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話すだけで書ける究極の文章法 人工知能が助けてくれる【電子書籍】[ 野口悠紀雄 ] Google ドキュメントをインストールして音声入力して書いている。 要するに著者が言いたいのは音声入力は手で書くよりもフリック入力するよりもキーボード入力よりも早いということ。 しかしながらそれは奇しくも著者が指摘しているように正確さが不足しているのだ。 だから最後にキーボードなりフリック入力で体裁を整えなければならない。 しかしそれにしても本書が書かれたのは2016年のことであるから今から6年前のこと,すごい話である。 私は著者については整理術,手帳術の頃から読んでいるので,かれこれ30年近くの付き合いになるのではなかろうか。 しかしある一定の時期から彼からは遠ざかっていた。つまり野口悠紀雄が古くなってきたということもある。 押し出し式整理術などというものもあったね。 あれは確か袋を本棚に並べるだけの整理法であった。 私はそれを真似したことがあるのだけれどある時からもうすでにやっていない。 確かにあの方法は良かったかもしれない。 それから手帳術であるが。無印良品のパスポート入れを手帳にするという風な方法であった。 これについては私が妻との銀婚旅行で京都に行った際そのことをブログに紹介しているので(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 20061015)かれこれ16年ぐらい前までは使っていたということになろうか。 今は全く使っていない。 私が今使っているのはバイブル型のダヴィンチである。 この手帳に関してはもうすでに10年以上使用している。 さて本書に戻ろう。 特に有益なことはない。 ただ私はまず Googleドキュメントをインストールしこうやって口述筆記をしている。 その後この文章をコピーして楽天ブログに移した。 Googleドキュメントをスマホとタブレットの両方に入れておくと,Googleアカウントが同じなのでなんの手間がかからないことがわかった。 この Google ドキュメントの時点ではこの記事は単なるメモなので,その後キーボードで直しに入る。 確かに著者が言うようにこの音声入力は早さでは先のフリック入力やらキーボード入力よりはずっと早いし,その後の整理をこうやってキーボードで直すこともひとつの楽しみが増えたななどという感じがする。 当分の間この入力が主力になるのかな。 ただ音声入力は,著者が忌みじくも語っているとおり,人前でするのが憚れる。 慣れれば大丈夫だと言うし,散歩がてらでもできると著者は言うのだが…。(11/25記)
2023.02.14
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バナナの魅力を100文字で伝えてください 誰でも身につく36の伝わる法則【電子書籍】[ 柿内尚文 ] まず、 ネーミングの法則というのがあるそうで、著者の前作、 パン屋ではおにぎりを売れも同法則によるものか。 この法則はかつて私がKindle Unlimitedで読みついだ講談社現代新書がそうで、たとえば、九代将軍は女だった!などは、よくできた歴史書だったのだが、その題名がすべてを台無しにしてしまった例だった。 九代将軍の話などこの本では本筋ではなかった。 同様本書も、何がバナナの魅力、だ。 著者は、 僕の前著『パン屋ではおにぎりを売れ』はおかげさまで多くの方に読んでいただきました。 読者の感想で多かったのが、「文章がすごく読みやすくて、頭の中にスラスラ入ってきました」というものでした。 嬉しい感想です。 なぜ嬉しいかというと、多くの方に喜んでもらえたことはもちろんですが、もうひとつ、自分が考えていたことがうまく読んでもらった人に伝わったからです。などと自画自賛するが、本書のメインテーマは一体何なのか、全く不明のまま読了してしまった。 本書で、ネーミングの法則、などときれいな言葉で表現しているが、これは、読み手に対する明らかな撒き餌で、前述の講談社新書のネーミング同様、撒き餌の法則、とでも呼んだほうがよろしい、と、私は思う。 それはともかく、フリとオチ、(●フリ「高校2年が終わるまで成績が良くない」「偏差値が35」「塾に行っていない」 ●オチ「現役で東大合格」)つまり、 「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げた」というフリがあるから「慶應大学に現役合格」というオチが生きてきます。とか、ファクトとメンタルの話、 一方で、「ファクト」と「メンタル」の両方をうまく活用することで伝わる力が上がります。 これが「ファクトとメンタルの法則」です。 たとえば、吉野家の有名なキャッチコピー「うまい、やすい、はやい」はファクトとメンタルをかけあわせています。 ●うまい → メンタル ●やすい、はやい → ファクトなどの各論は実に役立った。 まこと商業書籍の今の問題点は、著者が披瀝した、ネーミングの法則こと撒き餌の法則だなと、私はあらためて思ったのだった。
2022.12.13
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人もお金も動かす 超スゴイ!文章術【電子書籍】[ 金川顕教 ] 文章力を身につけるということは、個人のブランド化だそうだ。 ブランド力を高めるために文章力は磨かなければならないのだそうだ。 といいつつ、本当に無手勝流に書きたいことを書き綴っている私というのは一体何者なんでしょうなあ。 それはともかくこの私だって、それなりに文章力を身につけるべく努力はしてきたつもりで、特に、読点ですなあ、これには実に苦労していて、今もまた苦労はつきないのだが、この読点について著者は、・読点(、)が多すぎる 「私は、今日、公園に、行った」という文章のように、単純に読点が多すぎる人もたく さんいます。 頻度については好みもあるでしょうが、さすがに多すぎると流れが悪くなります。 