の名馬に倣って、俺もこの苗場の地に伝説を。お昼過ぎ、ファンファーレの代わりとなる「乾杯~」のひと言で、『24時間耐久バーベキュー大会inムルメルン』がスタート。快調に肉とビールを重ねるセニョール。時折、転倒したビールを浴びてしまうというアクシデントが発生するもそんなことでは挫けません。次々に現れる、炊き込みご飯やカニなどの障害物にも、逃げなることなく正面から立ち向かっていき、ホクホク顔で食らっていきます。さすが、「1.1倍」の男。夕刻時。長丁場となる戦いに備え、胃を一休み。キッズたちとニコニコストリートサッカーを。ただひたすら、ボールを蹴っぽるキッズの姿、それを一心に追い続けるワンコの姿。周りで優しく見守る大人たちの姿。苗場の地で行われていたこんなストリートサッカーは、もしかしたら地球の反対側「ブラジル」の田舎町でも同じように行われているのかもしれない。そこのみんなもきっと、ニコニコなんだろう。ここでアクシデント。先頭を走ってた「1.1倍」の男が、キッズたちのテンションにやられたのか、はたまたビールにやられたのか、二日酔いのような頭痛のため部屋に戻り休憩に。ちょっと横たわり、戦線に復帰しようと目論んでいました。が、気づけば意識はすっかり遠のき爆睡状態。無念のリタイア。伝説の名馬セニョール、ついに敗れる。今ままでありがとう、安らかに眠ってくれ。ところが、そうはいきません。敗退のショックから目を半開きにして寝てるであろうセニョールに他のライバル馬たちが攻撃を仕掛けてきます。足はマジックで落書きされ、スネ毛にはガムテープを張られ。終いにはさっきまで一心にボール目掛けて走ってたワンコがセニョール目掛けて突進。ライバル馬たちがセニョールの体周辺にビーフジャーキーを投入したのでした。完全なる敗北。完敗。オグリキャップに続くことは出来なかった。賭けてくれたみなさん、ごめんなさい。そんなこんなな攻撃で起こされ、時計を見てみると時間は夜の23時30分。意識朦朧なまま、食堂へ。バーベキュー大会後半戦が始まったのでした。食べ過ぎで、お腹苦しかったー。呑み過ぎで、頭痛かったー。生活リズムが狂って、体つらかったー。でも、友達って最高だ。笑顔を貯めて、また交換。そんな関係でいれるよう、今日一日を。友達でいてくれて、どーもです。『足りなかったら親戚や友人にもらえばいい。 たくさん採れたらみんなに分け与えればいい。』 「GENERATION TIMES 03」より
2007/05/06
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『私が私であることを、 それを人によって証明する必要はない。 自分の中で証明すればいい。』 ミャンマーの日本人僧侶・セアロ
2007/05/05
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『人は感情を引きずりやすい。 いい感情を引きずって生きよう。』 精神科医・斎藤茂太
2007/05/04
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この日行われた、インターハイ支部予選決勝、“N高校”との試合は1対0で勝ち、都大会への進出を決めることが出来ました。飛びきり嬉しくない内容でもって。相手は、ここまで2試合連続でのPK戦での勝利、かたやうちは、2試合連続10得点以上での勝利。意識の上で油断するかどうかというよりも、体全体が緊張を忘れてしまってるという怖さ。相手はすでに緊張済み。よって対応可能。うちはまだ未体験。よってパニック必至。難しい試合になるとは思っていましたが、予想以上に苦しい試合展開となってしまいました。個々の能力ではうちが上回ってるとはいえ、70分を通してリズムが生まれた瞬間は攻守共にゼロ。得点は、延長戦を覚悟した後半ロスタイム。ただ結果を得られただけで、この試合のなかでチームとしての内容に関しての進歩はまったくなし。これはマジで痛いです。想像以上に時間はなく試合での進歩は絶対だと思っていたので。ただ、ちょっとした可能性を見つけました。「守り方」や「攻撃の形」など、畑であったなら実った“野菜”のようなその場ですぐ食べれるような収穫はなかったけど、自らの意識で大事に育てていけば美味しい野菜になるかもしれない、という“種”を拾うことが出来たのです。試合終了後、クールダウンをする試合に出たメンバー。その中のひとりの3年生。涙を流していました。人づてに聞いてみると、どうやら自分の不甲斐ないプレーに対する悔しさからだったそうです。半年前にあった新人戦での負け試合の後のクールダウンでは、すっきりした表情をしてたのに、今回は試合には勝ったっていうのに涙を流してる。新人戦での日記で、俺は石神井高校サッカー部としての「根っこ」がなくなってきてるってことを書きました。その「根っこ」とは目に見える結果以外に存在する自分やチームに対する「プライド」みたいなもの。もしかしたらその「根っこ」は、徐々に再生してきたのかもしれません。この試合後のメンバーの笑顔が少なかったことに一抹の、でも強い光を感じることが出来たからです。まだ、ほとんど気づかれないくらいの小さな光。今回の試合で、“野菜”の収穫がなかったメンバーが、そっと拾った悔しさという名の小さな“種”。“種”は、手にしただけじゃ育たない。自ら育てないといけない。だから、大事に育てよう。毎日その種から目を逸らさずに。そして、極上の“野菜”へと。『ダメなときでも、 ちゃんと考えれば立ち直れる。 失敗を見つめれば、次に生かすことが出来る。』 アイススケーター・浅田真央<撮影> 春木優一・宮内稜大・嶋田礼央 (2年生)
2007/05/03
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お昼は部屋で、カレーライスを食べてみた。レトルトだけど十六穀米と卵を入れてみたりなんかして。食事のお供は、2006年ワールドカップのDVD。カレーの微妙な辛さとサッカーの刺激がうまくマッチ。残念だったのはお米が少々硬かったこと。炊飯器の中でお米と水はマッチせず。すべてがうまくいくとは限らない。高校生の練習 in 武蔵野中央公園。すでに使っていた大学生らしきサッカー団体に、うちの時間だから退いてもらおうとスタスタと集団に近づいていき「あ、こんにちは。」の挨拶から入ると俺の前に出てきた代表らしき人は、笑顔がベリーキュートな女の子。その彼女のとても感じの良い応対に心癒され。笑顔が素敵な人たちが共通して持ってる、ドラえもんばりな心のゆとりを彼女にも感じ、危うく恋心が芽生えそうにはならなかったけど、何だか嬉しくて濃い心は芽生えた気がする。練習は、明日の大会メンバー以外を担当。短い時間での6対6のミニゲーム。人数が足りないチームに強制参加を申し出て、あっという間に強制撤去を申し出た。大学の時にココイチとかいうカレー屋で、1200gのカレーライスを20分で食べきって写真撮影をされた俺でも、体内を逆流してくるカレーにはさすがに対処できなかった。普通に気持ち悪くなったけど、何人かと心通わす話をしたからか、どことなく良くなっていった気がする。そうじゃない気もまたする。けどあれならよっぽど、大学時代にスパゲッティ500gを何とかかんとか食べ終えた後のほうが不快だった。苦しい経験は自分のキャパシティを広げてくれる。といっても筋肉は充分に不快だったから銭湯へ。ポジティブな深いため息をつきながら湯船に浸かると、さっきの強制撤去を申し出た情けない自分の姿をすっかりイメージ出来なくなってた。それはディズニーランドで、ポップコーンを食べながら40分待ちを終え、ようやくカリブの海賊に乗った後に、自分の日常のモヤモヤ感を思い出せなくなる感じと似ている。そんなありふれない空間は素晴らしい。何かに導かれるように夜のスタバに行くと、そこにはスタバの高貴なイメージを一撃で葬るヒゲにロン毛の不良店員“ノブ”の姿が。春の匂いを含んだ夜の空気が心地いいテラス席で、スタバを辞めることやこれからの展望の話を聴いた。気づけば、心は涙を流しきった後のような落ち着きだった。俺はいったいやつのどこにそんなに惹かれてるんだろう。もしかしたら前世では同じ部族に所属してたのかもしれない。モカじゃなくて、カプチーノにすればよかった。なんとなく。でも、今夜の自分は、何だか自由だ。お米が硬くても、サッカーで動けなくても、ちょっと甘いコーヒーを頼んじゃっても。何だか自由だ。限りなく。偽りなく。滞りなく。「グーニーズ」を観たときみたいだ。そういえば帰り際、空にふわっと浮いていたのは、満月だったんだろうか。 『人生に起こるすべてが前兆。』 「アルケミスト」より
2007/05/02
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はてさて、前日の日記の続きです。おいらがあの写真から感じたチームの成長は、白いユニフォームを着てる相手と競り合っていないゴールキーパー(GK)と中央やや左のディフェンダー(センターDF)を見てです。あそこにボールは写ってないものの、相手とそれをマークしてるうちのディフェンダーの必死な表情からするとボールはすぐ目の前にあるんでしょう。なのにGKとセンターDFは、そことはまったく逆の方向を見ている。「ボールから目を外してる。」ここに成長の跡が。逆サイドの状況を確認して、それを味方に伝えてるんですね。先の展開を考えての準備といったとこでしょうか。 まだボールがないとこに、 ピンチとチャンスは隠されてる。全員がボールを見てしまった瞬間に、逆サイドにいる相手をフリーにしてしまい、パスを出されてから気づいても、時すでに遅し、ゴーーール!なことってよくあるんですよね。何にも意識してないとどうしてもボールに目がいってしまう。自転車で街を走ってる時にかわいい女の子を見つけたら一気に目を奪われてしまうように。だから強く意識して、その中心(ボールや女の子)から目(視点や意識)を外さなきゃいけない。だって失点したくないし、電信柱クラッシュもしたくないからねー。 「中心から目を外す」それって何にでも必要な能力な気がします。将棋でもわざと相手に駒を取らせておいて、じつはその周辺の局面を崩しにかかったり、ボクシングでもボディをひたすら攻め続けておいて、じつは一発KOを狙った顔面へのフックを狙ったり、中心が罠になってることがよくありますもんね。そうだ、外国の街を歩いてて、いきなり正面からぶつかられた時なんかもそうかな。びっくりしてる自分に相手が丁重に謝ってる間に、その後ろから他の仲間に財布をすられてたりなんてね。俺はまだやられたことないけど、仕掛けられたら引っかかっちゃう自信も微妙にあったりするから、やっぱ身につけたいっす。うちの高校生たちは、確かに中心から目を外せるようにはなってきました。でもそのレベルもまだまだ。中心にないピンチを未然に消して、中心にないチャンスを意図的にものにする。うちらの未来は、そこに隠れてる。でもどうしても、かわいい女の子には目奪われちゃうんだな(笑)。『ぎりぎりの勝負で 力を発揮できる決め手は、 大局観と感性のバランスだ。』 プロ棋士・羽生善治<撮影> 蒲田征大・真鍋洋平・原嶋大知(2年生)
