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毒笑小説 (集英社文庫) [ 東野圭吾 ] 昔々たとえば遠藤周作とかあるいは北杜夫と言ったところが書いていたユーモア小説というものを、当時学生でありそれらの読み手であった東野が8つの短編にしたためた。 だが、無理が見え隠れしていて、今風には納得できない、つまり、笑えないものばかりだった。 つまりミステリーとユーモアの融合はそれだけ難しいということだ。 翻って本編に所収された短編を読むと、端々に東野臭さがプンプンしているわけだ。 だから笑えないユーモアミステリーではあるけれど、東野ファンからすれば、これもまた東野の一端を垣間見る事が出来る良性の資料になると評価できる。 つぐない、の分離脳患者の話は、最終盤に家族の絆も見え隠れし、泣ける話になっている。 脳科学という点では、東野はかなりな知識を持っており、それを数々の作品につなげている。 そういう東野の世界がこの、つぐない、には色濃く出ていたと思う。 東野の弱さをあえて言わせてもらえば、警察組織に関する知識の脆弱さだろう。 誘拐事件の被害者宅に、本部長、刑事部長、捜査一課長が出張る場面などありえんよ。 それをユーモアというのなら、ユーモアというものの定義を変えなければなるまい。 作家身代わりを題材にした、女流作家は、読めば読むほど、ミステリーリーダーには全部みろっとめろっとお見通し状態だった。 だがこれはやはりミステリートリックの重要なひとつであり、読み手は注意深く読んでそのなぞの真相に詰め寄らなければならない。 それがミステリーを読む者の作家に対する礼儀というものだ。 東野は本作以降数々の名作をものしていく。 その基礎になった一つが本作に散りばめられていると考えて差し支えないだろう。(8/18記)
2023.10.30
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おれは非情勤 (集英社文庫) [ 東野圭吾 ] なんか物足りないなと思って読了し奥書を見たら、なんと対象が小学生でしたな。 かの学研の〇年の学習に連載されていたものだった。 解説者が7色の変化球をもつ超一流のピッチャーと東野のことを評していたが、それもあたりと言えば当たりかもしれない。 ただ東野に関しては決して変化球に逃げる作家ではないので、その評は私としては納得できない。 さて東野に関しては実に久しぶりの読了。 まあなんといっても電子書籍大反対の大家ですからな。 紙の本を買うよりほかないのです、ミステリーリーダーも。 私は講談社文庫と文春文庫の東野モノはほとんどそろえたのだがその他はまだだ。 そのうち今度は集英社文庫に取り掛かったというわけだ。 正直言って本作は今テレビでやっているクイズ番組みたいなもので、ダイイングメッセージと言えば、六×三、脅迫文には先生ムトタトアケルナ、の表記、ウラコンというわけのわからぬ言葉などを次から次へと出してくるのだが、東野ファンとしてはどうも物足りない、というそういう作りの本でしたな。 対象が小学生では東野としてはこれが精いっぱいというところだったのだろう。 ダイイングメッセージが血で六×三と書いてあったのをご丁寧に殺害現場である体育館の表示板に6×3なんて置きなおす奴なんているのかね。 そもそも現場を変更してはいいけないよ、小学生でも。 学校の二階の窓からバンジージャンプをする先生なんてどこの世界にいるんでしょうねえ。 いずれにしろ給食の先生市原隼人を彷彿させるキャラの非情勤先生は非常に好ましい先生でしたな。 無理にミステリー仕立てにしないで深く静かに学園ものにしてしまった方がよろしかったんではなかったか。(8/16記)
2023.10.27
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白夜行 (集英社文庫) [ 東野圭吾 ] ついに読了しましたぞ, 850ページ超えの大作。 超大作というべきか。 すでに映画(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 230510)を先に観ていた。 映画を観た時点では, 多分映画と原作はかけ離れているんだろうなと予想はしていたけれども, 本作を読み始めてあの船越英一郎の刑事役,退職しても追い求める姿とか, ヒロイン堀北真希が全く浮かんで来なかったほど,原作と映画はかけ離れていた( 思った通り)。 本作は巨人のV9のあった,つまり昭和48年からの大河小説となる。 本作の初出は2002年であるから1973年をして巨人のV9だったのだからほぼ30年にのぼる。 作中では20年だったかのほぼ現代大河ドラマだったということになろう。 ただしミステリー リーダーからすれば結局, それは 東野のテでもあるのだけれども, いわゆる触法事案でそのことについては全部みろっとめろっとお見とおし状態, だんだん読み進んでいくうちにその確証は強まっていった。 この精緻な話を映画化するのはやはり苦難の技だったろうなと思う。 なぜこんなに難しい話を映画にしようと思うのかわからない。 けれども読んで感じたことを映画化したということになるのであれば, 映画人もかなりしたたかだ。 本作はだんだんだんだんつまりボレロのように我々 ミステリーリーダーが作り上げる 幹に沿って思った通りに 出来上がって行くのである。 素晴らしいハサミを利用しての切り絵,これはこれ以上書くと ネタバレになるので書けないけれども,大きなヒントではある。 ふと思うことは本作はまるで切り絵のような感じだなと,だんだんだんだんできていく切り絵だなと思う。 ところであの探偵は一体 どこに 行ってしまったんだろうか。( 6月4日 記)※ 追記 そもそも東野と私は同世代で,話の時代構成が手に取るようにわかるわけだ。 好きでもない巨人のV9,日航機事故あの年は大好きなタイガースが日本一になった年でもあるのにそのことには言及されていなかったな。 とか,AIのことも書かれていたりして,東野の枠を飛び越えていながら,結局犯人が触法かい(あっまたネタバレ)みたいなことがあるうえ,文庫本にして850ページ超え,買ってからツンドクしておくこと数十日,でもなんとか読了して,先に観た映画はまるで歯が立たぬ傑作と判明した。 読者ファン投票では本作が容疑者Xの献身に次ぐ第二位、そのことについては私も賛成,いや本作が第一位でもいいのではないかなんて思ったりしてね。 850ページあっという間に読了させていただきました。 本当に東野は素晴らしい。
2023.08.18
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プラチナデータ【電子書籍】[ 東野圭吾 ] この作品の映画VS.原作は原作の圧倒的勝利! とにかくよくできている作品だった。 前回読んだのは(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200117)で何度も書いているが,あの年のつまり2020年(令和2年)1月私は東野の文庫本(1冊100円)をBOOKOFFから買い求め次から次へと読んだのだった。 ところが速読が過ぎたのかほぼ記憶に残っていないのだった。 それでまた読んだ。 読む前に映画(夕顔絵夢二郎のエドハブ日記 230505)を観ている。 原作が完璧にできているだけに映画の端折り方があまりにもひどい。 映画のひどさを二宮和也の演技の下手さと評してしまったが,それは大いなる間違いで,映画そのものが原作から大きく外れてしまっていたのだ。 したがって今更映画云々なんてくどくど書いても仕方ないね。 それにしても東野の視点は一様でないから,一作一作が本当に面白く感じてしまう。 本作における多重人格は決して難しいものではない。 しかしそれを有効に物語化している。 Who done it?も,最終盤多重人格者の担当医師が刑事と一緒に,私も行ってよろしいかなどといった部分で,ミステリーリーダーには全部みろっとめろっとお見通し状態になった。 本文庫の奥書きに電子自炊を禁じますなんて書いてあり,さらに作中電子書籍が増えてきている昨今それでも紙の本はなくならない,などという表現があったけれど,ここは東野のしっかりした拘りだね。 だが私は東野の電子本を耳読したいのだ…。(4/14記)
2023.07.12
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分身 (集英社文庫) [ 東野圭吾 ] 初読みは(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200307)である。 2020年すなわち今から3年前つまり令和2年の初頭文庫本を買ったり図書館から借りたりして一生懸命東野モノを読んでいたのだが,本作をはじめとして何一つ詳細に覚えていなかった。 本作を再読し始めぼんやりとあんな話じゃなかったかななどと思ったのだった。 また上記ブログ記事を読んでようするに人間クローンの話だったまでは思い出したが,詳細は相変わらずはっきりしなかった。 おそらくいつものように速読ベースで読んだものだから詳細が脳裏に焼き付かなかったんだろうな。 今回読んでみて改めて東野の凄さを感じた。 科学の面のみならずそのストーリー性が微に入り細に入りして凄いのである。 分身という表題にこだわればそのストーリーは容易に読み解けるのかもしれない。 字面が似た作品に変身というのがあった。 あれはたしか脳移植の話だった。 東野の場合一人のキャラにこれでもかこれでもかとエピソードを埋め込んでくる。 その度そのキャラが濃くなっていく。 気が付いた時には読み手の感情移入が終了している。 だから感情の度合いが強い。 なるほどクローンだから瓜二つどころの騒ぎでないほど同一と呼べるほどの似具合ということになる。 それを見た本人が気持ちが悪いというか否かとかいうことは本作のような流れではとても表現しきれないだろうけれど,たとえクローンでも心は違うという表現は,本作ではさらりとなされていた。(3/31記)
2023.06.22
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沈黙のパレード (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] まずもってとにかく先入観念は持たぬこと。 それが東野モノを読むときの極意だ。 ガリレオシリーズの最初は細々とした短編ばかりだったのがいつの間にか大作に変貌し,本作では最後に登場人物が,湯川学教授はまるで探偵のようだ,などと言うようになった。 さて本作では,湯川は教授に草薙は警部にそれぞれ昇任している。 なのに我らが魅力的な,多分東西随一の実力女性刑事である内海薫は,まだ巡査長だ。 それはともかく私は本作が蓮沼という登場人物をいかにして草薙たちが証拠を集めて有罪を勝ちとるかまでの過程における様々な捜査手法を期待したのだった。 ところが話はあらぬ方向に駆け抜けていく。 そして蓮沼はまた事件を起こす…。 とにかく東野モノは一度で解決しない。 ページ残数をみながら次一体何を仕掛けてくるのかを私ことミステリーリーダーは密かに思案をめぐらす。 何しろ並木食堂における腹痛オバサンの意義も二転三転するのだ! この辺の小憎らしい仕掛けですな,これがミステリーの醍醐味,楽しみってもんです。 こういうのを書けなくなったミステリー作家は早々に引退宣言してほしいものだ。 しかしそれにしても東野というのは天才じゃないのかな。 稀代のミステリーテラーであることは間違いない。 ミステリー作品で見事な一本を喰らうというくらい爽快なものはありません。 動機,機会,方法,トリック,ストーリーこの5点が間違いなくミステリーの要素だ。 いずれを欠いてもミステリーの体をなさない。(3/20記)
2023.06.14
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禁断の魔術 (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] 初見は,(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200120)。 つまり令和2年1月にBOOKOFFから10冊ほど東野の本を買い込んで,高速読書法で読んだものだから,その本が私の本棚に陳列されていて,しかもドッグイアに青い線,そしてところどころ書き込みがあるのだ。 ところがこうして読んだ本の欠片も覚えていない。 一体どうなっているんだなどと思いつつ,もう一度本作を今度はニッポンの書評法で読み返したわけだ。 これまた傑作。 前回読んだ際,内海薫に語らせた文系の悪口理系のマウントに関しては,今はもう何も感じない。 ミステリーなのだが,殺されたのはゴシップ記者。 犯人も記者の録音機器に残されたケイタイの着信音から早々に捕まってしまう。 ところが本作がすごいのは,もう一人殺されるべきはずのものがいて,彼をねらうのはガリレオの高校の後輩という設定なのだ。 先の夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記にあるとおり,レールガンという実験機器が殺人の道具になってしまうのかどうかの科学者としての倫理観にも言及している。 ここに来て草薙よりも内海薫のほうがガリレオに絡むことが多くなった。 ただね,本件は少年事件になるので短期間に成人と同様に起訴されるわけがないし,その上殺人未遂が不問とされるのならば,何しろ器物毀棄での起訴なんて書いてあるから,多分本件の被害者は告訴なんかしないだろうから,彼が起訴ということはなく,また彼の性格等から考えても最悪少年院送致場合によっては不処分ということだったろうな。 とにかくガリレオと内海薫が当該少年の犯罪をよく防いだものだ。 この辺のジワリ感が東野の魅力だ。 東野に外れはない。(3/18記)
