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「幸せをお金で買う」5つの授業【電子書籍】[ エリザベス・ダン ] 幸せとお金の問題を同列で論ずると人はとりわけ日本人は、カテゴリーが違うとかお金は幸せの源泉にはなりえないという先入観を持ってしまうのだけれど、本書ではその点を躊躇せず論じる。 シンプルな課題を1つだけやってみてください。 自分自身の幸福を増すためにどんなものを買ったかを思い出してみるのです。 物質的なもの、たとえば、宝石、家具、洋服、あるいはアイデア商品といった、手で触れることができて保管しておける何かを買ったときのことを思い出してみましょう。 次に、一生の思い出になるような経験を買ったときのことを思い出してみてください。 旅行、コンサート、または特別な食事などです。 あなたもほとんどの人と同じであれば、そうした経験について考えると、それに関連する友人や家族、光景やにおいまで一緒に心によみがえってくるはずです。 さて、どちらの買い物があなたをより幸福にしたでしょうか? というように人は物質にお金をかけても幸せにはなれないが、思い出に金をかければ幸せになれるというのが本書の結論である。 さらに、 どちらの国の人々も、自分のお金を自分自身ではなく他人のために使ったときのことを思い出したあとに、より大きな幸せを感じました。 大多数の国民がお金に困っているような比較的貧しい国においてさえも、他人に投資することで幸福度は高まります。 そういう国々では、向社会的支出とは、ショッピングセンターで楽しい買い物をすることではなく、つらい状況でお金を必要としているだれかを助けるためのものであるのですが。とする。 つまり寄付ですな。 お金を寄付すれば幸せに浸れる。 これがもう一つの本書の結論であります。 たしかに旅行は素晴らしい。 何度も楽しめるものだ。 つまり計画の段階、旅行本体、帰ってからの思い出話、撮影してきた写真を見ることだ。 人は記憶を捏造する。 旅行本体でつまらない場面があってもそれは消えてしまい、いい思い出だけが残るのだ。 しかも旅行にお金をつぎ込んだからということで後悔することもない。 これが幸せなお金の使い方ということだ。 スポーツクラブもそうだ。 体がそちこち悪くて医者通いしていると思えばスポーツクラブの会費など安いものよ、などと思いつつ私は今日も2.4キロ泳ぐのだった。(10/17記)
2024.01.04
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叶恭子・トリオリズム 完全版【電子書籍】[ 叶恭子 ] 売娼金人生論だろうなもし、わたくしを今日まで作り上げてきたものは何かと問われれば、「POWER OF LOVE、そう、〝LOVE POWER〟」と答えるでしょう。という信念のもと, マネーはLOVEにかわるのでしょうか? わたくしの場合、答えはイエスです。 使うお金の額で愛を計っているのでは決してありません。 そもそも、お金のない人に〝愛という名の運命〟は感じません。 わたくしにとって、LOVEとマネーがどういう関係にあるのか、もう少し説明してみましょう。 わたくしに投入される財力とは、愛情のバロメーター。 当然のことながら、愛情が大きければ、財力も大きくなります。 資金の大きさとは、その人の人間の大きさそのもの。 金銭感覚とお金に対するセンスは、その人の生き方、〝器〟の要素のひとつです。 財力がもたらす快感とはとてもヒューマンなものなのです として金とメイクラブ が全てだ と考えている人である。 そういう考えがあっても別におかしくはないだろうが, 彼女がこれだけしっかりと自分の信念を書き上げた ということについては, 評価できるのではなかろうか。 テレビに出ている彼女を見て, 一体彼女は何者なんだという思いは前からあったけれども, それ以上のことも以下のことも考えたことは なかった。 今回本書によってしっかりと叶恭子という人が何者なのかということがはっきりしたわけで,世の中には 様々な人がいるのだということの一つの証左ではなかろうか。 ただ単に姿見のよろしい女性ということではなかったのだ。 彼女のような生き方をどんな 女性でもできるわけでもないけれども, それを持って彼女の生き様を否定するわけにはいかない。 つまり lgbtq に代表されるような 多様性 ということの一端でもあるのだ 。 こういう生き方を批判するのは簡単だけれども, それじゃあ上記にあるような金とは メイクラブ のことなのだという彼女のポリシーを果たして論破できるかとなれば, とてもじゃないが私には不可能なことだと言わざるを得ない。 だから叶恭子は叶恭子として本書のように生きてきたということを肯定するにとどまりたい。 たまたまKindle Unlimited に所蔵されていたことから読んだのだけれども, ミステリーばかりを読んでいる私にとっては一つの刺激的な人生論だったということを付記しておく。 ( 8月11 日記)
2023.10.19
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定年後 50歳からの生き方、終わり方 (中公新書) [ 楠木新 ] 果たしてこの本は読むに値するものだったのかと読後反省している。 著者は一体何を書きたかったのだろうか。 結局本書を読んで, 気に入ったというか気になったところは, 定年退職後の職を見事に選んで, それをやりきっている人の話だった。 定年退職制度に関しては 様々 変化してきていて, 現在は 65歳定年に移行中, 60歳で 一旦退職金を受け取り,その後の5年間は役職を離れて普通の勤務員として, さらにはそれまでの給料の約2/3ぐらいで勤め続けるというものらしい。 その点私なんざあ, 定年退職を60歳で迎え,1年間再任用という形で全く同じ ポストについて, その時の手取りは約 2/3程度だったろうか,その後非常勤嘱託とか会計年度任用職員などの名前で1年契約の 仕事をしている。 この制度は65歳までのつなぎ, つまり 60歳から ある程度の年金が支給されている人にとって,その不足分を 補うような形になっていた。 65歳を過ぎても, その職に私は ありついており, 結局最盛期の手取りの 3分の1 以下 で なんとか食いつないでいる。 本書に, 重い夫婦, 軽い夫婦,という 記載があった。 これは夫婦でクルーズに参加した 人たちを 観察した結果, 著者は夫婦で色々な話をしている方を軽い夫婦と呼び, 夫婦で何の話もしないばかりか奥さんが夫を顧みず親しい女性とそっちこっち を 歩いているような 形の夫婦, これを重い 夫婦と呼んだ ようだ。 定年退職後はこのように 夫婦間のあり方 もまた 問題になるところだ。 私は定年退職後もう6年も経ってしまったんだなあと, 今更ながら感慨にふけっているところだ。 この本はその6年前に上梓された本で, 実は定年退職前に読むべき本 だったのだろうけれども,今書いたようにまさに私が定年退職の時に上梓されたものだから私の目につくことはなかったのだ 。 定年退職後の人生について, 森村誠一は, 誉生と余生があると述べたそうだ。 誉生はできる限りのことをすることであり, 好きなことを精一杯すること, 一方余生は何もしないということらしい。 それで森村は誉生を良しとしたのだが, 著者は余生をよしとするというようなことも書いてあった。 いずれにしろ定年後のことについて本書が役立つことは何もないということだけは確かだ。( 6月3日記)
2023.08.17
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こころの処方箋(新潮文庫)【電子書籍】[ 河合隼雄 ] まずもって本書はなかなか難しいというか,分かりづらいというか、何より独り善がりすぎるというのが私の偽らざる感想だ。 もっとも今難しいと書いたけれどそれは言葉が難しいとか話が難しいとかそういう概念ではなく,ただただ著者と私が噛み合わないだけの話,でいいのかな…。 さてそうは言っても読了した以上何らかの決着をつけなければなるまい。 しかしそれにしても著者の主張はあっちへ行ってゆらりこっちへきてゆらりの連続,その最たることばが,ふたつよいことさてないものよ,である。 つまり本書はその,ふたつよいことさてないものよ,が最初から最後まで支配していたのだ。 だからひとことでいうとぬらりひょんだ。 そもそも人生論は誰かを元気づけるためのもの。 だから元気づけられる人もいれば,逆に自分に合わなくて元気づけられない人もいる。 それはともかく元気づけられる人がいればそれはその本が目的を達したものということになろう。 しかし本書はぬらりひょんなので誰も救われないのだ。 救われない人生論なんて必要ないじゃないか。 たしかに著者の言うように絶対的なものはないし,起こらない。 けれども,二股的ないい加減な人生論を救済が必要な人々にぶっかけてどうなるんだよ。 ようするに本書は独り善がり本。 こころの処方箋になどなりはしない。 あーあ,読了して損した。 そういう本も中にはあるんだな。
2023.02.03
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多動力【電子書籍】[ 堀江貴文 ] 多動力とは、いくつもの異なることを同時にこなす力のこと。 著者は、仕事はスマホ1本でできると豪語しているがたしかにそのとおりであろう。 著者は、 僕はいま自分でも全貌を把握できないくらいたくさんのプロジェクトを同時並行で進めているが、そのほぼ100%をスマホでこなしている。 パソコンすらあまり使わないのであり、 ジムで水泳をするとプールの中にスマホを持ち込めないため僕はあまり水泳はやらないのだそうだが、私から水泳を取ったら何も残らないのでこれは真似できない。 ようするに彼はせっかちなんでしょうな、 例えばある日の神戸を例にあげれば(略)数時間以内に10軒以上の店を食べ歩くツアーはダラダラ長居しないので、時間効率が良いなどという行動を取る。 彼の性格がまるっと現れているね。 著者といえば21世紀になったばかりの頃時代の寵児だった。 検察に逮捕される前の活躍は華々しかった。 その後刑務所ぐらしを経て今に至るのだが、あのとき彼がプロ野球に参入していたら一体どんな事になっていたろうか。 今の楽天がライブドアで、つまり、オリックスと近鉄の合併、楽天の新規参入はなく、オリックスはそのままブルーウエイブと名乗り、近鉄はライブドアと名前を変えてライブドアバファローズだったのだろうか。 今年のパ・リーグの覇者はオリックス・ブルーウェーブで、果たしてライブドアは仙台に本拠地をもったものかなんて一プロ野球ファンは考えてしまう。 刑務所を出てからの著者の人生はまた破天荒で吾々はとても真似はできない。 ただ破天荒な分却って自分とは違う、真似できるものではない、ということがわかり、安心できるという側面もある。 どうなんですかね堀江さん、ここでスマホの使い方の本を出してもらえませんでしょうか。 すべてスマホでというところがどのレベルなのかがよくわからんのです。
2022.12.26
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夫のLINEはなぜ不愉快なのか【電子書籍】[ 山脇由貴子 ] しかしそれにしても新書というのはなぜにこうも主題から離れた題名なのだろうか。 題名だけ読めば正しい夫婦のLINEの使い方なんて言うことなんじゃないかななんて私は単純だから考えるわけだ。 なぜに本書のような夫婦が増えているのだろうか。 否、そういうのが定番なのだろうな。 例えば、そもそもその男の両親が共稼ぎで夕飯を家族で一緒に食べることはなかった、そのうち当該男性はコンビニで食事が済むようになった、それで、妻が一生懸命作った料理には興味がなく、今日何にするといえば、なんでもいいという答えが返ってくるという。 それが妻には不満以外のなにものでもないわけだ。 私から見たらこれは修復不能でっせ。 そもそもの立ち位置が違うのだもの。 LINEに関してはランチの写真を奥さんに送りなさい、と著者がアドバイスしている。 そうすりゃ、夕飯がダブることがあるまいというわけだ。 ふふふ、そんなこととうの昔に私はやってまっせ。 夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 220801 を御覧ください。 この写真は妻にLINEで送っていてそれがGooglephotoにも上がり、それをまたブログにアップしているというわけだ。 夫が家事に無関心、子育てに無関心という問題が本書では延々と語られていましたな。 果たしてそれが大きな問題になるのか。 結局それぞれの夫婦間のことはそれぞれでなければ解決しきれないという結論でしょう、私はそう思う。 私は本書に書いてあるような無関心な夫ではない。 私は主夫だ。 ほぼほぼ料理は私が担当している。 この記事を書いているときは実は私は4回目のワクチンの副反応が出ていて38度もの熱にうなされていて、久しぶりに妻が台所に立ってくれた。 ありがとう。 私の趣味は妻である。
