全19件 (19件中 1-19件目)
1
連休中に母校の学祭に行ってきた。どこもかしこも・・・すごい人の数・・・。6年ぶりくらいにこの場所に戻ってきた理由はただ1つ。リングに上がるためである。(Takeさん、写真提供ありがとうございます!)なんてかっこつけて書いたはいいものの、体の肥大化とスピード、体力は見事に反比例するようで、現役の後輩にしこたま打たれた・・・。2日たった今も頭のたんこぶが痛~い(涙)。それでも老体から振るうカウンターパンチはけっこうヒットし、気付けば彼は鼻血をしこたま出していた。パンチをもらう体験を通じてディフェンスの感覚と必要性を体感してくれたらと思う。もちろん、あまりもらい過ぎちゃだめですよ(笑)。今回の教訓。試合前に練習を積んだWiiのボクシングはやっぱり実戦向きじゃない!当たり前か・・・(苦笑)。さーて、来年に向けてまた精進するぞ!
2008/11/25
コメント(4)
はてさて半年以上ぶりの日記である。そっかー、転職して札幌から東京に戻りもう半年以上経ったということか~。(勝手に回顧)日々が新しいことの連続で、心身ともにストレス度はアップしたが、退屈する暇がないのはいいことだし(笑)、今のうちに吸収できるだけ吸収していきたいと思う。仕事ってのは複雑怪奇だなー、と遠い目に成らざるを得ないときも多々あるが(苦笑)。そんな私の心の支え(?)となるのはやはりボクシング。最近またボクササイズを教えるボランティアも復活した。その縁もあってか、7月末には内藤大助選手の世界タイトルマッチをリングサイドで見る機会を得た!Wタイトルマッチの内容については書ききれないので省略~(笑)。さらに先日は長谷川穂積選手の防衛戦もリングサイドで!(ここでも観戦記は省略~。長谷川選手のパンチスピードは半端ない!粟生選手は残念だったなー。。。)Nさん、本当にありがとうございます。そして本日は、ボクササイズのメイントレーナーを務めるTさん、サブトレーナーのYさんが出場するプロレスを観に行った。「え?プロレス?」と思ったそこのあなたは正しい感覚の持ち主です(笑)。彼らはあるときはボクサー、キックボクサーとなり、またあるときは総合格闘家、さらにはプロレスまでこなす、まさにオールマイティなお2人なのだ。まずはYさん(右側)の登場。知り合いのプロボクサーが試合に登場するのは慣れっ子だが、プロレスに登場とは初めての経験!残念ながら敗れてしまったが、ものすごいラリアートを喰らっての負けっぷりにむしろ感動してしまった。続いて登場したのがTさん。体重が倍はあろうかというテレビでもお馴染み(かな?)の大型選手を相手にまったく当たり負けせず、最後は飛びつきの腕ひしぎ逆十字で仕止めた!我ながら決定的瞬間を捉えたナイスショットである(笑)。試合後にはラリアートのダメージのため超しゃがれ声になっていて気の毒だったが・・・。さらに、この興行にはなんと天龍源一郎も登場していた!超豪快なラリアートとむちゃくちゃ痛そうなグーパンチ、そして見るのも恐ろしいパワーボムに至るまで、伝説は健在だった。他にもプロレスマニアとまでは言えない私でも知っている選手がけっこう出場していて、会場もかなり盛り上がりを見せていた。Yさん、Tさん、お疲れ様でした!選手の紹介や対戦に至るバックグラウンドの見せ方を含む興行の作りこみ方、そしてツボを押さえたビッグネームの招聘など、感心することしきりであった。興行としての魅せ方という点で、ボクシング界が学べることは沢山ありそうだ。さらに、日々地味に働く企業人にとっても、魅せるという意識が大切なのだと気持ちを新たにしたのだった。まずは太り気味の外見を良くするために運動量を増やしていこっと・・・。
2008/10/19
コメント(2)
ブログに書こうと思っているネタはたくさんあるのだが、たまりまくっている。自分らしくないなー(笑)。特に順番待ちの新聞記事の数々が・・・。そんな順番を優に越えたのが今日のWBCバンタム級世界タイトルマッチの長谷川穂積VSヘナロ・ガルシア(メキシコ)。試合観戦後に思わず気合いの入ったシャドーボクシングを部屋でしてしまった私の行動は、ブルース・リーの映画を観終わったばかりの人たちによるカンフーのモノマネに近いものがある(笑)。結果としては的確なパンチを繰り出す長谷川選手が2度のダウンを奪う大差の判定勝ちだった。それでもガルシアのこれぞメキシカンボクサーという粘り腰は立派だった。この試合で注目されたのが判定の発表のされ方であった。12ラウンドの試合中、4ラウンドごとにそこまでの判定が会場に発表されたのだ。観客にとってはメリハリのある試合観戦が可能になり、選手・陣営にとってもより明確な試合運びの戦略策定ができる。日本初のこの試みはどういう効果をもたらすのか、興味をもっていた。果たして今日の試合では、4ラウンド終了時、8ラウンド終了時、ともに長谷川が大差で優位に立ち、その貯金を使って逃げ切った形となった。ワンサイドな試合展開になったときしらけてしまうのではないかという懸念も、逆転KOを最後まで狙うガルシアの気迫によって最後まで飽きさせなかったと思う。うん、なかなかいいんじゃないかな、この方式。私を含めた元ボクサー達はラウンドごとの採点をマニアックにメモったりするので全体感をつかむことができるのだが、通常の観客・視聴者はついつい直近のラウンドの印象に引っ張られてしまう。その点、4ラウンドごとに判定結果が出れば、試合を観ている人たちが全体感、というか蓄積感をもったまま中盤、後半に進むことができるだろう。それにしても今日の試合、挑戦者ガルシアにとっては「後がない」ことを完璧に自覚して臨む終盤戦というのもすごいプレッシャーだったろうな~。この方式、もっと試してもらいたい。でも、1試合が4ラウンドのいわゆる「4回戦ボーイ」のまま引退した私には4ラウンド終了後の採点は完全な結果なので意味はないのか(苦笑)。余談であるが、今日の試合で一番切なかったのは、長谷川の判定勝ちが決まった後、テレビ放映終了直前に聞こえた会場のアナウンスである。「なお、この後、スーパーフェザー級4ラウンドの試合がございますので、そのまま観戦ください」テレビ放映のある世界タイトルマッチなどで用意される「予備カード」の消化である。複数組まれる前座の試合がKOなどで早く終わってしまった時に備え、動かせない放映開始時間までのつなぎとして念のための試合が組まれるのだ。興行によっては、時間通り試合の数々が進行した場合には予備の名の通り幻の試合になることもある。しかし、今日のようにメインイベントの後に試合が決行されることもあるのだ。世界タイトルマッチという盛り上がりのピークの後、大勢の観客達が会場を去る状態で行われる4回戦ボーイ達の試合。あ~、切ない・・・・。勝ったにせよ、負けたにせよ、この現実をバネに頑張るんだ!!←なんとなく自分にも言い聞かせてる何はともあれ、長谷川選手、防衛おめでとう!!
