筆者さんのご意見から考えると、靖国は戦争を讃美し、第二次世界大戦を正当の戦争とする施設と言うことになるのですね・・・?
○ヨ○さん達がたむろするわけだ。
国のためになくなった方への哀悼の意ではないと・・

何も考えずに、何も知らずに行っていました。
何か、考えちゃいますね。 (2006年07月30日 18時21分23秒)

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2006年07月30日
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 靖国神社がどのような場所なのか、よくわからない。だから、一度見に行ってみたかった。今年の夏こそ行こうと思っていたら、昨日、書店でこの本を見つけた。今まで知らなかったことが沢山書かれており、ある程度の理解ができたと思う。靖国神社へ行ったら、A級戦犯はボクの気持ちから外して、一般の戦没者にお参りもしようと思っていたが、本によって知識を得た後のボクの気持ちは、実に複雑である。普通の神社の延長にあるものかと思っていたら、随分と違う。靖国神社がどのような施設であるのか、著者の意見は以下である。

 靖国神社の機能は、戦死者を顕彰し、その死を称える施設である。靖国信仰は、天皇自らの祭祀によって戦死を称えることで、国民に生と死の意味を与える施設であった。この「お天子さま」の祭祀によって、戦死の栄光を称えられ、肉親を戦争で失った人々の悲しみは、一転、喜びに変わった。そして、多くの国民が、自身または子息、夫が国の為に戦って死ぬことを希望した。
 靖国神社は追悼施設ではない。国家は戦争に動員して死に追いやった兵士たちを追悼し悲しむのではなく、次の戦争の準備の為に、「お国の為に死ぬこと」を名誉と考え、進んで犠牲となる兵士の精神を調達する為に戦死者を顕彰するのだ。顕彰の名誉よりも、遺族を失った悲しみを強く感じることは、非国民だった。
 この顕彰は、必ずしも戦死者の側から望んで行われるものではない。台湾の先住民で軍属として働いた人々の遺族が靖国神社に「祭るのをやめて欲しい」と請願しても、靖国神社は受け入れない。台湾に関しては「戦死した時点では日本人だったのだから、死後日本人となることはありえない。」という。(以上の発言は1987年、朝日新聞、池田良八権宮司による)「日本の兵隊として死んだら靖国に祭ってもらうんだという気持ちで戦って死んだのだから、遺族の申し出で取り下げるわけにはいかない。」(同じく池田権宮司)という。
 国内のキリスト教徒の遺族が祭ることをやめるように請願しても、池田権宮司は「天皇の意志により戦死者の合祀は行われたのであり、遺族の意志に関わりなく行われたのであるから、抹消することはできない。」という。
 ここでいう天皇の意志とは、いわゆる祝詞にある、「お前たち戦死者のおかげでこの国を統治できるのであるから、これからずっと称えよう。」というもので、追悼の意は微塵もない。天皇は戦死者を追悼ではなく、顕彰する。また靖国神社は天皇の意志のみを尊重し、遺族の意志と感情を無視する施設である。靖国神社は旧大日本帝国のイデオロギーがそのまま生き続けている場所だ。
 国立の追悼施設を建設することが議論されているが、追悼施設の本質は顕彰である。すなわち、戦死への敬意、感謝の念を表明することであり、戦争で死ぬことを美化するのである。これは、本質的に顕彰と同じである。
 真の意味での追悼を行うには、日本は軍備を完全に放棄する必要がある。現在のように、戦争を予想する日本が行う追悼は、即ち戦死者への顕彰である。戦闘行為を完全に放棄することでしか、真の追悼は実現しない。国立の追悼施設は第二の靖国となってしまう。日本は軍備を放棄するべきだ。


 ここまで、筆者の靖国問題への主張をみてきたが、息子を失った母親たちが、靖国の栄誉を受けることで、悲しみが癒されていることも紹介している。靖国は彼女らの心の支えであり、その宗教感情を近い身内に戦死者を持たないボクに批判する権利はないように思う。
 さて、ボクが靖国へ行ったときに参拝するかしないかという問題がある。心の中で哀悼してもよいかもしれない。ただ、その哀悼が、靖国思想に包括されてしまうことは、ボクの本意ではない。靖国が単なる墓であれば、相手は仏や精霊であるから、参ることができるのだが、靖国神社の思想をボク自身の中に受け入れることができない。あまりにも異質なのだ。墓参りのように拝んだとしても、それは形式上、靖国の思想に取り込まれることになる。筆者が言うように、靖国でなくては追悼できないものではない。やはり神社を見るだけにしよう。





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最終更新日  2006年07月30日 15時45分29秒
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Re:『靖国問題』を読んだ。(ちくま新書)(07/30)  

Re[1]:『靖国問題』を読んだ。(ちくま新書)(07/30)  
反面教師2994さん
そういうことになりますね。というより、まさにそう書いてましたよ。靖国神社の姿勢としては、哀悼ではなく、戦死を称えているっちゅうことですね。
ボクも考えちゃいました。やはり零戦は見たいですけども(笑) (2006年07月30日 20時04分22秒)

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