2022.10.16
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定年夫婦のトリセツ (SB新書) [ 黒川 伊保子 ] 夫婦というものは死ぬまで仲良しであるものとずっと思っていた。 だからそもそも私ども夫婦が仲良しなのでそのことを疑うことはなかった。 けれども様々な人の話を聞いたり記事を読んだり本を読んだりネットを見たりしていたら、むしろ仲の悪い夫婦の方がずっと多いことがわかった。 さて本書は定年退職して家に夫が引きこもってしまった場合どうするのかと言う、いわゆる夫源病に対する妻の処し方あるいは夫婦としてどのようにあるべきかということの一般論が書かれてあるものである。 一番驚いたのは家庭内別居の推奨だ。 著者は、夫婦の部屋は別々であるべきだ、寝室も別々であるべきだという。 果たしてそうだろうか。 妻の異常夫の異常がこれではわからないではないか。 なぜ結婚したのにこんなに不仲になってしまうのか。 そしてそれゆえに別れるもののなんと多いことか。 別れたかと思ったらまた一緒になるなどということもある。 やはり夫にしろ妻にしろそういう連れ合いとはもう一緒にいることができなくなるのだ。 夫は妻にいちいちどこに行くのかをきくなと言うけれども、私の妻は必ず行き先をはっきりする。 私も行き先をはっきりする。 というよりもほとんど一緒に過ごしている。 ある意味私は妻依存症なのだ。 妻と一緒でないと何もかも面白くない。 そもそも自分自身の部屋など必要ない。 いつのまにか和室が自分の書斎になってしまった。 リビングの片隅に自分の居場所ということでパソコンなどが置ける作りおきの台を作ったのだが、そこは今正職となった妻のパソコン置き場である。 何より主夫の仕事ですなあ、これが実は私には合っているのだ。 掃除は苦にならないし、料理も大好きだし料理をした後の後片付けも苦にならない。 だからそのようなトリセツは何も必要ないのだ。
2022.08.13
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夫婦って何? 「おふたり様」の老後【電子書籍】[ 三田誠広 ] 特に本書を読んだわけではないのだが、私と妻は本書に書いてあるようなおふたりさまの時間を過ごしている。 私が、妻のファインプレーだなと思うのは、実は私が定年退職した時に妻が正職に就きたいと言ったことである。 どういうことかと言うと、妻はもともと美容師だったのだが、私と結婚するにあたり美容師をやめ、そして二人の子育てに奔走したわけだ。 その後少しずつ社会復帰を始めホームセンターのパートなどをしながら福祉施設の食事の担当したりして、ホームヘルパーそして介護福祉士の資格を次々に取得し、次は介護支援専門員つまりケアマネージャーの資格を取ったのだった。 その資格を活かしたいというわけだ。 そこで定年退職した私がいわばボランティア的な仕事を始めた時に、妻は正職として施設のケアマネとして働き始めたのだった。 私はその時から主夫を始めた。 料理、掃除などである。 そんなことで今はほぼ二人で家事をこなしているのである。 この本に書いてある通り定年退職者は本当に家の中でゴロゴロしているのだろうか。 60歳にして家の中でゴロゴロされたら、主婦専業できた女性にとっては苦痛以外の何物ではないのではなかろうか。 だから著者が言うように、家の中ではおしゃれをしなさい、できるだけ外に出なさい、趣味を持ちなさいとこうなるわけだ。 本書に書いてあるようなことに何もとらわれることはないと思う。 ただ仕事が趣味となどという考えだけは持たない方がいいと思う。 著者が言うように定年退職によってその組織からいらないものとして外に出されたアウトの状態なのだということを考え、そこからまた人生が始まるが0歳ではなくて20歳からと考えればいいんじゃないかという考えには私は賛同する。 私は、趣味に関しては現役時代から持っており、今もそれを続けているわけだ。 水泳は、もう9年になる。 孫がきた時は必ず一緒に絵を描く。 ギター弾き語りは毎日やっている。 ギター弾き語りを福祉施設を回りながらやってみたいなあというのが今の私の希望である。 このコロナ禍で好きな旅行はなかなか出来なくなったものの、もう少ししたら妻と一緒にまた京都を訪れたいなと思っている。 家の中でおしゃれをすべきだということを書いたが、それについては、なんと私は今家の中では毎日着物を着ているのだ。 着物に凝ってしまったのである。 老後を充実感を持って楽しむこと。 それが本書のまとめでしょうなあ。
2022.07.28
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退職金バカ 50歳から資産を殖やす人、沈む人【電子書籍】[ 中野晴啓 ] ようするに退職金を塩蔵するな、という話。 この種の本は実に多いですな本当に。 だからといってじゃあどういうふうにすれば良いのかということに対する具体的なガイドは何も示されない。 ただただ塩蔵するな、とうことだ。 また、 それでは、50代以降は? これはもう、世の中全般に対する貢献です。 少なくとも私はそう思っています。 これまでの社会人生活で得た知見と経験、自分の強みを最大限に活かして、この世の中に対して、なんらかの形で貢献するのです。 40代までに自分が得て磨いてきたスキルをもとに、自分が世の中から享受してきたさまざまな恩恵を、これからは世の中にお返しする番なのです。 定年が人生のゴールではありません。 むしろ、所属する会社の利益や経営方針とは無関係に、個人として思うがままに活動できるようになるのが定年です。というようなこと、 私の知人でもある某出版社の編集者は、劇団員の名刺を持っています。 劇団の主宰者であり、台本作家でもあるのですが、彼は自己紹介のとき、「劇団主宰が本業、編集はアルバイトみたいなものですよ、あはは」と言っていました。 また、この間お会いしたお客様は、「セゾン投信応援団」という名刺をお持ちでした。 ほかにも、ゴスペルに目覚め、合唱団に入って練習を重ね、NHKの紅白歌合戦に3度、バックコーラスで参加している方がいます。 この方も、日中は歌とはまったく関係のない仕事に従事されています。 バックコーラスとはいえ、NHKホールで3回も歌っているのはたいしたものです。というようなことも色々語られている。 現役を引退したらこうあるべきだという教科書的な生き様の紹介だ。 たしかに年金だけでは不足する。 けれどもそれは身の丈に即すればなんとかなることでもある。 年金プラスどれだけの生活費が必要なのかということを考えることは重要なことだ。 定年退職後6年、いよいよ細い俸給もなくなる時が来るだろうから、そのときに備えるということが大事なのだが、一体次、何をすれば良いのかということ。 今のところ、著者の言うように自分の専門性のある分野で細々と仕事をさせてもらっているし、あるいは、本当に、ミステリーリーダー、という名刺を作ってみたい気もするし、いよいよ本当にボランティアで福祉施設を回ってギター弾き語りをしてみたいし、まだまだやりたいことはあるのだよ。 ただ投資とかそういう金の動く話はわからなくて何をどうすれば良いのか皆目見当もつかないのだ。 ただね、こういう本をたまに読んで少し自分を揺さぶっておかないとボケてしまうから、たまに読むと、こういうことなんだよ。
2022.07.20
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グーグルを驚愕させた日本人の知らないニッポン企業【電子書籍】[ 山川博功 ] この本には私がこれまで読んできた講談社α新書に関連したことが2つある。 一つはこの間読んだ本にあった目の付け所がアフリカであること。 そしてもう一つが題名。 講談社α新書さんまたまたやってくれましたな。 つまりこの題名はGAFAに並ぶような日本の超優良企業が実はこの世界には存在するのだという思わせぶりだ。 そこを期待して読んでしまう。 しかし実は中古車販売の話なのだ。 著者はクルマ好きの明大卒のクルマの猛烈セールスマンだ。 職を転々として日本国内の有名な中古車販売チェーン店に入社しそこの社長を師匠として独立、目をアフリカに移して大成功した中古車販売商だ。 このような成功話を読むと自分にもできるのではなかろうかと思う反面いやいやこんな風に猛烈に仕事など私はできないと思えるほどちょっとやそっとではこの人を凌駕できそうにもないのが本当だ。 ただ何度も書いている通り目の付け所がアフリカというところが大成功の元だったということだ。 それと余人には代えがたいヴァイタリティーの持ち主であるということ。 人が成功するか否かの境目はこの著者のような度胸と馬力ということになるのではなかろうか。 そういう意味で本書は上質な人生論でもある。 真似ができないがこういう人生があってそれが成功につながるという事実を知るだけでもいい勉強になる。 しかしそれにしても講談社α新書さんいい本を出していますな。 なるほど商業戦線に乗った本は売れてなんぼだから題名も人を呼び込むものでなければなりませんな。 今回の題名は許してあげましょう。
2022.05.18
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医者には絶対書けない幸せな死に方【電子書籍】[ たくきよしみつ ] 老後について考えさせられる一冊だった。 自分も妻も今は元気だけれど老いの坂は下るしかなくて、 日本人の平均寿命は男性が 80・80歳、女性が 87・14歳(厚生労働省「平成 28年簡易生命表」)ですが、健康寿命となると、男性 71・19歳、女性 74・21歳(厚労省「健康日本 21(第二次)」分析評価事業より)となり、死ぬ前に男性で約 10年、女性は 12年以上は医療や介護のお世話になっています。というように平均70歳を超えたあたりからがっくり来るようでありまた 「病院での拷問死」の原因になりやすいのが、脳梗塞、脳血栓、脳出血などの脳血管障害です。 脳血管障害の中でも、急激に意識障害などを起こすものを脳卒中と呼びますが、脳卒中で脳細胞の一部が死ぬと、身体が動かせなくなって寝たきりになるだけでなく、自分の意思を表明できなくなります。 そうなるとどんなに苦痛な状況に置かれても、そこから解放してくれと伝えることもできず、運命は医師や近親者に委ねられてしまいます。というように著者は脳血管障害になるのだったら癌死を望むというくらい自分の養父ほかに認知症の症例が多く苦労しているようで ほぼ間違いないことは、ピロリ菌単体で胃癌を引き起こすことはなく、ストレスや喫煙などと結びついたときに悪い方向に働くということです。 進行が早く致死率が高いスキルス胃癌との関連も薄いとされています。 であれば、薬を使ってピロリ菌を殺すよりも、ストレスをためない生活をすることのほうがはるかに大切でしょう。などという主張はうなずける。 先に様々な症例と書いたが特に自分の養父の症例が長く書かれ生々しい。 さすが小説家だ。 それがノンフィクションであるから生々しいのである。 老後については議論百出だが著者が本書で主張していたことの一つの持ち家を現役時代に持つべきだと言うのに私は賛成だ。 最後に雨風をしのげる住処があるということは実に重要なことだろう。 認知症の介護は大変だが罹っている本人は著者が言うようにある意味幸せなのかもしれない。 それもまた個性と捉え多様化した世界の一景色と考えるようになるべきなのかもしれない。 思えば冒頭に書き抜きしたように平均寿命がこれほど伸びるなどということは考えもしなかったことでそもそも多くの人は認知症に罹患する前に死んでいたということなのだろう。 反面認知症であっても生きていられるのであればそれはそれで個性として認められるべきであり決して差別をしてはいけないのかもしれない。 実に難しい問題だがいよいよ自分にも差し迫った問題だと思うと身震いせずにいられない。 本当に少子高齢化社会だということを強く感じる今日このごろである。
2022.04.16
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大きな嘘の木の下で 〜僕がOWNDAYSを経営しながら考えていた10のウソ。〜【電子書籍】[ 田中修治 ] それにしてもまたユニークな書き手が現れたものだ。 著者はあの破天荒フェニックスオンデーズ再生物語を書いた人で、企業人としても超一流の人だ。 その彼が表題にしている大きな嘘というのは巷間溢れている様々なビジネス本や人生論の本のことだ。 著者が言うとおりそこに書かれているとおりにやってみたところでそれを書いた著者のように読み手はうまくいかないのだ。 そのことに気づくまで多大な時間を要する。 何しろそれらの読み手の一人である私がそのことに気づいたのは定年退職後1年くらい経ってからのことだったのだから。 だからといってこれらのビジネス本や人生論の本を読む価値がないかと言うとそうではない。 その本を読んで、ああこれは私には無理だ、でも面白い、というのがあった。 それは堀江貴文(敬称略)が書いた本だ。 彼の本は実に分かりやすくてしかも自分には無理だとはっきり分かり、だから面白く、その結果先に書いたとおりまさに本に書いてあるようにうまくいかないことに気づかされたのだった。 それと同じ香りが著者にはある。 例えば破天荒フェニックスのような会社運営をしてうまくいくだろうか。 とてもじゃないがあの話のような度胸は私はもてない。 本書は読書を趣味としている数多の読み手に対する警告だと私は言いたい。
2021.10.23
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仕事2.0 人生100年時代の変身力【電子書籍】[ 佐藤留美 ] 本書は かつての副収入を得る目的、あるいは名誉職的な副業を「副業1.0」とするなら、自己実現や能力向上のために行う「副業2.0」が定着しつつあると言えます。として副業1.0が名誉職的なボランティア的なものとする一方2.0は本気の副業を指すものである。 その根底には ロンドンビジネススクール教授のリンダ・グラットン氏は著書ライフ・シフト100年時代の人生戦略(東洋経済新報社)において、国連の推計によれば2050年までに日本の100歳以上人口は100万人を突破する見込みで、2007年に日本で生まれた子供の半分は107歳以上生きることが予想されることから50歳未満の日本人は100年以上生きる時代を過ごすつもりでいた方がいいと語りました。 (略) 人生100年なら定年が65歳まで延長されたところで、人生はあと35年、その間年金支給と医療費が持つ保証はもうどこにもありません。 だから健康管理して健康寿命までは働いてください。そして70歳、80歳まで働くには、30代、40代の早いうちから長く働く戦略を自分で考えてください。 これこそが「人生100年時代」「働き方改革」「一億総活躍」といったキーワードに込められた真のメッセージなのでしょうと、人生100年時代に突入したことがある。 つまり60歳定年ならばその後の40年いかにして過ごすかという話なのだ。 幸い私は定年退職後ほぼボランティア的ではあるがなんとか仕事にありついてきた。 しかしそれは会計年度任用という制度に乗っているだけの話で、つまり1年契約の危うい身分なのだ。 しからばこれから正職に就こうかなどという話でもない。 ようするに本書において私は今後の人生に関し脅しを受けたわけだ。 だからといってこれはどうしようもないことなのだ。 もらえる年金に甘んじるほか方法はないのだ。 だからその年金プラス何万円かでそこそこの生活を送ることができればいいとなる。 それから年金だけで家に引きこもりの生活はしたくない。 ではどうするか。 それが本書を読んでの私に与えられた課題だ。 とにかく次の手を打たなければならないのだ。 それも早急にだ。
2021.10.18
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人生に主導権を取り戻す90分の授業【電子書籍】[ 高橋ひでつう ] とにかくこのコロナ禍で特にデジタル化が一気に進んだわけでそのうちの大きな特徴は 情報革命の時代とは、知識に価値がなくなった時代です。 そんな時代に僕らは生きています。 知識に価値がなくなったために、「物知り」だけじゃ自慢できなくなりました。 「生き字引」なんていう言葉もあったけど、いまやスマホさえ持っていれば全員が生き字引になってしまいます。 詰め込むだけの教育は意味がなくなりました。 いまの時代に大切なのは、その知識を使いこなす「知恵」です。 「こんなことを知っている」じゃなくて、「こんなことを知っているから、こんなことができる」という応用力の方です。と知識に価値がなくなったことである。 そのとおりわからなければ例えばこのブログもまた私が読んでいるKindle Unlimitedでもウエブ検索がすぐできるのだから。 だからある意味現代のデジタルを動かす人は非知的になっているのだ。 つまりデジタルとは非知的だということ。 逆に言うと知的ということは物知りだということ。 そういう時代だ。 次の言葉、 「ま、死ぬわけじゃねえし」、「ま、殺されるわけじゃねえし」。 これから、人生に詰まったり、「もうだめだー」って思ったトラブルのときはこう思ってください。 「ま、死ぬわけじゃねえし」って。というのは私が中学生の頃よく使っていた言葉だ。 たしかに殺されるほどひどいことなどないだろうと私は楽観していたわけだな。 今この原稿を書いているのは盆休みの最後。 翌日にはまた職場に行かなければならない。 そして小面倒なミッションが待っている予定だ。 それについて、殺されるわけじゃねえし、ってか。 そのことについてはたしかに中学生の頃はそれで良かったんだけど今や棺桶に片足を入れている状態で、私は殺されたくないし、また死ぬことが決まっているしということで50年にして人の価値観は大きく変わるのである。
2021.10.06
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月10万円で より豊かに暮らす ミニマリスト生活【電子書籍】[ ミニマリストTakeru ] 本書は断捨離の本かと思って読んでいたらなんと断捨離を通しての人生論だった。 とにかく必要最低限のモノで暮らそう。 そうすれば楽に生きることができるというポリシーのもと最後は人生に成功することつまり思い通りの職に付き幸福感に浸ることができるというのである。 まずは15分片付け。 今から15分だけ片付けを行いましょう。 (例)ボロボロで古いモノ、一年以上使ってないモノ、存在を忘れていたモノ、同じモノが何個もあるモノ、買った日からそのままのモノ、期限切れのモノ、半年以内に使いきれないモノ、夢と関係ないモノを手放してみてください。 そして①スモールスペースを片付ける ②家の中でよく使う場所を片付ける ③大量にある捨てやすいモノから片付けるのだ。 スモールスペースとは例えば財布やバッグの中のこと。 よく使う場所は私の場合は書斎兼にしている和室。 大量にあるものとは新聞紙などのもの。 これらの片付けの選別の判断はなかなか難しい。 そこで①「使う」か「使わない」かで判断する ②「保管箱」に一定期間保管して、「持たない生活」の疑似体験をしてみる ③すべて一箇所に出し、ベストなモノだけに厳選する ④手放した方がいい理由を考えてみる 僕は、捨てようかどうしようか迷った時、この四つのポイントにしたがってモノを選別することが多いです。とする。 そしてこのように身の回りを整理することで豊かになれ将来も期待できる人生を送ることができる理論に続いていくのだが、私はその人生論以前の断捨離の部分だけが参考になった。 断捨離と人生の成功を無理に繋げる必要はなかった。 むしろ断捨離の方法論をもっと精密に緻密に進めてほしかった。
2021.09.07
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不機嫌な妻 無関心な夫うまくいっている夫婦の話し方【気を付けるべきポイントがわかる!特設ページ付き!】【電子書籍】[ 五百田達成 ] 大変申し訳ないが私は本当につい最近までどこの夫婦も仲が良くて寝室を共にしているものだと思っていた。 ところがそうではないことが次から次へと判明した。 その理由は妻が職場などから様々な情報を仕入れてきて、自分たちがしていることがまるで珍しいことのように思われているということに気づいたからである。 どんなことが珍しいと言われているのかと言うとつまり私たち夫婦はあまりにも仲がよろしいらしい。 寝室を共にし休日はどこにでも一緒に行くし家事は定年退職した私が主夫業を買ってで、夜は居酒屋の店長になりきって酒のつまみを出すし、朝食も私が作っている。 また掃除が私の担当なもので妻は昼食の弁当と洗濯を担当するわけだ。 そう感じた妻は改めて夫と話し合いどんなに仕事が忙しくても朝5時に起きて子供たちのお弁当だけは自分が作ると決めました。 このことで自分はお弁当作りだけは頑張っている子供たちと関わっていると言う満足感が得られ夫は少し楽ができるようになり双方満足。 こんな風に夫婦のルールは時と共に変わっていくべき。 一度きちんと話し合って決めたらそれでおしまいではありません。などというのはまさに仲のよろしい夫婦のうち主夫業を買って出た夫に対する妻の温かい気持ちの表れであろう。 もし相手が脱ぎっぱなしの開放感が捨てがたいんだよと言ってきたら、じゃあその晩中にかごに入れることにしないと、妥協点を探ってもいいでしょう。 いずれにしろ細かいことでも大真面目に話し合うことが大事。 それぞれが自分勝手な行動をしていたらそれはぶつかり合うことになるので夫婦二人だけのルールをきちんと作るということも大切だと言う記述である。 それはその通りだ。 そのようにして40年以上ともに暮らしてくると自然にそれなりのルールが出てそれに則って暮らすことになり、滑らかな生活になるわけだ。 いずれにしろ私の趣味は妻であり妻がいなければ何もできない私である。 まずは妻が大好きだということから始まるのではなかろうか。
2021.08.18
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身勝手な世界に生きるまじめすぎる人たち 罪悪感を手放して毎日をラクにする方法【電子書籍】[ イルセ・サン ] 様々な人生論の本で紹介されていることの一つにノートに物事を書き続けるというものがある。 それによって自分の潜在意識が活性化され現実の世界において自分の夢が実現しやすくなるという理論である。 自分自身にやさしさを向ける練習をするよい方法は、次の通りです。1 この練習のための特別なノートを用意する。2 1 日に最低1 回は、自分がしたよいこと、建設的なこと、喜びや満足感を覚えたりしたことを、3 つノートに書く。 これは自分で自分を責めるためにネガティブになってしまう人間からの脱却の方法の一つということになる。 そうでない人には特に必要な方法ではないということになろうか。 次、 そして罪悪感は自分のせいで何かネガティブな出来事が起こった時に生まれます。 例えば友人がとても楽しみにしていた約束をキャンセルする時やジムに行くはずが面倒くさくなってソファーで寝転がって過ごした時、また自分自身や周りの人を裏切ったり自分や他の人のポリシーに反することをした時にも罪悪感は生まれます。 他にもあなたがやって当然と思っていたり思われていたことをやらずに済んだ時にも罪悪感は生じるものです。というような罪悪感は確かに存在し、それによってかなり自己嫌悪感に苛まれることになるわけでその罪悪感を払拭するための方法としてのノートに書く方法というのもありなのかもしれない。
