全521件 (521件中 501-521件目)
久しぶりにミットを打った。クラスメイトのジャマイカ系アメリカ人Cにボクシングレッスンをして、彼にもミットを持ってもらってパンチを打ち込んだのだ。運動神経抜群の生徒になめられてはいけないので、元プロの動きを見せようと見栄はって頑張ってたら、途中で息が切れた・・・。それでもまだ師匠にほど遠いことは感じただろう。やつはまだ練習二回目なのにあんなに上手くなるとは思わなかった・・・。スポーツの世界は特にセンスってものの存在を感じる。まあ、奴はMBAを学ぶベンチャーの若き社長なのでボクシングにはまることはないだろうけど。入学前にすでに会社を経営していたが、このビジネススクールの学生達数人と新しいコンサルティング会社を興し、CEOに就任した。私も誘われたけど、やんごとなき事情により辞退した。彼らのプロジェクトはたまに見せてもらっているが、目のつけどころが非常に面白い。うーん、刺激になる。練習後、近くの映画館で「スパイダーマン2」を観ながら待っていた奥さんと合流してレストランの「IHOP」(アイホップと読む)へ行く。奥さんのMは今日はご機嫌だった。「なんかいいことあったの?」と聞いたら「ビル・クリントンのサインをもらったんだ!」とはしゃいでいた。どうやら彼の自伝の宣伝のためのサイン会が近くであったようだ。そういえばニュースでよくやっていたっけ。午後4時からのサイン会に朝の8時に行ってみたところ、予定の1000人がすでに列をなしていたという・・・。会場の係の人からは「1000人までしかサインは保証できないね。あとは彼の疲れ次第」と言われたそうである。話によると前夜からの泊り込み組も多いようだ。Mが着いた時には彼女は1000人+100番目くらいだった。彼女の後ろには10数人。それでもMは気合いで待ちつづけたのだ。そして、ビルはこの1100人以上のファンの気持ちに応えたのだ。ワシントンDCにある大学で気象学の博士課程を学ぶMでも、ビルの前では「シカゴ出身のMです!」なんてかわいい小学生の挨拶になってしまったのだ(笑)「この距離で握手してね、目を見ながら話してくれたの!」Mの喜びようは止まらない。実はMは去年にはビルの奥さん、ヒラリー・クリントンのサイン会にも行っている。その時は待ったのは5~6時間くらいだったらしいが、ファンとヒラリーの間にはすごい物理的な距離があり、もちろん握手などなく、彼女はイスに座ってひたすらサインをし続けていただけだったという。なんか予想つくな・・・。それでもMは2人を均等に好きだと言う。ヒラリーはニューヨークの上院議員を務め、近い将来の大統領候補もささやかれる現役の政治家である元ファーストレディ。ビルは大統領を8年勤め上げ、現在はシークレットサービスに安全を守られながら本を書いたり講演をしたりして暮らす、初のファーストハズバンド候補なのである。ありえるな、これは。
2004/07/08
コメント(2)
夏学期の新たな授業が始まった。"Financial Statement Analysis"(「財務諸表分析」)課題がタフなので有名なクラスだが、同時に教授の評価も非常に高いクラスである。今日は全体像を触れただけであったが、予想通りの良い授業であった。韓国人の教授の説明はすごくわかりやすく、内容もオーガナイズされている。同じアジア人として、私もこんな的確な英語を話せるようになりたいな。この授業はアカウンティングとファイナンスの橋渡しをするという内容である。これまでに財務会計・管理会計・ファイナンスの3つはすでに学んだが、これらの3つを有機的につなげるという趣旨だ。実際、すでに習ったはずの比率分析やWACC、NOPATなど、多くの用語の意味を早くも忘れ始めているのに気付いた・・・。復習も兼ねてがんばろっと。この授業にはビジネススクールのクラスメイトが2人いた。1人はスイス人男性のM、もう1人はブルガリア人女性のGである。Gは夫婦で同じビジネススクールに通っている。学生時代に出会ったブルガリア人の2人はアメリカに5年前くらいに来ており、すでにグリーンカードも持っている。2人の間には5歳と7歳の女の子がいる。子育てをしながら2人でMBAを学ぶ。ものすごい2人である。現在夫のDはニューヨークのウォールストリートの金融企業でインターンシップをしており、奥さんのGはワシントンDCの銀行でインターンシップをしながらこの授業もとっているのだ。ビジネススクールの一年目に、私とGとは同じチームであったので、マーケティング、ミクロ経済など、多くの授業でプロジェクトを共にした。先学期終了以来の再会だったので、授業後にいろいろ語ったが、特に印象に残っているのが、彼女の経験した「革命」の話である。ブルガリアはほんの15年前まで社会主義政権であった。ベルリンの壁崩壊の1989年に、多くの社会主義体制が崩壊した。当時、彼女はチェコスロヴァキアに留学していた。19歳だった彼女は体制の交代を求めてデモに参加したという。1989年の社会主義体制の崩壊とハベル大統領就任によるチェコ共和国の誕生。これが世に言う「ビロード革命」である。Gは自ら19年間を社会主義体制に生き、15年を資本主義体制のもとで暮らしているということになる。彼女はこの稀有な経験を誇りに思っているし、私も自らの経験を客観的に語れる彼女の視点は素晴らしいと思う。私たちの話は「平等」の持つ多様な意味の難しさや、モチベーションとしての市場主義の必要性の一方でヘルスケアなどにおける分野における政府保護の大切さなどにも及んだ。うーん、難しい。しかし、真剣に考えていかないといけない問題だな。それにしても大学受験のときに興味半分・強制半分で覚えた日本史・世界史の知識が多くの場面で役に立つ。歴史は過去を学ぶだけのものだけではなく、現在と将来を考えるための教材なのだと改めて思ったのであった。さ、宿題やらないと。
