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知識ゼロからの日本絵画入門 / 安河内眞美 【本】 著者と言えばなんでも鑑定団で有名な方だが,日本絵画の入門書も書いているのだ。 私は常日頃日本絵画の特徴は線にあると思っています。 この本にでてくるすべての作品が筆を用い1本の線を最小単位にして描かれています。 版画も原画は筆で描いていますし尾形光琳がいくら型紙を使っていると言ってももとは型紙も筆で描いた1本の線からできています。 などというところは著者の絵画に対する鋭い言い切りである。 そうか,日本絵画というのは,線が命,なんだなといまさら教えられたのである。 だからといって線にこだわれば絵が描けなくなるではないか。 何しろ今の私は輪郭のない絵を描いているのだ。 いきなり水彩絵の具とでもいうのかなあ。 そして山水画。 山水画は風景画ではありません。 現実と虚構が入り交じる心象風景です。 山や岩,水や樹は中国の絵画のモチーフに由来しておりお奥の場合現実感が希薄です。 この文章はいいねえ。 しびれる。 正にそのとおりではありませんか。 写実ではなく,山,岩,水,樹,という要素を散りばめるのが山水画なのである。 それに色をつけたら面白いのではないかと思い,私は色付き山水画を始めた。 発展途上であるが,絵画はとんでもなく面白いものだなあた思っている今日この頃である。
2018.11.30
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【中古】 小池邦夫の愛の絵手紙 /小池邦夫(著者) 【中古】afb 私も趣味に絵手紙がある。 絵手紙業界では著者は高名な方。 その著者が絵手紙を始めるきっかけとなったのが 60過ぎて入院したりした。 さて本当は何をやりたかったかを真剣に考えるようになった。 残された時間はそう長くはないだろう。 私にとって愛するとは相手のすべてを知り理解すること。 そして相手には私のすべてを知って理解してもらうこと。 一番身近な存在の妻の強固に私の今を伝えておこう。 一日一信を出そうと考えるようになった。なのだそうだ。 奥様はなんと幸せな方であることか。 いや私も妻を愛することでは人語に落ちない。 けれども流石に一日一信はできそうにもない。 そのかわり一日一曲はやっている。 ギター弾き語りだ。 ただ11月14日キンピラゴボウを作っている最中左手薬指の先をそいでしまい以来満足にギター演奏ができない状態だ。 11月24日に医師から完治を言い渡されたが,ギターの弦はまだきつい。 ギター弾きにとって左手薬指がこれほど大事なものだったとは今更ながらの大発見である。 さて,絵手紙はよく「ヘタウマ」でよろしいと言われる。 そのことについて著者は次のように言う。 「下手」は技術的での単なる上手と下手であり「ヘタ」は上手を越えた下手であると考えている。 (略) 上手を越える魅力がにじみ出ているのだ。 なのだそうだ。 だから絵手紙は楽しいのである。 心をこめて描いた絵手紙が相手に伝わったことを想像すると自分もほのぼのしてしまうのである。
2018.11.29
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浮世絵の女たち / 鈴木由紀子 【本】 まあそれにしても年賀の挨拶で 弟の京山とともに年賀の挨拶に馬琴のもとを訪れた京伝はたまたまこの本に話が及び遊女を見下したような馬琴を問いただしたといいます。 儒教倫理にこだわる馬琴はたとえどんな事情があるにせよ遊女そのものを卑しむべき職と思っています。というような話があったと言うが,つまりそのような論争を正月からするということは真面目だということであり,しっかりしたポリシーのもと仕事がなされていたということにほかならない。 次,北斎の娘の話。 離縁されたのは絵のうまかった応為が夫の描いた絵の拙さを指さして笑ったということや家事が苦手であり仕事もほとんどしなかったなどが原因とされる。 というのが北斎の娘応為だったということ。 結局天才というのはだらしないのね,ということになるのだろうか。 素晴らしい作品の影に何も特別なものがあるのではなくてむしろ普通あるいはそれよりも悲惨な私生活があるというのが天才伝を読んでの私の感想である。 人間というのはまこと生死の間あっち転びこっち転びしているものなんだなあとつくづく思う。 そして後世に何かが残るということなのである。
2018.11.28
