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時として、人生には、待たないとならないことがあるのです。
待つ、ということは、消極的なことに思われがちだけれど、 実は、安定をしている、という強さなのかもしれません。
相手が遅い歩みの時に、待つことがあります。
その時に、「こんなに遅いのは、いやだ」と関係を断ち切ることもできます。
しかし待つこともあります。
そして、時には、後ろを振り向いて、遅い相手を待つことがあります。
けれども、
時には、道の花を楽しむ待ち方もあります。
時には、空を見上げる待ち方もあります。
その時にその人は、とても不思議な空間を味わいます。
花に空に向けて、透明な空気に向けて開いているのに、
こんなにも開いているのに、一緒にいるのです。
そうして、そのように、自分の道を楽しんで待っているときに、
相手は自分のペースで来られるので、
この散歩は楽しいものとなるでしょう。
さて、皆さんが、待ちたい人を待ってあげられないのは、どうしたことでしょうか。
怒鳴ってしまいます。
もっと早くしてよ、とせかしてしまいます。
用事があるのかもしれません。
仕方がないときもあります。
でもいつもいつもだとしたら、きっと、その人は、
待ってもらったことがないのです。
待ってもらった気持ちを、感じ取ったことがないのです。
人生の行く道歩む時に、せかされてきたのです。
せかしてしまう怖さは、愛ではありません。
そして怖さは、複雑な関係をその二人にもたらしてしまいます。
膠着をすることもあります。
愛し合っているのに、片側で憎む関係であることもあります。
良い顔をしていても、実は裏切ってしまうような関係になるかもしれません。
待ってもらった安心感がないのであれば、
胸に手を当て、待ってもらっている安心感をどこかで感じないとなりません。
それは、焦りではなく、
これをしていて大丈夫だ、という気持ちを持とうとする努力です。
これでよいのだ、大丈夫だ、そこから道を探そうとするときに、
焦っていた気持ちから離れられれば、その時に癒しは始まります。
そうしてその人は、深い深い癒しの中で理解をします。
親子の関係は、密着するのではなく、 別々のことをしていても、お互いに愛が通う経験をできたのだ、ということを。
待ってもらえなかったあなたが、もし、待ってあげられるならば
その二人は、今まで経験をしたことのない
深い愛情で結ばれることもあるでしょう。
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