2007/05/01
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インターハイ支部予選2回戦、“M高校”との試合は、10対0で勝利。次は5月3日に行われる支部予選の決勝。それに勝ってようやく都大会。これからこれから、なのです。この日も1回戦に引き続き、いろんな部分が見えた試合となりました。そのなかの収穫のひとつ。 「前半に相手を飲み込めたこと。」立ち上がりの悪さは、うちが抱えてる大きな大きな課題。1回戦も見事にそんな展開になってしまったので、この試合でのチーム目標は、その部分の修正。これに関しては、本当に良かったと思います。チーム全体で相手に対して仕掛けていけたので、攻撃も守備も連動していて、内容的に目指しているところにちょっと近づけた印象です。「後半の失速」がこの日の課題。体力面・精神面共に、前半との落差が激しすぎました。落ちること自体はしょうがない。それをどのラインで食い止められるか。 “落ちすぎないこと” “悪くなりすぎないこと”それはチャンピオンになるためには、必ず身に付けないといけない大事な能力。浦和レッズも、カズも、イチローも、タイガーウッズも、みんな持ってるんだろうこの能力。磨いて光らないモノはない。はず。だから試行錯誤を反復して、ひたすら能力を磨いていくべし。ついでに今日という日も磨いちゃおう。ツルッツルに光らしていこう。そうそう、大会になると写真撮影を高校生どもに任せるのですが、最近いい写真が増えてきてるんですよねえ。負けず嫌いな心が疼いております。で、今回、俺にとってすごく印象的な一枚が。うちのこの冬の成長が映し出されたものだったのです。その写真はこちら。どこにでしょうか?さー みんなで 考えよー。
2007/04/30
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春うららだったこの日は、2年生16人を連れて多摩川河川敷に。ここでバーベキューだったら素敵だけど、けど、そんなことは当然なく、目的はもちろんサッカー。昼酒で酔っぱらってる人たちの前でサッカー、っていうのもなかなか粋なもんじゃないでしょうか。まあ、そういうことにしておきましょう。対戦相手は、INAC多摩川。このブログでもたびたび登場する指導者仲間の“Sさん”が教えていて、今年立ち上がったチームです。試合はうちが勝ったものの、内容的にはさっぱり。まるで前日の試合の前半を見てるよう。個人としていいプレーをしたやつもいましたが、この日のチームとしての進歩ははっきり言って「ゼロ」。終わってしまったゼロを嘆いてもしょうがないので悪くなってしまった原因を見つけて、後付けでの「プラス」を重ねてほしいもんです。試合も終わり、解散。この天気の良さで早く帰るのはもったいない、ということで、しばらく多摩川散策。試合をやったグランドの周りには、野球をやってる小学生や、暴れまわってるキッズたち、それを優しく見守る大人たち。あったかい、アッタカイ。その気持ちは、この後、“Sさん”、同じくINAC多摩川スタッフ“Hさん”、石神井スタッフ“Kさん”たちと行ったそば屋さんででもやはり感じました。幸せは、ここに。太陽を浴びること。風を感じること。仲間と共にいること。体を自然に放つこと。こんな素敵な日に、こんな素敵な場所へと導いてくれた神様とやらに感謝。あ、そうだ。そば屋さんのトイレにの壁に、こんなメッセージが書かれた作品が貼ってありました。 『 汝の立つ処 深く掘れ そこに必ず泉あり 』何かに導かれて来れたような場所での、こういう意味深なメッセージには何か仕掛けがあるのかもしれませんね。よし、引っかかっちゃえ。
2007/04/29
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新人戦での衝撃的な負けから約半年。待ちに待ったトーナメント形式での公式戦、「インターハイ支部予選」がこの日からスタート。“T高校”との1回戦は、12対0で勝利。大量得点で勝利したものの、それは相手との力関係でそうなっただけで、内容的にはそんなに良かったわけじゃーありません。特に、前半。初戦に付きまとう緊張からなのか、個人・チームすべてにおいてリズムがずれていて、見ていても楽しくない試合内容。後半こそ、目指しているサッカーが少し出来たけど、それはやはり相手とのレベル差があったからっていうのも事実だと思います。結果を追求しながらも、結果に惑わされないように。今のうちは相手どうこうじゃなく、この大会で勝ち抜きながら、負けたとしても最後の大会に向かいながら、「THE 石神井高校」を確立していくこと、それが唯一のやらなきゃいけないこと。具体的な戦い方にしても、練習と試合に向けての考え方にしても、チームに流れる空気にしても、みんなで手を取り合うことにしても。まさに、作品づくりの真っ最中。みんなの心を震わす、作品を作っていくぞ。だからまず、うちらの心を震わしていくぞ。目指す結果は、きっとそこにある。『コツコツやっても と思う前に、コツコツやれ。 コツコツの後に成功がある。』 「佐賀のがばいばあちゃん」より
2007/04/28
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さてさて、前日・木曜日のこと。素晴らしい経験をさせてもらった「横河武蔵野FC」との試合に行けなかったメンバー。近くの企業が持つグランドで練習がありました。これがまた、ひどい練習だったもんで。ボールは蹴ってるんだけど、ただそれだけ。やることはやってんだけど、ただそれだけ。気づいた何人かが声をかけてみるものの反応なし。エネルギーがまったく循環してないそのグランド。怒りよりも先に、悲しみが湧いてしまいました。 メンバーに選ばれなかったから。 ガタガタのグランドだから。 みんなのテンションが低いから。そういう言い訳を用意するくらいなら、とびっきりな楽しみを自ら用意してほしかった。例えば、こっからのリベンジ物語を描くとか。そんな感じの話をして、この日は終了。大事な人に裏切られた時のような悲しみに包まれて。そして、この日。武蔵野中央公園での全員練習。といっても内容は別々。メンバー以外は、7対7のゲーム形式。特別いいわけではないけど、少なくとも前日よりは楽しみを描いてやってる様子。いい緊張感が生まれ始めていました。と思った矢先、試合を見てた俺の後ろから叫び声が。振り向いてみるとそこには、取っ組み合いになりかけてる3年生ふたりに、それを止めに入ってる3年生たち。同じチームのふたりのプレーに対しての意見の言い合いがエスカレートしてどっちかが手を出してしまったようです。その場は止めに入ってるやつらに任せて、練習が終わってから全員の前でそのことについて話をしました。俺は基本的に、自分の意見を主張することはどんどんしてほしいなって思っています。それが選手同士であっても、スタッフにであっても。自分はこういう存在なんだってことを言葉にして表現することははっきりいって怖い。でも、だからこそわかり合えることもいっぱいある。そしてそこには、でっかい感動が含まれてたりする。サッカーなんて、激しく動いて相手とぶつかり合って、日常では上がらないほどのテンションになったりするんだから言い合いにだってなる。だからあのふたりが、ああして意見をぶつけ合ったことは俺はほんとに素晴らしいなって思います。本気じゃなかったら、そんなことにはならないんでしょうしね。でも、手だけは出しちゃいけない。その瞬間にそれまで築いてきた大事なモノが一気に崩れ去っちゃうから。サッカーの試合だったら「退場」という現実でもって。スポーツって難しいですよね。無気力であってもダメだし、テンションを上げすぎてもダメだし。「その間」を自分で行き来する術を持たなくちゃいけないんですもんね。難しい難しい、けどだからこそ楽しいんだ。スポーツってやっぱいいわー。『スポーツを大いにやると良い。 負けた時の感情技術が発達して、 良い“負け癖”がつく。』 脳科学者・茂木健一郎
2007/04/27
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平日にもかかわらず、この日の夜は、高校生の練習試合。相手は現役バリバリな大人たち。Jリーグ1・2部の下に組織されてる全国リーグ・『JFL』に所属、現在2位と好調な「横河武蔵野FC」。週末の試合に向けての調整相手として、プレッシャーの緩い高校生を選んだのでしょう。向こうは、トップチームで臨んでくれるとのこと。うちにとっては、これ以上ない条件です。試合前のやつら。 「やべえ、いつになく緊張する・・・。」 「どんだけ上手いんだろう・・・。」そんな状態でのキックオフ。結果から書くと、30分×2本で、0対6で負け。うちの強みと弱みがはっきりとわかりました。特に、弱み。個々のレベルが違うので、高校生相手だったら何とかなるところが、どうにもならなく、ごまかしがまったく利かない。 ちょっとした ボールコントロールのズレ。 ちょっとした コミュニケーションの不足。 ちょっとした ポジショニング修正の遅れ。そのちょっとしたことが、じつはちょっとじゃないことを全身で感じれた経験は、マジで大きかった。ちょっとを積み重ねることでしか、自分の実力を上げることは出来ないから。そのために、まずはちょっとを全身で知ること。レッスンしてくれた相手チームに感謝です。今の自分たちの実力を、まざまざと思い知らされたこの試合。でもそのことがどれだけプラスだったかは、試合終了後のやつらの前向きな表情が物語っていたと思います。 「自分の足りないところを“はっきり”と知る」それはきっと、成長していくための促進剤。だからこそ思い知らされてしまいそうな挑戦を自分から生み出していきたいですね。ビビるくらいが、ちょうどいい。『積極的にリスクを負うことは、 未来のリスクを最小限にする。』 プロ棋士・羽生義治
2007/04/26
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『ひとりでいることと 孤独とはまったく違う。』 作家・エレン.バースティン
2007/04/25