2006/11/13
コメント(2)
亀田興毅が2―1の判定でベネズエラのファン・ランダエタに勝ち、WBAライトフライ級の世界チャンピオンになった。スポーツにおける判定に絶対はないため、これから述べることはあくまで私見である。あの判定には疑問を感じざるを得なかった。もちろん現在の日本ボクシング界を引っ張っている亀田選手を応援していた。しかし、元プロボクサーの端くれとして、この試合は努めて客観的に見た。(過去に自分の所属していたジムの選手が出場した試合の数々を後楽園ホールなどで見ていたときには、完全に主観のかたまりであったが(笑))亀田選手は自分の力を出し切って非常にいい試合をしたと思う。勝利が決定したときの親子の本気の涙には感動もした。しかし、どうひいき目に見てもあれはランダエタ選手の勝ちであったと感じた。亀田選手は1Rに喫したダウンを中盤に挽回していったかに見えたが、全体として手数は少なかったうえ、有効打も少なかった。後半はKO寸前にまで追い込まれ、立っているのがやっとの状態であった。しょうがない面もあるのだろうが、実況はほとんど亀田のヒットのみを強調するまさに偏ったものであったが、アナウンサーの声には現れないランダエダのクリーンヒットがたくさんあった。私の採点では4ポイント差でランダエダ選手の勝ちであった。試合終了直後、東京にいる兄から電話がかかってきた。兄は私がボクシングを始めるきっかけになった人であり、プロにこそならなかったもののボクシングを愛し、日本、世界のボクシングシーンにずっと熱い視線を送っている。「日本のボクシング界はだめになるよ・・・」興奮してひとしきり判定の不当さを主張した後、彼は悲しそうにこうつぶやいた。亀田ブームにのみ頼る日本ボクシング界、視聴率という名の魔力に群がるマスコミが「今は負けるときではない」と判断したような気がしてならない・・・。判定の集計に不自然に時間がかかったことも腑に落ちない。亀田興毅の「初防衛戦」の中継を優先し、毎年大晦日だった「レコード大賞」の放映日をずらしたことが王座獲得前にTBSに決定され、試合の二日前に発表されたことも疑わしさを増してしまう。。。(記事はこちらを参照→亀田興毅「レコード大賞」KO)12ラウンド終了直後、私はこう思った。「この敗戦を乗り越えてこそ亀田はもっと強くなるだろうな」負けを明確には明示していないものの、鬼塚、竹原、畑山ら元世界チャンピオンの解説者達の論調も「次につながる善戦」というものだった。今日の試合の結果をボクシング関係者、一般のファン達はどう受け取ったのだろうか。以前、ボクシング史上最初の黒人ヘビー級チャンピオン、ジャック・ジョンソンについて書いた日記の中でこう書いたことを思い出した。「プロでもアマチュアでも、「純粋」にスポーツを競い、楽しむということは至難な業なのだ。」ボクシングを愛する者の一人として、複雑な思いをさせられた試合であった。
2006/08/02
コメント(4)
突然の転勤のため、勉強会への出席、友人と会う予定など、いくつかの約束を泣く泣くキャンセルして札幌へ来ている。その約束の中に本日後楽園ホールで行われたプロボクサーK君の試合応援があった。K君は私より年下であるが、一足先にプロボクサーになった先輩である。現在はスーパーライト級で戦っているが、当時は私と同じライト級、さらに共にサウスポーということもあり、私が言うのもおこがましい気がするが「ライバル」であった。ふだんはものすごく礼儀正しい青年であるが、リングの上に立つと本当に熱くなる。それは彼が真摯にボクシングを愛している証と言えるかもしれない。学生の片手間にボクシングをしていた私には、ジムの寮に暮らし生活の全てをボクシングに注ぐK君に気持ちの面で勝てる気がしなかった。月日が経過し、私はたった3戦で引退したものの、彼は現役のプロボクサーとして戦い続け、現在は立派なA級ボクサーである。プロボクサーはプロテストに受かるとまずはC級のライセンスを獲得する。この状態が一試合が4ラウンドのいわゆる4回戦ボーイである。(○回戦とは何回戦ったという意味ではなく、一試合が何ラウンドの試合を戦っているという意味である)C級で4勝以上すればB級ライセンスに昇格し、6回戦となる。さらにB級で2勝以上すればA級ライセンスとなり、8回戦、10回戦、12回戦を戦うボクサーはこの最上位に位置する。当然C級→B級→A級と上がるにつれ、対戦相手のレベルも格段に上がり、一勝の重みが段違いに変わってくる。そんな中、K君は前回の試合で苦汁をなめ、再起をかけて臨む一戦だったのだ。私がアメリカに留学中も連絡を取り合い、今回の試合もK君じきじきにメールをくれた。そして、行けなかったのだ・・・。先日札幌からお詫びと激励の電話を入れておいたが、果たして、試合当日の今夜、K君から電話が!「ToneHideさん、6ラウンドでKOしました!!次も頑張ります!」うおおおおおおお!!!!K君、本当におめでとう!ランキングにその名前が載る日を楽しみにしてるよ!友人からもらったパワーを胸にこちらも負けずに頑張るぞ。
2005/11/14
コメント(7)
再び『ホール』へやってきた。もちろん観るためであり、戦るためではない(笑)。現役のプロボクサーだった頃は、ライセンスの提示で数多くの試合を無料で観られたことや、自分のジムの選手の応援という機会が多くあったために、週1くらいのペースでここに来ていた。その総数は軽く100を超えると思う。ちなみに後楽園ホール来訪を自分の試合のためという目的に絞ると、アマチュアの試合で1回、プロテストで1回、そしてプロの試合のための3回という計5回である。スポットライトで眩しく照らされるリングの上はもちろんのこと、バンテージをコーチに巻いてもらいながら精神集中をする地下の控え室、アドレナリンが最高潮のリングへ上がるまでの花道、勝敗により明暗分かれるシャワールーム(確か2基あったが同じ空間なのが微妙である・・・)、そして試合直後に麻酔無しで5針縫われた医務室にいたるまで、喜怒哀楽を含めたさまざまな思い出が詰まった場所である。今回の観戦は、私がアマチュア時代からプロ時代に至るまで大変お世話になったボクシング部OBの大御所、S先生から誘って頂いた。S先生:「ToneHide君と同じような状況で大学の後輩がデビューするから応援しに来てよ」話を聞けばM選手は大学一年生までアマチュアで戦績を重ね、今回大学二年というタイミングでプロデビューの運びとなったということである。アマチュアで20勝を挙げてインターハイでもベスト8までいったという彼に私の戦績は足元にも及ばないが(笑)、大学在学中にアマからプロへの転向という共通点はやはり親近感がある。リングを取り囲む殺伐とした雰囲気、選手達の緊張した面持ち、そして辛く厳しい練習に裏付けされた高い技術と粘り強い精神力。試合内容を技術面から見る客観的な視点と同時にそれぞれの選手にいろいろな背景を感じてしまう情の視点を持ち合わせてしまう。おかげでボクシングの生観戦はひじょーーーーーに疲れる(笑)。デビュー戦からの緊張が見られ硬さは否めなかったものの、M選手の試合運びは危なげがなく、プロ叩き上げの相手選手を3ラウンドで仕留めてみせた。こいつはもっともっと強くなるだろう。おじさんが越えられなかった壁を越えておくれ!S先生が確保してくださった席はなんとリングサイド二列目という素晴らしい席であり、選手達による肩や足のフェイントだけでなく、目によるフェイントまで伝わってくるほどの大迫力だった。ミーハーな話題で言えば、元世界チャンピオンの川島会長や、ボクシング漫画『はじめの一歩』の作者森川ジョージ氏(あるボクシングジムのセコンドをしていた)をすぐ近くで見かけた。ちょっとマニアックゾーンに突入すると、日本の著名なボクシング評論家、ジョー小泉氏がリングサイドで試合を観ながら同時にノートパソコンに何やら打ち込んでいるのが非常に気になった。試合観ながらその場で評論も書いているのだろうか・・・。こんな私でも1つ1つの試合について書き始めるときりがなくなるのでこの辺で(笑)。それにしても、この日リングに上がっていたボクサーがそれぞれの1ラウンドに費やしていた集中力というのものは本当に計り知れない。日常生活で、特に仕事のような場でこのような密度の濃い、そして真剣そのものの集中力で臨めばものすごい成果を発揮するのではないだろうか。ボクシングが3分集中して1分は完全に休むというように、オンとオフのめりはりも大切になってくるだろう。最近自分がぬるま湯に浸かっていることに気付きハッとするとともに、日々気合いの入れどころを作っていこうと自戒したのであった。そうは言っても、真っ白に燃え尽きてしまわない程度にしておきましょう(笑)。