2021.08.17
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うまくいっている人の考え方 完全版【電子書籍】[ ジェリー・ミンチントン ] 本書は、ベストセラーだと言うけれど、どうも当たり前のことを当たり前に書いただけの本にしか過ぎないのではないか、というのが私の率直な感想だ。 まず、自分の人生でいちばん幸せだった日のことを思い出してみよう。 そのとき、あなたはどんな気分だったか。 そのときの気分をもう一度体験してみるのだ。 この練習を日常的におこなえば、あなたは幸せになりたいときに幸せになれて、毎日をより幸せな気分で過ごせるだろう。 幸せは自尊心と同様、個人の責任。 他人があなたを幸せにしてくれることもあるだろうが、最終的にはあなた自身の心の持ちようしだいだ。 などというのは、本当に当たり前の話。 幸せな気分を味わったことがない人はどうすればいいのだろうか。 上記のとおり、結局自己責任だと言われればそれまでの話ではないのか。 幸せもなければ不幸せもない、それが悟りというものであり、ただただ幸せを求めるということはありえないのではないのか。 その幸せの裏側にある犠牲も合わせて考えて幸せは成り立っているものであり、自分だけが幸せでいいわけがない。 このあたりはどうもエゴだね。 次、 毎日、自分にこんな予約をしよう。 自分が心から楽しめることをするための質の高い時間を、少なくとも三十分は確保する、と。 といっても、手のこんだことやお金のかかることをする必要はない。 小説の一章を読む、詩を書く、好きな食べ物を食べる、何もせずに心を落ち着かせて静かにすわっているといった簡単なことでいいのだ。 何を選ぶにしても、それが自分に満足感や楽しみを与えてくれることであればそれでOK。 というようなことをしていない人がいるのだろうか。 私は、時間が足りなくて困っている。 30分などという時間では不足だ。 このブログアップだけでも相当な時間がかかる。 30分だけでは本を深く読めない。 つまりやりたいことだらけで時間が足りないのだ。 しかしそれにしてもこういう本がベストセラーになるというのは、それだけ人々が不幸せであり、やりたいことができないということなのだろうか。 下の抜書の予約の部分、この4月から私は職場が変わり、自由さがなくなった上に職場が田舎なものだから、例えばこのブログの更新もままならないのではないかなどと危惧し、知的生活に大いなる障害を及ぼして大変なことになる、と思ったのだが、今はかえってブログ更新はスムーズに行っている。 これは、結局休日の時間の使い方がうまくなったからだと思う。 常にブログに目を行き渡らせ、ストックを補充しておく。 そのための読書ももちろん怠らない。 知的生活のための努力である。
2021.07.02
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新版 社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった [ 香取貴信 ] カテゴリーを人生論にするかビジネスにするかで悩んだ。 人生論にしたのは、ビジネス書を読んで泣いたのは初めてだからだ。 定年退職して4年にもなる私が、著者である小生意気な野郎に心の中でなんて勝手なやつだ、潰れてしまえなどと毒づいているうち、だんだん著者の側についている自分に気づいた。 そして涙ですな。 仕事は一体誰のためにしているのだという基本的な話ですね、確認すべきことは。 人はどうしても自分のために仕事をしていると考えがちだ。 しかし著者が上司から教えられたことは、常にゲスト目線に立ったスタッフということ。 さらなる飛躍を考えた著者はディズニーランドを飛び出し武者修行を始めるのだが、そこで綺麗事ですまないサービス業の限界を知ることになる。 簡単に言うと便所掃除の重要さだ。 それをこともなげに16歳の女性スタッフがやっていたわけで、これにはびっくりしたろうね、何しろ読み手である私がびっくりしたのだから。 本書は、珠玉の言葉が次から次へと飛び出してくる。 それは、著者の言葉ではない。 著者を育ててくれた上司の言葉として出てくるのだ。 その書きっぷりが実に見事なんですよ。 教えられる著者の態度は私から見たら、この野郎!ですもんねえ。 その猛獣みたいな著者をこともなげに手懐ける上司たちは猛獣使いだ。 そして読み手はいつしか涙の世界に誘われる。 素晴らしい人生論であり、ビジネス書でありました、ごちそうさま!。
2021.03.28
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成長マインドセット心のブレーキの外し方【電子書籍】[ 吉田 行宏 ]成長マインドセット 吉田行宏 現役を退いてから今更成長でもないのだが、なんとなく気になったので読んでみた。 そのなかで、結果は選べないが、行動は選べるという話を現役時代知っていたら、良かったかな、なんて思った。 「結果は選べず行動は選べる、という当たり前のことですが、その選べない結果に意識や関心が向きすぎて、行動や計画に意識が向かず、ベストを尽くせていないかもしれないということに気づいたのです。 そう気づいてからは、選択できない結果にはとらわれず、どんな結果でも受け入れるという覚悟を持って、深刻な面談に臨む努力をしました。 そうしたら、その後はどうなったと思います?」 そうだよね、結果を気にするあまり、何もしない、それが大きなブレーキになっている。 本書ではこのブレーキという言葉がところどころに出てくる。 当然アクセルもだ。 アクセルを踏みながらブレーキも踏んでいるという、人間の心理に深く切り込んでいる。 とりあえず2年間ブレーキを踏まずに頑張った体験がその後の人生にも大きくプラスになります。 などの表現だ。 これは会社を転職しようかしまいか悩んでいる部下に対する指導時のことばだ。 転職するということを考えるということはすなわちブレーキを踏んでいるということになる。 私は本書を読んで、一体何のために仕事をしてきたんだろうねえ、なんて自問自答してみたけれど、いまさらね、そんなことどうでもいいじゃないか、ということに気づきましたな。 つまり本書はこれからの人、現役世代の人が読むべき本なんだよね。
2021.03.26
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地平線を追いかけて満員電車を降りてみた 自分と向き合う物語【電子書籍】[ 紀里谷和明 ]地平線を追いかけて満員電車を降りてみた 紀里谷和明 定年退職後4年も過ぎた私などが何を今更この人生論なのだ、ということにもなろうが、若人よ、本書はとってもいい本だから一読せよ! そんなふうに檄を飛ばしたくなる見事な人生論だ。 そもそも人生に成功もない失敗もない、勝ち負けもない。 それは比較論からの話であって、たった一回の人生に勝ち負けがあってたまるものか。 人生は勝ち負けで論じたり成功失敗で論じるものではないのだ。 つまり人と比較はするな、ということ。 これが本書の第一の肝である。 それで、「電車の運転手さん」とか「お医者さん」とか、職業名で答えることになる。 もちろんそれを聞いている大人の側に悪気はないのですが、この原体験によって、多くの人が「自分は何かにならねばならない」という強迫観念を植え付けられてしまっているように思います。 というように人はまず職業で比較される。 職業に貴賤はないというのは比較論では嘘の話になる。 その年俸、社会貢献度、有名の度合い、時代の最先端度などなど比較すべきことはたくさんあって、上記の場合、運転手さんはいいけれど、車掌さんはだめとか、お医者さんはいいが看護師さんは一段低く見られるとか、比較というのはそのスタッフの価値をないがしろにする。 次、 真っ青な空には太陽が輝き、雪が降っている。 茉莉にとって、そんな想像の世界を描いている時間は、何よりしあわせだった。 しかしその絵を見た保育園の先生から「馬は茶色じゃない?」と指摘された。 友達からは「この動物、何?」としかめっつらをされた。 「晴れてるのに、雪降ってるなんておかしいよ」と笑った子もいた。 そうだった。 いつまでも、誰からの評価も気にしない、子どものままではいられないのだ。 それが現実というものなのだ。というような比較の中の評価もまた人をだめにする。 上記のような場面がないかと言うとあるんですよ、これが、天気雪といいます。 それはともかく私も、雪を白いものとして描いたら、雪は青だなどと言われたり、稲を一本一本丁寧に描いていたら、田んぼは緑に塗りつぶすものだ、なんて指導を受けて、一気に絵を描く楽しさを奪われてしまった。 いずれも小学三年生の話だ。 結局指導した方の何気ない一言がその子を潰すことになるんだよね。 雪の話は父親、稲の話は担任の指導だった。 2人ともなんの悪気もなく私に語ったのだと思う。 しかし私にとっての絵心はその時途絶えたのだった、残念!
2021.03.13
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現役医師、この仕事で大事なこと 佐藤正之 著者は医師としてそして音楽家として長年書き溜めてきた自分の思いをこの一冊の本にして仕上げ世に出した。 しかしそれにしてもスグレモノだ。 まず文章がしっかりしているので、読み手である私がブレない。 ブレないということはこの一冊の本のコンセプトがしっかりしているということだ。 話があっちこっちに飛ぶということもなく、きちんとまとまっている。 医師の生命に対する思いが一貫して流れているのだ。 そして音楽の話。 ようするに著者は音楽大を出て音楽教師になったのだが、母親が重篤な病に倒れ、その姿を見て医師を志したという、いわば変わり者なのだけれど、医師になってからの活躍が素晴らしく、その思いに読み手はぐんぐん引き込まれていくわけだ。 いずれの挿話も決して軽くはない。 何らかの問題を抱えている。 医学的にもヒューマン的にも。 プロフェッショナルというのは、その姿形ばかりか内面からもじわりじわりと滲み出るものだ。 そのことが本書を読むと感じられる。 著者は本当にいいお医者さんだと。 私は病院嫌い、医師嫌いなので、なんと言えないが、病院通いをしている人には本当に良医なんでしょうねえ。 本当にいい話を読んだ。
2021.03.12
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ハッタリの流儀 ソーシャル時代の新貨幣である「影響力」と「信用」を集める方法【電子書籍】[ 堀江貴文 ] 著者が刑務所暮らしをしたのは今から15年くらい前のことだったか。 その後見事にカムバックし文筆に関しては本書ほか様々な本を出している。 その書きっぷりは見事だが、自分では書いていないという。 つまり専門のライターがいるんですな。 自分の話したことをまとめさせ一冊の本に仕上げていく。 この人の考え方は独特だ。 無駄を一切省くのだ。 さて本書の肝だが、まず金を使え、ということ。 ちまちまためていても仕方ない。 金を使って有為な情報を取り入れろ、というわけだ。 そしてハッタリをぶちかます。 しかしそれにしても今回の彼のターゲットは宇宙ですからな、そもそもそれは立派なハッタリなわけだ。 それはともかく本書でも触れているけれど、同じ頃世間を騒がせた村上世彰氏は一体どこに行ったんでしょうか。 そういう意味でたしかにハッタリは必要だ。 ようするに打たれても打たれても這い上がる根性が必要だということ。 本書によればあの15年前の騒動もハッタリだったと言う。 しかしながら彼は冷静にあのとき15年後の世界を思い描いていたんだな。 仕事がオワコンなんだそうだ。 それでどうしようと右往左往するのではなく、自分に十分な時間ができたと心得、先に進むということ。 当然、いわゆるデジタルというものを武器にしなければならない。 そういう人が勝ち残る社会になったということ。 だからホリエモンの書籍は啓蒙書の一種なのだ。
2021.03.09