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翌日の朝食を買おうと思い、いつもと違うコンビニに入ると、俺の好きなバンド「The Birthday」の“チバユウスケ”が表紙の雑誌を発見。インタビューが載ってるようなので、足を止め、ちらっと立ち読み。言葉数の少ない孤高なロッカーな彼のイメージをいい意味で裏切ることがそこには書かれていました。 「コミュニケーションを 取らないと弱くなっていくから。 それはいかんと思うのね。 バンドをやるのもコミュニケーションのひとつ。 音楽って人が作ったもので一対一なんだ。 ひとりで作ろうが、聴くヤツがいる時点で コミュニケーションを取ってる。 それを自覚しなくちゃいけないと思う。」そう、やっぱりコミュニケーションなんだよなあ。自分のセンスの無さに失望、だったこの日。空がでっかく見えるのが大好きな武蔵野中央公園のグランドでのこの日の練習。最後に全員で集合したとき、練習のなかでの「集中しなかった時間」に対しての不満を、強い言葉に変えて高校生に投げつけました。でも・・・・・話し終わった後も、雨にあたりながらの帰りの原付運転中も、家に帰ってコーヒーを飲んでるときも、何だか大きな違和感が残っていたのです。その時間は確かにあっちゃいけないものでした。今のうちのチームの進歩を止めてる現象でもあるので。だからそれに対して言ったことにではない。原因は、その「伝え方」でした。あの時の伝え方は、「集中しなかった時間」に対してではなく、この日の練習全て、むしろ今までの取り組み全てを否定してるかのよう伝え方になっていました。 “全部” と “部分”元プロ麻雀師“桜井章一”さんが著書のなかでこんなことを書いていました。 「現場とは、いかに臨機応変に 変化に対応できるかという、 まさに“知恵”を試される場所。」“全部”を「分解」して“部分”に「フォーカス」するという知恵を捻り出せなかったオレのセンスの無さ。でもやっぱり変化に対応できる、柔らかな人間にマジでなりたいから、せっせとセンスを磨いていくしかない。学べ、学べ、学べ、オレ。『言葉が死ぬということは、 思考が死ぬということ。』 映画監督・北野武
2007/04/24
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日曜日の夜、2週間ぶりとなるフットサル大会に参戦してまいりました。この大会は1日でチャンピオンを決めるものではなく、1年間をかけて戦っていくもの。なので「1日1試合」。いたって健全な大会です。この日集まったうちのチームは、5人。な、なんとぴったり。ということは、交代なし・・・。数日前、高校生の練習のゲーム形式で果敢なディフェンスを見せようと思った瞬間に、足がつりかけてしまった己の体力に対する不安がここで大きく圧し掛かってきます。さらに新参者としてこんな時こそ貢献せなあきませんし。キックオフ。うちのチームメートは、人数は少なくともみんなそれぞれ技術があり、最初こそ相手の抵抗で接戦になりましたが終わってみれば6点差くらいをつけての勝利。めっちゃ嬉しかった~~~。でも勝負事って不思議なもんですよね。勝てば超お喋りになってしまうほど嬉しくて、負ければひと言も話したくないほど悔しくて。そういえば小さい頃、弟たちに将棋やファミスタで負けたりしたら、うちの壁や扉はそりゃ見事なやつ当たりをくらってました。今はもう大人になったからやつ当たりはしませんよ。不機嫌極まりない顔をするだけです。なりきれない大人です。ま、「~なほど」な感情は一生持っていたいですけどね。さてこの日はもちろん勝ちは嬉しかったんですけど、まだ一緒にボールを蹴って2回目のチームメートとプレーのイメージが少しずつ合い始めたことが、同じくらいの喜びを運んできてくれました。 俺は、向こうの事を知らない。 向こうも、俺の事を知らない。その状況の中で相手の事を知って、俺のことを知ってもらっていく。見えないモノの交換。この作業はとても億劫だけれども、じつは最高に楽しき事。少なくとも俺の中では。その相手が子供であっても、女の子であっても、大人であっても、外国人であっても、交換し合えたときっていうのはずっと欲しかったデニムのカバーオールを買ったとき以上の最大限の興奮に包まれるからさー。俺がひとり旅が好きなのはきっと、この作業を嫌でも繰り返さなきゃいけないからだと思う。それをしないでひとりでいたら自分が苦しむからね。知らない人たちとのサッカーも同じかもしれない。その作業をしなかったら絶対に味わいたくない負けが待ってるから。俺はアマアマちゃんで、何も意識してないと逃げがちなので、そういう環境に無理矢理にでも身を置かなきゃあかんのですねえ。みなさんスポーツニュース見ましたか?スゴイっすねえ、“中村俊輔”。ただの決勝点ではなく、優勝を決めたゴールとなった直接FK。しかも、時間は後半ロスタイム。ゴールを決めた後、スタンドの観客たちと、ずっと戦ってきたチームメートと、感情を爆発させて抱き合ってた姿に、おっさん感動しちまいました。俊輔も一緒だったんだよな。最初は知らなくて知られてなくて。少しずつ交換していってああなったんだよな。俺もあんなデッカイもんを交換したいぞー。あ、そっか。だったらまず、俺がデッカイ人間になんなきゃいけないんだ。『何の関係性も前提にしない、 何者でもない自分の逃げようのなさ、 ということを感じ続けなければダメだ。』 脳科学者・茂木健一郎
2007/04/23
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あれ、そういえば、1ヶ月ぶりかもしれない。石神井高校のトップチームの試合。この日は、“H高校”との東京都3部のリーグ戦。うちにとって、ポイントだと思ってた試合。久しぶりに見て、思いました。何かを手に入れていて、まだ何かを手に入れられていない。そう、やっぱり進んでいくだけなんだ。結果は、2対1で勝利。これでリーグ戦は3連勝と幸先のいいスタート。といっても、決して良い内容ではありませんでした。攻撃では、ボール保持者の選択肢は少ないし、ボールを持ってない人の判断は遅いし、周りとの関わりを意識しながらプレー出来ない。守備でも、細かくポジション修正出来てないし、建設的なコミュニケーションがまだとれないし、冷静にその状況の把握することも出来ていない。でも、大崩れしなくなった。例えば、後半になっても。例えば、メンバーが代わっても。例えば、相手がリズムをつかんでも。このチームが抱えてた大きな欠点は「安定感のなさ」でした。時間帯や相手によっては、信じられないくらい良いプレーをするけど、その逆にあり得ないほど悪いプレーもする。“良い”と“悪い”の振り幅があまりにも広すぎたのです。やつらが元々持ってる「勢い」や「爆発力」という武器はそのままにしながら、悪い時に落ち過ぎないための「安定感」を。ようやくこの「安定感」という部分が体の中に浸透し始めたんだなと思いました。それがこのリーグ戦3試合、すべて1点差での勝利という結果につながってるのかもしれません。やっと土台が出来始めた。でもでも、自分がイメージしてるレベルにはまだ全然程遠くて、刻一刻と減っていく時間との戦いに心落ち着かず。果たして、間に合うのか。今年の石神井高校は、きっといろんな意味で正念場の年。未来を見続ける学校になっていくのか、過去の栄光にしがみつく学校になり下がるのか。舵取りの一端を担ってる俺にミスは許されない。やってやるぜ、やってやろうぜ。『人の実力は、 特別なところにあるのではない。 普段の自分の中にこそ、あるんです。』 精神科医・名越康文
2007/04/22
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ちと頭のオカシナ友人“アサミダイズミ”さんが綴った日記。そうだ、こんな日本になっていこう。そうだ、こんな自分になっていこう。 今朝、 小田急江ノ島線の各駅停車町田行きに乗ってて、 終点の町田の手前で車掌さんのアナウンスが 「本日はうららかな春の日差しとなりました。 この電車は終点町田に入ります。 素敵な1日となりますようお祈り申し上げます」 車内は一気にホンワカムードになりました。
2007/04/21
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今宵はずっと楽しみにしていた、高校時代の同級生夫婦“トシ&ミレイ”宅でのホームパーティー。やはり同級生の“M”と共に殴りこみです。俺からしたらウルトラDの難度「マイホーム購入」という離れ業で手に入れたこの家は、そりゃもう素敵なもんでした。スタイリッシュなものに囲まれてるだけでなく、所々にミレイちゃんが生けたであろう花が置かれていて、何ともいえない心地良さを感じさせるのです。行き場を、いや収納場所を失った本たちで溢れた混沌ムードたっぷりの俺の部屋とは大違い。人生いろいろ。お部屋もいろいろ。作ってくれたご飯がまた美味くてさ~。って思い出してるとぶどうパンを食べてる今の自分がなんだかとーってもひもじく思えてきそうなのでリアルな描写は控えさせていただきます。でもありゃマジで美味いっす。結婚して10キロ太ったトシの気持ちがわかりますわ。ゲラゲラ笑ってほんとに楽しかったー。特にトシが教えてくれる天然少女代表でお華の先生をやってるミレイちゃんの話。トシ 「こいつさ、 説明が擬音語だったりするんだよね。 “ガー”とか“ドーン”とか。」ミレイ 「いやいや、それのほうが伝わるんだよ。」トシ 「伝わんないっしょ・・・(笑)。」M&テツ 「うん、伝わらない伝わらない(笑)。」たらふく食べさせてもらい、俺はひと足お先に家を出発。田園都市線に揺られてると、ふとこの日の練習のことが頭を過ぎりました。肩パンチをしたりされたりするのが好きなご様子の訳のわからない高校生たちの、この日の練習は久しぶりに学校のグランド。ここ最近は、試合だけでなく練習でも外に出ることが多くなりました。遊牧民的サッカー部。うん、素敵な響きだ。これなら俺も仲間に入れそうだ。学校での練習は我が家のようで心落ち着くものの、使えるスペースがとても狭いことの練習効率の悪さから、今度は心落ち着かず。さらにこの約一ヶ月ほどの練習試合と、ビデオで見たトップチームのリーグ戦で見えた、この冬培ってきた部分が微妙に狂い始めてることへの心配が、心に揺さぶりをかけてきます。まあ、やるしかないわけで。ゲーム形式の前、みんなを集めて狂い始めてる部分と、そこを修正していこうという話をしました。 「今、この冬やってきたディフェンスの部分が ちょっと狂ってきてるから、ここを修正しよう。」 「なんかこう“スー”と引いちゃってるから、 もっとこう“ガー”と出て行って守ろう。」そう、じつは俺も“擬音ってた”のです(笑)。しかもこの日のゲーム形式では、見事にその部分が修正された素晴らしい練習に。ミレイちゃん、お互い伝わる相手でよかったね(笑)。『時としては何も言わないほうが 100万語を費やすよりも伝わる場合がある。』 日本代表監督・オシム
2007/04/20