基本的には読点をできるだけ入れずに一回書いてみて、改めて黙読したときに自然と一 拍が入るところに入れていくといいでしょう。 もし余裕があるなら、改めて読み返して「ここに一拍入れないと文章の意味がわかりづ らくなる(読者が混乱する)」と感じたところにも入れてみましょう。というのだ。 これが正解でしょうなあ、読点についてはこれでいい。 次、文章に具体例を入れなさいということ。 伝えたいメッセージを読者に理解してもらうために、 「具体的なエピソード」が大いに役立つ んだそうです。 抽象的なことをいくら書いても読み手は理解してくれない。 しかし具体例なら理解してくれる、というわけです。 そもそもこのブログは、今から14年前の5月から紡ぎ始めてきて、文章術、というカテゴリーも設けて、その都度、文章について考えてきましたが、先に書いたとおり、どうしても、読点、に気を取られ、根幹を忘れていましたな。 そうなんですよ、できるだけ具体的なことを書くことが必要なことなんですよねえ。 また、いい本を読んじゃいました。
2020.06.13
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書くことが思いつかない人のための文章教室【電子書籍】[ 近藤勝重 ] 結構有益な本だ。 物書きは座右に置くべきだ。 まず、エッセイスト岸本葉子が中学校時代国語の先生に言われたこと。 これは実に重要なことだ。 岸本さんは中学時代の国語の先生に、思った、や、考えた、感じた、という言葉を使わずに作文を書きなさいと言われ、できない、という生徒にその先生は、できる、と一言こう言ったそうです。 「私は社会と理科の教科書を本棚から取って机に置いた。しばらくして理科の教科書を戻した」「これだけでも僕が社会の勉強をしようと思ったことがわかるじゃないか」 岸本さんは先生の言葉を受けてこう話しています。 先生はまさに主観と客観の違いを教えてくれたのではないか。 そしてかつ難しいことでもある。 結局物書きは、思う、やら、考える、やら、感じる、という言葉に逃げてしまいますもんねえ。 できるだけ、思う、考える、感じる、は使わないでみよう。 次のことも物書きには実に重要なことだ。 すなわち、読点に関わる問題だ。 読点については、◎ テンの基本は次の通りです。1 文の切れ目に打つテンです。 昨日は暖かかったが、今日は随分と冷える。2 対等に語句を並べる場合に打つテンの例です。 金も、地位も、家もいらない。 3 誤読を避けるために使うテンですね。 今日こそ、そばを食べよう。4 節と節の間に打つケースです。 彼も喜び、私も喜んだ。5 前置きの節や語句を区切るテンです。 その夜、あなたはいなかった。6 挿入された節や語句を区切るためですね。 私はそんなことは、前にも言ったように、していない。7 主語を明確にするためですね。 私は、彼はそんなことはしていないと思う。8 修飾する語とされる語の関係を明確にするためのテンです。 私は熱心に、働く人を探す。 私は、熱心に働く人を探す。 というのが基本だという著者の論を今後の指針として役立てたいものだが、私自身読点にはこだわりを持っていたことがあって、すなわち、主語には必ず読点をつけるとか、時や場所を説明している文章にも読点をつけるとか、していたことがあったのだが、今から10年余前、そのことで文章が見づらいと指摘され、それ以後読点をあまりつけなくなってしまった。 今のこだわりは、読点を「」代わりに使うというもの。 このことを書いている人はいないので、邪道といえば邪道かもしれないけれど、本書で著者の言う、テンの基本、がスタンダーだと思う(結局、思う、を使ってしまいますなあ)。 目障りにならない程度の読点をつけながら今後も文章を紡いでいきたい。
2020.05.18
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時速1000字で書く技術【電子書籍】[ 後藤禎典 ] 今更物書きのハウツー物を読んでも自分の身についた癖が抜けるわけでもない。 まあしかし物書きの基本であると言われたら、一応抜き書きしておいうたほうがいいかなと思って抜き書きした。◎ 書くためのレシピ 1 何について書くのか(テーマ) 2 どの文章を書くのか(文書の種類) 3 どんなことを書くのか(内容) →問題点、背景、意見、論拠 4 誰に書くのか(対象) 5 何のために書くのか(目的) 6 どう書くのか(方法) とにかく書かなきゃダメだ。 それが次の、2、の書き出しというところ。◎ メモの作り方 Step1 テーマを意識 2 書き出し そのテーマについて、自分自身が知っていること、考えたこと、及び関係がありそうだと思うこと、を、思いつくまま自由に書き出す。 3 グループ化 4 取捨選択 5 順番、流れ 知っていること、考えたこと、関係がありそうだと思うこと、を、とにかく書き出す。 それを上記のとおり、グループ化したり取捨選択したりして、順番を考える。 のだそうだ。 当たり前にやっているような気がするけどね。 まあ、とにかく書け、書いてみろというのが本書の言いたいことではなかろうか。
2019.11.24
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効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法 [ 勝間和代 ] 何かと今話題の著者の本。 だから読んだわけではなく、この本を読んでから同性のパートナーの存在が明らかになった。 言い訳しても仕方ない。 要するに読書の仕方について、熟読するか速読するかの提案で、著者はまず速読してしまえと概略を掴んでしまえと主張する。 私はその提案に賛成する。勝間和代 またもう1つのコツとしては本をじっくり読まないことです。 あまりを欲張って1つの本でわかろうとせず1つの本から搾り取ろうとせずパッと読んでまずは自分の興味がある部分、分かりやすい部分を抽出して読んでしまいます。 本を読む前になぜこの本を読むのか、この本から何を得ようとするのかという課題を設定しましてしまうのです。 大体私たち人間は7桁の数字を覚えるのがせいぜいの脳しか持っていませんからじっくり読んだとしても意識できる範囲から抜けでてしまいます。 しかし無意識層には確実に残っていきますのであまり意識層で時間をかけて読むよりはざっと読んで無意識層に蓄えて必要に応じて引っ張り出せるようにすればいいのです。 経験上、熟読しても頭の片隅にも残っていないのが常。 だとしたら本はどんどん読んでアウトプットして残すべきだ。 最近は付箋にメモしたりもしている。 そもそも読んだことが頭に残るなどということは意識すべきではない。 読んだ本はこのようにブログにして残す。 そうすればどんどん本が読める。 尺取り虫的な本の読み方はするなと言いたい。