2004/07/07
コメント(0)
今日は独立記念日の振り替え休日。クラスメイトのCと奥さんがシカゴからDCに帰ってきた。とうとう預かっていた金魚たちを返す日がきた。一緒にマイケル・ムーアの「華氏911度」を観て、夕飯を食べてから金魚の返還式、ということに。アパートのフロントにチケットがあるかどうか聞いてみた。ある系列の映画館だったら封切り10日後くらいであれば、$5で前売りチケットを買えるという特典があるのだ。残念ながらその映画館は系列外であった。しかし、フロントの彼とさっそく「華氏911度」の話になった。「俺も見たけどなかなかの映画だよ。俺はやつは好かないね」文脈から言って、「やつ」=ブッシュであった。。。映画館はかなりの混雑であった。さすがは政治都市ワシントンDC周辺といったところであろうか。映画の内容についてはこれから観る人のためにも詳しくは書かないが、一貫してブッシュ現大統領の「失政」を糾弾するものであった。プロパガンダ的要素を否めない点はあったが、政府の言動の不一致、イラクとの戦争が本当に必要であったのかという疑問を感じざるを得なかった。あの過激な映像をカットなしで日本で上映するのは難しいだろうとも思った。上映中のブッシュへの皮肉には笑い声が響き、映画終了後には拍手に包まれた。外では次の上映分のための長蛇の列ができていた。映画鑑賞後、メキシコ料理を食べながらC夫婦と映画について語り合った。語り合ったというより、私が一方的に質問しまくったと言った方が正しいかもしれない。「なぜ大統領選に関する上院への陳情をしていたのが皆黒人であったのか」「なぜ民主党を含めた、たった一人の上院議員さえもその陳情に応えなかったのか」などなど。。。渡米する前は「政治と宗教と戦争については友人と議論のテーマとしてはいけない」と自然と考えていた。しかし、アメリカに実際に来てみて、どうも様子が違うと感じた。人事組織論の授業では、文化・宗教がいかにその国の企業文化に影響を与えるかを学んだ。チームプレゼンテーションで、あるチームはキリスト教徒の韓国人が孔子のコスプレをして儒教の影響を説明した。インド人のヒンズー教についてのプレゼンはやはり熱かった。我々が個々に何を信ずるかを越えて、国際的な企業のマネージャーたるもの、彼らの思考の背景への最低限の理解が必要である。現在受講しているヘルスケアシステム入門の授業では、「ヘルスフォーラム」という分担制のプレゼンテーションが毎週あり、ブッシュ、対立候補のケリー、アメリカ医師会、その他のNGOのそれぞれの視点からの意見を発表する。これはディベートと同じで、自分の実際の支持団体に関わらずその立場をとらねばならない。ブッシュチームはブッシュのモノマネをしながら演説を行ったりしていた。けっこう似てた(笑)。彼らの白熱した議論やプレゼンテーションを聞くにつけ、自分の勉強の足りなさ、関心の低さに自省を促させられる。「何が正しいか」の議論は別にして、アメリカの学生達は何を支持するか、その理由は何かを明確に持っていることが多い。自国のことも含めて、私ももっと政治についても関心を持たないといけないな。食事後、三匹のVIPを無事返還した。任務を終えて一安心。一週間という短い付き合いだったが、ちょっと情も移ってしまったな。またCの家で会えるよね。お礼にと、シカゴの街がデザインのマグカップをもらった。シカゴが舞台の「ER」でも見ながらこのマグでコーヒーでも飲むとしよう。
2004/07/06
コメント(1)
独立記念日の今日7月4日はRさんの主催でバーベキュー。時差の関係で5日分に書いてるけどご勘弁を。ヴァージニア州の公立公園のバーベキューサイトを使って20~30人集まる予定で準備開始。天気は不安定。雨が降ったり止んだりを繰り返してる。「ま、いっか、だいじょぶだいじょぶ」先発隊の1人であった私はYさんとSちゃんの2人を車で拾ってスーパーで買出し。石炭買って、飲み物買って、氷買って、飲み物買って、つまみはドリトスでいっか、と。さあ、出るかと思ったらRさんから携帯に連絡。「あ、ごみ袋も買ってきてー!」よし、これで出るぞ。お、またブルっときた。「マッチもお願いー!」リーダー、いぢめないで・・・。軽く迷ってから現地に着くと、場所取り隊のRさんとCさんがすでに待機していた。集合時間の2時まであと30分くらい。炭に火をつけグリルの用意。おお、BBQの雰囲気が出てきたぞー。やや、雨もものすごくなってきた・・・。ゴロゴロしだしてるし・・・。「まあ、たまにゃあ大雨の中でのBBQもオツだね、これね」なんてみんなびっしょびしょになりながら余裕かましてたら「ガッシャーーーーン!!!」ものすごい音が近くで聞こえた。雷がすぐ近くに落ちたのだ・・・。「退け!退け~~!!」みんなが集まる前に、というかあの雷雨の中で何人のツワモノ達が集まっていたか疑問だが、Rさんの家に避難することに。焼き始めていたトウモロコシは雨に打たれ続けて哀愁すら漂っていた・・・。その後、雨も小降りになり、庭付き一戸建ての家主(!)であるRさんの家でBBQ再開。人も次第に集まり、私はAEM(Automatic Eating Machine)と化していた。そんな言葉はもちろん存在しませんよ。Rさん、私を含めた20人もの客を受け入れてくれてありがとう!庭にいた17年ゼミのおびただしい数の死骸はちゃんと掃除しようね!(17年ゼミについては過去の日記参照)Rさんの家をお邪魔した後は、餃子パーティの姉御Hさんの家で二次会。お茶を頂いてテレビでワシントンDCとニューヨークの花火を見ながら、「やっぱりニューヨークの方が豪華だねー。金のかけ方が違う」などど勝手に評価してた。Hさんからはカスピ海ヨーグルトをおすそわけしてもらった!日本では特にボクサー時代、かなり食べていた(一日に1リットル)が、まさかアメリカで育てられるとは思わなかった。大事に育てます!嗚呼、今日でちょうど渡米して一年経過。あと10ヶ月あまり、楽しみながらがんばろう。