2023.06.13
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容疑者Xの献身 (文春文庫) [ 東野 圭吾 ]容疑者Xの献身 6/3付 さて本作は東野の代表的作品で,東野ファンのうちでNO1に列せられている。 そもそも私自身が原作は,(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 190507)(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200101),映画が,(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 220428)(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 230219)と4度もアップしているものである。 それにしても我ながらよく読み観たものだなと感心する。 それはともかくたしかに本作は名作なのだが,個人識別の関係に弱点がある作品だ。 したがって本作が実世界で実現することはまずないだろう。 法理解釈の件から論じたら本件は明らかに正当防衛に値する。 さらに少年犯罪であることとDV,ストーカー事案であることを考慮すれば,石神がもう一つの犯罪を犯す必要性はなかった。 すなわちかなりバイアスがかかった作品だったということだ。 しかしなんと本作は第134回直木賞受賞作品なのだ。 それで本作の何処かに文学的香りがあると考えて,先に指摘した弱点は封印するかと私は思ってしまうのだ。 そこで私もまた嫌いやながら本作推しをしてしまうのだった。 そして映画vs.原作論に入っていくことになる。 私は映画はそんなに悪い作品ではなかったと思う。 現にこんなに何回も読み観ているその理由を考えると本作におけるダイナミックなトリックをなんとか覚えたいという観点から私自身のめり込んでしまっているのだ! ここまでをまとめるとこうだ。 東野モノにおける本作のスタンスは特殊なものである。(3/11記)
2023.06.03
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虚像の道化師 (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] さて本作は7つの作品からなる短編集である。 そもそもの東野に対する傾倒は,乱歩,正史,清張,森村の後継ということから始めたものだった。 それにしても東野がこれらの大作家に比して群を抜いていると感じているのは私だけだろうか。 それはともかく本作中2作で泣かされた。 したがって東野はミステリーでミステリーリーダーを泣かす技術のある作家ということになる。 さらにガリレオ湯川学を通して読み手に科学的論拠を示してくれるのがとてもありがたい。 すなわち泣ける話であっても,赤外線透視であるとか,消火剤によるクルマの損傷という科学的なエビデンスを出してくれるわけだ。 そこがガリレオシリーズと加賀恭一郎シリーズの違いではあるが,どちらも魅力あるシリーズに違いない。 つまりどちらのシリーズにも読み手は惹かれてしまうのだ。 しかし東野の電子書籍拒否で私は久しぶりに大量の紙の本を買うことになった。 それで新築の際備え付けた本棚の板がいくらか曲がってきた…なんてか,これは経年劣化のせいでしょうなあ。 そこで本を改めて整理することも必要なんだろうが,その気にもならない。 今はただひたすらの本読み,そして耳読にしろ速読にしろ小説は実に時間がかかるもの,丁寧に読まないと忘れてしまうし本質を理解できないしそういうふうにつまり速読した東野モノの読了後は一時嫌いな作家などと書いたこともあるし,その点じっくり味わえばその作品の良さがにじみ出てきて私は脳内スパークしてしまうという,読書の醍醐味に触れることができるのだ。(3/5記)
2023.05.27
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聖女の救済 (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] まずもって(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200116)と一度読んでおり,そこでは最高の評価をしていたのだ。 そもそもはっきり言って東野モノに外れはない。 しかし本当に人の記憶はあてにならないもので今回再読するまで詳細を全く忘れてしまっていたのだ! たしかに高速読書の跡が本書にも認められた。 ようするにドッグイアのかわりに付箋が貼られブルーインクでアンダーラインが引かれていたのだ。 もっとも今回アンダーライン部分のみを読むなどという姑息なことはしないできちんと豊崎式ニッポンの書評術により読了した。 それにしてもついにスプリング8も登場しましたぞ。 それはともかく人物の綾が実に巧妙で読み手を飽きさせない。 さて東野に対する高評価を自分自身なんとするか。 もはや,乱歩,正史,清張,森村を凌駕しちまいましたぞい! いずれにしてもガリレオシリーズは湯川学の一人舞台ではなくて,草薙と内海の刑事コンビがいて初めて発動するもの。 だからこその魅力でもある。 私はそういうミステリーを長らく望んでいたのだ。 ここまでをまとめるとこうだ。 1年かける殺人も世の中には存在するのだ。(3/1記)
2023.05.21
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真夏の方程式 (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] それにしても東野モノのものすごさは計り知れない。 そもそも本作に関しては原作(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200118)を読んでけちょんけちょんにけなしていながら,映画(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 221030)ではなんと,私的に最高の評価である,いやあ,映画って本当にwonderful!を出すという評価者の迷走ぶりがあった。 さて本作,もうこの作品も私はミステリーの金字塔と評価したいと思うほど感激してしまった。 それはともかくなぜこうも私の評価が揺れてしまったのかという問題について考察するに,私は令和2年の1月に大量に東野モノを読んだのだが,その時の読書法が高速読書(今日、何読んだ?200105)によったのだった。 つまり高速読書を読んだ直後に東野モノを大量に読んだことになる。 したがってドッグイアで15分,アンダーラインで10分,もう一度読みで5分の方法を取ったのだが,その時BOOKOFFから買った文庫本が私の本棚に鎮座していて,それにその痕跡,すなわちドッグイアにアンダーラインどころかドッグイアのかわりの付箋があったのだった。 つまり本作もひたすら高速読書によった結果本作の良さを感じないまま評してしまったということになる。 さらにその流れで一方的に東野が嫌いになったようなことも書いていたね,当時の記事では。 すなわちこれが速読の欠陥なんでしょうなあ。 しかしそれでは本当の意味の作品の良さがはかれない。 そこで小説はしっかり遅読が必要になるんだなと今になって感じ始めているのだ。 それは東野作品を読んだからこその読書人の一つの結論ということになろう。 ところで映画ではガリレオが福山雅治で,さらに本シリーズのレギュラーのイメージキャラクターは,草薙が北村一輝,内海薫が柴咲コウであり,本作の読書中彼らが私の脳内で飛び跳ねたのだった(映画では内海の代わりに別のキャラになっていて吉高由里子でそれがじゃまだったのを添え書きしておく)。
2023.05.13
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ガリレオの苦悩 (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] 本作から本シリーズに内海薫と言う女性刑事が登場する。 本短編集第1章落下るから登場するのだがこの章は後出しジャンケンの塊みたいな話で,薫という名前からしてミステリーリーダーである私は全部みろっとめろっとお見通し状態,多分これ女だろうな,と思ったらその通り,そしてこの章ではもう一つ後出しがあった。 それは結婚情報誌の存在である。 ミステリーライターならこの件は現場の状況を表現するにあたり最初に出しておかなければならないものである。 その後出しジャンケンもまたこの東野の策略だったんだろうなと私は思う。 なぜならこの作家は後出しジャンケンなどしない人だからだ。 東野をはじめとするこの世代の作家たちの脂が乗り切った時代というのはちょうど21世紀に入った頃でそれはちょうど ICT の発展に歩調を合わせるようなものだった。 その結果20世紀と21世紀の境界線あたりでインターネットについてパソコン通信なるという表現があって,アイコンをイコンなんて表現していたりするのだけれども,それらは今日 SNS などという言葉に変えられたりしていて10年,20年以上前の話であってもけっして古くなってはいないのだ その2010年あたりに書いた作品はこのガリレオシリーズの始まりのころだったともいえようけれども,もう一つ難癖をつけさせていただければ,それは東野がこの時点では刑事訴訟法に精通していなかったことで,この作品群中2箇所,警察が起訴をする,という表現が出てきていたのだった。 これはミステリーリーダーからの苦言である。 我が国の刑事訴訟法では検察官しか起訴はできません。 検察官には起訴便宜主義という原則もある。 そもそも国の警察官が公判を維持するなどということができるわけがないのです。 ただしその組織的な捜査力は世界に冠たるものがある。 一部の冤罪を導いた捜査手法は問題があるけれども検察の起訴に対する警察の捜査精度の高さは特筆に値すると言えよう。 後出しジャンケンと起訴について苦情を書いたけれども,それ以外は非常によくできた東野モノであった。(2/19記)
2023.05.08
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手紙 (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] 私は本作が東野の最高傑作だと思う。 本作はミステリーでもサスペンスでもない。 だが殺人事件は起きる。 犯人が捕まり服役する。 その服役囚と弟との手紙のやり取りが軸になる。 その手紙は十重二十重の意味を持つ。 兄が重罪犯だとそれがばれた途端にとんでもない差別を受ける。 人が遠ざかっていく。 その辺の消息を東野の文章は余すところなく表現していく。 そして涙である。 泣かないでおれない一作でもある。 弟武島直貴は兄剛志の犯罪により,バイト先やらバンドやらを辞めさせられ,付き合い始めた恋人からもさられ,やっと就職した会社では部署替えされ,社宅では家族もろとも差別を受けるという,とんでもない試練に打ちひしがれる。 そのような中でも,後に妻になる由実子,学生時代からのバンドンリーダーで親友の寺尾,会社の社長平井等けっして彼を見捨てない人々がいて,兄に決別の手紙を書く。 直貴は普通の人だと思う。 自然に兄のことを隠すようになっていく。 差別,家族にどう立ち向かうか,これが大きな本作の課題であり,最終盤で東野の一つの考えが示される。 これだけの力作を書ける東野はすごいに尽きる。 本当に小説は面白い。(2/16記)
2023.05.05
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片想い (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] 実は(今日、何読んだ? 200307)と読んでいるにもかかわらず全く思い出せない。 ただ文春文庫は間違いなく私の所有本であった。 なぜならところどころドッグイアされていてさらにブルーアンダーラインも引かれていたからだ。 何事かのメモ書きも私の筆跡だった。 つまり私はかつて本作を高速読書で読んだのだな。 それが全く頭に入っていなかったということだ。 つまり,ドッグイアで15分,ブルーアンダーラインで10分,読み直しに5分という方法であればいい加減頭の中に入っているはずではなかったのか。 それが全くの新作を読むようなことになるとはこれは方法が悪いのか私がどうかしてしまったのかということだよねえ。 ともかく私はドッグイアしながら読了した。 しかしブルーアンダーラインには至らなかった。 前回はかなり素晴らしい評価をしていたが,今回私は不快感が先に立ってしまったのだった。 題材がジェンダーフリーとか,LGBTQの部分ということで大変難しいのに,東野の得意技である人物の描きがどうも頓珍漢なことになってしまっていて,私自身理解に苦しんだ。 本作は1年以上に及ぶ連載物だったらしい。 それが結局一気に話が進まなかった理由にもなろうが,結局今風な社会問題を10年以上先駆けて書いた割には,その問題の本質に必ずしも切り込むことができなかったんだなと私は思う。 一種の消化不良ですねえ。 ただ発想は面白かった。 でももやもや感が半端ない。 東野モノにしてはちょっと珍しいかな。 更迭された首相秘書官も本件に関することだった。 実に難しい問題だっただけに東野も結論付けることができなかったんだろうねえ。(2/13記)