2018.06.06
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調べる・発表する伝え方教室 [ 大重史朗 ] 仕事では、相手と長く話をしていたいのだが、どうも詰まってしまうことがある。 そもそも1人でいるほうが楽な方なので、他人と話をする気にならないのだが、仕事では必要である。 それでどうすれば人と話をし続けることができるのかということを考えてみた。 大重史朗 皆さんに好意的に情報を提供してくれそうな人に会う時は「何を聞きたいのか」をあらかじめ考えて整理をしてから行かないと皆さんが「結局何を聞きに来たのだろう」と頭の中で整理がつかなくなるだけでなくせっかく話す機会を作ってくれた相手にだんだん不快な思いを抱かせることになりかえって失礼な結果になりかねません。 そうなってはいくら長い時間話を聞く時間があっても信頼関係は成り立たず聞く内容も残念な取材結果となってしまいます。 ということで、まずは、何を聞きたいのか、が必要なのだそうだ。 それから、会話術では相手が、ええっ、と言い返すような意外性のある話題をふることも重要だと言われている。 ただのんべんだらりんと話をし続けていても話は長続きしないというわけだ。 人嫌いな私でも仕事となれば人の話をよく聞き、なんとか会話を長引かせているが、それはかなりなストレスなのである。 本当は何も語らずじっとしていたいのだ。 ヘラヘラといつも話をし続けることができる人が実に羨ましい。 とは言え、何を聞きたいのか、ということに気をつけ、意外性のある話題をふれば、会話は続くであろう。 そのためには、常に話題をストックしておくことが重要だ。 あーあ、仕事なんかもうやめたい。
2018.06.04
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「読む・考える・書く」技術 知的生産力を鍛える! [ 午堂登紀雄 ] 読書とは、本を読むことではない。 読書は、読、と、書、に分けられる。 本を読んだあと文章を書くことで読書は成立する。 だから趣味欄に、読書、と、軽々しく書くべきでない。 こう言い放ったのはかつての私の上司だ。 だが果たしてそうだろうか。 確かに午堂登紀雄 書く力というのは経験や情報という目に見えない素材をベースに価値を見出す現代の錬金術とも言えます。 その書く力のもとになるのは情報(知識・経験)のインプットとそれらを練る、再構成する、表現するというアウトプットです。 本書ではこの二つの力を合わせて知的生産力と呼びます。 知的生産力を鍛えることは時代が変わっても環境が変わっても生きていける力を鍛えることでもあります。 と、インプットつまり読、と、アウトプットつまり書、によるものを知的生産とする論もある。 しかし、書つまり本、を、読む、から読書、つまり、読書とはインプットのみを表すのではないかと思い、私は長らく趣味を読書としてきた。 しかし、この論を読んで考えが変わった。 やはり、読書はインプットとアウトプットの2つの行為を全うして初めて成り立つものだと思う。 今私がまさにしているこのブログの更新こそ読書そのものだと認識するに至った。
2018.06.01
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50歳からの音読入門 [ 齋藤孝(教育学) ] 音読の本を読んでみようと思い立ったのは今日もそうだが、本の抜き書きを口述しているからだ。 つまり音声入力である。 さらに今日から私はいよいよフリーになった。 昨年再任用を命ぜられやっと一年の任期奉公が切れて今日から本当にフリーだ。 4月からはまた新しい仕事に就くことになるけれども今日はフリーだ。 それで今このブログを更新しているのだが、抜き書きをした後また音声入力でこの記事を書いている。斎藤孝 もちろん実際には同じ不幸・不運が繰り返されることはめったにありません。 それでもあえてもう1回同じ辛酸を舐めながら生きてやると覚悟していくのです。 そうすると自分の人生を必然と捉えることができるようになります。 本当は人生というのは偶然の連鎖なのですがその連鎖の中で生きた自分は必然であると思えるのです。 心静かに現実を受け入れる塞翁が馬と対比するとツァラトゥストラはもう一歩踏み込んで現実の中に飛び込んでいく感じがします。 両者に共通するのは今の自分を肯定することによって人生の全てを肯定している点でしょうか。 つまり音読の本を読んでいるのは音声入力を正確にするためにはどのような読み方がいいのだろうかと言う課題を 突き詰めるためだ。 実際この記事はタブレットに音声入力しているのだが Xperia の スマホに音声入力していた時よりもずっと感度がいいのか、さらに解析能力も高く、きちんと文章に起こしてくれる。。 つまり直しの回数が減ったのだ。 ところで 抜き書きの文であるけれどもこれは人生万事塞翁が馬のいち部分を著者は音読せよと言っているわけで、その内容についての記述である。 つまり人生は必然だ ということである。 まったくそうなんだろうなと思う。 それよりも私が気になったのは著者が言う人生は偶然の連鎖だというところで、私は全てが偶然の連鎖などということはありえないと思う。 今この歳になって過去から現在に至る道程を考えれば偶然よりは必然だ思えるのである。
2018.03.20