2004/07/05
コメント(0)
ヘルスケア入門の教授にチェックしてもらった論文の下書きをもらいに学校に行ったのに、前日の火事の影響か、立ち入り禁止になっていた・・・。来週から宿題・ケース盛り沢山の財務諸表分析の授業も始まるため、早めに終わらせたかったのに・・・。フィードバック無しで先に進む気がしない。。。こうやっていつもギリギリ人生になってしまうのだ。仕方がなく図書館へ資料探しに行ってみる。大学の図書館の名前はゲルマン図書館(Gelman Library)である。ゲルマン人大移動のGermaneとは別物である。大学の建物は寄付者の名前が付くことが普通のようで、教室ごとの寄付とかもあるようである。ビジネススクールのある教室にも寄付者のプレートが貼ってあり、「for people who may study here」(ここで勉強するかもしれない人々へ)かも、ってあなた・・・・。話を図書館に戻すと、そこで人材開発の博士課程で学ぶYさんに会った。彼はアメリカの正式なコーチングの資格を持っており、図書館の住人と言えるほどここに滞在している(と思われる)。そこでほとんどライブラリアンであるYさんに資料検索の仕方を教えてもらい、いろいろ調べてみたが、なかなかクリティカルヒットはないものである。そこでジャーナルのバックナンバーの宝庫である本棚を実際にチェックすることにした。「journal of healthcare financing」「journal of healthcare policy」「journal of healthcare economy」いろいろあったけど、ヘルスケアシステムの国際比較をするという私のお題目に合致する記事・論文はなかなか見つからなかった。単なる比較ならあるのだが、アメリカ(private insurance)、日本(Bismark)、イギリス(Beveridge)にあるような三つのシステム比較となると資料が揃わない。決め打ちをしすぎてしまったか・・・。しょうがないので今回の趣旨をずれて他の本をランダムに見てみると、「journal of healthcare management」という紀要を発見した。これは完全にアメリカ型のヘルスケアシステムに即したヘルスケアマネジメントについての論文集である。一般企業のオペレーション効率を高めるために導入されるBalanced scorecardを病院に適用した事例や救急患者の顧客満足に関するレポートなど、私の興味分野に関する論文の宝庫であった。紀要であるので、持ち出しは禁止である。今回の論文のテーマとはかなり外れるけど、コピーを決意。通常、図書館内でのコピーはカード式で、一枚につき7セントである。まあ、14枚くらいで1ドル、悪くはない。しかし、ラッキーなことにカード読み取り機が壊れてて無料になっていた。ちょっと特殊なコピー機だったので、隣にいたルーマニアからの教育専攻の客員研究員に倍率やレイアウトの変更を教授してもらう。無料ならこの論文も、うむ、あの論文もコピっておこう。なんと200枚くらいコピーしてしまった。14ドル得した!ルーマニア人の彼と「こいつは学校からのプレゼントだな」と言ってひたすらコピーに励んでいたのでした。さて、地道に読まないと。やばい、論文どうしよう・・・。
2004/07/04
コメント(0)
昨日は授業が火事のために休講になってしまい、とんぼ返りで家に帰ってきた。大したことはなさそうだったが、こういう時に厳重に対処するのが今のアメリカを示しているのだろう。アパートに着いたその瞬間に近所のMさんから電話がかかってきた。M「ベトナムつけ麺食べに行かない?」私「のった!」というわけで、仕事帰りのMさん、Hさんと一緒にエデン・ガーデンというベトナム関連の小さな店が終結している場所へ行った。ここは本当にリトル・ベトナムといった様相で、レストラン、喫茶店からCD・ビデオショップ、床屋まで、ベトナム人によるベトナム人向けの店が密集している。学生時代ベトナムを縦断した私にとっても、ここは本物のベトナムを彷彿させる。そんなエリアの一角にあるレストランで具沢山、香草たっぷりのつけ麺をたいらげた。Hさんはこの近所に住んでいるので、このモールにはよく来るということで、どんな店があるかも詳しい。食後はまずタピオカ入りシェイクを飲めるドリンクスタンドへ。これって台湾発じゃなかったっけ?なんて疑問はマンゴーシェイクのおいしさにかき消された。そしてその店においてあるガチャガチャに魅せられてしまった。PBS Kidsという子供用のテレビチャンネルの人気漫画「クリフォード」のキャラクター人形のガチャガチャだったのである。はっきり言ってベトナムとはまるで関係ないが、英語の勉強のために学校の勉強の息抜きに子供アニメをかなり見こんでる私にとって、クリフォードのガチャガチャは「買い」であった。25セント2枚を両脇から入れてガチャガチャっと。出てきたのはクリフォードの友達の犬、T-Bornだった。ぜんぜんわからない人、ごめんなさい。最後に寄ったのは惣菜屋さん。「ここの揚げ出し豆腐が最高なの」というHさんの売り口上に乗せられて購入。そして今朝、実家から送られてきたカツオブシをたっぷりまぶした揚げ出し豆腐に醤油と麺ツユを落として食べた。大ヒットアメリカにおける「ごはんがススムくん」として認定しよう。
2004/07/03
コメント(1)