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数ヶ月前に読んだ、「爆笑問題」“太田光”の著書、『トリックスターから空へ』。その中で、特に考えさせられた、≪犯罪を犯した少女・現代社会・大人≫について考察した一文。 「“なぜ人を殺してはいけないのか?” という問いに答えるには、我々自身が、 理屈ではなく“生きる”ということが 素晴らしいことであるということを 実感出来ていることが必要であり、 だからこそ“死”よりも“生”の方が 正解であるということを 子供達に実感させることが出来なければ 他者から“生”を奪うことの罪を 感じさせることは出来ない。」 「少女が、その目にした世界から、 “生”が正解であるという実感を 得られなかったのだとすれば、 それはその世界を構築している “表現者”としての我々の敗北である。」ここ数日、外出すると毎回感じてしまう違和感。それは、選挙活動に対して。 例えば、 遠くの曲がり角からおばちゃんが現れたら、 急に笑顔で手を振り出す候補者の人を見た時。 例えば、 住宅街の人々を洗脳させるかのように、 候補者の名前を連呼し続ける 選挙カーのアナウンスを聞いた時。 例えば、 目線の先には誰もいないのに、 笑顔で手を振り続けてる 選挙カーに乗ってる人々を見た時。何なんだろう、この世界は。いったいどこに真実が存在してるんだろう。って言っても、俺は選挙活動をしたことないから、その大変さも何もかもがわからない。だからここで吐いてる言葉には、経験したからこそ乗りかかる重さはちっともなく、きっとただのオヤジの戯言なんだろう。でも“選挙活動をしてる人”としてではなく“ひとりの人間”という目で見ても、どうしても違和感を感じてしまう。この世界を見て、子供たちは無意識に何を感じ取ってるんだろう。バルセロナの“ロナウジーニョ”がサッカーの楽しさをピッチで表現してるのを見て、子供たちはそれを真似しながら新たな世界を構築していく。そんなレベルじゃなくても、太田光が書いてるように、うちら大人の一挙手一投足は今の世界を組み立てるひとつの表現になっている。そしてまっさらな子供たちは、それを真似していく。じゃあ、今日の俺はどんな表現をしてたんだ。高校生がしてくれた挨拶に、何らかの想いを込めて返せたんだろうか。『笑和』でラーメンを食べ終わり、お店を出て行くお客さんに想いの詰まった「ありがとうございました」が言えたんだろうか。 ダメだ。選挙活動どうこういう前に、まずは俺自身。どんな場所でも、誰と会っても、何歳になっても、どんなシチュエーションでも、その時々の「本気」を表現出来る人間になっていこう。それがきっと俺自身も、楽しいんだろうからね。目指しちゃえ、ロナウジーニョ。『日常の中のどんなに平凡な片隅に居ながらも、 この世に魔法を起こすことを信じながら可能性の限界を 遠くへ押しやる努力を続けなければならない。 僕たちが子供達に伝え残すべきことは、 物質的な財産よりもそうした生き方の手本である。』 ライフスタイルプロデューサー・パトリス.ジュリアン
2007/04/19
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俺が石神井高校でサッカーのコーチを始めたのは、確か20歳のとき。途中でコスタリカへ逃亡して2年ほど離れてたけど、少なからず一緒の期間はあった。ってことはだよ、俺が高校卒業してから約10年ちょいの間のサッカー部の卒業生たち全てと絡みがあるんだ・・・。会社でいったら“おつぼね”さん状態だな、こりゃ。10年ちょっとという時は、俺からいっさいの爽やかさを奪っていき、そんなことお構いなしの教え子たちはみんなそれぞれの人生を歩み始めた。結婚して子供がいるやつ、スーツが似合う会社員のやつ、外国に語学留学をしたやつ、さっそく転職をしたやつ。同じ場所で過ごした楽しみはめっちゃ大きかったけど、こうしてそれぞれ違う人生を歩んでることを考えてみたり目の当たりにするのはこれまた楽しいもので。コーチを始めた時には、絶対に想像できなかった楽しみであるのです。そして、今宵。やはり想像してなかったことが現実に。それは、教え子からの取材。1年前に、練習に顔を出しに来てくれた“K君”。サッカー部は途中で辞めてしまったのですが、彼のサッカーに対する気持ちは収まることなく、今は「WORLD SOCCER DIGEST EXTRA」という雑誌の編集者をやっています。そんな彼が、「WORLD SOCCER DIGEST EXTRA」で任されてる自分のページのなかでコスタリカサッカーのことを来月号(5月12日発売)で軽く紹介したいとのことでこうした運びとなりました。飯を食いながら、酒を呑みながら、あれやこれや。この前の「サッカークリニック」でもそうだったけど、コスタリカのことを知ってもらえるのって嬉しい嬉しい。外国で生活してるときに、現地の友達とかに日本の素晴らしさを必死に説明してるのと同じような感覚。知ってもらいたいんだな、あの国の素晴らしさを。K君が担当してるのは、一番最後の「エクストラの裏側」というページ。編集者同士のリラックスサッカートーク。そんな彼のページが「面白かったです!」との葉書が先月数通届いたそうです。これは、相当嬉しいですよね~。それはやはりK君も同じで、その葉書はどんな町から届いたのか、地図を見ながら調べて、あれこれ町のことを想像をしてた、とのこと。なんか、それって素敵ですよね。葉書を送ってくれた人もそうだし、その葉書を大事に思ってるK君もまた。温かさは、想像力のスイッチをオンにしてくれる。そんなアクションを起こせる人間になりたいですわ。教え子との新たな関係。それが、今宵はメチャクチャ嬉しくて。酒も進んで、話も弾んで、未来を望んで。あ~マジで嬉しい~~~!ありがとう、教え子さんたちよ。『想像力は、知識よりも大切だ。 知識には限界がある。 想像力は、世界を包み込む。』 物理学者・アインシュタイン
2007/04/18
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俺は中学・高校時代、周りの期待に応えることばかり考えてて、まったく自分らしくいられませんでした。長男であること、生徒会長であること、キャプテンであること、そのイメージを崩さないように、自分の感情に鍵をかけていました。みんなから褒められて、その瞬間は優越感に浸れた。でもその後それ以上の虚しさに包まれた。自分が自分から一歩一歩、離れていってる気がしてました。苦しかった。そんな俺は、自分の力では鍵は壊せなかった。けど、すぐ近くに否応なしにそれを壊してくれる存在がありました。それは、「サッカー」。ボールを蹴り始めると、鍵の中に閉じ込められてた感情が一気に体中を巡ってすべてから解放された気持ちになれたんです。いっつも思っていました。 これが本当の俺なんだよな・・・今は皆さんもご承知のように、感情のみで生きてる人間みたいになってしまいましたが(笑)。サッカーが俺に、自由を配ってくれたのです。この日練習が終わると、スーツを着た教え子“T君”登場。来月から始まる教育実習の挨拶のためです。これまでも何人もの教え子が教育実習で来たけど、毎回やっぱ嬉しいもんなんですよ。でもその度に着々とおっさん化してる自分に気づかされ恐怖を覚えるけど、まあ、年齢だけはってことで納得させております。体育教官室でT君とあれやこれや話していました。彼の予想外の話に、不覚にも泣きそうになってしまいました。 「去年のサッカー教室に、 中学3年の“S”ってやつ来てましたよね? 僕少しだけあいつを教えたことあるんですよ。」 「じつは中学2年の途中で、 クラブチームでのサッカーをやめちゃってて、 何かのきっかけになればと思って、 あのサッカー教室のことを知らせたんです。」 「そしたらサッカー教室が 本当に楽しかったみたいで、 もう一回サッカーやろうと決めて 私立の“H高校”に行きましたよ。」またもや、サッカーが自由を配ってくれたんだ。『人は本当に 偶然の中で何かに遭遇し、 偶然によって変わっていく。』 芸人・太田光
2007/04/17
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ドラえもんに教わりたいんです。例えば“どこでもドア”を出す際にどうやったらあれこれ探さずに出せるのか。あのポッケの中では、魅力的なアイテムたちがきっちりと整理整頓されてると思うんです。じゃなかったら、ドラえもんだってきっと、「あれ・・・・・」とか言ってポケットの中をガサガサ探すんでしょうからね。求む、ドラえもんの整理整頓術。そうなんです、ほんとに苦手なんですよ、整理整頓ってやつが。まあ苦手というかやらないだけかもしれないけど・・・。小学生時代、学校の机の中は当然、クシャクシャなプリントまみれ。どうしてこんなにもガサツなんだろうか。そうだ、きっと遺伝だ。じゃなきゃ、納得がいかない。うん、そうだそうだ、遺伝だ。ほんじゃ、しょうがないね。両親、すまん。かなり長い間放置されてた宝箱の整理にこの日の夜ようやくとりかかりました。宝箱の中のバラバラしてた手紙や写真を小さな袋にまとめるという小学生でも出来る作業。でも俺にとってはどういうわけか困難な作業なので、自分を励ますために“ブルーハーツ”を聴きながら、テンション高めてやってみました。けど、ブルーハーツどころじゃありませんでした。だって、写真をまとめようとすればゆっくり眺めちゃうし、じゃあ手紙をと思えばじっくり読んじゃうし。部屋の中でも外でも確かに2007年4月16日という時が流れてるんだけど、俺の心はいろんな時空間を行ったり来たり。 ヨーロッパ5カ国放浪の時に イタリアのアッシジ、フランスのニースで 出逢った人からの手紙。 バリ島で出逢った人と撮った写真。 サッカーの教え子たちとの写真。 高校時代の合宿での写真。 新宿のレストランで大ママと撮った写真。 記憶にない小さな頃の写真。 ブラジルに行く直前のフットサル写真。 家族全員での集合写真。 ドラえもんのタイムマシーンに乗ったみたいに、しばらくの間、そこでの時空を生きてるんですよね。はっきりいって、外の雨音も“ヒロト”の熱い叫びも、この日に限っては耳に入ってこなかった。それは、なんて幸せなことなんだろう。たかだか31年の俺のちっぽけな人生にさえ、しっかりと歴史は築かれていました。もちろん世の中の人が動き出してしまうような重厚な歴史じゃない。でも俺の心が動き出すには充分な歴史。歴史が発する熱をいっぱいに浴びて、これからもっと新たな歴史を築いていきたいっす。たまには、昔の宝物に触れてみるのもいいかもしれない。それが持つ世界にスリップして、あの時の感情を湧き立たせるのもいいかもしれない。“チョロQ”は後ろに引けば引くほどその分大きく前に進んでいく。『むだな時間こそが創造性をつくる。』 作家・よしもとばなな
2007/04/16