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習慣を変えれば人生が変わる【電子書籍】[ マーク・レクラウ ] 本書の中味は、なにをいまさら、なのだ。 たとえば、 私がクライアントにすすめている習慣を紹介しよう。 ●週に3回は運動する ●うまくいっていることに意識を向ける ●自分の目標に取り組む ●浜辺や森の中を散歩する ●家族ともっと一緒に過ごす ●野菜をもっと食べる ●友人と会う ●1日に30分、本を読む ●1日に15分、1人の時間を過ごす これを一覧表にして貼っておくといい。 成果を上げたら自分に報酬を与えよう。ということ。 これらのことは多くの人生論などの本を読んだ方は早速実行していることだろう。 で、なにをいまさら、という感想になる。 その、なにをいまさら、の中で、時間に10分の余裕を持つ心構えというのがとても気に入った。 時間を守ることは、他人への敬意の証しである。 時間を守らないなら、どんなにいい人でも少し横着な人物という印象を与えかねない。 どんな約束にも10分前に到着することが大切だ。 他人への礼を失しないようにという配慮からではなく、自分が気分よく過ごせるからである。 私は約束の時間を守るようになって、10分間の余裕が心の平和につながることに気づいた。 現地に着いたとき、私はあわてていないから10分間で心を落ち着け、環境に慣れ、リラックスすることができた。 約束の場所に10分前に着くと、快適な気分になり、自分のプロ意識の高さを感じ、礼儀正しく振る舞うことができる。 実際、今では時間どおりに到着すると居心地が悪くなる。 これを試して自分の人生にプラスになるかどうか確かめてみよう。 このことについては、私の場合、飲み会で実践していたことだ。 また、5分前の行動、などという標語もあり、時間に余裕を持つことの大切さはよく理解していた。 しかし上記のような、10分、という具体的な縛りはかけたことがなかった。 上記は、到着の時間であるが、それと同時に終わりの時間の心がけということにもなるのではなかろうか。 終了時間が過ぎているにも関わらず、もう一つもう一つと話を付け加える人がいるけれど、こういう人に私はなりたくない。
2021.03.07
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生きる旅 60歳からのオートバイと山 風間嘉隆 人を羨んでいてもしょうがないのだが、著者は定年退職後オートバイを趣味として全国を走り回るほか高山にも登るという趣味を持ち人生を謳歌した人だ。 この本は2000年に入ったあたりの話なので今から20年ぐらい前の話なのだが、著者の定年が65歳であることから65歳を過ぎてからの様々な旅のエッセイである。 私にとって次の文章がとても親しみを持てた。 蔵王エコーラインを上がって、御釜を見物し上山市に下り、米沢から西吾妻スカイバレーを抜けて裏磐梯に下りた。 そこで景色の美しさにここでもう一泊しようと決めた。 まだ午後二時だったので桧原湖、秋元湖、五色沼などの周囲を、どこかに眺望のよい宿はないかと走り回っているうちに、曾原湖越しに裏磐梯が真正面に見えるすばらしい場所に建っている『ピッコロホテル・セカンド』という建物が目にとまった。 「今日はお休みですか」と扉を叩いて尋ねると、出てきた奥さんらしい人がちょっと口ごもった。 「いいえ。でも…、ほかに予約はないので主人は出かけていますし、食堂も散らかし放しでどうしましょう」 結局このピッコロホテルセカンドに著者は泊まることになる。 ここに書いてある通り蔵王エコーラインも御釜も西吾妻スカイバレーも、裏磐梯、五色沼、桧原湖も秋元湖も全て私の目に焼き付いている風景だ。 著者がそこを愛車で駆け巡ったことを想像するだけで私の脳みそは著者の脳みそとスパークしあってあの景色が私の眼前に飛び出してくるのである。 先に書いたように著者は全国をかけ巡っているのであるけれどももう一つ山形県に関する記事がある。 それは 湯殿山神社にはご神体を祀る神社の本殿がない。 大きな鳥居と社務所があるだけである。 その鳥居の横から神社の小さなバスに乗ってさらに山の中に分け入った。 ご神体がないのではなく、人に話してはいけないことになっているということである。 ご神体を拝んだ人はここでは「語るなかれ、聞くなかれ」という戒めを守ることになっている。 写真などご法度である。 芭蕉もここを詣でた「奥の細道」の中で一句を残している。 語られぬ湯殿にぬらす袂かな 芭蕉というものだ。 湯殿山には子供が本当に小さい時に家族で行った。 湯殿山に行った契機は、芭蕉の足跡を巡る催し物に参加したからだった。 芭蕉の奥の細道の山形県の部分をなぞって行くことで芭蕉のブロンズ像がもらえるというような催し物だった。 湯殿山はもはや遠い記憶の果てに行ってしまったけれども今記事を読んでまたぞろ思い出した事であった。 それはともかく定年退職後の趣味は非常に重要なことだと今年の年賀状に80にもなろうとしている私の恩師が書いてよこしてくださった。 確かにその通りだと思う。 もちろん私はオートバイで全国を駆け巡るなどという気持ちはないけれども、このブログの更新やら読書をしての知的生活、絵はがきを描き留めること、ギターの弾き語り、そして水泳、2.4kg のクロールは何にも代えがたい私の趣味である。 これらの趣味に没頭することが定年退職後はやはり重要なことなのだろう。 著者が本当に楽しそうなことが分かって私もウキウキさせられた。 本書は、名著だと私は思う。
2021.02.17
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成功する女性だけが知っている「シンデレラ物語」の本当の読み方 ジョージM さて本書はシンデレラ物語が普通の勧善懲悪物をとは違うものと言い、だから現実に即しているというのだ。 そして特に支援者協力者の存在こそシンデレラストーリーそのものだとする。 たとえば でも、ドレスや御者、豪華な馬車は魔法でしか実現できないようなものなのでしょうか? 魔法使いのおばあさんが魔法を使ってやっていることは、現代でいうなら、服や車を準備してあげているといったことになります。 魔法を使わなくても実現できるものばかりです。 つまり、魔法使いは幸運をもたらすメンター、支援者、協力者の象徴なのです。として、ドレスも御者も豪華な馬車も魔法ではない、メンター、支援者、協力者のなせるわざだというのだ。 そして 日本でも新型コロナウイルス以降、今までの仕事を失い、ビジョンや仕事を失う方も増えてきました。 こうした危機を乗り越えて自身のビジョンを再構築するのにシンデレラ物語は、読み方を変えればきっと参考になる物語です。 現実のシンデレラストーリーを自分で作ること。 それがシンデレラ4.0の時代なのです。として、自力で成功を切り拓き給えとするのだ。 なお、シンデレラ4.0とは、自力で作る成功物語のことだ。 たしかにシンデレラストーリーは筆者の視点からは特異なのだろうが、本書のようにこじつけて良いものなのだろうか。 私は、本書を読んでもなおシンデレラストーリーは、なにより幸運の塊の話、としか思えないのだが。 それから、シンデレラストーリーを地で行くためには、なにより人財が必要だというのが本書を貫いているポリシーだ。 人付き合いの苦手な人は一体どうすればいいのだろうか。 まあ、本のとおりにはいかないということを如実にしたのが逆説的に本書なのだと思う。
2020.12.06
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妻のトリセツ【電子書籍】[ 黒川伊保子 ] そもそも妻を侮辱した題名だよねえ。 トリセツなんて言葉使ったら妻をモノ扱いしているということじゃないか。 著者が女性だというのもなんだか怪しげだ。 女性が女性を蔑んではだめだろう。 それはともかくこの本の肝は男脳と女脳が違うというところにある。 この本の主張によれば男と女は歩み寄れないものということになる。 それにしても私達夫婦は来年結婚40年になるが本書に書いてあるような不具合はなかったな。 家事の分担などということは現役時代考えたことはなかった。 しかし今は私が掃除、料理を分担している。 これは主従が逆転したからだ。 私の妻は私が現役引退後ケアマネの正職に就いた。 すごいことだ。 私は掃除をし常備菜を作っている。 大して美味しいものでもないだろうが妻は美味しい美味しいと言って食べてくれる。 だからますます何かを作りたい気持ちになる。 つまり、夫のトリセツ、ですな。 要するに夫婦間にトリセツなんて言葉あってはならないということ。 男脳と女脳が違うなどということについてなにもあげつらう必要はない。 そのことは多分自然に人間としてお互い知っていることではないのだろうか。 だから夫婦間にトリセツは必要ないのだ。
2020.11.28
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賢者の書【電子書籍】[ 喜多川泰 ] 小説なのだが人生上ためになることが書かれてあったので、ガネーシャ本同様人生論に区分した。 それはともかく本書では主人公が結局第9の賢者となるのだが、その伏線な最初から張られていた。 この人生論の要諦は、移り行く人生の景色はあなたのために用意されたものだからありがたく楽しみなさいというものだ。 そもそも人生は思いどおりにはいかないもの。 今与えられた境遇には様々な人々が関わってきたわけだ。 その1人でも欠けたら今の私が存在したのか。 そういう問いかけだ。 主人公アレックスは永年勤めた会社で、先代社長から可愛がられたものの現社長からは疎んじられ、いまいまリストラの憂き目に遭おうとしている。 いや間違いなくリストラされるそういうルートを歩まされている。 そこでこの賢者の書に出会うわけだ。 それを読み彼は感激する。 そして心を改める。 こういう仕掛けだ。 確かに人生上改める機会はたくさんあった。 だがそれができないのが普通の人間である。 つまり改心できる人間が賢者だというわけだ。 それにしても著者は素晴らしい話を書いてくれたものだ。 さて遅きに失してしまったけれど少し改心してみようかな。
2020.11.22
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知的生産術 [ 出口治明 ] 彼は彼で十分な存在感がある。 好きとか嫌いとか言う基準でいうと私はまだ彼を好きにはなれない。 でも彼のコンセプトである人本旅は人以外賛同できる。 人はねえ、私は苦手だ。 確かに人との関わりも重要なのだろうが、強いて人と関わりたいなどとは思わない。 お金がないのに、先に航空券を買ってしまうスピード感と情熱は、すばらしい。彼女たちは「ただちに決定して、ただちに行動を起こさなければ、何も変わらない」ということをAPUで学んだのだと思います。 企業でも設備投資を決めたあと、借入にしようか証券を出して市場調達を行おうかと考えるのが普通です。貯蓄の範囲内で設備投資計画を練るのは少数派で、彼女たちのセンスは企業と同じです。 などという無謀さを80歳前後の大学総長が言っていいのか。 行動力は必要だろうが、だからといって無謀をたたえていいわけがない。 次、 ライフネット生命もAPUも「若い組織」という点で共通しています。 僕は川の流れに従って還暦でベンチャー企業を立ち上げるなど、チャレンジングなキャリア人生を歩んできましたので、そのチャレンジする姿勢を評価していただいたのだと思っています。 大企業の社員から還暦ベンチャーへ、そして古希学長へ。 今は移住した別府で「人生100年時代」を迎えるべく、第3のキャリアに挑んでいます。と言うけれど、これは著者がすごい人生を歩んでいるということをただただ自慢しているだけで本来の学生に対する答えにはなっていない。 だから私は彼を好きになれない。
2020.11.07