最近新しいカレーの食べ方を発見した。というか思い出した。用意するものカレー(インスタント可)ごはんチーズ(ピザ用のやつがいいかも)もうお気づきいただけたと思うが、あつあつのご飯の上にまずチーズをのせ、その上にこれまたあつあつのカレールーをかける。とろけるチーズとカレーのハーモニーは絶妙である。実際、このチーズカレーは日本にいたときに「ボンディ」という有名なカレー店で食べたことがあったのだ。さて、最近私が頻繁に食べてるチーズカレーは・実家から送られた日本のインスタントカレー・近所のスーパーで買ったメキシコ料理のエンチュラダ用のチーズ・ちょっと遠くのアジアンスーパーで買ったアメリカ産の日本米を使用している。このチーズがすごい。Cheddar, Monterey Jack, Asadero, Queso Blancoという4種類のチーズが一つのパックに入った優れものなのだ。無論、4つの味を区別することなど不可能だが、なんとなく豪華な気分になれる。まあ、とろけて一つの味になっているということで。おいしいよー。今度はニンジン、ジャガイモ、玉ねぎを買ってちゃんとしたカレーを作ろうっと。-------------------なんて日記を書いてから授業のために大学に行ったら、なんと火事で休講だった・・・。外から見た感じはなんともなさそうだったが、ものすごい数の消防車とパトカーが辺りを囲んでいた。火の元には充分気をつけましょう。
2004/07/02
コメント(2)
現在通っているビジネススクールで同じ学年では私は唯一の日本人である。授業に関しての疑問や愚痴を日本語で話せる相手がいないという孤独、辛さはある。しかし、せっかくアメリカに来ているのだから、英語しか使えない環境に身を置けるというのは非常に贅沢で貴重である。実際、表現力はまだまだ乏しいものの、聞く力は着実に伸びている実感がある。当然、授業は全て英語で行われるし、多くの授業でチームの課題があったためミーティングが毎日のようにある。このミーティングが辛い。授業の英語は教授の比較的聞きやすい英語。ミーティングの英語はクラスメイトのスラング交じりの英語。アメリカ人でも留学生に気を遣ってゆっくり話してくれる人、かまわず猛スピードでまくしたてる人、様々である。特にインド系の人たちの早くて舌を巻く英語は本当に聞き取りにくい。チームにいかに貢献するか。話題についての予習をしっかりやる。文章をチャート化、数値化して可視性に訴える。等の努力をしてきたがまだまだこれからの課題である。なんだかんだ言っていい奴等ばかりなのが救いであるが。たった一人の日本人ということは、授業の話題が日本関連の時の絶好の標的となる。ビジネススクールで学んでみて驚いたのが、「日本の存在の大きさ」である。教科書、ケーススタディ、国際比較、なんでもござれであった。トヨタの「Just In Time」や「カンバン方式」などはオペレーション面の手本として登場し、日本の貿易政策などは非難の的として扱われる。プラス面でもマイナス面でも教授は私にふってくる。日本語でもうまく説明できない状況であるから英語だと本当に悲惨である。英語面の力不足はともかく日本の最新のビジネスシーンに疎いこの状況は変えねばならぬ。この思いから2月よりアメリカの支社を通じて「日経ビジネス」の定期購読をしている。学割まであるということを、留学をしていた会社の先輩に教えてもらったのだ。日本語だったら早く読める!大意をつかみやすい!ささやかな発見であったが嬉しかった。日本じゃ完全に内税になったのかー。スーパーの値段表示も苦戦してるんだな。消費者の持つ割高感の心理ってのも難しいもんだ。などの気付きを毎週得ている。アメリカにいるからこそ英語に浸かる努力日本を離れているからこそ最新情報をキャッチする努力バランスよく続けたいと思う。
2004/07/01
コメント(0)
現役のボクサーだったころ、アルバイトでボクササイズのトレーナーをやっていた。銀座の百貨店の7階にあるエクササイズスタジオで週に一回、OLや女子学生の方々にボクシングを教える。ボクササイズはボクシング+エクササイズであるので、受講者が打たれる危険がないように配慮をしている。しかし、一方で手ごたえ(打ちごたえ?)のない練習はつまらないので、サンドバックを用意し、ミット打ちもあり、そしてスパーリングもある。このスパーリングはこちらが一方的に打たれるという、言わば「殴られ屋」である(涙)。そう、華やかさにはほど遠い過酷な仕事なのである。もちろん、現役時代の私としてはディフェンスの良い練習にもなったが、反撃のできない、一方的な攻撃に対する防御というのは非常に難しいものだった。受講生のレベルもものすごく高かったし。。。正直、鼻血を出したのは一度や二度ではない。もちろん、この鼻血は打たれてのものであってやましいものではない・・・。なんだかんだで6年間くらい勤めただろうか。-ボクシングを教えるという行為を通じてボクシングを教わる-受講者の成長を感じる喜び-感謝される喜び-広い人脈構築の場-プロボクサーとしての自分の試合のチケットを買ってくれる上得意さんを作れる(笑)以上のように、非常にいい経験であった。アメリカに来ても個人的にシャドーボクシングをしたり、大学のスポーツセンターにあるサンドバッグをたまに打ったりしたりしているが、時には教えることもある。クラスメイトにはトルコ人の元プロボクサーもいるが、彼はもう90キロ以上となってしまい、「いつか一緒に練習しような」という決り文句が果たされる日はくるのだろうか・・・・。昨日の日記にも登場したクラスメイトのCにはレッスンをしたことがある。彼はジャマイカ出身でスポーツ万能であり、大学時代はイリノイ州の陸上大会で400mの3位になったくらいである。パンチ力、フットワークともに黒人のバネのすごさを思い知らされた。こいつはこれ以上強くしちゃいけない(笑)他にも同じ大学の女性の友達を何人か指導した。始めは拳の握り方も知らなかった一般女性が2時間後には「殴り方」を心得た危険な女性に変身する(笑)。今日コーチをしたのはアメリカにすでに15年も住んでいるご近所のRさん。RさんはDCの日本人社会のお姉さんであり、ジョージタウンの古着屋で働いていたときには「地球の歩き方・ワシントンDC」にもカリスマ店員として掲載されていた。実際にRさん目当てに来店するアメリカ人や日本人も多かった。彼女の人脈は計り知れないほどの広さである。そして、彼女のやる気とパンチ力はすごかった。これまでに何十人も教えてきたが、初日のミット打ちであそこまでいい音を鳴らせる人はそうはいない。また1人、危険なファイターを創出してしまった・・・。Rさん、人前では平手打ちね、平手打ち。