2023.05.01
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レイクサイド (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] それにしても本作は東野モノとしては異色だ。 まずもって現場が小学生の中学受験勉強合宿の別荘地。 もっともそれはあくまでも私的なもので,成員がなにかしらの秘密を秘めているところ,夫の浮気相手を撲殺した妻がいて,成員がその犯行をひた隠しにするため全力で協力するという内容だった。 さて件の発見死体であるが前出の妻の部屋に出血して置かれていた。 そもそもミステリーリーダーは天邪鬼であるから,その現場から疑ってかかるので,全部みろっとめろっとお見通し状態になる。 それはともかく私は数ある東野モノのうちこれまでで本作が一番不快な作品だ。 しかしそんな作品を私は都合3回も読んでしまった。 なぜなら(今日、何読んだ? 200105 高速読書)を読んだからだ。 この本では,ドッグイアで15分,アンダーラインと書き込みで10分,アンダーライン部分を読むこと5分の3段階30分読書法が紹介されているのだ。 たしかにこの方法だと頭には定着する。 ようするに記憶定着のためには反復が重要だということだ。 今回私は東野モノに挑んでいるわけだが,その東野の文庫本が私の本棚に陳列してあって,その経緯などもう一度ブログを読むことでなんとなく記憶が蘇ってきたのだが,ようするに前出の高速読書を読んだころつまり令和2年正月ころBOOKOFFから1100円で東野モノ10冊を買って読んでいたのだ。 その際,ドッグイアに青ペンアンダーラインを使ったものだから,そのころの東野の本がみんなドッグイアされ青ペンアンダーラインが引かれていたのだった。 私はそんなことすら忘れていたのだ。 ところで今回私は第一読書でドッグイアせず第2読書でドッグイアとアンダーラインをしたものだからなんと読了するのに時間が倍以上かかり,何が高速読書だと毒づいたのだった。(2/6記)
2023.04.26
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予知夢 (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] しかしそれにしてもガリレオシリーズに入ると趣ががらりと変わりますな。 そもそも本作は探偵ガリレオの続編という感じだ。 さて本作は夢想る,霊視る,騒霊る,絞殺る,予知るの5つの短編からなる。 それはともかくこれらの作品は解説者によれば,オカルト・ミステリーとか。 したがって夢想るは,対象にストーカーさせて猟銃で撃ち正当防衛を図る話でそのストーカーが狙う相手はそのストーカーが幼いころにもらった人形と同じ名前だったというエピソード,霊視るは,目の前に出た幽霊はいったい誰だったかの話,騒霊ぐは,ポルターガイストの話だが今話題の連続資産家対象強盗事件に似ていた。 さらに絞殺るはアーチェリーの弦と弓を巧みに使った自殺話,予知るはこれまた自殺を題材にしたものであるが,自殺はトリック…のはずだった話である。 すなわちオカルトあるいはスピリチュアルに対する明確なアンチテーゼ,科学で解き明かせないものは何もないというガリレオをして語らせている作者のポリシーが垣間見えるのだ。 しかし第5章予知るにおいて,最後に科学では測れない霊的なこともあるんじゃないかなどというそこはかとないコメントを書いている。 それで本作がオカルト•ミステリーたりうるわけだ。 そこで探偵ガリレオと予知夢の計10章が成立したということになる。 なお予知夢は,(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200114)参照。 ここまでをまとめるとこうだ。 ガリレオシリーズは,ミステリーリーダーとしては,今後丁寧に読み解いていかなければならない。 加賀恭一郎シリーズと思って読むと全く趣が違うのでギャフンとやられる。(2/6記)
2023.04.25
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探偵ガリレオ (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] (夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200113)に書いているとおり令和2年の1月に1100円出してBOOKOFFから東野モノ10冊を買ってきて読んでいた。 もうその時には東野ファンに私はなっていた…? 当初の私の東野に関する批評は辛辣なものもあり一概にファンになったという表現は若干違うようだけれど。 それはともかく今回からガリレオモノに入る。 本書の解説を佐野史郎が書いている。 それによると東野はどうも佐野史郎を念頭に置いてガリレオモノを書いていたらしい。 ところが私も含めた市井のものはガリレオこと湯川学は佐野史郎には残念だけれどやっぱり福山雅治ですなあ。 それはともかく本作は5章づくりだけれど,5作の短編集である。 いずれも科学をトリックにする。 そしてガリレオをして,物理学者は開発して発見するもののことだ,などという説を語る。 東野は公式ガイドにおいて,科学的なトリックはこの界隈では忌避されてきたけれど私はあえて挑戦したいと話しているとおり,ガリレオ登場の話には必ず科学の根拠が裏打ちされる。 燃える,の少女が見た赤い糸はレーザー光線だった。 この作品では被疑者の部屋が交換されるという小トリックも披露される。 転写る,は雷の衝撃波がアルミにデスマスクを作った話。 壊死る,は超音波で心臓死を装う話。 爆ぜる,はナトリウムの爆発。 離脱る,は蜃気楼の原理と幽体離脱を混ぜた話。 たしかに祭文語りの草薙同様私には難しいけれど,だからこそ変に納得させられて,そんなもんか,なんて思ってしまう。 けれどこれまで本作のようなトリックが現実になされた話は聞いたことがないので多分不可能なトリックでもあったんだろうなあ。(2/4記)
2023.04.24
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希望の糸 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 本作はたしかに加賀恭一郎シリーズの最高傑作かもしれない。 そもそも本作がミステリーというカテゴリーに含まれるかどうかは疑問だ。 しかし加賀恭一郎という刑事とそのいとこの松宮脩平という刑事が出る以上それは警察モノであり,ミステリーの近場にいることに間違いはないだろう。 それから本作が,私が今まで目標としてきた東野モノの講談社文庫の最新作であり,講談社文庫全33作を読了したことを申し添える。 糸,というだけあって,複雑な糸が実に微妙に絡み合っているのだが,そこは東野の文章力,読み手が迷うということはほぼない。 本作の複雑な話が実にバランスよく織りなされていて,本件の奥深さに読み手は納得してしまうのだ。 今までは加賀の家庭環境のエピソードが盛られていたが,今回は松宮脩平のエピソードが入っている。 松宮は加賀恭一郎シリーズでは本当に重要な役どころを担っていた。 その彼のエピソードでも泣かされ,本筋でも泣かされると言う,本作は涙なしでは語れない名作となった。 そもそも本件の犯人は,464ページ中250ページでいきなり自供してしまうのだ。 松宮はその自供の裏にある動機の真実を追い始める。 そして明かされる数々の新事実がまた涙を誘う。 東野はどの作品も手を抜かない。 したがって多作家症候群に罹患しない。 だから本当に間違いのない作家であり,読み手は安心して読み切ることができるのである。(2/1記)
2023.04.22
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パラドックス13 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 既読(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200124)。 前回とは感想が違うな。 そもそも東野は一体何を書きたかったのだろうか,本当はミステリーを書きたかったのではなかったんじゃないのか,と思う作品の一つである。 天下国家を論じている部分では,天空の蜂もありますな。 こういうのを読むと東野は本当は本作のような路線に進みたかったのではないのかなんて思いたくなる。 それはともかく難しい理系的概念は置いといて,たった10人の世界に立ち至った場合,誠哉のように全体を考えたら,それはなにも乱交ということではなくて,種の保存,未来への希望という観点で生殖というものを無視できないのではないのか。 それが明日香のような現代的思想を持った女性が忌避する部分もわかる。 どっちがいいとか悪いとかはなくて,全体的な人類の存亡をかけて未来へも続けるということであれば,誠哉の言う通りなのだと思う。 明日香の言うことも理解できるけれど,その考えは結局滅亡以外の何物でもない。 つまり現代こそ滅亡に向かっているということを東野は本作で訴えたかったのだ。 そのとおりでしょう,ただ明日香のように自分のプライドだけで人類を存亡に導いていいのかといえば,それは違うように思う。 ただひたすら現代は自分の思いどおりにする人生という形を形作ってきたものだから,想定外のことにはついていけないのだ。 難しいとか簡単だとか言う前に東野は本作で人の倫理を語っていたな。 誠哉という優秀な兄の前に弟冬樹は自分勝手すぎたわけだけれど,もう一度組織という観点から見ると,冬木のような捜査員は必要ないということになりましょうな。 上記ブログに書いたように,天災やら戦争やら何が起きるかわからない中,ある程度のシミュレーションをすることは必要なことなのかもしれない。(1/29記)
2023.04.20
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同級生 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 本作については(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200109)で一度アップしている。 前回はかなり辛辣な書評だったなと今当該ブログを読んで思う。 東野に関してはミステリーリーダーとしてまずは講談社文庫を読む,という命題をたてた。 いよいよ全冊そろいつつある。 その東野モノに関したまたま読んだ当ブログ(今日、何読んだ? ニッポンの書評 111213)に準じて,線を引き行の頭に付箋を貼る作業,さらに必要な部分に白い紙を挟む作業をしていて,これだとこのブログにに書いてあるとおりこの一連の作業が下書きになるということがわかった。 まず本作は,加賀モノでもガリレオモノでもマスカレードモノでもないのだけれど,なにか違和感がない分,あっ,そうか,学園モノだと気づいた。 学園モノも東野の代表的な,テ,なのである。 さすがに学園モノだけあって,異性と二人で映画を観にいく場面もありましたな。 デートいう点では実に重要なアイテムが映画でしょうなあ…。 本作を詳細にもう一度読んだらたしかに東野には殺人に至らない事件も多いのだけれど,動機で,自殺者が教え子憎しで手の込んだ細工を施すものかね。 それでも東野節炸裂の感が強いのは一つ一つのトリックが詳細で私の脳内にはっきり映し出されたからだ。 私的には実際に実験をしてみたい感が強い。 果たして17キロのダンベルで首がくくれるか。 ただ,現場の糞のスメルがすごかったなどという表現は実に具体的でしたな。 結局一時の気のまぐれで女子高生を妊娠させその点に関しただ公にしたのみで命に対する真摯な気持ちが出てこなかった本作の主人公には賛同できないというのが今の私の感想である。(1/23記)
2023.04.15
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危険なビーナス (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] いよいよもって東野の凄さがひしひしと身にしみてくる。 ミステリーリーダーとしてこの作家を選んだことは,自らファインプレーだったと褒めてやりたいくらいだ。 それはともかく本作もまた,これが東野流などという型を見せずにオリジナルな物語として展開していくのだ。 ミステリーリーダーの性としてまず型を重んじる。 基本,祭文語りが誰で,名探偵は誰なのだ,ということから始まるのが,ひとつの,型,だ。 それから言ったら,そもそも本作のキャッチコピーが,「独身獣医の伯朗が新たに好きになったのは,失踪した弟の妻だった。絶品恋愛ミステリー!」ということで,加賀恭一郎でもガリレオでもないノンシリーズであり,本作はまず探偵捜しから始めなければならない。 ところが本作では冒頭から名探偵役も祭文語りも出てこないのだ。 ミステリーリーダーはその謎に拘泥しますな。 東野はこの点実にフェアで,牡蠣の話,明人と楓が結婚した事実が友人にも知らされていない話,火事場から楓が大の男を背負って救出する話というヒントを数行ずつ散りばめていて,ミステリーリーダーには,全部みろっとめろっとお見通しだい状態,謎が一つ解けた状態で,気持ちよく読み進むことができた。 なにより東野の文章力は私をして脳内スパークの連続ならしめる。 ゆえに東野の作品はいくら映画化しても原作を凌ぐということがないのだ。 それはともかく本作においては,伯朗の心理のユレも味わってほしい。 その気持ちよくわかります,というところか,男のジェラシーですな。 あっ,それから難しい科学的なこと,例えば脳科学のようなものは深読みしないほうがよろしい。 そっちにこだわるとこの小説の面白みが半減する。 さあいよいよ講談社文庫の東野モノもあらかた読んだ。 東野に次ぐものをそろそろ考えなければならない。(1/22記)
