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うろたえてしまった。
2001年という年も、多くの演芸関係者を失った年だったが、
今年がまた、何だかそうなりつつあって…ホント嫌だ。
最近「噺家らしい佇まいの噺家」が少なくなった…と思う。
特に私と同年代の若手。…夏丸さんみたいに、年がら年中
和服で通してりゃ話は別だが(苦笑)。
60代・70代のお師匠さん方は、当然のことながら「噺家の
佇まい」が、私服の状態(?)でも見えている。
そんな方々の中で、私が選ぶ「噺家らしい佇まい」の断トツ
1位だったのは、この師匠だった。
「だった」と過去形で書かなくてはいけないのが、書いてて
本当に悲しい。
立川流の至宝ともいうべき、飄々とした高座を我々に魅せて
くださっていた、立川左談次師匠が亡くなられた。享年67。
一昨年から、食道ガンで闘病していたのは勿論知っていたが、
ここまで悪くなっていたとは想像していなかったので…。
とにかく、この師匠の高座ぁ、軽く飄々とした…春風のような
空気が漂っていながら、常に観客を爆笑させるという、何だか
よく分からないが、物凄い噺家だったと思う。
初めて「立川左談次」の名前を認識したのは、小学生のころ。
月曜日の20時から、テレビ東京でやっていた、みのもんたが
司会の演芸番組の大喜利コーナーだった。
鈴々舎馬風師が、ダンプ松本みたいな格好して、悪い答えの
噺家を、ハリセンでボッコボコに殴るという、いま放送したら
クレームの嵐になりそうな大喜利(苦笑)。
そこで、桂米助・三笑亭夢之助・柳家権太楼・笑福亭鶴光と
左談次師の5人でレギュラーメンバーだった。
落語ファンになってからは、何度も生の高座を見たっけ。
そして、2011年10月末に池袋の『ライオン』(ビアホール)で
開かれた「白山雅一先生を送る会」で、このとき限りだったが、
挨拶させていただいたことがある。
よく聴いたのは「町内の若い衆」。この噺で観客を爆笑の渦に
叩き込める噺家は、左談次・権太楼の2人だけだったと思う
(個人の意見です)。
あと、よく演ったのを見たのが「読書日記」というネタ!!
これは、本を1冊持って高座に上がり、その本の笑いどころを
抜粋して読み、ツッコミを入れていくというもの(笑)。
今でも覚えているのが、新宿末廣亭の余一会に出た際に演った
林家こぶ平(現・九代目正蔵)著の『通になりたい』という本に
ツッコミを入れまくったとき!もう、末廣亭の桟敷で腹ぁ抱えて
涙ぁ流して笑い転げたのを、今でも覚えている。
…ツッコミの中身は、何にも覚えていないけど(苦笑)。
でも、ひとつ間違うと「ただの公開悪口」になってしまうのを、
上手く笑いに転化するテクニックは絶妙だった。
抜粋する箇所の見極めの巧さと、これ以上悪く言ったら洒落に
ならない、そのギリ手前で止める悪口(?)が、まさに至芸と
言っていいものだった…と思う。
ただ、食道ガンで闘病されてから、どういうわけか生の高座を
拝見するチャンスに全く巡り会えなかった。
これはもう、ホントに「痛恨の極み」としか言いようがない。
最後に見たのは2014年11月22日、有楽町のよみうりホール・
「談志まつり」昼の部主任での「五人廻し」だったかと思う。
もう4年は生高座を見てなかったのか…(涙)。
主任ながら、いつも通りのさっぱりした高座で、暖かい空気が
客席に流れていたのを覚えている。あのときは、当たり前だが
非常に元気だったのに…。
そして、この師匠は…いろいろ障壁はあっただろうが、やはり
寄席の高座に戻るべきだったと思う。ああいう飄々とした味は、
寄席の高座で、より光り輝いただろうと思うから。
談四楼師前の…落語協会で修業を積んだ談志門下の師匠方は、
やっぱり不快に思う人がいたとしても、落語協会に(客員でも
いいから)戻すべきだったのではないだろうか?
あと、一度でいいから、桂才賀師匠とやってた『浪曲子守唄』の
新舞踊(??)を見てみたかった。ビデオは持ってるけど。
談志家元亡きあと、左談次師の門下になった立川談吉さん。
第二の師匠も失った、談吉さんの心中察するに余りある(涙)。
実は、7月27日(金)にやる落語会、初めて談吉さんに出演を
お願いしていて、ここ数週間、いろいろとメールでやり取りを
していたのだが、こんな事態になっていたなんて思わず…。
来月初めに、打ち合わせをする予定にしてるのだが、そのとき
お詫びをしておかなくてはならんね、これは。
左談次師匠、長い間お疲れさまです。ありがとうございました。
そして、食道ガンとの大変な闘病、本当にお疲れさまでした。
心からご冥福をお祈り申し上げます。