2005/07/28
コメント(2)
こう見えても(?)、アメリカから日本に帰国して2ヶ月たらずで3キロくらいやせた。友人との再会や会社の付き合いのため毎日のように外食が続いているのにも関わらずである。アメリカはそれだけ偉大な国ってことか(笑)。それでもまだまだ運動が足りないし、絞れていない体に納得がいかない!というわけで、今日は実家にいる10年来の親友を殴りまくった。え?私はそんな野蛮な男じゃありません。10年もの間私のパンチを受け止めてくれているのは彼である。(辺りに見える子供グッズは2歳半の甥っ子と半年の姪っ子のものです)あれは私が大学受験を失敗して浪人が決定した時だった。当時すでに社会人となっていた兄と協力して本物のサンドバッグを購入したのだった。高校2年からボクシングジムに通っていたものの浪人時代にはさすがに休会していた私にとって、家にできた徒歩0分のジムは最高だった。もちろん浪人時代の本分は勉強であるので(笑)、決して本格的に練習ばかりしまくっていたわけではないが、ストレスの発散と感覚の維持に大いに役立った。あの期間が丸ごとブランクになっていたら大学に入ってからジムに復帰することもプロになることもなかっただろう。センター試験の前日も平常心を保つためにサンドバッグに打ち込んでいたのが懐かしい。現役時代も忙しくてジムに行けなかったときの自主練用に使ったりしていた。大学を卒業しプロとしては引退し、就職して名古屋に赴任になったときでもたまに実家に帰ると打ち込んでいたし、渡米前もやはりたまに打っていた。金具の老化と我ら兄弟のパンチ力により一度はサンドバッグの鎖が切れて上から落ちたこともあった。アメリカでも学校の体育館にあったサンドバッグを打ったこともあったが、やはり大味な感じがした(苦笑)。そんな彼と2年以上ぶりの「再会」を果たした。いつも元気に動き回る甥っ子と姪っ子が二階で寝静まった後。(これはこれで迷惑(笑)?)6ラウンドくらい打ちまくった。やはりブランクは大きかったが、この感触が懐かしい。なるべくこいつを打ち込むことで昔を思い出し今の励みにしていこう。そしてもっとやせよう(笑)。
2005/07/21
コメント(2)
ほんの10分前の話であるが、WBCスーパーフライ級の世界タイトルマッチで徳山昌守選手が川嶋勝重選手を3-0の判定で下し、王座に返り咲いた。派手な試合ではなかったので一般の視聴者にはつまらない試合だったかもしれないが、徳山選手の技術が光るいい試合だった。以前の日記に触れた故田中選手のジムの先輩として、彼の写真をセコンドに置いていた。(2005-04-30 - 『リング禍を無くすためには・・・・:ボクシングの抱える永遠の課題』 参照)技術と精神力の勝利だったのだと思う。土曜には銀座でボクササイズのレッスンを教えたが、今回はワシントンDCで知り合った5人の友人達が見学に来てくれた。いつもはパンチングミットを持ってパンチを受けるだけの私であるが、この日はみんなに少しでもいいところを見せるために(笑)、スパーリングもやってみた。ここで言うスパーリングとは、練習生の方も私もグローブを装着し試合形式で行うボクシングのことである。ただ1つ通常のボクシングと違うのは私が一切攻撃をしないということ。つまり殴られ屋である(涙)。生徒さんたちはみな女性であるが、この日記でも何度も書いているように、実戦的なボクシングを学んできた彼女達の技術は相当危険である。今回のスパーリングで私の(使い捨てではない)コンタクトが吹っ飛んだのは切れ味のあるパンチをもらったからである・・・。(見学に来てくれたRさん、地面に落ちたコンタクトを見つけてくれてありがとう!!!)さらに唇からは流血し、頭部にはたんこぶをこしらえ、練習後に気付けばあばらが痛かった・・・。皆さんが強いというのを言い訳にしないで自分もちょっとずつ練習しないと生き残れないような気がしてきた!!緊張感のある人生って素敵でしょ(笑)。ほどほどにこれからもボクシングをたしなんでいきたいと思う。
2005/07/18
コメント(0)
つい先日、日本にいる兄(次男)とスカイプを使って話していた時のことである。兄:「スーパーフライ級日本チャンピオンの田中聖二がこないだ(2005年4月3日)の初防衛戦にKO負けしたダメージで(4月15日に)亡くなったよ・・・」ショックだった。私がボクシングを始めたきっかけはこの兄が当時ボクシングジムに通っていたからであり、ボクシングを愛する者として彼もそうとうショックを受けているようだった。。。。私が大学の卒業論文で「スポーツ事故の法的研究」というテーマを扱ったことは以前紹介した。(2005-02-10-『素朴な疑問「リングの上で人を殴ってもボクサーはなぜ許されるの?」:「手術で人が亡くなってもなぜ医者は許されるの?」と実は同じ論理』 参照)この論文を書くにあたり日本ボクシングコミッション(JBC)の本部を訪ね取材を行い、「プロボクシングを取り巻く現状と死亡事故への対策」という項目を設けて以下のような記述をした。-----------ボクシングは頭部への攻撃を是とする特殊なスポーツである。日本でプロボクサーが試合中のダメージが原因で死亡したのはこれまで(2001年1月当時)33人、90年代に入ってから10人のプロ選手が死亡している。ボクシング界では、このような事故を『リング禍』という。一方、メキシコでは49年間、フィリピンでも13年間も試合での死亡事故がない。こういった現状をふまえ、JBCでは、死亡事故をなくすための試みを以下の4つを中心に行っている。1.選手の健康チェック→20戦以上の戦歴がある全選手に頭部のCTスキャン検査を義務づけた。さらに、これまで試合の計量は前日のみであったが、選手の体重の急激な変化が事故につながると考え、当日再計量を導入した。この当日計量はあくまで参考であり、公式記録には前日の体重が記される。2.医療体制の確立→例えば後楽園ホールの場合、約40分で病院に搬送し、90分以内に開頭手術を施せるシステムが確立している。他の会場でもこれに準ずるようなシステム構築の努力をしている。3.治療費の相互扶助→競技の性格上、選手が任意保険に入るのはまず無理である。そこで、試合で怪我をした場合、JBCが設置した「健康管理基金」から医療費が補助される仕組みを作った。これは、4回戦ボーイから世界王者まで一律、ファイトマネーの3%(外国選手は1%)を基金に入れ、手術などの費用を相互扶助する仕組みである。4.レフェリーによる早いストップ→メキシコやフィリピンにおける、長い間の死亡事故の非発生を早い試合のストップに見出し、ルールを外国並にし、早めにストップをかけることでダメージから選手を救うことを提唱している。逆に、遅いストップはレフェリーの保護責任者遺棄致死罪の成立も考えられよう。死亡事故の結果回避義務違反としての過失責任を有する不作為犯となり得るからである。-----------現役のプロボクサーでもあった取材当時の私は、JBCの職員の方の説明を聞きながら、協会の取組みを有効性のあるものだろうと評価していた。しかし、この論文を書いた2001年2月以降、2002年4月の伊礼喜洋選手(八王子中屋ジム)、2004年4月の能登斉尚選手(フラッシュ赤羽ジム)、そして今回の事故である2005年4月の田中聖二選手(金沢ジム)と3件の死亡事故が起こってしまっている。決して濃い密度とは言えないのだがこのスポーツを7年続け、心の強さと体の強さを得たことを誇りにしている私には非常に辛い状況である。スポーツとしての奥深さ、心身の究極の駆け引き、そして結果としての人間的な成長を伴うこの競技を廃止して欲しくはない。今や50年以上死亡事故を起こしていないメキシコから学ぶべきことはまだまだあるだろう。今こそ世界中のボクシング協会が一丸となって死亡事故の撲滅に向けて協力するべきではないだろうか。田中選手のご冥福をお祈りいたします。