2023.04.14
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麒麟の翼 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 本作は映画で(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 191015)と観て,原作を(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 191016),(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200107)と読み,今回これが都合4度目となる。 にも関わらず本当に記憶が定着しない。 加賀恭一郎が日本橋署に異動してからの事件で,新参者,祈りの幕が下りる時,とごっちゃになるんだな。 結局記憶が定着するには何度も何度も繰り返さなければならないということの証左か。 あるいは私自身が間違いなく認知への道をひた歩いているということなのか。 それは不明であるけれど,確かに本作を読めば,4度目,ああそうだったなと思い出せる。 麒麟の翼とは要するに日本の道路の元である日本橋にある麒麟の像に翼があるということなのだけれど,同時に本作はネーミングの妙,キリンノツバサ,というブログをも意味するのだ。 まあそれにしても見事なストーリーだ。 そして日本橋という地域を詳細に著者は把握していて小気味良い。 なにより加賀恭一郎がが必要以上に出しゃばらないのがいい。 水天宮の意味が分かれば本作の謎は解けるのだけれど如何せん先述の通り私の記憶はザルのよう,水天宮が安産の神様であり,かつ水難事故防止の神様だなどということすらすっかり忘れていた。 一体何のための読書ぞ…。 などと自分をいじめて何になろう,そもそも今回は,乱歩,正史,清張,森村,の後を継ぐ東野の作品をきちんと読みだしたということからの再読,うーむ,東野は読めば読むほど面白くなるという不思議な魅力があるのだ。 いやあそれにしても東野のお陰でまた紙の本の良さに目覚めてきましたな。 今回東野の研究にあたり講談社文庫を揃えると書いたが,そのとおり私の本棚の一角がオレンジ色に染まり始めた。 壮観である。(1/19記)
2023.04.12
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新参者 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] まず加賀恭一郎の, 捜査もしていますよ,もちろん。 でも,刑事の仕事はそれだけじゃない。 事件によって心が傷つけられた人がいるのなら,その人だって被害者だ。 そういう被害者を救う手立てを探し出すのも,刑事の役目です。という言葉,これが加賀恭一郎の刑事としてのポリシーだ。 このことを踏まえた上で加賀恭一郎シリーズを読むとよろしい。 この事があるから例えば詳細な警視庁の組織的な捜査方法とか組織論は不要で,なぜ剣道日本一の加賀恭一郎が飄々と捜査をすることができるのかがわかるし,読み手も納得できるのだ。 さて本作であるが,加賀が練馬署から日本橋署に異動になったつまり日本橋署における新参者で,ゆえに三井峯子殺人事件の捜査に関し日本橋署管内の実態把握をしながら,管内住民に深く浸透し,情報を収集,得た情報はまるでピースの一片で,それらが次々とはめ込まれ,読み手もそのことに納得しながら,書き手と加賀と一緒に犯人に迫っていくという手法が取られている。 日本橋の煎餅,スイーツ,独楽などの小物に人情も折込み,一つ一つの謎を撚られた紐を一本一本戻すがごとく解明し,納得ずくの犯人の指名となるその手法は今まで誰も仕掛けたことのない手法ではなかったか。 本作に関する東野の自己説明は,書いているうちに登場人物が動き始めたということで,被害者三井峯子ほかの人々の人間ドラマがからみあって三井峯子絞殺事件が生まれてしまったのだ,と言う,ヒューマンドラマに本作はなっていたのだ! 東野モノは他の方のとは違って一作一作に個性がある。 つまりマンネリがない。 だからこれが東野の型だというものがないから,いつでも新鮮だ。 それが大きな東野モノの特徴である。 ちなみに本作は数ある東野モノのうち東野ファンの人気投票で第4位であった。(1/16記)
2023.04.08
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流星の絆 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] とにかく東野は名作を書き続けているな。 冒頭3兄妹が流星群を見に行く辺りからミステリーリーダーは帰宅したらきっと両親が殺されているんだろうなあなんて考えた。 この読みは当たった。 この事件は,今では時効のない殺人事件,当時は15年でしたな‥の,14年目にかかりようやく動き始める。 件の3兄妹は詐欺師に身をやつし,長兄によれば経済を回しているのだと言うことになる。 3兄妹はアリアケという洋食店の子供だった。 その子供時代に食べた父親のハヤシライスの味ととがみ亭のハヤシライスの味が同じで,とがみ亭の創業者の顔が,両親が殺されたとき自宅から逃げていった人だったと次兄が述べたことから,真犯人捜しを読み手が始めることになる。 もとより東野モノ,当然一筋縄ではいかない。 殺人現場に遺留された拭き取られたビニール傘,傘でゴルフの素振りの練習をする刑事,などが大きなヒントでしょうか。 3兄妹の詐欺の場面なんざヒヤヒヤモノ,ついつい悪いことをしているとわかっていながら読み手は3兄妹を応援してしまう。 先に書いたとおり仕掛けは一筋縄ではいかない。 捻くれ者のミステリーリーダーは,最初からとがみ亭の創始者が犯人ではないと見込んだ。 じゃあどんな仕掛けが施されているのか。 全600ページこえの大作,でもあっという間に読了してしまった。 そして冒頭のとおり名作などといいながらこのブログがアップされている頃には多分大方この小説の筋を忘れてしまっていることだろう。 それでも面白い小説を読んだことは確かだ,とだけ記しておこう。(1/14記)
2023.04.07
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時生 新装版 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] それにしても前回(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200127)私はいったい何を読んだのだろう。 まずもってこの点本当に私はおかしくなったのか,あるいは認知症になったのか,上記ブログによれば,なんでも東野嫌いが東野ファンになってBOOKOFFから次から次へと東野モノを買ってくるようなことだった。 そんなこと忘れたままいままた東野本をそろえ始めたのだ。 その理由は乱歩,正史,清張,森村を継ぐものだからだ。 もっとも上記ブログをアップしていたことがあって今の東野の再読があるということでもある。 さて本作であるが,再読し始めてああそんな内容だったなどと思い出せるものの,結局その頃の私は深読みしていなかったんだろうな,こんなすごい作品を心の中に留め置くことができなかったのだ。 そもそも始まりがギランバレー症候群で,そこから花やしきを経てのダイムトリップ話,その想像力に舌を巻くほかない。 それはともかく3年前に読んだときは,トキオ,という題名で表紙に花やしきの遊具が描かれてあったと思う。 しかしこんなにも複雑で涙がこぼれてしまう感動話だとはつゆほども記憶していなかったのだ。 たしかに読んだ記憶がある,しかし詳細を覚えていない。 ようするに小説読みの限界なのかな。 しかし今回は明らかにきちんと私の脳内に刻み込まれた。 名作の一遍である。 ここまでをまとめるとこうだ。 小説の読み込みは容易なことではない。(1/13記)
2023.04.05
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虹を操る少年 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] ミステリーではないがサスペンスがある。 一種のSF譚でしょうか。 東野の特徴は今まで読んできてどれも同じではないということだ。 本作は光が見える特殊な能力についての大河物語だ。 主人公光瑠は幼い時から天賦の才をもちついには光楽という新たな芸術文化を創出する。 それは色彩と光によって音楽を奏でるという概念だった。 光瑠の祖父も同様の能力を持っていたのだが早世している。 したがって光瑠もまた同様に早世してしまうのかと読み手は心配するわけだ。 ところがそこはべたの朝ドラ理論みごとに立ち直りさらには新たな光楽家も育っていくのだった。 ミステリーリーダーには実に難しい話でとにかく脳内で想像しまくった。 それだからこんな風にして何とかブログをアップできたのだ。 しかしそれにしても東野の能力もまた半端じゃないね。 ミステリーのつもりで読むと本作のようなスリルとサスペンスの物語になってしまうし。 つまり東野は多才であり多彩だということだ。 なーんてすこしまつり上げすぎか。 それはともかくとにかく東野の講談社文庫についてはかなりの冊数になったかな。 これから少し厚めの作品にも挑戦しなければならないようで,実は気持ちが重たくなっているのだ。 やっぱりあたしゃあ東野のミステリーが読みたいな,というのが本音だ。(1/10記)
2023.04.02
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新装版 しのぶセンセにサヨナラ (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 本作は浪花少年探偵団の続編になる。 本作のあとがきにおいて作者は1993年12月3日付けでこのシリーズには7年間かかったけれどもこの作品にだけかかるわけにはいかないのでいつかまたこのシリーズを書くことができればいいと思いつつこのシリーズはおしまいにするということが書いてあった。 そのことは正解だったと私は思う。 そうしないと東野は単なるユーモアミステリー作家で終わったし,精度が高いトリックが見せ場のトリッキーなミステリーもこの世に出ることはなかったであろう。 東野は巷間のミステリーファンから見れば安打製造機的な作家なのかもしれない。 ただベストテンに入るということがないということを本書の解説で西上心太が書いている。 けれどもそのことはあまり問題ではないのではないのか。 私は,乱歩,正史,清張,森村の後を東野に託したわけだけれども,それは間違いではなかったと自信をもって思っている。 それよりもむしろ私はこの第五祖の後の第六祖が見つからないことに少々焦りも感じているのだ。 それはともかく本書はしのぶ先生絡みで恋のライバル新藤刑事やら本間義彦も出てきてさらにかつての大路小学校の教え子原田と松本も微妙に絡んで面白い話を紡いでいくわけだ。 竹内しのぶ先生は小学校の教師になった後内地留学という制度に乗って2年間兵庫県の大学に入学した。 これは今教職の大学院大学というものができていてその制度の前身になるものだろう。 一生懸命勉強してそれなりの教師になるという思いで勉強しなおしたということなのだろう。 その結果度重なる新藤刑事のプロポーズに最終的にあと1年待ってくださいという答えを出す。 その1年で今持っている小学校の子供たちをきちんと教育することができたのならばお受けするという風なニュアンスが込められていたのだ。 この辺はもう既にミステリーを脱していて非常に好感が持てるところである。 冒頭本格的なミステリーからそれてしまってユーモアミステリー作家で終わるかもしれない危機感について書いたわけだけれども,このシリーズを作者が平成5年に軌道修正したことは正しかったと書いたのはその通り,なぜなら,例えば4階のオフィスの窓際に脚立が置いてあってそこにビニール紐の輪があってブラインドが壊れていて靴が揃えてあって結局飛び降り自殺ではなかろうかなどという端緒の事件,これなんざミステリーリーダーにはすれば全部みろっとめろっとお見通し状態だ。 ユーモアミステリーの弱いところは結局トリックの線の細さにあるのだろうな。 その結果ミステリーリーダーの脳に深く刻まれることがない。 だからほんの2,3年前に読んだ小説もすぐに忘れてしまう言うことになる。 実を言うと第四祖と第五祖の間つまり森村と東野の間には共通点がある。 それは交通事故絡みの話が多いということだ。 東野は確か自動車会社に勤めていたはずでその点交通警察にも取材源となる警察官がいて交通事故絡みの事件に関しては非常に素晴らしい話を作り上げる。 本作においては交差点における仮免許練習中の事故を利用して強盗の片棒を殺そうとするなどというトリックが使われていた。 その他家庭を顧みなくなった父親の愛が欲しくて東京ディズニーランドを舞台にした誘拐事件を捏造する子供たちの話にはホロッとさせられたし,偽札作りの話なども出てきて,なかなか面白い話が次から次へと出てきたけれども結局先生は先生であって子供たちをいかに教育するかということが重要な点なのだ。 今日日少子化が進みすぎて教育の質も変わって来ている。 何より先生になり手がないと言うではないか。 子供が減っているのにもかかわらず十分な倍率を得られない教師の採用状態。 全くこのようなことで日本は一体どうなるのだろうかなどと危惧しているのは私だけだろうか。 東野が今から30年も前に書いたこのシリーズがひとつの教育の古典にもなるような,そんな時代が来ているのかもしれない。