2004/06/30
コメント(0)
家族の不幸のためにDCから実家のシカゴに戻ったアメリカ人のクラスメイトCから電話がかかってきた。「頼みがあるんだけど・・・・」話を聞いてみると、訃報を聞いて夫婦で急いで家を飛び出してしまったために、猫のエサまでは用意したけれど、三匹の金魚のことをすっかり忘れてしまっていたというのだ。一日最低一回はエサをあげないと金魚たちが死んでしまう。できたらDCに戻るまでの一週間、毎日アパートまで行ってエサをあげてくれないか、というのだ。彼のアパートまでは車で高速使って片道20分くらいの距離である。私の方も秋・春学期ほどではないと言え夏学期の授業もとってるし、正直しんどいミッションだなと思った。しかし、他ならぬCの頼みである。ジャマイカ出身のアメリカ人であるCは私の過去の日記でも、花火大会に一緒に行ったり、ピクショナリーを教えてくれたクラスメイトとして度々登場している。学期中は統計や会計のケーススタディを明け方まで一緒にやった戦友なのである。私のつたない英語を忍耐強く聞くその姿勢には本当に助けられている。私が話すスラングは全てこの男のせいと言っても過言ではないだろう。というわけで彼のアパートに向かった。アパートの暗証番号、カギの隠し位置は電話で聞いたとおりであった。ドアを開ける。見慣れた猫、tigeress(ノリ的にはトラ子?)が出迎える。部屋の電気はつけっぱなし、FMラジオもついていた。「そんなに急いでたのか??」と思いつつも、三匹の金魚にエサをあげ、蛍光灯とラジオもオフして引き揚げようとした。また明日くるべかな。まてよ。この金魚とエサをうちに持ち帰れば一週間もここに通わなくて済むんじゃないか?幸い彼らは大きな金魚鉢にではなく、一匹ずつ小さいプラスチックケースに入っている。そのことを彼に電話してみたら「その手があったか!!頭いいな!頼んだ!」ということだったので、早速行動に移すことにした。3匹のVIPを車の助手席に注意深くエスコートして準備オッケー。しかし、電灯とラジオについては「ネコが寂しくならないようにするため」わざとつけていたとのことである。「甘やかすな(笑)!」とツッコミを入れておいたが、再度つけるために引き返した・・・。帰り道。こんなに慎重に運転したのは、国際免許が切れてからこっちの免許を取るために受けた実技試験以来だろうか。なんとか部屋まで連れて来て、C夫婦に現着報告。「I'm in debt to you!!!」(恩に着るぜい!!)と、ものすごく感謝された。「気にすんな!でも喜ぶのはまだ早いよ!俺は動物飼ったことないんだから。一週間後に無事再会できることを願っていてくれ・・・・」OK guys, it's time to feed!
2004/06/29
コメント(0)
「ピクショナリー(pictionary)」というアメリカのボードゲームをご存知だろうか。語源は「Picture」+「Dictionary」2人1組になり、お題となった単語・熟語について、所要時間一分間以内に片一方が絵を書き、もう一方がその絵が何を意味してるかを当てるゲーム。正解すればサイコロを振って先に進めるというボードゲームである。例えばお題が「ハンガー(hanger)」だったら超簡単。勝負は秒を競う。しかし、問いは優しいものばかりではない。「funny(おかしい)」「retreat(退却)」「nickel(ニッケル)」(5セントの別称でもある)「toilet bowl brush(トイレ掃除用のブラシ)」「the Sahara Desert(サハラ砂漠)」「Madrid(スペインのマドリード)」「in the line of fire(弾道に身をさらして)」などなど。。。ジェスチャーは禁止であり、$、#などの記号は良いが、文字・数字等は一切だめ。全ては書き手による単純でポイントを押さえた絵と答え手による想像力・こじつけ力にかかっている。クラスメイトのアメリカ人の友達にこのゲームを教えてもらい、あまりの面白さにはまって自分でも買ってしまった。そして今日は日本人6人(3チーム)によるピクショナリー大会であった。書く方、答える方とも、各自辞書を使うことは反則ではない。いきなり「teepee(インディアンのテント小屋)」とか「boa constrictor(南米の大蛇)」などを出されてもわからないから・・・。英語の勉強になることはもちろんのこと、みんなの絵を書く能力、もっと言えばその単語を絵で現す際の発想力が垣間見れて非常に楽しい。絵がうまい人でも一分という所要時間に自滅するケースもしばしばである。というわけで今回は、持ち主の私とIさんの「シュールリアリズム・技術よりハートコンビ」が優勝した。ここで皆さんに問いかけを。お題は「skin」一分以内で書いて相手に答えさせねばいけません。どう表現しますか?私の相方Iさんは・・・・・・。
2004/06/28
コメント(0)
本日はお友達の家で餃子パーティであった。無心で餃子を包む包む。もちろんBGMはMisiaの「包み込むように」変わり種担当の私はチーズにアジアンマーケットで購入した納豆を持参。「包む・焼く・食べる・語る」の永遠なるローテーション。夕方6時に始まった会は気付けば夜中2時近くまで続いていた。総勢8人がニンニクと納豆とそして箸休めのキムチの風味に身を包まれた。そう、包み包まれ幸せな一日だった。皆さん、お疲れ様でした。そしてHさん、素敵な会をありがとう!!