2005/04/30
コメント(6)
ご近所のEちゃんと彼氏のI君、Mちゃん、そしてI君のオハイオ在住時代の友達であるKe君、Ko君、T君とディナーを食べた。イニシャル・トークって疲れるな(笑)。オハイオから来た3人衆は初対面だったのだが、この会の前にI君から聞き捨てならない情報を入手していたのだ。「Ke君は名古屋でボクシングジムに通ってたんだよ」観る人は多くてもやる方はやはり数がそんなに多くないスポーツであるので、同業者(?)と会うのは楽しいものである。かくして、実物のKe君はボクサーらしい好青年だった。試合に出たりはしなかったようだが、名古屋のジムに4年ほど通っていたという。私:「どこのジムだったの?」Ke君:「千種のチームゼロです」私:「おおお!俺も名古屋勤務時代そこに通ってたんだよ!」残念ながら在籍期間はちょうどすれちがいという状況だったが、ジム関係の共通の知り合いの名前がポンポンでてきてかなり懐かしかった。さらには中部地方のボクサーのマニアックな話題や、お互いのボクシング歴についていろいろ話して楽しかった。おそらく他の5人にはまったくついてこれなかっただろう(苦笑)。名古屋が地元でオハイオの大学院に通うKe君と東京が地元でワシントンDCの大学院通う私が、同じボクシングジムに通っていたことをヴァージニア州のバーで知る。世の中って面白いなあ。
2005/03/21
コメント(2)
NBC系列でボクシングを題材とした新たなサバイバル番組が始まった。その名も「The Contender」(チャンピオンを狙う者)(番組のオフィシャルホームページは こちらから)去年の夏からFOX系列で始まった同様のボクシングサバイバル番組「The Next Great Champ」(以下Champ)については過去の日記でも触れたことがある。(この番組の概要は『アメリカ版ガ○ンコを見て:金遣い荒いよ!』から、悲惨な末路については『The Biggest Loser:録画ミスで見た新番組』 を参照)今回のNBCの新番組The Contenderにも、Champに出ていたオスカー・デラホーヤのような大物がレギュラー主演している。進行役としてロッキー(シルベスター・スターローン)、メンターとしてシュガーレイ・レナードが出ているのだ。おいおい、いくらロッキーがボクシングのAmerican Icon(アメリカの象徴)だからと言ってもスターローンはただの俳優じゃないか(苦笑)・・・。一方、シュガーレイ・レナードはデュラン(Roberto Duran)、 ハーンズ(Thomas Hearns)、 そしてハグラー(Marvin Hagler)らと共に1980年代の中量級ボクシングシーンを魅了したスーパースターである。ウェルター級からライトヘビー級までの5階級制覇を成し遂げたレナードのスピード感溢れるボクシングは私も大好きである。(私が現役時代に理想としていたボクサーは同じサウスポーでより堅実なボクシングをするハグラーなのだが。他にもアレクシス・アルゲリョのような知的なスタイルに憧れていた)マニアックさから帰ってこれなくなるので話題を元に戻す(苦笑)。トレーニングイベントが毎週あり、その結果から試合をする2人が選ばれて敗者が去る、という展開は両番組とも同じである。選手の家族や恋人という個人的なドラマを描くことで盛り上げる手法もそのままだ。私にとって気になるのは選手達の質である。アマチュアボクサーも混じっていたChampとは異なり、The Contenderは全員現役のプロボクサーを揃えているようである。戦績も試合数一桁台から21勝無敗まで多彩だ。階級はミドル級で統一している。今回の試合はプロの戦績10勝2敗のアフレンゾ VS 21勝無敗のピーターであった。一試合は5ラウンドである。立ち上がりはフットワーク、コンビネーションともにchampよりもレベルの高いところを見せていた。しかし、ピーターについては「これでプロ21戦全勝か?」という疑問符もついていた。そして3ラウンドを過ぎた辺りで両者ともに明らかな疲れが見られた。パンチが手打ちになり、楽な接近戦にもつれこみやすくなっている。私が後楽園ホールで戦った2戦目(4R判定勝ち)と3戦目(4R判定負け)を思い出させてくれた(苦笑)。やっている方はしんどくてしょうがないのに見ているほうはつまらなくてしょうがないというパターンである・・・。泥試合の結果はアフレンゾの判定勝ち。正直、彼らの戦績の質に怪しさを感じざるを得なかった。もっと言えば、テレビ局側が試合中のパンチに「バシッ!」というようなわざとらしい音を付ける行為をやめてもらいたかった・・・。日本で流行していた「ガチンコファイトクラブ」にしても、ボクシング自体のレベルは高くなかった。スポーツとしてのボクシングの知名度を高め世に広める機会としてこの手の番組は大きく貢献していると言えるかもしれない。しかし、ボクサーとしてのパフォーマンスを「演出」することにはどうやっても限界がある。こういった番組に出演できていること自体、彼らが第一線で活躍していない選手だということを証明してしまっているのだ。う~む、ちょっとひねくれた見方になっているかもしれないな。素直にボクシング人気の高まりを期待することにしましょう。
2005/03/08
コメント(2)
雪がまた降ってきた。そんな悪天候にも関わらず仕事帰りのSさんは彼のアパートで行われるボクササイズレッスンのために私を拾いに来て下さった。アパートに到着すると、奥さんのRさんはすでに準備完了。やる気満々が伝わってきて嬉しい(笑)。2人とも基礎を終えてすでにコンビネーションの段階に突入している。ボクシングの奥の深さと新たな刺激を与えるのがトレーナーたる私の役目。というわけで今日のお題はショートのワン・ツー。最高のパンチは腕が伸びきったときに相手にちょうど届き、当たる瞬間に拳を握り打点を形成できた時に生まれる。パンチが届かないのなら間合いを詰めればよい。相手に近づき過ぎた場合はどうすればよいだろうか。距離が近いのにいつも通りの腕の伸ばしたパンチを打った場合、対象が近すぎるためにどん詰まりになってしまう。下がって距離を取るという方法もある。しかし、「接近戦」という状況になると下がることは相手に勢いを与えることにつながってしまう。ここで威力を発揮するのがショートのパンチである。ショートのパンチは相手との近さを考慮して、腕が伸び切っていない状態で打点を形成するところにポイントがある。中距離や長距離で放たれるパンチではなく、接近戦でコンパクトに放たれるパンチと考えればわかりやすいだろう。試合であれば必須のテクニックであるが、ボクササイズではかなり高度な技術にあたるのは間違いないだろう。果たして、SさんもRさんも驚くほど的確なショートのパンチをミットに打ち込んでくれた。ショートパンチの意図を正確に理解して下さった賜物であろう。Sさんがおっしゃっていたように、「ショートが入ることで手数がすごく増える」という利点も見逃してはいけない。コーチ冥利に尽きます。ショートとロングを織り交ぜたときにはさすがに混乱していたようですが(笑)。コーチもたまに混乱しているのでご安心を。基本として自分のベストの型を磨く。一方で、相手(環境)の変化に合わせた臨機応変な動きも実践していかねばならない。いやあ、ボクシングってほんっとに奥が深いですねー。ちょっと水野晴郎風だったかな・・・。
