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2023.06.27
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カテゴリ: あれこれ番外編
​難民の友へのレクイエム1​



久しぶり の夢を見た。


その ​男​ の名は ​ラファエロ​ といった。


と出会ったのは1985年頃、

​私​ カリフォルニア 貧乏 留学生

​宿無し​ 」であった。


それまで2年間

一緒に暮らしていた ルームメイト は、

体重130㎏、

FMラジオのDJ、

バイセクシュアル (知らなかったが)


この ルームメイト 告白 され、

こめかみから斜めに 殴り倒し

アパートを 飛び出していた


貞操 を守るためとはいえ、

寝床 の定まらない生活は 辛く



から

かなり離れた 果樹園 の中に立つ

農家 の建物​


今風にいうと

二世帯住宅 であったのであろう、

二階が

日本でいう 2LDK のアパート形式で

kitchen

dining room ,

bathroom をシェアする

新しい ルームメイト であった。


の3~4ヶ月は

平均気温が 40℃を超える 地方で

​エアコン ない 部屋​​



夜は金髪の美女ではなく

コーラの大瓶 やして

抱いて寝る という生活になった。


さて

この エルサルバドル 出身の

​ラファエロ​ 君、

が起きると

すでにシャワーを浴びながら

ピンクフロイド を聞いて

​“we don’t need no education,
  ウー!”​


などと唸っている。


毎朝

便意 と闘いながら

のシャワーが終わるのを

祈るように 待っていた ものだから、

いまだに ピンクフロイド を聞くと

トイレに駆け込む

条件反射がとれない。


ラファエロ 君は、

と同じく beer drinker

ピンクフロイド を愛する pot head


言語は 拙い 英語

怪しい スペイン語 を駆使して、

きれいな 夕日

広い 墓地 が見える

ガレージの屋上で飲んだり、

になったり していた。




当時25歳と 同い年 であったことと、

社会の底辺 にいたことから

非常に 仲が良かった が、

初めのころの との 会話は難しく

visa の話で

How did you come to the States?

と聞くと、

On foot

と答えるし、

How long have you been here?

と聞くと、

2,4years

と答える。


よくよく話してみると、

彼は エルサルバドル 内戦 から逃げてきて

難民 でキャンプに2年間いたらしい。


家族は siste rがいると言うが、

どうやら 孤児 らしく

修道院のシスター のことらしい。


アメリカ まで 歩いて 来る途中、

グアテマラ を通るときに

空腹のために ​行き倒れ​ になるところを、

グアテマラ おばさん

助けてくれたとのこと。


​行き倒れ​ 」とか

​野垂れ死に​ 」という言葉は

日本 時代劇

出てくる言葉だと思っていたが、

生まれて初めて

それを 経験 した人間にあったし、

その言葉を テレビ からではなく、

初めて 自分 頭の中 で思った。


なにしろ、

拙い 英語

怪しい スペイン語

会話 である。



この 内戦 というのを

Wikipedia で調べてみると、

1969年の ホンジュラス との

サッカーワールドカップ

判定を背景にした サッカー戦争 以降、

国内で 右翼左翼 を問わず

ゲリラ戦​
が始まったという、

われわれ 日本人 には理解しがたい、

いかにも 中南米 というものらしい。



村と村が我田引水のために始まった

​Football​ の原型が想像される。

​(どうも彼との会話を書くと
言語のせいで らしい が多い)​


非常に気のいい で、

一週間に一度の給料日には

エビ を何十尾も買ってきて 塩ゆで にして、

​私​ に三つくらいくれた。


貧乏 留学生時代 には、

たくさんの人たちにお世話になったが、

この エビ が一番 美味しく

食べ終わった後に、

まだ

いっぱい残っているその 赤い甲殻類 を、

が一人で食べるのを見ながら

「コノヤロ もっと寄こせよ」

などとは決して思わなかった。



ある日、 ​ラファエロ​

New London に行こう」

と、連夜の勉強で疲れて寝ている

を起こしに来た。


抱いている

ぬるくなった コーラの大瓶

殴って やろうとしたが思いとどまり、

“What?
  Que paso?
  なんだバカヤロ”


