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相手の嘘をどうやって見破るかアメリカのサイエンス誌、「Discover」の2005年1月号の中で面白い記事を見つけた。題名は「Is she hiding something?(彼女は何か隠してるんじゃないか?)」なんで隠すのが女性なんだ!なんてお怒りの意見も聞こえてきそうだが(笑)、内容は顔の表情と声の注意深い観察がいわゆる嘘発見器よりも見破りに役立つというものである。まずは顔の表情から。40年以上も顔の表情について研究している権威によれば、国を問わず人の感情を表す表情は大きく以下の7つに分類されるという。・悲しみ・驚き・怒り・軽蔑・嫌悪・不安・幸福それぞれについてまぶたや唇の動きなどの記述が掲載されている。しかし、眼輪筋(orbicularis oculi muscle)という表情の形成に重要な役割を果たす目の周りの筋肉を思いのままに動かせるのは10人のうち1人に満たないのだという。つまり、本当の感情からしか動かせない部分に注目することにより相手の「作り笑顔」等を見破ることができるというのだ。やはり相手の目を見て話すことはいろいろな意味で大切なのだ。さらに、人間がある感情を隠そうとした時でも、オリジナルの表情というものが0.05秒ほど表れるらしい。この瞬間を見逃さないことも大切だ。声も重要なポイントとなる。「自分の声の調子から感情にまつわるすべての手がかりを消し去ることは至難の業である。そういうわけで取り調べでは『容疑者になんでもいいから話し続けさせろ』という教えがある」黙秘権の重要性がわかる(苦笑)。一方で、語り手が初めてその嘘を話す場に立ち会うことの重要性も指摘している。「ある嘘について話せば話すほどその嘘が自分にとっての真実となる。自分にとっての本当となれば表情や声色から嘘を見破ることが不可能になってしまう」なるほど。犯罪の容疑者の話を例にとれば、「警官や捜査官にとっては、犯人が嘘をつく最初の場に立ち会わなくてはいけない。法廷で意見を述べるころには犯人にとってその嘘のリハーサルがばっちり終了してしまうからだ」自分の夢や目標を口にし続けることでその状況が自分にとって当たり前になってくるという自己暗示は聞いたことがあるが、それは嘘にとっても同じことのようだ。FBIやCIAの捜査官はこのような嘘見破りトレーニングを受けているという。「テクニックの重要な部分の公開は犯人達へのヒントの提供になってしまうので避けています」嘘をつく立場と嘘を見破る立場。程度や質に違いこそあれ、どちらも経験し続けるのが人生であろう。このテーマ、あまり詳しくなりすぎない方が身のためかな(苦笑)。
2005/03/23
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ドラマ『24』のシーズン3を観終え、とうとう現在FOX系で放映されているシーズン4に追いついた。シーズン4から観始めているという邪道なやり方が話の筋にそこまで影響していなくてよかった。これがシーズン2→1のような順序だったら大変なことになっていただろう。どのシリーズもドラマゆえの強引すぎる展開は否めないが、私がこのドラマから受け取った最大のメッセージは「家族は最大の資産(Asset)でもあり、最大の負債(Liability)である」というものである。良い方向であっても悪い方向であっても、「家族」は登場人物達の行動の強力なモチベーションとして存在し続けている。・家族がいるからこそ頑張れるという強み一方で、・家族の存在が国家や組織に貢献するための客観的な判断を妨げるという弱み(テロリストにとっては国家を脅かす彼らの信条を曲げることにつながる)善人、テロリストを問わず全ての登場人物がこの2つの極をさまよっている。『24』においては出来事が究極的であるため顕著な表出をしているが、現実の人生に当てはめられる点も多いだろう。さて、日記のタイトル「24 × 3 + 14」についてはお気づきの方も多いかもしれないが、24時間を3シーズン分観終え、シーズン4も今日の回で14時間分経過したことを示している。シーズン1から3まではKさんからお借りしてDVDで観た。しかし今年1月から放映中のシーズン4だけは毎週1時間ずつ観ていかねばならない。正直じれったい(笑)。「DVDが出てから買って一気に観るつもりです」というKさんの戦略が正解なのだ。しかもカレンダーを追ってみるに、このままのペースでいくと最終回を観る前に帰国となってしまいそうだ・・・・。前半から苦労させられっぱなしのドラマだが、最後まで悩まされそうだ。(番組スタート時の苦労話は過去の日記2005-01-12- あと45分・・・:24ビデオ捜索は続く 、2005-01-18- 「24」の2週目:なんとか間に合った・・・ から)アメリカ在住のどなたかに愛の空輸作戦をしてもらえないかなあ!?いずれにしても悔いを残す帰国となりそうだ(苦笑)。
2005/03/22
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ご近所のEちゃんと彼氏のI君、Mちゃん、そしてI君のオハイオ在住時代の友達であるKe君、Ko君、T君とディナーを食べた。イニシャル・トークって疲れるな(笑)。オハイオから来た3人衆は初対面だったのだが、この会の前にI君から聞き捨てならない情報を入手していたのだ。「Ke君は名古屋でボクシングジムに通ってたんだよ」観る人は多くてもやる方はやはり数がそんなに多くないスポーツであるので、同業者(?)と会うのは楽しいものである。かくして、実物のKe君はボクサーらしい好青年だった。試合に出たりはしなかったようだが、名古屋のジムに4年ほど通っていたという。私:「どこのジムだったの?」Ke君:「千種のチームゼロです」私:「おおお!俺も名古屋勤務時代そこに通ってたんだよ!」残念ながら在籍期間はちょうどすれちがいという状況だったが、ジム関係の共通の知り合いの名前がポンポンでてきてかなり懐かしかった。さらには中部地方のボクサーのマニアックな話題や、お互いのボクシング歴についていろいろ話して楽しかった。おそらく他の5人にはまったくついてこれなかっただろう(苦笑)。名古屋が地元でオハイオの大学院に通うKe君と東京が地元でワシントンDCの大学院通う私が、同じボクシングジムに通っていたことをヴァージニア州のバーで知る。世の中って面白いなあ。
2005/03/21
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ものすごく興味深く、そして難しいテーマの講習に参加してきた。その名も『Hospital Emergency Management: Concepts & Implications of Weapons of Mass Destruction Terrorist Incidents(緊急時の病院運営:大量破壊兵器を用いたテロリスト事案の概念と関係)』主催者はREADI(The Response to Emergencies and Disasters Institute) という、ジョージワシントン大学がホームランドセキュリティや国内準備局(Office of Domestic Preparedness)等の協力を得て設立した機関であった。(READIのホームページは こちらから)このトレーニングプログラムはもともと病院のCEOら経営陣にテロなどの緊急事態における経営のあり方を教えるというものである。今回の受講生は軍隊関係者や消防士、警察官、そして医療関係者など多彩な顔ぶれであった。テロリストが破壊活動を以下の4つに分類し、それぞれの特徴、対応についての講義が朝の8時から夕方5時まで続いた。・爆発(Explosive incidents)・化学薬品(Chemical incidents)・生物テロ(Biological incidents)・放射能(Radiological incidents)テロリスト事件が発生した際に、負傷者やトラウマを持ってしまった人々のケアという意味で病院は非常に重要な地域のリソースとなる。さらに潜在的には病院自体がテロのターゲットになることも考えられる。したがって、病院にはテロに備える責任があるということができる。授業ではケーススタディも取り上げられ、アメリカのある都市の市長反対派がショッピングセンターに人体に害のある化学薬品をばらまいた事件への対応などが話し合われた。さらには日本の地下鉄サリン事件が映像付きで扱われ、化学テロの対応の難しさが説明された。日本は災害のトッププライオリティとして地震を据えており、その体制は充実しているという。しかし、95年の地下鉄サリン事件発生当時、化学テロについての対応策は充分ではなかった。講師は事件当時に撮影された日本の病院の患者対応の映像を流しながら、対応の早さを評価する一方で病院スタッフの無防備さを指摘していた。つまり、化学テロやバイオテロにおいては「Decontamination(無毒化)」が非常に大切なのである。当時のアメリカにとっても多くの教訓を含んだ事件となったのである。講師:「緊急時の対策をする人の姿勢には2つあります。1つは資格や認可のためだけに対策をするという姿勢。もう1つはいつかは実際に起こるかもしれないと考えて真剣に取り組む姿勢。あなたはどちらを取りますか?」起こるかどうかもわからないリスクに備えることは投資対効果を考えると及び腰になってしまうということもあるだろう。予防や対策過剰も通常のオペレーションに支障をきたしてしまうし、バランスが非常に難しいところである。ちょっと想像しただけでもものすごく怖い。自分には怖くて何もできないかもしれない。それでも有事を想定したオペレーションを個人レベル、組織レベルで策定しておくことは本当に大切なのだと勉強になった。
2005/03/20
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クラスメイトのブルガリア人夫婦D、G、そして7歳の娘さんAと一緒に夕食を食べた。DとGは共に私と同じビジネススクールで学ぶ同級生であり、7歳と3歳の女の子の二児の親でもある。2人ともアメリカでの職務経験も豊富でグリーンカード(永住権)も所持している。特に奥さんのGと私とはMBAの一年目にアカウンティング、マーケティングやオペレーション・マネジメントなど数多くの授業で同じグループとなり協力して生き残ってきた戦友である。我々はこの5月に卒業の予定なのだが、Gはすでに世界的に有名なホテルの本社税務部門に職を得て、現在はフルタイムで働きながら最後の学期のための勉強もこなしている。こういうすごい友人を身近に見ていると自分の怠惰を反省させられる・・・。旦那のDは就職活動中で、奥さんのことを「(自分を養ってくれる)ボス」と言っておどけているが、CFA(ファイナンスのスペシャリストの資格)も持っている彼のキャリアアップは確実だろう。さて、本日のディナーは店のチョイスを一任されたので行きつけのベトナムレストランを選んでみた。聞けば彼らはベトナム料理は一度も食べたことがないという。経験のあるシチュエーションだ(笑)。(過去日記:『アメリカ人にタピオカ入りシェイクはきつかった・・・?』 参照)Dたちは日本料理も食べたことがないと言っていた。外食自体も年に数回という。一般化にはちと早すぎるけど、ブルガリア人は食べ物に保守的なのかな?日本人が貪欲すぎるのかもしれないけど(苦笑)店に入り、注文も一任された我々夫婦はこちらにとっては定番の揚げ春巻きや生春巻きを前菜として、麺物を二品、焼き飯、豚野菜炒めをメインとして頼んでみた。しかし、料理が来る前にGがエビが苦手だと発覚。生春巻きと麺にはばっちり入ってる~。こういうのって注文前にしっかりブリーフィングしておかないとだめなんだと反省。さらに状況を難しくさせたのは7歳のAの食わず嫌いである。家でも好き嫌いが激しいというAは何が出ても警戒して食べようともしてくれない。店に入る前は小ネタとして用意してきたプレゼントの竹トンボに興味を示してくれたり、今習っているというアイリッシュダンスを披露してくれたりしたんだけど、食べ物の壁は厚いようだ・・・。子供の気まぐれって難しい・・・。けっきょくAは白いご飯と豚の炒め物だけを食べたりしていた。そんな苦労もあったが、お互いの勉強・仕事や、子供の教育について、はたまたブルガリアにおける15年前の共産体制の崩壊についての話など、幅広いトピックで盛り上がって楽しかった。特に共産体制崩壊時に当時の政府の建物や銅像、関連施設を破壊したことについて、「我々がたどった歴史の一コマとして施設などは博物館として保存すべきだったと思うよ。時代が変わったからと言って過去が無くなるわけではないんだから」という2人の意見には納得させられた。過去を否定することは自分の存在を否定することにつながってしまうかもしれない。それよりも現在を過去の積み重ね、改善の結果として捉えることが未来にもつながるだろう。食事の締め括りとして、デザートにはこれまた定番のタピオカ入りライチシェイクを注文した。そしてまた黒い玉(タピオカ)が彼らに違和感を与えてしまうのであった・・・。嗚呼、タピオカが世に広く受け入れられる日はやってくるのだろうか・・・。君が世界市民権を得るまでにはまだ時間がかかりそうだよ。
2005/03/19
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ジャマイカから帰国して6日ぶりにパソコンを触ると約120通のメールがたまっていた。早急に返信が必要なものを確認していると、(自分にとって)重要度高のものを発見した。「Y(妻)です。突然のメール失礼します。24のサードシーズンをお渡ししたいと思っています。」弁護士Yさんの奥様のAさんからのメールだった。Aさんは日本で裁判官をされており、現在はDCの大学のロースクールで客員研究員として学ばれていらっしゃる。現在はご主人のYさんが日本に一時帰国されているということでAさんがわざわざメールを下さったのだった。以前Yさんからメールで教えてもらっていた御自宅の電話番号にすぐさまダイヤルし、その日のうちの受け渡しを約束して頂いた。私の仕事の方もこれくらいの決断力とスピードでこなせたらいいのだが(笑)。というわけで車を走らせAさんのアパートへ。DVDを渡して下さっただけでなく、煎餅まで頂いてしまった!『24』を見ながら煎餅を食べるという完璧なコンボである。それだけでなく、アパートのロビーで1時間以上もお話して頂いた。裁判官はその求められる中立性、高潔性、そして判断力において非常にプレッシャーの強い職業であろう。彼女のご担当が刑事事件であること、私の大学時代の専攻が刑事政策であるということから、日頃疑問に思っていた多くの質問をさせて頂いた。さらには日米の司法制度の比較や日本のこれからの司法制度について非常に興味深いお話をお聞きすることができた。Aさん、寒いロビーで足止めをしてしまって申し訳ありませんでしたがいろいろお話を聞けてとても楽しかったです!またみんなでワイワイやりながら、語らってくださいませ。ワシントンDCでの人との出会いは本当に有り難いと改めて感じる今日この頃であった。
2005/03/18
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3月16日(旅行最終日)午前3時頃、やっとアーリントンの自宅アパートに到着した。午後5時半にジャマイカのモンティゴベイ出発で午後9時にバルチモアの空港に到着予定だったのに、なぜかフィラデルフィア経由に変更され、出発も経由も大幅に遅れ、バルチモアの空港に着いたのがすでに午前1時をまわっていた。フィラデルフィアからバルチモアまでは約20分のフライト。こんなに短いフライトを経験したのは初めてだった。そこに乗るまでにえらい時間がかかったわけだが(苦笑)。電車が無くなるほど遅く帰ってくる予定ではなかったのだが、空港まで車で行っておいてよかった。空港までの行きはちょっと迷って焦ったのだが、帰りは80キロ以上の道のりを約1時間で到着できるほどの順調ぶりだった。写真も交えたジャマイカ旅行記はまた後で書き込もうと思っているが、ここでは自分で見たり聞いたりした範囲での感想を並べてみる。・海は本当にきれいだった。(生物の多様性という面ではフィジーに劣っていたかも)・スプリングブレーク(春休み)で訪れる大学生達が多く、新婚旅行や退職後の夫婦などもかなり見かけたが、全体的に廃れた観光地というイメージだった。・ジャマイカ人達と話してみると、観光が不調な原因は9.11のアメリカ同時多発テロと去年ジャマイカを襲ったハリケーンだという。・学校は至るところで見かけたが、その国の知的文化の程度を測る指標としての本屋の数は少ないように思えた。・US$とジャマイカ$が混在していた。(かつて旅行したベトナムでもUS$とベトナム・ドンの混在に混乱した記憶が・・・)・観光地プライスということを考えたとしても物価は非常に高い。・観光商品をレゲエの神様ボブ・マリーに頼りすぎ(笑)などなど・・・。まだまだ感想はいろいろあるのだが、具体的な事例を含めた今後の日記にご期待あれ!アメリカの空港に着いた瞬間にホッとしたり、アーリントンの自宅アパートに到着した時の「やっぱり家が一番だね~」という思うにつけ、自分がアメリカ暮らしに慣れてきたのかな、と感慨に耽るのであった(笑)。とりあえず今日はおやすみなさい。
2005/03/17
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3月13日(旅行3日目)内陸の川で行うラフティングツアーに参加した。我々の滞在するネグリルから車で1時間半くらい。参加者は我々夫婦を含めて2人組が3組の6名だった。ツアー用のバンがそれぞれの滞在するホテルで参加者を拾い、現地へ向かった。他の2組は60歳くらいのお父さんと高校生の男の子のアメリカ人親子と、60歳同士くらいのアメリカ人夫婦であった。このTとMの夫婦は2人で旅行をするのは37年前のハワイでの新婚旅行以来だという。子供も巣立って、2人とも仕事からリタイヤし、やっと2人でゆっくり旅行ができるようになったのだ。素敵な夫婦だなあ。一方、DとAの親子も一見したらおじいちゃんと孫のようだが、移動中もAがお父さんを気遣う様子が伝わってきてほほえましかった。こういうこじんまりとしたツアーは他の参加者とも仲良くなれて楽しいものだ。彼らとの会話の中でもドラマ『24』の話題で盛り上がった。聞けば2組とも我々とは比べ物にならないほどの高級リゾートに滞在しているという。それにしても60歳くらいの初対面の上品なおじいちゃん、おばあちゃんとファーストネームで呼び合うなんてことは日本じゃ考えられないことだな。釣りバカ日誌のスーさんとハマちゃんのような身分(?)を越えた関係もこういったツアーから生まれるのかもしれないな(笑)。そんなこんなで現地に到着。今まで海外線ばかりだったので、内陸の川というのも新鮮だ。しかし、到着直後に早くもトラブルが発生した。ラフティングをガイドしてくれるはずの現地スタッフがいなかったのだ。慌てたジャマイカ人の運転手は携帯で連絡を取り合ってみたが、第一陣なるものがすでに出発してしまったのだという。我々も来ることはすでにわかっていただろうに、よくわからないハプニングだなあ。待つこと30分、やっとスタッフらしき人がやってきた。そうして彼の誘導で川辺まで降りて行った。そこには我々が乗るのであろうボートがおいてある!救命胴衣を装着し、ボートを漕ぐためのオールも受け取り、いよいよ乗るのかと思ったところでさらなるハプニングが発生した。6人で1つのボートに乗っていくのだと思っていたところ、現地の随行員が直前になって3人ずつ2隻で行くと言い出したのだ。我々はみんな2人組で来ているわけだから1組が別行動になってしまうではないか。それ以外にも内輪で口喧嘩を始めたり、参加者に間接的な脅しの言葉を言ったりと、オーガナイズされていない状況に参加者である我々は不安になり、そして憤りを感じ始めた。そこで、ドライバーのおじさんが「こんなオーガナイズされていないボートに皆さんを乗せるわけにはいかない」と正義の怒りを見せ、ボートに乗る直前になって退散することになってしまった。我々もそのおじさんに賛同し、川から離れた。今考えてみるとジャマイカのツアー会社の運営が杜撰な結果だったからだろう。現地までのドライバーは社内の人間のようだったが、現地の随行員はその場で契約を交わしているという感じであった。こんな経験は初めてであったが、あれは乗らないで正解だっただろう。けっきょくツアーはキャンセルで返金の手続きをすることになった。何もせずにまた1時間半かけて帰るのか・・・。帰りの車内、報われない気持ちでしょんぼりしていると、Dが嬉しい提案をしてくれた。「私が滞在しているホテルをちょっと見学していくかい?」高級リゾートを見れるのか!Dの提案をありがたく受け取ってホテルを見学することに。やはり我々の滞在する崖っぷち宿とは違った(笑)。プールにカウンターがあるなんて、まさにプール・バーじゃないですか・・・。ウォーター・スライダーまであるんですね・・・。ちゃんと砂浜が広がっているし、なんだか用具も豪華だ。ゆくゆくは堂々とこんなところに滞在できるようにがんばろー!!