2005/02/25
コメント(0)
Tご夫妻にボクササイズレッスン。ご主人のSさんにとってはすごく久しぶりのレッスンだ。「まあ、今日は軽めにね」こんなノリだったのに始まったらいつも以上の勢いでミットへのパンチを指示してしまっていた・・・。Sさん、筋肉痛になっても恨まないでくださいね(笑)。言い訳っぽくなりますけど、ミットを持っている方としても、いいパンチを受けていると勢いがついてくるものなのです。今日はコンビネーション以外に、ミットを持って人のパンチを受けてみるという練習もメニューに加えてみた。通常のスポーツクラブで行われるボクササイズはエアロビクスのようにシャドーボクシングが中心であり、グローブをつけてミットにパンチを打ち込むことがないところもある。しかし、実際に打ち込まない限り本当のパンチを体得することはできない。さらにストレス解消にもならない(笑)。話がディフェンスに及ぶと、ボクササイズにおいてその練習は皆無とも言える。ボクシングであれば「打たれて覚える」ような危険な風潮もあるが(苦笑)、実際、痛みを伴って向かってくるパンチに対処をすれば生存本能がフル回転して必死に頭と体が反応するようになる。私の場合もジムで始めは「目ならし」という、足は動かさずに交互に打ち合ってパンチを見る練習を練習生同士で行い、それが「マスボクシング(通称マス)」という軽い打ち合いに発展し、最終的には「スパーリング(通称スパー)」という本気の打ち合いにたどり着いたわけである。初めてやったスパーの恐怖は今でも覚えている。「まあ、本気で打たず軽めにやろうぜ」相手となったジムの先輩にそう言われていたのだが、緊張してわけがわからず、いいパンチがその先輩に当たってしまったのだ。とたんに先輩の目付きと動きが変わり、その後はボコボコにされた。。。スパーの相手も始めは練習生同士で、レベルが上がってくると相手がプロボクサーになる。この「練習生VSプロボクサー」という構図を経て、練習生達も次第にプロボクサーへの実力を備えていくわけである。私の所属していたジムはプロが何十人もいる大きなジムであったのでその意味では幸せ(不幸せ?)であった。そうやって次第にオフェンスとともにディフェンスを学びやっとプロテストに合格していっぱしになったと思ってもすぐ上には上がいる。同じC級ライセンスの仲間だけでなく、試合前のB級・A級ライセンスボクサーや日本ランカー、チャンピオン、世界ランカー達とのスパーリングパートナーとしての仕事が待っているのだ・・・。これも大きなボクシングジムに所属する若手選手達の喜びでもあり哀しみでもある(笑)。こうして自分のディフェンスがまだまだしょぼいものだと体感させられる・・・。日本タイトルマッチに挑戦したこともある、自分より階級が上の日本ランカーとスパーをした時は気付いたら地面を眺めていたときがあった。(どのパンチで倒れていたのかも覚えていなかった・・・)今となっては本当によい経験だったと胸を張って言えるが、あの頃は本当に怖かったなあ。なんて法則をボクササイズに適用することはもちろんあり得ないが、少しでもより本物に近いものを学んで頂きたいという思いがある。そこで思い立ったのがミットでパンチを受ける行為である。パンチを受けるにはパンチを見なくてはいけない。さらにパンチをしっかり掴まなくてはいい音を鳴らすこともできない。安全に動体視力を高めることができ、人にパンチを指示することでコンビネーションを考えたりタイミングをとる練習にもなる。というわけで、Sさんが私のパンチを、RさんがSさんのパンチを順に受けることに。受ける方はパンチが自分に向かってくるわけだから始めは怖いに決まっている。始めはミットをただ持っているだけという状態になってしまうのだが、慣れてパンチを見れるようになるとだんだんコントロールできるようになってくる。打つ快感とはうって変わって打たれる不快感は不評でしたでしょうか・・・。慣れてきて相手をこれでもかってくらい疲れさせられるようになったら、これはこれで面白いんですけどね。いや、普段そんな風に考えてミットを持っているわけではありませんので(笑)・・・。練習後は妻も合流して4人でステーキハウス「RAY'S THE STEAKS」へ。ここのレストランはあの格付け団体ZAGATでものすごい高得点をとっている有名な場所。予約なしに行ったら無謀という人気ぶり。電話で予約しようとしてもだめで、現地に前もって直接行かなくてはいけないという。今回もSさんがわざわざ直接出向いてくださって予約に成功。実はアメリカにきてステーキを食べるのは今回が二度目である。でっかくて厚い肉を食べるくらいなら韓国料理屋で焼肉を食べた方がいいなあと思ってしまうからだ。しかし、よいものはやはりおいしい。私が頼んだのは16オンスの巨大ステーキにマッシュルームクリームソースとブルーチーズをかけた「ハウス・スペシャル」。今ちょっと計算したら16オンスって450グラムもあるのね・・・・。(もちろん完食はできずお持ち帰りした)いやあこんなおいしいならステーキもたまにはいいなあ。DCエリアにお住まいの方々へのご参考までに住所は1725 Wilson Blvd. Arlingtonです。あの有名なベトナム麺屋「Pho75」の並びなんですねー。全然気が付かなかった。行ったことのない人はぜひ1度(2度行かなきゃかも(笑))足をお運びくださいませ。
2005/02/11
コメント(4)
「ボクサーはなぜ(リング上で)人を殴っても逮捕されたりしないのか?」これが私の大学時代の卒業論文のテーマであった。(正式名は「スポーツ事故の法的研究」)昨日の日記の最後の部分でスポーツと政治・経済との関わりについて触れたので、今日はスポーツと法律の関わりについて述べたいと思う。卒論と言ってもまだ4年前のことであるし、去年の6月には世銀の日本人勉強会において僭越ながら同様のテーマでプレゼンテーションをさせて頂いたこともあり、私にとってまだ記憶に新しい(はず)。4万字に及ぶ卒論(字数を埋めるための冗長な部分はもちろんある(笑))を細かく説明していると内容も退屈になりきりがないので、核心だけを触れたいと思う。この日記に対する信念として、「難しい事象をわかりやすく伝える」ということを常々考えているのだが、今日の日記は法律用語の難解さや自分の不勉強が手伝ってなかなかうまくいかなそうだ(苦笑)。読者には法曹関係の方もいらっしゃるので、ぜひとも誤りのご指摘や補足をお願いしたい。(ロースクールの卒業生であるかおるさん、Yさん、たからぽん、頼りにしています)冒頭にある質問の答えを一言で言えば、「それは『スポーツ』だからである」というものになろう。そこにはスポーツが社会に有益なものという前提が存在している。今回の目的はこの前提に疑問を投げかけることではなく、どういった状況がスポーツをスポーツ成らしめるのかという法律的解釈である。まずは背景情報として論文の「はじめに」からの抜粋をご覧頂きたい。『右耳鼓膜亀裂、左眼底打撲、左拳打撲、数々のたんこぶ、そして敗北。2001年1月8日の試合で受け取った痛手である。しかし、負けてもなお失われないもの、負けたからこそ得たものも多く存在する。地道な練習で培った強い精神力と肉体。個人競技でありながら学んだ、コーチや他の選手による協力の大切さ。試合後に反省する心。自分の一生懸命に何かを感じて手紙やメールで伝えてくれた友人達の激励・ねぎらいの言葉。プロボクサーとしての後楽園ホールにおける3戦目の試合であった。 私はこれまでの人生において、ボクシングをはじめ様々なスポーツを通して人格と体格を形成してきた。(中略)このように、多くのスポーツと、あるいは深く、あるいは遊びの延長として接することで、私は人生を豊かにしてきたといえる。もちろん、これからも生涯を通じてスポーツと良好な関係を築きたいと考えている。 