2023.04.01
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新装版 浪花少年探偵団 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] しかしそれにしてもなんと人の記憶力の弱いものか。 よほどのインパクトがないとがっちり覚えているということはないようだ。 そもそも(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200110)ということで今から3年前に東野の本を徹底して読んでいたのだ。 そのブログではなんと市立米沢図書館から東野の本を10冊借りて読みさらにBOOKOFFから10冊買って読んだと記されている。 つまりこの頃には既に東野にのめり込んでいたわけだ。 今回乱歩,正史,清張,森村と読み継ぎ第五祖として東野を選んだのは宜なるかな,そして本棚ですなあ,東野の本が偉い多く陳列されていて,私自身面食らったという事態に陥ったのだ。 果たして私の場合認知症が進んだ現象なのかそれとも普通の人間の普通の現象なのか判断に苦しむ。 さて本作を読んでも内容は全く忘れていて上記ブログではしのぶ先生の恋の鞘当てで新藤vs.本間のことも書かれていたのにそれすら新鮮な思いで読んだのだった。 それはともかく本作はユーモアミステリーにカテゴライズされるものでしょうなあ。 くすり,くすりが続きましたな。 今までの東野の精緻な仕掛けから見ると,狭い路地に入った軽トラックからどのようにして出たかとか,自殺を他殺に見せるとか,疑惑をそらすために自分に警察の目を向けるとか,風船で凶器を飛ばすとか,ベランダから布団を引いて人を下に落とすなど,これまでの多作家症候群によく見られた現象が起きていて,東野もこのシリーズにいたりいよいよこの流行作家の流行病に罹患したかと心配してしまった。 このシリーズもう一冊あるんですな。 とにかく読めば読むほど東野の多彩性に私は翻弄される。 先のブログには既に30もの東野に関する書評がアップされているので,東野の場合本ブログ+30がその数になる。 果たして3/31までいくつの東野作品の書評がアップされているのだろうか。(1/8記)
2023.03.31
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東野圭吾公式ガイド 作家生活35周年ver. (講談社文庫) [ 東野圭吾作家生活35周年実行委員会 ] まさにこの書は東野圭吾のガイドブックである。 そして東野圭吾の作品を整理するとシリーズものについて大きく3つに分けられる。 ひとつ加賀恭一郎,一つガリレオ,一つマスカレードホテルと3つありこれらの3シリーズは邦画界においても大きな作品となっていて,加賀恭一郎=阿部寛,ガリレオ=福山雅治,マスカレードホテル潜入捜査=木村拓哉と日本を代表する俳優が並び揃っているのだ。 これらの作品における彼らの名演は,つまり東野の作品が素晴らしいからということに尽きるのではなかろうか。 さて本書であるが冒頭書いた通り東野のガイドブックなのだ。 しかも東野本人のコメント入りなのである。 ガイドブック的なものは,横溝正史にも松本清張にもある。 正史の場合は金田一耕助の名を借りて自分の生い立ちや考えを書いていたものだった。 清張の場合は他の評論家とか清張の担当編集でその後に作家となった方が書いていたりしていた。 これらは本当にミステリーリーダーにとっては参考になるものである。 さて本書において私が気になった点3点を抜き書きして今回は終わりにしよう。 何となればこのガイドブックは東野の作品を読むたび参考にしなければならないわけでこれからも何度も何度も読むことになる本だからである。 まず第一,容疑者 X の献身において東野が述べたコメント。 僕は書いている時に伏線を張ったり計算をしたりしないんですよ。 なんとなくこんなことをやっておいた方がいいような気がするなあという感じで書いている。 それが最終的に生きてくるんです。 書き下ろしよりも連載の方が,そういうことは多いです。 きっとその作品に関わる時間が長いと自分の中で無意識のうちに芽生えてくる何かがあるんですよ。 これなんぞ,私が東野の作品を読む度書いていて,特に夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記の方では,東野作品を読むたび好きになったり嫌いになったりファンになったり大嫌いになったり,その理由は私が文系であり東野が理系であるからという分析をしているわけなのだけれども,だからそれだけ計算しきった作品なのかなと思ったら今回のこのコメント。 その辺のやはり理系的な地頭は私のような文系頭の人間が伏線に関し計算をせずして大団円を迎えることはできないのだからやはり東野は何かが違うということになるのだ。 ところで私が今これほど東野に本気になっている理由は,何のことはない学年にしてひとつしか違わないと言う親しさがあるからなのだ。 第二,祈りの幕が下りる時において東野は次のように述べている。 指摘されているように映画砂の器の影響はやはり受けています。 小説ではなくて映画の方です。 ああいう世界をずっと書いてみたいと思っていたんです。 このことは他の評論家も書いていることで,私もこのことに気づいて良かったなと,私がミステリーリーダーであることの証明にもなったなあと思ったことである。 第三,次も大きな問題で,私自身もまだまだ自分のライフワーク的な課題かなと思っているもの,ある読者が彼にこのような次のような質問した。 どうして作品を電子化しないのですか? その答え。 本を読む習慣をスマホの世界に移してしまうと,スマホの中で競わなきゃいけないことになる。 電子書籍専用の端末があると言っても,みんな結局,スマホで読むと思いますから。 そうなると読書が,ゲームや動画, SNS といったことを含めた様々な選択肢の一つになってしまう。 それだと読書に勝ち目がなくなるんじゃないかと思うんです。 なるほど明快である。 私はこの3年間コロナ禍で電子書籍の方にのめり込んでしまったけれども,この度東野に出会ってというよりもかなり前から私は東野作品を読んでいたのだけれども,なるほどkindle unlimitedに東野の作品がないのはこういう訳なのかということで腑に落ちたのだった。 でも私はこれからも東野作品の Kindle Unlimited 化を望むものである。(1/7記)
2023.03.30
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祈りの幕が下りる時 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 映画は(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 191117)原作は(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200125)と観たり読んだりしているわけだ。 そして映画では原作をしのいだとまで評価していたんだな。 それくらい小日向文世と伊藤蘭の演技がすごかったのだった。 しかし今回原作を読んだらやっぱり原作のほうがすごいという結論に達した。 さて本作は非常に複雑な人間関係ではあるが先述の通り映画も原作も観て読んでいるので小日向文世と伊藤蘭と阿部寛が私の脳内で生き生きと動き回った。 そして原作は,てにをはの果てまでしっかり読むこととなった。 とてもじゃないが速読できなかったのである。 これだけ丁寧に読むとやはり原作の勝ちという評価になりますな。 ただし映画もすごい。 改めて映画と原作は別物,それが基本だということを感じた。 映画か原作か議論ではどうしても清張の砂の器が引き合いに出る。 あの作品は清張にしては凡作なのに野村芳太郎監督が名作に仕上げた。 加藤剛,加藤嘉の両加藤の名演も見事だった。 それと比べて本作は映画は堤幸彦監督の深読み,先の二人の名演で映画は映画で素晴らしくそして原作もよくよくできた名作だった。 ミステリーとして日本橋川,神田川の橋がいったいどういう意味があるのか,というところ,読み手はいかに推理するかということですね,それはミステリーリーダーの醍醐味でもある。 ただ,人定のためのDNA鑑定のくだりがちょっと甘めだったな。 いまや検視において人違いは絶対あってはならない分野だ。 したがって検体も様々採取して照合するわけで,死体第一発見現場における検体からは複数人のDNAが発見されているはずであり,本件捜査はもう少しスムーズに実施されたものと思われる。(1/6記)
2023.03.29
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赤い指 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] しかしそれにしても私は前回いったい何を読み込んでいたのだろうか(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200126)。 そうですね,薄っぺらな読み方しかできていなかったのだ。 今回読んだら感動の嵐ですよ。 何という素晴らしいミステリーなのだ。 最終盤には泣いてしまった。 加賀恭一郎はこの作品にいたり上司も名刑事と認めるほどになっていたのだ。 トリックも申し分なし。 誰もが納得する。 なにより犯人側の家族の実態もあるけれど加賀恭一郎の家族の問題も書かれてあるのだ。 加賀恭一郎はここにきて私の中で片手の指に入る名探偵になった。 彼の場合は就職前のエピソードから順を追って本作に至っているわけで,それだけ私の中で生き生きとしているのだ。 まあそれにしても何と悩ましい現代的な家庭の問題なのだろうか。 本作の根本は,老婆は果たしてボケていたか,ということでしょうな。 嫁姑問題は永遠の課題なのかもしれない。 そこを的確に切って見せた東野の力量にまずは脱帽である。 ただね,被害者側の視点が,本作のテーマがそこにないからなのだが,浅かったかな。 いずれにしろ加害者がなぜ犯行に至ったかの問題は,今日の大きな少年問題であり,平成18年初刊ということを考えると,今日の少年問題を東野はすでに予見していたといえよう。(1/4記)
2023.03.28