2005/03/14
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3月12日(旅行2日目)滞在するホテルは海に面しているものの、昨日の日記で写真を掲載したような岩場である。やはり海と言えば広がる砂浜と海岸線であろう。この宿は砂浜沿いのホテル連からちょっと隔離された場所だったということが判明したわけである。というわけで砂浜を求めた旅へ出かけた。砂浜沿いにある提携ホテルとの無料シャトルバスが1日2便でているというので、それを利用して現地へ。提携ホテルの敷地内を奥に進むと、そこには海が広がっていた。嗚呼、これこそ私がジャマイカに求めていたものだ!しばらくは子供のように海で泳ぎ続けた。これまで日本で日本海、太平洋の海を、ドイツの最北端の地ジルトで北海を、インドのボンベイでアラビア海を、台湾の台北で東シナ海を、ベトナムのフエで南シナ海を、オーストラリアのメルボルンでタスマン海を、フィジーではサンゴ海周辺を、そしてマイアミで大西洋を泳いだり浸かったりしてきたが、今度はカリブ海をその手中に収めた(?)ことになる。どこの場所でも海は偉大だ。小学校時代にスイミングスクールに通い、大学時代4年連続で水泳の授業を履修した私は泳ぐのが好きである。大学時代に水泳を習ったのはマスターズのバタフライで世界記録を持っているT教授であった。T教授の水泳の授業は、一般的な泳法に関する非常に科学的かつわかりやすい丁寧な解説や実践があっただけでなく、立ち泳ぎや古式泳法、はたまた着衣時の泳ぎの演習や救助泳法まで教わることができた。深い場所で泳ぐ際には立ち泳ぎの技術が必須である。浮力の利用や手足の動きをどのように動かすことが力の抜けた立ち泳ぎを可能にするのかをみっちり学んだ。大学時代、ボクシングを現役でやっていた頃の私は体脂肪率も一桁台で水で浮かぶことができなかった。いわゆるダルマ浮きをやろうとしても沈んでしまうのである。しかし今はこれでもかってくらい浮いてくれる(苦笑)。また1つ生きる術を身に付けたようだ。ひとしきり泳いだ後でホテル周辺の土産屋を散策。CD、Tシャツやキーホルダーなど、ボブ・マリー関連の商品が異常に目立つ。その中でひときわ異彩を放っていたのが人気キャラクターたちのジャマイカンバージョンTシャツであった。絶対版権無視だろうな、これって(苦笑)。シュレックとかスヌーピーのは意外と似合ってるけど、ポケモンのは顔が死んでるし、スパイダーマンのはなんかマスクの上からドレッドをつけるなよ~、という感じだ(笑)。けっこう面白いなあとは思ったが、いかんせん品物自体の質があまりよくなかったので、他の質と柄のいいシャツを買った上で「写真撮っていいかい?」と頼んで快諾を得たのであった。店員はインド人。フィジーでもそうだったけど、彼らは本当に商魂がたくましいのだ。単品での値段交渉も当たり前だし、ちょっとでもまとめ買いをすればボリュームディスカウントも申し出るべきである。価格の駆け引き、非常に疲れるのだけれどやりとりの楽しさも感じるし、これが商売の基本なのだと実感するのであった。
2005/03/13
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3月11日(旅行1日目)朝4時起きでアーリントンの自宅からバルチモアの空港まで車を走らせる。8時半の飛行機でお昼にはジャマイカのモンティゴベイに到着。期待通りの温かさに満足。税関を通る前からダンスと歌でのお出迎えが。我々はここから車で2時間ほどのネグリルまで移動しなくていけなかった。出発直前に大学内にある旅行代理店に電話をして飛行機代とホテル代がセットになったプランを予約したため、ネグリルに国際空港がないことや、モンティゴベイから2時間もかけて移動しなくてならないことを知らなかったのだ。まあ、今回は同じ宿に5泊だし、移動も旅の楽しみの1つであるからよしとしよう。空港のゲートを出るとさっそくタクシーの運ちゃんの勧誘が始まる。この一発目に応えるほどこちらも甘ちゃんではない(笑)。タクシーの値切り交渉を行うかたわらで安い乗合バンタクシーの存在を見つけ、そちらに乗ることに決定。同乗者は我ら夫婦を含めて10人くらいだったろうか。他の8人は同じ飛行機に乗ってきたと思われるメリーランドの大学生達(白人のアメリカ人・全員男)であった。アメリカの大学生はスプリングブレーク(春休み)でマイアミやカリブの島々へ繰り出しているのだ。始めからハイテンションな彼らはジャマイカ人の運ちゃんのことを「パーティ・ボス」と呼び、大音量のBGMをかけさせて盛り上がっていた。車内に流れるレゲエの調べを聞きながら、「嗚呼、ジャマイカに来たんだなあ」と思えたのでそれはよかった。海の景色もきれいだ。しかし、学生達は今度は運ちゃんにリカーショップに寄ってもらうように頼み、ビールをじゃんじゃん買い込みだした。おそらく彼らはアメリカでアルコールを飲める21歳以上ではないようだったが、ジャマイカでなら許される(?)のだろう。そして車内は酒盛り状態に。まあ、ちょっとうるさいくらいでこっちに迷惑がかかっているわけじゃないし、いいかと思っていたら、彼らのうちの1人が運ちゃんにまた何か頼みごとをしていた。しばらく車を走らせた後、運ちゃんはある小屋の前で停車して地元の人と何やら話してから戻ってきた。その後、車内のアメリカ人に紙に包まれた細長い何かを売り始めたのだ。あ~あ、こんな真っ昼間から売買を始めるなよ~。それだけでなく、なんと車内で吸い始めた奴もいた。。。おいおい、タバコみたいに副流煙の害(益か(笑)?)とかないだろうなあ。私自身は酒もタバコもやらない身なので、この手の葉っぱには興味もなく、やったこともないのだが、車内はインドやベトナムでも馴染みのあった独特な匂いで充満し始めた・・・。こんな状況で警察の手入れとかがあったら問答無用で捕まっちゃいそうだ・・・。なんて心配をよそにやっとのことでネグリルに到着し、アメリカ人大学生達の宿泊地に到着し彼らは匂いだけを残して去っていった。あれ、この状況の方がもっとこちらに不利だったのかな(苦笑)。ともあれ、我々のホテルにも到着。私が期待していたリゾートホテルとは程遠いボロさであった・・・。まあ、値段が値段なだけにそこまで期待してはいけなかったのだが。さらに多くのホテルがすぐ泳げるように砂浜のある海岸線沿いに建てられている中で、我がホテルからの海の景色は岩々しかった。波が痛そうだし、なんか人を寄せ付けない雰囲気がある・・・。こうしてジャマイカでのバカンスはスタートしたのであった。
2005/03/12
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けっこうぎりぎりまで決めあぐねていたのだが、明日からスプリングブレークでジャマイカに行ってきます。クラスメイトのジャマイカ系アメリカ人Cと一緒に彼の実家を訪ねるはずだったのだが、けっきょく我々夫婦のみのジャマイカ行きとなった。ワシントンDCから飛行機で3時間半。やっぱり今行っておくべきでしょう!DCでのお友達の元スチュワーデスでこの4月からパイロットとして勤務されるスーパーウーマン、Kさんのお母さんは首都のキングストンで日本料理屋を経営されているという。我々の滞在する北西の都市ネグリルと南東にあるキングストンはちょっと遠いのかなあ。行けたら食べに行くつもりだ。のんびりベースでゆったりと過ごしてこよう。なんて言いながら、明日は朝4時(4時間後)には起きて空港に向けて運転していかねば・・・。さ、荷造り開始!6日後にお会いしましょう。
2005/03/11
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「Emerging Technology」の今日の授業のテーマは「Institutional Change(制度の変革)」いよいよ哲学的になってきた(苦笑)。Institutionとは世の中の制度・慣習と言えばよいだろうか。それはCustomという意味での慣習よりも普遍的で広い意味を持つ。例えば「結婚制度」。「結婚は愛し合う2人の男女がするもの」というInstitutionがある。しかし、文化によっては一夫多妻制を認めるところもあるし、時代の要請による政治的・策略的な結婚も存在する。賛否は大きく分かれているものの、同性間の結婚という考えもこのInstitutionに変容を迫っている。「ビジネス」を例にとればどうだろう。「ビジネスは営利を追求するもの」というInstitutionがある。産業革命以来、企業は利潤の追求を命題に据え、株式会社制度の発達とともに株価の上昇(=投資家の満足)も大きな目的となっている。しかし、企業犯罪の横行や環境破壊の進行といった状況を受け、Corporate Social Responsibility(企業の社会責任)という新たな考えがオリジナルのInstitutionに付加されてきている。最後の例として、「医療」のInstitutionは「人を長生きさせること」と言える。しかし、重病による長く続く痛みや苦しみと戦い続けるよりも安らかな死を迎えたいという考えが安楽死・尊厳死というInstitutionの変容を提起している。事実、厳しい要件のもとではあるがオランダでは安楽死が合法化されている。一方、アメリカのオレゴン州では安楽死法が1994年12月9日に施行される予定となっていたが、反対住民の提訴により連邦地裁がその実施にストップをかけた。同じ文脈で「死」の解釈というInstitutionもある。わが国の刑事的な定義を用いれば、死の確定は「呼吸・脈拍の不可逆的停止および瞳孔散大」という3徴候をもって行われていた。ところが、臓器移植という画期的なアイデアとそれを可能にする技術の登場が新たな死の確定についての定義を生み出した。「全脳機能の不可逆的喪失」いわゆる脳死説である。心臓が動いている、他の臓器も活動している人を死んでいると判断するのだからこれは大きな変化である。しかし、臓器移植を可能にするのは「生きた」臓器の存在なのである。様々な議論の末1997年に施行された臓器移植法のもとでは、死のダブルスタンダードが存在することになった。つまり、脳死時の臓器提供意思を表していた者にとっては「脳死=人の死」となり、意思表示をしていないその他の人にとっては「脳死=まだ生きている」という状態となるのだ。教授は言う。「我々の使命は現存するInstitutionを形成している、ふだんは語られないが確固として存在する社会規範の存在を認識し、その規範の数々がいかにInstitutionの状態・変容に影響を与えているかを理解することです」我々が持っている「常識」の背景と変化の可能性を掘り下げるべきだということであろう。過去の非常識は現在の常識に、そしてまた未来の非常識になっていくのである。文化、時代、そして技術の変化に踊らされないためにも現在地点の把握が大切なのだと考えさせられた。
2005/03/10
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「Physician Practice Management」の中間試験があった。教科書やノートの持ち込みが可だったので暗記の必要はなく、今までの授業で学んだことを効率よく引き出せるようにチェックするという準備をして試験に臨んだ。制限時間110分、全て記述式の8題から成っていた。1つ1つの問題文がけっこう長いので、何を問われているかの理解をするのだけで時間がかかってしまうのがきつい。解答用紙はもちろんのこと問題用紙も回収されてしまったので記憶が定かではないが、例えばこんな問題があった。まず異なる3つの病院のミッション・ステイトメントが提示されている。その上で以下のような問題文。「あなたは病院の採用担当者として新たな医師の募集をしようとしています。上記の3つの病院から1つを選び、その病院のミッション・ステイトメントに適した人材とはいかなる人物なのか、その特徴を述べなさい」すごく良質な問題だと思うけど、難しい~(苦笑)。他の7問もただ1つの正解というものが存在しないような、じっくり考えさせられる問題の数々であった。消耗度は激しいが、このように暗記の必要はない一方で限られた時間内で頭をフルに回転させなければいけないテストは楽しい。教授が問題作成時も採点時も手抜きをせずに真剣に生徒と向き合ってくれているだろうことも伝わってくる。これで結果も伴っていたら言うことないんだけどね・・・。8問全てになんとか回答することができたので、後は部分点の神様の手に委ねることにしよう。テストの後には隔月で開催されている日本の大学の同窓会へ向かった。同窓会と言っても我々夫婦は一番若造のレベルであり、上は70代の先輩までいらっしゃる。Tご夫妻が私の4期上で、さらに上の方々を紹介して下さるのが有り難い。今日はDC同窓会の会長を務められている74歳のMさんから貴重なお話をたくさん聞かせて頂いた。Mさんは1957年にオレゴンのポートランドに初めて来て以来、シカゴ、ニューヨーク、そしてワシントンDCなどの滞在を経て実に47年以上もアメリカに滞在しておられる。(ご本人いわく、「妻がこっちの人だから」アメリカ暮らしが長くなっていったとのこと)日本ではあの講道館で柔道を教えるほどの達人で、アメリカへ来た当初もアメリカ人へ柔道を教えていたという。日本からオレゴンまで船で11日かけてやってきた。現地には日本からやってきた日本人など1人もいなかったという。まさにフロンティアーである。第二次大戦中のアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトが個人的に柔道を習っていたという逸話や、日本占領中のアメリカ軍が日本の官庁の地下に畳を引いて柔道を習っていたという裏話などを教えてくださった。なかなか聞けない話だ・・・。さらに、アメリカでの武勇伝も非常に興味深かった。こちらで教える立場として認められるためにはシンプルに「強い」ことが求められる。強さを証明するためには実際に戦って相手に体感させ、聴衆に見せねばならない。このような背景から、Mさんは腕に覚えのあるアメリカ人達との試合を何度も繰り広げたという。そして無敗のままここまできた。かっこよすぎる・・・。「幸か不幸か、参加しようとしていた全米柔道大会の出場を主催者側に断られたから負けずにいられたのかもしれませんけどね」ご本人はこう謙遜するが、その理由が「強すぎてアメリカ人が優勝できなくなるから」というものであったというからすごい。現在の柔道に対しては「かつてのような『命のやりとり』をしているような緊張感がなくなっている」との厳しいお言葉。ボクシングも同様であるが、安全性を高めスポーツとしての地位を確立することが、格闘技としての最高の緊張感、華やかさ、そしてはかなさというものを希釈してしまっていると言えるのかもしれない。バランスが非常に難しいところだ。その他にも、1970年の大阪万博の頃、そう日本の高度経済成長期が円熟を迎えた時にアメリカにいた日本人の仲間が続々と帰国していった話などを聞かせて頂いた。約50年前に渡米されたMさんには我々には計り知れない苦労があっただろう。「認められるためには実力を証明しなければならない」勉強させて頂きました。ボクシングでそれを証明するつもりはないので悪しからず(笑)。
2005/03/09
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NBC系列でボクシングを題材とした新たなサバイバル番組が始まった。その名も「The Contender」(チャンピオンを狙う者)(番組のオフィシャルホームページは こちらから)去年の夏からFOX系列で始まった同様のボクシングサバイバル番組「The Next Great Champ」(以下Champ)については過去の日記でも触れたことがある。(この番組の概要は『アメリカ版ガ○ンコを見て:金遣い荒いよ!』から、悲惨な末路については『The Biggest Loser:録画ミスで見た新番組』 を参照)今回のNBCの新番組The Contenderにも、Champに出ていたオスカー・デラホーヤのような大物がレギュラー主演している。進行役としてロッキー(シルベスター・スターローン)、メンターとしてシュガーレイ・レナードが出ているのだ。おいおい、いくらロッキーがボクシングのAmerican Icon(アメリカの象徴)だからと言ってもスターローンはただの俳優じゃないか(苦笑)・・・。一方、シュガーレイ・レナードはデュラン(Roberto Duran)、 ハーンズ(Thomas Hearns)、 そしてハグラー(Marvin Hagler)らと共に1980年代の中量級ボクシングシーンを魅了したスーパースターである。ウェルター級からライトヘビー級までの5階級制覇を成し遂げたレナードのスピード感溢れるボクシングは私も大好きである。(私が現役時代に理想としていたボクサーは同じサウスポーでより堅実なボクシングをするハグラーなのだが。他にもアレクシス・アルゲリョのような知的なスタイルに憧れていた)マニアックさから帰ってこれなくなるので話題を元に戻す(苦笑)。トレーニングイベントが毎週あり、その結果から試合をする2人が選ばれて敗者が去る、という展開は両番組とも同じである。選手の家族や恋人という個人的なドラマを描くことで盛り上げる手法もそのままだ。私にとって気になるのは選手達の質である。アマチュアボクサーも混じっていたChampとは異なり、The Contenderは全員現役のプロボクサーを揃えているようである。戦績も試合数一桁台から21勝無敗まで多彩だ。階級はミドル級で統一している。今回の試合はプロの戦績10勝2敗のアフレンゾ VS 21勝無敗のピーターであった。一試合は5ラウンドである。立ち上がりはフットワーク、コンビネーションともにchampよりもレベルの高いところを見せていた。しかし、ピーターについては「これでプロ21戦全勝か?」という疑問符もついていた。そして3ラウンドを過ぎた辺りで両者ともに明らかな疲れが見られた。パンチが手打ちになり、楽な接近戦にもつれこみやすくなっている。私が後楽園ホールで戦った2戦目(4R判定勝ち)と3戦目(4R判定負け)を思い出させてくれた(苦笑)。やっている方はしんどくてしょうがないのに見ているほうはつまらなくてしょうがないというパターンである・・・。泥試合の結果はアフレンゾの判定勝ち。正直、彼らの戦績の質に怪しさを感じざるを得なかった。もっと言えば、テレビ局側が試合中のパンチに「バシッ!」というようなわざとらしい音を付ける行為をやめてもらいたかった・・・。日本で流行していた「ガチンコファイトクラブ」にしても、ボクシング自体のレベルは高くなかった。スポーツとしてのボクシングの知名度を高め世に広める機会としてこの手の番組は大きく貢献していると言えるかもしれない。しかし、ボクサーとしてのパフォーマンスを「演出」することにはどうやっても限界がある。こういった番組に出演できていること自体、彼らが第一線で活躍していない選手だということを証明してしまっているのだ。う~む、ちょっとひねくれた見方になっているかもしれないな。素直にボクシング人気の高まりを期待することにしましょう。
2005/03/08
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妻のクラスメイトのAちゃんのバースデーパーティに出席。Aちゃんは妻と日本の大学でも同級生でアメリカの大学院でも偶然同級生となったという縁のある友達だ。私も彼女とは一緒に水上スキーに行ったりと仲良くしてもらっている。(過去の日記、『「立て!立つんだ水ジョーにぃ!」:水上スキー初体験の巻』 参照)会場はやはり教育学専攻のSちゃんの家で10数人が集まるアットホームなパーティであった。レストランなどで行うパーティもそれはそれで楽しいが、このような友達の家で開催されるゆったりとしたパーティもいいものだ。ゲーム好きの我々夫婦は「ピクショナリー」と「ウノ」を持参。(「UNO」を知っている人は多いだろうが、「Pictionary」については過去の日記 ピクショナリーで英語の勉強 参照)翌日が月曜ということもあり、ピクショナリーをするには時間に余裕がないということでUNOをすることに。私が持っているUNOは「National Park Edition」(国立公園版)カードにアメリカ中の国立公園の写真が載っているのだ。(おまけとして自由の女神やゴールデンゲートブリッジがあったりもするが)ルールはいつもと同じなのだが、一枚だけこのエディションの特別ルールがある。その名も「Bear Alert」(熊警報)森の中を練り歩く熊の写真のついたこのカード、場所はどこだか書いていないのだが私の勘はヨセミテ公園と見ている。(実体験に基づく推測の背景は過去の日記、『(証拠写真あり)ヨセ!でもミテえ?:ヨセミテでは熊に要注意』 参照)色や数字を問わず出せるこのカードが熊の唸り声(「ガォー!」)とともに出されると、展開が急変するのだ。1.熊カードを出した人は色を指定(例:黄色)2.熊カードを出した人以外がカードの山から一枚ずつカードを引き、出したカードをみんなに見せる3.山から引かれたカードが指定された色であればこのイベントは終了であるが、違う色が出た場合には熊カードを出した人以外のプレイヤーは延々とカードを引き続けることになる伝わったかな?やればわかるのだが、言葉で説明するとなかなか伝わりにくいものだ。その威力もやってみればすぐ実感できる。手持ちのカードが一枚になって「ウノ!」と誰かが宣言した直後に、他の人が熊カードを出してあがりを阻止するというのが常套手段となる。指定した色がすぐ出てくるときはすんなりなのだが、これが意外と出てこない時が多い。熊カード使用者以外が5枚も6枚もカードを溜め込まされることもしばしばである。数ゲームを終えてこの熊ルールに慣れてきたところで、さらにエキサイティングな新ルールを追加してみた。名付けるとするならば「スピードルール」であろうか。色も数字(文字)も全く同じカードの場合は順番を無視して一気に出してよい、というルールである。トランプとは違い、UNOには同色・同数字(同イベント)のカードが基本的に2枚ずつ入っている。その特徴を生かしたのがこのルールである。スピードルールのもとではいつでもカードを出すチャンスが生じる。言い換えれば順番を簡単に抜かすことも抜かされることもあるのだ。瞬発力を発揮できるように自分が現在持っているカードの中身をしっかり把握することが鍵を握る。これは面白いのでUNO愛好家の皆さんもぜひお試し頂きたい。スピードを競いすぎるあまりに乱闘になる恐れには気を付けなくてはいけないが(苦笑)。事実、参加者の1人NazNazは混乱により情緒不安定に陥っていた・・・。UNO特別ルールの説明に熱くなってしまったが(笑)、Aちゃん誕生日おめでとう!