と三か国語で尋ねると、

​「南に10マイルほどいったところで
  KUSAが安く買えるから運転してくれ」​


とのこと。


まったく、

全然、

少しも 興味がない が、

これも 何かの経験 と、

当時はやりのリーボックの

ハイカットスニーカーを履き、

出かけることに。


果樹園 の中を10分ほど走ると

畑の真ん中に

100軒ほどの集落 にたどり着く。


町の名前は New London だが、

住民は一人として 英語 をしゃべらず。


一軒の家を訪れ、

中に案内されると、

いきなり 夫婦の寝室 へと招かれる。


おばちゃん がクロゼットから

風呂敷包み(?) を出してきて、

開けると中に1辺50㎝四方の

アサクサノリ を厚くしたような

が10枚ほど出てきた。


ラファエロ が 

‟Deme Una Onza、Porfabol”

と妙に丁寧に注文すると、

おばちゃん をバリバリっとやぶき、

やおらプラスチックの袋に詰め、

天秤のハカリ

ぶら下げて見せてくれる。


驚いたことに 1オンス ピッタリ


それに

「日本の立ち飲み屋の
 コップ酒の受け皿にこぼしてくれる」

ような、

オマケ を入れてくれて 取引成立


値段 は住んでいる町の

retail price ​50%​


利益率 100%

「drug dealer になれる」 とも、

その上の

「distributerにだってなれる」 などとは

コレッポッチ も思わなかった。



この頃の アメリカ ドラッグ市場 では、

コロンビア 麻薬組織 のトップが、

日本の西武グループの堤義明氏に次ぐ

​世界の長者番付​ に載るほどであった。


この New London は、

現在

幅を利かせている メキシコ カルテル

中継地点 だったのではなかったかと思う。


事実、

私が帰国後直ぐに 警察の手入れ が入り、

SWAT Team とヘリコプターが出張り、

小さな集落から コカイン の精製工場が

三軒出てきたとのことだ。


あの太った

気のいい メキシカン おばちゃん は、

刑務所 に入れられたのだろうか? 


それとも 強制送還

国に返されたのであろうか? 


どちらにしても、

手に入れた 財産

すべて失ったかと考えると、

気の毒 に思う。


現在の アメリカ

大麻がほとんどの州で

合法化 されているので、

カルテル などは私の知らない

新しい ドラッグの開発、販売

しのぎを削っているのであろう。


どうやら 不動産

麻薬の売買

それに ​売春​

どこの国でも お金になる らしい。

​(命と懲役の危険は避けられないが)​









ラファエロ
の肌だが、

中南米 人にしてもかなり い方で、

その容姿は

Michael Jackson にそっくりで、

ハロウィンの時に

赤のジャンプスーツ を着たら

Michael本人

見間違えられる ほどであった。


どこかの そっくりさん大会 に出たら

優勝 間違いなかったであろう。


本人 も意識していたらしく、

ある時いつものように

夕方 ガレージの上で

墓地 に沈む 夕日 を見ながら

ビール を飲んでいると

「俺が 日本 に行ったら
Michel Jackson のそっくりさんで
 稼げるかなあ?」

と訊いてきた。


も調子に乗って

「もちろんだよ。
 大金持ちになれるよ。
 メキシコ湾のエビじゃなくて
 日本のものスゲエ美味いロブスター
 喰い放題だぜ!

 俺がマネージャーやってやるよ。」

と答え、

二人でしばし ハシャイデいた が、

ふと

難民 であること ​​​ を思い出し

​ラファエロ​
 パスポートがないと
日本 には入国できないよ。」

厳しい現実

伝えなければならなかった。



辺りはかなり 暗く なっており、

何百もの ​墓石​ たちも

ラファエロ の顔同様に、

ちびまる子ちゃん 友蔵 のような

スダレ がかかっていた。


は自分を取り巻く

​不自由​ ​理不尽​ を、また一つ

噛み締めていた のであろう。



近年、 アメリカ

ヘンテコな選挙制度のおかげで、

間違って 大統領 になってしまった

大金持ちの 不動産屋のオヤジ が、

難民 の侵入を防ぐために

メキシコ との国境に

​壁​ をつくるのつくらないのと

騒いでいたが、

​ラファエロ​

あの アメリカ へと向かう

行列の人々と同じように、

40年近くも前

エルサルバドル

→グアテマラ

→メキシコ


歩いてきた のだった。


パスポートはおろか 国籍 も、

孤児院 で育ったらしいので

下手をすると そのもの

無かった のかもしれない。



この項続く

6/27/2023 10:00





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Last updated  2023.07.29 05:55:34
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