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脳を鍛える丹田音読法 サムライの強靱な精神力と日本語力の秘訣は丹田音読法 [ 松井和義 ] 日本語の特徴は助詞にあるという。 その助詞を強調して音読せよという。 ふむ、面白い考えだ。松井和義 てにをは音読とは助詞、助動詞や接続詞、末尾を曖昧にせず特別に強調して読む方法です。 私が、私は、私も、私の、私と、私に、私を、私や、私よ、私ね、といった具合に助詞の一文字一音の違いだけで意味が全く変わってくるように文章を読解する上であるいは話す上で日本語ほどてにをはが重要な働きをする言語は他に見当たりません。 音声入力の機会も増えている今記述のようにしてみたところ機械はきちんと音と意味を捉え適確に表現してくれた。 書くより早い音声入力。 これからもその機会は益々増えることだろう。 特に抜き書きですなあ。 音声入力はあっという間に文章ができあとはキーボードでチョチョイと手直しする。 そういう時代になってきたのだ。
2018.03.19
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スピーチライター 言葉で世界を変える仕事 (角川oneテーマ21) [ 蔭山洋介 ] スピーチライターという人がいるそうだ。 場合によってはこの世の中を転覆させるような人々だ。 まあね、権力者でさえスタッフに恵まれていなければ大変なことになるということだ。 特に谷口(智彦)の生み出す言葉は 世界中で報道されるほど大きなインパクトを与えました。 ニューヨークの証券取引所でのスピーチにおける「バイマイアベノミクス」、2020年の東京オリンピックを決めた IOC 総会の質疑における「汚染水は完全にブロックされている」、ハドソン研究所の講演では「私を右翼の軍国主義者と呼びたいならどうぞ」と安倍首相に発言させています。 決して良い印象だけではないかもしれませんが日本の歴代の首相の中でこれほどまでに世界が注目するようなメッセージを発信した首相はいなかったように思います。 それはともかく、今安倍首相は最悪の危機を迎えているわけで、こんな時もスピーチライターは暗躍するのだろうか。 過去何回か試練を乗り越え内閣支持率を回復させた彼も今回はちょっと無理なのではないか。 それにしても彼以外に誰がこの国の最高権力者になりうるのか。 結局誰もいないから彼を私達は認めているのではないか。 そんなことを考えると結局今回の騒ぎというのは一体何なのかとも思えてしまう。 結局自分の回りを引き締めることができなかったという歴代指折りの長期政権の総理大臣ということで終わってしまうんでではないか。 バイマイアベノミクスか。 結局私達はベターをチョイスしたに過ぎないのかもしれない。
2018.03.18
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【中古】 俳句の入口 作句の基本と楽しみ方 NHK俳壇の本/藤田湘子(著者) 【中古】afb 俳句というのは難しいもので、藤田湘子 春になると時々ふっと思い出す句があります。 「雪解けて山川ひびきそめにけり」というものです。 いい句ではない。 むしろ凡作でしょう。 10年も前の本作をなぜ記憶しているかと言うと、実はこの作者、真面目で熱心な人でしたが、ついに俳句が詩であることを理解できず句作を辞めてしまいました。 そんなことが苦い後味として残っているのかもしれません。 私はこの作者に季語をもっと離して使うと良いと言ったのですが、それが納得できぬようでした。というように真面目な人が離れていってしまったりするのだ。 前掲の作は作者がきっと血を吐きながらひねりにひねって作したものだろうに、禅の公案でもなかろうに、可哀想に叩きに叩かれ、やめてしまったという。 絵手紙の世界となんと違うことか。 「ヘタウマ」を認めぬ世界の悪い姿である。
2017.08.08
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【中古】 新選俳句歳時記 / 多田 道太郎 / 潮出版社 [単行本(ソフトカバー)]【メール便送料無料】【あす楽対応】 秋桜子くらいになると多田道太郎 「紫陽花や水辺の夕餉早きかな」水原秋桜子 「あじさい」「水辺」「夕餉」の取り合わせの妙にうっとり。 「や」「かな」の切れ字併用はいけないとの厳しい意見もあるが秋桜子人生最期の句。と「や」「かな」併用も可能。 俳句が言葉遊びになるか文学になるかはやはりセンスの問題なのだろうか。 俳句はとにかく量産することが重要なのだと思う。 次に校正につぐ校正、推敲につぐ推敲。 元の句が変わるほどに。 ヘタウマでいいなら「言葉遊び」の領域。 そんな感じかな。
2017.08.07
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【中古】入門講座=俳句と歩けば /朝日新聞出版/斎藤梅子 (単行本) 切れ字「かな」について斎藤梅子 そういう雅趣たっぷりの句を「かな」で結んだ揚句は私の大好きな句の一つです。 「かな」は感動、詠嘆の意を表す終助詞で上五と照応して風情を高めています。 ボタンの句にも「かな」が用いられていますが、品のある花には似つかわしい感じがします。 また「五月かな」の句には少々趣向は異なっていますが「かな」は動きません。 このように「かな」は名詞にあるいは連体形につく切れ字なのですか、上五から一気に詠み下して下五を「かな」でおさめる時、この切れ字は上五へ、そして中七へと響きあい情趣を深めます。という。切れ字「かな」の安定感とでも言うのだろうか。 私が習った俳句では、下七つまり最後に季語プラスという形でつくという。 技術的にはかなり難しさが伴う。【中古】入門講座=俳句と歩けば /朝日新聞出版/斎藤梅子 (単行本)
2017.08.06