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【店内全品5倍】江戸絵画の非常識 近代絵画の定説をくつがえす/安村敏信【3000円以上送料無料】 ありえないことが絵画では可能になると言ったら言い過ぎか。 世の中に対しても絵画界に対しても失礼な言い方か。 それでも実際 雷神の不可解な左腕の描き方(人体では不可能というよりありえな)も風神との対比の構造上の都合で勝手に変えてしまう大胆さも老練の業と考えるよりも壮年期の意欲的な試みと見た方がより自然に納得できる。という事例が認められるのである。 このことはすごいことではなかろうか。 雷神の不可解な左腕。 それは風神との対比上のもの。 そんなことが書ける評論家もすごい。 それ以上に変えてしまった作家もすごい。 男尊女卑の世界観にあって 忠岡三千子(伊達吉村夫人像) 伊達家21代吉村夫人を描いた肖像画。 白の着物に緋袴をはいた坐像で髪は俗髪のままである。 伊達家の公の依頼を女性画家が受けていることに驚かされる。というように飛び出た才能まで男尊女卑のものさしでカットすることはなかったようだ。 今問題の医学部入試なんて一体何なのだろうと思ってしまう。 それにしてもこの時代に飛び抜けた才能を持った女性は逆に大変だったろうなと思わざるを得ない。 いずれにしろ常識では考えられない大胆さが絵画界にはあるということだ。
2018.11.27
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徹底図解 浮世絵 江戸庶民が愛したメディアアートの歴史・名品・技法 / 田辺昌子 【本】 浮世絵はたくさんのスタッフがいたろうなと薄々私は思っていたが,そのとおり, 浮世絵版画は出版社の役割をする版元,版下絵を書く絵師,板木を刻する彫師,それに絵の具をつけて摺る摺り師という4者の共同作業によって完成される。 絵師ばかりが注目されがちであるが版元の企画力 彫師や摺り師の技術が作品の売れ行きを左右するのである 。と,絵師のほか,版元,彫師,摺り師が関わっている。 でも作品は絵師の名前しか残らない。 そもそも浮世絵が版画であると考えたら,摺り師こそ作者とも考えられなくはないが,そもそもの下絵がなければできないので,やはり,描いた人の作品というべきか。 さてこの浮世絵が盛んになった江戸は, 握り寿司やそば,天ぷら,うなぎの蒲焼もルーツは江戸時代である。 江戸は魚介類の豊かな江戸湾に面し水路や陸路の流通の発達によって季節ごとに新鮮な食材が手に入った。のである。 江戸湾が豊かな海になったのは江戸の人口が増えたせいもあると言う。 江戸湾に流された当時の生活排水が魚介類の格好の餌になったのである。 そして今日に代表されるおいしい食べ物が開発されたということだ。 この江戸の発達に私達日本人は今も乗って生き続けている。
2018.11.26
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線で読み解く日本の名画 [ 安村敏信 ] 線だけの描写を編み出したのは唐の こうした躍動感あふれる描写を線だけで可能にしたのは中国盛唐の呉道玄という画家が編み出した技法が伝わったものと考えられる。 (略) 呉帯当風 なのだそうだ。 線だけの絵というものも世の中にあるということ。 それに色彩をつけたものが一般的なのだが,私は最近線を描かずにいきなり水彩絵の具から描く技法を使っている。 線を描く時は2B,4B,6B,8Bの鉛筆を使い,8Bで輪郭を表していた。 最近は上記のとおりいきなり水彩絵の具の技法である。 さて優れた僧もいたようで 明兆は淡路島に生まれ淡路島の安国寺で修行し師の大道一以に従って東福寺に移ると生涯東福寺の殿司役として過ごした。 殿司とは堂塔の保全管理や堂内装飾祭事の絵画制作などに携わる役であるが決して高い地位ではない。と殿司役として素晴らしい絵画を明兆は製作したという。
2018.11.25
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【新品】【本】ヘンな日本美術史 山口晃/著 世の中には本当にたくさんの研究対象があって, 大雑把にまとめますと甲巻では動物の擬人化で人を描き,乙巻は動物をそのまま描きながら空想の世界へ突入,丙巻はそのままの人間と擬人化された動物を一挙に描き,丁巻では人間をそのまま人間として描いています。などという文章を読めば,ふーむこれは鳥獣戯画図だな,なんてわかり,しかも,甲乙丙丁の各巻がそれぞれに意味をなしているなどということが知識として入ったりする。 この文章を読まなければ鳥獣戯画図の特徴に気づかずにいることになる。 美術の時間なんて結構あったと思うけどこんなふうなことの説明は聞いたことがなかった。 近頃一遍上人に興味がわき,よく本を読んでいる。 ほとんど著作物が残っていないので一遍聖絵が話の素になるのだが, 「一遍聖絵」は文字どおり時宗の開祖である一遍の生涯を描いた12巻からなる絵巻です。 一遍の弟子である聖戒が詞書を円伊という僧が絵を描いて1299年に完成したとされています。などという誰が描いたかなどということについては知らなかったことだ。 美術のこういう切り口からの入り方は場合によっては歴史的であり宗教的だということだということ。 すなわち学問はつながっているということである。