2005/03/07
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私が2年前の7月にアメリカに来て以来ずーっとお世話になっていたMさんの結婚パーティが開催された。Mさんは12年に及ぶアメリカ滞在を経て今月末に帰国されることになった。フィアンセであるTさんが日本からこの会のためにいらっしゃったのだ。パーティ実行委員長のRさんの招集を受け、我が夫婦は会場準備からお手伝いをすることに。DCのNGO団体所有のおしゃれな洋館を貸し切った会場はデュポンサークルに位置していた。机や椅子の配置、催し物で使われるピアノの移動から風船の飾り付けまで、7名ほどの準備部隊がテキパキと動いた。私とOさんはレストランに注文していた料理の受け取りという大役も仰せつかっていた。アジアレストランで受け取った大量の寿司、揚げ物、焼き鳥の数々の搬入は空腹には応えた・・・。でもこの場を借りてOさんも私もつまみ食いを全くしなかったことを誇らしげに告白する。車内に漂うおいしそうな匂いに何度くじけそうになったことかわからないが(笑)。午後1時半に開場してしばらくするとMさん・Tさんカップルの友人達が60人以上も集合した。職場では日本人と一緒に働いたことがないというMさんには日本人の友達もそれ以外の国の友達もたくさんだ。ニューヨークから来ている人達もおり、Kちゃんはなんと日帰りコースであった。2人の人徳でこれだけの人が集まったんだなあ。Rさんのナイスな英語MCを経て2人が入場。(あれだけ生きた(?)英語が話せたらかっこいいよなあ)Mさんは予想以上のゴージャスぶりだった。やっぱこういうのって女性が不動の主役だよね(笑)。お2人とも私より年上だけど、初々しいカップルの姿に心が洗われた。会場に来てくれた皆さんに挨拶をして感謝の意を述べる。嬉しい一方で正直しんどい作業でもある(経験者は語る(笑))。特に今回はアメリカ開催ということもあり、Mさんつながりのお友達が多かったため、Tさんにとっては初対面の人達も多かったはずだ。それでも彼はその大役を見事に果たされていた。私自身も今回が2度目のご対面であったが、周囲から「ヤ○ザ」といじめられていたワインレッドのスーツに身を包んだガラの悪い男(私のことです・・・)に対しても優しく接していただいた。ケーキカット用のケーキもまたすごかった。2人の写真がケーキにプリントされているのである!理論的にはその部分も食べられるようであったが、さすがに2人の仲を裂いてケーキをカットするわけにはいくまい(笑)。それでもケーキカットは2人で行う大事な共同作業。ソリューションは写真部分の上面をきれいに切り取るということだった。それにしてもあの写真部分はどんな素材でできていてどんな技術が用いられているのだろうなあ。友人からの出し物としてピアノとギターの合奏(っていうのかな?)があった。KさんのピアノとI君のギター。かっこよかったなあ。楽器が演奏できるというのは優れた一芸だと再確認。その後開催された二次会も盛り上がり、気付けば夜の12時近くになっていた。主役を心から祝い、さらに他の参加者の方々との交流も深められて非常に楽しかった。新たな人達との出会い、そしてすでに友人だった人達との交流をさらに深める場を頂いたことに改めて2人に感謝したのであった。Mさん、Tさん、末永くお幸せに!!筑波へも遊びに行きますのでその節はよろしくお願いします!あ、でも、秋葉原から45分で行けるようになってからかな(笑)。
2005/03/06
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先日の「Emerging Technology」の授業を振り返る。テーマは「Transportation」(交通機関)ハイテク技術を用いた未来の交通機関はどのように変化していくのか。車や電車、飛行機などの進化の方向性が話し合われた。例えば車間距離やスピード、ブレーキを自動調整するセンサーの導入により交通事故は急激に減ると見られている。事故が減るのは大歓迎だが、車を運転する喜びというものは減ってしまいそうだ。また、飛行機の運転でもあるような、自動運転制御が故障していざ自分で運転をせねばならなくなった時にはパニックに陥ってしまいそうである。過去の日記、『手塚治虫の世界のようにロボットが人間を支配するか?』 で述べたように、ロボット(機械)に対する著しい依存が人間の無力化を引き起こしてしまいそうで怖い。。。未来の車の項目では「カー・ナビゲーションの完備」という記述もあった。日本ではもう日常的に見られるカーナビ。アメリカではほとんど見たことない。教授に質問をしてみた。「カーナビは日本ではポピュラーなのになぜアメリカでは普及していないのですか?」私のこの質問が教室内のディスカッションに火をつけた(笑)。「アメリカの技術力が低いからだ」「アメリカが広すぎるからだよ」「人口密度からみて費用対効果が悪いからでは?」「アメリカ人は自由に運転をするのを好むから需要が低いのさ」教授:「地図システムにおける業界標準の構築が遅れているというのも一因でしょう」ふむふむ、どれも興味深い指摘だ。アメリカの文化に起因する需要の低さ、地理的・人口密度的な非効率さ、市場原理に基づく自由競争がインフラ構築の阻害要因になっているということなどが複雑に絡み合っているのだろう。でも個人的にはアメリカでもカーナビが欲しい(涙)!電車の項目ではリニア・モーターカー(Maglev)の可能性について論じられた。日本でも一昔前には「未来の交通機関」として開発が進められていた。しかし、運用コストは低いものの初期投資が高すぎるという欠点がある。スピードもどうやっても飛行機にはかなわない。こうして日本、イギリス、ドイツではリニア・モーターカーのプロジェクトは幕を閉じた。プロジェクトを継続しているアメリカと中国の行方に注目である。最後に飛行機の項目では、超高音速飛行機(Hypersonic Planes)と小型飛行機(Small Aircraft)について話された。ボーイングとNASAが共同開発している新型飛行機はアメリカ大陸からユーラシア大陸まで3時間で到着する能力を持っているという。国際化という時代の要請を受けて世界はいっそう小さくなっていきそうだ。一方、小型飛行機の普及とはマイカーならぬマイプレインが普通になる状態を指す。飛行機を所有するというのは一部の大金持ちに限られた行為だという印象がある。しかし技術の革新がコストの飛躍的な削減を可能にし、現在は一台1500万円、飛行代も1時間1000円くらいにまで下がっている。もちろん我々一般市民にはまだまだ高いが、超高級車と同レベルの値段で飛行機が買えてしまうというのはすごい。心配の種である運転の難しさもGPSの発達や自動運転制御機能のおかげでハードルはどんどん低くなっている。本当に飛行機の所有が車並になってきたら世の中はどうなるのだろうか?空の渋滞が起こる?交通ルールの整備をいかに行うのか。空中玉突き事故でも起こされた日には空からの部品の雨に気を付けなくてはいけない・・・。環境問題への波紋も呼びそうである。新しい技術によるよりよい社会の実現には適切な規制が伴わないといけないのだと感じた。
2005/03/05
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日本のテレビ局のワシントンDC支局で行われた勉強会に出席した。テーマは「米国の占領政策の一断面」内容の性格上詳しくご紹介できないのが残念だが、日本史や世界史の勉強で名前や表面上の関係だけを知っていた内容の詳細や裏話をたくさん聞くことができて非常に興味深かった。学校での勉強で歴史を学ぶ上での苦痛は人名や出来事、そして時には起こった年まで暗記しなくてはいけないことだろう。一方で歴史を学んでいるときに感じる喜びとは、「点」として覚えていった個々の事象・人物が「線」としてつながっていき、異なる時代ごとの一連の出来事という多くの線が「面」を形作り、最終的には様々な地域で起こっている多くの面を合わせていくことにより、事象軸、時間軸、そして場所軸からなる「空間」を感じることができることであると私は考える。私の場合、大学受験の科目に日本史と世界史が両方あったため、当時は正直しんどかったが、今となっては浪人を含め2年間みっちり歴史を学んだことは財産となっている。もちろん曖昧に表面上しか知らないことがほとんどあるし、暗記の域を出ないですぐ忘れてしまっているものも多い。しかし、何らかのきっかけがあれば思い出すことが多いし、さらには自分が知らなかった歴史上の何かを聞いたときでも時間軸・場所軸の交わりから関わりを見出せることが頻繁にある。過去の日記、『革命を経験した女性』 で述べたような「歴史は過去を学ぶだけのものだけではなく、現在と将来を考えるための教材」という単なる勉強や趣味という域を越えた実利的な側面もあろう。現在私がビジネススクールで多く取り扱っているケーススタディ、さらにはロースクールで教材としてメインを成す判例も、歴史から学ぶというコンセプトからきているのだと思う。全てのシチュエーションはそれぞれに独特のものであり簡単に定型化したり過去の事例を当てはめたりすることは危険である。しかし先人の置かれた状況をシュミュレートし当事者の気持ちになって答えを出そうとする練習は、来るべき本番にベストの決断を下すための訓練になることは確かだ。学んだ歴史の現場を実際に訪ねたときの感動というものも見逃すことはできない。文字通り「空間」を感じることができるからであろうか。大学時代に2度行ったインドではお決まりの観光地、タージ・マハールを何度も訪れた。タージ・マハールは時の皇帝シャージャハンが亡くなった愛妻ムムターズ・マハールのために経てた大理石の墓廟である。彼は川を挟んだタージ・マハールの向かいに、自分のためのまったく同じ大理石墓廟をペアで線対称になるように作るつもりであった。しかし、息子のアウラングゼーブ帝に政権を奪われしまい、タージ・マハールを眺めることのできるアグラー城に幽閉されたまま死を迎えてしまったのだ。川を挟んだ向かいには今も広大な空き地が広がっている。「何もない」という状況がシャージャハンの無念を重く物語っている。父親を幽閉してまで政権を手に入れたアウラングゼーブはそれまでの融和策から領地拡大政策に乗り出し、戦争に明け暮れた。シャージャハンの政策にことごとく反した動きをみせたアウラングゼーブであったが、彼も父親が作ったような大理石の墓廟を自分のために作ろうと試みるのであった。その墓を見るためにアウランガーバードという土地を訪ねた。見た目は小ぶりなタージ・マハールという様相の建物はその名も「ミニ・タージ」近づいてみると大理石の輝きがないことがわかる。もっとよく見ると建物の下の方の部分だけ色が違う。大理石で作り始めたのだが戦争に明け暮れたための財政難から資金が尽きてしまったのだ。反発を続けながら最後に父親の模倣を試み達成できなかった彼の思いはいかなるものだったのだろうか。誰もが知っているタージ・マハールと観光地としてはマイナーなミニ・タージ。歴史に刻まれたドラマを感じ鳥肌が立ったのを覚えている。ここから我々が学べる教訓は何だろう。「家族は大切にしましょう」かな(笑)。
2005/03/04
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この人を見てきた。Hillary ClintonDCに拠点を置く複数のNGO主催で国連などが後援したGirls' Educationに関わるカンファレンスに出席してきたのだ。Girls' Education(女子教育)は、発展途上国における就学率や識字率などについての男女間のギャップを埋めることや、教育を通じた女性の社会進出をコンセプトとしている。私の専攻分野ではないのだが、この分野を専攻している妻に代理出席&資料ゲットを頼まれたのだ。彼女はインターン中の世銀で他のカンファレンスの手伝いをせねばならず、登録していたのにも関わらず出席ができなくなっていたのだ。私がこのミッションを引き受けたのはヒラリーの生スピーチを聞いてみたいというミーハー根性からきていた(笑)。元ファーストレディとして史上初の上院議員(New York選出)となり、将来の女性初の大統領も嘱望されている大物である。会場は国会議事堂の近くのホテル内の会議室で朝8時半開始。Judiciary Square駅が最寄りだったと知らなかった私はMetro Center駅で下車してしまい、強風でものすごい寒い中、司法省やFBI本部などの前をひたすら歩いてやっと現地に到着した。DCエリアでは政治やビジネス関連の大物の講演を聞く機会に恵まれている。しかしこれまで、我がビジネススクールのイベントだったウォーレン・バフェット(最高に著名な投資家)の講演、私のMBAの先輩に当たるパウエル元国務長官の講演、メリーランド大学で行われたHP(ヒュ-レッド・パッカード)の元CEO、フィオリーナの講演を逃してしまっていた。今考えても行っておけばよかったと後悔している。来週に国会図書館で行われるという元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんの講演はミッドターム試験と重なって行くことができないことが判明している。。。というわけで今日のヒラリー講演は見逃すことができなかったのだ。なんとか間に合い、会場の250の席もほとんど埋まる中で席を確保することができた。彼女は3つある基調講演のトップバッターであった。女子教育とのつながりとしては、上院議員として去年10月に提出した「Education For All法案」がある。果たして、ヒラリーさんは堂々と遅刻してきた(笑)。遅れて皆を待たせたことにまったく動じず、堂々とした明快な口調で演説を始めたのであった。ヒラリー・クリントンには間違いなくカリスマ性というオーラが出ていた。一方で夫であるビル・クリントン元大統領に見られたような温かみというか人間味が伝わってこなかったことが気にかかった。スピーチ能力に関しては、その後に続いたDr. Jeffrey Sachsの講演が素晴らしかった。彼は国連ミレニアムプロジェクトのディレクターでアナン事務総長のスペシャルアドバイザーを務め、Time誌の「the most 100 influential leaders in the world」に選ばれている。始まりは地味だなあと思っていたのだが、昨日までいたというエチオピアでのエピソードの語り口、強弱の付け方など恐るべきスピーカーであった。基調講演の最後はCharles Hagel上院議員(ネブラスカ選出)であった。いかにもやり手の政治家風のおじさまだった(笑)。「今回のテーマの女子教育と言えば、うちの娘は最近続いている雪のせいで学校が閉校しちゃってずっと家でごろごろしてるよ」なんて小ネタで笑いをとりながらスムーズに本題へ話しを運ぶ。う~む、老獪だ。でも1つ気になったのが、同じ上院議員でありながらヒラリー・クリントンの講演時にはごっついシークレットサービス風のお兄さんが2人近くで目を光らせていたけど、彼の講演の時にはそれらしい人が見当たらなかったことだ・・・。元ファーストレディとしての特権なのかな?それとも単に重要度の違い??あるいは単に私がドラマ『24』を見すぎということ?妻にカンファレンスの内容を教えてくれと言われていたが、気付いたら本丸の部分ではなくて周辺の情報ばかりになってしまった(苦笑)。まあ、大量に持ち帰った資料をじっくり読んでおくんなまし。
2005/03/03
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本日の「Physician Practice Management」の授業では診察費・治療費の請求とその回収について学んだ。「病院でかかる診察費や治療費ってどのように決定されているのだろう?」という素朴な疑問に答えてくれる授業であったので興味深かった。私的保険制度が主流を占め、老人や障害者、貧困者のための公的保険制度も併存するアメリカでは医療サービスの価格決定の構造も複雑である。ここではアメリカの医療費の25%を占めるという老人と障害者のための公的制度、Medicare(メディケア)における価格決定の構造を紹介したい。式にすると以下のような感じである。(人件費関連×地域係数1+処置費用関連×地域係数2+医療過誤保険費用×地域係数3)×定数なんだかよくわからないな(苦笑)。つまり、人件費と処置費と医療過誤保険の3つの要素から成り、そのそれぞれに土地の物価等を勘案した係数をかけていくのである。(同じ場所について計算しているのに地域係数が複数あることに混乱したが、よく考えたら3つの数値のベースが異なるのだからおかしくはないだろう)地域係数の存在意義は地域間による物価の違いを加味することにある。例えばワシントンDCとケンタッキー州の生活コストの違いを考慮に入れているということだ。定数を含め、それぞれの数値の根拠を突き詰めることは途方もない作業なのでお手上げであるが、少なくとも医療費の構成を知ることができたことは興味深かった。医療サービス提供者側にとって、医療過誤保険への加入は切実な問題である。特にアメリカの民事訴訟における損害賠償の額は組織の存続を危ぶませるほどに大きい。この事実が医療過誤保険の掛け金の著しい上昇を引き起こしており、それは医療費の上昇に直結することを意味している。アメリカ政府もこの悪循環を止めるための方法をいろいろ考えているようであるが・・・。医療過誤を起こさせないような仕組み作り、損害賠償額の調整と医療過誤保険制度の改革など、課題は山積みだろう。日本もにとっても決して他人事ではないはずだ。
2005/03/02
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「Health Economics」の授業が始まる前にプロジェクトのためのミーティングがあった。ミーティング終了後、クラスメイトのJと雑談をした。彼女は現役の眼科医でありながらHSA (Health Services Administration)の修士を学ぶすごい人。さらにすごいのはもうじき13歳になるA君を1人で育てていることである。A君の通う私立中学校はワシントンDC内の大使館が多いエリアに位置しているため、セキュリティ上の問題からスクールバスの運行エリアに制限があるという。そのため学校への送り迎えをJはほぼ毎日しているというのだ。授業中に仕事関連のポケットベルが鳴って途中で帰ることもある。なんてすごい人なんだ・・・。過去の日記、『革命を経験した女性』 ではブルガリア人のクラスメイトGを、 『1日にテスト1つにプレゼン2つ・・・:終了後に夜逃げ敢行!?』 ではフィリピン人のクラスメイトSを紹介したが、仕事・勉強・子育てという3つに向き合う「働く学生お母さん」である彼女達を私は本当に尊敬する。もちろん、彼女達のような偉業を可能にするのも社会や男性の理解があってこそであろう。その点では日本はまだまだアメリカに遅れている。ワシントンDCにある国際機関に勤めるお友達のゆったんの日記 『人との出会い、別れと誕生?!』 からも、アメリカの進んだ状況を知ることができる。(一般企業はここまで進んでいないのかもしれないが)私:「うちの方は子供の予定はまだ先の話だね~」なんてJに言ったところ、彼女は私の肩に手をおいてこう言った。「子供を持つとしんどい事もたくさんあるけど、喜びもいっぱいよ(笑)」いつの日か、彼女の至言を理解するときがくるのだろう。
2005/03/01