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七十代の青春 [ 岩田正彦 ] 旧制高校は遠くなりにけりか。 高校時代、旧制高校に憧れた。 北杜夫の「ドクトルまんぼう青春記」を読み、旧制松本高校の寮のような生活をしてみたかった。 3年生の時、松本方面に旅をし、信州大学を見た。 憧れはついえ(なぜだったか今となっては思い出せない)、結局東京に行くことになった。 あれから40年ですなあ。 岩田正彦 第五高等学校(熊本大学)記念館。 武夫原頭に草萌えて花の香甘く夢に入り…。 第五高等学校の寮歌だが、今は知る人も少ないであろう。 第一は東京、第二は仙台、第三は京都、第四は金沢であるから、第五は西日本の優秀な若者を集めたのであろう。 総理大臣も池田勇人、佐藤栄作はともに母校の卒業生である。 教授陣で知られているところでは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)夏目漱石といったところか。 というように、旧制高校は、アカデミーとして日本を牽引したのだった。 もうそのことを覚えている人も少なくなり、歴史の中に消え行くものとなろう。
2017.06.22
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【中古】 1冊でわかる文学理論 1冊でわかる/ジョナサンカラー(著者),荒木映子(訳者),富山太佳夫(訳者) 【中古】afb 今更文学もなかろうが、かつて志したこともあり、一体どんな理論なのか気になって読んでみた。ジョナサン・カラー 叙事詩と悲劇とは古代とルネサンスを通じて文学の最高峰であり野心的な詩人が試みる最高度の技芸であった。 小説の発明は文学の場に新しい競争者をもたらしたが18世紀の後半から20世紀の半ばにかけて叙情詩という短い物語性を持たない詩が文学の本質とみなされるようになった。 初めのうちは高揚した表現の様式であるとか文化的な価値や態度の優雅な表現方法であるとか見られていた叙情詩も後には日常の生活と超越的価値の両方に関わって個人の内奥の感情に具体的な表現を与える力強い感情の表現とみられるようになった。 この考え方は今でも有力である。 内心の表現が文学の本質であると言うのか。 だとするとミステリーは文学にならないのか。 内心を文章で紡ぎあげるというのは難しい作業で、それを理解してもらうのは更に難解なのではなかろうか。
2017.02.22
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新・何がなんでも作家になりたい! [ 鈴木輝一郎 ] 高校の時、文芸部に在籍していた。 最後に小説を書き終えたのは、平成15年で、あれから14年筆を絶っている。鈴木輝一郎 そんなこんなで小説家の一ヶ月。 まず休日についてはありません。 小説家はいわばサービス業なので人が遊んでいる時に働くのが仕事です。 年末年始、お盆、土日・祝日はもちろん出版社は休み(雑誌は校了日と重なると休日出勤や徹夜もざらだけど校了明けは代休を取る)ですがつまりその間は打ち合わせの電話等がかかってこないので原稿書きにに専念できるってだけです。 定年退職で小説家を志すなどという気持ちはさらさらない。 そもそも読書はするが、小説は読まなくなった。 それどもまだ物書きには気がある。 先のことはわからないので、断定するのはよそう。 小説書くかもしれないから。
2017.02.21
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【中古】 小説の書き方 新潮選書/井上光晴【著】 【中古】afb 若いころ本気で物書きになろうと思ったことがある。 現職についてからはそのことをネタに書こうなどと思ったこともある。 しかしなんということかあろうことか、再任用などということが決まり、残り少ない人生の、寿命が3年も減ったと思われる事態に陥っている。井上光晴 駅長はそんなことはどうでもいい。 ただそんな電車が好きなら乗せてやれと考えます。 しかし世の中には意地悪がいるからね。 色々。 古手の駅員はそれをかねてからいまいましいと思っていた。 駅長の仕打ちをセンチメンタルだと考えている。 だから駅長が変わったので通せんぼするわけです。 前の駅長派の若い駅員さんははいんなさいって言うんだがそれを見ている古い駅員が婆さんをチェックするわけだ。 ばあさんはもちろん言い立てます。 前の駅長さんとそういう約束をしているといいます。 その時若い駅員がまた出てくる。 おばあさんに100円玉を渡してハイ切符買いなさいっていうんだ。 でも今回だけですよっていいます。 以上は、いい話だなあと思って抜書したもの。 人生の羅針盤を切り替えなければならない。
2017.02.20
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このミステリーがひどい! / 小谷野敦 【本】 筒井康隆の2つの作品を讃えている。小谷野敦 ところがこの時(腹立半分日記)を読んだらなるほどこういう人だったのかと理解し、次々と読んでいった。 そして(ロートレック荘事件)(新潮社1990年)に出会ったのである。 前年出たばかりの本である。 何という素晴らしいミステリーであろうか。 結末まで来てびっくりし前の方をつらつら読み返してこのトリックを成立させるためにどれほど細かな細工がしてあるかを知り、ほとほと感心したのである。 この2つを読まなければならないと思い、抜書した。 思えば学生時代はほとんどミステリーを読んでいた。 私の本棚の半分以上は多分ミステリーじゃないかと思う。 最近読んでいないのは、面白い作品を聞かないからだ。 さらにミステリーのルールを守っていないのも散見される。 探偵は犯人になってはいけない。 執事などの使用人も同様。 刑法や刑訴法を理解していない。 警察官が令状もなしに逮捕し、勝手に釈放したり、起訴までしますからなあ、ひどいのになると。 ミステリーは、勉強してから上梓してほしい。
2017.02.19