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調布市の野川沿いをのらりくらりと散歩をしていました。10日ほど前までの薄ピンクの世界は黄色の世界へと変貌を遂げ、より一層心躍るものを感じさせてくれました。通りがかりの野球帽を被った少年、乗ってた自転車を止め、 「うわー、白鷺だ。 ねえ、お母さん見てよ、白鷺だよ。」お母さんはそれを見て、 「ああ、ほんとだ。 でも冷たくて大変だろうね。」少年はそれにびっくりしたのか、ちょっと間が空いてから、こう言葉を返しました。 「いやいや、 それよりも気持ちいいでしょう。」血の繋がってるお母さんと少年でさえ、同じ白鷺を見て、違う感じ方・違う想像をしてる。それはなんだか素敵なことのような気がする。人の数だけ違いがあって、違いにこそ、個性が含まれてて、その個性にこそ、楽しさが含まれてて、楽しさにこそ、平和が含まれてるんだろうから、まずは違いをを認め合いたい、尊重し合いたい。あの白い鳥の名前が“白鷺”だということをじつは少年の話で初めて知って、自分の無知さと彼の賢さを素直に認めることができていない、余計なプライド満載な31歳の僕なのでした。『信念と謙虚さの共存。 それが知的な生き方。』 早稲田大学教授・榊原英資
2007/04/15
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時刻は朝8時。つくばエクスプレスへの乗り換えのため、秋葉原の駅間を移動してると携帯電話が鳴りました。 「お、珍しい。起きてたんだ。 久しぶり、何やってんの?」声の主は、高校時代の同級生でサッカー部の副主将でもあった“パチ”。一時期、ディフェンスの真ん中でコンビを組んでいました。その時のやつは、165センチくらいの身長ながら、ディフェンスの真ん中のポジションで何故だかヘディングで競り勝ちまくり。そして、マークしてる相手に小賢しい言葉の駆け引きしまくり。見た目同様、老練な感じのプレーヤーでした。そんな彼は、20代前半で結婚し、今や2児のパパ。 「長男が小学校に入ってさ、 本格的にサッカーやりたいって言っててよ。 お前の知り合いのいるチームのこと教えてほしいんだけど。 英才教育を施して、Jリーグに入れないといけないからなー。」まさに親バカってやつです。いやバカ親だな、ありゃ。と言いつつ、自分が親になって、しかも女の子なんて生まれたもんなら、そりゃもう溺愛しちゃうけどねえ。で、娘の結婚式で、プリンセスプリンセスの「パパ」を本人に歌われて、耐えられず大号泣しながらお婿さんに「娘を頼むぞ・・・」なんて言って、固い握手を求めちゃうけどねえ。と、ここまではすでに妄想済みです。ありがとうございます。みなさん、娘をよろしく。つくばエクスプレスに乗り約30分。目的地の千葉県流山に到着。この日別会場で行われてるリーグ戦のメンバーに選ばれなかった高校生たちの試合です。相手は社会人チームの『RFC』。メンバーのほとんどは、仕事の忙しい30代の人たち。毎週末集まり、本気でサッカーをやってるチームです。試合は、4対2で勝利。でも相手が体力的に余裕のあった前半は0対1。しかも向こうの術中に見事にはまっていました。仕事をしている大人たちは、毎日練習が出来ないから当然体力は落ちてる。けど高校生には持ち得ない「経験」がある。ボールコントロールする時の工夫だったり、どこにボールが転がってくるかの予測だったり、ミスが重なった後の持ち直し方だったり。そういう経験を実際に肌で感じて、脳のどっかに無意識に記憶しておく事は、高校生にとってはデッカイ財産になるんじゃないかな。そしてそれは、サッカーのなかだけのことじゃなくて。相手チームには、石神井高校のOBがいました。俺の幼なじみでもある“かーくん”。こんにゃろーは、試合前やハーフタイムの時、高校生に対して自ら声をかけていました。といっても、まあ、ひと言とかふた言。でもそれって高校生からしたら、貴重な経験になるんじゃないかなって思うんですよね。だってもしかしたら、かーくんのその声をかけるという行動は、高校生たちにとって「年長者やOBとして振る舞う」という行動のひとつのサンプルになるのかもしれないから。やつらがそのサンプルをイメージしながら、新入生たちと接していったら人間的に成長出来るだろうしねえ。だからこうして違う年代の人たちと試合をすることも大切にしたいなっておいらは思いまする。そういえば、かーくんは可愛い娘を連れてきていました。これまた最高級な親バカ、バカ親です。高校時代、“パチ”も“かーくん”も、同じ学校に行って、同じ部活に所属してて、同じことに喜んで、同じことに笑ってた。それが今は、やってる事もそれぞれ違ってて、ふたりには子供がいて、俺にはいない。高校を卒業してからの13年間に、たくさんの日々の決断を積み重ねてきて、今のそれぞれの人生がある。当たり前の事かもしれないけど、この日はそれがなんだか面白く思えたんだな。すっごくハッピーなこの感情、伝わるかな。『日々の小さな行動から、 人間って決まっていく。』 タレント・勝俣州和
2007/04/14
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吉祥寺パルコの地下の本屋で、その本のタイトルを目撃した瞬間、頭の中はクエスチョンマークまみれに。 『 オレもサッカー“海外組”になるんだ!!! 』なんじゃ、そりゃ・・・。思わず手に取ってみると、裏表紙の帯にはこう書かれていました。 「吉崎エイジーニョ、職業スポーツライター。 30歳になり、急に現在と未来に不安をおぼえた。 突然、唯一の雑誌連載を打ち切られ、気が付けば、 20代の時にいた女の子はすべて姿を消していた。 腹もぽっこり出ている。 20代の勢いがぴたっと止まった。なんかヤバイ。 悩みに悩んだ結果、 新たな取材テーマを求め日本を飛び出すことにした。 行き先はドイツ。 プロのリーグ“ブンデスリーガ”の下に 12部くらいまでリーグ戦が存在するという。 これに挑戦する。すぐに周囲に宣言した。 オレ、海外組になるから! 周りからはまったく理解されなかった。ごもっともだ。 それでも、何かに突撃せねばならなかった。」アホだ。アホだ。どことなく26歳の時の俺と同じ感じがする。積み重ねられた本の山から誰も手にしてないであろう上から3番目のものを持ってそそくさとレジカウンターへ。そう、あの時、俺もちょっとだけアホだった。そこらのカフェに入り、カフェオレを注文し、いざ出陣。 チーム探しから始まって、 ライター仕事をこなしながらの 9部・10部リーグのチームでの練習と試合の日々。 メンバーに入れないことや、 自分を活かせるポジションができないことや、 そのことでコミュニケーションをとるかどうかの葛藤。 いいリズム感で文章を読みながら、エイジーニョさんのドイツ風景を想像してると、俺のコスタリカ風景が感情とセットで引き出されて、コーヒー飲む暇なし、周り見る暇なし、貧乏暇なしで読破。正直、感じること多すぎでした。その中でも特に共感したこの一文。 「ここでの時間は 自分が何者かを考え抜く時でもありました。 考えに考えても、やっぱり辿り着くところは、一つ。 オレはオレなんですよね。 オレ以上の何者でもなく、オレ以下の何者でもない。 そう思うから、そう思う。」俺もブラジル・コスタリカで、サッカーを通していつもこのことを嫌というほど考えさせられてきました。東洋人ということで差別扱いをされた時。ラテン人特有のテンションに合わせられなかった時。試合前にみんなで円陣を組んで神様に祈る時。コミュニケーションの輪に入れなかった時。超至近距離から平然と文句を言われた時。「郷に入りては郷に従え」で自分を変えるか、それとも「俺は日本人なんだから」と自分を貫くか。そこの葛藤の行き着いた先が、さっきのエイジーニョさんの文章の気持ちだったのです。俺はまだヘナチョコだから、確固とした“オレ”を見つけられてない。コスタリカに行く前よりは少しだけ見えてきた気がするけど、100%の“オレ”はきっと一生かかっても見つからないんだろうな。まあでも、せっかく生まれてきたんだから、少しでも極めてみたいね“オレ道”。だから、アホになろう。そうしよう。『人間の真の価値は、おもに、 自己からの解放の度合いによって決まる。』 物理学者・アインシュタイン
2007/04/13
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暖かなお昼時。自転車でお隣の三鷹市へ。黒のパーカー・ジーパン・ニューバランスのスニーカーに、ウエストバッグ。その全体的な装いに勝手に春を感じ、自転車を漕いではテンション高まり、イヤフォンから流れてくる『ROSSO』というバンドの“Outsider”という曲もバシッとはまり、最高に幸せな感情が込み上げてきた瞬間、軽い段差を乗り上げたちっちゃな振動で曲ストップ。このCDウォークマン選手が得意とする曲飛び。調子に乗りかけた時、挫折がやってくる。神様は、粋な計らいを見せてくれるものです。よし、CDウォークマン買い代えちゃおう。15分ほど爆走して、写真家“橋本和典さん”の事務所に到着。1年ちょっと前の日記に書いた、橋本さんの新潟の知り合い家族がテレビに出演したということで、その録画したDVD鑑賞です。番組名は『銭型金太郎』。新潟県十日町市・松之山に住む“戸部さん一家”。都内のデパートで「5キロ・1万4千円」で売り出されるというこだわり抜いたお米作りをしているこの一家は、完全自給自足の生活。なので薪割りは日課です。5人の子供たち(ふたりは東京生活中)には、15畳ほどの部屋に卓球台や跳び箱を置いたり、室内での野球やサッカーなどを許可したりと思う存分体を動かして遊べる環境を用意する一方、薪割りや雪降ろし、家事などの仕事をしっかりさせる、そして家でも外でも、テレビゲームとお菓子は禁止、さらには中学を出たら基本的に経済的に自立させるそうです。リポーターの“東MAX”に教育方針を聴かれると戸部さんはこう述べました。 「ひもじさと寒さを経験させるようにしています。」これ素晴らしい~!!!その経験がもたらしてくれる感情は大切だと思うから。ブラジルに行った19歳の時。チームの寮の部屋は2段ベッド5つの10人部屋。寮全体に30人近く住んでるのに、トイレもシャワーもひとつ。連日30℃以上の中でもクーラーはないし、町へ出てもコンビニなんかももちろんない。当時の俺には、それがすごくひもじく感じました。快適さに囲まれた日本の生活が当たり前だと思ってたから。でもその経験をして日本へ帰国すると、前には持っていなかった「日本の当たり前」に対しての感謝の気持ちを得られていました。ブラジルに行く前の日本での生活は、快適だったけれど幸せではなかった。ブラジルでの生活は、快適ではなかったけれど幸せだった。快適さよりも、まず先に、幸せを追おうと思いました。戸部さん、橋本さん、大事なことを思い出させてくれてどうもありがとうございました。CDウォークマンどうしよっかな。『自由というのは、 ある程度の枠があってはじめて成立する。 なんでもやっていいよという枠のない世界に 存在するのは、自由でなくて混沌だ。』 映画監督・北野武