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お昼はロシア人の友人Mの家へ彼女自身の送別会へ出席。私と同じ大学で教育を専攻した彼女は去年すでに修士課程を修了していたが、とうとうロシアへ帰ることとなったのだ。過去の日記、『ボルシチ最高!:香り漂いそうな写真付き』 でも登場したMの料理は絶品である。もちろん、今回の送別パーティでもMのおいしい料理を堪能した。規模は10数名のこじんまりとしたものであり、アットホームな感じでよかった。M、ロシアに帰っても元気で頑張ってね。参加者の1人、アメリカ人女性のAは日本の神奈川県に2年いた経験を持つという。彼女が生まれ育って現在も住んでいるメリーランド州と神奈川県が姉妹都市の関係にあり、両都市の文化交流の一貫で英会話を教えていたのだ。(小中学校に赴任するJET Programとは違うプログラム)英語を教える立場でいたためか日本語はあまり得意ではなさそうだったが、味噌を使った料理や枝豆を恋しがる乙なアメリカ人である(笑)。彼女が参加したプログラムでは大人に英会話を教えること以外に、自分でテーマを立てて日本文化を研究するという課題があった。そしてその研究課題がすごかった。『日本における温泉の研究』北海道、本州、九州など日本中の温泉を訪れて堪能したという。(私は行ったことのある四国の道後温泉に行ってみたかどうか聞けばよかった)勉強と楽しみを兼ねた頭の良すぎるテーマアップではないか(笑)!日本人ながら北海道も沖縄も行ったことのない私は「俺より日本のこと詳しいんじゃないの(笑)?」とおどけてみせたが、彼女の反応も興味深かった。A:「自分の地元とか国というのはそういうものなのよね~。私もDCエリアにずっといるのにホワイトハウスに行ったことがないし、グランドキャニオンやラスベガス、サンフランシスコにだって行ったことがないもの」確かに私はホワイトハウスにもグランドキャニオンにもラスベガスにもサンフランシスコにも行ったことがある(笑)。(証拠代わりに過去日記参照:ホワイトハウスの写真 、グランドキャニオンの写真 、ラスベガス滞在記 、サンフランシスコ滞在記 ) 東京生まれ東京育ちでありながら東京タワーに初めて行ったのは大学生のとき留学生の友達を東京見物に連れて行ってあげたときだった。実家から自転車でさえ行けるにある浅草寺の雷門に初めて行ったのも、電車で行けばそんなに遠くない鎌倉をじっくり散策したのもやはり大学時代に留学生を案内するという目的があったときであった。「ああ、日本の風景もなかなかいいな」と感じたのを今でも覚えている。当たり前と思っていたり、「いつでも行けるからいいや」と思っていることはもったいないのだな。過去の日記『「とんでもない夢を持て!」:最後のクラスでの教授からのメッセージ』でこんな言葉を紹介した。「Appreciate what you HAVE, not what you HAD」(過去に持っていたものではなく、今持っているものに感謝の意を持ちなさい)この言葉は家族や友人に対してだけではなく、自分が現在住んでいる環境にも言えることかもしれない。「ワシントンDCエリアに住んでるからこの辺りの観光スポットはいつでもいけるからいいや」という気持ちが今の私には確かにある。(実際、観光地は誰かを案内するときくらいしか行っていない)しかし5月の卒業後に日本に帰国してしまったらそう簡単には訪れることはできないだろう。観光地に限らず、そういう意識を持って残す3ヶ月を大切にすごして行こう。
2005/02/28
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ものすごい勢いで見終えてしまった・・・。ドラマ『24』のセカンドシーズンである。目と頭が痛い(笑)。昨日の日記にこのドラマはアメリカ人の愛国心と家族愛を興味深く描写していると書いた。それ以外にも緊急時の優先順位のつけ方、物事を進めていく上でキーマンを把握しコンタクトを取っていくことがいかに大切かについて非常にリアルに伝えてくれる。起こる出来事、そして登場人物の行動は日常ではとうてい考えられないことばかりである。しかし、その出来事が起こった理由、行動の動機を考えるほどに人間の怖さと弱さ、そして強さを感じるのだ。ロールモデルにするには現実味がなさすぎるが、登場人物への感情移入をする度に鳥肌が立った。涙もろい方ではないが、パート2では久しぶりにかなり泣かせてもらった。これでパート3を見れば現在放映中のパート4に追いつくことになる。早くまともな生活を取り戻したい(苦笑)。
2005/02/27
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午前中、DC在住の弁護士Yさんからインターネット経由で連絡が入る。「ちなみにようやくシーズン2を見終わりましたので近々お渡しできると良いのですが。」ドラマ『24』のことである。共通のお知り合いKさん所有のDVDセットを貸してもらっているのだ。今オンエア中のパート4から見始めている私にとって、1から3までの予習は必須なのだ。すぐに連絡を返し、その日の昼には地下鉄の改札でYさんからブツの受け取りに成功した。Yさん、恐ろしく迅速なご対応、ありがとうございます!英語字幕がないとやはり厳しいが、あればだいたいの内容がわかるようになってきたのが嬉しい。本当の意味でのサバイバル英会話も学んでいると思う。「You copy?」(応答せよ!)「Keep me posted, all right?」(何かあったらすぐ知らせろ、いいな)「Drop your weapon! Put your hands on your head! Now!」(武器を捨てろ!手を頭の上に乗せろ!今すぐに!)こんなフレーズがスラスラ頭に浮かんでくる。重傷だ(笑)。ともかく、集中的にパート1を見終え、パート2をやはり集中的に見始める傍らパート4を毎週見ていく。登場人物もストーリーも大混乱状態だ・・・。激しいアクションやスピーディな展開がやはり病みつきにさせるのだが、一方でアメリカ人が抱く愛国心、家族愛というものも丁寧に描かれていて興味深い。しかし、ただ1つ言えること、それは「There must be a betrayer inside」(裏切り者が内部にいるはずだ)人を信じちゃいけないよ、みたいな教訓が刷り込まれそうで怖い・・・。
2005/02/26
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雪がまた降ってきた。そんな悪天候にも関わらず仕事帰りのSさんは彼のアパートで行われるボクササイズレッスンのために私を拾いに来て下さった。アパートに到着すると、奥さんのRさんはすでに準備完了。やる気満々が伝わってきて嬉しい(笑)。2人とも基礎を終えてすでにコンビネーションの段階に突入している。ボクシングの奥の深さと新たな刺激を与えるのがトレーナーたる私の役目。というわけで今日のお題はショートのワン・ツー。最高のパンチは腕が伸びきったときに相手にちょうど届き、当たる瞬間に拳を握り打点を形成できた時に生まれる。パンチが届かないのなら間合いを詰めればよい。相手に近づき過ぎた場合はどうすればよいだろうか。距離が近いのにいつも通りの腕の伸ばしたパンチを打った場合、対象が近すぎるためにどん詰まりになってしまう。下がって距離を取るという方法もある。しかし、「接近戦」という状況になると下がることは相手に勢いを与えることにつながってしまう。ここで威力を発揮するのがショートのパンチである。ショートのパンチは相手との近さを考慮して、腕が伸び切っていない状態で打点を形成するところにポイントがある。中距離や長距離で放たれるパンチではなく、接近戦でコンパクトに放たれるパンチと考えればわかりやすいだろう。試合であれば必須のテクニックであるが、ボクササイズではかなり高度な技術にあたるのは間違いないだろう。果たして、SさんもRさんも驚くほど的確なショートのパンチをミットに打ち込んでくれた。ショートパンチの意図を正確に理解して下さった賜物であろう。Sさんがおっしゃっていたように、「ショートが入ることで手数がすごく増える」という利点も見逃してはいけない。コーチ冥利に尽きます。ショートとロングを織り交ぜたときにはさすがに混乱していたようですが(笑)。コーチもたまに混乱しているのでご安心を。基本として自分のベストの型を磨く。一方で、相手(環境)の変化に合わせた臨機応変な動きも実践していかねばならない。いやあ、ボクシングってほんっとに奥が深いですねー。ちょっと水野晴郎風だったかな・・・。
2005/02/25
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午前中はアメリカでも有数の医療関連情報のNPO、The Kaiser Family Foundation の報告会へ出席。テーマは「The Outlook for National Health Care Spending(国内医療支出の見通し)」2005年から2014年までの10年間に渡る医療費の推移の予測とその根拠が示された。主要なポイントは以下の2つ。1.2005年以降の医療支出の増加割合は今後10年間に渡り一定していくだろう。(毎年7~7.5%の増加)2.医療支出における政府負担の割合が増加していくだろう。1.は今後も医療費は増加の一途を「順調に」たどることを意味し、2.は処方箋にかかる公的制度の改革(Prescription Drug Spending = Medicare Part D)に伴う政府支出の増加を示している。つまり、私的保険制度(Private Insurance System)に対する政府の調整が、支出の内訳に変化をもたらすということである。このシフトが無保険者の減少につながればよいのだが・・・。夕方からの「Emerging Technology」の授業のテーマは二日前の日記 でも取り上げたように、「遺伝子工学と未来の医療」私は「Remote Patient Monitoring」と題してプレゼンテーションを行った。医療系の専門用語を含むこともあってまだまだ原稿読み状態から脱せないのがくやしいところだが、内容の注目度には自信があったし、事実クラスメイト達からも興味深いフィードバックを聞くことができてよかった。授業では、上記の過去日記に私が書いたようなテーマに加え、「Child Traits(子供の特質)」についての議論も熱かった。現在の技術を用いれば、生まれてくる子供の性別の判別だけでなく決定も行えるという。さらに「Prenatal Screening(出世前診断)」でその子供の将来的な身長や髪の色、さらにはIQまで測れるようになるという。この技術の延長線上にあるのは遺伝子操作による特質の変更である。つまり、先天的な障害を治療したり、我が子のIQを上げるというようなことが可能になるのだ。国を問わず現在の大多数の意見は「我が子の生まれ持った性質に手を加えたくない」というものである。そこには「人間が足を踏み入れてはいけない領域」という考え方や、「自分の子供には自分の遺伝子を受け継いで欲しい」という親としての思いがあるのだろう。一方で先天的な障害を前もって治せるのなら未然に防いであげたいと思うのが親心でもある。さらに定義は様々であろうが、高い能力を自分の子供に持ってもらいたいという気持ちもないと言えば嘘になるだろう。教授の考えは以下のようなものである。「政府主導で子供の性質を変えてしまうのは明らかに間違いである。しかし、親がそれぞれ判断する分には自分の子供の幸せを考えての決断であるわけだし、認めるべきではないか」う~む、病気や障害などに関しては理解できるが、IQなどにまで及んでしまうと、出生前の受験戦争のような状況になりそうで怖いな・・・。人工臓器(Artificial Organs=発達した義手や義足など)、クローン臓器(Grown Organs=培養した本物の臓器)、臓器移植(Transplants)の話を経て、話題は「寿命の延長(Life Extension)」にたどりついた。ニューヨクタイムス紙など、多くのマスコミによって行われた試算をまとめてみると、21世紀半ばの平均寿命は120~150歳に到達しているとされている。本当に実現したとしたら驚異的だ・・・。平均寿命の延長を可能にする要素として、教授は以下の4点を挙げる。1.ライフスタイルの改善と代替医療の発達2.ホルモン移植の発達3.臓器移植の発達4.医療全般(情報・診察・治療・リハビリなどなど)におけるITの発達1.と4.はまだわかるけど、ホルモンを交換したり臓器を交換したりして肉体の老化と戦っていくということなのだろうか・・・。このように古くなった体を常に新しく保っていくことで「不老不死」、もしくは「不死身(Immortality)」というものが実現できるのかもしれない。ものすごい話だ。1つ気になったことがあったので質問してみた。私:「脳死の場合のように、脳を交換しなくてはいけない時はどうなるのですか?」この場合、自分自身でいられるのだろうか?言い換えればアイデンティティは維持できるのだろうか?先生:「それは考えてもみなかった問題ですね。とても哲学的な問い掛けになるかもしれません。。。。」う~む、クローン人間が作られたとした時に「彼・彼女」の意識はどうなるのだろう?その脳は同一のものなのであろうが、先天的なものはともかくとして、経験からプログラムされた部分については本当に謎だ。これはどうやら、不老不死の時代にあっても頭だけはしっかり守らないといけなさそうだ。今から軽量で耐久性に優れた「頭ガード」の開発を始めれば大成功は間違いないだろう(笑)!皆さんも頭だけは大切に使っていきましょう。(ボクシングをやっていたのはやばかったかな・・・(苦笑))
2005/02/24
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明日のプレゼンの準備に追われている・・・。というわけで今回はたわいのない独り言を。アメリカ人のクラスメイトって人の名前を覚えるのがうまいように思える。今日の「Physician Practice Management」授業でもそうだったが、それまで一言も話したことのないような人からも普通に名前を呼ばれたりするとびっくりする。私の名前はアメリカ人には覚えにくい(発音しづらい)と思うのだが、合っていようといまいと(笑)、彼らは積極的に名前を呼んでくれる。会話自体は大したことなくても、自分の名前を呼ばれただけでなんか親近感が沸くから不思議だ。(そういう商法には気を付けねばならないが・・・)アメリカ人って実は記憶力がいいのか?いや、この答えはコミュニケーションの在り方に隠されているのではないだろうか。彼らは会った時の挨拶から始まって頻繁に相手の名前を会話に散りばめている。相手の名前を会話に挟むのがまるでリズムのように。日本でこうも相手の名前を呼ぶことはないと思う。やはり使い慣れていくことで名前もどんどん覚えていくのかもしれない。「あのさ」とか「ねえ」と呼びかけるより自分の名前を呼んでもらった方がこちらも喜んで反応するのは自然なことだろう。(叱責や非難の時にも相手に与えるダメージという面で効果が高いであろう(苦笑))相手を個として捉えたコミュニケーションの方が効果的であるな、と考えさせられたのであった。ところで、先のクラスにはマイクとブライアンがそれぞれ2人ずついるのだが、こういう場合はどう呼び分ければよいのだろう・・・。
2005/02/23
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正気に戻って(笑)、勉強のお話を。「Emerging Technology」の次回の授業のテーマはMedicine & Biogenetics(医療と遺伝子工学)技術の発展がいかに医療の進歩へ、そして我々の社会に影響を与えるかを考える。サブトピックは多数あるのだが、ここでは「Transplants(臓器移植)」と「Grown Organ(人工的に生成された臓器)」について書きたい。今でも危険なイメージのある臓器移植であるが、アメリカにおいてその成功率は90%にまで達しているという。年間の移植手術件数を例にとれば、角膜5万件、肝臓3千件、腎臓1万件、心臓3千件を数えるという。臓器移植という革新的な考えとそれを可能にする技術が、これまでは絶望視されていた多くの患者を救ってきたのだと言うことができる。一方で、臓器の移植を必要とする患者にドナーが現れないという状態、いわゆる「臓器不足」も深刻化している。さらに、高額な手術費用、他者の臓器を自己に組み込むことにより発生する生体の拒絶反応、そして移植された臓器の寿命の短さといった問題点も指摘されている。ではもし、自分の細胞から臓器を作り出すことができたらどうだろうか?費用に関しては現時点では何とも言えないが、ドナーを待つ必要がなくなり臓器不足が解消され、自らの細胞を用いることにより拒絶反応の心配がなくなるのだ。遺伝子工学と基幹細胞研究の発展により生まれた次なる可能性がこの「Grown Organs」である。臓器のクローンと言ってもよいかもしれない。現時点の技術で、基幹細胞からあごの骨、鼻、耳の「再生」と本人への移植が成功しており、肝臓、胸、心臓、指などが開発段階にあるという。(New Scientist誌, 8/27/2004)メジャービジネス誌もその動向に注目している。『基幹細胞は臓器を再生するための魔法の種である』(Fortune誌, 6/11/2001)『10年から20年後までには真の意味での「Body Shop」が顧客に臓器を提供するだろう』(Business Week誌, 6/27/1998)『ハーバードとMITの各大学の細胞組織工学の研究者達は人工臓器の潜在的な市場規模を年間8兆円になると試算している』(Newsweek誌, 2/12/2001)もちろん、技術面や倫理的な観点から反対の声も多数ある。部分(臓器)のクローンは全体(人間)のクローンにつながるであろう。我々人間がどこまで生の始期と終期に関わってよいのか。世論の声を反映してか、二期目をスタートしたブッシュ政権はヒト基幹細胞の研究に反対をしているし、アメリカ議会でも基幹細胞を用いた臓器の生成を犯罪として罰則を与える動きが見られている。さらに、NIH(アメリカ国立衛生研究所)の神経科学者によれば、「基幹細胞は成熟細胞に比べ、よりガンになりやすい」という欠点も指摘されている。(Fortune, 6/11/2001)世界中には臓器移植を待っている患者が約15万人いるという。そして「臓器不足」として表される臓器要望者と提供者の数のギャップは年々広がるばかりということである。技術の進歩(臓器移植技術)によって生じた新たな困難(臓器不足、拒絶反応等)に答える新たな技術はクローン技術なのだろうか。大学時代に刑事政策と医事刑法を専攻し、当時施行されて間もなかった「臓器移植法」について学んだことがあった。臓器移植法はドナーの承諾の在り方や、脳死を人の死と認めるかなど多くの議論を内在した法律である。私は勉強を通して臓器移植の意義と必要性を理解し、学生当時に記入した「臓器提供意思表示カード」を現在も携行している。クローン技術は新たな可能性と課題を我々に投げかけている。世論を形成する我々自身が考えねばならない問題であると考えさせられた。
2005/02/22
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S宅に到着し、眠りについたのは朝6時半くらいだったろうか。昨日はフィラデルフィアのチャイナタウンで昼に飲茶を食べ、夜にはマンハッタン・ミッドタウンの中華レストランで夕食を食べている。振り返ってみれば木曜には日記にも書いた通り北京ダックも食べている。4日間で4回の中華ということだ。それでも飽きないのだから中華料理は奥が深い!このランチをセッティングしてくださったのは、水曜にベトナム麺もご一緒させて頂いたKさん。ニューヨークへは奥様と3歳のA君といらっしゃり、昨日の夕食に引き続きご一緒させて頂いた。S宅で3時間の仮眠をとった後、地下鉄でニューヨークのチャイナタウンへ。ものすごい規模の大きさである。中国の旧正月のお祝いをしているのか、いたるところで獅子舞の踊りが行われている。ここは本当にアメリカなのか(笑)?店の名前は「Joe's Shanghai」(9 Pell St. (Chinatown/Lower Manhattan) Between Mott St. and the Bowery)かなりの有名店ということでものすごい混雑が予想されるため、開店時刻である11時に現地集合となった。ここの看板商品はずばり小龍包。ポークとカニの二種類の味がある。見た目で区別はつかないけれどカニ味の写真をどうぞ。皮の中にはあつあつのスープに浸った豚の具、あるいはカニの具が鎮座している。う、う、うまい!睡眠時間を削ってまで(自業自得だが)参加した甲斐があった!ニューヨークの中華のレベルは本当に高いことを実感。その後、在学中のSの案内でニューヨーク大学を見学。ニューヨーク大学のビジネススクールも全米のトップクラスに入る。しかし、ペンシルバニア大学とは違って建物に入ることさえ許されなかった。9.11の発生した都市であるだけにその警戒度も高いのかもしれないな。こうして2泊3日の旅もあっという間に終わりを迎えた。ニューヨークからワシントンDCまでの道のりはバスで4時間くらい。帰りのバスも見事に遅れが出ていた(苦笑)。さらに車内で睡眠不足を挽回できるかと思いきや、隣に座ったのが赤ちゃん連れの大柄な男性。彼のサイズによるプレッシャーの強さ、そして赤ちゃんの叫びと暴れっぷりにより眠れなかった・・・。移動でいろいろと苦労もしたけれど、友との再会、新たな出会い、そして高レベルの食事を楽しむことができた。今回は華僑の勢力の大きさも実感した。それにしても都市によっていろいろな顔を持つアメリカはやっぱり広い!