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「超」文章法 中公新書 / 野口悠紀雄 【新書】 野口悠紀雄 かなり読みづらい文章で往生した。 それでも次のことだけはわかった。 主述泣き別れシンドローム。 次の文を読んでいただきたい 。1 昨年 大変苦労して書いた本は、パソコンが普及し始めた頃には 異なるアプリケーションソフトが 共通のosで動くようになっていなかったため、データを交換することができず、非常に不便だったとのべている。 これはわかりにくい文だ。 一度読んだだけですっと頭に入ることはないだろう。「... 本は」 の次に「パソコンが ... 」と別の主語があらわれ、パソコンと本がどのように関連しているのかが分からない 。 「パソコン」以下もごたごたしている。 わかりにくくなる最大の理由は この分が複文であることだ 。 一般に文は主語、目的語、補語、述語などから構成される。 一つの主語と一つの主語に対応する述語及び目的語、 補語しかない文を「単文」という。 完結している複数の単文を順に並べていったものを 「重文」と言う。 これに対して複数の単文が 入れ子式になったものを複文と言う。と本人が書いているようなことを本人が書いているものだから訳がわからなくなっている。
2016.01.20
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】凡文を名文に変える技術 [ 植竹伸太郎 ] 植竹伸太郎 一般的に主語など重要な言葉はなるべく早い段階で出したほうがいい。 そうでないと読者はその言葉が出てくるまでなんの話をしているのかわからず戸惑ってしまう。 その間は息をつく箇所もない。 また、主部が長くなるといきおい述部が短くなり頭でっかちな文になってバランスが良くない。 つまりリズムが悪くなるのである。 著者はかなり作文に自信があるらしい。 著者にかかれば、文章はこてんぱんに添削される。 でも僕は文章は意思伝達の技術に過ぎないと思う。 だから気持ちが伝わればいい。 ところが今の若者はてにをはが全くなっていない。 だから気持ちが伝わってこないのだ。 そこは私も添削をする。 大体てにをはがおかしいなんて本当に日本人なんだろうか。 それはともかく、著者は、読点について 読点をどこに打つか 強いて考え方のポイントを上げるとその文を 構成している言葉のまとまり(文節や連文節)を 論理的に理解し必要なそのまとまりごとに打ち、 途中では打たないとういうことであると述べている。 要するに読点不要論ですな。 私もその意見に賛成です。
2015.04.26
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【送料無料】論文の書き方 [ 清水幾太郎 ] 最初にテーマだ。これが出発点だ。 文章を書くというのは問題に答えることだ。 だから、テーマは問題と置き換えてもいい。 主語について。 日本語は主語のない文章が平気で通用する世界であるので、責任を負わせるために主語を意識すべきである。 「が」は書き言葉では邪魔者である。 「が」は使わないこと。 論文は誰にでも読んでもらえる、誰にでも通用する、広いかつ強い説得力を持つべきものである。 文章は会話と違って社交という紐がついていないのだから相手の顔をうかがわずに主張することを主張したら良い。 文章を書くことは日本語を外国語として扱うことである。 日本語を客観化することもなく文法の意識もなく私たちは漫然と母国語にもたれかかっている。 書くというのは空間的併存状態にあるものを時間的継起状態に移し入れることである。
2013.03.20
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【送料無料】うまい!日本語を書く12の技術 [ 野内良三 ] 日本語って一体何だって言うんだろう。 著者の言うような日本語論が私は好きだ。 好きな日本語論がそちこちに散りばめられている。 どんな日本語論よりも納得できる。 まず日本語は動詞文、形容詞文、名詞文であり、述語があれば必ずしも主語は必要ない。 論理的な文章には主語が必要な場合がある。 その場合は、主語と述語をなるべくくっつける。 イライラ感をなくすため、主語と述語の部分を先に持ってくる。 このことはたとえば、「私は」なんて言葉で始まった場合、長々と言葉が続き、最後にポツンと述語が来るような文章の解決策になる。 その他この本には文章技術として取り入れるべき物がたくさん書かれており、今後私のバイブルになるだろう。
2012.12.29
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【送料無料】日本語練習帳 [ 大野晋 ] ハとガの違いについて。 ハは問題を設定して下にその答えが来るのを予約する。 ハは対比に使う。 日本語の「AはB」という基本文型では「Aは」で一度切れて文末のBと結びつくのだから、AとBの間は短いほうがいい。 ハは限度だ。 ハは再問題化する場合に使う。 次いでガは名詞と名詞をくっつける役割がある。 またガは現象文を作る。 ガの下に名詞が来ずに動詞が来てそのまま終結する文型を現象文という。 「のである」「のだ」を消せ。 「が、」を使うな。 など大変ためになる文章術の本だ。 ハとガをこんな風に考えたことはなかった。 ハの下にはサンドウィッチしないでズバリ結果をもってこいってことだな。
2012.11.21
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【送料無料】漢詩と人生価格:840円(税込、送料別)著者:石川忠久休日訪人不遇 韋応物九日駆馳一日閑尋君不遇又空還快来詩思清人骨門対寒流雪満山秋思 許渾・樹西風枕簟秋楚雲湘水憶同遊高歌一曲・明鏡昨日少年今白頭最初の・は王へんに其,次の・は手へんに俺のつくり。まあね。久しぶりに訪ねた友達はいない。でも雪山や冷たい川の流れを見て詩心が出た。青春の歌を高らかに歌ったはいいが,残念なことに鏡の前の我はじじいときたもんだ。私ばかりがそんなこと思っている訳じゃないってこと。ほっとしたようなそうでないような微妙な感覚。漢字には色がありますなあ。相もある。だから音読みできなくても意味がわかる。この二篇は日本語で詩うよりずっと漢詩の方がふさわしい。