2018.11.24
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平山郁夫 「玄奘三蔵祈りの旅」 ちょっと美術の世界に向かう。 題名を見ればカテゴリーは仏教?かと思うだろうが,これは平山郁夫画伯の話なのである。 したがって美術上の上質な話がたくさん出てくる。 たとえば, その自分だけのものを3ヶ月滞在したイヒララの村で見出した。 見つけたのは色であった。 オリエントの色と言うべき色彩に出会ったのである。 その色は濃厚であった。 尋常を濃くした紺である。 そう,紺色を著者は見つけた。 この感覚,それは絵描きさんにしかわからないものだろう。 でも,このような独特な表現を私たちは待っていたのだ。 著者にしかわからない独特な世界。 それが文章になると上記のようになるのだ。 法隆寺金堂壁画は宗教美術であり高松塚壁画は世俗の風俗画であることが第1の違いである。 などということはこういう世界の門外漢の私には意外な事実だった。 上記のようなアプローチは私の場合歴史的視点からしか興味を持たない。 そればかりか時事的なものとしてニュースとしてあるいは新聞記事になった時以外興味を示すことはなかった。 まして宗教画か世俗画かなどという区分など考えたことはなかった。 高松塚の壁画が発見後の保存方法が極めて劣悪だったせいで今にも消えてしまいそうだなどという話は聞いた。 しかしその美術的価値などという観点から見るということはなかった。 そういう意味でも画伯から見た世界は斬新である。
2018.11.23
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【中古】 美術でたどる世界の歴史 図解雑学 絵と文章でわかりやすい! / 蜷川 順子 / ナツメ社 [単行本]【ネコポス発送】 世尊は後に自分の像や絵を作るなと言われたが、結局多くの美術品が作られた。 仏塔を軸とした仏教美術の最初の展開は前3世紀の、マウリア朝アショーカ王、の治世に始まる。 王はダルマに基づく統治理念を記した石柱や、磨崖牌、を製作し分骨したシャリを収める84,000の仏塔を各地に建立した。 その美術品を、偶像崇拝、として馬鹿にし、破壊する輩もいる。 政争に巻き込まれて故郷フィレンツェを追われたダンテが、神曲地獄編、を完成させたのは1308年である。 ペストが流行した1348年以前に描かれたものだが、そのときにピサにいたボッカチョがデカメロンをものにしたのはこの壁画から着想を得た可能性もある。 こちらはキリスト教の話だが、崇高な宗教は芸術心を揺さぶるということだろうか。 仏教の数々の美術もさることながら、キリスト教関係の美術はいまなお人々の心に深く浸透してやまない。 まるでそこに今もイエス・キリストが存在しているかのようだ。 そのような錯覚を与え続けている。
2018.10.05
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快読・現代の美術 絵画から都市へ [ 神原正明 ] 小学3年生の頃まで私は絵を描くことが好きだったと思う。 その気持ちは奇しくも父と担任の言葉によって大きく変わってしまったと今思う。 多分先は担任の方だった。 なぜなら夏の話だったから。 その次は父の言葉。 冬。 まずは夏の話から。 夏休みの宿題の絵。 家族旅行を描いた。 茶色のコロナ。 田園を走る。 私は稲穂を一本一本描いた。 担任は、稲穂なんて一本一本描く必要はないんだ、緑に、ダーッと描けばいい、と教えてくれた。 そこで私は少しいい加減になった。 それから田んぼを緑に描くようになった。 冬。 雪を真っ白に描いた。 父は、雪は白ではない、青だ、と言った。 それから55年、未だにこのことについては悩んでいる。 どう見ても雪は白だ。 確かに、雪は、青に見えたり、赤に見えたり、黄に見えたり、そして、多くの場合、灰色に見えるのだが、私にとっては白だ。 それでいいじゃないか。 人間の目というのはそう言われるとそう見えるようにできている。真っ白だと言われるとそうかなと思われる。 金色だと言われても、ああそうか、と思う。 銀色だとさえ言われてもそう見えることもあるかなと思ってしまう。 (略) 緑色で太陽を描いても構わないということになる。 そりゃあ、その人の感性だから、緑色で太陽を描いても構わないだろうが、緑色の太陽を私は認めない。 ありえないと私は思う。 人の言葉というのは殊程左様に人に影響を与えるもの。 今思えば担任と父の言葉に左右され絵を描くことが私は嫌いになってしまったのかもしれない。 さて閑話休題。 19世紀が終わろうとするころ時代は2つの新しい機械を残した。 1つは飛行機、もう1つは映画だという。 飛行機と映画はともに見るための道具である。 自分の目で見、確かめるために人は飛行機に乗り込んだ。 目で確かめたものを映画に残し大衆に伝えた。 今21世紀、2世紀前に偉大な発明がなされていたんだ。 21世紀の私は映画が大好きなのだが、飛行機は怖くてあまり乗りたいと思わない。 それはともかく、絵が好きなのは今も変わりない。 美術館に足繁く通い、沖津信也、という画伯の絵を数点所持し、絵手紙を趣味とし、最愛の孫息子は絵が大好きでいつも一緒に絵を描いている。 でも私は小学3年生の時の父や担任のように孫息子に余計なことは言わない。 真っ白な雪があってもいいし、一本一本丁寧に描いた稲穂があってもいい。 私はいつも孫息子を褒め称える。 彼は本当に絵がうまいのだから。
2018.10.04
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日本美術事件簿 [ 瀬木慎一 ] それにしても学問と言うか専攻と言うか研究対象と言うかそういうものは世の中にいっぱいあるもんだなと思う。 美術に限らず人の主観を持って賞するというものは難しいもので、 彼らがどのように見たかは全く知られていないが、新派の画家たちが揃って青木を推したとは思えない。 賛成しないものが多かったからこそあのような最低の賞に終わったに違いない。というような、大画家青木繁の賞、に関する研究もあるのだ。 赤瀬川原平は63年2月に新宿第一画廊で開催する個展、あいまいな海について、の案内状として、千円札、を単色で片面に剃って発送した。 これは実物のコピーを作品とするポップアートの常套手段であり、どうということもなく受け取られて特別な反響もなく終わった。 などということが犯罪だということで警察から取り締まられたことなども本書では紹介されている。 まこと研究対象は際限なくどこにも転がっているものだなと感心せざるを得ない。 それをどう体系立てて最終的には本化するかということなのだろう。 その先には売れる売れない認められる認められない等の評価が入る。 ここにも人の主観が入る。 難しいものだ。
2018.10.03
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【中古】 天国と地獄 キリスト教からよむ世界の終焉 / 神原 正明 / 講談社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】 山形市立図書館で美術に分類されていた本書は、キリスト教を絵画からひもといたものである。 有名なノアの大洪水について この2つの普遍的な大洪水とある地方に限られた個々の洪水とは明確に区別された。 16世紀には現代とは比べものにならないほど洪水は頻繁に起こっていた。 土地の低いネーデルランド地方では言うまでもないが、イタリアでもテヴェレ川は1880年にいたるまでしばしば氾濫を起こしていた。と西洋の人々にとって身近な恐怖であったことを主張している。 このことなどは今に置き換えられてもおかしくないほど21世紀の我が国にあてはまることだ。 そのキリスト教は最初から西洋人の心の支えであったわけではない。 具体的な人物像としてアンチキリストの典型とみなされたのがヘロデ王である。 彼は早い時期からキリストの最初の敵としてデヴィルと結びつけて考えられた。 ヒエロニムス・ポスはプラド美術館にある三王礼拝の中で生まれたばかりのキリストを見つめる第一の王としてヘロデ王ともアンチキリストとも取れる人物を登場させている。 と明らかなアンチキリストが存在していて、その代表がヘロデ王だというのだ。 こんなことは私たちブッディストにとってどうでもいいことなのだが、世界の趨勢を宗教的側面から考えるときには覚えておいていい知識なのかもしれない。
2018.10.02