2007/04/12
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時刻は19時20分。新宿のとある居酒屋に集ったのは、大人男子3人と大人女子1人。唯一全員と繋がりがある遊び人な雰囲気満載の、でもじつは真面目くんな幹事さんが、乾杯前にひと言。 「今日って4月10日だっけ? 何年かしたらこの日は“4.10事件”って 言われるようになるんじゃないかな。」1ヶ月程前、今回の幹事であり友人の路上メッセンジャー“テツヤ君”からスポーツ関係で会わせたい人たちがいるんですよ、とのお誘い。そしてこの日、喜び勇んで、いざ出陣。集まったメンバーは、現役スポーツ選手に対して引退後の支援をサポートしている『サン・アスリート株式会社』の代表“神藤さん”。もうひとり、ラクロスを日本中に広めることと、総合型スポーツクラブの設立を目指している“ノリエちゃん”。話が盛り上がってる最中、店員さんがラストオーダーを聞きにやってきました。おいおい、新宿のど真ん中にある店なのにえっらいラストが早くないかと思い、時計を見てみると、すでに23時。じつはまだ21時くらいだと思っていました。とんでもない時差が発生したもんだ・・・。俺がアホなんだと言いたいわけではなく、もちろんみんなからもそう言われたいわけでもなく、感覚が麻痺してしまうほどの宵だったということですよ。「修学旅行の夜“スポーツトーク”版」みたいな宵。おふたりのスポーツに対しての想いは熱い熱い。やってきてる種目は違うんだけど、話を聴けば聴くほど考えの根本の部分を共有してるんだろうな~って思うんですね。そして、笑顔も。神藤さんのこの話印象的でした。 「僕は翻訳家でもあると思ってるんだ。 ボクシングの具志堅さんっているじゃない。 あの人に話を聴いたことがあるんだけど、 返ってくる言葉がすっごく感覚的でさ。 “いやあ、サーってかわしてバンだよ”みたいな(笑)。」 「でもそこで、 どうやってそのバンを出したんですかって聴くと、 “肩をこう入れてこのタイミングで腕を使って” みたいな具体的な言葉になっていくんだ。 あの人たちは感覚が超越してるから、 自分の中で言葉になっていなくてもOKだったんだよね。」 「けど彼らの貴重な経験の中には、 僕たちが学べることもいっぱいあると思うんだ。 生きていくうえでのヒントみたいなものが。 だからその感覚を言葉にしていきたいんだよね。」相手の感覚を言語化すること。それは俺がコーチとして最もやりたい部分。具志堅さんの場合はイッちゃってるから(笑)、言葉に変換してもあまり変わらないかもしれないけど、高校生は言葉に変わることで一気に成長スピードが加速すると思うんですよね。その人の素晴らしさを引き出すことの出来る、そのための適切な投げかけが出来る人間に俺もなりたいっす。真っ直ぐなキラキラした目で、子供のように無邪気に話すノリエちゃんのブログには、当然俺がまったく知らないこれまでの彼女の経験や感情が綴られていました。当たり前のことなんだけれど、住んでる地域もやってる種目も違ってた人同士が何かの縁で、「2007年4月10日」という日に出逢ったということがブログを読んだら今さらながら不思議なことのように感じたんですよねえ。でもそれは、ブログに記してなくたってそうなんだ。神藤さんもそうだしテツヤ君もそうだし、出逢う人たち全てがそうなんだ。違う歴史を築いてた人同士が、何かの仕掛けでこうして衝突すること。そこで大切な何かを交換すること。こりゃやっぱ事件だわさ。『ひとりで見る夢は夢でしかない。 しかし、誰かと見る夢は現実だ。』 アーティスト・オノヨーコ
2007/04/10
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ちと今日は、お知らせを2つほど。現在「FM西東京」(84.2MHz)、毎週日曜日13時30分~40分で放送されている、 『ワンチョペのパライソ!コスタリカ』という、「FC東京」の“ワンチョペ”がコスタリカを紹介している番組の中で、俺もちらっとコスタリカについて話をさせてもらっています。コーヒーやら、海やら、平和やら、動植物やら、まだあまり知られていないコスタリカという国の様々な魅力を紹介する番組です。お近くの方、よかったら聴いてみてくださいね。そして、もうひとつ。現在発売されているサッカー雑誌、 『サッカークリニック』という専門誌の最新号の中に、コスタリカサッカーについての記事が掲載されています。サッカーに興味のない方にとってはマニアック気味ですがよかったらチラ見でもしてください。2002年、外国でサッカーをやろうとだけ決め、たまたま選んだ「コスタリカ」という国。そこでの一つひとつの経験は、サッカー選手としてではなく、ひとりの人間として貴重すぎるものでした。あの素晴らしい国のことを日本の人たちに少しでも知ってもらえるのは、俺にとって本当に嬉しいことなんです。ただひたすら感謝。すべての出逢いに感謝。
2007/04/09
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元旦の大惨事から始まった、「MY FOOTBALL LIFE in 2007」。捻挫だと思ってた怪我は、じつは靭帯損傷。普通にサッカーが出来るようになったのは3月に入ってから。それからの1ヵ月ちょっと、気づけばサッカーづいてました。ここ最近、そんな日々がえらく楽しいんです。なんだか久しぶりなこの感覚。そう、それは俺の原点。金曜日の日中、指導者仲間“Sさん”のお誘いを受け、杉並区の某グランドへ。ボールを蹴る、ということだけはわかっていたので、着替えとサッカーシューズを持ち、でも何をするかははっきりとわからないままグランドに到着するとそこには20人以上の若者集団が。Sさんの教え子と、やはり指導者仲間“K君”の教え子たち。そこに俺の教え子“KZ君”も加わり、2チームに分けて試合をやることになりました。自然とテンション高まります。20歳前後の若者たちのように、キレのあるプレーやスピード感はもちろんまったく見せられなかったけど、俺は俺で本当に楽しかった。そして日曜日。今度はお友達“AI君夫妻”のお誘いで、世田谷区のフットサル場へ。こちらもようわからないまま行くと、ほぼ同年代の人たちが集まってのフットサルの大会ということでした。みんなもちろん、マジモード。またしてもテンション急上昇。足がもつれたり、ミスもしまくりながらもチームも無事勝てたし、やっぱ楽しかったんだな。俺は幸いにして今も“コーチ”としてサッカーに関われてる。このコーチという役割にはいろんな楽しみが詰まってる。多くの人の人生に関われるわけだし、自分次第で組織自体を良くも悪くも変えていける。仕切りたがりーな俺にとって、これはもしかしたら天職かもしれない。でも誤解を恐れずに言えば、そこにどっぷりと浸かっちゃいけないなとも思うんです。戦いの最前線にしか存在しない、リアルな緊張感を忘れないようにしないとなって。若者たちとのサッカーも、同年代の人たちとのフットサルも、その緊張感に楽しみを感じたんでしょうね。コーチとは、また違った楽しさ。それは見てる部分が違うからかもしれません。 コーチは、「未来」にフォーカスをあてながら「今」を見る。 選手は、「今」にフォーカスをあてながら「未来」を見る。自分の原点を思い出しつつあるこの1ヵ月。コーチも選手もひっくるめて、やっぱりサッカーは楽しいぞ~~~。『美しいサッカーをするチームがあるのなら、 そこは美しいサッカーをするための練習をしてるのだろう。』 サッカー日本代表監督・オシム『フットボールでは先のことは 絶対に考えないようにしている。 その瞬間にフォーカスするためにね。 良いパフォーマンスをするためには、 完全にフォーカスしていることが必要なんだ。』 サッカー元スウェーデン代表・ラーション
2007/04/08
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元ルームメイト“K君”のお誘いを受け、三鷹市が主催してる講演会に行ってきました。講師は、“古谷隆志さん”。『イーエス技研』という規格認証のコンサルティング業務を請け負う小さな会社の代表取締役しゃっちょさんです。高校時代に、物理の公式を必死に覚えるものの、その使い方がわからなく悲惨なテスト結果に終わった俺にとっては完全に畑違いな分野。規格認証という言葉を聴いただけで、拒否反応と理解できないんだろうという諦めの気持ちが。でもまあ、ここは授業の場じゃないんだし、せっかく来たんだから何かを吸収しようと思い直し、先入観を限りなく取っ払って向き合ってみることに。自分の理系の分野に対してのイマジネーションの無さをひどく痛感。難しいことや専門的なことはほとんど言ってないのに、ちっともピンとこないんですよねえ。でもこの話だけは、心に触れてきました。やはりというかなんというか、「教育」についての話です。従業員は60歳台が4人に、50歳台前半が1人のこの会社。現在、若い世代を求めているそう。そのための育成プランとして、 「若い人は現場の最前線で頑張り、 高齢者がそのマネージメントをする」という従来通りの方法ではなく、 「高齢者が経験を活かして前線で頑張り、 若い人はそれをサポートしながら見て学ぶ」という方法を考えているそうです。まだ具体的な方法論には至っていないそうですが、ひとつの考え方として面白いんじゃないかなと思いました。現在突入してる高齢化社会。正直な話、自分自身若者と接する毎日なので、その問題はまだ他人事として捉えてる部分が大きいです。でもこの日、しゃっちょさんの育成のお話や、高齢な参加者の方の質問などをお聴きしていたら、頭の中で「形」として想像出来るようになった気がします。だからって別に、堅苦しい問題だと考えるのではなく、ずっと前の日記にも書いたようにそれぞれの世代の良さを生かし合った楽しい場を生み出せたらなって。俺の中でそれは、コスタリカでやってた草サッカーのイメージ。子供からおじいちゃんまでが、ひとつのサッカーボールのもと、世代を越えたひとりの人間として夢中になって、でもそれぞれの世代の良さみたいのを無意識に自然に交換し合ってるみたいな場。それそれが、それぞれを尊重し合えたらサイコーだね。想像するには、直に触れること。その大切さをあらためて感じた今回の講演会。まさに『百聞は一見に如かず』。今日も明日も、一見、一見。『経験者というのは、 その経験を自分より若い人に 伝えないといけないんだ。それも親しみを持ってね。』 サッカーブラジル代表広報・ホドリゴ
2007/04/05