2004/06/27
コメント(2)
先週の土曜に受けたTOEICが次の週の金曜にもう返ってきた。日本だと一ヶ月くらいかかったような気がしたが。。。理由としてはアメリカでトイックを受ける人が少ないのでオペレーションの仕事量が極端に少ないことが考えられる。採点もライティングのあるTOEFLやGMATとは違い、マークシートを機械に通すだけのことなんだから。結果は980点だった。リーディングは満点で、リスニングで10点(2問?)間違えたということらしい。4年前に二度受けたときは710点→650点と推移していたので、実に330点アップである。。。。初の留学も一年が経過し、その成果をTOEICのスコアという形で出せたことは素直に嬉しい。全国の純ジャパニーズの方々の励みになればいいと思う。が、しかし、いまだにアメリカ人との議論もまともにできないこの現実はどうしてくれよう(苦笑)スーパーのおばちゃんの異常に早い英語についていく辛さからまだ解放されないぞ!スコアシートと一緒に送られてきたスコア判断の目安というのを見てよけいブルーになった。- Effective Communication, both formal and informalinformalと言えば、確かに語尾に「man(メーンと発音)」をつけるようにはなった- Capable of conducting meetingsクラスのミーティングでは聞くのにせいいっぱいで、「invisible(透明人間)」と化している。- Only rare errors in basic structuresいまだに三単元のSを忘れたり、名詞だけで会話を挑んだりする。などなど。。。うーむ、ものすごい自己嫌悪を感じる。。。っていうかもう二度と受けたくないな。。。くよくよしても仕方がないので、トイックの人たちが設定したこのレベルまで英語を使えるようになるべく頑張ろう!と気持ちを新たにテレビのスイッチをオンするのでした。まだまだ道のりは険しい・・・。
2004/06/26
コメント(3)
夏学期の授業、「アメリカヘルスケアシステム入門」は非常に興味深い。私は医者ではないが、日本の病院経営を改善したいという目標を抱いてアメリカへMBA留学をしているわけだが、アメリカの医療システムの抱える問題点を逆に学ぶ形となり、変わらなければならないのはむしろアメリカの方じゃないのか、という疑問を抱える日々となっている。今年の大統領選挙の大きな争点にもなっている、無保険者の問題がある。国民皆保険の日本とは違い、アメリカでは健康保険に加入する・しないの「自由」があるのだ。たいていは勤務先の会社を通して保険に加入しているのが現状だが、現在保険にまったく加入していないアメリカ人は4000万人を超えるという。実際、保険に入っていなければ通常の診療を受けることは実質不可能と言ってよい。技術と同様に治療費も世界一なのであるから。。。また、保険制度も多種多様にわたる。保険に入っていると一口に言ってもそのカバーする範囲はものによってまったく違う。どのような治療ができるかは保険会社が決めるという現実もある。そのような複雑な状況が、今日の授業では人気アニメ「シンプンソンズ」の登場人物にあてはめて説明された。主人公のホーマーは会社員であるから、勤務先を通じて保険に加入している(だろう)。雇用者のMr.バーンズはどのタイプの保険を社員に与えるかを選定する立場。教授の「彼は治療カバーの範囲よりも、なるべく安い保険を選ぶだろう」という意見に誰もが同意していた。バーの主人モーは個人事業主、つまり自分で保険会社を選び、加入することになるだろう。日本の個人事業主が国民保険に自動的に加入されるのとは事情が違う。ホーマーの息子、バートのクラスメイトのネルソンは父子家庭である。さらに彼の父親はまともな職業についていそうもない。この場合、一定の所得を下回る貧困家庭への医療費援助であるMedicaidが適用される可能性がある。などなど。。。「アメリカンドリーム」という言葉にはどん底から大金持ちへの大成功といった響きが含まれている。そしてその裏には成功者と貧困者の絶対的な格差が存在しているのだ。医療における「公平」には二つの意味があると考えられる。一つは「だれでも・どこでも・いつでも」医療を受けられる「平等」という意味もう一つは頑張って成功した人々がそれ相応のレベルの医療を受けられる「自由」という意味現在の日本は前者寄りに、アメリカは後者寄りに振れているのだろう。「自由の国」アメリカで政府主導による国民皆保険の実現はそのカルチャー故に難しいかもしれない。しかし、大切なのは両者のバランスだと考えている。政府の適切な規制がなければ患者の選別が進んでしまうだろうし、市場原理がまったく働かなければ医療サービス提供者側の向上心、患者(顧客)重視のビジネスマインドが生まれない。「日本の制度の方がどう考えてもいいじゃん!」という早急な結論の前に、しっかり学んでいきたいと思う。
2004/06/25
コメント(1)
論文執筆に煮詰まっているので現実逃避・・・。たいていのアメリカのレストランでは食べきれなかった物を持ち帰ることができる。「Can I have a box (boxes)?」と言えばウエイター(ウエイトレス)が持ち帰り用の容器を持って来てくれるか、残ったものをいったん下げて容器に入れて持って来てくれる。ご多聞にもれず何でも量の多いアメリカにおいて、これは実にありがたい制度である。残すという罪悪感もないし、何より後でまた食べられる。先日も友人とバルチモアのシーフードレストランでディナーを食べて、残った分を持ち帰ってきた。持ち帰り権をくれたTちゃん、Rさん、ありがとう(笑)!翌日の朝食は幸せだったなー。。。シュリンプにクラブケーキ(カニのすり身のフライ)。ご飯を炊き忘れたから食べた、実家から送られた赤飯(レンジでチンのやつ)はちょっと合わなかったけど(苦笑)。日本でもこのお持ち帰り制度を普及すべきだ!たまーにあるけど、やっぱりまれだと思う。やっぱり飲食店における衛生上の規制が厳しいのかな。免責の事情がよくわからないが、訴訟社会のアメリカでこれだけまかり通った慣習なのだから、自己責任ということで持ち帰りを普及させて欲しい。それだけでも日本中で廃棄される残飯がものすごく減ると思うのだが。飲み会で大量に残る料理を見て切ない思いをしたことがあるのは私だけじゃないはずだー。
2004/06/24
コメント(0)