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絵を描く基本鉛筆&(と)水彩 モノの見方が身につく20のドリル[本/雑誌] / 醍醐芳晴/著 絵も難しい。 しかし楽しい。 次の記事を読めば、更に楽しめそうだ。醍醐芳晴 最初に補助線を引きます。 この補助線は画用紙の横の辺と平行の線です。 補助線を引くと傾きが正確に描けます。 次に描いたのは補助線と接する斜めの線。 傾きを見ています。 3番目に描くのは立ち上がり、厚みです。 あたりの線で直方体の目安を付けていきます。 すなわち、作画には最初様々な補助線が必要だということ。 記事は、風景、特に建物などの傾きを表現する場合の描き方だ。 このことは静物を描く場合にも適用できる。 何を描くかは、その時々だが、季節が来ればほぼほぼ花を描くことになろうが、まず風景を描くのも楽しそうだ。 まずは京都に行って写真をたくさん撮ってこよう。 今年は、再任用も終わり非常勤嘱託の予定だから、時間的に余裕もできる。 その挨拶の絵手紙を描いてみよう。
2018.02.22
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【中古】えんぴつ1本ではじめる スケッチ手習い帖 [単行本(ソフトカバー)] [May 26, 2007] 兎本 幸子 ほぼほぼ絵手紙は花の絵だが、このごろ風景にもチャレンジしようと思っている。 去年の9月、妻と京都旅行をしてきたが、その時の写真をもとに、産寧坂と八坂の塔を描いた。 風景は、兎本幸子 1 地面と壁を描く たとえ建物や道全体まで描かない時でも地面や壁から描くことで物が置かれている状況を把握することができます。2 大まかな形を描く。どういうものが集まってその一角を作っているかを考えながら大まかな形を描きます。同じ場所に置かれているようにパースに気を付けます。だそうだ。 その前に地平線を描くのが一般的だとほとんどの本に書かれてある。 本当は現場で描くのが一番いいのだろうが、そんな余裕がないのがアマチュアである私だ。 したがって今後は写真をもとに描くのが多くなると思う。 そうすると、写真の撮り方も考えなければならない。 ほしい風景があったらすかさずシャッターを押すこと。 なんかそういうことを考えるとこれまた一つの楽しみが増えたような気がする。 3月、また京都に行く予定だ。 しっかり写真を撮ってこよう。
2018.02.21
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】新・水墨画入門新装改訂版 [ 王子江 ]王子江 絵手紙を趣味にするとまた次の高みを求めたくなり、今の私は、水彩画と水墨画の二刀流である。 ただ、出す人がいないのでたまる一方だ。 おかげで年賀状の悩みがなくなった。 石の描き方 画伝に石は三面を分かつ。 石は天地の骨であり、気もその中に宿っている。 石を描く秘訣は「活」(生きている)の一語に尽きるとあります。 勾 形・輪郭を表現する 皴 質感を表現する 擦 厚みを表現する 染 深さを表現する 点 石をより石らしく表現する 水墨画のファクターは、岩と水と樹木である。 そのうちの岩の描き方が上記のとおりである。 皴は、ギザギザ、擦はにじませることと考えればいいと思う。
2016.06.19
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】モナ・リザは高脂血症だった [ 篠田達明 ]篠田達明 モナ・リザの話だけではない。 絵画から読み解く疾病の話である。 乳癌の症状とか。 バテシバのため息さえ伝わってくるような官能的な姿態が大胆に描写されており、困惑して心を痛める彼女の抑制された動きが独特の黒い影と暖かい光の輝きの対比の中で浮かび上がる。 現在は ルーヴル美術館に収蔵されている。 ところでこの光は浴びたバテシバの左乳房に注目していただきたい。 乳房の外側に明瞭な陥没が認められよう。 これは既にりっぱな乳癌の症状をあらわしている。 そもそも昔は、写真なんてなかったわけで、とすると写実的な絵画が、様々なことをこの時代に伝えている。 その中に病歴が読めるというのがあるのが面白い。 写真のない時代の写実は、実に正確なものであったのだ。 驚愕である。
2016.06.17
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】やさしい水彩の時間 [ あべまりえ ]あべまりえ 水彩画を始めたと言ってもまだ1回きりで、2枚の絵手紙しかできていない。 樹木は、水墨画でも重要なファクターであるが、水彩画でも重要なのだと思う。樹木を描く 冬の窓からみる木々は葉っぱがありません。 だからその枝ぶりがよく分かります。 太い幹のゴツゴツした表面や先に伸びるほど繊細になる枝枝。 空と同じく木々もゆっくり観察し、透明水彩絵の具を使って描いてみましょう。 鉛筆でラフに下絵を描きます。 ここでは枝分かれを大まかに捉えてください 。 パレットに色を準備します。 色を置きます。 このとき太い幹は影にしたい方だけ色を置いてください 。 水でつなげます。 いっぺんに仕上げることは出来ませんので(途中で乾いてしまいます)色を置く、水でつなげるを何度も繰り返してください 。 幹の影の色を光の当たる方向に水を含んだ筆でぼかします。 部分的にグリーンをさすのも良いでしょう 。 Gペンに色を入れ さらに枝の先の繊細な表現もしてください。 仕上げに大地をえがいたり葉を少し描きたせば完成です。 この、色を置く、水でつなげるという技術が大切だ。 ことばでは簡単だが、実際はどんな感覚なのだろうか。