今回卒業論文を書くにあたり最重要視したのは「ゼミの研究で得た視点を用いて自分独特の関心を扱う」という点である。医事刑法において、医療行為の正当化という考え方を学んだ。このことは医師による手術という行為、またはそれによってもたらされた死という結果をやむをえないものとして当たり前のように感じてきた自分には、刑法上の例外的措置という視点が興味深かった。刑事政策においては、触法精神障害者への対応に、一律ではない、多様なアプローチの刑事政策の必要性を学び、犯罪即処罰ではないことを考えさせられた。スポーツを語るとき、とりわけスポーツ事故について考える際にもこの2つの視点が大切なのである。すなわち、スポーツだから事故も許されるという先入観を打破し、あくまで刑法上の例外的措置だとする視点、スポーツのもたらす利益を考慮した、外形上の犯罪行為即処罰ではない刑事政策の必要性を考える視点である。 今日、スポーツは広く普及し、現代社会において我々はスポーツと関わりなしに生活することは考えられない。(中略)このように考えれば、スポーツは我々の社会生活に大きく影響を及ぼしている、社会的に有意義な現象であるということができる。しかし、他方で、生命・身体に対する侵害ないし危険のますますの増大という無視できない側面もはらんでいる。そこで、本卒業論文では、総論としてスポーツと法律との関わり、スポーツ事故の法的側面を関連法律から全般的に眺めた上で、各論として実際に起きたスポーツ事故に関する判例研究を中心に行う。特に、格闘競技的スポーツに関しては、事故防止に向けた日本プロボクシング界における試みを紹介するとともに、より多くの判例を研究していく。そして、この卒論において、私を含めたスポーツを愛するすべての人々が安心して楽しくスポーツに従事できるための提言を行いたい。 (以下略)』意外と面白そうでしょう(笑)?私の所属していたゼミの研究対象はこの抜粋にもあったように、医事刑法と刑事政策であった。周りのゼミ生が卒論のテーマとして臓器移植法や少年法の改正など、これまでゼミの中で勉強してきたものを選ぶ中で、私は何か新しいものができないかと模索していたのだ。ある晩、試合前の減量による空腹感と試合そのものに対する恐怖感から眠れない夜に閃いた。「このボクシングというスポーツはなんで存在できているのだろう?」決してネガティブな気持ちで浮かんだアイデアではない。ボクシングのスポーツとしての奥深さや面白さは充分に体感してきた。しかし、人を殴ることが公認されるというのはやはり尋常ではないだろう。まず医事刑法や刑事政策とスポーツの関係を熱く語り、教授の説得に成功した。そして、1月の試合前までに日本ボクシング協会への取材や日本スポーツ法学会へ出席する一方で判例などの資料を集められるだけ集めた。残念ながら負けてしまった試合の数日後から、目が腫れてふさがった状態でパソコンの前に座り「はじめに」の執筆を始めたのを今でも鮮明に覚えている。さて、この論文の核心部分を短く表せばこうなる。「スポーツ行為が傷害や死という結果に対して刑事責任を負わなくてよいのは、犯罪が認定されるための要件を満たさない時である」刑法総論の授業のようで恐縮であるが、ある行為が犯罪となる要件は以下の3つである。1. 構成要件該当性(行った行為が刑法の条文に載っているということ)2. 違法性(正当防衛や緊急避難などの止むを得ない事情がない)3. 有責性(年齢や精神障害の有無など責任がとれる状態の判断)犯罪と思しき行為が本当に犯罪であるかの決定は、この3つの基準を全て満たしているかの吟味を通して行われる。例えば、刑法199条は殺人罪について「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」と規定している。1.がないケース:Aさんがドラマの役でBさんを撃ち殺す想定の演技を行った→実際に起こったわけではないので1.の構成要件に該当しておらず無罪2.がないケース:AさんがBさんに急襲され、生命の危機を感じたAさんは自分を守るために止むを得ずしてBさんを殺してしまった→正当防衛のため2.の違法性がないため無罪(そう簡単には言い切れないが・・・)3.がないケース:3歳のAちゃんが生後3ヶ月のBちゃんを窒息死させてしまった。→3歳児に責任能力はないのでAちゃんは無罪(親の保護監督者遺棄罪などは問われそうだが)ここで、スポーツ上のケガあるいは死が刑法上許されるのは2の違法性がない(違法性の阻却)という理由のためである。(=止むを得ない事情が存在するということ)条文的には刑法35条の「正当業務行為」がこれに相当する。救急車の信号無視も、警官による逮捕・監禁も、医師による手術も、スポーツにおける加害といった行為はこの刑法35条によって法的に許されるというわけである。医者以外の一般人がメスを使って他人のお腹を切って開いたりしたら大問題であろう・・・。逆に言えば医師はなぜそのような特権が与えられているのかをしっかり考える必要があるということだ。判例ではスポーツにおける違法性が阻却されるために以下の3点が必要だとされている。1. スポーツという目的を持っている2. ルールに従っている3. 当事者の同意があるちなみに、他の判例で示された医療行為における違法性阻却事由もスポーツのそれとパラレルな関係を示している。1. 治療の目的を持っている2. 医学上一般的に承認されている打倒な方法である3. 患者の同意がある両者に共通するのは、目的・妥当な方法・同意の存在である。もちろん、現実の世界はえてしてこれらの条件にうまく当てはまらない現象が起こるものであり、そのグレーゾーンを巡った裁判の数々が実在する。そうは言っても、医療過誤訴訟にしても、スポーツ事故訴訟にしても刑事責任が問われることは極めて稀であり、判例のほとんどは民事賠償責任を巡ったものであった。かなり乱暴な説明になってしまったが、大枠はおわかり頂けたであろうか。最後に本卒論の「おわりに」を紹介したい。『今回卒業論文を書くにあたり、これまで紹介した判例を含む、数多くのスポーツ事故判例を読んだ 。そして、そのほとんどが、当事者達の、「まさかこんな事故が起こるとは」という油断に起因していると思われた。某大学の合気道部の主将を務める私の友人に、この卒論でも紹介した合気道の事故判例の話をしたところ、「えっ、あの入り身投げなんかで死亡事故が起きたの?」という、思いがけないという反応をしていた。スポーツ事故というのは、日頃危険と思われていないところに潜んでいるのではないだろうか。もちろん、危険を恐れすぎてもスポーツを楽しく行うことはできない。生きていること自体、死への危険性を既に内在しているのである。しかし、スポーツ事故の多くは、やはり事前の注意義務を充分に果たすことで防げたものであったとも考えている。その意味でも、これらの判例に提示された、様々な立場の人々に課された注意義務を理解し、それを実践することが、事故を未然に防ぐことにつながるであろう。また、万一事故に巻き込まれてしまったとしても、加害者側であれ、被害者側であれ、最善の努力の末に起きてしまった事故として、「あきらめる」という決断をすることができよう。試合で破れた私の鼓膜は1ヶ月ほどで再生するという。これは人間の体が持つ自然治癒能力のおかげである。人間の体は脆く、しかし粘り強い。大切なのは、取り返しのつかないような事故を起こさないことである。1度倒れてしまっても、また立ち上がれるのなら、後に続けることができるのである。この卒論を書き上げることによって私が、あるいはこの卒論を読むことによって読者が、スポーツ事故を完全に防ぐことができるとは考えない。しかし、スポーツ事故という非日常を、現実に起こり得る出来事として考える契機となったならば、その意義があったといえるであろう。』皆さんもスポーツを楽しんでくださいね。ご拝読ありがとうございました。ご意見・ご感想お待ちしています。
2005/02/10
コメント(5)