英語の聞き取りに慣れるためという口実のもと、家にいるときは勉強に集中する時間以外はずっとテレビをつけっぱなしにしている。特に漫画の「シンプソンズ」、最近最終回を迎えたドラマの「フレンズ」、そして日本でもお馴染みの「ER」は欠かさずに見ている。特に前二番組は毎日2回ずつ放映しているので、ほとんど生活の一部である。アメリカ文化のすごさ、お馬鹿さを知るのに格好の教材となっている。アメリカのテレビは設定により英語字幕を付けられるのですごく助かる。聞き取りの補助になることはもちろん、わからない単語を表示されたスペルをもとに調べられるし、何より「読み」のスピードが速くなった、気がする。「字幕なんてついてちゃいつまでたっても聞き取りができないじゃん」という批判も聞こえてきそうだが、成長段階の助けとしてプラスになるのは確かだと思う。帰国までに卒業できる気がしないけど・・・。シュールなテレビ番組やCMもけっこうあるが、今日は男性の味方「バ○アグラ」のCMを紹介したい。日本では私の記憶が正しければ、元サッカー選手のペレがサッカーボールを持ちながら語りかけるという超間接話法であった。しかし、今日見たアメリカのCMはファンキーだった。場面は昼下がりの住宅街。歓喜に満ちた50~60歳と見られる男性が玄関から飛び出して、両手を挙げながらスキップをしている。他の家からもやはり喜び踊る男性が。そして通りでは初老のカップル達が幸せそうに両手をつないでぐるぐるまわっている。この画像にクイーンの名曲「We are the champions」がBGMに流れる。間接的なメッセージには違いないが、何というか、ものすごい迫力であった。さすがアメリカだ。
2004/06/23
コメント(1)
わかめたぬきうどんを作った。元々は実家から送られてきたインスタントの「たぬきうどん」うどんをゆでる。具は付属の揚げ玉。わかめは乾燥わかめを水でもどして準備。丼はもってないのでカップラーメンの容器を健気に洗って下準備完了。ゆで終わったうどんを容器へ。粉末スープを加えお湯を注ぐ。揚げ玉を乗せてああ、おいしそう。そして仕上げのために別容器で水に戻したわかめは・・・・容器からあふれてた。。。。そんなに増えちゃうなんて。乾燥されていた状態を見て甘く見てはいけません。今度から加減をもっと気を付けよっと。でもインスタントの食べ物に何か一品加えただけですごい贅沢な気分になれる、ちょっとした幸せなのでした。
2004/06/21
コメント(1)
たまには日記らしくその日に起こった事を。今日はTOEICをワシントンDCで受けてきた。渡米前は留学のためにTOEFLとGMATを何度も受けたが、TOEICは実に4年ぶりくらいの通算3回目であった。TOEFL、TOEICについては「このテストで本当の英語力がはかれるのか?」という疑問がかなりある。情けない例として自分を挙げるが、たとえ渡米前にTOEFLで263点(ペーパーだと換算で620点くらい)取ってもアメリカでの会話・議論にはまったくついていけなかった。。。アメリカに来て一年たった今でも会話力にはかなり問題がある・・・。もちろんそれらのテストが目安になるということに異論はない。試験主催者側のコストと回転率(効率)はそのまま受験者に跳ね返るので、難しいところである。2005年からTOEFLにスピーキングが適用されるとのことで注目しているが、私を含めた文法得意・会話不得意の多くの日本人には厳しくなりそうだ。自分の責任を棚に上げるつもりもないが、なぜに中学一年生からずっと学びつづけている英語が実用的ではないのか。文部科学省も苦労している問題であるだろうが、日本の英語教育の改善を強く望んでいる。話が違う方向にいってしまった。。。今日の出来事に話を戻すと、TOEICのワシントンDC会場は語学学校であった。受験者は10人あまり。ほとんど日本人だった(笑)。しかし最高だったのがリスニングの環境である。まずその10人あまりがさらに二つのグループに分けられ、別の教室に入った。そこにはパーテーションで区切られたいくつものブースがあり、その一つ一つにヘッドフォンセットがついていた。コンピューター試験のTOEFLを受験したことがある人はそれと同様だと考えてもらえばわかりやすい。日本で受けたトイックの印象といえば広い教室に何十人、下手すれば100人近い受験者が収容され、教壇におかれたテープレコーダーを全員が集中して聞く、という感じである。今は変わったのかな。DCのこの好環境は間違いなく受験者の少なさに起因していると思われるが、えらい違いだなーと思った。ともあれ正誤はともかくとして初めて時間内に全問に答えることができたのが嬉しかった。まがりなりにも渡米して一年が経過しているのだから、少しでも成長の証が欲しい・・・ところである。ただ一つのハプニングと言えば、試験中にトイレが我慢できずに途中で少し抜けたことである。ここで二つ教訓を。試験前には念のためトイレに行きましょう。そして試験前の水分摂取は控えめに。まじで辛かった・・・。その後、アメリカ人のクラスメイトとその奥さんと一緒にアレキサンドリアの花火大会に行った。ワシントンDCとヴァージニア州の間を流れるポトマックリバー沿いで毎年行われる清涼花火大会である。量は隅田川や横浜の花火大会にかなわないけど、質的には負けないほどきれいだなー、と思って眺めていたら、開始5分くらいで急に終わってしまった!「なんだ、もう終わり?」とブーイングをしようとしたその時、飛行機が上空を飛び去って行った。そう、ここは先日亡くなったレーガン元大統領にちなんで名付けられたロナルドレーガン・ナショナル空港の近くなのである。こういう計算は緻密にしてあったのだろう。確かにあの飛行機が通ったときに花火が上空に放たれていたと思うとゾッとする・・・。また再開して計20分くらい、久しぶりの花火を満喫した。ちなみに同行のアメリカ人夫婦に「How do you say "fireworks" in Japanese?」と聞かれたので、「Hanabi」と教えたところ、「OK, it's like "honey bee"」と自分なりの暗記法を開発していた。なるほどー。
2004/06/20
コメント(2)
私は学生時代プロボクサーであった。1999年4月にデビュー、2001年1月に引退。戦績は2勝(1KO)1敗である。東京にあるジムに在籍していた私は後楽園ホールでしか戦ったことがないが、ホールは今でも思い出の聖地である。ライセンスを取得して以来、「プロボクサー」そして「元プロボクサー」という肩書によって私は救われ、葛藤させられている。ここではあくまでこの肩書が持つ作用に集中して話したいと思う。ボクシングを通して得たものを書き始めたら話がそれだけに終始してしまうので。救われる部分、それは人脈構築の上でのインパクトである。ジムに行けばもちろん何十人ものプロボクサー達に会えるわけであるが、ちまたではやはりレア物である。自己紹介にちょろっと「学生時代はプロでボクシングをやっていました」と加えるだけで相手に「元プロボクサーの○○さん」という印象を与えることができる。それは就職活動においても存分に発揮されたし、現在通っているアメリカのビジネススクールにおいても、「I WAS a professional boxer in Japan」(あえて過去形を強調)の一言でクラスメイト達にすぐ覚えてもらった。