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名探偵の掟 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] パロディを駆使したみごとなミステリー現況批判。 これだけのものを東野が書けるのは,彼がミステリーを愛し,ミステリーをリスペクトし,そしてミステリーを精緻に丁寧に読み込んでいる証左であり,快哉である。 私は彼の名探偵シリーズに出てくる祭文語りの大河原番三が大好きだ。 彼が本作のエピローグで犯人扱いされたことで名探偵の呪縛との齟齬が産まれているのではないかという(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200108),つまり,大河原が逮捕されたら名探偵の呪縛には出られないはずだということが心の澱になってしまって,しばし大河原は本当に逮捕されたのかということを調査したのだが,いまのところ明確な解答は出ていない。 さて本作は12章とプロローグ,エピローグ,最後の選択から構成されている。 エピローグで大河原が逮捕され,最後の選択で名探偵天下一大五郎が犯人に指摘されまたは犯人に殺されると言う,講談社文庫特別書き下ろし作品である,名探偵の呪縛(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 200112)に繋がらなくなる話で,ここはひとつエピローグにしろ,最後の選択にしろ何らかの形でつまりミステリー的な解釈でなかったことにしなければなるまいなとミステリーリーダーたる私は悩んでいるところだ。 12章の特徴を書くことにしよう。 1 トリックの王様,密室宣言。 果たして密室がトリックの王様と言えるのかどうかはともかく雪を利用しているのが小品にしろユニークだ。 2 Who done it? 二重人格をミステリーに導入。 3 閉ざされた空間。 1の密室によく似ているが別カテゴリーだ。 その空間そのものが動くトリックは他の作家の作品にもある。 4 ダイイングメッセージ。 これは吾われプロのミステリーリーダーだけじゃなく初心者的なファンでもすぐに思い当たるもので,どんな読み方をするのか,どのように見えるのかということがポイントになる。 5 時刻表トリック。 本格ミステリーに出てくる名探偵では似合わないからという理由で天下一が刑事に扮する。 東野は,このトリックが大嫌いなのか,SEJAなる新たな乗り物を創出してしまった。 6 2時間ドラマ,サスペンス劇場とか一頃大流行の… ここでは私が時々書いている原作vs.映画について東野は, 小説をドラマにするのはいいんだけど,その場合,絶対に原作と違ってて,しかも必ずと言っていいほど原作よりもつまらなくなってる。あれ,どういうわけだろうね。それとも脚本家とかは,こっちのほうが面白いと本気で考えてるのかなと作中の登場人物を通じて述べている。 同感といえば同感,ただし,野村芳太郎監督の砂の器を除いてね…。 7 バラバラ死体。 顔なし死体と同カテゴリーとも言えようが,本作では切手のミシン目模様がヒントになる。 8 ??? つまり最初に作中この作品は〇〇のトリックですと述べてしまうと興味が半減するよね、という東野の主張で、本作ではよくある「一人二役」というカテゴリーである。 9 動揺殺人。 第二祖正史に対する明確なアンチテーゼ主張。 これで東野は第四祖森村についで祖師を批判したことになる。 10 ミステリーのルール。 犯人が探偵や召使いであってはならないというミステリーの不文律があり,本作では読み手が東野の目眩まし作戦にあって,大河原警部が犯人だと誤認してしまうのだが,天下一が指さしたのは,金田警部,だった。 ここで私は,かつて読んだことなど全部みろっとめろっと大忘れでなんと,大河原番三が犯人ではなかった,良かったとぬか喜びしてしまったのだった。 11 首なし死体。 このトリックは今やDNA鑑定の精度が高まって使えない。 しかし本作では重たい死体をヘリウム風船で浮かすために首を切ったという犯人の自供がある。 いかにも東野の理系的な発想である。 12 凶器の話。 氷を刃物にして相手を殺すというのは今までよくあったトリックだが,今回は血液を凍らせて凶器にしたという天下一の推理が披露された。 しかし真相は,右大腿骨の骨折端によるものだった。 以上でございますが,何か? つまりあわてんぼうの天下一の推理がパーフェクトというわけではないのだ。 特にエピローグにおける大河原を指摘したシーンはどうにでもできる根拠薄弱な推理であったことから,大間違い,犯人は別におり,最後の選択における二者択一の選択は,最後に,「名探偵大河原番三警部殿」がでてきてCome back上々颱風(シャンシャンタイフーン)by白崎映美!だったはずなのである。(1/3記)
2023.03.27
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嘘をもうひとつだけ (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 本書は短編集である。 嘘をもうひとつだけ,冷たい灼熱,第二の希望,狂った計算,友の助言の5作からなる。 加賀恭一郎シリーズだ。 表題作である嘘をもうひとつだけはバレリーナの転落は自殺か他殺かという話。 冷たい灼熱は,今でも問題になっているパチンコ店駐車場における社内取り残され児の熱中症死。 第二の希望は,誰が男を縊り殺したか。 狂った計算は,愛人と夫のどちらが殺されたのか。 友の助言は友の事故が睡眠薬飲用によるものだということの証明。 ということでこれら5作も実によく練り込まれた秀作だ。 東野は短編も決して手を抜かない。 多くのミステリー作家が短編を己のメモ化しているのに,東野は本書における全品に血を通わせている。 いまのところ多作家症候群が見当たらない珍しい作家だ。 ここまで来るともう完全に私は東野にのめり込んでいる。 それは一体どこまで行くのだろうか。 本日現在の本ブログアップ数は乱歩66,正史75,清張45,森村74だ。 そして東野はここまで21である。 本当に一生懸命読んでいますな。 われながら大したもんだ。 東野が電子書籍化するのを拒んでいる分久しぶりに紙の本を読むことが多くなった。 電子書籍と紙の本の差異の研究もここに来て再燃だ。
2023.03.24
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天空の蜂 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 読み始めたら一度どこかで観たことがあるなどと思いだした。 そうだ映画化されていたのだ(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記)。 映画の方はこの年最高の映画だったとの感想が書かれていた。 つまり今年の1月14日にアップされているが,観たのは21年のことで,その年の最高の映画ということなのだ。 本作はそれほど感動した映画の原作だったのだ。 映画と原作の関係について様々な記事をこれまでも載せてきた。 論点はどちらの勝ち,というものと,大正史が言っているように,映画と原作は別物という2つである。 では本作はいかにということだろう。 その観点から書けば,原作の精緻さに映画は及ばなかったものの,映画としては実によくできていて,つまり明らかに原作に沿った映画だったけれど,600ページこえの大作を2時間に収めるには省略も当然必要になり,それゆえ私は本作に関しては,別物と判断したい。 本作においては巨大無人ヘリに取り残された子供の存在も一つの大きなアクセントでこの子が救出されるシーンは感動モノである。 それが中盤には終わるわけで,600ページこえの大作,えっ?なのだが,その後のサスペンスも実によくできていて,一気に読み終えることになった。 本作もまた95年初刊,28年も昔ですぞ,それが全く古びていないのだ。 つまり28年前のSF的な発想が今は不思議でもなんでもない状態になったということなのだろうか。 私は理系の東野の精緻な話に潜むメッセージ性に注目したい。 すなわち, 沈黙する群衆に,原子炉のことを忘れさせてはならない。 常に意識させ,そして自らの道を選択させるのだ。というもの。 本作が福島第一原発事故の16年も前に書かれていたことに驚きを禁じえない。(12/31記)
2023.03.23
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パラレルワールド・ラブストーリー (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] いやあ,またしても東野にやられてしまいましたな。 この作家はどの作品も独立していて傾向というものがないので対策も浮かばない。 本作はSFかなと思っていたら,なんとラブストーリーと仏教なのだった。 ラブストーリーは立派なもので,しかも武者小路実篤の,友情,のような友情も入り,そこに人間の記憶に対する研究も入る。 この作品を単なる娯楽作品と考えるのは大間違いだ。 仏教の面は, 自分なんてないのよ。 あるのは,自分がいたという記憶だけ。 みんなそれに縛られている。 あたしも,あなたもという麻由子のことば。 世尊が悟ったのは実にこのことだったのだ! 東野を多彩,多才と評した人もいたが,全くそのとおりでしょう,異議なし。 出版社の商業主義に応じてネーミングの法則を余儀なくされる作家,著者が多い中,少なくとも東野の小説の題名は素敵ではない。 本作もそうだ。 はっきり言ってセンスがない田舎臭い題名だ。 なのに読了した後の清涼感,なるほどこの作品ばたしかに,パラレルワールド・ラブストーリーなのだ。 そもそも私がこの作品に惹かれるのは,たしかに私自身が記憶の捏造を感じることが多々あるからだ。 結局人というのは記憶に縛られる。 そして人は自分の精神の苦痛を紛らわせるために記憶を自分の都合のいいように捏造してしまうのだ。 それが人間なのだ。 智彦が眠りにつきそれが死なのかどうかわからないということ,そこに真実があるのではなかろうか。(12/30記)
2023.03.22
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むかし僕が死んだ家 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] また凄い作品を読んでしまいましたな。 本当にこの東野という作家の無限大のすごさを感じてしまった。 今まで読んできたどの作品も読み手である私をアッと驚かせてくれる。 ミステリーリーダーたる私が本作のような作品のその裏の裏まで読み解けないわけがない。 すなわちただ東野のトリックに驚かされるのではなくて,ミステリーリーダーたる私が根拠を持って驚く,つまり私のその先を行っているのが東野だということになるだろう。 ジェンダーフリーと言われるこの時代僕とか私とかにこだわるのはよくないのだろうが,本作の標題が僕である以上私は昔の家で死んだ人物は僕だとばかり思っていたわけだ。 そのカラクリについてはエピローグで東野が明らかにはしているけれどもこの部分については私は納得できない。 それでも確かに僕ではない私が昔の家で死んでしまったことは間違いのないストーリーで,そこには何本もの伏線が張り巡らされ,ミステリーリーダーたる私も愕然としてしまうという仕掛けなのだった。 ここまで東野の作品を読んできて思うことは,そもそも今回のミステリーリーダーとしての私の活動は,乱歩,正史,清張,森村の延長上にあったはずの東野がすでにこの第四祖までの作家を大きく引き離して,大ミステリー作家の称号が与えられるようなあるいは 永久大ミステリー作家と言えるようなそんな感じの現役バリバリのミステリー作家だということである。 何でも東野の作品がいよいよ100作目になると言うとかで巷間騒がしくなっているようだ。 とても楽しみなことである。 第五祖としての東野の後を探すことは容易ではない。(12/30記)
2023.03.21
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天使の耳 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 私にとっては東野初めての短編集という感覚だ。 東野は短編を書かない作家なのかなと思っていたがそうではなかった。 東野の警察における情報源はどうやら交通警察のようで,本短編集はその交通絡みの話,天使の耳,分離帯,危険な若葉,遠りゃんせ,捨てないで,鏡の中で,の6作が収録されている。 天使の耳は目の不自由な人の耳の能力の高さの話。 その能力がさらなる高みのトリックを生む。 禅語の,百尺竿頭更に一歩を思い出させる。 分離帯は,分離帯を超えるほどの大きなトラックの事故の原因に迫る。 危険な若葉は若葉マークのドライバーが煽られその復讐を遂げる。 通りゃんせも違法駐車で子供をなくすことになった男の復讐譚。 捨てないでは通行中の車から放り投げられた空き缶で失明した結婚間近の女性の復讐話。 鏡の中では,左ハンドル,右ハンドルの危うさの話。 東野の話は必ずひねりが効いている。 平板な話はない。 短編というのはその作家の匂いを薄くする。 読んでいると第四祖つまり森村の世界が浮かんでくる。 ミステリー作家の匂いは長編にして初めてついてくるもんだなと本短編集を読んで思った。 それにしても東野の警察における情報源は実に細やかに東野に交通事故のメカニズムやら交通法規やら交通警察官の実態を教示してくれたんだね。 ミステリー作品における取材力の重要性を感じた作品だった。
2023.03.20
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私が彼を殺した (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 本作も真犯人を言いえぬまま終了となったが,ネット界隈では論理的にあるいは感情的に犯人捜しがなされている。 東野はそれほど現代ミステリー界に影響のある作家ということになるのだ。 巻末の西上心太の解説でも犯人は明らかになっていない。 ただ大ヒントはどうもピルケースということになりそうだ。 それと本作における神林兄妹の愛憎もポイントだ。 最終盤,神林貴弘をして神林美和子の歪んだ内面を語らせ,そして加賀恭一郎にこれで最後のパズルがはまったと言わせておいて犯人を指摘しないのは東野ファンとはいえどうも好きになれない手法だ。 ようするにピルではなくピルケースのすり替え,それができるのは…であり,そのことはすでに中盤で明らかになっていることだから,加賀が最後の一片などと大上段にかぶる必要はなかったのだ。 つまりおそらく85%以上の人が…犯人説に賛成だと思う。 けれども中には別の人,おそらく,表題を,わたしがかれをころした,とそのまま読んだ人がいて,その方も犯人足りうるということを指摘した人もいる。 しかも解決編を作成して。 だからここは東野の見解を聞きたいものだ。 つまり加賀の指さした人はいったい誰だったのか。 雪笹にしろ駿河にしろ作中自分が殺した旨話している。 錯誤が入り込まなければこの二人も当然犯人足りうる。
2023.03.17