Tご夫妻の家で長い時間お世話になった。まず夕方からRさんにボクササイズのレッスン。ご主人のSさんはお仕事で、私の妻は学校の授業で今回は参加できなかったのでマンツーマンレッスンに。Tご夫妻のアパートのトレーニングルームで毎回練習しているのだが、周囲にはルームランナーやエアロバイク、はたまた筋トレマシーンをするアメリカ人も多い。そんな中でシャドーボクシングをしたりグローブをつけてミット打ちをするのだからかなり目立つ(笑)。用具も全てプロ仕様である。Rさんの成長も目覚しく、教える内容のレベルも次第に高くなっている。本日教えたコンビネーションは2つ。A:小刻みなワンツースリーフォー(四連打)の後、相手の横からの攻撃をダッキングでかいくぐり左フック、さらなる相手からの攻撃をさらにダッキングでかいくぐってボディに右ストレートB:ボディにめがけてワンツーを打ち込み、ダッキングして右ストレートこれを、私が「A!」と叫んだら上記Aのコンビネーションを、「B!」と叫んだらBを打ち込み、それに併せて通常のミット打ちも行うという徹底振り。相当マニアックである(笑)。日本でもボクササイズのインストラクターとしてそれこそ100人近い女性ボクサーの育成をしてきたと思うが、これほど短期間で高度なコンビネーションを教えたのは初めてだ。それだけ優秀な生徒さんということですよ。それにしても、人に教えることにより毎回自分も何かを教わるのだということをつくづく感じる。ボクシングは力を入れる時と抜く時のメリハリとリズムが非常に大切なスポーツだと常々感じているが、この「力を抜く」という部分が非常に難しい。Rさんもフォームがしっかり決まっていても力んでしまっていた。しかし、連打のリズムの中で体重移動の要所を感じながら打ってもらうことにより、力の抜けた、なおかつポイントを押さえた素晴らしい一打を放てるようになってきた。これは他のことでも同じかもしれない。対象に意識を集中させすぎるあまり力みから思うような結果を出せないことがある。しかし、その対象を全体の位置付けの中で捉えられれば、流れに乗って核心に迫ることも可能となろう。単発よりもコンビネーションの方が勢いもつく。ここで注意しなくてはいけないのは、リズムにのって力が抜けたと言っても最終的には目的物に向かった意識を持つべきだということである。Rさんから教わりました。練習後、妻が合流して3人で鍋を食べ、Sさんが仕事から帰宅してからは4人でお話をした。出張で日本に3週間ほど一時帰国されていたSさんとは久しぶりの再会ということもあり、話は尽きることがなかった。それにしても2人ともお疲れのところまさに午前様までお邪魔してしまった。。。。またまた長いことお邪魔しました!これに懲りずにお付き合いしてくださいね(笑)。
2005/02/04
コメント(3)
数日前に日本にいる兄からメールをもらった。「Sさんのジムがオープン!日本プロボクシング協会への加盟が承認されたそうだよ」おお!!Sさんは私が通っていたボクシングジムのトレーナーをされていて、プロ選手であった私のコーチをしてくださっていた。彼自身はプロの道は選ばなかったが、アマで100勝以上の日本チャンピオン、アトランタオリンピックのアジア予選では惜しくもインドの選手に敗れて出場を逃したものの3位となった伝説のボクサーである。世界的に有名な雑誌TIMEの表紙を飾ったこともある。そのような輝かしい経歴を奢ることもなく、フランクに接してくれ、そして丁寧に指導をしてくださったのだ。私の左ストレートと右アッパーはSコーチ直伝である。さっそくそのジムのHPを見つけ掲示板に書き込んでみた。「ワシントンDCからSコーチの愛弟子のToneです。Sコーチ、いや、会長、ジムのオープンおめでとうございます!とうとうやりましたね!!兄からの速報を聞いてネット検索してみたらこのページを見つけることができました。早いもので私も来年の5月に帰国です。ちなみに私も実はこっちで初心者へのボクシングのコーチをやったりしています。日本に帰ったら挨拶に伺います!チャンピオンメーカーになってください!」今日またHPをチェックしてみたらもう返事の書き込みが!「おぅ- 連絡ありがとう!!3年くらい前のこの時期だな-クリスマスと正月返上で一緒に練習したな-きっとアメリカで元気にやっていると信じてたよ帰ってきたら必ずジムに遊びに来いよまたな!!」正確には4年前であるが、年末年始返上で試合に懸けたあの時間を思い出した。1人で誰もいないジムに入り、コーチが来るまで自主トレ。やはり1月に試合を控えていた、後に日本チャンピオンとなる先輩と2人で練習したこともあった。今の自分なんてあの時に比べればまだまだ甘い。過去を振り返ることが今の辛さの励みになることもある。S会長、明日の世界チャンピオンをぜひ育て上げてください!私も自分の目標に向かって頑張ります。
2004/12/01
コメント(6)
授業に2つ出席の後、帰宅。会社帰りのSさんに車で拾ってもらい、彼のアパートでSさん、Rさん(T夫婦)へのボクシングレッスン開始。今日は3回目のレッスンだ。以前、銀座プランタンのスポーツスクールで4年ほどOLさん達にボクササイズのコーチをしていた時から、私のレッスンのコンセプトは以下の4つから成っている。‐ボクシングの楽しさを味わってもらう‐ボクシングの奥深さに気付いてもらう‐ボクシングを通して全身運動を堪能してもらうそして‐ボクシングの苦しさを体感してもらうである。最後の項目はもちろん「打たれて痛い」とかいう苦しさではなく、「3分間ってこんなに長いのぉ!?」という爽やか(?)な苦しさだ(笑)さて、今日のお題は「攻防一体」ボクシングの主なディフェンスの手段として、向かってくるパンチを自分のグローブではらうパリング、左右の動きでパンチをかわすウィービング、上下の動きでパンチをよけるダッキング、前後の動きでパンチを避けるスウェーの4種類がある。このうちのパリングとダッキングを織り交ぜたミット打ちを展開したのだ。私のミットが真っ直ぐ向かってきた時はグローブではらい、横からフックのように向かってきた時はダッキングでよける。合わせて今まで学んだジャブとワンツーをディフェンスの直後に打ち込ませる。たとえ自分が本当に打たれることのないボクササイズでも、ディフェンスを意識したシャドーボクシング、ミット打ちでなければ本物らしくなることはできない。実際のボクシングではディフェンスができてないと本当にパンチを喰らうことになるので、良かれ悪しかれ強制的に体が覚えるという点もある。防御の直後の攻撃、そして攻撃直後の防御は大切な基本なのだ。その絶え間ない切り替えの結果が「攻防一体」なのである。もちろん、そんなかっこいいことを自分が実現できていたらワシントンDCで学生なんてやってないで、ラスベガスのリングで活躍していたことだろう・・・。今日のミット打ちはお2人にとっても相当きつかったと思う。ミットを持った私:「ジャブ!ワン・ツー!」打ち終わりの次の瞬間に右からミットがこめかみをめがけて飛んでくる。それをダッキングでかがんでよけたと思ったら今度は左から。安心する間もなく今度は正面からミットが飛んでくる。数発をグローブではらった後にすぐ声が私:「ワン・ツー10連発!」なんか書いてて自分がすごい悪人に思えてきた(苦笑)。それでもご主人のSさんも奥さんのRさんもテンポよく最後まで打ちきったのだ。う~ん、教え甲斐があります。お2人の明日のもも裏と腰の調子が心配だが、私の4つのコンセプト味わっていただけました?4番目だけだ!なんて怒らないでくださいね・・・。
2004/11/05
コメント(2)
