サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2009.04.28
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カテゴリ: 文学
 あまりにも当時の読者を評価しすぎている、と謗られてしまいそうですが、私は紫式部という人は、自分の書くものについて真に共感する人がいなければ、共感できるところまで書きかたを変更することについては、処世術としても何ら違和感を抱かない人だったと思うのです。それは同時に自身の表現意欲を、ある程度たわめることも厭わない姿勢でもあったわけで、それが藤壺や六条御息所と光源氏との、重要な最初の逢う瀬が省かれているといった結果に表れているのかもしれません。
 で、さしあたって現実の宮中では渦巻いている嫉妬と欲望が、存在しない夢御殿の物語を、周囲の希望もあって構想したであろう彼女は、おそらく相当早く書き始めのころから、すでにそんな世界はこの世に存在しっこない、と思っていたのではないか、紫の上を嫉妬と無縁の、いわば 純粋培養のヒロイン として登場させてみたものの、その取り扱いには他の生き生きした脇役たちに比べて、はなはだ精彩が欠けるようにみえるのは(私がなかなか彼女を取り上げないのも、そのせいですが)、あるいはその非現実的な設定にあったのかもしれません。
 とはいえ、その非現実性を最初からあからさまにしてしまったのでは、彼女の宮廷社会での地位は保障されないので、同じような感慨を抱く読者が現れるまで、辛抱強く待っていたのではないか、というのが私の観測です。
 前にも言いましたが、紫式部は一人孤高に立ち尽くして、時代を超越して天才の表現を試みたのではなく、同時代を深く取り込んで、それを体現しようとする表現者だったのです。

 というわけで、彼女が「須磨」「明石」の帖を、ことさら書き割りふうに描いたというのは、ここまでこの物語をよく読んでいる読者の中から、そのころにはすでに出ていたであろう「こんなことありっこない」という声を意識しながら、さりとて凡庸な読者も満足させるための一工夫であったかとも思われるので、だからこそ貴種流離譚にあるべき主人公の大活躍は、ここでは意図的に省かれているのです。もし主人公が昔物語ふうの英雄的行動を、ここで発揮したら、当時でも数百年前の神話的英雄伝の再現にはなっても、同時代の英雄にはなりえないのでした(光源氏の当代の英雄としての振るまいかたは、その後次第に明らかになってきます)。

 それならば、このあたりの帖は今の私たちにとって、小説的にはあまり読むべき値打ちのないところなのかと言われれば、限りなくそれに近いと言いたいところですが、実はそうでもなくて(と、またちゃぶ台をひっくり返すようですが)、途中から出てくる、例の「明石の入道」という希代の偏屈男が、なかなか面白いのです。
 明石の入道とは、すでに「若紫」の帖で、その存在が予告されていて、その奇態なる振るまいゆえに、都を捨てて明石に籠もっている偏屈男として紹介されているのですが、このことからもa系の物語の筋にあって、当初から構想されていた人物であることが知られます。
 「須磨」「明石」の帖が、他と比べて独特の印象を与えるとすれば、この鄙に住まう偏屈男の振るまいを中心として、さまざまに語られる神仙奇談の類で、そうした奇談を繰り広げるには、すでに文明化された(と思われている)都ではなく、まだ古層の文化が生きているらしい鄙(ひな、いなか)が舞台であることが、大事な条件だったのでした。この場合の鄙というのは、都から地理的にはるか離れているという意味ではなく、都人からみて、まったく開化されていない野蛮な地域すべてを指すので、山一つ隔てた大津の石山や横川、あるいは宇治も鞍馬も、彼らの感覚で云えば、すべて文明の及ばぬ野蛮な鄙として意識されていたでしょう。


 このたびの舞台が、そうした非文明地帯のなかで、「須磨」「明石」であるというのは、それらが 海にまつわる神仙譚 を語るにふさわしかったからでしょう。

― つづく ―





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Last updated  2009.04.28 11:19:25
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

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