2005/02/21
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前日の晩はKとKさんが住むアパートにSと一緒に泊めてもらった。女性のKさんが会話に加わっても内容のレベルの低さ(下のほうっていうこと)に変わりはなかったような・・・。それだけ彼女の器が大きいということでしょう(笑)。午前中から昼にかけてはフィラデルフィアの観光に連れて行ってもらった。まずは2人が通うペンシルバニア大学へ。大学らしい巨大なキャンパスが羨ましい。全米トップクラスのビジネススクールの中にも潜入。教室は鍵が閉まっていて入れなかったのだが、清掃のおばちゃんが親切にも鍵を開けて見学させてくれた。教壇にパソコンのモニターが埋め込まれてあり、スクリーンの上げ下げから画面の切り替えまで全て一括管理できるようになっている。さらに、建物内に複数あるグループ学習室にはパソコンが2台常備していた。お金のかけ方が違うなあ。ビジネススクールから外に出て校舎内をてくてく歩いていると上品そうなおじさんがベンチに腰を掛けているのを発見。これはこれは、避雷針を発明した科学者であると同時に独立宣言の起草者の1人でもあったベンジャミン・フランクリンさんではありませんか。(←やらせ)フランクリンさんに挨拶を済ませ、次の目的地へ移る。ボクサーであれば誰もが憧れる「彼」に会うためだ。彼は以前は美術館の前に立っていたのだが、何らかの都合で移転し、今はNHL(アイスホッケー)のスタジアムの前に立っている。そしてその場所はけっこう遠かった。優しいKとKさんは私のために無理をして現地まで連れていってくれた。彼の近くにやってきた時点で私は目覚まし代わりに使用している日本の携帯電話をおもむろにリュックから取り出した。呼び出し音(or 目覚まし音)に「ロッキーのテーマ」があったのを覚えていたからだ。携帯:「ちゃらーらー♪ちゃらーらー♪」(ご存知の方は音楽に合わせて口ずさんでください)意気込みもいよいよ高くなってきたところでとうとうご対面。「えいどりあーん!」ってぜったい叫んでるよね、これ(笑)。外は零下の寒さなのに立派な御仁だ。KもKさんもSも寒い中付き合ってくれてありがとう。その後、フィラデルフィアのチャイナタウンで飲茶を堪能し、Sと2人でバスでニューヨークに向かったのであった。ニューヨークについたのは午後6時半過ぎ。7時から友人達と夕食を一緒する約束があったので、Sも連れて現場へ急行。時間にけっこう余裕があったはずだったのだが、ニューヨーカーのSが地下鉄で迷ってくれたおかげで(笑)、タクシーで現場に向かった。参加者は10名。3歳のA君を含む6人の方が初対面であった。ミッドタウンに位置する中華レストラン、「フェニックス・ガーデン」はニューヨークに在住の日本人御用達の店のようだ。塩をふった蛎フライが最高だった・・・。おいしい料理を食べながら皆さんとの話もかなり盛り上がった。隣の席だったAさんはアメリカ最大の研究機関NIH(国立衛生研究所)でエイズワクチンの研究をされているドクターである。ご自身の研究内容について素人の私に対して噛み砕いて説明して下さったり、エイズ対策に関する治療と予防の試み、さらにはNIHの組織構造について非常に興味深いお話を聞くことができた。NIHはDCエリアに位置することもあって実は家もそんなに遠くないことが発覚し、さらに共通の知り合いもけっこういることがわかった。約束した研究所見学、ぜひお願いします!こちらも約束した漫画の貸し出しを致しますので(笑)。もう一方の隣の席だった証券会社勤務のSさんとは、共通点の多さに特にびっくりした。1.同い年(学年はSさんの方が上)2.同じ法学部(Sさんは関西、私は関東にある大学)3.同じ専攻(刑事学)4.2人とも刑務所に入っていたことがある5.年の離れた兄、姉がいる2、3、4からはお互い法学部のマイナーな道を歩んでいたという共通点が導き出され、5からは年の離れた兄・姉の影響から同年代の友達から考え方が「老けてる」と思われていたことを示唆する(笑)。ちなみに刑務所入りはそれぞれゼミでの見学によるものである。聞けば彼女はフルタイムで勤務しながら現在はCPA(米国公認会計士)の勉強もしているという。頑張る同年代のSさんから、私も負けずに頑張らねばという刺激をもらった。2次会は6人でカラオケに行くことになり、まずはゆったんが宿泊先のSさんのアパートに荷物を置きに行くのに同行。このアパートがはんぱなかった。ミッドタウンに位置する50数階建ての超高層アパート。Sさんは48階にいらっしゃる。誰かは言えないが、日本の超有名人も同じフロアーに在住ということだ。みんなで一瞬お部屋にお邪魔させてもらったが、48階から臨むマンハッタンの夜景は圧巻であった。その後、6名で行ったカラオケは朝方まで続いたのであった・・・。去年末に日本から来たばかりだった金融機関にお勤めのKさんからは、我々が聞いたことのない日本での流行曲を歌ってもらった。ふむふむ、今はこういうのが流行っているんだな。その他の我々はみんな古い曲ばかり(笑)。それでも、やっぱりカラオケは日本の偉大な文化だと実感(笑)。カラオケ終了後、クイーンズにあるSの家に行き仮眠を取る。Sよ、生活落差にめげずに上昇志向で頑張るんだぞ!
2005/02/20
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2泊3日の旅行から無事帰還した。旅程は以下の通り。2月18日:ワシントンDC→フィラデルフィア(電車)夜:3人で高校の同窓会高校時代の友人K宅に宿泊2月19日:フィラデルフィア→ニューヨーク(バス)朝:フィラデルフィア観光(ペンシルバニア大学、ロッキー像)昼:フィラデルフィアのチャイナタウンで飲茶夜:ニューヨークの中華で夕食(その後、夜から朝までカラオケ・・・・)高校時代の友人S宅で仮眠2月20日:ニューヨーク→ワシントンDC(バス)昼:ニューヨークのチャイナタウンで小龍包を食べて、観光(ニューヨーク大学)そう、毎日移動していたのだ(笑)。8年前に2度訪れたインドでの電車とバスの移動に明け暮れた旅行を彷彿させる勢いであった。インドのように電車に乗ってる最中にストライキが発生して4時間くらい動かなくなったりすることはなかったが(苦笑)、アメリカの電車とバスもいい加減だなあと感じざるを得ない旅であった。初日のDC~フィラデルフィア間はもともとバスで行く予定であった。予定時刻は午後3時半出発でフィラデルフィアに7時15分着。今回のフィラデルフィアでの主目的は高校のミニ同窓会である。ニューヨークからSが南下し、ワシントンDCから私が北上して、間のフィラデルフィアにいるKを訪ねるという形なのだ。グレイハウンドのバスターミナルでチケットを買い出発を待っていたのだが、長蛇の列にも関わらず指定されたゲートにいっこうにバスがやってこない。4時を過ぎた頃、従業員が我々に向かって叫んだ。「3時半のバスはキャンセルになったよ!」なんだそりゃあ・・・。理由のまともな説明もない・・・。次のバスは約2時間後までやってこない。不幸中の幸いとも言えたのが、バスターミナルからUnion Station駅が徒歩の距離であり、フィラデルフィアまで電車で行くという選択肢もあったということだ。電車の方が割高であるのは否めないが、フィラデルフィアまで2時間未満で到着するという利点もあり、ここではまさにTime is Moneyが当てはまる。というわけで買って間もなかったバスのチケットの払い戻しを試みる。カウンターのおばちゃん:「15%のキャンセル料がかかります」なんだって!払い戻しの理由はそっちの都合じゃないか!おばちゃん:「決まりですから」当然納得がいかなかったがこっちも時間がないしネゴっている場合ではない。アメリカのサービスにまた失望させられた・・・。気を取り直してUnion Stationまで走り、駅で電車を待つ人々に聞き込みを行ったところ、あと10分後にフィラデルフィア行きの電車が出発することが判明。急がねば!自動券売機でチケットを買い、急いでゲートへ駆け込む。電光掲示板にフィラデルフィア行きの電車の状況がのっていた。「Delay」(遅れ)なんでやねん!!フィラデルフィアに行く私を阻む陰謀があるのか?(『24』の見過ぎ(笑))けっきょく40分くらいそこでも待って、なんとか乗車に成功。しかし自由席なので席争いのためにここでも走る。帰省シーズンの新幹線じゃないんだから・・・。やっとのことで席を確保し、ホッとする。こうして、集合時刻の7時15分よりも30分早くフィラデルフィアへ到着。しかし、また別の問題が生じる。集合場所はグレイハウンドのバスターミナルであり、電車の駅(30th Station)ではない。歩行者に聞き込みを行ったところけっこう離れている模様だ。ここで携帯を持っていないKの自宅に電話したところ、KのガールフレンドのKさんにつながり、彼女にバスターミナルまでの行き方を教えてもらった。ローカルバスかタクシーを使わないとたどりつけないことが判明し、バス停まで行くために駅構内から外に出てみた。なんかDCとは雰囲気が違う。町の空気がなんかピリピリしているように感じた。怖い・・・。外国に来た気分だ(笑)。ローカルバスをつかってやっとのことでバスターミナルにたどり着いたのは7時ちょっと前だった。Kを発見!しばらくしてニューヨークからバスでSも到着し、3人が合流した。3人が揃うのは12年ぶりくらいではないだろうか。長い道のりだった・・・。この後フィリーステーキ&チーズを食べながら、さらにはバーでポテトをつまみながら昔話と今の話に花を咲かせた。話の内容は3人の名誉のために割愛させて頂きます(笑)。
2005/02/19
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Sさんと我々夫婦の3人で「北京飯店(Peking Gourmet Inn)」へ。(ホームページはこちら から)ここの名物はずばり北京ダックだ。北京ダックを食べるのは2回目である。初めて食べたのは7年前に台湾人の留学生の実家(彰化:台中の南)に遊びに行った時にご馳走になった時である。今回行った、ヴァージニア州Falls Churchにあるこのレストランには有名人と思しき多くの写真が店中に飾ってある。ブッシュ大統領は第41代、43代の親子ともにそれぞれ来店の写真があった。写真の多くは軍人さんのようであったが、中には日本人もいた。ぜんぜん知らない女性だったが、写真の下にローマ字で名前が。「Ms. Mochuzuki」もちゅずき??ああ、望月さんだろうね、きっと(笑)。なんて余談はともかく、料理は本当においしかった。こんな逸品をおじさんが一枚ずつ丁寧に目の前で切ってくれ、たーんと召し上がれ!北京ダックはもちろんのこと、シーフードとアスパラのスープ、ニンニクの芽と豚の細切り炒めや、具沢山あんかけ焼きそばなど、かなり満足のいく味であった。大統領やもちゅづきさんが笑顔で写真におさまるわけだ。さて、月曜がPresidents' Dayで祭日ということもあり、明日からは高校の同級生とのプチ同窓会ということで二泊三日でフィラデルフィアとニューヨークに行くことになった。今回会うKとSは高校を卒業してそのままアメリカにきたフロンティア達である。現在、Kはペンシルバニアの大学で博士課程を学び、Sはニューヨークの大学で修士課程を学んでいる。アメリカでも、2人ともそれぞれDCに来たときに再会を果たしたが、3人で会うのは初めてだ。都内の私立男子高校で学ランを着ながらシモネタに花を咲かせていた3人が、ニューヨーク、ペンシルバニア、ワシントンDCという東海岸の三都市に散らばり、そして再会を果たす。なかなかドラマチックではないか。今回も会話の内容に進歩は見られなさそうだが(笑)。というわけで3日ほど日記を休むと思われます。またお会いしましょう。
2005/02/18
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夫婦ともに夜の同じ時間帯にクラスがあったので車で学校へ。授業開始15分前には校舎周辺に到着したのに駐車するスペースが全く空いてない。。。大学バスケの試合のための混雑だったようだ。屋内の有料駐車場に入れるのはこの辺はバカ高いからいやだしなあ。DCエリアの駐車ルールはちょっと複雑である。路上駐車の場合、パーキングメーターがあるところに停めるというのは普通なのだが、場所によっては時間帯にいろいろ細かい規則がある。パーキングメーターにお金を払うのは朝の9時から夕方の4時までで、4時から6時半までは一切駐車禁止となり、6時半からは無料で停められるようになる。実際この「魔の二時間半」の間にチケットを切られた友人を何人も知っている私としては、この失態を回避せねばならない。授業開始は夜6時。該当ゾーンの駐車解禁までは30分も時間差が。しかし、学校周辺を探し続けたが一向に見つからない。こればっかりはタイミングという運を待つしかない。リンカーンメモリアルの近くまで来たらさすがに見つかったが、いくらなんでも遠すぎだ。気付けば6時半まであと10分となっていた。これなら該当ゾーンに前もって停車して10分待った方がましだろう。ということで妻を先に教室付近で下ろして該当ゾーンに向かう。しかし、あろうことか渋滞が発生している!!!みんなあのゾーンを目指して向かっているのだろうか・・・。案の定校舎に一番近い場所は埋まっていた。このまま校舎周辺を走り続けて授業時間が終わってしまうのか!!という不安が頭をよぎったが、なんとか外れに該当ゾーンのスポットを見つけ(一台分だけだった・・・)、駐車に成功。教室に入るとクラスメイトのプレゼンテーションが終わる10秒前だった。終了時に拍手したけど、気まずかったな・・・。アメリカ人のクラスメイトには「お前もアメリカ人らしい怠け者になってきたな、はっはっは!」とからかわれる。人の気も知らないで!!それでも授業後にゆったんとKさんと一緒にエデンセンターのベトナム麺を食べておいしかったし、話もいろいろ盛り上がって楽しかったので帳消しだったかな。ゆったん、車で通学させられたこと、恨んでないからね(笑)。Kさん、ベト麺は気に入って頂けましたでしょうか?次からはメインの二品攻撃でお願い致します。でも、麺の「替え玉」というアイデアは受けると思うんですけどねえ。我々だけに受けてたりして・・・(苦笑)。
2005/02/17
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充実した1日をダイジェストでお伝えする。話は昨日の夜10時半にKHさんに陳情のメールを送ったところから始まる。「KHさーん、『24』の1から3観たいよぉ~・・・。お導きをお願いできませんでしょうか。。。4だけ熱心に観てるのも哀しくなってきました(笑) 」『24』とは日本でも今人気となっているアクションドラマである。現在アメリカではパート4が放映されており、私はそこから見始めたのだった。しかし、やはりパート1から観たいではないか。なんと一時間半後、KHさんから速攻の返信。「こんばんは!ToneHideくんに前々からお願いされていた24の件、Kさんに先ほどお伺いしたところ、快くToneHideくんにもお貸しいただけるそうです!」おお!KHさんからのメールの宛先には私だけでなくKさんも入っていたので、2人宛にすぐお礼メールを返信。するとKさんからもメールがすぐきて、トントン拍子に話が進み、夜12時半の時点で12時間半後の翌日昼1時に3人での待ち合わせが決定。厳密に言えば、途中でメール送信合戦から脱落されたKHさんからの朝10時のメールで決定したわけだが(笑)。(もちろん責めているわけではありませんからね!)こうしてデュポンサークルの日本料理店「寿司太郎」において『24』1st seasonの引渡しが無事完了した。Kさん、KHさん、本当にありがとうございます!夕方からは「Physician Practice Management」の授業。本日のテーマは医師グループの病院経営における会計と財務。ヴァージニア州にある医療グループの現役COOである先生は自身の豊富な経験談を織り交ぜながら授業を進める。管理系のスタッフ(Administrative staff)がクビになるのはいかなる時であろうか。ずばり、取締役会からの信頼を失った時である。では信頼を失う危険度の高い最も大きな3つの仕事とは?1.Income Distribution Plan(医師の給与体系の決定)2.Installing New IT System(新たなITシステムの導入)3.Construction Project(施設等の建設プロジェクト)全ての社員(医師)を満足させる給与体系を作り上げることは至難の業である。対象が評価の難しい医師となるとなおさらである。2と3については管理スタッフの意図を超えたところでの思わぬ壁にぶつかる可能性が高いからである。例えば、病院の診療費請求に関するITシステムの導入を決定したとしても、技術的なトラブルやプロジェクトの遅れなど専門家でないためコントロールできない要素が多いという問題がある。ITシステムにしても、施設の建設にしても、管理スタッフが試されるのはどの業者に委託するかの選定能力なのだ。この能力を磨くためには会計や財務などの全般的な知識の獲得だけでなく、常に外部環境にアンテナを張り巡らせていなくてはならない。常に持ちつづけていたい姿勢である。授業後、Sさんにお誘い頂いた、Uさん宅でのプライベートコンサートに出席すべくタクシーを捕まえる。駅前の通りですんなり乗り込むことができたのはよかったが、この運ちゃん、ヘッドフォンセットを使いながら英語ではない言語で携帯で(おそらく友達と)話し中だった。日本だったらあり得ないだろう・・・。行き先を聞く時はさすがにこちらに耳を傾けていたが、すぐに友達との会話に戻るありさま。挙句の果てには電話に気を取られて隣の車にぶつかりそうになっていた・・・。そんなハチャメチャな運ちゃんだったのだが、なんとなく憎めないおじさんだったので、彼の電話終了後ちょっと話し掛けたら話が変に盛り上がってしまった(笑)。おじさんはソマリア出身で挨拶だけなら日本語もフランス語もドイツ語もできる。(ちなみに中国語と韓国語を彼の引き出しに加えてあげておいた)授業のためにコンサートに遅刻していた私はかなり急いでいたのだが、おじさんはソマリア人の性格を伝えるための小話を開始してしまい、目的値についてからもオチを聞くためにしばらく待機するはめに(苦笑)。時間があればもっと相手をできたのだが、許せ、おじさん!さて、Uさんのお宅ではすでにバイオリンとピアノのコンサートが開始していた。若手の芸術家育成のためにご夫婦で設立された財団の主催であった。ルネサンス期に学問・芸術を保護したメディチ家を思わせる。コンサートの生演奏も非常に素晴らしかったが、経済誌で記事を読んで感銘を受けていたUさんと実際にお会いできて感激であった。私のような若造にも丁寧に接してくださり、真の成功者は決して奢らないのだということを身をもって教えていただいた。その他にもSさんのご紹介で素敵な方々とお会いさせて頂いた。コンサート終了後、我々夫婦とSさんでバーに移動し、ハンバーガーを食べながら今日のコンサートの事や仕事のことなど多いに語った。Sさん、本当に貴重なイベントへのお誘いありがとうございました!!このような密度の濃い時間の過ごし方ができて私は本当に幸せだと思う。しっかり明日につなげていきたい。
2005/02/16
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アメリカでは今日がバレンタインデー。男性が女性に買う用のバラが街中のいたるところで売られている。私は6時まで、妻は8時まで授業だったので私が先に帰宅していた。私の心内:「バラを買ってあげるよりもその分おいしいピザでも買って上げた方が喜びそうだな。」Wilson Blvd沿いにある持ち帰り専門のピザ屋さん「Mario's Pizza」のバーベキュー・ポークはかなりうまい。というわけで帰宅を待っていたのだが、授業が終わった妻から電話が。「今日は女の子4人でクラスメイトの男の子からサブウェイをおごってもらうことになったから」う、裏切り者!でも花より団子という私の予想は間違っていなかったようだ(笑)。さて、本日の日記では先週土曜に台湾人のYさんに招待された「旧正月とバレンタインデーを祝う会」について書きたい。Yさんは中国語も英語も日本語も完璧なすごい人。数年前にはアメリカン大学でMBAも取得している。彼女と知り合ったのはKさんの送別会であった。(2004-10-16(土) - ムービングセールも人脈構築の場?:送別会出席に発展 参照)今思えばあの送別会では沢山の出会いに巡り合ったんだなあ。合計3回しかお会いできなかったけど、Kさん、ありがとね~。さて、インターネット上の招待状(Evite)の題名にはこうあった。「Odd Combination? Annual Chocolate Truffle Party with Celebration of Chinese New Year」「Annual」ということは恒例の行事なのである!!この会は3つの趣旨から成り立っていた。1.中華料理を食べながら旧正月を祝う2.Yさん特製のトリュフを頂いてバレンタインを祝う3.パーティを楽しむ!なんとも素敵な会ではないか。去年からYさんを知っていればよかった(笑)!果たして、パーティ当日は国際色豊かなとっても多くの人達(40人以上はいたかな)でごった返していた。それだけの人数を収容できる部屋の広さもすごいけれど、Yさんの人望(チョコ目当てかも?)はすごいなあ。中華料理もおいしかったけれど、やはり主役はYさん特製のチョコレート。ビタースイートチョコレートをセンターに用いラム酒を贅沢に用いたトリュフ(右)と、グランマニエとダークチョコレートのトリュフ(左)という2種類のラインナップ。 (写真提供:Yさん)ラムの方はその場で、グランマニエの方は家に持ち帰ってコーヒーとともに頂いた。おいしかった~!!ウィスキーボンボンでも酔っ払っちゃうくらい下戸な私だが、トリュフならいけるようだ(笑)。Yさん、ほんとにこの道でいけるんじゃないの!?ビジネススクールで学んだようにキャッシュフローの健全性は確保しましょう(笑)。楽しくおいしい会にお招きいただきありがとう!!