2つの授業を受けてTご夫妻にボクシングレッスンというメリハリのきいた一日だった。授業前にはムービングセールで漫画を売ってもらった Kさんと勤務先の世界銀行の前で待ち合わせ。引越しの片付け中にまた他の漫画が出てきたので、「あげるよ」との寛大なご処置だったのだ(笑)。それにしても、現在警戒度が高くてバリケードに囲まれた世界銀行の本部から「こち亀」や「ゴルゴ13」の入った袋を下げて出てくるKさんも相当の大物だ。警備員の目を盗むようにブツをボストンバッグにしまい込む私の不審度も横綱級である。Kさん、明後日の御帰国だというのに運び屋業務、ありがとうございました。「ストラテジー」のクラスはハーレー・ダビッドソンとヒーロー・ホンダモーターズという2つのバイク製造会社について。ハーレーは言わずと知れたアメリカ文化の象徴とも言えるごっついバイクを作る会社である。今年の2月に「オペレーションマネジメント」というクラスのケーススタディの絡みでペンシルヴァニアにあるハーレーの工場を見学した。Tシャツ、ジーンズ、タトゥー(入れ墨)の三種の神器を身にまといバイクを生み出していく従業員に恐怖を覚え(笑)、また自分達が作り出すバイクへの彼らのプライドを感じることができた。顧客の持つこのバイクへの思い入れも一方ならないものがある。この従業員も顧客も愛するブランドこそが、去年創立100周年を迎えたハーレー・ダビッドソンの強みなのである。しかし、その強烈なブランドゆえの壁にぶち当たっているのも事実だ。以前扱ったキャデラックのケースでも問題になったことだが、メインの顧客層の高齢化による先行きの不安をなんとかして打開しなくてはいけない。お次のヒーロー・ホンダモーターズはインドのヒーローグループと日本のホンダのジョイントベンチャー(JV)である。外国企業の設立が認められていなかった当時のインドで、技術のあるホンダが販売チャンネルを持つヒーローグループと合弁でバイク製造会社を起こしたのだ。このケースで焦点となったのはJVのこれからである。2つの親会社を抱えるJVというのは双方の利害関係のバランスに基づいた生来不安定な存在である。ホンダの唱える"Glocalization"(Globalization(国際化)とLocalization(地域化)を合わせた造語)にこのJVは寄与しているのか。同じバイク製造業でもターゲットや抱える問題は様々だということがわかる。「ショートターム・ホスピタルマネジメント」のクラスは卒業生の講演だった。25年以上前に卒業したK氏はコネチカット州にある非営利病院のCEO(最高経営責任者)。この20数年に起きた規制や市場の変化がいかに病院の経営に影響を与えたか、またそれらの変化の波をどのようにくぐり抜けてきたか。経験者の話というのはやはりおもしろい。社長という身でありながら、赤地にかわいい犬が沢山プリントされたネクタイをつけこなすのもかっこいいなあ。日本で大きな組織の社長さんの話を聞いたり質問をしたりする機会というのは今まであまりないが、アメリカではビジネススクールにいるという状況からも様々な講演の機会を得られる。そこで痛感するのは、彼らのプレゼンテーションの面白さ、コミュニケーション能力の高さである。表現の方法は文化によって異なるかもしれないが、この2つが大切な要素であることは確かであろう。できるだけ見て盗めるようにしよう。差し当たり明日のプレゼンテーション大会にはまだ結果は反映されないことは請け合いだが・・・。授業終了後、地下鉄に乗ってTご夫妻のアパートへ。アパートのフィットネスルームでボクササイズレッスンをお2人にした。インストラクターとして4年ほどの経験を持っているが、ご夫婦に教えるのは初めてだ。まずは基本姿勢から。そしてジャブ、ワン・ツーへとステップアップ。始めはパンチのタイミングを計りかねていた2人だったが、グローブをつけてのミット打ちを開始したあたりからのってきた。2人とも飲み込みが早い。むしろ2人というのが負けず嫌い魂をくすぐっていいのかもしれない(笑)。最終的に2人とも10連打を打ち込めるようにまで成長した。いいスポーツでしょう、ボクシング?(←自画自賛)またやりましょうね~。でも復習は必ずやること!
2004/10/22
コメント(4)
昨日の日記がボクシング関連だったので、引き続きこのネタを。「元ボクサーでした」という話をするとよく聞かれる質問のベスト3に自分なりの回答をしたいと思う。1.「なぜボクシングを始めたの?」きっかけというものはたいてい偶然なものである。高校時代に理不尽な顧問への抗議からラグビー部を辞めたものの何か運動をしたかった。そこで、兄がちょうど通っていた近所のボクシングジムに通い始めたのである。この質問はまだ答えやすいものだが、もし、「なぜ(7年も)続けられたの?」なんて掘り下げが入ったら答えも熱くなるだろう(笑)。これはまたの機会に。2.「なぜボクサーは減量をするの?」この質問には「あしたのジョー」の力石の減量を例に挙げて聞く人も多い(笑)。あの、水道の蛇口を針金でがんじがらめにして水を飲めなくしてしまったすさまじいやつだ。。。トリビア的には、あの減量の背景には原作者の梶原一騎と漫画家の千葉てつやの間に力石の『サイズ』についての誤解があったらしい。つまり、矢吹ジョーの階級(たしかバンタム級、52.16~53.52キロ)に比して力石の体を大きく書きすぎてしまったため、それだけ減量させねばならなくなってしまったというのだ・・・。本題に戻すと、この質問に対しては多くの回答が存在すると思う。現に、東南アジアでは減量をせずにナチュラルウエイトで戦うという方針を持つジムも少なからずある。そのためおよそボクサーと言えないような体型の選手もけっこういるわけだが・・・。さて、私個人の回答としては2つの理由を挙げることができる。(1)自分の身長(170cm)の低さからいってライト級より重い階級は厳しい(体の大きさ、パンチ力、リーチの長さなど)。(2)減量時に研ぎ澄まされた神経・肉体はパーフォーマンスを向上させる。一つ目の答えをより一般化すれば、体重が軽ければ体も小さくなりパンチ力もより小さくなる、すなわち、「自分の現在のパワーをなるべく落とさずにスピードを上げてより軽い階級で戦えば有利である」という前提があるのだ。これが限度を越えると「試合のための減量」ではなく「減量のための試合」という本末転倒した状態に陥ってしまう。余談であるが、私のプロデビュー戦はプロテストに合格した一ヵ月後であった。試合の決まっていた他のジムのある選手がケガをしてしまい、そのジムが代わりに戦える選手を探していたのだ。相手はスーパーフェザー級(57.15~58.97キロ)の選手。ライト級(58.97~61.23)の私より1階級下である。さすがに無理だと思って断ろうとしたら向こうから「契約ウエイト」の提案があった。これは階級の枠組みを越えて決められた制限体重を設定するものである。デビュー戦からマニアックだな(苦笑)。けっきょく、59.5キロの契約ウエイトで手を打った。今思い起こしても相手に譲歩しすぎでしょ、これは(笑)!プロテスト直後だったこともあり、普段の体重よりは絞れてたが、それでもこの一ヶ月であと8キロの減量が必要であった。前置きが長くなったが、これが無理な減量の例である・・・。この試合、結果的に1ラウンドKO勝ちをすることができたらよかったものの、かなりフラフラであった。。。。3.「ダイエットの仕方教えて!」まず、今の私に聞いても説得力ないでしょ(笑)。ここで強調したいのはダイエットと減量がまったく違うコンセプトに基づいているということである。減量:定められた期日の計量の瞬間に合わせてある体重まで絞る。計量が終われば体重はまったく気にしない。ダイエット:体重を落とし、そして維持する。つまり、前者がショートタームゴールを目指すのに対し、後者はロングタームゴールを目指しているのである。というわけで、ボクサーは減量とリバウンドを繰り返すことが多いのだ。私も現役時代は自他共に認める相当のリバウンド王だった。なんて屁理屈はおいといて、極意は1つ「運動量を増やし、食べる量を減らしましょう」参考になりましたでしょうか?授業に遅刻しそうなので速攻出かけることに致します。
2004/09/23
コメント(2)
全19件 (19件中 1-19件目)
1