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悪意 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 私はすっかり東野にはまってしまった。 本作も指折りの傑作だ。 東野の特徴は一作一作非常に丁寧に織りあげられているタペストリーのような感じのものであるということだ。 つまり例えば今私は加賀恭一郎ものを好んで読んだりしているのだけれど彼が主人公の小説ではあるものの彼が前面に飛び出すということはなく,本作のように例えば物語中盤前にはもうすでに犯人が明らかになってまるで倒叙と言う形をとって,加賀がその動機の証拠を丹念に丹念に捜して解明すると言うストーリーの展開,造りになっているのだ。 このような造りであるから一作毎の物語に法則は認められないわけだ。 東野モノは読み手である我々も丹念に読み込まないと足をさらわれてしまう。 でも本作では例えば作家のペン胼胝(たこ),と言う非常に大きなヒントを出してくれているのだ。 つまり非常にフェアなミステリー作家だと言えよう。 こうして多くの人が東野ファンになっていくんだなと私は思った。 ところで常々森村の後継を東野だと言ってきた私であるが,そう主張する兆しは実はあったのだ。 なんと私のもうひとつのブログである夕顔 絵夢二郎の江戸ハブ日記には30もの東野モノに対する書評がアップされていたのだ! その中には,秘密,とか,放課後,のような作品があってつまり何度か読んだことがある作品なのだが,その詳細を思い出せないまま再度読み始め,そうだった,あーそういえばここでこうだな,などと思い出しながら読んで行くわけだ。 でもこれはまるで油絵のようなもので,絵の具を次から次へと重ねていくようなそんな塩梅の読み方なのではあるまいかなどと今考えているところである。 さらに,この夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記にある東野モノに関する書評30点を読むとまるでギザギザマークのように東野ファンになったり嫌いになったりファンになったり嫌いになったりしている様子が見受けられる。 このようなことが下地になって,乱歩,正史,清張,森村の後継は絶対東野だという結論に達したような気がする。 そして私は今これらの第四祖までの大作家を東野は既に凌駕してしまっているなと感じている。 放課後で江戸川乱歩賞,秘密で日本推理作家協会賞,そして容疑者 X の献身で直木賞を受賞していると言う市井の評価は間違いではないということだろう。 何より読みやすい。 しかも謎解きがさすが理系の作家,非常に論理的だ。 本作においても動機が釈然としないために加賀恭一郎が悩みに悩んで推理を展開していくわけだが,そのトリック,つまり…野々口は果たしてゴーストライターだったのかという点に全てが収斂されるだろう。 このことははっきり言って素人さんには分からない部分だろう。 何作も何作も読み込んだミステリーリーダーだからこそ全部みろっとめろっとお見通し状態になるのである。 いやあ,それにしても本当に素晴らしい作家を見つけてしまったものだ。 しばらく東野漬けになりそうだ。
2023.03.16
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どちらかが彼女を殺した (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 本当に高級な推理パズルである。 その点において第五祖は第四祖(乱歩,正史,清張,森村)を凌駕した。 なにしろ推理パズルとしての材料がふんだんなのである。 無駄な材料が一つもない。 その材料の出し方が実に公平だ。 その中のヒントの一つが利き手である。 本書は講談社文庫で巻末に西上心太の袋とじ解説がついている。 つまり本作は最後の最後に犯人を明示することがないがゆえに解答編的な解説が袋とじでついているというわけだ。 この袋とじを破るときの興奮は何にも変えがたい。 読者よゆめゆめ袋とじを破いてから本作を読むことなかれ! で,西上心太によれば単行本にあった一言が文庫本ではみごとに削除されているそうだ。 ミステリーリーダーたるものそこがどこかなんてことを見過ごしてもただ本作が利き手の問題なんだろうなということは既に見抜いていた。 たしかに単行本のとおりの記載が文庫本にあったらもうその段階で犯人は全部みろっとめろっとお見通し状態になるだろう。 それはともかく本作は加賀恭一郎シリーズの第3弾だった。 加賀が騒ぎまわるわけではない。 本作で加賀は祭文語りに徹する。 本作の探偵役は唯一の血縁である妹を喪った愛知県警の警察官である。 さあ,皆さんは本作の真相を見抜くことができるか,それは読んでからのお楽しみ! This is standing ovation!
2023.03.15
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秘密 (文春文庫) [ 東野 圭吾 ] 本作は1999年平成11年第52回日本推理作家協会賞受賞作品である。 私自身数度読んでいる(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 190422)。 私はなぜ本作が推理作家協会賞受賞作品なのか疑問のまま読み進んだ。 つまり本作にミステリー的な要素が見当たらないのだ。 本作は冒頭に書いたとおりの受賞作品でありそれらは私が定年退職して一年の再任用後嘱託という名のボランティアになった際それまで知の巨人立花隆の言に従って時間の無駄だという小説を切り捨てていた私が再び小説読みに戻った際それでは何から読もうかという段になって江戸川乱歩賞受賞作品と日本推理作家協会賞受賞作品を順に読んでいこうという気持ちになって読み進めた際にも読んだ作品でその書評が上記ブログにアップしていたというものである。 さて東野,私はここで正式に乱歩,正史,清張,森村に継ぐ第五祖と決定する。 それほど本作は優れている。 何回も読んでいるはずなのに今回が最高に感動した。 それからなんと本作では映画のヒロイン広末涼子が, 「秘密」は私にとって色々な意味で思い出深い作品です。 初めての主演映画ということはもちろんですが,何より,本を読んだとたんに,この作品の持つ魅力にすっかりはまってしまったのです。 本のカバーは,一見,重厚なミステリー風ですが,中に描かれているのは,特殊な状況に陥った夫婦の日常を丁寧に描いた切ない物語。 カバーを外すと,子供部屋の精密な風景という単行本の装丁も,内容にとても合っていて,気に入りました。 これが映画になったら是非劇場で見てみたい! ただし,自分以外の誰かが演じてくれるのなら……。という解説を書いている。 そう,役者はこうあるべきだということを広末が見事に語ってくれていますね。 役者たるものこうあるべきであるし,そのうえなんとこの作品の幹を,特殊な状況に陥った夫婦の日常を丁寧に描いた切ない物語,と的を見事に射ているのだ。 ミステリーリーダーであり映画観手である私にとっては役者(女優も男優も)がこうあってほしいという私の気持ちを見事に表現してくれていました,ありがとう。 本作がミステリー足り得るのは先の夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記にも書いたとおりテディベアの中にあったはずの指輪のエピソードに尽きましょうぞ。 見事な一作,スタンディングオベーションであります(映画:夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 230226参照)。
2023.03.14
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名探偵の呪縛 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 本作はまごうかたなき作者東野圭吾のミステリー論である。 まず作中において, 僕たち三人はそれぞれに、子供の頃からずっとそういう小説が読みたかった。 だけどどこにもそういう小説はなかった。 殺人事件を扱い、その犯人を突き止めるという小説はあっても,それはいつも退屈なほど現実的な環境と状況に包まれていました。 殺されるのは企業の機密を握っている社員だったり,不倫中のOLだったりし、その殺人の背後には社会問題と呼ばれるものが横たわっている。 実は作家の目的はそちらを描くことにあり、殺人事件の解明なんてのは付け足しに過ぎなかった。と明確にわが第四祖森村批判をしている。 あるいは第三祖清張のこととも考えられるが東野は清張に関し, まず目に留まったのは,ゼロの焦点という小説だった。 この世界にも松本清張という作家は存在したらしい。 それ以外にも,眼の壁,蒼い描店,黄色い風土,球形の荒野,生けるパスカル,と言った清張ものがある。 ただし時刻表トリックで有名な点と線は見当たらなかった。として明らかなリスペクトをしているから上記の批判は明らかに森村に対してのものだろうと私は判断したのである。 だからこそ彼東野は本格ミステリーを書くのだろう。 私がミステリー小説や映画に望むことはリアリティである。 つまりミステリー屋は取材をしっかりしてほしいのだ。 取材がしっかりしているかどうかはミステリーリーダーが読めば全部みろっとめろっとお見通し状態である。 この点東野は本作中で, 例の交通捜査官から話を聞けることになりました。 彼は早口で言った。 本当ですかっ 私は身体を起こし,手近にあったボールペンを持ち、メモ用紙を一枚ちぎった。 忙しい人ですから、あまり空いている日がないようなんですが 僕のほうはいつでも構いません。向こうに合わせます カレンダーを見ながら取材の予定を立てた。 やや厳しいスケジュールではあるが,贅沢は言えない。としてきちんとした取材をもとに警察の組織等を描き出しているのである。 想像力だけではリアルを描けない。 そしてここまで東野モノに外れがないことも特筆すべきことだ。 だから自信をもって森村批判ができるということなのである。 さてここまで東野モノを読んでそのあとのことも考えなければなるまいな。 本作は今まで書いてきた通り本作そのものもさることながらミステリー論としても佳作である。 その中で, 巨大な本棚がずらりと並ぶ中を,私はぶらぶらと歩いた。 あきれたことに,私のほかに人は全くいなかった。 今更ながら,本離れを痛感せざるを得ない。 夏の真っ盛りになれば,冷房目当てに図書館を訪れるものも増えるだろうが,それでも彼等は雑誌コーナーに居座ったままに違いない。 もっとも私にしても,こういう職業につかなければ,図書館などというものは,全く縁のない場所であったかもしれないのだが。と図書館論も語るのだ。 東野が電子書籍化に反対なものだから今私は東野作品をBOOKOFFで必死になって探している。 コロナ禍で休んでいた図書館にいよいよ復帰の時が近づいてきた気がする(12/23記)。
2023.03.12
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ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 巻末の解説で法月綸太郎が書いていたことで東野の言として密室だの吹雪の山荘だのを好んで書いているがそれらはパロディで…云々というのがあったが東野モノは決してパロディではない立派な作品だ。 以前も書いたが東野に関しては私の別のブログである夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記ではけんもほろろクソミソに東野は嫌いだなんて書いていたはずなのに今は立派な東野ファンになってしまった。 つい最近まで森村森村なんていたのにね。 ここまで読んではっきり言って森村モノより東野モノのほうが筋が良いし読みやすいし理解しやすいし共感できるしということで乱歩,正史,清張,森村と読みついできて東野にいたった私の選択は誤りではなかったと言えよう。 さて本作であるが自称高度なミステリーリーダーたる私にとっては本質が全部みろっとめろっとお見通し状態で結末に大きく驚愕したなどということはなかったけれどでも本当によくできた作品だなあと作品論から言って納得の一作,本格ミステリーのあり方がこうあるべきという見本のような作品だった。 まず雪に閉ざされた山荘という設定がよろしい。 ここで行われる殺人ですなだんだんに人がいなくなる。 本作の中で登場人物に探偵役や召使いが犯人であってはならない法則なんてくそくらえ!的な言動も出てくるが東野はそこもきちんとクリアしている。 つまりその言動で本作の祭文語りが犯人であるかもしれないなんて言うふうなゆらりを読み手に仕掛けてくるのだ。 そういうゆらりをゆらりゆらりと感じながら本作を楽しんでほしい。
2023.03.11