2005/02/15
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「Health Economics」の授業のリーディング課題から。「For-Profit Chains Seek to Acquire Successful Not-for-Profit Hospitals(営利病院チェーン、成功している非営利病院の買収を目論む)」(Healthcare Financial Management, September 1999)では、数の上では圧倒的少数派である営利病院による非営利病院の買収というトレンドについての分析がされている。非営利病院のM&Aによる営利病院化は病院市場にとって、はたまた我々一般市民にとって有益なのか害なのか。1992年から1996年までに発生した非営利病院の営利病院化という39の事例のフリーキャッシュフロー分析によれば、買収された非営利病院の多くは経営難に陥っていたという。つまり、存続が危ぶまれていた病院がM&Aのおかげで閉鎖を回避することができたという解釈ができる。一方、M&Aによって拡大した新病院はスケールメリットによるコスト削減や効率化によって利益を上昇させることも可能になろう。このように、現状が「苦しい非営利病院の救済」となっている事実を指摘した上で、論文では営利病院にかかる株主からの期待というプレッシャーや偏った利益への追求の危険性を指摘していた。そして題名にもなっている、「営利病院による財政的に健全な非営利病院の買収の可能性」の行方を案じているのである。これと関連した内容の論文が「The Association between For-Profit Hospital Ownership and Increased Medicare Spending(営利病院と増加する医療費の関連性について)」(The New England Journal of Medicine, August 5, 1999)この論文では、非営利病院のみ存在する地域と営利病院が存在する地域における医療費とその増加の割合を比較し、営利病院が医療費、増加分ともに高いという事実を指摘している。医療費の増加分の比較がグラフで示されており、高い順に以下の通りであった。1.営利化された元非営利病院2.営利病院3.非営利化された元営利病院4.非営利病院さらに、営利病院が急性医療に力を入れる傾向にある一方で次世代を育てるメディカルスクールなどの医学教育には熱心でないとの報告もあった。う~む、やはり利益に走るということか・・・。最後に、「Refining Competition in Health Care(医療産業における競争の改善)」(Harvard Business Review, June 2004)では、官民を巻き込んだヘルスケアシステムの改革の必要性が強調されていた。共著者の1人はMBAの学生なら知らぬ人はいない戦略の権威であるマイケル・ポーター。限られたパイを奪い合うゼロサムゲーム(Zero-Sum competition)から、価値の創造によって市場にプラスをもたらし続ける競争(Positive-Sum competition)への変革の必要性を筆者は訴える。「アメリカのヘルスケアシステムの問題の根幹にあるのは『競争』である。だからといって国主導のヘルスケアシステムや支払制度の一本化の導入は答えとならないだろう。問題の解決はやはり『競争』にあるのだ」筆者は以下の点において変えねばならない現状とあるべき姿の提示をしている。- 競争の行われる段階・目的・形態・市場規模- 病院の構造、市場戦略- 情報公開のありかた- 保険会社へのインセンティブ- 医療サービス提供者へのインセンティブ細かく書き出すとまた冗長な文章になってしまうので省略させて頂くが、非常に興味深いヴィジョンの提示であった。コストの削減という努力が単なる他者へのコストの転化になってしまっているのが現状だという。(それどころか医療費は毎年上昇し続けている・・・)『価値の創出と改善』(Creating and Improving Value)パブリックセクター、プライベートセクターを問わずこれからの鍵になるであろう。
2005/02/14
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昼はTご夫妻と3人で日本食レストランへランチ。ショッピングモールのあるタイソンズコーナーからほど近いAnne's Sushi Spot(8417 Old Courthouse Rd. Vienna,VA22182)は知る人ぞ知る人気店。黒豚のトンカツ定食、うまかった・・・。その後、タイソンズコーナーのショッピングモールでお買い物。アメリカにおけるヴァレンタインデーは、女性から男性にチョコレートをという日本でのお決まりの慣習ではなく、男性から女性に何かをあげるといった雰囲気(=プレッシャー)の高い日である。生粋のジェントルマンであられるSさんはそういった変化(?)への対応もスムーズにされている。私もアメリカ滞在があと3ヶ月となったことだし、今年くらいは何か買ってあげようかと考える。ん、この状況(Tご夫妻+私)はよく考えたら絶好のチャンスだ。奥さんのRさんは渡米前までは日本のキャリアウーマンなら誰もが知っている超有名ファッション雑誌の特集ページを担当していた売れっ子ライターさんであった。(DCででも、その雑誌を愛読している日本人女性は多い)Rさんに妻への服のプレゼントの見立てをお願いしたところ、快く引き受けてくださった!そして多くの店を周り、候補や組み合わせをたくさん考えてくださった結果、リーズナブルな価格の4点セットが決定された。(どんな組み合わせの表現かは私では文字でうまく表現できないので控えさせて頂きます(苦笑))Rさん:「私のポリシーは売られている商品の価値を何倍にも高めるコーディネートを生み出すことなの」まさにポリシーの体現であった。さらに、選んだ服を組み合わせて箱に入れるところまでしてくださった。そして最後に一言。Rさん:「今日はいい仕事ができたわ」かっこいい・・・。本日は有り難き幸せにございました。でも仕事って言うくらい本気でやってもらえたんだなあ。ご主人のSさんが追加で一言。「本日のコーディネート指南の請求書は追って郵送しますから」と、トモダチプライスでお願いします(笑)。帰宅後、いったんは車のトランクに隠してフェイントで何も買って帰らなかった風を装ったが、夜にプレゼントを妻に渡す。Rさんのコーディネート、ものすごく喜んでました!1つだけ問題だったのが、上にきるUネックのセーターがXSでは小さすぎたことでした(笑)。明日にでも交換に行って参りますので。着こなしについていろいろ聞きたいみたいなのでまたアドバイスをしてあげてください。いやあ、ファッションって奥が深いなあ。
2005/02/13
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昼はアメリカ人のクラスメイトの引越しを手伝う。原因は離婚・・・。夫婦ともに仲が良かっただけに非常に心が痛む。具体的な理由についてはさすがに深く聞けなかったものの、お互いに「Respect」(尊敬)できなくなってしまったというのが根本にあるということであった。反面教師に、と言ってしまうと彼らに失礼になってしまうが、しっかり自分にも言い聞かせなくてはならないことだと思う。出てしまった結論に口を挟むことはできない。2人のそれぞれの新たな道を尊重したいと思う。引越し手伝いから帰るとすぐにワシントンDC法曹会の会場へ。。この会の趣旨、またなぜこのような格調高い会合に私ごときが参加できたできたかの種明かしは去年11月末の日記、「往年の放送部員(小学校5年当時)、DC法曹会に参加」 を参照されたい。(題名の時点で読む気が失せた方にはお詫び申し上げます・・・)というわけで今回もかおる姉御のご好意により参加を許された私は1次会から3次会へと語りに語って語り抜けた。参加者の方々は裁判官、検察官、弁護士、ロースクールの学生と勢ぞろい。何か悪いことしたら、その場で起訴されて弁護されて判決を下されるような雰囲気だ。(もちろんウソです(笑))初めてお会いした弁護士さんのNさんは現在私と同じ大学のロースクールに通われている。私が日本の出身地について話したところ、Mさん:「ああ、そこに在住の人の国選弁護をよく受けてましたねえ」え、これはどういう意味なんですか(笑)?2次会では「日本の国会図書館のあるべき利用法」というお題で盛り上がる。日本で出版されるほぼすべての図書が蔵書されているという国会図書館。事情に詳しいAさんの情報をもとに私と弁護士のYさんが注目したのは、その網羅性を駆使した漫画無料閲覧機能である。あらゆる漫画が見放題の最強の漫画喫茶ではないか!!すいません、もうちょっと建設的な利用法を再検討致します。その前に1度は足を運んでみないといけませんね(笑)。良い子はこのアイデアを真似しないようにしてください。そうか、特許弁護士事務所の方も今回いらっしゃったから、特許を申請してアイデアを守るという手もあるかも!この方法を用いた人達に特許使用料を我々に支払ってもらうことで無資本の漫画喫茶の経営だ!あれ、その前に閲覧室での飲食はやっぱり禁止なのかな。。。こんなところでつまずくとは・・・。それとも喫茶にこだわる以前の問題だったかな・・・。
2005/02/12
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Tご夫妻にボクササイズレッスン。ご主人のSさんにとってはすごく久しぶりのレッスンだ。「まあ、今日は軽めにね」こんなノリだったのに始まったらいつも以上の勢いでミットへのパンチを指示してしまっていた・・・。Sさん、筋肉痛になっても恨まないでくださいね(笑)。言い訳っぽくなりますけど、ミットを持っている方としても、いいパンチを受けていると勢いがついてくるものなのです。今日はコンビネーション以外に、ミットを持って人のパンチを受けてみるという練習もメニューに加えてみた。通常のスポーツクラブで行われるボクササイズはエアロビクスのようにシャドーボクシングが中心であり、グローブをつけてミットにパンチを打ち込むことがないところもある。しかし、実際に打ち込まない限り本当のパンチを体得することはできない。さらにストレス解消にもならない(笑)。話がディフェンスに及ぶと、ボクササイズにおいてその練習は皆無とも言える。ボクシングであれば「打たれて覚える」ような危険な風潮もあるが(苦笑)、実際、痛みを伴って向かってくるパンチに対処をすれば生存本能がフル回転して必死に頭と体が反応するようになる。私の場合もジムで始めは「目ならし」という、足は動かさずに交互に打ち合ってパンチを見る練習を練習生同士で行い、それが「マスボクシング(通称マス)」という軽い打ち合いに発展し、最終的には「スパーリング(通称スパー)」という本気の打ち合いにたどり着いたわけである。初めてやったスパーの恐怖は今でも覚えている。「まあ、本気で打たず軽めにやろうぜ」相手となったジムの先輩にそう言われていたのだが、緊張してわけがわからず、いいパンチがその先輩に当たってしまったのだ。とたんに先輩の目付きと動きが変わり、その後はボコボコにされた。。。スパーの相手も始めは練習生同士で、レベルが上がってくると相手がプロボクサーになる。この「練習生VSプロボクサー」という構図を経て、練習生達も次第にプロボクサーへの実力を備えていくわけである。私の所属していたジムはプロが何十人もいる大きなジムであったのでその意味では幸せ(不幸せ?)であった。そうやって次第にオフェンスとともにディフェンスを学びやっとプロテストに合格していっぱしになったと思ってもすぐ上には上がいる。同じC級ライセンスの仲間だけでなく、試合前のB級・A級ライセンスボクサーや日本ランカー、チャンピオン、世界ランカー達とのスパーリングパートナーとしての仕事が待っているのだ・・・。これも大きなボクシングジムに所属する若手選手達の喜びでもあり哀しみでもある(笑)。こうして自分のディフェンスがまだまだしょぼいものだと体感させられる・・・。日本タイトルマッチに挑戦したこともある、自分より階級が上の日本ランカーとスパーをした時は気付いたら地面を眺めていたときがあった。(どのパンチで倒れていたのかも覚えていなかった・・・)今となっては本当によい経験だったと胸を張って言えるが、あの頃は本当に怖かったなあ。なんて法則をボクササイズに適用することはもちろんあり得ないが、少しでもより本物に近いものを学んで頂きたいという思いがある。そこで思い立ったのがミットでパンチを受ける行為である。パンチを受けるにはパンチを見なくてはいけない。さらにパンチをしっかり掴まなくてはいい音を鳴らすこともできない。安全に動体視力を高めることができ、人にパンチを指示することでコンビネーションを考えたりタイミングをとる練習にもなる。というわけで、Sさんが私のパンチを、RさんがSさんのパンチを順に受けることに。受ける方はパンチが自分に向かってくるわけだから始めは怖いに決まっている。始めはミットをただ持っているだけという状態になってしまうのだが、慣れてパンチを見れるようになるとだんだんコントロールできるようになってくる。打つ快感とはうって変わって打たれる不快感は不評でしたでしょうか・・・。慣れてきて相手をこれでもかってくらい疲れさせられるようになったら、これはこれで面白いんですけどね。いや、普段そんな風に考えてミットを持っているわけではありませんので(笑)・・・。練習後は妻も合流して4人でステーキハウス「RAY'S THE STEAKS」へ。ここのレストランはあの格付け団体ZAGATでものすごい高得点をとっている有名な場所。予約なしに行ったら無謀という人気ぶり。電話で予約しようとしてもだめで、現地に前もって直接行かなくてはいけないという。今回もSさんがわざわざ直接出向いてくださって予約に成功。実はアメリカにきてステーキを食べるのは今回が二度目である。でっかくて厚い肉を食べるくらいなら韓国料理屋で焼肉を食べた方がいいなあと思ってしまうからだ。しかし、よいものはやはりおいしい。私が頼んだのは16オンスの巨大ステーキにマッシュルームクリームソースとブルーチーズをかけた「ハウス・スペシャル」。今ちょっと計算したら16オンスって450グラムもあるのね・・・・。(もちろん完食はできずお持ち帰りした)いやあこんなおいしいならステーキもたまにはいいなあ。DCエリアにお住まいの方々へのご参考までに住所は1725 Wilson Blvd. Arlingtonです。あの有名なベトナム麺屋「Pho75」の並びなんですねー。全然気が付かなかった。行ったことのない人はぜひ1度(2度行かなきゃかも(笑))足をお運びくださいませ。
2005/02/11
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「ボクサーはなぜ(リング上で)人を殴っても逮捕されたりしないのか?」これが私の大学時代の卒業論文のテーマであった。(正式名は「スポーツ事故の法的研究」)昨日の日記の最後の部分でスポーツと政治・経済との関わりについて触れたので、今日はスポーツと法律の関わりについて述べたいと思う。卒論と言ってもまだ4年前のことであるし、去年の6月には世銀の日本人勉強会において僭越ながら同様のテーマでプレゼンテーションをさせて頂いたこともあり、私にとってまだ記憶に新しい(はず)。4万字に及ぶ卒論(字数を埋めるための冗長な部分はもちろんある(笑))を細かく説明していると内容も退屈になりきりがないので、核心だけを触れたいと思う。この日記に対する信念として、「難しい事象をわかりやすく伝える」ということを常々考えているのだが、今日の日記は法律用語の難解さや自分の不勉強が手伝ってなかなかうまくいかなそうだ(苦笑)。読者には法曹関係の方もいらっしゃるので、ぜひとも誤りのご指摘や補足をお願いしたい。(ロースクールの卒業生であるかおるさん、Yさん、たからぽん、頼りにしています)冒頭にある質問の答えを一言で言えば、「それは『スポーツ』だからである」というものになろう。そこにはスポーツが社会に有益なものという前提が存在している。今回の目的はこの前提に疑問を投げかけることではなく、どういった状況がスポーツをスポーツ成らしめるのかという法律的解釈である。まずは背景情報として論文の「はじめに」からの抜粋をご覧頂きたい。『右耳鼓膜亀裂、左眼底打撲、左拳打撲、数々のたんこぶ、そして敗北。2001年1月8日の試合で受け取った痛手である。しかし、負けてもなお失われないもの、負けたからこそ得たものも多く存在する。地道な練習で培った強い精神力と肉体。個人競技でありながら学んだ、コーチや他の選手による協力の大切さ。試合後に反省する心。自分の一生懸命に何かを感じて手紙やメールで伝えてくれた友人達の激励・ねぎらいの言葉。プロボクサーとしての後楽園ホールにおける3戦目の試合であった。 私はこれまでの人生において、ボクシングをはじめ様々なスポーツを通して人格と体格を形成してきた。(中略)このように、多くのスポーツと、あるいは深く、あるいは遊びの延長として接することで、私は人生を豊かにしてきたといえる。もちろん、これからも生涯を通じてスポーツと良好な関係を築きたいと考えている。 今回卒業論文を書くにあたり最重要視したのは「ゼミの研究で得た視点を用いて自分独特の関心を扱う」という点である。医事刑法において、医療行為の正当化という考え方を学んだ。このことは医師による手術という行為、またはそれによってもたらされた死という結果をやむをえないものとして当たり前のように感じてきた自分には、刑法上の例外的措置という視点が興味深かった。刑事政策においては、触法精神障害者への対応に、一律ではない、多様なアプローチの刑事政策の必要性を学び、犯罪即処罰ではないことを考えさせられた。スポーツを語るとき、とりわけスポーツ事故について考える際にもこの2つの視点が大切なのである。すなわち、スポーツだから事故も許されるという先入観を打破し、あくまで刑法上の例外的措置だとする視点、スポーツのもたらす利益を考慮した、外形上の犯罪行為即処罰ではない刑事政策の必要性を考える視点である。 今日、スポーツは広く普及し、現代社会において我々はスポーツと関わりなしに生活することは考えられない。(中略)このように考えれば、スポーツは我々の社会生活に大きく影響を及ぼしている、社会的に有意義な現象であるということができる。しかし、他方で、生命・身体に対する侵害ないし危険のますますの増大という無視できない側面もはらんでいる。そこで、本卒業論文では、総論としてスポーツと法律との関わり、スポーツ事故の法的側面を関連法律から全般的に眺めた上で、各論として実際に起きたスポーツ事故に関する判例研究を中心に行う。特に、格闘競技的スポーツに関しては、事故防止に向けた日本プロボクシング界における試みを紹介するとともに、より多くの判例を研究していく。そして、この卒論において、私を含めたスポーツを愛するすべての人々が安心して楽しくスポーツに従事できるための提言を行いたい。 (以下略)』意外と面白そうでしょう(笑)?私の所属していたゼミの研究対象はこの抜粋にもあったように、医事刑法と刑事政策であった。