意外と彼らは肩書に弱いものである(笑)。さらに何はともあれ一目おいてもらえるといった利点もある。腕に覚えのある輩は「じゃあ俺を今すぐ倒せる?」なんてかまかけてきたりもするが。。。。私は平和主義者なので悪しからず。一方、この肩書を持つこと・話すことで私が葛藤するのは、「俺なんかが(元)プロボクサーを名乗っていいのだろうか」という自己嫌悪である。私のジムには世界チャンピオン、日本チャンピオン、ランカー(ランキングに名を連ねる人)、そして多くの明日のランキング入りを目指すプロボクサー達がいた。プロボクサーとしてジムに所属している間、彼らはライバルであり、(先輩・後輩も含めて)仲間であった。しかし、自分にはどうしても彼らに対するコンプレックスを拭うことができなかった。なぜか。それは「懸けるもの」が違うからである。本当のボクサーは現在位置に関わらず自分の全てをボクシングに注ぎ込む姿勢を持っている。一方の私は大学の勉強やサークル、そして海外旅行などとボクシングの掛け持ちをしていた。大学卒業後にはプロボクサーの道よりも、就職をする道の方が「現実的である」という判断があった。彼らに勝てるわけがない。「自分の全てを注ぎ込んだらどこまでいけるだろう?」という問いを封印して、私は就職の道を選んだ。しかし決して後ろ向きになっているわけではない。何事も中途半端な私かもしれないが、多くのフィールドに足を踏み入れた経験はこれからの人生に必ず役立つと信じている。これからも「元プロボクサーです」という決り文句を使っていくだろう。自慢としてではなく誇りとして、そしてこの貴重な経験を次につなぐのだという決意表明として。
2004/06/18
コメント(0)
今年のワシントンDCは17年ゼミの当たり年であった。17年周期で地上に現れる彼らは5月の半ばから終わりにかけて何十億匹という単位で町を覆い尽くす。テレビのニュースでも車の運転時は窓を開けないように、車のマフラーにセミの死骸がたまり詰まりを起こす可能性があるので注意しましょうだとか、赤ちゃんを連れて外出するときは大量のセミから守りましょう、などといったアドバイスが連日聞かれた。そして実際、近所のありさまもすごかった。。。道を歩けば力尽きたセミ達がものすごい数転がっており、下を見ないで歩けば確実にヒットしてしまう勢いである。木を見ればビシッと密集したセミに圧倒され、抜け殻だけで覆い尽くされた木もあった。あの時は恐る恐る眺めていたが、写真に撮っておけばよかった。そして、地下鉄の構内など、どんな室内にもセミがいる。パリ行きの飛行機の中にまでいた。どうしてだろうと思っていたら、答えは隣の乗客のリュックサックにあった。まるでブローチのようにじっとセミがとまっているのである。彼らはこうして自分の力だけでは行けない場所へ我々を利用して移動しているのだ。どれだけのセミ達が国内・海外旅行をしたのだろう。さらに驚いたのが、私のアパートの11階のベランダにまで彼らが訪れたことである。そしてそこで力尽きたりする。。。生命の最後の灯火をここまで飛んでくることに費やしたのか、と思うと切なくなる。17年地中で過ごし、たった一週間を地上で生きる。我々人間は10ヶ月を母親の胎内で過ごし平均的に70年から80年を生きる。彼らの一週間の密度の濃さを思うと圧倒される。自分が日々をなんとなく過ごせてしまうのは、「まだまだ人生先は長いさ」なんて考えてしまうからだと思う。生きていることに良い意味での緊張感を抱き、もっと感謝しようと彼らから学んだ。5月の下旬から6月上旬にかけてのパリでの授業を終えてワシントンDCに帰国すると、彼らはきれいにいなくなっていた。また17年後に彼らの子供達が我々に生命の息吹を伝えてくれるのだろう。
2004/06/17
コメント(0)
初日記のテーマをどうしたものかと考えていたが、ここでは一週間前まで10日間ほど滞在していたパリでの雑感を記したいと思う。これまでの海外旅行と同様に、列車に乗るとどうしても「世界の車窓から」のテーマソングが流れてしまう(笑)。さらにナレーターの石丸さんの声まで聞こえてきた日には彼が話す原稿を自ら考えなくてはいけない。そんなことはともかく、列車の窓から見る外国の風景は本当にさまざまで旅の醍醐味とも言える。今回のフランスは実は現在通っているアメリカのビジネススクールの課外授業(?)で来たため、10日間の滞在といっても観光は正味3日間くらいしかできず、遠出と言ってもヴェルサイユ宮殿くらいまでしか行けなかった。それでも滞在はフランス人の友人のアパートで無料であり、彼のアパートはエッフェル塔やシャンゼリゼ通りまで歩いて10分という好立地だったので、充分パリの空気を満喫することができた。あまり始めから気合い入れて長く書きすぎると長続きしない恐れがあるので(笑)、さっさと主題に入ろうと思う。今回のパリでの滞在で一番印象に残ったのが、「ルーブル美術館の集客力のすごさ」である。言い方を変えれば、ルーブルの緻密なマーケティングに感心した。地下鉄の最寄駅の構内からすでに展示物の陳列が始まっている。この駅に到着した観光客は自分がルーブル美術館に来たのだということを実感するだろう。長い行列の後やっと館内に入ると、本格的な展示が始まる手前に場所にお土産ショップとともに喫茶店や軽食を買えるスタンドがある。私も実際そこでサンドイッチを買って食べたが、食事のために館内を離れる必要がないのは大変便利であった。他にも、モナリザ、ミロのビーナスなど人気のある展示物をバランスよく距離をおいて配置して人の集中、滞留を防ぐ工夫や、歩き疲れた人達のためにいたるところに見られるベンチ、ソファーなど、一日をそこで過ごしてもらおうという仕掛けを多く発見した。写真を撮ってもいい場所が多いのもびっくりしたが、これも来館者(=顧客)への配慮ということなのだろう。一つだけ難点を言えば、チケット売り場の長蛇の列と所要時間の長さである。ガラスのピラミッドを入ってすぐのところに4つくらいのチケット売り場があるのだが、すべて従業員が対応しており、券売機はクレジットカード専用のみであった。ここの回転率をあげたら満足度はもっと上がるのではないだろうか。初期投資は相応にかかると思うが、多数の券売機の導入で長い目でみた人件費の削減にもつながると考えられる。でもその話を滞在先のフランス人の友達に話したら、「俺は人との触れ合いの方が好きだな」って反論されてしまった。他にも、膨大な美術品にかけるセキュリティの程度の問題など、興味深い点は多々あった。もちろん、素晴らしい芸術品の数々の鑑賞を純粋に楽しんだことも最後に付け加えさせていただく・・・。
2004/06/16
コメント(1)
全521件 (521件中 501-521件目)