2011.12.13
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【送料無料】ニッポンの書評価格:777円(税込、送料別)著者:豊崎由美 トヨザキ流書評。まず,カバーを外す。18ミリ×0.375ミリの付箋を見返し左上に貼る。気になったところに「」をつけ,或いはアンダーラインを引いて,その行の頭に付箋を貼る。ポイントは重要な部分,人物の特徴,年月日や年齢,引用,自分の心にしみたことだ。必要なら書き込みをする。書く段になったら付箋の部分をもう一度読む。そして必要な部分に白い紙をはさむ。これらの一連のことが頭の中の下書きである。本の読み方はさまざまだ。その後のアウトプットが重要だという人は多い。それが批評であれ,書評であれ,読んだ本をしっかり記録することは大切なことだと思う。その方法論に及んだものが少ないのでなかなかアウトプットできないということもある。ということでしばらくはトヨザキ流によることにしよう。
2011.12.13
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【送料無料】ニッポンの書評著者:豊崎由美書評と批評は違う。書評には速効性が必要であり,いかにその本に読者の目を向かせるかが重要となる。そのためにはもOK,引用もOKなのだ。それが書評と言うものなのだそうだ。私のようにフログに書評を載せている人は大勢いるだろう。書評といいうるかどうか,つまり書評か感想文かってことは読む人が読めばわかるんだそうだ。書評はその本の内容や雰囲気を読みたい人,読んでみたい人,何を読んだらいいかわからない人の身になって書くものなのである。しかし,字数は限られる。300字から1200字くらいでまとめなくちゃならない。そこに梗概やら引用を入れるんだからなかなか難しい物書きの分野ではある。
2011.10.17
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いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書) (新書) / 堀井憲一郎/著著者:堀井憲一郎まず結論から書くこと。体で書くこと。漢字を使わない。特に副詞。文章は書いているうちに刻々と変わるものだから最初から書きたいことを決めて書くものではない。書いているうちに考えが変わることもあるだろうし,ひらめきが入ることもあるだろう。だから決め書きはしない。最初から一人称は使わない。「が」を使いたくなったら「。」にすること。つまり一人称は使わず,「が」も使わない。そして,読む人の身になって書く。とにかく書くこと。それが肝要だ。あと,断定と言うか言い切りも大事だと言う。「思う」と言う述語は使わない。自分のブログでも迷って書けないこともある。しかし土俵に上がり続けることが重要なのだ。それにしてもツイッターだとなぜ軽々と文章が書けるんだろう。不思議だ。
2011.10.13
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【送料無料】老いの歌価格:735円(税込、送料別)著者:小高賢将来福祉ギター慰問を志している。だから単純に老人はどんな歌を好むのだろうか?と言う単純な発想から読んだ。ところがこの本は和歌,つまり57577の話だった。でも勉強になった。老いて歌を読む,なんて素敵なことか。これはいけまっせ。あーた。あの斎藤茂吉も愉快な歌,歌ってる。老人がどんな歌好むのかとういよりも年老いて歌を読む楽しみと言うものですな。これが1つの大きなポイントで,私自身の大きな趣味になるんじゃないかなと思えてきた。今絵手紙が休止中。変わって歌を読もうじゃないか。じゃあ,とこうなる。つまり葉書のような人に見せる楽しみですなあ,短歌ではそれを何に求めるかと言うことなのだ。いずれにしろ和歌を捻ってみようじゃないか。この本にあるように自由闊達にエロスの歌でも作ってみようじゃないか。ところで和歌は,「一人称の文学」なのだそうだ。私のことを詠むものなのだ。ブログやツイートもそうじゃないかな。そこでひたすら主語を省略する文章をひたすら書いて挑戦している。我とか私とか自分とかを書く必要がないのが歌でありブログでありツイートなんだと思う。とにかく一人称主語を省略してひたすら文を紡ごうじゃないか。
2011.09.27
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【送料無料】日本語作文術著者:野内良三日本語が難しいと思っているのは日本人だけなのかも。この本はだんだん難しくなっていくのだが、難しくなる前の部分はとてもためになる。たとえば文節は長い順にそろえろとか、日本語の訳してみろとか、こんな風にさまざまな面倒くさいことも結局どうでもいいというaboutさで、要するにとにかく文章を書きなさいということなんですなあ。今まさらながら日本語は奥が深いと思わざるを得ない。
2011.05.06
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【送料無料】文章力の基本著者:阿部紘久 文章をうまく書こうなんて気はさらさらないのだが,文章を書いていてずっと気になったことがあった。 それは読点をどこに打つかということ。公表されている公文書の書き方によれば,読点は主語の後にうつことになっている。だからそんな風に文章を書くと読点の嫌いな人がいて文章に直しが入る。その結果仕事が進まなくなる。 こんな経験があって読点について書かれた本を探していたのだ。 本書には次のことが書かれている。 読点は息継ぎ記号ではありません。一つの文の中で意味の固まり,言い換えると意味の切れ目を視覚的に示すものです。1 長い主語,長い述語,長い目的語の切れ目2 原因と結果,理由と結論の間3 前提と結論の間4 状況・場の説明とそこで起きていることの間5 時間や場面が変わるところ6 逆接にかわるところ7 2つのものを対比するとき8 隣同士の修飾語の間に予想外の関係が生じてほしくない場合9 よく使われる別の意味の表現と区別したいとき10ひらがなばかり,漢字ばかり,カタカナばかりが続く場合 読点が息継ぎ記号でないということがポイントであること,主語の後に必ずしも打つものではないこと,視覚的にわかりやすくするものであることなど本当にわかりやすく書かれていて,私はこれだと思いました。 極端に言うと余り頻繁に読点を打つなということでしょうか。