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学生街の殺人 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 学生街の殺人 この作品について記念すべき一冊というほど東野作品として東野が化けたというふうな表現で評価している評論家もいるけれど果たしてそうだろうか? 私は今まで読んだ東野作品と比べると本作は質が落ちているなという風に感じた。 まず登場人物がとても雑だ。 それから舞台を学生街に無理矢理しているんだけれど学生街の雰囲気が全く出ていない。 それでも彼はなんとかトリックを通している。 エレベーターの密室がそれだ。 でもこの密室については私どもミステリーリーダーにとっては全部みろっとめろっとお見通し状態のトリックである。 ミステリーを初めて読んだ人はすごいなあなんて思うかもしれないけれどエレベーターが密室になるのはとても難しいシチュエーションで本作の祭文語りである香月刑事がそのトリックを解くなどということについては何も不自然ではない。 さて本作は初刊が1990年すなわち平成2年ということになるだろうか。 もうこの時代に東野は AI というものについて作品化している訳だ。 平成2年といえば私が仕事でワープロを使い始めた時代でそもそもパソコンが結局それに変わってしまうなどと言う意識すらなかった時代のことだ。 その問題をその未来の企業間競争に当ててストーリー化していった点はさすがに東野、緻密さ,精密さは他の作家は及びもつかない。 既に私は東野は森村を超えてしまっていると言う評価をしたい。 問題は人物が複雑になると収拾がつかなくなるということだろう。 そもそも読み手はいちいちメモを取って本など読まない。 だから登場人物については読者が分かりやすいという風な形にならなければならないのだと思う。 その点本作は残念ながらそこのところに何があったのかなと思うけれども冒頭を書いたように本作が東野が化けた作品だと評価している評論家もいるわけで読んでみてこれが酷いもんだなあなどと思えるようなマイナス点もなくこの作品はこの作品でまた非常にしっかりした作品だったと思う。
2023.03.10
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仮面山荘殺人事件 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 騙されんなよ,読者。 ミステリーリーダーたるもの作品全編を疑ってかかるので本作におけるオチは全部みろっとめろっとお見通し状態だったものの,普通の読者は最終盤で作者にやられたと言う気持ちを持つだろうな。 私が東野がフェアだと思うのはさりげなくヒントを撒いてくれているからだ。 ある意味本作は,Who done itと考えてよろしい。 山荘に集合をかけられた人々,逃走中の強盗犯人が紛れ込む,このあたりはよくある話,しかしこの強盗犯人は容易に集合者を殺めない。 検索中の警察官が二度も当該山荘を訪れるのだが,集合者が強盗犯人が中にいることを知らせることができない。 この辺のサスペンス性はなんとも言えませんなあ。 読み手がドキドキするんだけれど,残ページ数を見ればまだまだ先があると読める。 だがこの辺からミステリーリーダーは本質を怪しみ始める。 こうなるとミステリーというのは書き手と読み手のバトルですな。 文学という枠を超えて見事な格闘技になっているわけです。 正史が,真説金田一耕助(今日、何読んだ?221216)で言っているとおり, 「作家を評価するにはその作家の最高の作品だけを基準としてはならない。その作家の最低の作品も基準とすべきである。その作家がいかに愚にもつかないことを臆面もなく書けるかということも、評価の基準にしなければならない」ということであり,このことについては私は勝手に,多作家症候群,などと名付けて論じているところ,ここまでの東野に最低と評価するような作品はなく常に全力投球ではなかったかと思えるようなしっかりした筆致の作品が続いており,そのことは驚愕である。
2023.03.09
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変身 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 一言で言えば名作! 東野の非凡さには脱帽である。 本作はミステリーとカテゴライズするわけにはいくまい。 またサイコにもカテゴライズされないけれども,サスペンス性は十分にあって,それはまるでボレロのように,主人公がだんだんだんだんだんだんだんだん不幸になっていく。 ミステリーリーダーとしてはこの男成瀬純一がボレロのように不幸になっていくプロセスで本作のテーマである脳移植という状況を考えると,間違いなく移植された脳は,成瀬純一の脳を撃った犯人に違いあるまいと思った…。 このことについて書けばネタバレになるので解答は書かない。 雑な言葉で言うと本作の成瀬純一は作中で語られているように,失敗作のフランケンシュタイン,なのだ。 そして最終盤で成瀬純一は,「廃人といってもそれはこの世界でのことにすぎない。この世界で生きることはできなくなっても,無意識の世界で成瀬純一は生きられるのです。その証拠に彼は消えずに,こうして俺を呼びに来てくれました」とか,脳移植に関する東野の私見なのだろうが, 最大の問題は, 脳片という小さな塊に過ぎないにもかかわらず,京極が生き続けていたということだった。 心臓死の判定がなされ,脳波は停止したが,彼は生きていたのである。 確かに脳細胞のひとつひとつが全て死んだわけではなかったしだからこそ移植も可能だったのだ。とするのは正しいのかどうかは分からないにしても,いつか未来において実際に脳移植が行われ何らかの結論が出るのではなかろうか。 本作は1993年6月講談社より講談社ノベルズとして刊行された作品である。 つまり20世紀末の作品なのだが決して古びることがなく名作として私的にはさんさんと輝き続ける名作なんだなあと思ったのであった。
2023.03.08
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宿命 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] 私は,実はかなりの数の東野作品を読んでいた。 その事に気づいたのは私のもう一つのブログ(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記)を読み返したことと私の本棚を見たことによる。 つまり,夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記,には著者は行のカテゴリーにかなりの数の東野の作品の書評がアップされ,本棚にもかなりの数があったからだ。 夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記を読むと私が東野を高評価していたわけではないということがわかる。 しかし今,こうして,乱歩,正史,清張,森村の系譜を継ぐものとしての東野をまた読み始めると,その精緻さ,理系的閃きなど他の作家にはない優れた要素を持っている作家だということがわかる。 さすが数多の文学賞を受賞した作家だと今更ながらおもうことになった。 さて本作であるが,武器はボウガン。 宿命とあるのは,高校時代からの宿命のライバルとも言うべき二人のことで,1人は医師にもう一人は警察官になったというもの。 この2人にはさらなる宿命が施されていた。 それにしても東野も今や多数の作品を世に問うているけれど,今のところ多作家症候群に陥った部分は認められない。 先日横溝正史の本人による作家の裏話を読んだとき,彼が最低の作品もどうか読んでほしい,それがその作家の全部なのだから,というようなことが書かれていて,それに賛同する私のコメントもあったのだけれど(今日、何読んだ? 221216),そこのところ東野は全力投球で丁寧に精緻に描き続けてきたんだろうな。 本作はストーリー性に関しヒューマン性がないし,仕掛けも単純なのだが,それでもこの作家の非凡さを感じる出来ではなかったかと私は思う。 東野おそるべし,である。(12/16記)
2023.03.07
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眠りの森 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] それにしてもミステリー作品で最後にポロリと涙を落とした。 まずもって不覚だった。 もっとも本作は読むより先に観ていた(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 221228)。 当該作品では加賀恭一郎はおなじみ阿部寛,そして原作とは大きく趣を変え,阿部の見合い相手が仲間由紀恵とトリックファンにはもうなんとも言えぬサービス作品なのだった。 それからすると本作つまり原作と映画は似ても似つかぬものでしたな。 やはり原作の勝ち! さて本作はそれでも映画同様バレエの世界の話で,映画ほどニューヨークに深入りはしないけれど,その分バレエ団の人々の人間関係が精緻に描かれる。 そもそも本作はミステリーと言うよりはヒュマーマンストーリーなのだった! それはともかくトリックも,注射器のかわりに空気入れが使われたりして,相変わらずの東野節だ。 しかし話が連続しているからたどたどしくならない。 つまり一気に読み抜けることができるのだ。 たしかにただただ冗長なミステリーがある中,東野は話を実によく吟味している。 ようするに東野はミステリーを元にしたストーリーテラーなのである。 この本の帯に加賀恭一郎のシリーズの作品名が書いてあった。 ふむ,それを参考にしてこれから読み続けることもいいのかもしれない。 まあそれにしても,実は私は東野作品を結構読んでいて,その評については(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記)に載せているのだ。 ここまでをまとめるとこうだ。 ここは東野に乗っていくほかあるまい!
2023.03.05
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十字屋敷のピエロ (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] それにしても東野圭吾という作者の凄さを毎回私は感じている。 まずもっておそれいったの一言である。 参った,ということかな。 もっとも2年くらい前までは東野作品については,私は結構辛辣な批評も載せていた。 そもそも彼が理系であることから,文系である私が彼と合う訳がないなどと始めから決めていた部分もある。 しかし私が乱歩から読み始め,正史,清張と読み継いで,森村にいたり,その後が東野だと決め始めたあたりから,そのたがが外れ始めた。 さて本作であるが,トリックは,鏡を利用した錯誤である。 そもそも私はトリックとストーリーのないミステリーはないと思う者であるから,後に本トリックが明らかになった部分で,快哉だった。 それはともかく長年のミステリーリーダーとして,冒頭の女性の窓からの飛び降り(自殺とされた),それに車椅子の女性については,最初から怪しいと思っていた。 そう思うかどうかは読者次第だが,少しはヒントになるのじゃないかな。 それから本作の特徴は,無機物であるはずのピエロの人形が、節目節目にコラムで誰も見ていない情景を語るという、読み手にとっては大ヒントとなる仕掛けも施されているというユニークさもあるのだ。 たしかにここまで読んで東野は,乱歩,正史,清張,森村のあとを継ぐものだということを私は強く思うようになった。 ようするに,ミステリー要素である,動機,機会,方法がしっかり書かれているのだ。 ここまでをまとめるとこうだ。 動機はストーリー性に繋がり,トリックは方法につながるということ。 この重要な3要素を抜いてミステリーは語れない。
2023.03.03
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魔球 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ] まずもって東野が,乱歩,正史,清張,森村の後継であると考えた私の指摘が正しかったものだと,本作を読んで思った。 もっとも東野以外にも多くの優秀なミステリー作家がいることも事実であるけれど。 さて本作の出来具合は,読むものをして最終盤に泣かせられる秀作なのだ。 しかし東野はまずもって青春推理というジャンルからミステリー界に切り込んできましたな。 それにしても本作における高校野球の立ち位置が実に巧妙なのだ。 そもそも高校野球というのはどこかストイックで、その成員は決して不祥事を起こしてはならないものなのだけれど、本作ではその仕切をきちんと解いてストーリー性豊かな秀作に仕上げているのだ。 それはともかく本作におけるトリックであるが,時限爆弾の仕掛けくらいかな。 たしかに本作のような時限爆弾の仕掛けはあるかもしれないけれど、その爆弾が爆発することはなかったし、仕掛けられた会社の社長は誘拐されたけれど、身代金が奪われることはなかった。 ようするにこれらの東野が仕掛けた仕掛けを丹念に読み解くと吾らミステリーリーダーにはこの話の概略が全部みろっとめろっとお見通し状態だったのだ! 野球というスポーツにも通暁していないと本作の面白さを理解することはできない。 表題作である魔球という言葉も本作では重要なキーポイントである。 野球に深入りしているとその意味が解けてくる。 だが魔球は,スポ根モノに関するものではない。 壮大な人間ドラマの果にあったものなのである。 しかしそれにしても世の中には様々な書き手がいるものだなとつくづく思った。 東野の場合登場人物を散らさない書き方であり,読み手に晒す手の内もフェアで,これはやはり稀代のミステリー作家だと私は断言したい。(12/11記)
2023.03.01
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