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久しぶりに実家に泊まると、猫3姉妹たちはいつものように、座布団の上やら、ソファーの上やらに、のさばっていて俺に心地いいスペースを与えてくれはしませんでした。サッカー選手だったら良いボランチになれたでしょうに。この家は「実家」である前に「猫館」なので、人間で、しかもここに住んでない俺には文句すらつける権利がなさそうなので、しばらく遠くから3姉妹の猫人生を眺めてると、数ヶ月前に来た時には見られなかったある変化が生まれていました。それは、3匹の距離感。いや、正確に言うと“マイ”“アン”の連合チームと“チーちゃん”との距離感が。だいぶ遅れてこの猫館に入居してきた“チーちゃん”は、連合チームから受け入れられず、いつも威嚇されたり、ひとたび動き出せばしっかり監視される日々。自身も連合チームに壁を作ってしまうので、違う部屋でひっそりとしてる事が多いのです。ところが今回。同じ部屋に3匹集結。しかも“チーちゃん”が動いても、連合チームはまったく気にしない様子で爆睡。7、8年経ち、ついに仲間入りを果たしたようです。人間関係ならぬ猫関係も複雑で大変なものなんですねえ。お昼時、母“トシコ”と「たまプラーザ」にある大好きな「モンスーンカフェ」へ。ここのテラス席の心地よさはマジでやばいです。猫3姉妹に知られたら乗っ取られちゃうこと間違い無しです。ウェイターの女の子が注文に来ると、トシコはその子のネームプレートを見て、 「アイちゃんって言うんだ、かわいいね~。」おっさん同然のやり方でナンパを敢行。 「ほら、お母さんかわいい女の子好きだから。」よかった、俺の女の子好きは遺伝だったんだ。なので、俺へのクレームはトシコか先祖までどうぞ。先日亡くなってしまったコスタリカでの恩人“マサタさん”の話から、自分の最期はどうしたいかということや、大好きな俺のふたりの父親のことなど、気づけばいろいろなことを話していました。これもマサタさんがくれたきっかけ。大切な人の死には、悲しみの手紙だけではなく、たくさんのおもちゃも詰まっている。それを使って遊ぶかどうかは自分次第なんだと思う。サンタクロースが担いでる大きな袋の中には、いろんな遊び方が出来るおもちゃが入っているように、マサタさんが残していってくれた袋の中にも、うちらが想像すら出来ない遊び方のおもちゃがいっぱい詰まってる。人生ゲームも、レゴも、ファミコンも、サッカーボールも、どれもこれも本当に楽しかったから、マサタさんが残してくれたおもちゃでもいっぱい遊ぼう。あらためて、ありがとう。それにしても自分の母親とそんな話をしてるのが不思議でした。今までほとんどしてこなかったから。親子になってから、今年で32年。ゆっくりな時間が猫関係を少しずつ変えていったように、親子関係も徐々に変わってきたのかもしれません。それは何だか、悪いものじゃないような気がします。『それでも永遠なるものに 関心を抱くのがいちばんいいでしょう。 というのは、それのみが 人間社会に平和と平穏をさせる精神の源だからです。』 物理学者・アインシュタイン
2007/04/04
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この日、埼玉遠征に行けなかったメンバーは、“NN高校”との地域リーグの試合。しかしただのリーグ戦ではなく、勝てば来年度は1部リーグに昇格、負ければまたもや2部リーグという、いわゆる入れ替え戦。えっらい大事な試合。試合前にあえて高校生たちにそのことを強調。そのおかげで、キックオフ直後うちの選手たちの動きはガチガチ。さらに技術的に上回る相手のパス回しにも翻弄され、難しい試合になること間違いなしな雰囲気。ところが。気づけば途中からうちが主導権を握り続け、最終的に3対0の圧勝に終わりました。結果・内容・取り組み方、すべてにおいて素晴らしかった。特に勝ちたいという強い気持ちにおいて。それは緊張感を持ってやってたからでしょう。 最初はマイナスに働き「ガチガチ」。 途中からプラスに働き「メラメラ」。緊張感も使い方次第といったとこですかね。この後、練習試合として30分を2本。こっちの試合は気持ちが空回りしてチームも空回り。次第に相手との小競り合いも始まり、苛立ちをまったくコントロール出来ない、内容としてはさっぱりなもので終わってしまいました。前日の日曜日は、“都立N高校”との地域リーグの試合。じつは空回りしてたメンバーの多くがこの試合ではスターティングメンバーとして出場していました。しかし、あっちゃいけない凡ミスを繰り返し、約半数がハーフタイムで交代。後半出場した実力では劣るメンバーは、意欲的な良い内容のプレーを見せ、大事な入れ替え戦のスターティングメンバーを自らの手で勝ち取ったわけです。見事チャンスを掴みました。かたや空回りしてしまったメンバー。いい準備ができなかったことで失った場所。この部分を手に入れられたら、彼らは次のチャンスを掴むのかもしれません。そしてその時には、ひと回り器の大きな自分になってるんでしょう。苛立ちを「過去」から「未来」に向けて。苛立ちを「緊張感」へと昇華させて。今に向き合って、未来に笑おう。『追い詰められた場所にこそ、 大きな飛躍があるのだ。』 プロ棋士・羽生善治
2007/04/02
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週末の夜になると軽いゴーストタウンと化す「久我山」。なので、ラーメン屋「笑和」も暇なこと多し。ところがこの日は、22時を過ぎても大賑わい。お客さんたちのテンションも高め。そう、みなさんお花見帰りなのですね。じつは、俺も夕方に花見済み。じつは、人生初となった花見。真面目に働き、真面目に遊ぶ、スタイリスト集団のみなみなさまとの宵。 外国に行った時、 言葉が話せなかったらどうするか。 誰もがモノマネできてしまうほどの クセのある上司からのお誘いをどうヤンワリ断るか。 あるお店の美味しいロールパンを、 交通費を払って店で買うか、それとも通販で買うか。そういえば、その回答を導き出すのに必死で、自分の上に広がる桜の花をあまり見てなかった。まあ、花見という名の呑み会はそれでいいのかな。真面目に働き、遊び、酔っ払うみなみなさん、デビュー戦の機会を与えてくれてどうもありがとう。この日の「笑和」の夜は、桜の木の下でロールパンについて議論したであろう、花見帰りのお客様たちでしばらくいっぱいに。そして締めのラーメンを終えた人たちはポツポツと帰宅。気づけばお店は、常連の“Uさん”、大将と俺だけ。Uさん50代、大将40代、セニョール30代。どっからその話になったのかは覚えてないけど、それぞれの世代の人たちが持つ「組織と個人」の比重みたいな話をしていました。Uさんと大将の当時の話を聴かせてもらってて次第に大きな疑問が湧いてきました。社会では「個人」の部分を近年求められるようになってきてる。でもそのために必要な考え方や哲学を学生時代の教育現場で学べてるのかな?それはサッカーの指導という現場にいる俺からすると、そういうチャンスをやつらに向けて日々生み出せてるのかどうか。例えば、自分で決断する場面が日々あるのか?自ら動き出す機会を作れてるのか?失敗した時に反省する環境があるのか?再チャレンジは当たり前な雰囲気があるのか?自分に目を向ける習慣を作れてるのか?まだまだダメダメです。もっと考えんと。もっと想像せんと。もっと動かんと。なんてことを考えてたら、“ひとり旅”ってキーワードが心の中に浮上。俺が無類の“ひとり旅”好きなのは、この「個人」を強烈に意識させられる部分なんだと思います。はっきりいって、ひとりって面倒くさいし、寂しいし、怖い。でもそう思いながらも、何かが出来たときの喜びはたまらんものがある。それが片言でのホテルの予約みたいな小さな行動であっても。自ら何かをやらないと生きていけない、そんな環境に身を置くことはもしかしたら一番の教育なのかもしれないな。“ひとり旅”風なサッカーチーム。そんな感じのチームを作っていきたいです。ああ、やばい。ひとり旅したいわ・・・。『人間の知恵や想像力は、 壁や障害があってこそ豊かに発揮される。 知恵や想像力で壁を乗り越えるところに、 自由の喜びがある。』 映画監督・北野武
2007/04/01
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最近のマイブームは“ヘッドフォン”なセニョールです。マイブームと言っても、こいつのブームのことじゃありません。 ↑ 実家の猫“マイ”すいません、親バカです。しかし、ヘッドフォンってスゴイっすね。この前電器屋さんで試聴してみたのですが、音が全く違ったことにびっくり。BGMとしてではなく、音楽をじっくり聴いてみたい衝動に駆られました。こりゃ楽しみが増えたな。もしヘッドフォンを買ったなら、爆音で聴いてみたい音楽のひとつ。この日記で何度も書いてる「浅井健一」。「ブランキージェットシティー」、「シャーベッツ」、「AJICO」、「YUDE」、などの骨太バンドを経て、現在はソロで活動中。“ベンジー”の愛称で呼ばれる彼は非常に多才。この日、原宿にあるギャラリー「LAPNET SHIP」へ彼の個展を観に行ってきました。柔らかな色合い、温かな世界、俺は大好きなのです。 (こんな感じの絵です → こちら)ベンジーワールドに刺激され、今までに彼が生み出した音楽の歌詞を読み直してると、またもや刺激まみれ。やっぱこのおっさんスゴイっす・・。革パン・刺青の王道ロックスタイルの彼が創造する世界を今回はちょっと紹介させてください。ベンジー、あんた最高だ。 『見渡す限り小麦色の斜面の途中に 止まってるトラックの荷台にわらを敷きつめて その上に寝転んで息を吸うのさ 寒くもなく暑くもない秋の夕暮れ 虫たちがやさしく 囁くのが聞こえる 風は近づく冬の気配を感じさせてくれるし 草の香りに包まれて そまりはじめた雲がゆっくり流れて行くのを見上げながら 想像力のカプセルを 一つ飲み込んで 目をつぶるだけさ』 『思い出せ不良少年 その澄きとおった心で いつか見た事のある あの真っ青な空を』 『くだらない話はもうやめて 哲学を語ろう たまには夜みんなで集まって 想像力広げ だってさ ありふれたことばかり 話したってつまらないよ 神秘的なところまで行こうぜ 心には壁なんかないのさ』 『僕は君と生きているんだ たったそれだけのことなんだ スーパーマーケットに行ったりとか 一緒にシャンプーしたりとか けなげな話なんだよね でもそれで充分みたいさ けなげな話なんだよね 全然寂しくないんだ』 『小さなたき火をおこして みんなで星を見上げ 世界を胸に思い浮かべ どれくらい孤独なのかを知るのさ』 『世界中 どこの場面にも 散りばめられているんだね 決して 口じゃ言えないが 時々感じられる 例えば君が涙を流す時とか 人間って不思議なんだよね 幸せの中にいると そのことに気づかないでいる その逆もありえるけど だから僕は愛することがしたいんだ できるだけ遠い空を見て 何か楽しいことを思って 急に自分の手のひらを見つめると その中に 新しい風が生れるって 知ってるかい』 『チョコを2つに割って 1つは神に捧げる 残りを2人で分けて 心を1つにしよう』
