tosikoの徒然日記

tosikoの徒然日記

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2014.12.28
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カテゴリ: 家族
1月、母親の状態が思わしくなく、仕事の時間を8時間から6時間に短縮してもらい午前か午後に行けるようにしてもらいました。


2月に足が腫れてるということで、大きな病院に受診→入院。
2週間で退院はしましたが、入院中病院のご飯が不味いと全然食べなくて10Kg減。

3月に入り、父親の様子が変なのでMRI検査をしてもらったところ頭に血が溜まり脳が圧迫されて危険な状態だと。
循環器病センターに救急で行き、緊急手術→緊急入院。
病名は硬膜下血腫。
一歩間違えれば死に面してたかもしれません。
ちょうど九州の義姉が帰って来てくれてたので、私も仕事を休まずに済みました。

父親は10日で退院しました。
驚異の回復力です。

義姉が退院後2週間ほどいてくれたので、父親も安心してたのではないでしょうか。

4月も半ばになり、母親の足が弱ってトイレに行くのが難しくなってポータブルトイレを購入。
最初は抵抗があったみたいですが、トイレまで行かなくても用が足せるので納得したみたいです。

ゴールデンウィークに入り、母親の熱が続きます。
掛かりつけの内科の先生に往診してもらい点滴を毎日してもらってましたが、なかなか回復しません。内科の先生の紹介で今度は違う病院に入院。
病名は誤嚥性肺炎。10日で退院しました。
退院後は内科との連携も考えて訪問看護にも来てもらうことにしました。訪問ヘルパー週1回と訪問看護週2回で様子を見ることに。
ベッドも介護用のベッドにしました。もちろんレンタルで。

6月・7月は一進一退を繰り返し、出来る限り実家に行くようにしました。

なので、行くたびに買い物や喫茶店、医者など車椅子に乗せてあちこち連れて行きました。

8月に入り、全然足に力が入らずポータブルでも出来なくなり完全にオムツにしてしまいました。父親ではおむつ交換が難しくなり、月・水・金の夕方は訪問看護に火・木の夕方と土の朝はヘルパーさんに来てもらうことにして、後は私が極力行くようにし、どうしても行けない時は父親がということにしました。
仕事もかなり減らしてもらい、ほとんど実家に行く生活になりました。
車椅子もリクライニング出来るものをレンタルして、まだまだ連れて出るぞと。

お盆には九州から兄一家も帰省して、久しぶりに孫たちにも会って嬉しそうな母親でした。

お盆が過ぎ、それぞれの生活に戻ってから1週間後の日曜日(24日)の午後に永眠。
最期には会えませんでしたが、母親の希望通り家で眠るように逝ったそうなのでよかったかな?

父親の意向で、父親と子供2人の3人で家で送りました。
その後は49日まで7日ごとのお参りと、100ヶ日の法要。49日と100ヶ日は九州の兄も帰って来ました。

母親の遺品の整理。
レンタルしているものは返し、洋服は私が勤めている施設に引き取ってもらいました。
そして一番時間がかかったのが貯金の解約。まず、死亡した人の出生から死亡までの連続した戸籍謄本がいりますが、母親は一度養女に行き、そこから嫁入りしている上に戦時中のことで戸籍がどうなってるか定かではありません。これは兄がしてくれるというので任せておいて、私は解約にいる書類を各銀行からもらって来て準備をしました。相続人の印鑑証明と実印もいるということで、父親の印鑑証明を取りに連れて行き、私も自分の分を取りました。
書類が全部揃ったのが35日の法要の時です。それから休みのたびに一つづつ銀行巡り。2ヶ月かかってようやく終わりました。
まだ本とか氷川きよしのDVDとか落語のCDとかありますが、それはまた追々整理していくということでまずは一段落。

さて、母親が亡くなって一人暮らしになった父親ですが、年のわりにはしっかりしているので安心はしています。とは言え、かなりの高齢でありますので母親の時と同じく仕事の前後と休みには変わりなく実家通いが続いてます。
一つ変わったのが、孫と飲みに行くようになったことかな?母親がいるときにはなかなかゆっくり飲むことも出来なかったので、日曜日の夜に親子孫3代で晩ご飯を食べに行く回数が増えました。

12月14日にはお世話になった方と、兄一家と私と私の子供たちと一同に会して「母親を偲ぶ会」をしました。この日は両親の結婚記念日です。ちょうど日曜日だったので、下の娘も息子も参加して孫全員が何年かぶりに揃いました。若者たちのテーブルの賑やかなこと。賑やかなのが好きだった母親も喜んでることでしょう。

誰にも知らせなかった母親の死も、喪中はがきやら口伝えにだんだんと伝わりポツリポツリとお参りに来てくれる人たちも続いてます。その度に思い出話に華が咲き、本当に皆に好かれてたんだなと実感します。そんなおばあちゃんになりたいですね。

こうやって振り返ると、今年は母親で始まり母親で終わったような気がします。母親の最期の年にこれだけかかわれたのは幸せだったんでしょうか?

きっと向こうでも、ニコニコと笑いながらみんなの話を聞いてることでしょう。

父親が行くのはまだもう少し先になりそうです。それまで向こうで待っててね。





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Last updated  2014.12.28 21:33:32
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