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定年バカ【電子書籍】[ 勢古 浩爾 ]続 定年バカ【電子書籍】[ 勢古 浩爾 ] 昨日書いたとおり出口治明の還暦からの底力のあと著者の定年バカ、続定年バカを連続して読んだ。 そして結論から言えば著者に大賛成だ。 しかし生きがいなしに定年後の人生を生きることもできない。 ただそれだけの気力も体力もないことは昨日書いたとおりだ。 本書にあるように図書館に行けば定年退職後の人々はいっぱいいる。 ショッピングモールで暇つぶしをしている高齢者も結構いる。 そもそもそのうちの一人が私だ。 年寄りがバンドを組んで何が悪い。 私は毎日ギター弾き語りをしているぞ。 毎日クロールで2.4キロ泳ぐのはいけないことか。 私はそれを生きがいにしているしもし2.4キロ泳げなくなったらそのときは私の限界だと思おう。 つまりだ、本書に書いてある定年退職後の姿がまさに今の私の姿なのだ。 それを手酷く批判している本書に感銘を受けるのはなぜだろう。 今の私の全否定みたいな本ですよ本書は。 そこには今の私の現実に納得していな私がいるから妙に本書に共感してしまったのだろうか。 ただね、勢古さん、私はやめたから義務感で数々の生きがいに手を出しているんじゃないよ。 ギター弾き語りもクロールも現役時代からしていたことだ。 新たに手を出したものといえば図書館やショッピングモールでの暇つぶしくらいだよ。 それとて知的生活としての読書、ブログ更新の一環だから、決して無駄なことではないと思っている。 あと主夫的生活。 これが今の私だ。
2020.11.01
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還暦からの底力ー歴史・人・旅に学ぶ生き方【電子書籍】[ 出口治明 ] 12年ほど前まで私は米沢に住んでいた。 休日といえば隣町の福島に妻と行ったものだ。 その後米沢を離れさらにあの巨大地震があって福島から遠のいていた。 それが福島山形間の高速道路開通により一昨年辺りからまた頻繁に福島を訪れるようになった。 福島はそんなに見るところが豊富ではない。 そこで決まってヨークタウン野田に行き宮脇書店、ドトールコーヒー、ヨークのコースを取るのだった。 ところがその宮脇書店がなくなってしまい私は途方に暮れてしまった。 書店で何冊かの本を渉猟ししかる後コーヒーを飲んで買い物ができなくなってしまった。 それがこの9月27日にヨークタウン野田を訪れてみたらなんとGEOが入っていたのだ。 それも宮脇書店と大差ない品揃えだった。 私は感動した。 そして本書を読んだ。 あー何ということだろう。 著者の得意技、飯・風呂・寝るの代わりの、人・本・旅がまた強調され、年で自分を括るなのようなことが書かれていた。 実は勢いでこのあと勢古浩爾の定年バカ続定年バカを立て続けに読んだ。 著者と勢古はまるで正反対の主張であった。 つまり勢古によれば著者は定年バカということになる。 さて私であるがどちらに与したいなどという気持ちはないものの心情的には無理強いしない勢古に賛成でしょうなあ。 ただし著者の言い分もまた正論だと思う。 たしかに自分を年齢で縛る必要はない。 しかし現役引退後現役のような仕事をする気力も体力もなくなってしまうのは事実だ。 現役引退後は無理せず程々にしかもストレスを溜めずに生きていくべきだ。
2020.10.31
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雨の日も、晴れ男【電子書籍】[ 水野敬也 ] 小僧の神様二人がアレックスという男を不幸のどん底に突き落とすため次から次へと不幸を仕掛けるがアレックスはそれにめげず克服していくという話。 話の途中アレックスは「私の辞書に出世という文字はない」などとのたまう。 そして二人の小僧の神様はアレックスの真理を知る。 彼は人を笑わせて幸せにするために生きている人なのだと。 本書もガネーシャシリーズ同様小説なのだが、私には尊い人生論のような気がしたのでカテゴリーは、人生論、とした。 人生の不幸の捉え方をどのように考えるかということですよね。 アレックスは常に前向きなのである。 必要ならば土下座も辞さない。 バックジャンプをしながら上司から離れる技術も身につけている。 人を笑わせるばかりか人を慈しみ悲しむ心つまり仏の心も持っている。 アレックスは自分の信条のためには死をも厭わない。 彼は人というより菩薩あるいは仏なのだ。 それじゃあ私はアレックスのように常にポジティブでいられるのだろうか。 私なんざあ、すぐに凹んでしまうことばかりだ、二人の小僧の神様から仕掛けられた不幸は。 そもそも朝寝坊をしたらさらに二度寝三度寝する勇気がない。 彼が死を厭わないのは自我というものを超越しているからに違いない。 つまりしがらみがない。 そうか、さとるとはしがらみがなくなることなんだな。 アレックスの生き様はまさに仏道なのである。 合掌。
2020.10.17
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神様に一番近い動物 〜人生を変える7つの物語〜【電子書籍】[ 水野敬也 ] だんだん読んでいくうちに、あっ、これはいつか読んだ本じゃないかとデジャブ感に襲われた。 そう、いずれの話も、あの、ガネーシャ様の話に似ているのだった。 そもそもガネーシャ様の話は読んでもその作者の名前になんか興味がなかった。 最後に作者の紹介文を読んだら、あのガネーシャ様の作家だったのだ。 まずはあの3匹の子豚から。 ワラの家のブタは続けました。 「そして、みなさん、私たちの敵はオオカミだけではありません。失業率の上昇、天然資源の枯渇、政治不信……現在の私たちは様々な形のオオカミに襲われています。しかしこの状況を前にして、レンガの家を作るように、オオカミにおびえながら身の守りを固め、家の中に閉じ込もっていていいのでしょうか? 確かにオオカミは、私たちを食べようとする脅威かもしれません。しかしオオカミに立ち向かう姿勢こそが、私たちを鍛え、成長させ、新たな未来を切り拓いてくれるのです!」 わらの家の豚の子孫はこうしてオオカミを葬り、臆病なレンガ一族をも凌駕した。 この世に永遠などないのだ。 次大宇宙オリンピック。 そこで俺は驚くべきものを見た。 第2集団の中に地球の選手がいたのだ。 しかもそいつは──人間だった。 「どういうことだ──」 俺が口を開け、愕然としていると、オルガは落ち着いた声で言った。 「地球で、長距離走を最も得意とする動物は人間なのだ」 人間は長距離走に向いていた。 地球防衛のため地球の全動物が頑張った感動的な話だ。
2020.09.28
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チーズはどこへ消えた?【電子書籍】[ スペンサー・ジョンソン ] この人生論は2匹のねずみ(スニッフ、スカリー)と2人の小人(ヘム、ホー)が登場してそれぞれがそれぞれの立場で迷路にあるチーズを探し回ったり居座ったりするものである。私たちは、スニッフのように、いち早く変化をかぎつけることもあるし、スカリーのように、すぐさま行動を起こすこともあるし、ヘムのように、いっそうまずいことになりやしないかと怯えて、 変化を認めず、変化にさからうこともあるし、ホーのように、もっといいことがあるに違いないと、 うまく変化の波に乗ろうとすることもある。と言うようなそれぞれの立場をどう考えるか、ということだ。 ここにおけるチーズは私たちの人生の成功にあたる。 成功を享受しているだけではだめだ。 変化にも対応しなければならない。 特にうまくいかなくなってきたときに一体どうすべきかという課題にぶつかる。 ネズミも小人も私たちを表す。 いち早く変化に気づくか、すぐさま行動を起こすか、変化に逆らいそのままでいるか、変化の波に乗るか。 著者はいう。 最大の障害は自分自身の中にある。 自分が変わらなければ好転しない――そう思い知らされた。 おそらくもっとも大事なことは、つねに新しいチーズがどこかにあるということだ。 その時点ではそう思えなくても。そして、恐怖を乗り越え、冒険を楽しむなら、報いはあるということだ。と。 私は紛れもなくヘムだ。 変化を嫌い否変化を認めずまるでゆでガエルのように変化の真っ只中で討ち死にするタイプだ。 馬鹿だねえ。 つまり本人生論は、ヘムのようになるなよという教訓なのだ。 いち早く変化に気づきいち早く行動しさらに変化の波に乗る。 変化の波に乗るということは変化を認めるということでしょう。 しかしながらヘムの生き様は自分がストレスにさらされない防御の姿勢でもある。 そのノンストレスの状態は結果的に不幸を招くのだということも作者は言いたかったのではなかろうか。
2020.09.23
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夢をかなえるゾウ3 ブラックガネーシャの教え【電子書籍】[ 水野敬也 ] ガネーシャシリーズもvol.3になるとかなり充実したものになった。 偽のブラックガネーシャが本物のガネーシャを、ニセーシャと言った挙げ句種明かしによって稲荷様とわかる。 稲荷様もかつては良質なコメを作るための神様だったのに今は金儲けに奔走している。 神通力のあるペンダントを取られたガネーシャは普通の象になってしまう。 ヒロインは象をペットにした変わった女性として見られる。 そこに世尊やら金無幸子が現れたりして話はどんどん進んでいくのだが、まずガネーシャは、 自分の持ち物で本当に必要なものだけを残し、それ以外は捨てる。と断捨離を求める。 どんどん読み進んでいくと 自分にとって勇気が必要なことを一つ実行する。という一文に遭遇する。 これが一番重要な言葉なのだ。 人は大事なところで尻込みする。 その勇気が出ずに沈んでしまう。 その際必ず言い訳がましくなるのだ。 全くそのとおりだと私は思わず手を打った。 このシリーズが魅力的なのは成功は甘いもんじゃない、努力はきついもんだ、何事も思い通りにはならないけれど、とにかく何らかの手を打たなければ何も始まらないという基本的なコンセプトのもと話がすすむからだと思う。 そこに全くしょうもないドタバタ喜劇を交えてさらに悲恋もあり、決して一辺倒な人生論でない、しかしそれでもガネーシャのいうこと聞いてみようか、と思わされるところが面白いところなのだ。 かくいう私も長い間僧侶になりたいと思っているにもかかわらず未だ、自分にとって勇気が必要なこと1つ実行できずこんにちに至っているのだ。 本作で作者が指摘しているとおり、言い訳だけで先に進んでいないのである。 ガネーシャの教えは実に重要だ。 自分にとって重要な勇気とは一体何なのだと今更ながら考えさせられた一作だ。
2020.09.10
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夢をかなえるゾウ2 ガネーシャと貧乏神【電子書籍】[ 水野敬也 ] 本作は前作の続編というわけではない。 ガネーシャが手がける男は今回はお笑いだ。 そこに、金無幸子、という貧乏神が登場し…。 そして、そのときだった。 僕は、あることに気づいた。 気づいてしまった。 今、ヘアピンで髪をとめて美しくなった幸子さんを見ているのは、幸子さんではなく、僕だ。 美しくなった幸子さんに感動しているのは、プレゼントをもらった幸子さんではなく、プレゼントを贈った僕なのだ。など実は恋愛小説にもなっているしかけだ。 相手へのプレゼントが、そのまま自分へのプレゼントになっている。 (そうか、これが幸子さんの教えだったんだ……) 幸子さんから教えられたことのすべてが、100円ショップの白色のヘアピンに表れていた。 そのヘアピンが、ゆがみ始めた。 視界が涙でどんどん曇っていく。 こうして男はどんどん金無幸子のとりこになっていく。 しかも貧乏神である金無幸子は最後は人間になり人間の妻になるという願ってもない話になっているのだ。 読者は自分の思い通りに話がすすむのをのぞむものだ。 本書が人生を成功するコツについて書いているのだから、せめて本書を読んでいる間だけでも夢の世界に浸りたいものだと思う。 そういう読者の心理をきちんと作者はつかんでいる。 一見適当そうな神様ガネーシャだが、掴みどころはしっかり掴み人を幸せにしてくれる。 つまり本書に書いてあることを実行に移せば成功すること間違いなし…かも。 まあそれにしても貧乏神が女性なので、一体どうなることやらと心配したが、なんとかなってよかった。 本作の金無幸子の言うことはケチというより倹約の精神だ。 帰りに蓬を摘んできてくださいなどという奥さんがいたら、それは間違いなく貧乏神だ。 否、倹約の神様だ。
2020.09.08
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夢をかなえるゾウ1【電子書籍】[ 水野敬也 ] ガネーシャは腕が4本あるインドの神様だ。 自称世界一の神様で世尊とも友達だ。 これまでガネーシャの言うことを聞いて大成した人は実に多い。 ニュートンもアインシュタインもそうだ。 ガネーシャの言うとおりにしようと思って読んでいたら、あっという間に覚えられないほどの量になってしまった。 すぐに思い出せるのは、コンビニに寄付をすること、靴を磨くこと、トイレ掃除をすることくらいだ。 その他数々の成功の秘訣が本書には散りばめてある。 成功したければ本書を何度か読めばいい。 よくよく考えてみればここに書いてあるのはほぼ当たり前のことだ。 なのに私はそのうちどれくらい実行に移していたろうか。 そもそもコンビニに寄付などということはほとんどしたことがないものなあ。 それじゃあ金も回ってこないというわけだ。 ガネーシャはいう。 自分、メモもしないのかと。 そもそもこの記事を書くにあたって3つしか出てこないのだから、そこから私は間違っているんだなあ。 ちなみにガネーシャがいう成功のコツは、・靴を磨く・コンビニでお釣りを募金する・食事を腹八分におさえる・人が欲しがっているものを先取りする・会った人を笑わせる・トイレ掃除をする・まっすぐ帰宅するなどである。
2020.09.07
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ヤクザ式 最後に勝つ「危機回避術」【電子書籍】[ 向谷匡史 ] 結論から申せば危機回避の要諦は要するに危機から遠ざかることなのだ。 それをしていないようなヤクザが実はしているという話だ。 英語でいうと、ヒットアンドアウェイまたはヒットエンドランということになる。 君子危うきに近寄らずとも触らぬ神に祟りなしともいう。 つまり、 そう考えたとき、ヤクザの処し方は注目に値する。 彼らは他人を当てにしない。 「頼れるのは自分だけ」 という覚悟を持ち、「常在戦場」の意識で日々を生きている。 ヤクザの日常は「危機」が前提になっている一方、私たちの日常は「安全」が土台だ。 だから危機に直面して後れを取り、泣きをみる。という常在戦場にいる危機意識の強さが危機回避としての先の結論に導かれるというわけだ。 だから私達も常在戦場の危機感を持つべきなのだろうが、そもそも論としてそれほど危機意識を持つ必要性など感じない世界に生きているので結局泣きをみるのである。 さて本書はそんなヤクザの生き方を奨励しているものでは決してない。 ただ危機回避の観点から参考になることが多いことに気づいた著者が一般人でも応用できる方法を述べているものなのである。 たとえば、 返事は常に前向きで、上司を喜ばせておいて、「しかし」と展開する。 「明日は朝一でクライアントの訪問アポが入っています。いかが致しましょうか? 見積もりをお急ぎでしたら、日時をずらせないか打診してみますが」 と、たとえば〝クライアント訪問〟をでっちあげて判断を仰げばよい。 「クライアントなんか放っておけ」 とは言わないもので、「そうか。じゃ、明後日でいいぞ」 ニッコリ笑顔で言うことだろう。というようなものが一般人も使えるよ、というわけだ。 現役世代は人間関係の大海で生きているようなもの。 少しでも人間関係が楽になるのならと思って著者は本書を書き上げたのだと思う。 参考になるところは参考にしてほしい。
2020.09.06
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みっともない女【電子書籍】[ 川北義則 ] よくぞこの時代このような素晴らしい女性論を書いてくださったものだとまずは著者にお礼をいいたい。 まずは歩きスマホで目の不自由な人にぶつかった女の話から。 だが、加害者の女性はそんな怒声を無視して、立ち去ろうとする。 私の連れの意図を察した一人の青年がその女性の行く手を阻んだ。 その青年に促されて、その加害者は渋々中年男性に近づき、「すみませんでした」と通りいっぺんの謝罪をすませた。 そして素早く立ち去った。 加害者女性の表情には何の変化もない。 まるで冷血動物のようだった。 「びっくりしましたけど、大丈夫ですから。ありがとうございました」 目が不自由そうなその男性は、そんな言葉を残して、ゆっくりと渋谷駅方面へと歩いて行った。などということはよくある話だ。 このコロナ禍の中そのコロナの感染確率が高くなる状況はある程度わかってきていて、それなのに、会食で席を詰め大きな声でわめき続けている女もいる。 なんということだ。 これじゃコロナ禍などなくなるわけがない。 仕事に関しても女は、 「資料をエクセルやパワーポイントで作ってくれるのはいいんですが、もっとも必要とされる要素がすっぽりと抜けている。それでいて、レイアウトや色使いだけはやたらと凝っていたりする。要は仕事において、もっとも優先されるべきポイントがまるでわかっていない。強いていえば、彼女にとって、最優先ポイントは自分なんです。言葉は悪いですが、仕事オンチなんですよ」などということだ。 オンチというのは音痴ですからね。 自分のことを方向オンチなどという人もいるが、こちらは仕事オンチと人から言われているわけだ。 本書にはこのほか数限りない女の悪口が書いてある。 読み手は、ふむふむそのとおり、なんて感心して同感して読み進むわけだ。 最近性差別、人種差別などとにかく言いたいことが言えない時代になり、すこし過激だとハラスメント呼ばわりされてしまう。 でも、本書がその代わりになって言いたい放題してくれるのだ。 本当に気持ちのいい本だった。
2020.08.24
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60歳からを楽しむ生き方 フランス人は「老い」を愛する【電子書籍】[ 賀来弓月 ] 著者は外交官として長く勤務し、退職後はフランスの修道院でボランティア活動をしていたものであるが、癌に侵され日本で治療を余儀なくされた。 その後癌は寛解したとのこと。 私は、名前から女性だとばかり思って読んでいたら、2/3くらいになって著者がお爺ちゃんだとわかってびっくりした。 それくらい柔らかな文章で、途中何度か涙ぐんだりして読了した。 フランスのどこの町にもテラスのあるカフェがたくさんあります。 そこで、頻繁に多くの時間を過ごすことが、フランスの人たちの日常の楽しみとなっています。 カフェでは偶然隣に座った人たちの間で、ちょっとしたことをきっかけに、打ち解けた会話がなされることも珍しくありません。と言うのはフランスの日常だ。 日本だって今や珈琲屋はそちこちにある。 個人の珈琲屋は少なくなったが、チェーン店が頑張っている。 Wi-Fiも充実しているから、PC片手に物書きもそして本書もそうだが電子書籍で読書もできる。 ただし、上記の文章の日仏の違いは、打ち解けた会話、があるかどうかというところだろうね。 日本人は見知らぬ人との会話など楽しもうとは思わないものね。 本書は、定年後の老年時代についてフランス人がいかに過ごしているかの総論と、それじゃあ我々がいかに生きるべきか、という各論をうまく散りばめている。 総論として、 第一に、〝幼少期〟のように親に依存する必要がないこと。 第二に、〝青年期〟のような落ち着かないソワソワした気持ちを抱かずにいられること。 第三に、〝壮年期〟の上下関係や競争の支配する職場の苦労から解放されていること。 定年退職後は、心の持ち方次第で、その前の時期のさまざまなストレスから解放されて、心穏やかに楽しく生きることのできる時期なのです。とする。 確かにそのとおりだ。 当たり前のことを文章で表現できる点がすごい。 その他様々なことが書いてあってそのどれもここで紹介したいくらいだ。 それはともかく、1日の生活が決まっている人の例が面白かった。 私自身現役を退き、会計年度任用職員などという名称でまだ同じ職場にいるが、60を過ぎて正職のケアマネになってなお現役続行中の妻がいない土曜日などは完全にひきこもりで、この1日の定例外出が決まっている人の、第1にパンを買いに、第2に新聞を買いに、第3にドッグランに(この人は犬が好きなのだが、家で飼えないのだそうだ)の生活が面白そうだった。 私といえば、引きこもりの日は妻が帰るまでじっと家にいて、帰ってきてから一緒に散歩に出かけるくらいだものなあ。 やはり、外に出ないとだめですよねえ。
2020.07.10
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「人見知り」として生きていくと決めたら読む本【電子書籍】[ 午堂登紀雄 ] 自分は人見知りだと思う。 本書の題名が目について読んだのだが、真の人見知りの解決にはならないと思った。 まずパーティーでは、 義理で出席した懇親会やパーティーでも、私は自分から話しかける勇気がないため、ひたすら食べて飲むことにしています。 そういう場はたいてい飲み放題でセルフ立食なので、自分のペースを守ることができます。とひたすら食べることを推奨する。 それしかできず、それが(ひたすら食べていることが)嫌なので、じゃあどうしたらいいんだ、ということで本書に飛びついているのに、これじゃあなんの解決策にもならない。 次、会話に、さしすせそはひふへほ法を使うことを提案する。さ「さすがですね!」 し「知りませんでした」「しびれますね!」 す「すごいです!」「素敵です!」 せ「絶対にそう思います」「センスいいです!」 そ「尊敬します」「その通りですよ」 は「はあ~っ、素晴らしいですね~」「初めてです」 ひ「ひいっ、怖いですね」 ふ「ふうん、そうなんですね」 「不思議なご縁ですね」 へ「へえー、それはいいですね」 ほ「ほう! すごいですね」だって。 こういう会話をしたくないから、じゃあ、どうすればいいんだ、と思って本書を手にしたんじゃないか。 ということで、題名に釣られて本書を手にしたあなた、本物の人見知りだったら、全く役に立たない本なので、読まないほうが賢明ですよ。
2020.06.09
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志村流 (王様文庫) [ 志村けん ] 先ごろ新型コロナウイルス肺炎で亡くなった志村けんが52歳の時の本だ。 享年70だから、死の18年前にものしたということになる。 さてその著者の考えであるが、一生を一日と考えるのだそうだ。 この際著者は、一生を72年と計算している。 その72まであと2年あったことがなんだか悲しい。 それはともかく、1時間は3年だ。 著者が書いた52がちょうど午後5時だそうだ。 その、午後5時つまりアフター5が面白いのだ、と著者はいう。 アフター5にやりたいことをやり給え、と著者は言うのだ。 さてそのように考えると今の私は、午後9時ですよ。 なんと寂しいことか。 考えてみれば、志村は、あの新型コロナウイルスに感染したときに自分が午後11時20分にいると感じていたのかなあ。 自分の人生の長さを決めてしまうのも考えものだ。 次、志村の自分自身の分析について。 志村は、自分が、素の自分、芸人の自分、キャラの自分、の3つに分類されると分析している。 私的な部分で、志村だ!などと言われても素の自分はすぐに対応できない、つまり、人を笑かすことなどできないとする。 キャラではずいぶん儲けたようだ。 キャラとは、バカ殿、や、変なおじさん、である。 その儲けた金は、回すべし、必要なものには是非とも金をかけよ、という金銭哲学がある。 それにしても本当に惜しい人を亡くしたものだ。 本当にコロナが憎い。
2020.05.05
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やばい老人になろう やんちゃでちょうどいい (PHP文庫) [ さだ まさし ] 著者はニコニコしてその辛いときのことをさらりと語るが、その内容は私だったらとても耐えられないような重いことだ。 まず、精霊流し、で財を築くも、数十奥の借金を背負うことになり、それをサラリと返してのけるも、今度は父親が映画で借金を作る。 今はただコンサート等を通じてほそぼそと少しずつ借金を返すほかない、という心境で頑張っている。 それはともかく彼には数多くの老人がついていてくれたようだ。 それはまるで守護霊のようだ。 確かに数多くの老人たちがいたから現在の、さだまさし、がいるのだと思う。 しかしそれにしても目も当てられない借金地獄の中でめげずに生きてきた著者は凄い。 本書を読むと著者の祖母の胆力がすごかったのだということもわかる。 つまり、著者はこの祖母の血を強く引いているんだろうなあ、そんなふうに思った。 結局、老人というものについて年齢で区切るのかどうか、などと言うよりも、既に老人になったという自覚とともに、今までの経験を元にして、できることからこの世に恩返ししていくことが、やばい老人、のあるべき姿なんだろうな。 著者もそんなことを主張していたように思う。