2007/03/31
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『本能の声を聴いて、 耳を済ませていけば、 必ず自分と自分がぴったりくる ポイントがあると思う。』 作家・よしもとばなな
2007/03/30
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コスタリカでも日本でも、体調が良くても悪くても、お酒を飲んでても飲んでなくても、あの人はいつもこう言っていました。 「テツ、いいか。 お前らしく生きるんだぞ。 周りが何て言ったってお前らしく生きるんだ。」あの人のことを“恩人”と呼ぶのは、彼のそんな言葉や生き方そのものが俺の心をいつも温かくしてくれていたから。そこに、本当の愛を感じたから。 「定められた終わり。」 「あの日のまま。」 「かがやき。」 「あなたの病室。」 「田舎時間の幸せ。」 「幸せのカタチ。」 「素敵な奇跡を。」 「これからも。」 「生かされて。」 「春に向かって。」ついに20℃を越え、桜の花が我先にと開花していった、この日。吉祥寺の駅には平日の昼としてはあり得ない数の人々が。でもサラリーマンも、主婦も、子供も、みんな笑ってた。恩人が“最期”として選んだのは、そんな日でした。マサタさん、今まで本当にありがとう。いっぱいお酒を飲ませてくれて。いっぱいご飯を食べさせてくれて。いっぱい武勇伝を聴かせてくれて。いっぱい希望を語ってくれて。いっぱい笑いかけてくれて。いっぱいの愛をくれて、どうもありがとう。俺はあなたのように生きてみたいんだ。あなたが俺にしてくれたように生きてみたいんだ。そんな道標になってくれて、どうもありがとう。何度も何度も言ってくれた、この言葉。 「人は信じるんだぞ。 たとえ騙されたって、裏切られたって。 それだけは忘れるなよ。信じるんだぞ。」絶対に忘れない。そんなの綺麗事だって言われたって。そんなんじゃ世の中渡っていけないって言われたって。絶対に忘れないよ。だって、俺の心は確かに震えたから。ねえ、マサタさん。家族と親戚が揃ってるなか、うちらが遅れて到着してから30分後に息を引き取ったこと。もしかして待っててくれたのかな。余命14日を告げられたあの日こう言ってたよね。 「自分が会いたいと思ってる人に 会うまでは絶対に死なない。」俺は妄想倶楽部会長だから、きっと待っててくれたんだろうと思っては、最高に幸せな気分になってるんだ。本当にありがとう。54年間の人生の最後の最後までマサタさんらしかった。 「マサタはいつも 自分らしく生きろって言ってたじゃない。 重い雰囲気は彼らしくないからさ。」大好きだった奥さんがそう言って、みんなが愛のこもった談笑をし始めてから数分後に、誰にも気づかれないように、そっと逝ってるなんて。俺はやっぱり、そんなマサタさんが大好きだ。マサタさん、本当にありがとう。いくら言っても絶対に足りないけど、ありがとう。あなたとの思い出の中には、たっくさんの感情が詰まってる。そこには、いつも笑顔だったあなたが存在してる。だから、これからも一緒に。
2007/03/28
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傘が意味をなさないほどの大雨の日、高校生の練習は室内での4対4のミニゲーム。ひとり足りないチームに俺も参戦。体を動かし始めると急に高ぶってくる感情。でも頭と心と体はちっとも直結していなく。決定的なシュートを外すたびに、自分へやつ当たり。負けチームがやることになってた罰ゲームを繰り返し、もはや自分自身への怒りはピークに。最終ゲームが始まる直前、相手チームのこの言葉でスイッチオン。 「よし、この試合も勝って全勝で終わらせようぜ。」ざけんじゃねえ・・・。ぜってえに勝ってやる・・・。魂込めた結果は、無事「勝利」。殺気立ってサッカーやることが、大人げないということはわかってる。けどやっぱ負けたくない。勝ちたい。それはやっぱ俺自身に対して。そんなん思ってマジでやってしまう自分は結構嫌いではなかったりする。生きてる感じがして。でも練習が終わった瞬間から眠くなってしまう、ちっとも疲労に耐えられなくなってる体はとびきり嫌いだったりする。小さな子供な感じがして。夜の吉祥寺の街を歩いていると、前方に酔っ払いの若者集団が。何となく嫌な予感を抱きながらそこを通ろうとすると近寄ってくる若者。 「あ、テツさん!何やってるんすか?」声の主は、教え子の“O君”。大学のサークル飲み会だったらしくなかなかの上機嫌。立ち話をしてると今度は横から、 「あー、テツさんだ。」やはりこのサークルに所属する教え子“S君”。石神井OBが多い、この大学のサークル。次々に教え子登場。“H君”“M君”“N君”。気づくと5人の教え子に囲まれてた。酔っ払いの絡み方そのもので、握手を何回もしてきたり、路上で一緒に写真を撮ったり、同じ話を何度もしてたり、ひとりは意味もなく大号泣してたり。そうだ、この教え子たちにも大人げないとこをたっぷり見せてきたんだ。で、やつらはそれ以上の熱さを見せ返してきたんだ。そんなやり取りを嫌というほど繰り返してきて、こうして吉祥寺の路上でひとりしらふの状態のまま、ハイテンションのやつらに絡まれてる。それは結構悪いことではない気がする。いや、むしろ深みのあるハッピーな気がする。でも、もし状況が逆で、あいつらがしらふで俺が酔っ払って絡んでいったら、きっと思いっきり引かれるんだろう。大人げなくていいかもしれない。よし、いつかやってやるぜ。笑ったり、怒ったり、喜んだり、へこんだり、感謝したり。そんなハッピーな一日を、今日に刻みたい。『大切なのは、今という時間。』 「アルケミスト」より
2007/03/26
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そうそう、前日の日記に書き忘れたことが。“AS高校”、“S高校”との3校戦。この試合、相手に感謝感謝だったのです。うちのトップチームは埼玉遠征に行ってるにもかかわらず、両校とも快くトップチームで臨んでくれました。これがね、本当に素晴らしいチームでした。その「試合へのスタンス」が。何て言ったらいいんだろう。とにかくひとり一人の選手がエネルギーに満ち溢れてる。それも負の方向じゃなくて正の方向に。試合に勝つために自分を表現し切ってるっていうのが、理屈抜きでどーんと伝わってくる。めちゃくちゃ戦ってるんだけど、その熱い気持ちを相手や審判にぶつけることはなくて、ベクトルの方向はすべて自分たち。時間とともに、うちにも伝染。比較的おとなしいうちの選手たちが、相手の前向きな雰囲気に煽られ、いつにない集中力を発揮し始めました。そして、今までに見せたことのないプレーや気持ちを表現した選手が現れたのです。それは間違いなく、相手が引き出してくれたもの。プロ棋士の“羽生善治”さんの『決断力』という本を今読んでるのですが、その中にあまりにタイムリーなこんなことが書かれていました。 『棋士は指し手に自分を表現する。 二十枚の駒を自分の手足のように使い、 自分のイメージする理想の将棋を創りあげていく。 ただ、将棋は二人で指すものなので、 相手との駆け引きのなかで自分を表現していく。 その意味では、 相手は敵であると同時に作品の共同制作者であり、 自分の個性を引き出してくれる人ともいえる。』“AS高校”、“S高校”ともに、素敵な共同制作者でうちの個性を見事に引き出してくれました。そう、うちの今のチームもこうなっていきたいんだ。試合後に、相手の監督さんとお話を。 「石神井は人数も多いし、 グランドも使えなくて本当に大変だよね。 またぜひやろうよ。 うちは相手どうこうとか関係ないから、 トップチームじゃなくても全然構わないからさ。」試合への真っ直ぐなスタンスは、この監督のスタンスそのものだったのです。つまり、俺こそ頑張れ。『自分のアイデアは案外決まっているので、対戦の中で、 相手にいろいろと引き出してもらうことも多い。』 プロ棋士・羽生善治
2007/03/25
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いよいよシーズンインです。去年11月の新人戦敗退から約5ヶ月。この日から3日間の埼玉「川口カップ」を皮切りに、「T3リーグ」「インターハイ」「選手権」と、立て続けに大会が入ってきます。前日発表された「川口カップ」の遠征メンバー。ギリギリまで悩み、監督と話し合いを。重視したのは持ってる実力があるかどうかよりも、その実力が“現在”出せてるのかどうか。結果、新人戦の頃から若干メンバーが代わりました。俺はこの3日間、入れなかった選手たちの練習試合に同行。この日は足立区の“AS高校”へ。会場に向けての原付での約1時間の旅路の途中、外れたメンバーたちにどうアプローチしていこうかあれこれ考えを巡らせてみました。メンバーから外れたという今回のタイミングは、自身の成長が促される絶好の機会。悔しさをポジティブに変換できれば、高まった気持ちが生み出されるから。でもそれは、理性が感情に勝てばという条件付き。「ふざけんなよ」の感情に「やってらんねえよ」というマイナスの言葉を重ねるか、「やってやるよ」というプラスの言葉を重ねるか。彼らが立ってるのは、その分かれ道の入り口。その入り口に立ってることに対して、俺から選手にどんなアプローチをしていくべきか。迷いに迷って、会場に到着。16時過ぎ、“AS高校”“S高校”“石神井高校”の3校戦終了。結果はあまり良くありませんでしたが、久しぶりに心を揺さぶってくるものがありました。それはたぶん、ひとり一人が思いっきり自分を表現してたから。彼らはどうやらプラスの言葉を重ねていたようです。結局俺は選手たちに試合前から試合後まで、入り口の話をすることはありませんでした。新人戦の負け以降、散々そんな話をしてきてたからもう大丈夫かな、と思って。伝え続けてきてよかった。楽しみなのはこれから。この練習試合のメンバーから何人が羽ばたいていくか。さ、やってやろうぜ。『試合前、選手たちに話をする。 深刻な話も、笑い話も、つまらん話もある。 ただ何かを感じたら選手に伝えようと思っている。 そうしないと後悔することになる。』 メジャーリーグ「タイガース」監督・リーランド
2007/03/24
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