周りのゼミ生が卒論のテーマとして臓器移植法や少年法の改正など、これまでゼミの中で勉強してきたものを選ぶ中で、私は何か新しいものができないかと模索していたのだ。ある晩、試合前の減量による空腹感と試合そのものに対する恐怖感から眠れない夜に閃いた。「このボクシングというスポーツはなんで存在できているのだろう?」決してネガティブな気持ちで浮かんだアイデアではない。ボクシングのスポーツとしての奥深さや面白さは充分に体感してきた。しかし、人を殴ることが公認されるというのはやはり尋常ではないだろう。まず医事刑法や刑事政策とスポーツの関係を熱く語り、教授の説得に成功した。そして、1月の試合前までに日本ボクシング協会への取材や日本スポーツ法学会へ出席する一方で判例などの資料を集められるだけ集めた。残念ながら負けてしまった試合の数日後から、目が腫れてふさがった状態でパソコンの前に座り「はじめに」の執筆を始めたのを今でも鮮明に覚えている。さて、この論文の核心部分を短く表せばこうなる。「スポーツ行為が傷害や死という結果に対して刑事責任を負わなくてよいのは、犯罪が認定されるための要件を満たさない時である」刑法総論の授業のようで恐縮であるが、ある行為が犯罪となる要件は以下の3つである。1. 構成要件該当性(行った行為が刑法の条文に載っているということ)2. 違法性(正当防衛や緊急避難などの止むを得ない事情がない)3. 有責性(年齢や精神障害の有無など責任がとれる状態の判断)犯罪と思しき行為が本当に犯罪であるかの決定は、この3つの基準を全て満たしているかの吟味を通して行われる。例えば、刑法199条は殺人罪について「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」と規定している。1.がないケース:Aさんがドラマの役でBさんを撃ち殺す想定の演技を行った→実際に起こったわけではないので1.の構成要件に該当しておらず無罪2.がないケース:AさんがBさんに急襲され、生命の危機を感じたAさんは自分を守るために止むを得ずしてBさんを殺してしまった→正当防衛のため2.の違法性がないため無罪(そう簡単には言い切れないが・・・)3.がないケース:3歳のAちゃんが生後3ヶ月のBちゃんを窒息死させてしまった。→3歳児に責任能力はないのでAちゃんは無罪(親の保護監督者遺棄罪などは問われそうだが)ここで、スポーツ上のケガあるいは死が刑法上許されるのは2の違法性がない(違法性の阻却)という理由のためである。(=止むを得ない事情が存在するということ)条文的には刑法35条の「正当業務行為」がこれに相当する。救急車の信号無視も、警官による逮捕・監禁も、医師による手術も、スポーツにおける加害といった行為はこの刑法35条によって法的に許されるというわけである。医者以外の一般人がメスを使って他人のお腹を切って開いたりしたら大問題であろう・・・。逆に言えば医師はなぜそのような特権が与えられているのかをしっかり考える必要があるということだ。判例ではスポーツにおける違法性が阻却されるために以下の3点が必要だとされている。1. スポーツという目的を持っている2. ルールに従っている3. 当事者の同意があるちなみに、他の判例で示された医療行為における違法性阻却事由もスポーツのそれとパラレルな関係を示している。1. 治療の目的を持っている2. 医学上一般的に承認されている打倒な方法である3. 患者の同意がある両者に共通するのは、目的・妥当な方法・同意の存在である。もちろん、現実の世界はえてしてこれらの条件にうまく当てはまらない現象が起こるものであり、そのグレーゾーンを巡った裁判の数々が実在する。そうは言っても、医療過誤訴訟にしても、スポーツ事故訴訟にしても刑事責任が問われることは極めて稀であり、判例のほとんどは民事賠償責任を巡ったものであった。かなり乱暴な説明になってしまったが、大枠はおわかり頂けたであろうか。最後に本卒論の「おわりに」を紹介したい。『今回卒業論文を書くにあたり、これまで紹介した判例を含む、数多くのスポーツ事故判例を読んだ 。そして、そのほとんどが、当事者達の、「まさかこんな事故が起こるとは」という油断に起因していると思われた。某大学の合気道部の主将を務める私の友人に、この卒論でも紹介した合気道の事故判例の話をしたところ、「えっ、あの入り身投げなんかで死亡事故が起きたの?」という、思いがけないという反応をしていた。スポーツ事故というのは、日頃危険と思われていないところに潜んでいるのではないだろうか。もちろん、危険を恐れすぎてもスポーツを楽しく行うことはできない。生きていること自体、死への危険性を既に内在しているのである。しかし、スポーツ事故の多くは、やはり事前の注意義務を充分に果たすことで防げたものであったとも考えている。その意味でも、これらの判例に提示された、様々な立場の人々に課された注意義務を理解し、それを実践することが、事故を未然に防ぐことにつながるであろう。また、万一事故に巻き込まれてしまったとしても、加害者側であれ、被害者側であれ、最善の努力の末に起きてしまった事故として、「あきらめる」という決断をすることができよう。試合で破れた私の鼓膜は1ヶ月ほどで再生するという。これは人間の体が持つ自然治癒能力のおかげである。人間の体は脆く、しかし粘り強い。大切なのは、取り返しのつかないような事故を起こさないことである。1度倒れてしまっても、また立ち上がれるのなら、後に続けることができるのである。この卒論を書き上げることによって私が、あるいはこの卒論を読むことによって読者が、スポーツ事故を完全に防ぐことができるとは考えない。しかし、スポーツ事故という非日常を、現実に起こり得る出来事として考える契機となったならば、その意義があったといえるであろう。』皆さんもスポーツを楽しんでくださいね。ご拝読ありがとうございました。ご意見・ご感想お待ちしています。
2005/02/10
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現在、アメリカの4大スポーツと言えば、バスケ、アメフト、アイスホッケー、そして野球である。100年前はどうだったろうか。1900年代初頭の3大スポーツと言えば、野球、競馬、そしてボクシングであった。先日観た「Unforgivable Blackness」というドキュメンタリー番組では、黒人として初めてプロボクシングヘビー級の世界チャンピオンとなったジャック・ジョンソンの生涯が描かれていた。(番組情報は こちら から)ジョンソンが生まれたのは1878年。当時の日本は江戸時代が終わり明治を迎えてまだ10年余り、アメリカではリンカーンの奴隷解放宣言から15年ほどが経過した時代であった。後にキング牧師が黒人の権利を唱えて公民権運動を行ったのが1960年代であったことを考えても、黒人であるジョンソンが育ったアメリカにおいて人種差別が根強く残っていたことは容易に想像できてしまう・・・。このドキュメンタリーは歴史家、小説家、ボクシング関係者の証言や写真とともに貴重なテレビ画像がたくさん織り込まれており、単なるボクシングストーリーではなく、20世紀初頭のアメリカ史も学べる名作であった。1900年代初頭はボクシングのルールが確立され始めた時代でもあった。規格に基づいたグローブの着用や1ラウンドを3分とすることなど、野蛮な殴り合いからスポーツに進化したのである。一方で、写真や映像でみる限りグローブが異様に小さいし、タイトルマッチが一試合が40ラウンドもあるなど、まだまだ発展途上であったとも言える。ダウン後の加撃こそなくなっていたようだが、映像を見る限り相手が立ち上がった瞬間には攻撃をしてよい風であった・・・。こんなルールだったら私はボクシングを始めてなかったかもしれない・・・。少なくともプロボクサーにはなっていなかっただろう(苦笑)。そんな時代の中、ジョンソンは世界チャンピオンを目指して勝利を続ける。しかし、「White Supremacy」(白人優位)がそれを許さなかった。白人の世界チャンピオン(ジム・ジェフリーズ)は「私は有色人種とは試合をしない」と公言してはばからず、世論もそれを支持していたのだ。とうとうジェフリーズはジョンソンと戦わずして無敗のまま引退し、白人同士での王座決定戦を経てトミー・バーンズが後を引き継いだ。それでもジョンソンはあきらめない。ここから彼がとった行動がすごかった。バーンズの防衛戦の場にしつこく顔を出し、マスコミと世間に訴えたのだ。「怖くて俺から逃げるのかい?」その場所はロサンゼルス、ニューヨークから始まり、パリ、ロンドンと世界各地にまたがった。誰か背後にプロデューサーがいたのかもしれないが、なんと大胆なマーケティングだ。この努力の甲斐あって世論も動き、1908年、オーストラリアのシドニーでとうとう史上初の黒人対白人のヘビー級世界タイトルマッチが行われた。試合前からの盛り上がりも異常であり、黒人と白人の代理戦争の様相を呈していた。当然モノクロであるが、試合の映像はしっかり残っていた。どれだけのプレッシャーがジョンソンにのしかかっていたのか想像もつかないが、彼は終始笑顔を絶やさず、余裕の笑みさえ浮かべていた。そして、試合はジョンソンが格の違いを見せ付け、14ラウンドにKO勝ちした。元プロボクサーとしての意見を少し言わせてもらえば、試合における攻防はなかなか面白かったが、世界戦ということを考えるとボクシング技術はやはり発展途上だったようである。象徴的だったのは、最後の決定的シーンの前にフィルムが切れてしまっていることである。「放映側(間違いなく白人)が『このような屈辱を全世界に放送するわけにはいかない』と判断したため」と関係者は語っていた。。。。こうしてジョンソンは史上初の黒人の世界チャンピオンとして、実に1908年から1915年までもの長い間王座に君臨したのであった。彼は間違いなく黒人の英雄であっただろう。一方で、多くの白人の女性と付き合ったり結婚・離婚を繰り返したりしたため、両サイドからの非難も激しかったようであるが。。。。このドキュメンタリーを見て強く感じたのが、スポーツは時の政治や経済に翻弄される存在なのだということである。今回のボクシングも単なるスポーツの枠を越えて社会の対立軸を浮き彫りにしている。(余談であるがボクシング映画『ロッキー4』ではロッキー(アメリカ)対ドラゴ(ソ連)という冷戦の対立が軸であった)歴史的に見ても第二次世界大戦直前の1936年にヒトラーがベルリンオリンピックをプロパガンダに利用しているし、1980年のモスクワオリンピックでは冷戦を背景に日米を含む西側諸国が棄権をしている。現在もサッカーの勝敗が国際問題を引き起こすほどの影響力を持っている。社会人スポーツは企業のリストラによって縮小、あるいは廃部に追い込まれている。プロでもアマチュアでも、「純粋」にスポーツを競い、楽しむということは至難な業なのだ。せめて趣味のスポーツは純粋に楽しみたいものである。さて、今から深夜で誰もいないアパートのトレーニングルームでシャドーボクシングでもして汗を流しましょうか。--------------------------(それから一時間半後)自分の体力のなさに翻弄された(苦笑)・・・・・・。
2005/02/09
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昼ご飯を妻と、国際機関にお勤めのKさん、Mさん、そしてYさんとご一緒した。円卓を駆使しながら中華料理のシェアを楽しむ。国際機関の重要ポストの後継者についての話題から最近流行のブログの持つ社会への影響力まで多岐に渡り話は盛り上がった。Mさん、お誘いありがとうございました。ランチ会、ぜひ継続していきましょう!その後、授業開始までの時間を図書館で過ごす。ソファにかけながら予習のリーディングを。いい時間になり部屋を出ようとするとイタリア人のクラスメイトJを見かける。J:「よう!お前がそこでエクササイズしてるの見たぜ!」居眠りで左右に振り子運動をしているのを見られたようだ(笑)。今日の「Health Economics」の授業では、医療産業における価格の弾力性(Price Elasticity)やスケールメリット(Economies of Scale)などについて学んだ。価格の弾力性とは、価格設定の上下がいかに需要(Demand)に変化を与えるかの指標である。車のガソリンなど、多少高くなっても買い続けざるを得ない必需品の弾力性は低い(=値上げが大幅な需要の低下を引き起こさず、売り手が全体として得をする)。一方で、映画代など娯楽に関わるものや贅沢品の弾力性は高い(=値上げが著しい需要の低下につながり、売り手にとっては全体として損となる)。医療の世界に当てはめると、レントゲン撮影や手術時の麻酔などの価格は弾力性が低い(というか、我々には選択の余地がないような・・・・)対して、整形手術などの贅沢品(?)の弾力性は高い。それにしても、緊急で病院に運ばれて「麻酔が高すぎるからここでの手術は遠慮します」なんて言えないもんなあ(苦笑)経済理論に従った自由な価格の決定を阻む規制の存在理由がこんなところにもあるのかもしれないと思った。今日学んだもう1つの柱はスケールメリット(Economies of Scale)。規模の大きさがコストの低下につながり有利になるという理論である。1日10個のパンを製造する工場Aと100個を製造する工場Bを比較した時、製造1個につきかかるコストに差が出るということである。1個ごとにかかる流動費(Variable Cost = Marginal Cost)とともにかかる個数を問わない固定費(Fixed Cost)の存在のためである。このスケールメリットについては実は先学期にプレゼンテーションを行っていた。(過去日記参照:2004-11-13(土) - 『教授からのツッコミ:「ある症例の手術取り扱い数の多さが病院規模の大きさを示すとは限らないよ」:スケールメリットとスペシャライゼーション』)あの時、D教授から受けたツッコミの意味を今日の授業で改めて理解した。病院においてスケールメリットが発揮されるのはベッド数という外見上の単なる規模が大きいときではなく、ある特定の手術の症例数という実績が豊富な時である。もちろん、多くの手術をこなすための規模は必要ということになるのだが、実際の手術無しにはコストの効率化は達成されない。例えば、内科・外科・整形外科という3つの診療科目を持つベッド数300床の病院Aと診療科目が外科しかないベッド数100床の病院B。一見すると病院Aの方がスケールメリットを持っていそうだが、A・Bともに共通する症例の外科手術数を比べたときBの方が圧倒的に多ければ、スケールメリットはBに傾く。さらなる利点としてスケールメリットが質の向上(Quality of Scale)を引き起こすということをE教授は強調していた。ある症例に対して手術数の多い病院は少ない病院に比べて圧倒的に死亡率が低い(=成功率が高い)という結果が出ているのだ。これは「Practice makes perfect」(習うより慣れよ)を表しているのかもしれない。規模の拡大と専門化(Specialization)の組み合わせが威力を発揮するということなのだろう。日本で大病院に患者が集まる理由は「大きければ信用できる」という期待から由来しているのだろう。しかし、単に大きければよいのではなく、どの分野に強みをもった大きさなのかの把握が大切なのである。情報の非対称性において、つまり受け手が満足な情報を得ることのできない現況ではこのリサーチが我々には難しいのだが・・・。ふう、経済学って面白いけどやっぱり難しい・・・。
2005/02/08
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大学院で妻と同じ国際教育専攻のJちゃんが、同じ教育専攻の日本人を集めた「教育総会」をベセスダの自宅で開催してくれた。つまり私は単なる運転手・・・。しかし実質はみんなでアメフトの祭典、「スーパーボウル」の観戦だった。Jちゃんには日本人女性Mさんとアメリカ人男性Pという2人のルームメイトがいる。P以外の参加者は日本人か日系人という状況で、公用語が日本語という状況は彼にはかわいそうだったかも(苦笑)。さらに、ルールを知ってるのはPだけという中でほとんど誰もテレビに目を向けず、ひたすら食べたり話したりしていた。。。このようなPの孤独という状況を回避するために私が秘密のポケットから取り出したのが「ピクショナリー」であった。(注1:皆さんの方で「ぴくしょなりぃー」というドラえもんの音声を想像してください)(注2:ピクショナリーはボードゲームであり、決してポケットには収まりません)私の日記においてピクショナリーは何度も登場しているが、どんなものかの説明については過去の日記、「ピクショナリーで英語の勉強」 を参照されたい。Pを含めた8人が、2人1組4チームに分かれて激突した。まだ試合中なのに(苦笑)・・・。今回も珍イラスト、珍回答でかなり盛り上がったが、勝者はAとHちゃんのコンビだった。特にHちゃんはアートセラピーというクライアントに絵を書かせて行うカウンセリングを大学院で専攻している人なので、その腕前も大きかったのだろう。本人いわく、「ぜんぜん関係ありません」また、今回のみんなの絵からどんなことが分析できるの?とのベタな質問に対しては、「みんな急いでますね」さ、さすがだ!発想力、単語力、知識、描写能力、瞬発力など様々な能力が問われるこのゲームをやると本当に脳みそが疲れる。こうして、教育総会という建前で集まりスーパーボウル観戦という実質をもった今日の集まりは、ピクショナリー大会という真相をもって幕を閉じたのであった。Pも楽しんでくれたようで、一緒にエキサイトしてよかったよかった。あれ、スーパーボウルはどっちが勝ったんだっけ・・・。気付いたらアニメの「シンプソンズ」が流れてた・・・。
2005/02/07
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Tご夫妻とともに4人でAさんご夫婦のベイビーシャワーに参加させて頂いた。定義的な説明をすれば、ベイビーシャワーとは妊娠している人のためにその友人や親戚の人が開く出産前の母親にベビー用品を贈るパーティのことを指す。今回のパーティはAご夫妻が自ら主催して頂いたもので、プレゼント等は無しのカジュアルな集まりということだった。ご主人は大手商社のワシントンDC事務所の所長をされている方で、そのお宅も素晴らしかった。自分もいつかこんな暮らしをしてみたい・・・。なんて妄想はともかくとして、たくさんの人が妊婦の奥様を囲んでご無事の出産を願うというのはアメリカのとても素敵な慣習だな、と思った。ゲストの中にはご自身の赤ちゃんを連れてこられている方々も多く、赤ちゃんは赤ちゃんを呼ぶという好循環のようだ。その中でも一週間前に生まれたばかりの息子さんを連れてきてくれたMご夫妻はひときわ周囲の注目を集めていた。もちろん主役は赤ちゃんのY君。かわいい・・・。でもいいなあ、こんなに注目を集めて。(←嫉妬)Y君、パパとママには今度ボクシングを教える約束したけど、将来洗練された打ち合いの夫婦喧嘩にならないようにするのは君の役目ですよ~。Mさん、もちろん冗談ですからね・・・。息子さんのご誕生おめでとうございました!今回のベイビーシャワーの真の主役であったFさん、健やかな赤ちゃんが生まれることを心からお祈りしています!