2016.05.05
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透明水彩で描く風景スケッチのすべて [ 西丸式人 ]価格:1620円(税込、送料無料) 西丸式人 透明水彩絵の具の色の混ぜ方について今まで学んだことがなかった。 色の混ぜ方 2つの方法がある パレット上の混色と濡れた画面上で混色する方法があります。 画面上ではお互の色味を残しながら混ざり合います。1 濡れた画面で混ぜる 草むらと岩は画面上で混ぜています。 混ざり合いながらもそれぞれの色味が残ります。2 パレット上で混ぜる 最初の色をパレット混色スペースに移します。 混ぜる色は筆を洗って溶きます。 洗わないで溶くこともあります。 混色スペースで2色を混ぜ合わせます。 早速やってみたい方法だ。 ところで私は、そもそも絵の具を3原色しか準備していないのだ。 赤、青、黄。 だから、この2つの混ぜ方で、どんな風合いが出るか、まことに楽しみなのである。
2016.05.04
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【中古】 絵手紙 風景スケッチ入門 /川西寿一(著者) 【中古】afb川西寿一 町長の前職のある方が絵手紙を生業として、素晴らしい作品を残している。 私は4期16年、町長の激務を無事務め終えることができました。 相田みつをさんの「何もいらない 生きている それだけで嬉しい」は九死に一生をえた私の片時も忘れてはならない言葉です。 何もいらない 生きている それだけで嬉しい、それは、著者の心にグサッと刺さった。 人にはそういう何かがあるわけで、それが動機で話が進むのである。 私の絵手紙歴は、2段階に分けられる。 まず、10年前の出会い。 それは地元の短大生が夏休み、小学生と触れ合うイベントがあって、その時絵手紙に出会った。 その2年後、この時習った絵手紙の道具を見つけて買った。 青墨をつけた筆を立てて葉書いっぱいに描きたいものを描くところからはじめ、顔彩で塗色するものだった。 一生懸命描いていたら、作品がたまったものの、今度は出す人がいない。 それからしばらく休んだ。 2段階目。 初孫の誕生に始まる。 3歳になった頃から絵に興味を持ち始めた。 そして私に一緒に絵を描こうという。 こうして私の本格的な絵手紙生活が始まった。
2016.05.03
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よくわかる水彩学校 [ ジェラルド・ウッズ ]価格:2592円(税込、送料無料)ジェラルド・ウッズ ウエット・イン・ウエット技法というのがあるそうで、 ウェット・イン・ウェット技法 ドラクロワにこんなことばがあります。 「絵というものは少しは仕損じがなければ完成しない」 ウエット・イン・ウエット技法は先が読めず意のままにならない技法のひとつです。 でも皆さんが冒険に喜びを感じるタイプなら乾いていない絵の具が互いに溶け込んで生まれる思いもよらない効果にたまらない魅力を感じることでしょう。 ウェット・イン・ウェット技法で塗るにはまず画用紙を湿らせます。 画用紙全体をスポンジでぬらしてもかまいませんし、絵の背景や空など部分的に湿らせてもかまいません。 画用紙が生乾きの状態で表面に好きな回数だけ絵の具を塗ります。 絵の具が広がりながらすぐに吸収されたり固まったり濃淡のある細い流れを形作ったりします。 絵の具は画板を立てて流れやすくすれば勝手に混ざり合います。 絵の具の塊をティッシュや脱脂綿で丹念に拭き取るようにすれば絵具の流れをある程度コントロールできます。 最初に塗った絵の具がすっかり乾いてしまう前に絵の具を追加することもできます。 流して拭き取るということでしょうか。 この連休も孫が来て一緒に絵を描きました。 今回は水墨画でしたな。 一気に5枚です。 我が心の庭園です。 いつか水彩画もこんな風に描ければいいと思います。
2016.05.02
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