2020.03.12
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「ゆっくり動く」と人生がすべてうまくいく 副交感神経アップで体の不調、ストレスが消える![本/雑誌] / 小林弘幸/著 現代人は交感神経と副交感神経のバランスが悪く、特に交感神経が勝っていることからストレスにさらされているらしい。 ゆっくり動くとは副交感神経を活発化するということで、その方法の一つとして 私が提唱している、1:2(ワンツー)呼吸法、は1で吸って2でその約2倍の長さで吐く。 基本的なポイントは本当にこれだけです。もう少し細かく説明すると3〜4秒間くらい吸ってそれから口をすぼめて6〜8秒間くらいかけて口からゆっくり吐く。 特に、吐く=呼気、はできるだけ、ゆっくり長く、を意識してみてください。という、ゆっくりした呼吸法を提唱する。 さらに、 私がおすすめしたいのが一日三十分でいいので、自分一人だけの自由な時間=ゆっくりタイム、をつくるということです。 例えば家事が一段落した午前中の三十分趣味の絵を書いて過ごす。 あるいは仕事帰りにお気に入りのcafeによって好きな本を読む。 あるいは家でも入浴後の三十分ゆっくり自分の部屋で一人好きなテレビを見たり好きな音楽に耳を傾けたりする。 たった三十分ですがそういう自分だけの自由なゆっくりタイムを作ることでその日のリズムは断然変わってきます。と言う時間を作ることで副交感神経が活性化するというのだ。 私なんか三十分どころかそれ以上十分な時間、ゆっくりタイムを楽しんでいる。 ストレスをためないということは重要なことだ。
2019.07.14
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老いてこそ人生【電子書籍】[ 石原慎太郎 ] 本書では稲尾和久とか円谷幸吉といった懐かしい 名前が出てくる。 そういえば 亡くなった父は運動選手が嫌いで運動選手は長生きできないと常々言っていたものだ。 確かにそんな面もある。 円谷選手は若くして自殺したから寿命との関連を云々することはできないにしても稲尾投手は確かに70前後で亡くなったように思うし,同じパリーグの私の故郷の大投手皆川睦雄投手もだいたいそのぐらいで亡くなっている。 さらに私が愛してやまない阪神タイガースの村山実投手は60にも満たないで亡くなったと記憶している。 同じ年頃で私の郷里大横綱柏戸剛も60にならないうちに死んでしまった。 それはともかく著者は 稲尾和久について。 かつての花形も年を取ればただの人というケースも多いが,彼の場合はかつての栄光そのための精神的肉体的な様々な刻苦がこの人をここまで成熟させたのだなあと改めて感心し共感もさせられたものだった。などと稲尾投手について褒め称えている。 現役時代の華々しい活躍もさることながらその後の生き様が石原慎太郎には素晴らしいものに思えたらしい。 そのこととは全く別に1964年東京オリンピックマラソンの銅メダリスト円谷幸吉については 円谷幸吉について。 これでもし彼が何かのプロ選手だったら死なずに済んだのかもしれない。 肉体が決して長持ちしないものであることはプロにとっての,原理,公理,であって,彼がその競技から引退するしないの前提とも言えますが,彼はアマチュアだけに一層効果を背負った名誉ばかりが背中にのしかかっていてあそこまで追い込まれてしまったのです。などと述べむしろ円谷選手がプロであったなら死ぬ必要もあるまいにというような分析をしている。 確かに素晴らしい選手が自殺した時は ショックであった。 彼はあそこまで追い込まれていたんだなあと痛々しく思う。 スポーツが人を追い込む時代であった。
2019.03.19
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人生の目的 (幻冬舎新書い 5- 6)[本/雑誌] / 五木寛之/著 著者は,仏教について非常に深い知識を持っており,親鸞にも造詣が深く,真宗の門徒と言える人であろう。 さらに最も大きなファクターはこの子供達が母親を恨み呪っていることである。 自分にとって最も愛情をもってくれる最後の人であるはずの母を恨んでいるこの子供達は シ自乗的に絶望の底に陥っている(中村元)。 仏教で今の世は末法あるいは法滅の世と言われる時代だ。 しかし現実に生きている私はそうは思わない。 電気もない寒い季節にふるえていなければならないような時代に生きていたいとは思わない。 寒い時は暖かいところにいて暑い時は涼しく出来る今の時代の何が末法なのか。 法滅なのか。 仏教徒である私がそのようなことを言うのはおかしいかもしれない。 だからそれだけ私は煩悩にどっぷり浸かっているのだ。 末法の時代は1万年続くとされているから,現在はまだ末法の世ということになるだろう。 しかし時の車輪は加速度的に急速に回転していく。 最近の科学や技術の変化の激しさは昔の100年が今の10年だ。 時代はすでに無法の時代に突入してしまったとしか 思えない。 仏教ではこれを法滅の世と言うらしい。 さてこの度77歳の叔父が叙勲の内示を受けたらしい。 それで急遽皇居まで私がついて行くことになった。 人生この先一体何があるかわからないけれども,めでたい話もあるのだと思ったことである。
2019.03.18
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定年後 50歳からの生き方、終わり方 (中公新書) [ 楠木新 ] 図書館。 そこには私のような定年後の人々がいっぱいいる。楠木新 他に利用者はいないので近くの椅子にゆったり座りながら数紙の新聞を持ち回りで読んでいる。 一人の男性が経済新聞を長く読んでいたので他の男性が、もう少し早く読んでくれないか、と話しかけると、株価のページを読んでいた手を止めて、順番に読んでいるのだから仕方ないだろう、と言い返して軽い小競り合いとなった。 こんな風景が日常だ。 今、自分の経験をもとにというより、全く現職と変わりない仕事をさせてもらっている。 収入面では全くのボランティアだ。やはり60を超えると特別な技能や影響力がなければ正社員として働くのは難しい。 現実にはパート的な仕事か業務委託の仕事になるだろうとの説明。 例。 マンションの管理人、スーパー駐車場での誘導係、工事現場での安全管理の補助。 と言う事実を考えれば、私は恵まれている。 しかし私は僧侶になりたいという夢を今もなくしてはいない。 メーカーを58歳で定年退職した藤田巌さんの挨拶状を読んだ人は驚いた。 そこには介護ができる美容師を目指し60歳までに自分を追い込むかのように美容室を開業する宣言が記されていたからだ。 などという人もいるのだ。 頑張らなければ。 そのためにも今の仕事を大事にしたい。
2018.06.19
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精神科医が教える 定年から元気になる「老後の暮らし方」【電子書籍】[ 保坂隆 ] 定年退職後一年の再任用を経て今非常勤嘱託職員として働いている。 図書館に行く機会が多くなり、今一番興味のある定年退職後の皆さんの暮らしぶりについてまとめて読んでいる。 ほぼ当たり前のことが書かれてある。 たとえば、保坂隆 これまで現役時代についていたポジションは過去のものと割り切ること。 元〇〇部長、元〇〇課長といったところで今の自分には全く意味のないものになったと自覚しなくてはいけない。 当然収入も下がる。 それを抵抗なく現実として受け入れられるかどうか。 と言う具合に。 この引用は自分への戒め。 自分では、抵抗なく現実として受け入れているつもりでも、やはり、現役時代の自分のポストを思いやったりする。 収入もしかり。 以前の収入額で計算されているものだから、税金は高いし、年金は来ないし、散々だ。 それでもいつかは安定するだろうと自分に言い聞かせている今日この頃だ。 時間に余裕があるので自分の趣味でもある知的生活にのめり込んでいる。 しかし本当に図書館というのは便利なところだなとつくづく思う。 まず、安定的にブログの更新を続けることにしよう。
2018.06.18
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51才から始める定年後夫婦円満の生き方[本/雑誌] (単行本・ムック) / 日向野利治/著 この本は米沢市立図書館から借りてきた。 新築なった図書館はとても綺麗だった。 本も昔より多くなったような気がした。 なにより、本の姿が見えるのがいい。 ところで、家事、特に食事についての著者の一考察である。日向野利治 私の今の妻は独身生活が長くていわゆる家事には慣れていません。 7年間一緒に住んで最近は大分慣れて中級くらいになりましたが、それでも「どっか食べに行かない」と SOS のシグナルを出します。 これは当たり前のことで高齢者が毎日食事を作るのは酷ですね。 60歳前後でもそれは大変なことです。 その苦労を和らげるのはコンビニ弁当、ピザハウス、ラーメン屋さん、お寿司屋さん。 なんでも無理をして家事の負担を軽減するのがいいです。 私なんか妻を失い一人の生活のときは毎日毎食が外出だったのですから。 伴侶を失って男が食事を作るなんてことはよほどの料理好きでもない限りありえないいことです。 技術的には作れないことはないのです。 そうだねえ、うちは土、日の昼ほぼほぼ私がふるまっている。 客は妻一人。 たまには孫も食べてくれる。 メニューは、豚南蛮そば、冷やし豚そば、ラーメン、つけ麺、牛丼、豚丼、深川丼、ペペロンチーノ、ナポリタン、カレーうどんなどである。 妻がいるから元気にふるまえる。 その点著者とは真逆だ。 その幸せを大切にしなければならないと思う。
2018.04.22
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【新品】【本】50歳からの「死」の覚悟 残り30年を悔いなく生きるために 井上暉堂/著 人生のゴールをしというのだろう。 若いうちならともかく定年退職を迎えるとこのゴールは間近に感じることになる。 それはともかく死の受容について井上暉堂1 末期癌、進行癌などの告知を受けると初めは不安とショックから信じようとしないで拒否反応を起こ します。2 次に怒りです。 どうして自分が死ななければいけないのかとやり場のない怒りの感情が生じるといいます。 他人に向けられるのを怒りの転移と呼びます。3 さらに取引です。死がとても避けることができないのなら条件をつけて受容しようとします。 娘や息子の結婚式まで生きたいとか今の仕事が終わるまで生かせて欲しいとかいった具合です。4 4つ目は抑うつです。諦め、虚しさ、無気力感から意気消沈してうつ状態になります。 抑うつは最後の受容への踏み石と言われています。5 最後が受容です。 じきに自分が死ぬことを認めますが、それに対して喜怒哀楽の感情がわからなくなり、脳の反応も鈍くなります。 そして脳の活動が衰えて強い刺激を受けない限りぼんやりと眠り続ける状態が続くのです。 やがて体が衰弱し死を迎えます。 必ずしもこのような流れにはならないと言うがほぼこんなことなんだろうな。 この記事を読むとかなり切羽詰まった人のようにも思える。 だが急死、いわゆるピンピンころりならともかく、病気になって死を迎えるときはやはり上記のようなことになるだろう。 認知症の人は上記のような流れにはならないのかもしれない。 脳系統の病の人も同様だろう。 だから人が上記のような死の受容を全員がたどるわけではないのだ。 しかし逆に言うとそのような道のりを歩む可能性が高いということでもある。
2018.04.18
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