2005/02/06
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夕ご飯をMさんと我々夫婦の3人でベトナム料理レストランへ。この店は本当に何回も来ているが、その存在を教えてくれたのが他ならぬMさんなのである。過去の日記を振り返ってみると、このベトナム料理店は何度も登場している。2004-07-03(土) - ベトナム仕込みの絶品揚げ出し豆腐 2004-09-05(日) - アメリカ人にタピオカ入りシェイクはきつかった・・・?&タランティーノ「HERO」鑑賞 2004-09-12(日) - (画像もどうぞ)友人来訪:ワシントンDCへようこそ 2004-12-18(土) - オレゴンからあずあず来訪:ベトナム料理と韓国料理を制覇 2005-01-04(火) - 〔銭湯マーク証拠写真付き〕最終日は銭湯とサウナでゆっくり:は、ここはアメリカか!? そして、今日食べたのもいつものこれ。12年以上のアメリカ滞在を経て3月に日本へ帰国することになったMさんはつぶやいた。「日本に帰国したらここで食べたベトナム料理を思い出すだろうなあ」ここは彼女にとっても慣れ親しんだ場所なのである。5月に帰国を控えた私も彼女の言葉に少ししんみりした。本当は特大ハンバーガーとかが思い出にならないとかっこつかないのかもしれないけど(苦笑)。また、Mさんには最近の私の日記が「真面目すぎて」面白くないとのご指摘も受けた。。。。Mさん:「題名を見た瞬間に読む気がしなくなっちゃうのよね」いちおう学生なんで真面目なことも書かないとそれこそかっこつかないでしょー。なるべく気を付けます(笑)。話は帰国後の予定にも及び、とりあえず今年のクリスマスはMさんの家でホームパーティにお呼ばれすることが内定。今から楽しみだ。アメリカで出会った友人達と日本で再会できるというのは素晴らしいことだと思う。Mさん、日本でもよろしくね!
2005/02/05
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Tご夫妻の家で長い時間お世話になった。まず夕方からRさんにボクササイズのレッスン。ご主人のSさんはお仕事で、私の妻は学校の授業で今回は参加できなかったのでマンツーマンレッスンに。Tご夫妻のアパートのトレーニングルームで毎回練習しているのだが、周囲にはルームランナーやエアロバイク、はたまた筋トレマシーンをするアメリカ人も多い。そんな中でシャドーボクシングをしたりグローブをつけてミット打ちをするのだからかなり目立つ(笑)。用具も全てプロ仕様である。Rさんの成長も目覚しく、教える内容のレベルも次第に高くなっている。本日教えたコンビネーションは2つ。A:小刻みなワンツースリーフォー(四連打)の後、相手の横からの攻撃をダッキングでかいくぐり左フック、さらなる相手からの攻撃をさらにダッキングでかいくぐってボディに右ストレートB:ボディにめがけてワンツーを打ち込み、ダッキングして右ストレートこれを、私が「A!」と叫んだら上記Aのコンビネーションを、「B!」と叫んだらBを打ち込み、それに併せて通常のミット打ちも行うという徹底振り。相当マニアックである(笑)。日本でもボクササイズのインストラクターとしてそれこそ100人近い女性ボクサーの育成をしてきたと思うが、これほど短期間で高度なコンビネーションを教えたのは初めてだ。それだけ優秀な生徒さんということですよ。それにしても、人に教えることにより毎回自分も何かを教わるのだということをつくづく感じる。ボクシングは力を入れる時と抜く時のメリハリとリズムが非常に大切なスポーツだと常々感じているが、この「力を抜く」という部分が非常に難しい。Rさんもフォームがしっかり決まっていても力んでしまっていた。しかし、連打のリズムの中で体重移動の要所を感じながら打ってもらうことにより、力の抜けた、なおかつポイントを押さえた素晴らしい一打を放てるようになってきた。これは他のことでも同じかもしれない。対象に意識を集中させすぎるあまり力みから思うような結果を出せないことがある。しかし、その対象を全体の位置付けの中で捉えられれば、流れに乗って核心に迫ることも可能となろう。単発よりもコンビネーションの方が勢いもつく。ここで注意しなくてはいけないのは、リズムにのって力が抜けたと言っても最終的には目的物に向かった意識を持つべきだということである。Rさんから教わりました。練習後、妻が合流して3人で鍋を食べ、Sさんが仕事から帰宅してからは4人でお話をした。出張で日本に3週間ほど一時帰国されていたSさんとは久しぶりの再会ということもあり、話は尽きることがなかった。それにしても2人ともお疲れのところまさに午前様までお邪魔してしまった。。。。またまた長いことお邪魔しました!これに懲りずにお付き合いしてくださいね(笑)。
2005/02/04
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「人間は変化を嫌う生き物だ」(People hate change)ビジネススクールでの最初の学期で履修した「組織論(Organizational Behavior)」の授業の中で何度も耳にした言葉である。何事も慣れている現状の維持が楽に決まっている。それでもなぜ変化をしていくのか。それは生き残るために変化「せねばならない」からである。必要に迫られ選択の余地なく行動に移す場合にせよ、先見の明ある者が事前に行動を起こした場合にせよ基本原理は変わらない。「Emerging Technology」の授業のリーディング課題にはH教授自身が書いた論文が含まれていた。「The Life Cycle of Evolution: A Macro-Technological Analysis of Civilization's Progress(進化の周期:文明発展のマクロ技術的分析)」, Journal of Futures Studies, August 2004.著者によれば文明発展をマクロ技術的な見地から考察すると、現在は第6番目の時代であるという。そのそれぞれのステージにおいて、現状としての命題(thesis)、さらなる困難(antithesis)、解決策としての触媒(catalyst)、そして得られた新たな結果(synthesis)という流れが展開されている。う~む、わかりにくい(苦笑)。つまり、具体例を挙げれば、原始時代のチャレンジ(antithesis)は野生の中での生存であった。そこで登場したのが石器などの「道具」という技術進展(catalyst)であり、狩猟を行うことで生存を可能にし、集団化・部族の形成(synthesis)という結果となったわけである。次にこの集団化(thesis)が食糧不足(antithesis)を引き起こす。この問題を解決したのが農業の進展(catalyst)であり、食糧の備蓄が文明の発展(Civilization = synthesis)をもたらした。このCivilizationがまたAntithesisとなって・・・・という具合である。現状 + 課題 + 新たな手段 = 進化この繰り返しということである。そしてやってきた現代は「知識の時代(Knowledge Era)」巨大組織という前時代からのthesisと複雑化というantithesisを受け、ITがインフォメーションネットワークというsynthesisを作り上げたというのだ。では、次にやってくる進化、そしてそれがもたらす時代とは何だろうか。H教授によると、それは「意識の技術(Technologies of Consciousness)」がもたらす「実存の時代(Existential Era)」である。技術というとそれこそテクニカルに聞こえてしまうが、彼の主張は「知識を超越した精神(spirit)が重要な役割を果たす」時代がやってくるということである。新興宗教の勧誘を聞いているような気にもなってしまうが、最終的には気持ちが重要だという意見は理解できるような気がする。(実際、論文の中では宗教というものが人々にとって大切なものである一方で、戦争をはじめ多くの悲劇の原因となっていることも指摘していた)教授によれば、すでに人々による精神的活動は始まっているという。アメリカや日本でヨガが爆発的に広まっているのはそのいい例だ。肉体の動きを伴う精神的な集中とリラクゼーションを行うことで個人が自らの生命・行動を内面からコントロールしようと試みる。私にとってはシャドーボクシングがそれに当たるかもしれない。1人で無心の境地に至ることで気持ちの安定を得ることができるのだ。しかし、こういった精神活動がどのように時代の主流となり得るのだろう。自分で消化しきれる内容の論文でないのだが、非常に興味深いテーマであったので紹介してみた。論文にはこうもあった。「進歩というものは新たな困難を引き起こす運命にある」医学の目覚しい進歩は病気の早期発見や臓器移植などのかつてなかったような治療法を生み出し、遺伝子治療に至っては人間にもともとプログラムされていた「運命」を変えることさえ可能にする。生命の始期では避妊や中絶、さらには対となる生殖補助技術(体外受精、代理母など)の発展生命の終期では脳死や臓器移植、尊厳死・安楽死、そして対となる遺伝子治療、もしくは延命治療という問題我々自身がどこまで生命の始期と終期に関わってよいのか。発展させてきた技術のおかげで我々は様々な恩恵を享受してきたわけだが、それ以上に「精神」力を伴う決断をしていかなければならない。私が生きている間に進化のライフサイクルはどこまで進むのだろうか。きちんと意識していこう。
2005/02/03
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医療に関連する人々・機関の望みとは?昨日の「Health Economics」の授業では、患者、医師及び医療関係者、保険会社、病院、そして政府の立場からそれぞれの期待が説明された。あくまで立場別の要求を把握するための作業なのだが、全部を眺めてみるとみんなよけい自分勝手に見えてくる(笑)。患者(Patients):選択の自由(Freedom of Choice)、支払可能な金額(Affordable Care)、最新技術(the Latest Technology)、新しく魅力的な施設(Modern and Attractive Facilities)、自由なアクセス(Unlimited Access to Medical Services)医師及び他の医療業務従事者 (Physicians and other Medical Staff):自律性(Autonomy)、財政的保証(Financial Security)、医療過誤訴訟の脅威からの自由(Freedom from Threat of Malpractice Litigation)、うんざりするほど多い文書業務や規制からの解放(Relief from the Overwhelming Burden of Paperwork and Regulation)保険会社 (Insurance Companies):患者集団の入念な選別や適切な病院使用のチェックを通じての利益(Profits through Careful Selection of Patient Group and Utilization Review)病院 (Hospitals):市場における優位なポジション(a dominant position)連邦および州政府 (Federal and State Government):費用抑制(Cost Containment)、全ての国民へ基本的なケアを提供する(the extension of basic health care benefits to the entire population)この全ての期待を満たす医療制度なんて存在するのだろうか。少なくとも現存はしていないだろう。イギリス、カナダを代表とするBeveridge Modelにも、ドイツ、フランス、日本を代表とするBismark Modelにも、そしてアメリカのPrivate Insurance(私的保険)Modelにも、長所と短所がそれぞれに存在するのだ。それにしたって国民皆保険を実現していない先進国はアメリカだけではないか・・・。授業では、現役の女医であるクラスメイトのJが書類事務の大変さについて発言をし、「保険会社が違うたびに用紙が変わるんです!」と大変さを訴えていた。彼女は先学期のヘルスケアファイナンスの授業でも一緒だったが、10歳の男の子のお母さんでもあり、1度子供が授業に出席したこともあった(ずっとゲームボーイをやってたが(笑))。でも実は彼女の医師としての専門を知らなかった。先学期も今学期も彼女は自分の経験をよく発言するので、何度も言ってるはずなのだが・・・。というわけで授業の後に本人に直接聞いてみた。「なんちゃらモロジスト?」だめだ、聞き取れない・・・。というわけで電子辞書にスペルを打ってもらった。「ophthalmologist」なるほど~、って難しいよ!!答えは過去の日記:翻訳家ってすごいんだなあ:とりあえず自分には無理と実感 からどうぞ。答えが過去の日記に書いてあるってことは・・・、すでに学んだ単語だったんじゃないか!聞いてもわからなかっただけじゃなく読んでもピンとこなかったことに反省・・・。まあ、人間は忘れる生き物ですから。。。。また今度Jに発音してもらおう。
2005/02/02
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自慢をするわけではないが大勢の人前で話すこと(public speaking)は苦手である。「話す」こと自体は好きである。くだけた場で少数に対して馬鹿話をすることなら得意と言っても過言ではあるまい。しかしながら、かしこまった場で、何十人または何百人を前にして何かを言うとなると話は別だ。これまで結婚式のスピーチなるものを二度経験したが、あれは「私」ではなかった・・・。アメリカのビジネススクールでまず壁となったのはプレゼンテーションである。さらに英語という壁もある。最初の学期に履修した「Marketing」のクラスでは実際のマーケティング手法以外に、いかにプレゼンテーションを成功させるかについての理論と実践にも時間が充分に割かれた。1. 話し手のためにも聞き手のためにも内容は簡潔に(KISSの法則=Keep It Simple and Short)2. 自分自身であれ (Be Yourself)3. 自信を持って (Be confident)などなど・・・。聞けば当たり前のレッスンの数々なのだが、いざ実践するとなると勝手が違うものだ。まだまだ発展途上だが、学んだことを意識して経験を積んでいけば着実に成長できるものだという実感はある。一方、アメリカに来て気付いたのがアメリカ人達のプレゼンテーション能力の高さである。ゲストスピーカーで訪れた一流企業のCEOらエクゼクティブは言うまでもなく、クラスメイト達もプレゼンテーションが非常にうまい。(もちろん例外はあるが(笑))特に、ビジネススクールで一番仲のよいアメリカ人のCのプレゼンテーションは常に笑いを呼び、そして周囲の注目を集め続ける。(私も違った意味で注目を集め続けているが・・・)この違いはいったいどこからくるのだろうか。そんな時に出会ったのが、現在東京三菱銀行ワシントン駐在員事務所で所長をされている竹中 正治氏のコラム「なぜ日本人はプレゼン下手なのか」である。このコラムは、ワシントンDCにあるアメリカン大学の学生が運営する『座論』という勉強会のメーリングリストに竹中氏が不定期に投稿されている「ワシントン情報裏Version」の2005年1月28日号である。内容は、口頭プレゼンテーションの上でアメリカが日本より優れているのは弁論文化と文章文化の違いに起因するのではないかというものである。非常に興味深い切り口である。アルファベット24文字の組み合わせで読み書きのすべてが済む英語に対し、ひらがな・カタカナ・漢字の三種類を駆使する日本語は読み書きを学ぶためにより長い時間をかけねばならないということだ。つまり、我々が小学校で漢字テストのために同じ漢字を何回も書いて練習している間に、アメリカ人の子供達は大勢の人の前で話す訓練を受けているのである。著者はこう続ける。「米国における口頭プレゼン能力の訓練は、初等中等教育のみではない。日本人が米国の大学、大学院に留学すると、口頭プレゼンやディベートの時間が多いことに驚き、日本の大学教育との大きな相違を経験することは、今日では良く知られた事実である。訓練に費やす学習労力にこれだけの日米格差があれば、日本人の相対的な口頭プレゼン下手も無理からぬことである。そして米国の小学校がこれだけ口頭プレゼン・レッスンに時間が割けられることの前提条件として、文字を書く訓練に要する時間が日本に比べて相対的に少ないからだと私は思う。」プレゼンテーション技術について日米で教育方針が違うということは気付いていたが、言語体系の違いがこのことに大きな影響を与えているということは今まで考えてもみなかった。著者の議論は単なる日米比較にとどまらない。最後の項では「ワープロとインターネットがもたらす文化的な変容」というテーマで漢字文化の変容について触れている。「一昔前までは活字になって印刷された文章自体に一定の権威が認められた。活字になるためには手間とコストがかかったからだ。しかし現在はワープロとインターネットのおかげで、活字化された文章の作成と発信が一気に大衆化し、世の中にあふれ出るようになった。」確かに私の日記を例にとっても、今読んでくださっている皆さんに手書きでワシントンDCから郵送することを考えたら・・・・、ありえませんね(笑)。最後に、竹中氏は我々にこう語りかける。「ともかく、書く作業が効率化された結果、社会全体で生じた余裕時間は別の作業に費やすことができる。その余裕時間を何に使うか? もっと書きますか? 弁論を磨きますか?それとも遊んじゃいましょうか?」う~ん、現況を考えたら弁論を磨かないといけないのに、気持ちは遊びたくて、実際にしているのは楽天の日記をせっせと書いてることかも(苦笑)。現状を把握した上で、さてどうしましょうか?三兎を得たい!!!竹中 正治氏のコラム「なぜ日本人はプレゼン下手なのか」は こちら から(竹中さんのホームページの中にあるPDFファイルへつながります)
2005/02/01
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「Health Economics」のリーディング課題をせっせと読んでいる。そのうちの1つにあったのが、「Physician fees and procedure intensity: the case of cesarean delivery」(医師への支払料金と処置の頻度の関係について:帝王切開を例にとって)、Journal of Health Economics, Dec. 1999 日記にも書いたのだが、昨日の飲茶会の場で帝王切開について盛り上がった縁なのだろうか(笑)。この論文では、アメリカの医療現場において、医師の収入に与えるインパクトの違いが彼らの選択する処置方法に影響を与えるという事実を分娩時の帝王切開を例にとり説明したものである。(帝王切開とは、自然分娩が期待し得ない時に行う、母体の腹壁および子宮壁を切開して胎児を取り出す手術のこと)結論を読み、「お金のために不必要な帝王切開が行われているのか??」という驚きをまず感じる。調査は私的保険が主流を成すアメリカにおける公的保険、Medicaid(メディケイド)の患者を対象に行われている。Medicaidは低所得者を対象とした公的保険制度であり、この10年で400%の伸びを示している。一般の私的健康保険会社と同じように、「この処置についてはこの値段払います」という契約を病院の間で結んでいる。(公的保険のため契約というより決まりといった方が適切かもしれない)論文によると、帝王切開と通常分娩ではほぼ同じコスト(人件費、道具や設備費など)であるという。しかし、Medicaidによる医療費の還付(reimbursement)を一般の保険会社と比べると、州による違いこそあれ、帝王切開の方が顕著に高い還付を受けることができるというのである。医師(病院)にとっては通常分娩よりも帝王切開をする方が「儲かる」わけだ。このことは帝王切開を行うことへのインセンティブを意味し、経済的な見地から考えると、費用が一定で収入が多い方を選ぶのが当然であろう。そして、実際になされた統計的なリサーチの結果がこの命題をサポートしていた。帝王切開が行われる主な理由として以下の3つのケースが挙げられる。1. 逆子の場合2. 母体の危険(先天性・後天性を含む)3. 胎児の危険以上の3つのケースにおいて帝王切開は臨床的に最も安全な方法と言うことができる。通常分娩と帝王切開における保険会社(この場合はMedicaid)からの医療還付金の違いがこの因果関係に統計的に有意な変化をもたらすというのである。論文の結論としては、「Medicaidにおける医療還付金の差を縮めれば帝王切開の件数は明らかに減少するだろう」と言うに留まり、その変化が妊婦や胎児に本当に有益なことなのかについてまでは触れていなかった。つまり、「そうはいっても『帝王切開が多いこと=悪いこと』とは言い切れません」ということを示唆している。ここまで書いてみて、アメリカで行われたこの研究、日本でも応用可能ではないかと考えた。つまり、国による保険の点数(=医師・病院の収入)の設定がいかに処置の頻度に影響を与えるかという調査である。経済的インセンティブが処置方法決定の一因になるとすれば、「この処置はいくら」という国が決めた価格が医師の意思決定に影響を及ぼし得るということではないか。そう考えると単に経済だけではなく、政治が絡む話に広がっていく。患者として不必要な処置はもちろんやめてもらいたいし、医師(病院)も「医の倫理」は持っていると願いたい。しかし、それ以外にも「医療経済」、さらにはそれに影響を及ぼす「政治」という、一見しただけでは見えてこない要素にも注目しないといけないのかもしれないと考えさせられた。
2005/01/31
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