2011.02.19
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文章術の千本ノック著者:林 望 梗概)1 お金と文章は,けちなほどいい。2 書き出しには,「つかみ」が必要です。文章は,最初の一行で人というのは,その先を読むかどうか決めるんです。文章は,読者が読んでくれなかったら,存在価値がないわけだから書くには及ばないことになります。3 「即時強化の法則」~覚えたことは,すぐ使ってみる。4 文章の説得力ってものは,いかに客観的に書いたかということです。 〇 客観的な短い文章を書くこと。 〇 などと主張しているが,余計なことがそこここにくっつく文章を書く人だなと思った。 〇 最近ブログを再々再々再開しているが,かなり書きなれていたころの過去の自分の文章を読むと,これが自分のものかと思えるほど切れ味鋭いものもあった。文章は,とにかく書くことだ。それでうまくなる。また,自分の型ができる。
2009.10.30
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電脳文章作法著者:菅谷充 1995年初版の古い本なのだが、使える部分も多くあった。 なんといってもエクセルの使い方がとても気にいった。 エクセルは、今もナンバーワンのオフィスソフトではあるまいか。 そのエクセルを使い切った小説というのがいかにも現代風という感じがするが、それがなんと既に1995年つまり今から12年前の平成7年には書かれてあったという点は、驚愕である。 そのほか、インターネットを利用した現場設定。 これは、使えると思った。 それでは、エクセルから。 著者は、こんな風に書いている。 ~その設計図を作るのは、アウトライン・プロセッサーでなく、エクセルである。 シーンごとに数字を振って、ストーリーの概要を作り、必要があれば、並べ替えをして、プロットを構築していく手法をとる~のだそうな。 現に、私は、この記事の前からエクセルに入力して記事を書いている。これは、使える、それが私の感想である。 特に、エクセルは、時系列に強い。 時間をいい加減に書いていっても後で並べ替え可能である。 したがってとにかく書いていく。 それができるソフト、それがエクセルである。 次に、インターネットを利用した現場設定について。 ~ほんの2年ほど前なら、書籍には書かれていない情報をネットワークで収集し、それを資料として小説を書いても、読者には、気づかれずにすんだ。しかし、今は、ネットワークの利用者が、日本だけでも1千万人をこえている。インターネットの検索エンジンを駆使して見つけ出した情報を他の人たちも簡単に見つけ出せる時代なのだということも忘れてはならないだろう。~ 逆に言えば、インターネットで探した現場を小説の現場にできるということだ。 行ったことのない場所も現場にできるのである。 私は、蛇を題材にした殺人を考えている。まるで、シャーロックホームズのまだらの紐みたいなものなのだが。 それに不倫を絡ませて、ある程度熟成したのだが、なるほど、ネットで現場を探し出すことができるという視点を忘れていた。 最後に本書でもう1つ参考になったこと。 ~原稿執筆は、単語登録から始まる。~ これは、いいことばだ。これだけの話だろう。 でも、小説を書く場合、何回も出てくる登場人物などは、単語登録していれば、時間の短縮につながるというわけだ。 教訓。古い本も十分に参考になる。
2007.06.25
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「書ける人」になるブログ文章教室 著者: 山川健一 ブログ大流行の今、作家から見たブログ論或いは文章論である。 毎日更新しているブログ記事をどうか書籍化してほしいというテーマに、そのための文章論とか、自分の考えを述べている。 書籍化されたものには、「鬼嫁日記」「 東京ヤクルトスワローズ古田監督のブログ」がある。ブログではないが、2ちゃんねるから出たものに「電車男」を挙げている。 が、多くのブロガーは、書籍化を望んでいないのが現状だと著者は嘆くわけだ。 確かに、読んでいて素晴らしい内容のブログは多いと思う。だが、著者の言うように書籍化して売れるかどうかは、未知数だ。むしろ、書籍化に二の足を踏んでいる多くのブロガーの方が賢い気がする。 書籍化するにあたり、それなりの文章を書かなければならないが、そのための文章論は、たいしたことない。本当に作家なの?と思ってしまう。 なぜなら、この種の文章論は、多くの人が書いていることであり、今更、「ですます調」と「だ調」を最後まで変えずにかけとか、その他、ぐたぐた書いていたけれど、常識であり、そうしたら、「書きたいように書け」の一言で良かったような気がするのだ。 さて、ブログに何を書くかだが、我が国のブログは、気ままな日記が主流である。しかし、米国は、そもそも9,11事件の顛末を多くの人がブログに書きつづったところが原点なのだそうだ。だから、米国ブログは、報道的なのだという。 が、日本は日本でいいじゃないか。 ということで、それじゃあどうしますかという話。 毎日更新するなら、コラム的にエッセイ的に小説的に各方法があるという。 そもそも日本には、徒然草、方丈記、枕草子と伝統的なこの種の書き物の文化がある。それが、今、ブログに転化したとも考えられるわけだ。 とにかく、ブログは、自己を余すところなく正直に書くスタンスを忘れないことが重要だと考える。
2007.04.26
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