統一運動

統一運動

PR

カテゴリ

カテゴリ未分類

(35)

拉致監禁

(4)

第1章

(9)

第2章

(8)

第3章

(4)

第4章

(2)

第5章

(7)

第6章

(10)

第7章

(7)

第8章

(7)

第9章

(4)

パブリックコメント

(0)

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

【複製】真の父母様… New! 自称ルポライターtomy4509さん

宗教と有名人(芸能… 宗教ミーハーさん
KIB : kurogane in b… agent kuroganeさん
ポッポではじまるあ… すひょんママさん

コメント新着

統一運動 @ Re:慶祝良かったですね。(02/23) tanakakjさん コメントありがとう   …
tanakakj @ 慶祝良かったですね。 私も知人と近所の方に紹介しています。子…
tanakakj @ 実行犯は明らかな犯罪者です。  この様な事が通る国家だから、人権に於…
統一運動 @ Re:温床を断て(08/04) 真の伯父/じじい50さん こんにちは >実…
真の伯父/じじい50 @ 温床を断て 実行犯は一面では犠牲者です。犯罪の温床…
2007年01月07日
XML
テーマ: 統一運動(71)
カテゴリ: 第6章


 アメリカ政府が対ソ戦略で大々的な攻勢に打って出たこの時期に、ソ連は国内経済だけでなく、政治体制にも緩みが見え始めた。原因は相次ぐ最高権力者の死である。まず一九八二年には、世界赤化戦略の権化であるブレジネフ書記長が死亡した。後を継いだ六十八歳のアンドロポフ書記長はわずか一年強の執権期間のみで死亡した。その後に書記長の座に就いた七十二歳のチェルネンコも、老弱で十三カ月後に死亡してしまった。
 かくして、世代交代を待望する気運が盛り上がりを見せ、ゴルバチョフ新政権の夜明けが訪れたのである。彼が一九八五年三月にソ連の最高統治者になったとき、彼はまだ五十四歳の若さであった。共産党中央委員会政治局員の中では一番の年少者である。政治局のメンバーには彼の先輩が多くいたが、皆年齢的に難があり、アンドロポフ、チェルネンコの前轍を踏まないために、最も若くて健康なゴルバチョフが選ばれたのである。
 ゴルバチョフは幼年時にロシア正教の洗礼を受けている。彼の母親はロシア正教の篤実な信仰者であった。そのためか、彼は右側の額に大きな赤い血色のマーク(birth mark)を付けて生まれてきた。
 私は彼が書記長になってから、韓国の大都市巡回講演で、「ゴルバチョフがソ連最後の統治者となるだろう」と予言したことがある。講演ではスライドを作成して聴衆に見せながら、「共産主義が流した総数一億五千万人に上る罪なき犠牲者<18>の血の代価を清算させようとして、神が額に血の印章を押してゴルバチョフを送られた」と語った。今考えてみると、これは的中した予言となった。
 夫人のライサ女史は、モスクワ大学でマルクス・レーニン主義を講義していた徹底した共産主義者であり、哲学者であった。
 就任したばかりのゴルバチョフ書記長は、到底背負いきれないマイナスの遺産を押しつけられた格好になった。見かけ上は、超大国として世界に君臨していても、その内情は深刻で切迫していた。国民経済は破綻に陥り、国民の士気は地に落ち、共産党の指導力は低下し、政府や官僚機構の腐敗は極に達して、世界赤化の野望達成はもはや不可能な状態であった。この現実を直視する限り、ゴルバチョフの行くべき道は一つしかなかった。それが「改革」の断行である。そして、世界赤化の野望を捨て、米ソ共存と軍縮路線を歩むことである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年01月09日 22時51分02秒 コメントを書く
[第6章] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: